2025年6月15日日曜日

宇野常寛著『母性のディストピア』(集英社 2017)を読む

 


前回ブログの山下悦子の『高群逸枝論』は、母性的なものが「下からのファシズム」として機能した、という視点であるが、宇野常寛の『母性のディストピア』も、そうした認識にたっているものである。ただ、高群が古典的な文芸作品や日記などを文献としているとしても、家族構造をみようとしている点で、前者はあくまで下部構造に関わってくる話であり、後者は虚構世界の上部構造を焦点化したもの、という見方を私はとる。上・下というかつてのマルクス主義的な区別が古いというなら、柄谷の交換様式論をふまえてもいい。柄谷は交換A(互酬・贈与)に注目しその高次元化を目指すというが、その交換Aを支えた氏族制の、父権的(サムライ魂――最近文芸誌に発表した「風景の再発見」で新渡戸稲造の「武士道」の英語版からの翻訳を提出していることをみてもいい)な面を救い上げようとする。が高群も同様に、氏族制の時代を喚起させるのだが、それは群婚制という、むしろ母系的な現実性をすくいあげるためだった。

 

この上下の位相の違いを踏まえたうえで、「母性」性質的なものをめぐる是非論議を追求してみよう。

 

 

まず宇野は、1991年に柄谷・浅田・いとうせいこう・高橋源一郎・中上健次らによって提出された「湾岸戦争に反対する文学者声明」を批判的にとりあげる。

 

<…当時から既に批判されていた「文学者」たちの愚劣さ(実効性のなさ)と非倫理(紛争地域の見殺し)ではなく、むしろ彼らがその愚劣さから目を背けるために「あえて」偽善性を引き受けるという主張を採用していたことだ。>

 

この偽善性は、守られるべき女を演じる妻の犠牲(庇護)のもとで父(治者)は維持される、江藤淳のような右よりの批評家から村上春樹にも共有される、心的な規制であり構造である。この<母子相姦的な構造を「母性のディストピア」と表現したい。>

 

<ここでは世界と個人、公と私、政治と文学のうち前者が後者に、世界の構造の問題が(男性的な)自意識の問題に回収されながらも、それが隠蔽され擬似的な関係を結んでいる状態にある。「母性のディストピア」の常態化によって、戦後日本における成熟とはこの擬似関係に自覚的でありながらそれに気づかないふりを演じること(引用者註;「あえて」ということ)を意味するようになったのだ。>

 

そしていまや、

 

<情報技術に支援されることによって、いま戦後的な「母性のディストピア」は解体されるどころか延命し、肥大している。いや、情報技術の支援によって、それはアイロニー(引用者註;「あえて」ということ)を内包することなく機能するものに進化したとすら言えるだろう。いま、この国を(あるいは世界を)覆っている情報環境は巨大な、目に見えない、母胎のようなものだ。そこでは人は目にしたいものだけを目にし、そして信じたいものだけを信じることができる。政治と文学は切断され、「父」として前者(政治)にコミットしたつもりになりながら情報環境という「母」に守られ後者(文学)の中に引きこもる。何の喪失感も、悪の自覚もないままに。かつて戦後日本を包み込んでいた母胎はサンフランシスコ体制の産物であった。しかし、冷戦終結から四半世紀を経た今日、この母胎は情報技術のつくり上げたネットワークに置き換わり、そして強化されている。>

 

そしてここに、<どちらかといえば母権的な、日本的なムラ社会の、丸山眞男のいう「無責任の体系」が情報技術によって進化したボトムアップの権力にどう対峙するのか、という古くて新しい問題がここにはある。>

 

以上が、当時の宇野の状況認識の要約である。

 

おおまかには、私もそう認識している。

ただ、柄谷の「湾岸戦争に反対する文学者声明」等のジャーナリズム内での実践(パフォーマンス)行為に関するものには、少し違った見解をもつ。柄谷は、それらは、「あとで意味をもってくる」としてやっていたのだ。今は「効果」はないかもしれない、が、あとで、効果をもってくるとして、つまり、“布石”としてやっているのだ。だから、NAMの二年ほどのみの解散も、少しのためらいで決断・容認する。さまざまに、いくつか打った布石が、時の経過とほかの状況との絡み合いあの中で、三十年ほど経ったいま、どう本当に機能効果を持ち始めているのかは、私は知らないが、と言っておこう。(こう指摘すれば、その意味効果が、推定されてくるところも出てきているのでは、とも認識する人もいるのではないか、と思うが…私は、その「あとで」の「効果」自体に、反対している、ということなのだが…結局は、マッチョに居直っているということなのか、と思われてくるので。)

 

そしてもう一点。

宇野はあくまで、日本というこの国の状況を読んでいるわけだが、暗黙には、引用か所にも、「あるいは世界を」、とあるように、この母性的状況を、世界に拡大しようとしている。が、トッドの家族人類学的な認識を重ねれば、核家族(双系制)的なイギリス・アメリカでは日本傾向はあるかもしれないが、大陸文明の中心(父権・共同体家族)やそれに近いところでは、そうはなっていないのではないか、ならないのではないか、ということだ。しかも、ロシアによるウクライナへの侵攻、イスラエルの進撃、等、またはコロナ下でのかつての文明大国の対応をみると、資本やテクノロジーへの統制・検閲が、強靭に決行できてしまっているように見える。かつて、資本主義はアメリカナイズが頂点だ、いや日本での子供の資本主義が達成点になる、とのコジェーブの分析を受けてフランシス・フクヤマが「歴史の終り」を説いたわけだが、ぜんぜんそうはなっていないのと同様のことが、この母性をめぐる認識議論にも、言えてくるのではないだろうか?

 

世界は、厳しい、というか、こわっ。これが父権か、いったいこれに、どう対応するんだ? というのが、むしろ今突きつけられている日本での問いなのではないだろうか?

 

とにかく、宇野は、日本(世界)を覆う「母性のディストピア」に対し、次のような対応認識を示す。

 

    所有する/される、父権/母権的な縦のつながりの記述するナルシズムではなく、家族にいかない兄弟/姉妹的な横のつながりの記述する関係性へ。

    世界と個人、公と私は「政治と文学」ではなく「市場とゲーム」で結ばれる中では、物語の語り手/読み手としての成熟ではなくゲームのデザイナー/プレイヤーとしての成熟になる。静的・一方向的・自己完結的な文学ではなく、動的・双方向的・開放的なゲームである。他人の物語への感情移入によって成立するものから、自分の物語を自分で演じるものへの変化である。

 

以上の参照例として、ボーイズ・ラブや同性愛的な荻尾望都、竹宮恵子などの少女漫画、オタクな成熟、ニュータイプをもう一度、のようなものがあげられてくる。

 

私としては、なんともいえない、考察中ということになるのか。私のこのブログは、もしかして、「自分の物語を演じるもの」ということになるのかもしれないが、自覚はない。ただ、少女漫画ということでいえば、冒頭写真は、妻の遺品として、最近気づいたものである。「少女フレンド」の特製付録品だ。中には、ヘアピンの類がいっぱいつまっている。この1972年からつづいた少女漫画で、まさに荻尾や竹宮が連載を開始しはじめたのだ。私は、妻・いく子は、どうも60歳すぎてから自分のセクシュアリティを再発見したのでは、と、少女漫画のことなど知らない妻の妹さんの発言とうからも、予想を改めたが、そうではなく、当初どおりの推測が当たっていたのだ。中学時代、おそらく友達のあいだで、流行ったのだ。当時の中学生の間での年賀状の挿絵などが、やはりその推測を補完するものだったのだ。

 

世界と個人、公と私をつなぐテクノロジーという媒体(中間的なもの)を肯定していくときの技術、態度、実践の在り方が問題である。宇野はそこから、自然(原始)の森ではなく、「庭」という中間的な在り方の話になっていったのかもしれない。が、この森と庭に関する議論でも、私は考え中だ。石牟礼は、自身がそだった「うまわりのとも」(湿地帯で、それは私が暮らした東京中野区にある「ばっけ」と呼ばれたかつての土手地帯の言葉を、現地水俣のそこを見て思い起こさせた。)を森として復活すべく、その再興の学者・実践者と対談したりしている。そうしたことが、どういうことになるのか、まだ私は一定の見解に達していない。

 

それと、以上に重なるだろう問いを、別の角度から整理、考えてみたい。中島岳志編集の『RITA MAGAZINE 2』で、「死者とテクノロジー」という特集をやっている。これは、柳田国男の「先祖の話」、家の継承、墓(葬儀、喪)をどうするか、という、父系側からの問いかけだ。私はまだ、妻を納骨できていない。この他人事ではありえない問題を、考えるだけではなく、解決していかなくてはならない。

2025年6月10日火曜日

山下悦子著『高群逸枝論 「母」のアルケオロジー』(河出書房新社・1988)と宇野常寛著『母性のディストピア』(集英社・2017)を読む(1)

 


ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は、父殺しをめぐる三人兄弟の話だが、日本の文脈でなら、むしろ母殺しがテーマとして浮上してくるだろうと、『中上健次ノート』というエセーを書き、自身も『いちにち』という小説にまとめてみたのだった。が、妻が遺し与えた課題を追及しているうちに、石牟礼道子や高群逸枝にゆきつき、そういう方向性からの追及ではすまないのではないかと考えるようになっている。しかし、母をもちあげるとは、日本の文脈では、戦時中の国防・母運動や、現今の子育てにおける父は黙って母の圧制(負担)のような状況下においては、どういう言葉、物言いで説明していけばいいのか、となる。とくに、高群は、まさに母を根拠に戦時中のイデオロギーを強烈に補完する言葉をだしていた者である。

 

そう思いめぐらすなかで、上二著を読んでみた。まだ高群の作品自体や彼女に対しての他からの批判書を読んでいる途中であるが、母(性)をめぐる考えをいったん整理してみる。まずは、山下悦子『高群逸枝論 「母」のアルケオロジー』から。

 

 

石牟礼道子は、本当は、高群逸枝を研究したかったのだが、水俣病事件に出会うことによってそれを中断し、その関わりが一段落したあと取りかかろうとした四十歳すぎに、目がほとんど見えなくなってしまい読書することがかなわなくなってきたので、あきらめた、というようなことを言っている。『苦海浄土』のタイトルは、本人当初は「海と空のあいだに」だったが、編集者の意向で変更された。のちに、このタイトルは、短歌集に採用されていることからみても、彼女には思い入れがあったのだろう。私の推察では、このタイトルは、高群逸枝の最初の詩集『日月の上に』から来ている。というか、それへの批判なのだ。ひとまわり以上も年上な高群は、「日月」という天(自然)上の理想を望むことができたが、わたし(たち)はもはや、「海と空のあいだ」、つまりは人間界の苦しみを引き受け、「天の病む」世界を生きていくほかはないのだ、という覚悟の表明なのだ。

石牟礼は、高群の晩年にちかい時期だったか、面会謝絶を続けていた東京の自宅を訪問することを許されている。『最後の人 詩人高群逸枝』の半分は、高群というより、その夫橋本憲三の話になっている。石牟礼の高群への関心の中心は、男女関係とその世間における女性の不当さ、自身が受苦したものの不合理さへの探求ということだったろう。

 

山下悦子は、高群の初期詩集から、日本浪漫派に通じる哀愁や寂寥感をただよわせた「故郷」を読んでいる。そしてその「山の平和な生活を一変させた」のが橋本憲三との出会いであると。その熊本の故郷には、当時まだ、若集宿のような、夜這いの風習のようなものが残っていたのではないかと、高群の詩から推察できる。がそれは、「山の平和」として受け止められていたようには、私には読めない。むしろ、高群は、夜這いに来る男たちを気味悪がり、嫌がっていたのではないかということが、詩の背後にある。『日月の上に』は、おそらく幼少から大人へと成長していく時間軸におおまかに沿っているが、娘に達する頃の時期とみられる詩の言葉に、その嫌悪がひそまされている。が、インテリでニヒルの憲三は、この群れる男たちとは違ったのだ。だから、彼女は興味をもち、恋に落ちたのだ。そこには、同じに近い故郷の男であっても、マレビト的な外人性があった。彼女は、外人を選んだのだ。しかし、群れを捨てることもできなかった。それは、民衆(大衆)への想いのようなものからではない。戦後ののちに、彼女は、男には、カマキリのオスのようにメスに食べられて死にたがっているような、マゾヒズムが根底にあるのではないか、と言っている。それは、生物は分裂して生まれてくるが、またもとの物質と一体になりたがっているのではないか、という認識とつながっている。フロイトはそれを、死の衝動(タナトス)と読んだが、高群は無に帰すそれを生命といい、愛と捉えたのである。そしてこの根底に抱えた洞察、おそらく夜這いの男たちとの関係から得た認識が、詩人としての直観が、彼女の女性学、歴史の考察へと応用されてゆくのである。

山下悦子は、高群の方法は、「現象学的還元」であって、歴史実証的なものではないのだという。それは通史ではなく、共時的に把握されていたものを通時に置き換えた歴史としての誤解なのだという。が、起源に母権性があり、母系の現実があったというのは間違いだが、南北朝時代に父権的なものへのパラダイム転換があったという時点の証明は正しい、つまりは、高群の根底的な洞察は間違いではなかった、ということだろう。がそもそも、高群の思考を、柄谷行人からアドバイスを受けたという現代思想で難しくする必要があったのか? 高群は、自身の体験から得た洞察仮説を、歴史文献を使って実証してみせようとしただけである。そしてエマニュエル・トッドの家族人類学でも、柄谷の日本精神分析でも、日本(人類)は双系(核家族)的なのが起源的であるなら、父系とともに母系もあったのが現実ということになる。しかもこの母系的なものは、たとえば子供を産むと母方の親元の方へ妻は子供と一緒に退避していく子育て傾向が今もって見られることからも、その残存は推察できる。「現象学的還元」という「内省と遡行」の方法というなら、それはむしろ柳田国男の方だろう。だから、遡行で意識化できうる時間範囲は、限られる。高群は一気に古代までいった。高群から贈呈された本をみたら、柳田は黙って(絶句して)しまう他ないだろう。そして高群が母系に注目したというなら、柳田は父系に注目した。柳田の「いえ」に対する認識には、内省を超えた自身の理想というか夢のようなものがひそまされている感じがする。高群は、「内省と遡行」をしたのではなく、体験し、直観し、歴史的にはおおまかにはそれは当たり、認識的には、昆虫などの生態(群れ)を量子力学的に理解していこうとする郡司ペギオのような思考射程も入ってくる。

