「会長が桑田で、テレビのドキュメント番組で紹介されていたこともあり、セレクションには大勢の小学生と保護者が集まった。25人の枠に対して、300人もの応募があったという。それほどたくさんの親子連れを前に、桑田はこんな挨拶を行った。
「これから3年間、ウチで学ぶことは、高校へ行くまでの準備だと思ってください。野球の練習やトレーニングはもちろん、基礎知識を身につけ、集団生活を送るための礼儀作法などもきちんと覚えてもらいます。バットやグラブを大事にしたり、親や周囲の人に感謝したり、そういうことも学んでほしい。」
さらに、こう付け加えた。
「だから、ウチのチームは弱いです。練習は合理的にやるので、4時間程度です。根性や精神論でお子さんたちを鍛えるということはやりません。ですから、勝ちたい人、勝てるチームに入りたい人は、どうぞほかのところへ行ってください。」(『野球エリート』赤坂英一著 講談社α新書)
日大のアメフト部問題。うんざりしてくる。なんでああも正義面というか、被害者擁護にかこつけて逆イジメたたきみたいなことを繰り返しマスメディアはできるのか? 森友問題も同じだが。貴乃花親方をめぐる報道の傾向がぶりかえされてもいるわけだが、そこに偏執する言表行為に、何か時代の症候が顕著に発症されているのかもしれない。
加害学生は、コーチの言葉を通して、監督の意図を「忖度」してやった。
「忖度」とは、官僚制の問題というより、日本では天皇制の問題としてより文脈・系譜化される。
暴力行為の実際まで行くのは例外的、少数的であるとしても、そう行き着かせる考え方として、それが日本の世俗的な本流であるとは、運動部・体育会系出身者なら、そう自覚するのではないだろうか? 森友学園みたいな実践にはならなくとも、君が代を要請させる政府の方針・考え方に、すでにそれに連なっていかせる考え方が潜んでいることに、教育の現場にいる者は自覚的ではないのだろうか?
女房は、たとえ社会が変わらなくともウミをだすために今のように日大の監督・コーチをマスコミが叩き上げる、つるし上げることが必要なのだと豪語する。で、おまえは子供を蹴とばしながら受験・学校勉強をさせているわけだが、日大の監督は生徒を蹴とばしていないよ? どちらが本当の暴力なの? 自分の足元を見れないものたちが、被害者面してスケープゴートに加担する。
私の、40年まえ近くの、高校の野球部の頃、3年生が抜けた夏場の練習では、強豪校のチーム、一人、二人と、熱中症や硬式ボールが当たって死人がでる、という話を毎年ほの聞いていたとおもう。私も、野球をやるとは、それが当たり前、そうなるよな、と自然なこととして受け入れていた。試合に勝つ、戦いに勝つことを目指すとは、比喩を超えて、文字通り殺し合いのような気迫で勝負に挑むことを意味していた。そうした考え方は、中学生の時には、もう無意識に刷り込まれるぐらい育まれていた。もちろん、本当に、実際にそう実践してしまえる者などほとんどいないだろう。今回、日大の生徒が「やってしまった」のは、ある意味、どこかナイーブな、真面目な性格だったのだろうな、と推測する。大概は、そこまで一生懸命できないし、適当にごまかしてやるはずだ。コーチとの関係でも、そこまでいかないところで、折り合いをつけてしまう官僚的なずる賢さを、大学生ともなれば、身につけているはずだ。
もちろん、それが暗黙の、無意識な主流であるのは、制度として、教育として、コーチングとして、未熟だからにすぎない。おそらくヨーロッパのサッカー育成組織などでは、育成途中でふるい分けられて、そんなナイーブな人は競争から落ちている。が、日本では、みんなを掬い上げようとする、だから、良くも悪くも、複雑になる。小・中学生を教えるとなれば、なおさらだ。「あいつをけずれ」とは、新宿区の3年生大会で、私たちのチームに当時いて、のちに日本一にもなる埼玉のレジスタに移っていった中心選手に、プロあがりのコーチが自分の率いる選手にいった声かけである。サッカーで「けずる」とは、選手のボールプレーが終わったあとで、後ろからスライディング・タックルをしかけて、アキレス腱を負傷させて退場させることをめざすことを言うそうだ。私たちのチームは弱い。上手な子、モチベーションの高い子は、どんどん目指すところへ出て行ってかまわない。が、私は、それでも、「みんな」で戦って、そうやってサッカーエリートが集まってくるチームに勝ってやることをあきらめない。冒頭の桑田元選手のようにはなかなかなれない。来月のワールドカップで、日本負けてもいいじゃん、とはとても本気でおもいたくない。では、どんな実践があるというのか? これまでの、追いつけ追い越せ、ではなく。
監督やコーチ、先輩が怖く、上司・上官が怖く、「黙って処理する」ようになる国民の「忖度」の原型が、<母ー子>関係にあることは、日本の文学的な教養の一つだろう。単に上からの暴力ではないところに、ねじれた闘いが発生するというのも、教養の一つであったはずだ。「死のれ、死のれ、マザー! マザー!」と中上健次は小説を書き、その<母―子>関係から秋葉原事件のような若者が発生し、それが井上日召のような日本のテロルの在り方とも関連している、とする中島岳志氏の最近の論考もあったとおもう。
*関連ブログ ①http://danpance.blogspot.jp/2016/11/blog-post.html
②http://danpance.blogspot.jp/2016/12/blog-post.html
果たして、誰が、誰をいじめているのだろうか? 目に見える加害者が、目に見える被害者をいじめてたのか? どうもそうではないな、というのは、きちんと顔をだして記者クラブの質問に答えた学生を見ればわかる。じゃあ、監督やコーチということなのか?
