2021年12月26日日曜日

量子論と現象学


 量子論と、<単独―普遍>をめぐる柄谷行人著の『探究』誌上での関連について、少しまえブログで指摘した。

その『探究』は、外部(他者)へ向けての内省的な遡行を突き詰めた先での、行き詰まり破綻からの「転回」として実行された、と説明された。現象学的な追求としてではなく、論理的な前提として他者は導入されなくてはならない、となった。

 

が、量子論をめぐる識者の文章を読んでいくと、柄谷が直面していたアポリアが、いわゆるアインシュタインやボーアとの間で議論された、「観測問題」といわれるものと重なってくることに気づかされた。波(無)であった状態が、観ることによって物質(有)となるという原子以下で気づかされた現象の謎。そこを突き詰めるに貢献したアインシュタインは、その不可思議さにとどまり、「ならば月は、見ていないときは存在していないというのか?」と、謎をそのままにして実用化されていった産業科学的なあり方に抵抗した。のちに、月は見ていない時には存在しない、のミクロ現象は、問題なのではなく現実、科学的事実なのだとアスペの実験などによって実証されてしまった。その実証に後押しされるように、謎は棚上げされたまま、いまは量子コンピューターの開発が競われているようなものだろう。

 

そうした現代において加速していくような科学の在り方、とくに、量子論の水準において異議を提出した者に、廣松渉氏がいたわけだ。廣松氏のその異議の視点は、日常的に物をみる有り様にだって、同様な謎が思考しえる、というものだった。

 <円筒型は見え姿の無限集合であるといっても、そして、それの形成に際しては過去の体験に俟つとしても、一つの見え姿以外は「可能態」(デュナミス)ないし「潜勢態」(ポテンティア)としての見え姿にとどまる。それらはしかじかの視点から現に見られることにおいて「現実態」(エネルゲイヤ)に転化するが、円筒型が円筒型たるかぎり、それはさしあたり可能的、潜勢的な(未在的に既在的な)見え姿の無限集合ないしそのアルゴリズムである。…(略)…

 量子力学的次元での観測対象についても、これと全く同様な論理構成になっている。観測理論のプロブレマティックを劃したとも称されうるあの確率波的解釈をボルンが持出したとき、どのような論理構成になっているか? ボルンは電子という対象が、或るときには粒子的な見え姿(量子的作用)で、また或るときには波動的な見え姿(回析や干渉)で“見える”ということ、このいわゆる粒子性と波動性とを統一的に捉えるべく、波動函数を確率波的に解釈してみせたわけであって、このかぎりでは、それはあの円筒型の場合と同様、しかじかの条件のもとではしかじかの「見え姿」を呈するところの或るものetwas Identischesにほかならないわけである。>

<観測に際して直接的現相を対象化的に措定する者、量子力学的次元を意識していえば、波動函数を定式化する者は、いかに具身の個人であるとはいえ、単なる一私人ではない。“学問的知性の一代表”ともいうべき者、謂うなれば認識論的主観を具現する者として彼が認証されているかぎりで、彼の観測が「観測」として通用geltenするのだということ、このことはもはや駄目押しするまでもあるまい。――単なる一私人が、所与の「見え姿」から対象を措定したり、波動方程式を立てたりしたのであれば、それがいかに能知・所知的な被媒介的形象であるにせよ、「対象」としての認証に値しえないであろう。しかるに、観測に基いた対象措定が間主観的な認証性をもつところから、それが第二次観測に先立っては「可能態的存在」にとどまろうとも、これには対象的存在性が認められうるのである。>……引用中の傍点部分は省略(『事的世界観への前哨』 廣松渉著 筑摩書房 2007年発行)

 

現在では、田口茂氏の『現象学という思考 <自明なもの>の知へ』(筑摩選書2014年発行)が、この日常的な自明的な有り様にこそ、量子論的現実が潜んでいることを、フッサールの読解において提示している(他にも、郡司ペギオ幸夫著『時間の正体』講談社、もそうかもしれない)。ここからみると、柄谷氏の「転回」が、早まった錯誤のようにみえてくる。田口氏の読解上では、柄谷はフッサールの「超越論的主観性」めぐる微妙な物言いをとらえきれなかった、ということになるのだろう。いわば、柄谷の『内省と遡行』のなかに、『探究』が挿入できるのだ。