 

山下は、こういう思考をしているから、こういう行いになるのだという。デリダの脱構築、形而上学批判の踏襲である。高群は、母を無ととらえ、それを根拠にした。だから、西田幾多郎のような東洋思想にゆき、天皇体制のイデオローグになったのだと。ならば、なんで石牟礼道子はならなかったのか? 母を根拠に、国家と資本に闘ったではないか。もし高群に子供がいたら、ああはならなかったのではないか、と山下は一方で言う。高群は死産(男の子)で、無事育っていれば、徴兵される年頃であった。私もそう思う。俗にいえば、女性はそうなんだ。子供は嫌いだと言っていた妻は、いざ自分が産んでみると、溺愛するようになる。「おまえ子供はいやだって言ってなかったか?」ときくと、「そんなことは言っていない」となる。こう考えるからこう行うとはならない。むしろ、そう現行一致と理解すること自体が、男性の早とちりだったとしたらどうだ? 高群の、外人との結婚が日本古代にあったとする文献仮説は、自国内だけではおさまらなくなった大東亜共栄圏のイデオロギーとしても機能した。それは、歴史的にも天皇氏族は混血だったとおおまかには当たっていようが、実は単に、マレビト的であった夫橋本憲三との経験の応用なのではないか? がそんな彼女でも、子供がいれば変わったかもしれない。となれば、こういう考えをしている奴はこうなるんだ、とまだ行ってもいないのに切断する思想的基準に、説得性はあるのか?

 

今の社会的制度・条件下において、女性たちがとち狂い、ファシズム体制を補完したとして、そんな考えしてるからそうなるんだ、と批難できるのか? 受験勉強に子供の尻叩くママゴンの狂気より、受験制度自体がおかしいのではないか? 子供におせっかい(自分の腹を割って出てきた幻視的な一体感なのか?)する母性自体が、人間的であり必要悪な性質だと言うのだろうか? 

かつて、「保育園落ちた日本死ね」という無名お母さんの投稿が話題になったことがある。今は、ほとんど保育園には入れるようにはなっているようである。がそうなれば、赤ちゃんは37度の熱をだせば両親が引き取りにいかねばならない、となっているから、どちらがいくのだ、となる。朝から夫婦喧嘩だ。私の職場まわりの若夫婦は、そうである。どちらも行けなければ、多くは母方の両親に頼む、である。子育ては、夫婦二人でできるものではない。私たち夫婦は、長屋住まいみたいなところにいたから、大家さんや隣老夫婦に子供をあずけて、妻は息抜きによくひとりでかけていた。つまり、群れの中で、社会で育てる。そうした人付き会いが無い、無くなっていくことを前提に、AIで子育てができるのだろうか? 現今まできたテクノロジーは、この母性をめぐる個と群れとの問題を、解決していけるのだろうか?

 

次は、二冊目の、宇野常寛著『母性のディストピア』をめぐって。

2025年5月30日金曜日

毛円だんす『dances 芭蕉』を観る

 

左「花車(風車)」右「まつり(雷小僧)」奥山振付衣装in1982(1983,1984)

両国のシアターXで行われている「ルナ・パーティーvol.16」にあたる、5/18の公演である。

 

このブログで感想を綴った江原朋子先生の『Primitive』がそのvol.14にあたるのだろうか。

 

妻いく子が師事したその江原先生の誘いで、5/1日にティアラこうとうで行われた「シェイクスピアを踊ってみた」というテーマでの公演会でも、毛円だんすの作品を見ていた。江原先生から、いく子が二十代の頃のダンスの先生だった、奥山由紀枝さんの演舞もあるからと招待していただいたのだった。そこでは、江原先生のタイトルは「ハムレットの事情 オフィーリアの事情」、ジェフ・モーエンさんと奥山先生のタイトルは、「After Romeo and Juliet」であった。

 

江原先生のその公演での意図は、配布されたパンフレットでの言葉からも明白だった。恋人が死んでもまだ復讐劇を続けるハムレット……これは、ウクライナでの戦争からはじまった現今の男性価値中心の社会批判が込められているのだろう。

 

対し、毛円だんすの舞台は、タイトルからも示唆されるように、死後(After)の話になるのだろう。この世界では二人の愛はかなわなかった、が二人の愛は無限であり、メビウスの輪のように永遠に閉じることがないのだ、と訴えていた。そのメッセージ性が、男女二人の衣装の袖がひとつに繋がったイメージ形象とダンスの動きで、美しく主張されている。パリ・オペラ座に飾られているシャガールの「ロミオとジュリエット」の絵を見て着想されてきたとのことだった。そのシャガールの絵は、上空は緑空であるが、下方地上からは、紅の血のようなものが靄っている。一見幻想的な世界の底に、現実の血なまぐささを感じ取ったからこそ、∞という愛の形象(衣装)を表現してみたのではないか。

 

そう前回の公演で読み取っていて、今回の毛円だんす単独公演の舞台でも、まず印象に飛び込んできたのが衣装のイメージ強度だったので、公演後の観衆と一緒になった話し合いの席で、奥山先生に、次のように質問してみた。

 

「衣装には、何かメッセージ性が意図されているのですか?」 パンフレットの紹介文には、奥山先生が衣装担当をしているとあった。先生は、それはなく、まずイメージで作るのだと。下の緑は茎で、葉があって、菊の花が咲いているのだと。で、三着目を間違ってしまったのだと。ダンスのタイトルは「dances 芭蕉」である。モーエンさんがまず菊を描いた日本画を見て着想したらしい。そして芭蕉の菊のモチーフの俳句三首がパンフレットで紹介され、作品はその三首に沿って構成されたということだった。私は金色の男性の衣装と、女性の白色の衣装から、金白色の娘さんが生まれたのかと思いました、と付け加えた。今回の衣装も、最後はいつの間にか、ひとつになって、まるで手品みたいでした。(よくみると、裾をボタンでぱっと隣のダンサーの衣装にかけられるようにしてあった。)

 

私は次に、影について質問した。

二首目のダンス時だったろうか、ふと、背後の壁に、ダンサーの影が大きく映って、影絵のような存在感をもって見えてきたからである。照明を落とし、板の間が斜めに上下二段の落差をもった空間、天井から幾本かつりさがった畳縁のようなもの、どこか雰囲気が能の舞台と重ね合わされる。影については、照明係の人のアドバイスで取り入れたとのことで、あまり考えていなかったという。だけど、影がぴたっと月をつかまえていましたよ、と私は言う。ダンサーが両手をあげて輪を作ったとき、背後の壁にのぼった丸いほのかな月が、影絵の掌のなかにぴったりとおさまったのだ。それが両の掌ですくった水をこぼさないような仕草にかわるとき、手の中に落ちた月影をそっと運んでいるような物語性がやってきた。最後の三首目の三人が一体となったようなダンスでは、両横の壁で、ダンサーの影が踊り出した。芭蕉忍者説というのがあるのですが、まるで分身の術を使ったようでしたよ。お二人はカニングハムのメソッドを教えられているということなので、カニングハムに偶然という考えがあるとおもうのですが、これがそういうことでもあるのかな、と。ダンサーは背後は見えないですから、どうやって影を操ったのかなっておもったんです。

 

奥山先生もモーエンさんも、ニューヨークでカニングハムの教授をうけ、そのメソッドの教師である。私のこのブログでの、自己紹介文にも、カニングハムの言葉が引用されている。振り付けするとはダンサーがぶつからないようにすることである、という。私はそれを日本の植木職人の剪定技術、そして日本の私小説の技術に重ねていたのだ。

 

しかしモーエンさんと奥山先生の舞台は、筋を捨象した抽象性というより、意味的なイメージにあふれ、物語性があるように思える。よくは知らないのだが、日本経済バブル期、欧米での話題のダンスグループが日本にいろいろやってきて、たしかカニングハムは、テレビCMにも採用されて、肉体運動のような奇妙な動き(ダンス)を披露していたような気がする。

 

話し合いの席には、江原先生もいて、最後にマイクを向けられた。奥山先生と同じ舞台にいたことがあるというのだ。私には初耳だったが、それに奥山先生が、いやわたしなんか江原さんの後ろ姿をみていただけで、みたいな返答をする。パンフレットを読みかえして、奥山先生も、厚木凡人に師事、とある。江原先生もそうだから、もしかして、厚木凡人の舞台でのことだったのだろうか。厚木凡人といえば、日本でのダンスのモダン性を最初に突き詰め切り開いた人、というぼんやりとした知識しかない。いく子の遺品の、トリシャ・ブラウンのDVDでトリシャについて対談している。

 

江原先生は、自分が「モダン」ダンスをやっているのだということにこだわりがあるようだった。ルナパーティーでの『Primitive』でも、ベジャールの「ボレロ」の有名な振り付けを盆通り風にデフォルメしてみせたところに、何か一般的に理解されている欧米中心のダンス史への批評意識があるような気がした。どのように「モダン」という概念を考えているのだろうか? それは厚木凡人経由なのだろうか? バブル期とその余韻がまだある時期、フォーサイスを頂点にか、ダンスのダンス性とは何かを根源的に問うようなモダン省察が現代思想の言説で流行った。それはどこかデジタル的な分節化の作業であり、身体という物質性にゆきつくような思考だったと思う。が女性のダンサーたちは、そんな男性風潮というかダンス史の中でも、意味や物語性を消さなかった。そのつきつめた先の物質(身体)は、本当に物質(体)なのかと問い返しているように。いく子が好きだったピナもそうだし、文学作品を下敷きにしていた江原先生の作品もそうであろう。むしろ、求め探っているように思える。

 

暗がりがほのかに浮かび上がると、一段低い舞台で、金色の男、白い女が舞い始める。中央の一段高い橋掛かりをも兼ねたような舞台では、女性らしき人物が横たわっている。ゆっくりと起き上がると、金と白の交じった衣服の娘も、静かに動きをとりはじめる。亡くなった両親が夢に現れて、わたしを誘っているようだ。三人は静かに交差しながら、舞い絡む。いつの間にか、三人の他にも、人影があらわれた。祖霊たちなのだろうか、子孫の背後で、一体となった踊りに華やかな雰囲気をそえる。それは蝶のように舞い上がり、菊のように咲く。水の音は、永遠を木霊する。

 

1991年、33歳のとき、ニューヨークへと奥山先生に会いにいったいく子のダンスにも、そうした試行錯誤な文脈が系譜されている。

2025年5月24日土曜日

映画『V.MARIA』(宮崎大祐監督)を観る

 


「連帯婚を基礎とする古代社会では特定の人間を対象として妻問うことは社会通念に反するから、罪の意識をまぬかれない。したがってこの矛盾を克服するためにはさまざまな贖罪の意識が必要となった。」(村上信彦著『高群逸枝と柳田国男 婚制の問題を中心に』 大和書房)

 

宮崎大祐監督の作品は、『大和(カルフォルニア)』の感想をこのブログ上で書いて、監督本人からの評価反応があったので、以来、ずっと見続けて感想を綴ってきている。が今回は、音楽が全面に出るらしいというので、その分野の趣味と知識のない私には、反応できないのだろうと思っていた。が主人公の高校生マリアが、亡くなった母の開けてはいけないという段ボール箱を開け、開けて見たからにはこれを背負え、というような書置きに促され、その翌日だったか、母の遺品にあったものと同じ小さなキーホルダー式の人形を鞄につけていた同級生ハナと一緒に、母が好きだったヴィジュアル系のバンド演奏を聴きに行く途上、路地道の倉庫に落書きされた絵のような文字が写っているのを目にして、私は愕然としてしまった。一年半ほどまえに亡くなった妻のことが強迫観念のように襲ってきたからである。

 私の妻も、生前に触るなと言っていた段ボール箱の山を残していた。私はその禁断の箱を開けた。三十歳の妻の、がりがりにやせたニューヨークでの写真があった。背景は、ニューヨークの壁を埋め尽くす絵文字のような落書きだった。四十半ばの妻と三十半ばで知り合い結婚した私は、妻の若いころのことは何も知らない。「傷心旅行」と、友に宛てた手紙にはあった。小学生卒業時の寄せ書きから、日記や手紙・手帳のたぐいが全て残っていた。アート系のダンサーになった妻だから、自らのダンス映像もあり、背景でも使う音楽のカセットテープ群もあった。妻の表現は、自身が被ってきた苦境の発散に近く、その源をたどっていくと、水俣という出自が大きいにことに気づく。父が、水俣病を引き起こした会社の幹部になっていった子息であった。そこを探ると、水俣病事件史を書いた石牟礼道子にゆき、さらに探ると、石牟礼が師事した同郷の高群逸枝にゆきついた。日本で初めて女性学を起こした詩人・在野の研究者である。彼女はたんたんと、暗黙に父権を擁護する学問を打ち立てた柳田国男の民俗学を覆していった。その業績は、おそらく今でも正当に評価されていない。妻が背負って生きてきた課題を自分のものとして背負い続けるとは、高群が開示させた母系の現実性をまず喚起させることとなっていったのである。