Yahoo!ニュースをみていたら、「学校へ行けない人はなぜ増えた? 歴史20年を振り返る」という論考にであった。これと、朝日新聞での柄谷行人氏の書評を並列させて読むと、何かぞっとするものに突き当たる。それは、6月に岩波ホールで上映されるという「ゲッペルスと私」という予告での秘書である「私」のセリフ、「今の人はよく言うの、私なら、あの体制から逃げられた」「無理よ」、と。
私たちは、部外者として、観客席からの野次馬のごとき罵声をあびせていれば、いいのか? 私はしないから、と。逃げられるから、と。
私には、とてもそんな風にはみえない。だから、あくまで、フィールドで、現場で、具体的に闘う。そうすると、女房は言うのだ、「あなたはいつも自分のことの話になる。最後は自慢話になる、きいてらんねえ!」
「ぞっとするもの」とは、「20年」前以上に文学で学んだ潜在(構造)的な「いじめ(天皇制)」問題が、ここでもあすこでも、稚拙に見えてきてしまっている、この親しみ深いわかりやすさの直面から、逃げられないのではないか、ということだ。
*山崎行太郎氏がブログでしめす状況認識、大勢把握と私の上意見も同じになるだろう。ちなみに、私の弟は、日大・文理学部の運動部特待生で、同級生に、ゴルフの丸山茂樹やシンクロの小谷美香子とかがいたそうだ。中学部活の軟式テニスでそのまま授業料免除という制度で入学していったのだが、それと同額を結局は部活費に貢がせられている。その分野では、日本一が当たり前だったようだが、弟のとき、日本2位になってしまった、するとOBが部室に乗り込んできて、集団リンチ、弟も内臓破裂で入院している。今でもその原因不明な後遺症は残っているようだ。
2018年5月23日水曜日
2018年5月7日月曜日
「動いている庭」と風景
「十一面観音立像 元禄五年(一六八二)七月に性海が建立。舟型光背に半肉彫り。右手に錫杖、左手に華瓶を持つ。銘文に「浅間本地 出生大坂性海建之」とあり、この像が富士浅間信仰の本地仏として富士信仰により造られたことがわかる。昭和二年頃まで現在の山手通りと早稲田通りの交差点付近にあった浅間塚(富士塚)に関わるものと推定される。高さ一七二センチ。」(『ガイドブック 新宿区の文化財 石造編』新宿歴史博物館)
私の他に、むつかしいことを言う植木屋さんを発見した。庭師を自称しているようだが、研究者に近いだろう。
このブログで書いた映画時評『大和(カルフォルニア)』の宮崎監督の特集が、池袋のシネマ・ロサで催されると言うのでその映画館のWEBを閲覧していると、もうじき『動いている庭』というフランスの庭師のドキュメンタリー映画をそこでやるという。その映画の紹介者、京都の方で大学講師をしているという山内朋樹氏の論文「宇宙の持続と身体の論理――「共感の美学」としてのベルクソニスム」が面白い。
一般論的には、フランスを中心としたヨーロッパの庭は幾何学的な整形庭園といわれているが、それが実はヨーロッパでも貴族階級中心の特別な庭園であって、そうではない庶民的な庭が別にあるのだ、という知識というか教養・情報については、20年前に書いたエセーでも私は言及していた。なので、具体的にはそのヨーロッパ庶民の庭がどんなものか知らなくとも、「動いている庭」で紹介されるような庭師がでてくるだろうような文脈には、驚かない。というか、日本の植木屋からしてみたら、庭が動いている、とは、ある意味前提的な自明条件だろう。植木職人の手入れ自体が、自然生成の生け捕りのやり口、偶然の馴化である。このフランスの庭師が、日本の庭から「自然に直面した人間としての私」を見出すのも、比較文化的には、了解しやすいことだ。
が、木が成長し、ハチが飛び、自然が動く――この当たり前な現象がどんな事態であるかを了解してみようとすることは、難しいことなのだ。山内氏は、この洋の東西を超えて現象しているであろう当たり前なことを、ベルクソンを通して解きほどこうとしているのだ。氏が注目している庭とが、「閉じられた」、「囲われた庭」ではなく「動いている庭」であるとは、それが庭というよりは「風景」に近いもの、より自然に近いランドスケープに近接していると言えるだろう。が、「風景」とはなんであろうか? つまりは、それこそ、この自明的な「風景」、「開かれた」<地平>こそが問題なのである。