 <「変様」とは、現象学が扱う基本現象の一つであり、随所に起こる特徴的な構造をもった現象である。「現在」は絶えず「過去」へと流れ去るが、そこで現在は過去と決定的に異なると同時に、「過去もかつては現在であった」という意味では、今ある現在と並列されうる。そこにあるのは流れる変様現象であり、現在は流れのなかでしかつかむことができない。「つかもう」とする眼差しをつねに逃れ続ける現在が、それでも他の現在と並列され、「つかみうる」ものとなる現象が、変様の現象である。

さらに「現在」は、空想変様によって空想的可能性とも並列可能になる。これはきわめて身近な変様であって、われわれの日常的経験においてもつねに起こっている。そのなかでわれわれは、他の可能性とまったく並べられていない比類のない純粋な現在をそれとして「つかむ」ことはほとんどできない。ここでも、「つかもう」とする眼差しを逃れる現在が、他のものと並列可能になることによって「つかみうる」ものとなる現象が見てとれる。

ここで、類型的予科が機能しない不意打ち的な場面に遭遇した自我を思い起こそう。そこで自我は、類型から引き剝がされ、「原事実」的現在に放り込まれる。それは私のコントロールが利かない状況である。だがそこで、自我は瞬時に過去・現在・未来・空想を駆けめぐるモードに入る。動かせない現在を、変様によって「つかみうる」ものに変え、私の自由によって扱いうるものに変質させるのである。おそらくこの場面が、自我の基本性格を示す原型的場面である。個であり普遍であるような自我のあり方は、ここに根差している。

それはまた、反省的思考の起源でもある。危機における自我のあり方を、「平時」において自由に発動できるようになったのが反省である。そこで自我は、遺憾なく自らの本領を発揮する。だがそこでは「変様」によって、比類のない原事実的現在は、いつもすでに手の届かないものとなっている。反省的思考のなかでは、過去・現在・未来・空想を「駆けめぐる」自我のモードが支配的になっているからである。このモードゆえに、自我は一切を自らの視点から見渡していると誤認する。原事実的現在に巻き込まれて生きる経験のモードは、そこでは忘却されている。

この状態から私を再び原事実的現在へと引き戻してくれるのが、「他者」である。現象学は、この現実的他者の呼びかけと同様に、思考を反省の手前へと呼び戻さなければならない。現象学的コミュニケーションは、そのための媒介となるのである。>(『現象学という思考 <自明なもの>の知へ』 田口茂著 筑摩選書)

 

柄谷のいう「他者」、用例として後付けされた坂口安吾の「突き放される」体験とが、現象学でいう「原事実」ということになろう。

 

が、<自明なもの>の謎の有り様が解明されたからといって、それが、実践的に「コントロール」されてくるわけではない。むしろそのアポリアの不可避性、解決困難さがクローズアップされてくるのである。柄谷に「転回」を強いた病が、快癒されたわけではないのだ。

 

現今の科学は、この「コントロールの利かない状況」を、アポリアを認識しているのだろうか? 原発もなお稼働しつづけたままなのは、コントロールできる、できている、と思っているからなのか? できなくても使わざるを得ない、と思っているからなのか?

 

棚上げされた問題が、実験室のなかではなく、この世界で、日常的に現実化されてくるのを目の当たりに観測できるまで、私たちは<進撃の科学>でやっていこうというのか?

2021年12月12日日曜日

交換とジェンダー(1)

 


文芸誌『群像』10月号の「創刊75周年記念号」にて書かれた柄谷行人のエセー「霊と反復」が、物議を呼んでいるというような話を知って、図書館から借りて読んでみた。

私自身は、このエセー自体から、特別な感想を抱かなった。「交換」を「霊」と言い換えてみる曖昧さのほうが気になって、すぐには腑には落ちてこなかったからだ。

が、すぐ次に、蓮見重彦の「大江健三郎『水死』論」があったのでそれも読んでみて、その「曖昧さ」がはっきりしてきたので、ブログにメモしておくことにした。

 

蓮見が、この「創刊記念号」にて、自身の文章が柄谷のそれと並べて掲載されることを知って、敢えて、『水死』を選んで大江論をのせようと思ったのかは知らない。しかし私には、この大江論は、最近までの柄谷の思想への、そしてそれが伴うかもしれない社会的な動きへの批判として提出されたもののように思えたのである。

 