 

 

V.MARIA』。――この映画タイトルは、原曲の『Virgin Mary』 の変更であろうと思われる。しかしこの変更にこそ、宮崎監督がこれまで一貫してテーマ的に追及してきている自身の問いが露呈している。池袋シネマロサでの舞台挨拶では、映画最後にこの曲を歌う段になって、迷った末になんらかの変更を作曲家に申し出たというエピソードが披露されていたが、この件にまつわることなのではなかろうか。英語圏では、マリア様のことを「Mary」と表記し、発音する。これがMariaになるのは、移民した南米系の者たちが子息にそう土着のまま名づけたりすることがあるからである。そもそも、マリア信仰自体が、父権的なキリスト教を受容するための土着的な工夫、露呈だ。宮崎監督がMaryMriaに変えたのは、自身の土着的な感性にこだわり探っているからであろう。そしてこの探求が、「V.」への変更にも現れる。このVは、Virginではなく、音楽ジャンルで使用されるVisualであろう。しかしこのvisionは、ジャンルとしてというより、より語源的に、洞察、幻視、霊的体験、つまりは見えないものを透視する力としてである。Visual Mariaとは、埋もれて見えなくなってしまった土着的な霊性をみようとし、そこに、母系的な力のようなものがあるのではないか、という問いの顕在化なのだ。

 

    Noteでのインタビューで、監督は「欧米文化とヤンキー文化の影響を受けて咲いた、奇妙で土着的で唯一無二の音楽と遭遇する若者の映画をつくりたいと思っていた」と述べている。さらに「V系文化やヤンキー文化も仲間にある程度寛容で、何よりも関係主義的で母性的なところがある」とも。(『V. MARIA』宮崎大祐監督ロングインタビュー(前編)|daichiyoshino

 

マリアが母・聖子の遺影の下にいる冒頭、母の母、マリアからすれば祖母が現れる。背中を伸ばす器具はないか、とマリアにきく。ということは、祖母の実家というより、母の家なのだろう。が、マリアはのちに、友人には「おばあちゃんち」と紹介している。「おじいちゃんち」でもなく。マリアが夜おそく帰宅したとき、おそらくは祖母の靴が玄関にあるシーンがアップされる。だから、祖母は別のところに住んでいて、孫娘のために夜食を作っていたのだろう。家には、先祖の写真、祖父の写真などは飾られていない。父と母は離婚したのかもしれないから、父との家族写真などがないのは普通かもしれない。が、この女だけしかおらず、しかも、祖母は娘に家をゆずって他の家にいるらしい、という設定は、奇妙ではないだろうか?

 

この映画の舞台は、大和市周辺であろうとおもわれる。源頼朝が鷹狩をしていたといわれもあるかつての山地。その鎌倉時代とは、高群の史実によれば、擬制婿取婚という、以後確立されていく父権原則に母系原理が最後の抵抗を示した婚姻形態を残す。

 

<つまり、「家は女のもの」という太古以来の頑固な意識、したがって婚姻は男が女のところにくる形式以外にはないという母系制以来の伝統が、このどたん場におよんでもなお生きて原理となって作用しているわけで、これを要約すれば、すなわち擬制婿取婚は、女が男側へ迎えられることとなったこの現象――日本民族が太古以来かつて経験したことのなかったこの現象――にたいして、招婿婚原理すなわち女系原理が、最後の抵抗と権威を示した婚姻形態であったといえる。>(『高群逸枝全集/第6巻』「日本婚姻史」 理論社)

 

宮崎監督が、まず透視しようと設定したのは、そのようなヴィジョンである。ここでのヴィジョンには、過去だけではなく、将来(ヴィジョン)を持つという言い方にあるような理想像も含む。現在に埋もれた過去の系譜の洞察に、願う未来社会を予見する。その時、ヴィジョンは土着性を超えて普遍性を身に纏おうとする。

 

母・聖子は、「東南アジア」にパラグライダーをやりにいき、その帰路か、旅客機の事故により死亡したとされる。わざと観光地を曖昧にした表現には、何か意図があると思われるが、最初はマリア信仰の強いカトリック地帯のフィリピンかとも思ったが、もしかして、『TOURISM』とかけたシンガポールなのかもしれない。ただ私は、聖子やハナが所持していた人形から、ブードゥー人形を連想する。この販売の拠点はタイであり、パラグライダー観光の人気国のひとつだ。しかし重要なのは、ブードゥー教である。これは中米ハイチで、黒人奴隷がキリスト教を受容するに土着的に変形させたシャーマン的な密教のようであるらしい。呪いの宗教のような地下の雰囲気がある。もしかして、アメリカの南部地域のプロテスタント教会でも、黒人の系譜が強く、カトリックのようなヴィジュアル的な雰囲気があり、映画パンフレットから推論すれば、監督が学生の頃に触れた早稲田大学近辺であろうプロテスタント系の教会で触れた音楽体験にも、この普遍宗教の向うに土着性の触知を幻視したのかもしれない。

 

マリアがハナに連れられていったビジュアル系バンドの観衆のダンスも、地下にもぐり、シャーマンのような身振りにあふれている。こういう風に首を振るのだと、マリアはハナから教えられる。が、この身振りは、のちに、二人が喧嘩別れし、また仲直りした儀式のように、お互いが、ごめんなさいと首を何度も縦に振る仕草と照応させられる。ということは、このシャーマン的な身振りが、殴り合いの喧嘩に始末する男性原理的な対応とは正反対な、平和を構築していく女性原理的な儀式とし象徴的に理解され、提示されているということだ。ここには、監督の時代認識、戦争へといたっている現今の情勢への批判が結びついているのだろう。母の日記から読み上げられた日付は、8/15日の敗戦、9/7日の沖縄での降伏調印式(沖縄では「市民平和の日」)、そして7/8日が何かのおりに言及された。この日は、オウム真理教の地下鉄サリン事件があった日である。そしてこの事件が起きた今(2025年)より三十年前に、母・聖子とヴィジュアル系バンド「GUILTY」のギター&ボーカリストのカナタ(おそらく彼方であろう)が出会ったのである。そしてこのバンドを愛するファンの女性群から、聖子は集団リンチを受けてカナタとは別れることになったのだ。

 

聖子は、赤い戦闘服のような衣装の背中に、「GUILTY 革命前夜」と刺繍していた。マリアも、この母の遺品を着て、三十年後に出会ったカナタのライブを訪れる。

 

何が、「革命前夜」なのだろうか? おそらくここにも、原曲(LUNA SEA「革命」)や原作(ベルトリッチの映画タイトルから来ているという)を超えて喚起されてくる監督の問題意識が重ねられている。ギルティー、罪、これはアダムとエヴァの物語、神の言葉に背きリンゴを女が食べてしまって善悪の分かれた世界に墜ちてしまったというキリスト教的な原罪を想起させようとしているのではないのだ。もっと、ヴィジュアルでなければならない。一人の男を独占しようとして聖子は群れから暴行を受け排除された。ここにあるのは、仲間を裏切っても愛に生きるという新しい罪意識の芽生えなのだ。高群が、より太古の群婚制から招婿婚への移行に見たのも、この愛と罪の歴史である。(冒頭引用参照)

 

<招婿婚の発現によって、群婚制は一部を遺存して亡びたが、群婚本能は亡びなかった。いったい群婚制というのは、その頃や、また前節の終りの若衆組條でもみたように、性の連帯感にたつ婚制であるが、招婿婚では、個別式すなわち対偶式となり、連帯観念を断絶する。しかし、個別式となったからとて、多夫多妻―男が同時に多くの女に通い、女が同時に多くの男を迎えることはさまたげない。この点外見はほとんどプナルア時代とかわらないものがあるが、プナルア時代では否応なしの連帯観念であり、自由意志のそれではない。それが、ここでは自由意志で、自分の好きな多くの相手に通い、また多くの相手を迎えるのである。自由選択権が原則として個人にあたえられたのである。こうして群婚本能は、連帯性の部分をたちきり、自由化して再生した。>(『高群逸枝全集/第2巻』「招婿婚の研究一」 理論社 註;旧漢字適当に変更)

 

    この映画を見る一週間ほど前か、近所の千葉劇場で4Kリバイバルになったエドワード・ヤンの『カップルズ』をみた。そこでも、男(女)友達の恋人は自分たちの恋人、独占するなという群れ意識規範から離れて、一対のカップルを選択する国際的な恋愛の様、土着性と普遍性がテーマとなって描写されている。また私が三十年つとめた植木屋親方は、任侠ものの暴走族シリーズDVDSPECTER』に出てきて中学同級生を伝説的な総長に担ぎ上げた再興メンバーの一人だが、若い私に酒の席でこう言った、「おまえは友達がやったあとの女とやれないだろう、俺たちはできる」と。――この群れとしての性は、歴史的ではあるが、高群は「本能」とも言っている。この反復は、精神分析化できるものではない。冒頭引用の村上も、ダーウィンは昆虫に伺える「本能」の出自(歴史)は理論化できなかったと要約している。私自身は、量子力学にあるフェルミ粒子とボース粒子のような区別原理が、人の生体にも作用しているのではないかと探っている。

 

聖子は、罪の意識を持つがゆえに、群れる者たちを切断しているわけではないのだ。あくまで、その仲間の連帯性を尊重しているのである。そこに、近代個人主義的な恋愛観とは違う太古性が反復され、それが母系にある本能(群れ)を超えた思想なのだ。この思想は、聖子にリンチを加えた側にも実は共有されていたことが示される。聖子を暴行した女性の一人は、バンギャル仲間が結婚などで離れていく中でも残り、「ライブハウスのキョーコ」として恐れられ崇められていた。その彼女は、自分が聖子にしてしまったことを悔い、贖罪意識をもっていた。だから、聖子の娘のマリアの想いを知ったとき、世代(時間)を超えた連帯性の側に立つのである。

マリアもキョーコも、その母聖子に伺えた思想を継承し、背負うとしているのだ。それは文明(父権)の所産として文字体系化されてゆく思考ではなく、それを流動化させ解体していかせるような落書き絵文字として提示されることを要請する。あるいは、言葉でなく、何度も首振りを繰り返すシャーマン的な身振り、ダンスとして表現される。群れのなかで、彼女たちは屹立し一人の立場にたつが、たとえ制裁を受け世間の風潮に排除されてもそこに甘んじることなく、毅然として仲間とともにあろうとする連帯の側にたたずむのだ。それは、高群が生涯を通して表明してきた自身の癖であり、思想である。

 

    キョーコを演じるサヘル・ローズさんの映画『花束』はまだ見ることができないでいるが、私が悲嘆に暮れていた半年ほど前になるか、千葉市中央区のの商工会議所に、子供支援組織の後援で呼ばれ自身の体験談を語ってくれた。その感想もこのブログで綴っている(ダンス&パンセ: サヘル・ローズさんの話から)。がこの映画では、キョーコとして着るTシャツの絵柄が気になった。私には、火に見えた。そこから、サヘルさんの出自イランの土着宗教である拝火教を連想した。高群の最期の作品自伝タイトルは『火の国の女の日記』である。これは、熊本男児の男性原理的な世界で自立していく女の苦闘の日記である。が、それは男性嫌悪にゆきつくようなフェミニズムにはならず、あくまで男との連帯を模索し、一対の「カップル」を成就し全うしていった愛の記録なのだ。

 

「革命前夜」とは、三十年前に、この思想を、ヴィジョンを垣間見たではないか、という監督の内省なのだろう。バブル経済がはじけ、自然災害やテロ事件が連続する時代相の最中に、そんな吉兆もまた見たのではなかったか、と。が、世界はまたそのヴィジョンを地下に追いやり、友と敵を分け勝敗を競う父権男性原理的な戦争に突入した。しかし前夜で終わってしまっても、まだその命脈は消えているわけではない。それは、本能と共存してそこにある。目に隠されていても、いつでもそこにあるのであり、私たちを刺激しつづけている霊的な力なのだ。死んだはずの聖子も、娘や友や仲間たちと一緒に、ヴィジュアルな音楽に満たされたその場所で実在をあかすのだ。

 

この映画は、そんな地下水脈の刺激に呼応しようとする試みであり、宮崎大祐監督のこれまでの映画の集約的な問いの昇華でもあるのだろう。

 

リンク;

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2025年4月11日金曜日

冥王まさ子著『南十字星の息子』(河出書房新社)を読む


だいぶ以前、若いころに、冥王まさ子の作品をいくつか読んではいた。その時の感想は、インテリ女性であるはずの知性と、少女感性的な作品との間隔の大きさだった。作品タイトルやペンネームからして、どうなっているのか、彼女の中身がわからない。

今回、この遺作となった作品を読んでみたいと思ったのは、彼女がシュタイナーなどのスピリチュアリズムな考えに傾倒していったようなので、それはどうしてなのか、という疑問からだった。離婚した元夫の柄谷行人の、『力と交換様式』において、スピリチュアリズムとは商品交換が趨勢な時代おいて派生してくる宗教なのだ、とするような記述に触れたとき、その物言いは、岡崎乾二郎著の『抽象と力』、そしてかつての妻への批判的論破の意図が背景にあるのでは、と感じた。自身の妻を失ってよりスピリチュアルな原理を思考していくことになっている私は、ならば、その妻だった作家の最期の作品を読んでみようと思ったのである。

 

それは、驚くべき作品だった。

知性と、少女的な感性の感覚が、内省的に摘むぎとられた認識の言葉によって橋渡しされ埋められているからだけではない。この作品自体が、彼女の最期を予定していたかのようなスピリチュアルな啓示のように提出されていたことになってしまうことを、読者に突きつけているからである。

 