清水真木氏が、『新・風景論』(筑摩選書)で、ベルクソンにも言及しながらむしろフッサールの「生活世界」を下敷きに素描しようとしたのもその問題だ。私たちは、日常的には、風景など見ていない、というか意識していない、が、その見ていない無数のものたちにおいてこそ、立ち現れて来る「風景」がある。文学史的に著名な例では、ラスコーリニコフのネヴァのパノラマのような光景だろう。いわば実存的な風景のみが、「風景」になりうるのだ。逆に、柄谷行人氏が近代文学に指摘する「風景の発見」とは、その陰画だ。国木田独歩が記憶として思い出したのがその当時意識していた知人ではなくその背景にあった宿屋の主人だった、というイロニカルな転倒。私は夢について指摘したブログで、政治・思想的な意味を排すれば、そんなことは人間にとっては日常的なよくある当たり前なことだ、と夢分析した。実存的な「風景」が生成するには、意識せず見えていない無数の諸風景が前提とされるのである。
しかし私の理解では、清水氏の「風景」理解は、早すぎる理解である。見えないものたちから「ぬっ」と風景が現れるとは、どういうことなのか? その「ぬっ」を、もう少し詳細に把握しようとベルクソンを使ったのが、山内氏である。ピクチャレスクなイギリス風景式庭園のような囲われた庭ではなく、このまさにの自然の風景に立ち現れてくる私に固有な風景の出来を芸術体験というなら、その芸術体験とは実際にはどんな出来事なのか?山内氏が示すベルグソンの「共感の美学」を、私はとりあえずより自然科学的に、諸風景のリズム(持続)の「同期」として理解した。山内氏がジル・クレマンというフランスの庭師の庭に見たものとは、そこにある風景を成立させている様々な木々、草、昆虫たちの、あまたのリズムであり、それらと共感(同期)してみせることで自然を野放図にはでなくクレマン固有な風景=庭として創作されている現場なのだろう。
しかし、山内氏も、清水氏も、その試みは、あくまで諸構造への理解である。むろん私の夢分析も、早すぎる理解をまずもっては除けて、もっとよく見てみようとする構造の、一般的な把握の努めである。がそれでも、柄谷氏が、諸構造(無意識)をこそみようとする立場をイロニーとして指弾してみせるとき、つまりはあくまで、意識的な、意志的な態度にこそ重きを置くとき、握持しているのはイデーの、理念の領域だろう。美学ではなく、倫理的な位相である。清水氏は、なんでその風景が「私自身」に風景として在るのか「理由がよくわからぬまま」であるという。が、わからぬとも、それが私自身を取らえているという感覚、諸持続と共感(同期)しているという根拠なき確信、つまりは感動の強度が、言いかえれば、それに対する信仰の問題を、忘れてはならない、と私は私自身を戒める。
が、それは、早く理解してはいけないのだ。
私の他に、むつかしいことを言う植木屋さんを発見した。庭師を自称しているようだが、研究者に近いだろう。
このブログで書いた映画時評『大和(カルフォルニア)』の宮崎監督の特集が、池袋のシネマ・ロサで催されると言うのでその映画館のWEBを閲覧していると、もうじき『動いている庭』というフランスの庭師のドキュメンタリー映画をそこでやるという。その映画の紹介者、京都の方で大学講師をしているという山内朋樹氏の論文「宇宙の持続と身体の論理――「共感の美学」としてのベルクソニスム」が面白い。