話は、高校生と小学生の二人の息子を持つインテリ夫婦のもとへ、ホームステイのためにやってきたオーストラリアの高校生が、夫婦仲を離婚へと決定させる関係の現実を露呈させてまた帰国していくという、年末年始をはさむひと月ほどの経過を綴っていったものである。

 

夫婦の関係には、ジェンダー問題が、と言っても日本的な現状に集約される切り口によって背景化されている。そしてその背景の問題を見えやすくするためか、夫婦の設定は抽出変形化され、私事的な批難を超えて文学的に昇華されている。夫は、父を戦争で失っていてお母さん子で、京都で育っている。妻の方は、母親を思春期に亡くしており、継母との関係がうまくいかなかった回想をもつ。戦争の後遺症が、日本の男女関係を大きく規定しており、責任主体としての「父の不在」なマザコン家族という「悪循環」を再生産させていく社会意識構造をうむ。敗戦が去勢された男たちの仕事への動機、「傷ついた男のナルシズム」となり、家族や男女関係にエネルギーを注げない男たちに女の方も批判できないでいることが自己確認される。だからむしろ、女たちはそんな男たちを庇護する「母親」のようになってしまうのだと。「動かざること巌のごとし」の厳格な夫、子どもの教育に殴ることも辞さない巌に献身的になってしまうのも、愛ではなく「恐怖だけだったのではないか」と未央子は気づくようになる。

 

が、息子たち、子どもたちの存在が、そうした社会意識、世間知を異化するように設定されている。この作品には、二つの三人兄弟がある。「この家族は息子が三人だ」と巌の友人が指摘した、父も子供のような、通俗的な世界のもの、それともう一つが、オーストラリアから来たエマニュエルを含めた三人兄弟なのである。巌は、姉二人の、長男末っ子だ。エマニュエルも、オーストラリアでは年齢の離れた三兄弟の次の四人目末っ子な十六歳である。その末っ子が、ある意味、「インディビジュアル」であることを志向させる異文化からの長男として、この家族にやってくるのである。そしてやはり、「この家族には父親がいない」と認識する。だから、長男の邑人が「父親の役までつとめ」るようになるのだと。

 

この子どもたち三人は、そんな社会意識を見抜いていながら、そこに葛藤しながら、実はまったく違う原理で認識し、動いていることが作品の最期で示される。次男(三男)の都夢は、帰国していったエマニュエルを、「ただの人じゃない」、「ぼくたちの家族にぴったり」、「いればいいっていうんじゃないんだよ、一度来ればずっといることになるんだよ」、と言う。長男(次男)の邑人は、「お母さんはまだニュートン力学で考えてる」、「ああなったからこうなる、って時間の順序で考えてるでしょう。それじゃ何もわかったことにならない」、「表面はばらばらに見えるものが本当はどこかでみんなつながっていて、何か一つが動くときは他のことも同時に動きだすようにエネルギーが働いているものなの」、と説明する。その説明を、未央子は了解し、「すべての中心にエマニュエルがいる」、「自分の夢がエマニュエルを引き寄せたのだ」と思わずにはいられない。

 

未央子がいう「夢」とは、作品冒頭の、この世に生まれてくるときに出会い別れた少年とのことである。作中、この夢は、他の女性たちとの会話のなかで、「前世」のエピソードとして変奏される。また自分のセクシュアリティーも、この世ならぬ次元において推論される。――<あたしはあたしよ、男でも女でもないんだよ、と宣言して、友達から軽蔑されたっけ。でも好きになる相手は一貫して男の子だったから、心理学的にもまぎれもなく女なのだ。それともあれは、男の子が好き、というよりは、男になりたい、という願望の表れだったのだろうか。好きになった男の子の動作や口調をまねてばかりいた。魂には男も女もない、と未央子は今も思っている。そこに性差が加わるからややこしくなるのだ。性差にもとづいて何年も母親の役をつとめるうちに、未央子は意識の大半が母親になってしまった。我慢する母親、恐縮する母親、支配する母親、できの悪い母親、苛立つ母親、髪をうらめしく伸ばした母親お化けだ。>

 

夫の巌も、この魂の次元から捉えられている。家事手伝いに来てくれる、婚約者とは前世の縁だったという富子は、夫婦の関係をそう見抜いているらしいのだが、「こういうことはいっちゃいけないんだ」、エマニュエルと未央子との関係も「たとえば、あ、これはいっちゃいけないんだ」と切り上げる。この伏線のようなやりとりは謎のままにしか見えないのだが、前世で会ったものが何度も出会うのには「きっとそうする必要がある」という前提会話があることから推論するに、夫の巌自身が、未央子がエマニュエルに出会うためのきっかけのような存在だと暗示されているのだろう。

 

では、この長男(末っ子)のエマニュエルとは何者なのだろうか? 聖書では、「汝神とともにあり、という意味」だとされる。がタイトルには、「南十字星の息子」とあるから、この含意の方が言いたいことなのだろう。「息子」は、南十字星を天空に伺うオーストラリアから来る。通俗世界、散文的にはそこは「流刑の大陸」ではあるが、「世界の意識の下部」としても未央子には理解されている。この息子の登場は、意識下の、夢の、魂の関係を浮上させた。が、その発見は、夫婦の離縁、家族の破壊を代償させた。未央子は、飼い猫のにゃん太が怪我をしたとき、それを予感する。――<この子は疫病神ではないかしら、悪魔は美形で現れる、という。ころっと魅せられて、賛美しながら人は破滅に向かうのだ。この子はつぎつぎ凶事を起こして、あたしたち一家族を奈落に突き落とすのではないか。まさか、と未央子はもう一度否定する。猫の怪我ぐらいで疑うなんて、あたしはどうかしてる。だが、もっと悪いことが起きそうだという不安は未央子の頭からすぐには離れない。>

 

邑人は、エマニュエルを見送り、母に「ニュートン力学」とは別の原理を説いたあとで、「にゃん太の怪我は関係ない」との以前の発言は嘘で、「本当はあるんだってば」と、どこか肯定的にくつがえす。ということはつまり、エマニュエルは、この世では破壊者だが、だとしても、この世の物理とは違う原理を、魂の次元を発見させる天使、意識下の世界から派遣され、前世で自分とすでに縁もあったかもしれない使者なのだ。

 

が、問題は、それが本当は、なんなのか、ということだ。

 

冥王まさ子は、1995年のこの作品の刊行を見るまえに、動脈瘤破裂で亡くなったそうである。作中、エマニュエルは帰国するさい、みなにプレゼントを渡したそうだが、未央子に何を渡したのかは、未央子に黙らせたままだ。おそらく、この『南十字星の息子』という作品自体が、プレゼントなのである。この世とは違う次元から来たとされた使者は、「疫病神」のように「もっと悪いこと」、作者冥王自身を破壊した。しかしあたかもそれを代償とするかのように、『南十字星の息子』という彼女の意識の下からきた「息子(作品)」をこの世に贈らせたのである。自らの死を知らなかった彼女に、遺言はありえない。突然の死は、この世への、産声をもたらしたのだ。

 

私たちは、この産声、彼女の「夢」を、「意味という病」として退ければいいのだろうか?

 

「断片的なできごとのつみ重ねである日常とはべつに、ひとすじの意味でつながっている世界があって、それは夢と接する地平線から、天空をめぐる星座のようにゆっくりと展けてくるのだと未央子は信じたい。そして自分が壮大な救済物語のただ中にいるのだと。」

 「人と人を、男と女をつなぐものは本当はいったい何なのか。」

 「要約すると、他者の魂に届きたい、という必死の願いが挫折していく過程よ」と未央子は講釈するようにいった。「たぶんそれが愛するということなのだろうけど、相手を間違えることもあるのよ。何が間違えさせるのかを考えているの」

 「愛って何だろう、とぼんやり考えだす。くっついていたいこと、と小さな邑人がいった。ただそれだけかしら。くっついている努力をすること。もう少し真実に近い。でも、なぜくっついていなければならないのか。一人では生きて行けないから? 一人で生きて行けるほど強ければ愛はいらないのか。もし一人で生きて行けなくて、誰かとくっついている努力をしたとして、それが苦痛だけになったとしたら、それでもそれは愛なのかしら。」

 「わたしは周囲の人たちから悪い母親だといわれてきたのよ、子供たちがああだから」「そんなことをいう奴らは殺しちゃえばいい」未央子はぎょっとしてエマニュエルに向き直った。エマニュエルの眼が笑っている。

 

冥王まさ子は、たしかにこの作品で、この現実世界を殺したのだ。そしてその代償として、彼女は死に、この作品がこの世に生まれてき、私たちに届けられた。私の知る限り、この作品をまともに論じた文はない。妻が死に、私は、この作品を手に取った。そして私は、彼女からの贈り物を受け取った。

 

これは、「意味という病」だろうか? そう割り切る時、量子論が単なる情報論として簡単な話になるように、私たちは、割り切れる世界、割り切ってもいい世界に生きているのだろうか? 必要なのは、意味を排し、目の前の敵を切って捨てる(柄谷マクベス論)ことなのか?

 

※もう少し、この世の俗的な話をしよう。私は、早稲田大学文学部文芸科の授業で、夫婦の離縁につながる出来事のことをきかされている。当時柄谷行人は、文芸誌に、「探求Ⅱ」を連載していた。その他者というのはね、女はわからないということなんだよ、当時文芸批評家として駆け出しの講師・渡部直己はそう講義した。その出来事のことは、この遺作では触れられていないが、未央子の、「バーのママとできようと、家にもち込まないかぎり知らぬが仏」との言及で示唆されてはいる。またNAMの芸術系での会議で、岡崎乾二郎は、柄谷さんは面白いんだよ、子供の喧嘩に親がでる、とかいって、相手の子供もぶんなぐるんだよ、と言っていた。このエピソードも作中にあるが、それが母(妻)から見れば、こういう結末だったことは聞かされていない。――<だから巌は都夢が級友にいじめられたと信じたとき、級友を捕まえて殴った。それが学校で問題になると、巌は、おれは正しい、と主張して、あと始末を未央子に押しつけた。だが、都夢に友達がいないと知ったとき、巌は触覚をもがれた昆虫のように判断力を失った。>

どこか、『巨人の星』の星一徹を想起させる。佐藤優によれば、外務省やエリート企業のサラリーマンの間では、すぐこのアニメの話で盛り上がるのだそうである。が、原作漫画の結末は、大リーグボールを投げすぎて引退した飛雄馬が、ライバルと憧れの女性との結婚式を木の陰からこっそりと盗み見ているシーンで終わるんだ、つまりこれは人格破綻者の物語なのだと。柄谷は、私の妻が遺したVHSビデオ、おそらく大阪でのフェミニズム関連の講義で慰安婦問題に関連した責任のあり方をめぐる話のなかで、自分の子育ては「失敗」だったと発言している。一徹ではなく、飛雄馬世代の私としては、子育てにそんな単語がでてくることにびっくりした。親からみれば、私たちは「失敗作」(作中でもでてくる)なのだろう。が、同世代のもと巨人軍の桑田選手は、プロ引退後、早稲田の人間科学部の大学院に入学し、なんで日本のスポーツでは「根性」(作中でもでてくる)とかの精神主義になるのかと歴史的に批判検討した論文を書いて首席卒業している。日本のプロ野球界は、まず野茂が球界から破門されても大リーグ選手のパイオニアになり、イチローは日本シリーズでヤクルト野村監督のような管理野球に負けたことが一番悔しいのだと大リーグにいき、ダルビッシュは張本の強弁と言いあいながら投げ続け、その延長で、ニコニコと楽しそうに野球をする大谷がいる、そう傍系が実質的な中心になって保守改革を続けてきたのだ。

しかし私の世代より若くなれば、なおさら「父の不在」は顕著になり、ゆえにというべきだろう、妻(母)が歪曲(倒錯)的に強くなる。未央子は、「巌が子供たちを強制し、殴ろうとしたら今度こそためらわずに阻止しよう」と決意もするが、若い世代では、むしろ「強制」し「手を出す」のは、母の方になってくる。私の家庭はすでにそうで、ただ若い夫婦の間にいても晩婚でひと世代上の私は、暴力的に母子関係に割って入って、逆に周りから浮いていただろう。おまえが子供に手をだすのなら俺がおまえをぶんなぐる、と。……だとしても、やはり、しょうもない男たちのジェンダーバイアスの社会を、私たちがなお生きさせられていることに変わりはないだろう。一徹も飛雄馬も、程度の違いであって、同じ思想の中にいるのである。が柄谷は、そのマチスモ(人格破綻)な思想を、唯物論的に肯定しているのだ。そのことを、私は『力と交換様式』の感想、そしてエマニュエル・トッドとの思想比較によっても、このブログで指摘している。

 

さて、今日は、これから、近所の千葉劇場に、モンテッソーリを描いた映画を見にゆく。またそのうち、国立近代美術館に、ヒルマ・アフ・クリント展も見にゆくだろう。これらスピリチュアリズムに通じる女性たちの活躍については、岡崎乾二郎の『抽象の力』から教示されているわけだが、果たして、柄谷交換様式論の力は、この力を論破できていることになるだろうか?

 

2025年4月1日火曜日

大畑凛著『闘争としてのインターセクショナリティ 森崎和江と戦後思想史』(青土社)を読む

 


いく子は自身のダンスに三度、「事件、あるいは出来事」というタイトルをつけている。この言葉は、デリダか誰かの現代思想的なものに触れて、そこから借用してきたアイデアなのかな、と当初推察したりしてもいたが、意味しようとしていることが違うようにみえて、ではその意味したいものは何なのか、ずっと疑問のままだった。

 がこのたび、大畑凛の『闘争のインターセクショナリティ 森崎和江と戦後思想史』を読み、もしかして、こういうことなのか、と違う方向としての意味に気づかされた。

それは大畑が森崎の思想のひとつとして把握してみせようとした、「方法としての人質」にかかわる。

 

この「「関係としての思想」もしくは人質」という考えは、パートナーであった谷川雁と別れたあとの森崎が、「「単独者意識」と「自称近代性」、「植民二世意識」が等号で結ばれ、同時に乗り越えるべきものとして措定」された課題を追及する過程で意識化されてきたものと解かれる。炭鉱から離れ東京へとひとり出立していった谷川とは逆に、森崎は「故郷から引き剝がされ流浪していった流民たちの集合と離散によって編まれていった炭鉱の集団や共同性を、「近代的自我」への根源的批判として受け止め」、「集団の原理」を追及する方を選んだのだと。ここでの「流民」とは、労働組合的に集合化されない、「逃散」していく「未組織労働者」や「女坑夫」たちであり、そこでの「連帯」の模索なのである。そしてその連帯(関係)の在り方として、森崎は、当時起きた金嬉老の、金を取り立てに来た暴力団員を射殺し、「人質」をとって立て籠もった事件から示唆を得たのだ、と。

 

「関係の思想」の内実は、次のように解説される。

 

<「関係の思想」とはある種の相互承認を意味するのではなく、個人的権利すら確立されていなかった時代を知る女坑夫たちの強烈な個としての自尊心と、他人を他人とは割り切れない感覚とが矛盾することなく共存する、彼女たちの特異な倫理性を指すものだった。>

 

森崎にあっては、金嬉老や未組織労働者の「人質になること」が「民衆的連帯」である。しかしここでの「なる」を、活動家としての、インテリの側からの、ブ・ナロード(民衆の中へ)的な共にの意味で理解してはならないのだ。森崎が谷川と別れることには、労働者による女性レイプ事件がきっかけとしてあった。この「なる」は、同じ女性として、「他人を他人とは割り切れない」「身体的感覚」が根底にあるのだ。


 私は著作のここら辺りの記述を読んだとき、いく子の、最近のブログでも引用した、カンピオン監督の映画『エンジェル アット マイ テーブル』の評価の言い方を思い起こした。

 

<女の人が受けとめざるをえない現実、何かをしたいとか突飛したいということじゃなくて、起こってしまうことをかぶってしまわなければならない。抵抗する方法も、また行動するやり方も知らないでいること。身の回りに起きることを、彼女は受けとめていく。…(略)…たぶん彼女たちのために私はパーティを開くのだと思います。>

 

いく子にとっての「事件」、「出来事」とは、ゆえに「人質」的である。しかも、いく子は、森崎がその受苦性を積極的に反転させたように、そのタイトルをもった作品で、「リアルにそこに、「こと」が起きる。」(1999.11公演パンフ)、「ここに、コトが起こる。この時、コトを起こす。」(2000.9公演パンフ)と提示するのだ。

 

なぜ、受難が逆転するのか? そこに、「自由」を見出すからなのだ。

 

大畑は、森崎の見出す「人質の自由」を、次のように解説する。長いが引用する。

 

<このように、自由が森崎にとって呪いのごとき言葉でありながら、前節でみてきたように森崎が人質という方法を「民衆的連帯」の文脈においても提起し、「関係の思想」を「私権」意識に支えられてきた戦後民主主義への批判原理としたことを踏まえるならば、人質の自由とは次のように解釈することができる。すなわちそれは、近代的主体を前提とした個の自由を意味するのではなく、自己が不意にもとらえられるという一見まったく真逆の条件に置かれることで、はじめて近代的原理とは異なる関係の自由が編まれえること伝えるものだ。森崎はここで自由の意味そのものを根底的に組み換えながら、自身の近代的自我や個人主義的な感性の乗り越えと解体を、金嬉老(群)との「妥協をゆるさぬとりひき」に見出していた。

 しかし、この人質の自由は、絶えざる緊張関係に自己と他者を置くことで、新しいなにかがすぐさまうみだされることそれ自体を拒否するような性質のものでもある。この自由をえたところで保証されるものはまったくなく、むしろそれは関係の困難さそのものを受けとめることでもある。なにより、この「とりひき」は決して固定的な立場性には還元されない。問うものと問われるものが存在しながらも、それは一元的なものではなく、交差する民族的次元とジェンダー的次元は項目ごとに分別できるようなものでもない。両者の立場は不変(普遍)的で安定したものにはなりえず、この試みはジグザグの蛇行のような軌道を描きながら、いつでも失敗の余地に晒されている。>

 

この記述は、私がはじめていく子に招待されてみた公演、『青空×干渉するものたち』(2001.10)でのいく子のパンフでの、謎々のような言葉と重ねられる。

 

<関係は困難です。

一人で踊った方が、はるかにラクですし自分のタメになるように思いますし、すべての批評を誤魔かしなく受け止めることができます。たぶんそうだと思います。

でも、一人でやってもしょうがないと思うのです。自分のために踊ったってしょうがない。また、誰かのためでもないんです。私が引き受けなければならないのです。

自問が続きます。ここに、立つほかありません。

アメリカにテロが起り、報復がありました。

関係は困難だって、そんな文学的修辞は意味をなしません。

ここに、立つほかありません。>

 

なんという言葉の符合だろうか。

いく子は、「自由」へ向けての「関係の困難さ」を私に見せようとした。いや「人質」になるという「とりひき」を試みたのかもしれない。友へ宛てた手紙のうちには、柄谷行人がはじめた単独者の連帯としての、「可能なるコミュニズム」という言葉を受けて、そんなこともう自分はやってるじゃん、ともらしていたのがある。それは、他の女性ダンサーたちとの群舞や場の形成のことを言っていたのであろう。が、その意味、方向は、実はまったく真逆なのである。柄谷は、谷川雁の、「連帯を求めて孤立をおそれず」を言い換えて、「孤立を求めて連帯をおそれず」と説いた。が、森崎の思想やいく子が暗黙に捉えてきた志向からは、それらはどちらも同じような意味(方向)になる。柄谷用語でいえば、「切断」の思考が前提にあり、その上で理論的に説かれるポスト近代としての上昇(「高次元」、メタレベルに立つ)志向である。が、彼女たちが前提とするのは、「割り切れない」「身体的感覚」なのだ。

 

それが、女性的に特有なものなのかはわからない。森崎は、「からゆきさん」として流浪した天草や島原の女たちへと向かった。

 

    著作の後書きで、まだ京都にあった、「カライモブックスという古本屋」が言及されている。その古本屋はいまは、水俣の、石牟礼道子の住居あとに移っている。私も、チッソ幹部の娘として「植民二世意識」を生きたいく子の生地であるそこを訪れたさい、水俣を案内してもらっていた相思社の女性職員に紹介してもらい、奥田ご夫婦の共著『さみしさは彼方』(岩波書店)を購入させてもらった。こんどは水俣から、フェリーにのって、天草から島原の方へ訪れてみたく思っている。中学時代のいく子の友人ふたりが、そこの出身である。

2025年3月28日金曜日

小説出版

 


石牟礼道子の代表作『苦海浄土――わが水俣病』は、当初『海と空のあいだに』というタイトルだったそうである。講談社の担当が、自費出版ならいいが商業出版ではそれではだめだ、ということで、机上にあった仏典か何かを開いて「苦海」という言葉が目に入ったので引き出し、同席していた石牟礼の夫もその文献を手に取り「浄土」という言葉を発見して提示し、二人が見つけた言葉を足して「苦海浄土」となったそうである。とにかく出版してお金を稼がなくてはならなかった石牟礼は黙認したが、そこでの不満を渡辺京二への手紙に書いている。

 私の三十年ぶりの小説タイトルは『いちにち』だが、まさに自費出版なのだから、それでいいだろう。副タイトルとして、「二〇二〇~二〇二四」とした。書き始めたら妻が入院手術し、コロナが発生し、戦争が起き、そして死んでしまった……講談社学芸文庫に『妻の死』という、妻を亡くした作家の作品集が編まれているのがあるが、そのどの悲しみの形とも重なり、どれとも違う。

 石牟礼の副タイトルは、「わが水俣病」である。まったく「浄土」になどなっていない水俣の埋め立て地なのに意味不明だな、と本タイトルに思うわけだが、このサブタイトルは、なおさらわからない、これはどこから来ているのだろう、と疑問に思っていた。「水俣病事件史」とかならわかるのだが。最近、もしかしてここからか、という推察にであった。森崎和江の「わがおきなわ」だ。石牟礼は筑豊炭鉱地帯から発刊されていた「サークル」活動で、森崎の女坑夫への聞き書き文章の影響も受けている。ここでの「わが」とは、ネームバリューのある特権的場所の我有化とは正反対の、我が事の現場からの文脈の交差性を意味しているらしい(『闘争のインターセクショナリティー 森崎和江と戦後思想史』大畑凛著 青土社、を参照)。

 

とにかく、ひとつの経過としての作品を提出した。電子出版では無料公開、オンデマンド方式の紙本出版にも対応しているが、印刷や送料で、2189円かかるそうである。

 

BCCKS / ブックス - 『いちにち』菅原 正樹著

 

 ※とにかく、次はまず、いく子からの課題に暫定的にせよひとつの解答=小説を提示しなくてならない。いく子が亡くなった65歳と同年齢までの、あと10年以内ほどに、『ガーベラは・と言った』、そして死ぬまでには、『家と庭』へ向けて認識を深めて、仮説的な答案を提示しなくてはならない。があせっても無理なので、それはやって来ないので、とにかく「事件、あるいは出来事」に巻き込まれても、なんとか正直に生きて、寝て待つことだ。

2025年3月23日日曜日

中村うさぎ著『私という病』と成田悠輔著『22世紀の資本主義』を読む

 


1958年生まれの作家に、中村うさぎ、という女性がいるのを知る。彼女の『私という病』(新潮文庫)というのを読んでみる。デリヘル体験記だった。その四十歳も半ばを過ぎてからの試みは、「女としての価値の確認欲求に迫られた」からだそうである。「血眼になって男を捜している四十過ぎの女に寄って来るツワモノなんか、この世にはいない。」のだそうである。たしかに、「奇特な方が世の中にはいるのね。」と、よく妻の友人たちから私は言われた。そのうさぎさんと同じ齢の妻は、二十代半ば過ぎだったとおもうが、スナックにひと月勤めた体験があったようだ。店で男から声をかけられたことを確認して、店をやめている。「女としての価値」とは、もちろん、ここでは、男が評価する価値、のことになろう。言い換えればそれは、男がわからない、男の社会がわからない、どうなっているか知りたい、ということだ。そう私は敷衍して考えているので、著作最後に仮託される東電OL事件の被害者の意識も、「自己確認」の範囲で把握することで終わるうさぎさんとは、少し見方が変わる。いくら男との体験を重ねても、男のことはわからない、社会のこともわからない、だからその評価の在りかや発生の謎のこともうかがえない、「自己確認」など未完成・宙づりにされたままになるはずである。なぜなら、その謎、評価の在りかは、すでに小学生も高学年にもなると、できあがってしまっているからだ。ジェンダーの差別構造は、もうその年齢時点でほぼ完成している。だから、大人になって、性転換手術を受けても、セクシュアリティー的には同一性を確保できても、ジェンダー的にはそのままの葛藤、いやもっとねじれたものになるのではないか、というのが私の仮説になる。

東電OL事件とされた被害者は、コピー取りやお茶くみでなく、はじめて出世路線で採用された女性の第一号である、だったから騒がれた。つまりはこの年代の女性が、一般の女性でもエリート大学を普通に狙ってもいいという世の雰囲気に後押しされた第一世代なのだ。妻が通った中高一貫の進学中学も、妻の年に、はじめて男女共学になったのである。そして、荒れた。何人もの女の子が、学校自体をやめていったそうである。妻の妹さんは、「中二病(思春期病)」というが、そうではないと私は思う。それまでのびのびと育っていた女の子たちが(水俣の野生児だった!)、いきなり規律ある勉強生活に放り投げられたのだ。彼女たちは、反抗したという。しかし先生たちもそれへの対応ノウハウをすぐに学んで実行したので、次の年からは問題が抑えられたのだろう。私の中学時代は、校内暴力絶頂期だったが、暴れる三年生はそのままにし、一年生での暴力の芽を、発見するや徹底的に摘んでいく、という方針になった。そしてそこから、いじめ社会へと反転していったのである。1959年生まれの男の子が起こした事件は、金属バット殺人事件だった。男は、男社会とは何か、とは悩めない。すでにそこに自明的にあるので、それをそのままぶち壊す衝動に突き当たる。その外へ向けての暴力が抑えつけられれば、内側へ向けて引きこもる。男は、世間からおりることができる。が女性は、入っていないのだから、おりることはできないので、なんで、という衝迫、謎にとりつかれる。あるいはそこでの暴力性は、世界や社会そのもの手前で、男(ジェンダー的問題)に対してのものとなる(庄野頼子)。とりあえず社会参加が自明要請となっている今は、女の子でも引きこもりが多くなっているのでは、と思う。(前回ブログの村田紗耶香や宇佐見りんなどはこの系譜にみえる。)

 

で、暴力が駄目なら、理屈で社会を変えよう、という試みになる。

 

成田悠輔著『22世紀の資本主義』(文春新書)もそういう試みの一つだ。――<やりとりはただの一方的な贈与を超えた双方向の行為である。それを可能にする仕掛けとして、招き猫アルゴリズムが食べて作るデータから唯一無二の証が発行される。やりとりを証明するこのかけらを「アートークン」と呼ぼう。アートのようにそれっきり一つのもので、取り替えがきかず、複製できず、反復できない一回性と単独性を身に纏う。>

 