一般論的には、フランスを中心としたヨーロッパの庭は幾何学的な整形庭園といわれているが、それが実はヨーロッパでも貴族階級中心の特別な庭園であって、そうではない庶民的な庭が別にあるのだ、という知識というか教養・情報については、20年前に書いたエセーでも私は言及していた。なので、具体的にはそのヨーロッパ庶民の庭がどんなものか知らなくとも、「動いている庭」で紹介されるような庭師がでてくるだろうような文脈には、驚かない。というか、日本の植木屋からしてみたら、庭が動いている、とは、ある意味前提的な自明条件だろう。植木職人の手入れ自体が、自然生成の生け捕りのやり口、偶然の馴化である。このフランスの庭師が、日本の庭から「自然に直面した人間としての私」を見出すのも、比較文化的には、了解しやすいことだ。
が、木が成長し、ハチが飛び、自然が動く――この当たり前な現象がどんな事態であるかを了解してみようとすることは、難しいことなのだ。山内氏は、この洋の東西を超えて現象しているであろう当たり前なことを、ベルクソンを通して解きほどこうとしているのだ。氏が注目している庭とが、「閉じられた」、「囲われた庭」ではなく「動いている庭」であるとは、それが庭というよりは「風景」に近いもの、より自然に近いランドスケープに近接していると言えるだろう。が、「風景」とはなんであろうか? つまりは、それこそ、この自明的な「風景」、「開かれた」<地平>こそが問題なのである。
清水真木氏が、『新・風景論』(筑摩選書)で、ベルクソンにも言及しながらむしろフッサールの「生活世界」を下敷きに素描しようとしたのもその問題だ。私たちは、日常的には、風景など見ていない、というか意識していない、が、その見ていない無数のものたちにおいてこそ、立ち現れて来る「風景」がある。文学史的に著名な例では、ラスコーリニコフのネヴァのパノラマのような光景だろう。いわば実存的な風景のみが、「風景」になりうるのだ。逆に、柄谷行人氏が近代文学に指摘する「風景の発見」とは、その陰画だ。国木田独歩が記憶として思い出したのがその当時意識していた知人ではなくその背景にあった宿屋の主人だった、というイロニカルな転倒。私は夢について指摘したブログで、政治・思想的な意味を排すれば、そんなことは人間にとっては日常的なよくある当たり前なことだ、と夢分析した。実存的な「風景」が生成するには、意識せず見えていない無数の諸風景が前提とされるのである。
しかし私の理解では、清水氏の「風景」理解は、早すぎる理解である。見えないものたちから「ぬっ」と風景が現れるとは、どういうことなのか? その「ぬっ」を、もう少し詳細に把握しようとベルクソンを使ったのが、山内氏である。ピクチャレスクなイギリス風景式庭園のような囲われた庭ではなく、このまさにの自然の風景に立ち現れてくる私に固有な風景の出来を芸術体験というなら、その芸術体験とは実際にはどんな出来事なのか?山内氏が示すベルグソンの「共感の美学」を、私はとりあえずより自然科学的に、諸風景のリズム(持続)の「同期」として理解した。山内氏がジル・クレマンというフランスの庭師の庭に見たものとは、そこにある風景を成立させている様々な木々、草、昆虫たちの、あまたのリズムであり、それらと共感(同期)してみせることで自然を野放図にはでなくクレマン固有な風景=庭として創作されている現場なのだろう。
しかし、山内氏も、清水氏も、その試みは、あくまで諸構造への理解である。むろん私の夢分析も、早すぎる理解をまずもっては除けて、もっとよく見てみようとする構造の、一般的な把握の努めである。がそれでも、柄谷氏が、諸構造(無意識)をこそみようとする立場をイロニーとして指弾してみせるとき、つまりはあくまで、意識的な、意志的な態度にこそ重きを置くとき、握持しているのはイデーの、理念の領域だろう。美学ではなく、倫理的な位相である。清水氏は、なんでその風景が「私自身」に風景として在るのか「理由がよくわからぬまま」であるという。が、わからぬとも、それが私自身を取らえているという感覚、諸持続と共感(同期)しているという根拠なき確信、つまりは感動の強度が、言いかえれば、それに対する信仰の問題を、忘れてはならない、と私は私自身を戒める。
が、それは、早く理解してはいけないのだ。
登録:
投稿 (Atom)