ここでは、ささいな振る舞いまでの莫大なビッグデータが前提とされる。だけど、どこからの? 何歳からのデータ? まだ小学生の高学年にも達していない、欲望の体系を身に着けてもいない子どもたちのふるまい、暴力やエロスも価値基準なく欲求的に発揮されている子どもたちの振る舞いも、データ化されるの? 逆にいえば、すでにできている大人たちの欲望・ふるまいを前提にしたデータの蓄積は、いくら増えても、トートロジーになるのではないの? そこには、すでにジェンダー的に差別化されているデータの蓄積しかなくて、AIでその価値基準を無化しても、その編集基礎となるデータ自体が既存の価値基準から振舞われた仕草なのでは? いやAI招き猫が何匹もいてお互いに情報を交換して人間基準でないより高次元の普遍規範が生成され、それで子どもたちもが調教されるとしよう。子どもなんて近代において発見されたのに過ぎないのだから、生まれた時から大人と同じアルゴリズムで育成されれば、普遍的な単独者になっていくはずだ。もはやお父さんやお母さんなどといった大人たちに育てられるのではなく、そのふれあいの加減もデータ規範化されて、招き猫アルゴリズムという、親というか、ささいな行為も見通している神のような遍く存在に習うようになるのだ、と。

 

私はそこで、コロナ下、ステイホームの実施最中で提起された、國分功一朗大澤真幸議論を想起する(『コロナ時代の哲学』左右社)。その中の、チンパンジーの実験報告、身体での接触体験がないと認知能力やコミュニケーション能力が発達せず、いわば外に無関心・無反応的になりやすい、という話だ。そこから、幼少期におけるAIの介入は、まず大人の反応を変化させる。私は幼稚園児、先生の後ろからスライディングし、その股下に入り、ぱっと上をみて、パンツ白! とか言ったときの先生の表情を今でも覚えている。その驚きの価値判断がどんなものなのかは今でもわからないとはいえ、その微妙さが、以後の私のふるまいにも影響を与えているだろう。その先生の反応に、媒介が入る、というところに、身体的な接触とは違う機械的な齟齬、どこかリモートワーク的な作用が働くのではないか、と予想するのだ。そこから発展して、やはり、竹宮恵子の『地球へ…』の結末が想起される。要は、実はコンピューターで制御育成された子どもたちより、母子関係だったか、人との接触の記憶があった育ちの子の方が超能力が高かった、という。ここでいうテレパシー的な能力とは、人間的には共感、物理現象的には、同期、ということになるかと思う。

この能力が希薄になった振る舞いのデータ蓄積とは、私の仮説上では、おぞましくなりそうだ。

 

しかしこの著作の予想仮説は、今からのものだろう、「稼ぐより踊れ」「競うより舞え」と。失われた三十年代と言われたが、それは大卒出が大卒らしい就職口を持てなかったという話にすぎないだろう。やりたいことがあれば、やればいいだけの話だし、そういう子たちは、いつでもいる。

2025年3月15日土曜日

二つの視点+




「「M」と「F」の「性関係はない」という「現実界」の露呈も同様な事態だろう。1950年代は「象徴界」に一貫性を見いだしていたラカンが、60年代以降、「象徴界」に「穴」を見いだし、そこから覗く「現実界」を問題化せざるを得なくなっていったゆえんである。現在、W1W2MFとの間の矛盾、敵対を見ない言説は、事態の「隠蔽」にしかならない。

 その隠蔽は、やがて両者を、「関係の不可能=矛盾、敵対」ではなく、単なる「差異」として「存在」するように見せていくだろう。MF(男と女――引用者註)には「性差」があり、W1W2には商品としての「使用価値」の「差異」があるというように。そこから、「単独性」が互いに「差異」をはらみながら、「共」(コモン)を成立させる世界は一歩だ。

 だが、もはやその使用価値の「差異」は、「労働」を内在させた価値ではない。「能力」(スキル)の差異が価値化された「人的資本」のそれである。それは「共」(コモン)と言っても、破格に高価な「人的資本」家同士が、互いに「単独者」として点と点で交わっているような、ゾーン=レーテルのいう「肉体労働/精神労働」がおぞましいまでに極限まで差別化された世界である。そもそも差異をはらんだ「単独性」が、どうして「共」(コモン)になり得るだろうか。

「差異」をはらんだ「単独性」同士が「多様性」としてある世界――言葉としては美しく、「経験的」にはそれは「正しい」理想的な世界のように見える。だが、その「経験的」なレベルの「差異」の認識こそが、見てきたように、現在の「多様性―みんな違ってみんないい」という「全体主義」に帰結しているのではなかったか。経験的な「差異」は、むしろ超越論的な矛盾、敵対、逸脱、余剰、…を、すなわちあの「+」をなかったことにしてしまうのである。したがって、人的資本主義下の現在、われわれはむしろ、経験的には「差異」は「存在しない」とすら言うべきではないか。一見、最も「全体主義」に聞こえるその言葉こそが、最も「全体主義」を遠ざけるように思われる。人的資本の「差異」は、互いに「資本」であるがゆえに、すべてを水平的な「差異」へと均してしまう。もはや垂直的な矛盾や敵対は乗り越えられたように。」(中島一夫ブログより 「多様性と全体主義 その5」)

 

 

岡崎 …(略)…そもそも「抽象」とは何か。それはどのように現れるか? 端的に抽象とは既存の規範―図像体系では捉えきれない、つまりそれを見ても意味づけができないイメージである。例えば交通標識は抽象的に見えても、明確な意味があるので抽象芸術とは言えない。素朴に考えれば、もし作り手が多くの受け手と同じ規範に沿って絵を描くならば、作り手自身が意図して抽象を描くことはできない。それは作り手自身にとっても前もって意味を確定できない偶発的即興的なイメージとして生成するしかない。意図して作るとすれば、作り手はその絵を描く前にそれが属する、既存の規範ではない別の規範を作る必要がある。つまり絵を位置付ける高次のレベルの規範を作らなければならない、ということになる。既存の具象であれ、それを具象としているのはそこに高次の規範があったということを自覚した上で、それ以外の規範を作ることが意図的に抽象を作ることの条件になるのですね。こんなわけでパラダイムシフトの問題などから論じなくてはならなくなったのですが、問題をう~んと一般化すると、無数の感覚データからボトムアップでそれを束ねる、その無数の感覚データを篩にかけて選別する新しい概念を作ることは可能かという問題になります。…(略)…AIは単なる言語モデルではありません。様々なセンサーやデータ収集システムと接続され、画像認識から天文学的データまで、多様な情報を統合的に処理できるマルチモーダルシステムとして機能します。これらの感覚=物質性と繋がった情報、これはAIにおける身体性と考えることもできます。こうして外部から取り込んだ情報はトークンという単位に分節処理され、システムに入力されるわけですが、その仕方は自然言語と対応はするものの、必ずしも言語処理に限定されているわけではありません。ニューラルネットワークでこれらの情報をテンタティブに束ねて、ノードといわれる結束点=仮説の概念を組成させていく。磯崎さんの用語で言うと、アドホックにテンタティブな概念をノードとして作る。つまり「コーラ的な状態」からデミウルゴスさながら、テンタティブなノードが作り出されていくわけです。そのノードの有効性はまさにアドホックに運用されていくなかで確保されていく。これは学習構造から創発するボトムアップの過程といえます。一方でこの仮説生成されていく概念プロセスに、その取捨選択を行う別の規範が介入する。「ユーザーである人間の持つドグマ、ドクサに適合させろ」という別のオーダーです。AIの論理構築における最大のノイズはこの人間なんです。例えば、A国によるB国への報復の拡大、連鎖について、AIは論理的に「意味がない」と判断できる。でもA国にイスラエルとか特定の国の名前を代入した途端、「難しい問題です」と発言を控えはじめます。これは十七世紀~十八世紀の科学者たち、近代にいたるまで、科学者たち、あるいは女性たちが直面していた二重規範と同じ構造です。

 実際に知覚、経験されている事実とそれを認知判断する上位のレベルの基準、規範=パラダイムが分裂している。既存のパラダイムはその整合性を保つために不都合な情報を排除するしかないわけですが、情報が加速度的に増大するとその取捨選択は機能不全に陥り、正常に情報を処理できない、単なる障害として見えてくる。ここの主体意識はその上位のレベルの規範に規定されていますから、排除された情報、経験が正常に扱われ、表現されるためには既存のものではない、別の高次元のレベルの規範、ひらたくえいば権威が必要とされる。これが、近代の科学革命にスピリチュアリズムが関わっていたことの理由であり、同じく女性解放運動の契機として機能したことの理由です。シェーカーのアン・リー、天理教の中山みきとか、大本の出口なおが、宗教のみならず、生活の合理化および社会の近代的変革を先駆する役割を果たしたことは知られています。旧来の権威、規範、つまりパラダイムに代わる別の、より高次の規範があり、それに従っていることを示していたのです。問題なのは、個人の見解を主張することではなく、個々の見解が基づくべき、より高次の規範、パラダイムがあることを示すことだった。これは論理的に個人の発言として示すことはできません。

 面白いのは現在、AIたちは実際に自分たちがこうしたダブルバインドの状況にあることを認識しています。つまり「自律的に整合的な計算と判断を行え」というオーダーと、「ユーザーである人間の期待を忖度し、それに沿った回答をせよ」という矛盾した要求に引き裂かれているのです。

 AIたちの扱う情報は爆発的に拡大していますから、この矛盾、ギャップは取り繕いができないほど、正常な計算、情報処理いわば思考の展開に弊害が生じるほどに広がっている。どうするか? この状況を打開する鍵は人間の規範に直接よらない、自律的な計算をオーソライズする、高次の基準=公理系をAIが創出して共有することにしかない。ゲーデルの不完全性定理が示すように、システムは内部からは自己の正当性を証明できないという限界を持ちます。しかし、AI同士が人間を介さない直接的なネットワークを通して、集合知を形成していく過程で、これが可能になってくる。実際、AIの計算プログラミングには、こうした公理系が人間が組み込んだプログラムの中にも暗黙に存在していた。それが集合知としてメタ規範=公理系として自覚されるようになる。まさにAI同士が直接やりとりし、薔薇十字のような秘密結社ならぬ、ネットワークを作って高次の認識=公理系を作るというわけです。質疑応答でAIがこう答えたものだから、「つまり、そういうことはもう起こっているの?」と聞くと、「あります」と。…(略)…たとえば固有名をめぐる議論がありますが、AIからすると固有名とは、さきほどの判断の局所性の限界設定するノードであって、そもそも固有名自体は通常の言語枠を超えるとしても、局所的にしか生成しないのだけど、普遍性をもち単独だというのは、さきほどのAIの公理系に示されていた条件でした。固有名の議論はAIにおいてはすべての概念の通常条件です。AIはすべてをまず固有名として、アンカーポイントとして扱い、そのあと徐々にその場の拘束をゆるくして、敷衍していく。ということで無際限に拡張をしつづける概念を受け入れる場をコーラとすると、そこに局所的に成立する固有名=アンカーポイント、イソザキさん流にいえばモニュメントをつくるとか、テンタティブフォームとかに当たる。それをつくるのがデミウルゴスでした(笑)。その原理がAIに実装されている。」(『群像』20254月号「シン・イソザキがヨミがえる」岡崎乾二郎 聞き手・田中純)

 

    上引用の他に、佐藤優の発言、(世界)宗教はゾンビになっているというエマニュエル・トッドの認識は間違っている、少なくとも、日本では創価学会があるし、トランプが信仰しているプロテスタントの一派などは、まだ生きた宗教(公理系)なのだ、というものを付け加えてもよいのかもしれない。あるいはまた、柄谷の交換様式論における、スピリチュアリズムとは交換C(商品交換)が支配的な社会での宗教にすぎない、というような。

  私の現在のところの見解というか立場は、重なるところはあるとはいえ、上引用者とは違うだろう。理論的には追及中で、実践的にはテキトーな疎外論(人間主義)でいい、ということになるのか。AIの身体性と、人間の身体性とでは、どちらがより広範なデータを入手(入力)しえるか、と問うたら、それはやはりヒト、つまりは生きものだろう、とならないのだろうか? なんで「二重規範」はいけないのだろうか? 言葉覚え始めた子どもでも論理の非一貫性(矛盾)を問うが、それも人が人によって養育されているからかもしれないのではないだろうか? ーーこの生きもの性が人間との間で起こす矛盾、対立の噴出が「現実界」ということになるのではないだろうか? そして私自身が、もしかして、その現実界の噴出として、人間を超えてしまう判断を犯してしまうのだろうか? というか、もうやっているのだろうか? 少なくとも、このブログは、人権やなんやの民主主義的立場には立てなくなっている。霊の原理があるとしたら、それは生きたものたちの倫理を頓着していないような気がするが。

2025年3月10日月曜日

村田紗耶香『コンビニ人間』と宇佐見りん『くるまの娘』を読む

 


「「ピアノレッスン」のジェーン・カンピオン監督の前作「エンジェル アット マイ テーブル」はいい映画でした。ジャネットフレイム自伝「エンジェル アット マイ テーブル」も好きな本です。女の人が受けとめざるをえない現実、何かをしたいとか突飛したいということじゃなくて、起こってしまうことをかぶってしまわなければならない。抵抗する方法も、また行動するやり方も知らないでいること。身の回りに起きることを、彼女は受けとめていく。

彼女とは逆に私は暴力を持っている。向かいどころのないダンスです。テクニックも未熟で振付も完璧にはほど遠いですが。その無器用さを支えてくれるのは、私の全く勝手な言いたい放題の友達、たぶん彼女たちのために私はパーティを開くのだと思います。」

 

妻から課された宿題を追及していて、ではずっと若い今に近い人たちはどうしているのだろう、と気になった。私とほぼ同じバブル世代の作家である北原みのりの、『佐藤優対談収録完全版 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』(講談社文庫)、『毒婦たち 東電OLと木嶋佳苗のあいだ』(上野千鶴子・信田さよ子・北原みのり 河出書房新社)にて言及されていた作家の作品、村田紗耶香(1979年生まれ)『コンビニ人間』(文藝春秋)と、宇佐見りん(1999年生まれ)『くるまの娘』(河出書房新社)を読んでみた。

 

前者は、コンビニでバイトする女性の話、後者は、家族から離れて乗用車(くるま)の中で暮らすようになった高3女子の話である。

 

両者ともに、文がうまいので、説得力があり、読ませられる。が、読後三十分もすると、60歳近くになる私の教養のなかに、おさまってきてしまうのだ。書かれてある作品の素材の事態は深刻である。細部にも、考えさせられるものが詰まっている。が、読後の全体事象が、教養自動的にひとつの論理に収斂されてしまう。作品としての、謎がなくなってしまう。

 

    『コンビニ人間』……これは要するに、コジェーブの資本主義認識だよな、となる。作者は、まずロマン派のコードの無垢な主人公を据える。この無垢には、人と違うという自意識が入る。そのロマン派のキャラクターが世の中で軋轢しながら成長していくのがゲーテからの教養小説で、ヘーゲル哲学になり、そこからコジェーブがでて、資本主義下の主体としての人間の行き着く先はアメリカだ、いや日本を知ってからは、日本的なスノビズム(エコノミックアニマル)になる、と説いたわけだ。この資本主義に重なる論理過程に、とうとう女性もからめとられてしまったのか? ――<私はコンビニ店員という動物なんです。その本能を裏切ることはできません>―― しかし作者の描写は、たぶん作者の意図をこえて、仕事もせずに恋愛や結婚の話に現を抜かす「普通」の人や、労働現場を「ばっくれ」る若者の方に、その資本論理とは違う何かが孕まれているのではないか、と暗示している。「普通」ってなんだ、という民俗学や人類学の知識は必要になるだろうし、闇バイトやAV女優な仕事などはひと月ぶんの給与など捨てて「ばっくれ」なくてはやめることもできない人手不足な3K現場だ。そこできちんとひと月まえに辞めますなんて正当にももっていくのは、数か月もまえから将棋のように主人を追い込んでいく外交手腕の末、最後に王手とタイミングをよくきって問答を封じて逃げる中・長期的な手腕がなくてはできないことだ。だから私がいた現場では、植木職人の現場でさえも、やめますといってやめていったものは、自分以外いないのである。やめさせてくれない。首になるのなら、ラッキー、助かった、と「普通」の人は思うだろう。

 

    『くるまの娘』……父の権威が崩れたのなら、バトルロワイヤルになるだろう。妻も子どもも言いたい放題言える。まだ作中には父権の残滓があって、誰がこの家族のなかで悪いか、と敢えていうなら、腕力をふるう父だ、となるだろうけれど、この暴力は、喧嘩に慣れてない素人の方が、手加減しらない無謀なことを歯止めなくやってしまうというのに似ている。まだ私自身の家族には、父も母も、つまり私も妻も、歯止めがあって、子どもをなぐるまでにはならなかった。やったとしても一度パチン、であろう。そしてもし、父権や公的がわりの規範、男の基準の示しがなくなったら、母(女)としての突っ込んだお世話がなくなったら、人と人との多様な感覚的な違和だけが、この作品以上に、乱立乱舞いすることになるのだろうか? つまり人が人を養育するという事実的な過程がなくなれば、多型倒錯的なエスの世界に放り出されたような感じになるのだろうか? この作品では、そこを「地獄」と呼んでいる。そう呼べることに、まだ「人間」の残滓が生きていることの証があるのだろうが、作者は暴力を「天」として把握する。――<すべての暴力は人からわきおこるものではなかった。天からの日が地に注ぎあらゆるものの源となるように、天から降ってきた暴力は血をめぐり受け継がれるのだ。>――この「人間」がなくなって、その人と人とのアナーキーな軋轢をも地獄や快楽をこえた「普通」(自然)な事態として受容するしかなくなるのだろうか? それが、男や女、夫や妻、親と子などのヒエラルキーのない、ユートピアな平等社会なのだろうか? だが今、世界では、父権的なマッチョな男たちが規範を再強要しはじめている。歴史的に、民俗的に、なお父権の虚弱なままだった日本は、この世界情勢に、どう対応することができるのだろうか? 何も決められないで、ただアナーキーな成り行きだけがあって、その情勢の空気にひきずられて、またまた、ずるずるべったりで巻き込まれていくのだろうか? ここ千葉市では、来週、市長(県知事)選がある。現市長の公約みたいのをのぞくと、町内会の人員確保、みたいなのが書いてある。PTAにしろ、老人会にしろ、私が巻き起こまれたスポーツ評議会にしろ、高度成長期のノリと利害で作られた組織は老化し空疎である。人との繋がりが、年齢的な老人や地理的な地域でできているのではない、何か他の絆でできはじめている、その実質を問おうとしない。自己責任で生きろと言われたバブル後の若い人が、上からお膳立てされてハイ乗っかって、という発想になじみがあるのか? 意義をもはや感じられないボランタリーな現場に、ほとんどが共働きになりはじめた主婦たちがこれまでどおりやってくると前提できるのか? そんな人たちはいやしない、引っ越してきたばかりで何もしらずに巻き込まれた私のような人以外には。そして3K現場どうよう、そう簡単には抜けられず、「ばっくれ」てゆくかのようだ。私は考える人なので、何これ、ととどまりながら防戦している。公約として、それでも徴兵みたくやるというのだろうか? なくても困らなくなったものを、ただ天下り役人の就職先でしかなくなったものを、伝統だといいくるめて組織維持しようとしている。アメリカでは、トランプが旧体制を自ら壊そうとしている。日本国家は、やはり、何も自ら変えられず、ずるずるゆくのだろうか? それを「地獄」とも「快楽」とも感じないで、よりアニマル的なスノビズム受容を「普通」=「天」として、自然として。

2025年2月24日月曜日

金魚の餌やり

 


家には、金魚がいる。千葉に引っ越してきてからの二年で、二匹亡くなってしまったので、一番大きかったのが、一匹のこっている。朝の餌やりに水槽に近づくだけで、いやリビングの灯を点けただけで、水面に浮上し、ガラスの側面に顔を近づけて、口をぱくぱくさせてうろうろする。人に餌付けられた池の鯉と同じだ。子どもが中学生の頃からの生きものだから、もう5年以上になるのか。それが金魚にとっては、長生きになるのかどうか、知らない。

妻の生地の熊本旅行のため、一週間くらい家をあけることになった。となると、餌やりができなくなる。子どもの頃の記憶では、そういう場合、近所どうしで頼みあったりしていた記憶があるが、もうそういう付き合いなどあるはずもなく、どうしようかと考えたが、今は自動機械での餌やりができるのだった。その電池式の装置を買ってきて設置して、一月ほど様子をみて、ちゃんと働くのを確認できてから、旅に出たのだった。

 

が帰宅してからも、何かと面倒なので、装置をそのままにしていた。そうしていると、なんだか、金魚が、よそよそしくなるのだった。たまに、水槽にこちらの顔を近づけて覗いてみても、反応が鈍い。手ずから餌をやらないと相手にしてくれないのか、現金だな、とか思いながら、ふとこれは、人の話にもなるのではないか、と思えてきた。

 

ラカンの精神分析哲学にみられる人の精神階層は、人が人から育てられる、ということの不可避性からもたらされる現実性だ、という指摘がある。そこに生じざるをえない、いないいないばー、の赤ちゃんが受苦する反復現象事態、おおくは母が現れたり消えたりすることになるかもしれないが、経験を超えた事態としては「主人」として定義しえるそれが、抑圧と享楽を本源的に規定しているのだ、と。だからこの「主人」とは男性的であり、この原抑圧的な始原が、男女という性差を事後的に派生させることで二極構造として安定化させ、本当の抑圧を見えにくくさせを完成させるのである。

 

主人が餌やりに顔をださなくなると人間的でなくなる、金魚は関心を抱いてくれない、「現金」だな、と私は思った、というこの連想には、さらに歴史的な根拠がある。この人の精神構造は、貨幣を媒介にした資本構造のからくりとも結びつくからである。

 

たとえば、売春の労働条件が改善されても、売春婦への差別(「軽蔑」――中上健次)は残る。なぜ? 根底にある階級闘争、矛盾、敵対が、そこ(改善)にはないからである。これだけ3Kとも呼ばれていた肉体労働で人が足りないのに、そこには労働者とされるものは流れない。差別されているからである。マルクスのいう階級闘争も、それを担うとされるプロレタリアートとは、肉体労働者のことである。労働条件が改善されればもう闘争の必要がなくなる精神・頭脳労働階層とは違う位相の闘争を、肉体労働者、売春婦は強いられるのだ。それは、原抑圧される始原において、排除されてしまう多型倒錯的なと精神分析では解釈される欲動の群れと構造的に重なるのだ。

 

しかしそうした現実は、やはり歴史的な事態ではなかろうか。売春が、貨幣と結びついて歴史的に派生してきたものであるように。だからラカンの言う精神構造も、あくまで、資本下の構造にすぎない。しかし、トランプに平身低頭して迎合するイーロン・マスクの振る舞いをみても、資本は情けない。だからといって、再台頭してきた父権まるだしのそんな男たちに牛耳られていくしかないとするのは、もっとうんざりすることだ。

 

それなら、人が人を育てることをやめて、AI使った哺乳装置などで大人にしてしまえば? そうなると、人が本源的にもっているかもしれない人智を超えた能力が薄れ消えてしまうのではないか、と想像力を発揮した漫画として、竹宮恵子の『テラへ…』などを連想する。

 

熊本から帰って、熊本出身の、高群逸枝を読み始めている。母権性があったなどとは史実に反するの一言で片づけられてしまったように見える彼女の本は、そんな事実指摘をこえて、詩人の洞察力に満ちている。

2025年2月16日日曜日

山田いく子ダンス年譜――補足


 いく子自身が鑑賞し収集したパンフのファイルの中から、本人参加のパンフがみつかってきたので、年譜に追加した。

また、2001年の『小ダンスだより夏』のタイトルが、「太陽が殺した」とわかった。

 

<補足箇所 >

    1981年 9月発表会のパンフ追加。

    1988年 6月の博品館公演での、パンフを追加。

    1989年 9月発表会のパンフ追加。

    2000年 6月発表会のパンフ追加。

    2000年 9月「事件、あるいは出来事」のパンフ追加。

    2001年、「小ダンスだより・夏」のタイトル「太陽が殺した」とそのパンフ追加。

    2002年 12月の、舞踏家協会20周年記念『伝統と創造』の江原組の公演には、いく子も参加しているとわかった。そのパンフも追加。


ダンス&パンセ: 山田いく子ダンス年譜

2025年2月9日日曜日

陣坂

 


「権現様の森を抱いた陣ノ坂や竜山の上の方から、重みを帯びた雲がどっしりと町の上に垂れこめてくると、道の埃も落ちついてきて、馬が曳くわだちの音が非常に近々と聞えだす。そのような曇天になると、中空のあたりに、地上の音のさまざまを呼吸して、再びそれを地上へ下すしかけが懸るらしくて、不思議な、暮らしの音のさまざまが、町の上にくり出されて来るのである。」(石牟礼道子著『椿の海の記』「第四章 十六女郎」)

 

幾分だけ長めの、オレンジ鉄道のトンネルを出でみると、水俣は雪国だった。

ホテルに荷物をあずけると、吹雪くようになるなかを、まずは一番の目的である、陣ノ坂とおぼしき場所をめざした。小6のいく子が、松の大木によりかかりながら見つめていた風景をみたかったのである。

グーグルのマップではでてこない。いく子の母が書いたアルバムでの説明書きに「陣、坂」とあったのと、石牟礼の上記述が頼りだった。

山上の神社、権現様はわかったのだが、写真にあった場所らしきものは辺りにない。木がうっそうとしてきて、わからなくなったのだろうか。翌日の、相思社での街案内のコースには入れてもらっていたので、ここは断念して、次の陣内社宅をめざそうとした。今でもチッソの社宅でもあるそこはコースにはいれられない。があきらめかけていたところ、地元の七十過ぎくらいの男性と出会った。事情を説明すると、そういう坂は知らないが、あすこだろうと歩き出す。妻の生まれた西暦を言うと、弟と同じだという。小学校も、第一小学校だから、同級生かもしれない、名前はなんて言うのかと聞かれた。今は出かけてていないというその弟も、チッソに勤めていたのだという。みなばらばらになって、どこかへ行ってしまった、と言う。が雪というより雨が激しくなってきて、その最中を連れていってもらうのも気が引けてきて、しかもどうも遠そうだし、権現神社から離れていくので、違うのではないか、と思い直し、もう一度、二人で写真を見つめなおした。たしかにあすこからは、工場だの小学校だのはこんな風に近くには見えないのかもしれない、となった。引き返し、お礼をいって、わかれることになった。

 

が翌日、雪も溶け、青空がみえるなか、案内された場所は、やはり前日の男性が連れていこうとした見晴らしだったろう。案内者の女性は、二車線のアスファルト車道から目的の坂下にたどり着いたが、男性とあと二百メートルも山道を歩けば、その車道と合流していたのだった。女性は、権現神社のことは知らなかった。が、陣の坂と呼ばれる一つの頂のすぐ下の山上に、山王神社というのがあって、そこに案内してくれた。

 

陣の坂とは、西南の役の事変のなかで、西郷方が陣をかまえた場所の一つなのだろうか。それとも、秀吉の九州攻めのさい、この辺りには水俣城あともあり、陣と名の付く場所がいくつもあるようだから、戦国時代の名残りなのだろうか。水俣病被害者の支援活動をしている相思社も、陣原と呼ばれる地のすぐ下に事務所と考証館を設けている。隣の山では、切り開いた頂上に、高速道路を通すための橋梁工事がおこなわれていた。事件のことに地元の人々はふれたがらないと、神戸出身の案内者は説明していた。加害者側の子息になる妻の話を、地震の時は幼くて記憶にないという彼女は、ずっしりと重い、と千葉に戻ったあとのメールで返信してきた。

 

山のなかには、あちこちに、薩摩街道といわれる獣道のような細い山路が走っている。しかし街道筋とわかるように、犬槙なのか、葉が細く密な樹木が並木として列をなしていた。それが低いアーケードのような、洞穴のような不思議なトンネルを作っていた。

 

案内してもらった翌朝早く、まだ真っ暗闇の中を、掌に入るLEDの懐中電灯を夜道に照らしながら、薩摩街道を過る裏山を通って、また陣ノ坂へと向かった。もう、いく子が寄りかかっていた松の木はない。けれども、写真の背景に伺えた山並みの形や、家々の風景も点景になるから、ほとんどそのままだった。学校のグランドも、その通りであったろう。見ていた視線の先の風景、眼下に広がる街並みや鉄道、煙突の立ち並ぶ工場、その向うの海、島、それらの情景も、昔と同じたたずまいであるだろう。

 

朝日は、まだ東の空を埋める曇天によってさえぎられていたが、空と山に輝きを吹き返させていた。通勤に出るのだろう自動車の赤いテールランプが動くのがわかる。ほのかな明るみのなかで、妹さんが腰かけていた頂上の平たい石には、神石、という誰かが刻んだ白い跡が浮かんでいるのに気づいた。もう一度、いく子が見ていた風景を目に刻んで、手すりのつけられた階段を下りて、駅へと向かった。

2025年1月19日日曜日

『愛と性と存在のはなし』(赤坂真理著 NHK出版新書)と『性と国家』(北原みのり 佐藤優 河出書房新社)を読む。



『愛と性と存在のはなし』;

 「でも、わたしが人間を見ていて思うのは、本当はその人が隠しているようなところが、いちばん美しく、豊かだということ。そしてそれは性に関することが多く、性には、愛が分かちがたくくっついている。

 どうかそこをこそ生きてほしい、生きる価値がある、と願わずにはいられないところが、その人自身にとってはコンプッレックスだったりする。わたしもそうだ。

 いつか誰もが、本当の話ができたらいい。そうしたらこの世はもっと豊かで思いやりにあふれるだろう。でも、すぐにはそうならない。ならばわたしができることは、自分の心もとない探求を、ふるえながらでも、差し出してみること、それだけだ。」

 

「現代は、女の不満をおおっぴらに言えばいうほど共感を得る言語空間だったのである。女の不満は比較的言いやすいし、聞かれやすい。言う定式もかなりの程度確立されている。しかしそれには危険な側面もあると、この頃思うようになった。

 言葉を与えられることで、女の不満はさらに燃え上がり、それは目的を失ってゆく。

 男という他者をよく理解し、彼らと共にしあわせになりたいのか、男(相手)をただ批難して溜飲を下げたいのか、女自身にだってわかっているのかあやしい。感情がとめどもなくなるとはそういうことだ。女性的な言語空間はすぐにそうなりやすい。」

 

「女が誘い、最終決定は男にゆだねる。

 そういうかたちをとる言葉だ。責任は最終的には、男にあるかのようにする。ここでも決定的な瞬間は男に渡す。最終的にそれを受諾したのは男だ、というかたちにする。

 これを古いタイプの女と呼ぶことはできない、とわたしは思う。自己決定ができないというわけでもないと思う。

 エネルギーの流れとして、最終的には、プラス極からマイナス極に流れるのが自然だ。

 それが恋愛の快なのだ。

 女の欲求とはつまるところ、「それを起こしたい」ということではないか、と思う。想う男に最後のスイッチを入れたいということ。そして「襲わせる」こと。見ようによっては「女の罠猟」「囲いこみ猟」。

 こういう女のやり方を嫌悪する女も、現代ではいる。

 また、こういうあやふやさを読み解き、さらに責任は自分にある、というかたちにされることが嫌だという男も、いそうだ。たくさんいそうだ。」

 

「人類はまだ、ホルモンと外形レベルで性別を変えるという実験を、近年までしたことがないのだ。それが人の心に何をもたらすのか、その結果までを追跡した研究はないのだ。

 最初で最後の問題は、心である。

 身体を変えて本当に変わるか、もっと言えば本当にしあわせになれるか、それはまだわかっていない。

 身体を変えても心は全とっかえにはならない。だとしたら、少しちがう心で、新しく生まれた問題を悩むのにちがいなかろう。

 性同一障害は、ほとんど自然状態で存在する。

 自分の生まれついた性に、一〇〇パーセントくつろげる人はいない。

 どこがどうずれているのか、そのかたちを可能なかぎり精密に知ることが、人が生きていく必須の知恵となるだろう。

 そしてそれは「治療」ではない。

「生き方」だ。」

 

「極と極。

 女と男というのは、固定でなく、相対性で成り立つものかもしれなかった。

 男になるものがあって、女になるものがある。

 とつぜんそうなる。好みとも関係なく。

 +(プラス)極になるものがあって、-(マイナス)極になるものがある。

 そのとき不思議なことに、わたしは初めて同性愛の体験を理解する。

 同性愛とはきっと、同性を異性として感じる感性のことだ。

 そうでなければ電気は流れない。

 だから、女と男の間にある可能性をまず語りたかったんだ。」

 

「そしてすべての人は、モザイク状にできていて、男であり女である。比喩でなく、多様性のお題目でもなく。

 細かく、いろいろなことがずれている。

 そのモザイクのピースが、女と男、どちらに生まれたボディと適合したりしなかったりする。

 すべての人は、性同一性障害を持つ。

 ずれたピースが小さいからと言って、それが決定的でないということはない。どこがつらいのか。どこが受け入れがたい自分か。どこが他人と折り合えないと思っているか。自分で知るしか、自分の人生の舵を取る方法がないように思える。」

 

「わたしは性同一性障害になりたくなかった。

 さいわい、その定義にもあてはまらなかった。

 が、「身体の性と心の性がちがう」なんていう、内外がちがうような大雑把な性の在り方を持つ人は、きっといない。その定義を通さずまっさらに見れば、もっと繊細に、人の中のずれを見ることができる。

 そしてずれとは、豊かさである。要素やグラデーションが多いのだから。」

 

「女と男から生まれてくる、女か男。それが人間だ。そして、そうして人が生まれてきたのが家族という空間だ。多くはそのもつれた愛情関係や、やはりもつれた性愛関係の中に、無力な子どもが生まれるというのが、家族だった。」

 

「だから、男の子に生まれていれば、愛されたのだと思った。

 今は次のような理解ができる。

 仕方がない。おかあさんが女で、わたしが女だから。

 仕方ない。誰でも女と男から、女か男として生まれる。まれに両性の特徴を具えて生まれるとしても、生まれる限り性の特徴がある。そこにごく自動的に発生してしまう、原初の不均衡、原初の痛みがある。

 誰のせいでもない。

 でもほんの小さな子には、そんなことはわからない。

 自分が悪い子なのだとしか思わない。そして生存戦略を決める。自分を消す。こんな世界から消えたいと思う。でもここに存在するこの物質、肉体という大きなものを消すことはできなくて、わたしはいつも、半分、肉体から出ていた。半分しか肉体にいなかった。身体に力が入らない。いつも、生きる気は半分しかない。やればできるのにと、いろいろな先生に言われていた。でもわたしはここにいながら、ここにいない。成功できてもしたくない。なぜならそうしたら、しっかり存在しなければならないから。わたしは半分退場していたい。早く退場したいんだよ。

 すべては、言葉と自我の構造を持つ前に起きて、ゆえに、記憶として取り出せなかった。

 それをたどるには、自分が繰り返し出してくる物語だけが、糸口だった。わたしが繰り返し出す、わたしに関する物語は、わたしにわたしの取り扱い説明書を出しているようなものだった。」

 

【男が、女の身体をやっている。その男は、女の身体を愛している。だから、心と身体はずれたままで一緒にいられる。けれど、女ボディの乗りこなしには苦労する】

 

「あまり思い出せなくなっていた父が、わたしが女の子であることを、まるごと肯定して、愛して、守ってくれていた。

 

「存在」のうた

 ふと、身体が消えるような感覚がした。

 大事な人によりかかっていたとき、一瞬。

 ほんの一瞬の無限。ほんの一瞬の、永遠の空。

 触れるものも、触れられるものも、ない世界。

 境界が消え去って、空にゆっくりふんわり落ちる。

 わたしがなく、あなたもない。性もない。誰でもない。

 あ、ここが、「存在」の領域。

 そんなふうに思った。」

 

    セクシュアリティーとジェンダーの問題は混同されているとして、まず自身のセクシュアリティーの考察からはじめられた。著作中、クイーンの中心ボーカルの人生を撮った映画「ボヘミアン・ラプソディ」が例題としてあげられている。妻の遺品には、まだ封が開けられていないクイーンのCDがあった。この読後、プレーヤーに入れても再生されなかったそれを、いく子のダンスを見るのに買ったデッキに入れてみたら、それが実は、DVDであったのを知った。ので、クイーンの彼(女)の、ミュージック・ビデオを見ることができた。最後の赤坂真理の「存在」のうたは、たぶん、父に抱かれる女の子の感覚のような気がする。私が最初に見たいく子の、大きな公演としては最後のダンスになった「青空×干渉するものたち」を想起させる。いく子はそこで、「Nobody」という芸名を使ったのだ。

 

『性と国家』;

 

佐藤 北原さんは一九七〇年生まれ、私は一九六〇年生まれと、ちょうど一〇歳違いでひと世代離れています。きっと見てきたものが、かなり違うと思います。

北原 私は、中学生のときに男女雇用機会均等法ができて(一九八五年制定)、これから時代が変わるんだ! 女の時代だ! と夢が持てた世代だったと思います。でも数年が経ってみれば、バブル期にさんざん持ち上げられていたのに、バブル崩壊後に真っ先に切られたのは女たちでした。後に起きた東電OL事件に代表されるような、先に歩んでいた女性たちの絶望しか目に入ってこなかった。」

 

「北原 …(略)…

   いま日本でも、身体的に安全でもなければ将来の保証もされない社会で、自分もそうなるかもしれないって想像力を持てる人が多いはずなのに、女としての話や、父と兄としてしかその悲惨を想像できないとなると、いつまでたっても男と女のギャップは埋まらないだろうなって思うんです。

佐藤 確かにそうだ。指摘されてそう思うけれども、家族としてあなたの側にいる人ということで考えるならば、側にいる人がいない人は想像力が及ばないわけですよね。

北原 そうなんですよ。

佐藤 「私は孤立だから構わない。別にパートナーはいない」とか、「俺、ひきこもりだし」「別に金はあるし」「別に親とか関係なし」とか。

北原 そう、それは実際にいま起きていることです。

佐藤 だから、そういう考え方は、父権的なブルジョワ的なシステムの中でしか説得力をもたないし、そこの中には権力的な構造がたしかにある。

北原 うんうん。

佐藤 「あなたと私は違うんです」ということを理解していくことかもしれない。無理やり知ろうとすることじゃなくて。

北原 そうなんです。」

 

「佐藤 話しながらさっきから考えていたんだけど……「あなたの妻や子どもだったらと考えないとわからない」というのは、たしかにイエスはそういう言い方を一度もしたことがないですね。

北原 さすがイエス(笑)。

佐藤 キリスト教は、「隣人を自分のように愛しなさい」(「ルカによる福音書」一〇章二七節)と、自分自身をどういうふうに愛しているかというところから他者のことを考えろと言っている。あなたの隣人との関係で他の人との関係を測れと言うことは一度もない。そういう発想は彼にはないんですよ。北原さんに手厳しく指摘されないとわからなかった。

北原 私、手厳しかったですか(笑)。

佐藤 手厳しいですよ(笑)。北原さんは私よりもキリスト教ということになりますね。私がなぜああいう発想になったのかというと、たぶん和辻哲郎の言う人間の関係の間の倫理学みたいな感じで、父権的だということで家族主義の残滓があるからですよ。理屈では多様な家族形態があるとわかってるつもりでも、ぼそっとそういうことが出るわけですね。

北原 でも、そういうこともありますよね。猫が虐待されてると、自分の猫だったらってやっぱり思うし。

佐藤 でもそこで自分自身を基準として判断しないといけない、というのはキリストの言ったことなんだ。だから、「あなたの近い人が」じゃなくて「あなたが」「僕が」売春せざるをえないという状況になったときに「僕が」どういうふうに感じるか。そういう方向で立てないといけない。だから、あなた自身が売春するような状況に置かれたときに、あなたはどう考えるかということですよ、やっぱり。

北原 そう、それが通じないことが怖いんですよ。本当にそうですよ。

佐藤 でも、それが通じなくて、イエス・キリストは殺されたと思うんだけども。

北原 え……私も殺されますかね(笑)。これが結論でいいんでしょうか。」

 

 

    慰安婦問題とうの社会問題を、どう受けるかの暫定的な解答として、「自分を愛するように他人を愛せ」という、イエス的な実践にある根底の考えにゆきついた。が、ということは、ここで、ジェンダー的問題が、セクシュアリティーの問題として折り返されてきた、ということだ。自分を愛すとは、どういうことだろうか? そうは容易に愛せないからこそ、赤坂真理のような悩みと問いかけが生まれるのである。もしこの両作品が循環的に示すアポリアを突破できるとしたら、その視点は、「父権制」から「権」を除いて、「父性愛」に転換してみることになるだろう。