蓮見がこの大江論で言いたい論点は、一見マッチョにみえる大江文学を作品内部から批判・脱構築させていくような、女たちの視点の喚起である。大江とおぼしき主人公は、実父の思想態度にうかがわれるかもしれない、「昭和(明治)の精神」を継承していくかにみえる。が、その夏目漱石経由の作家の思想などは、「男たちの「幻想」」にすぎないとみる「女たちの優位」の「重要さ」を蓮見は指摘してみせているのだ。「それが『水死』の作者たる大江健三郎自身にふさわしい読み方だと断言するのはさしひかえておく」と留保されながら。

 

柄谷の「交換(霊)」論は、この「明治(昭和)の精神」が言い換えられてやってきたものである。柄谷は、交換Dという理念系の在り方を、柳田がとらえた山人の「遊動」的な在り方とだぶらせる。では、なぜ「遊動」がいい価値なのか? それは、「誇り高い」からであり、抽象的な物言いでは、それは「高次元」とされるのだ。そこには、「明治の精神」に殉じた漱石の「こころ」の先生を評価した柄谷の漱石論が伏在している。(参照ブログ<柄谷行人著世界史実験読む>)しかし、蓮見が読む大江の『水死』論では、そんな男たちの「精神」を茶化すような、「犬の縫いぐるみさながらに、「『メイスケさんの生れ替り』の御霊の縫いぐるみを飛び回らせる……」女たちの芝居がピックアップされる。

 

つまり、交換Dの国家(定住)に抵抗する誇り高き「精神」を「高次元(霊)」とみなす思想など、男たちの「幻想」にすぎない、と蓮見は言っているわけであろう。

 

この蓮見の批判的視点を、私は共有している。

 

が、それは、だから男が悪く、女性に「優位」があると措定してみているのではない。そこに、検討の余地がある、と私が見ているということだ。

 

たとえば、柄谷は、交換を四つの形態で抽出する。本当に、それしかないのか? もっと、いろいろな交換がないのか? そう単純化して、いいのか? 柄谷が参照しもしたエマニュエル・トッドは、その四つに構造化させる定義を、「ピタゴラス的幻想」であり、「デカルト主義の呪術的宇宙」への退行だと、自己批判的に学術方を修正した(ブログ<トッド家族システム起源ノート1))。

 

要は、柄谷の四象限、幾何学的構図は、男性的とも呼べるだろう、ということだ。

 

が、演繹法から帰納法的な学術態度に変更したトッドのやり方とは、いわば交換(家族形態)にはたしかおおざっぱに20種類ぐらいあって、その組み合わせヴァリエーションで対象を理解しようとするものになるだろう。つまり、基本の四つの家族形態で構図化できても、それは、ベクトルの図になる。基本要素の組み合わせ割合によって、濃艶や強度の変化がでてきて、四象限のどれかに在るか、ではなく、具体的にどの点にあるのか、が示唆されるのだ。交換ABCD、のどれか、ではなく、それらの要素の組み合わせバリエーションによって、縦軸A3と横軸D1の交点、として交換の強度が指示される。

 

『群像』でのエセー「霊と反復」では、柄谷は、「四つの交換様式ABCDのどれが主要か、それらがどのように組み合わさっているかによって違ってくる」という言い方をしているが、このような言い方でその交換様式を示してみせたのは、柄谷では、はじめてではないだろうか? もちろん、柄谷の理論からではなく、そこから常識的に推論して、私は、要するには組み合わせになってしまうのだろう、と推論してもいたわけだが。以前の交換はなくならず、とか、国家と資本が結託する、という物言いから、四象限の図を安定的にではなく、ベクトル的な動的な図としてみることもできるのだろうと。

 

となれば、蓮見の批判は、あくまで男性と女性の差異(区別)に依拠しているということで、批判としては弱いものになってくる。性差が、区別ではなく、組み合わせ割合であり、グラデーションの濃艶であったら、どうなるのか? という理解前提になっていることになるからだ。実際、最近のLGBTの現実の露呈が示しているのは、染色体レベルでは明確に区別される男女差の根底に、RNAレベルでなのか、多様な遺伝要素の組み合わせが様々な性的傾向を現象させているのではないか、ということではないだろうか?

 

ジェンダーとは、セックス(男女)という生物学的な性差を超えた、社会・文化的な獲得形質を肯定していく思想、ということだったはずだが、性の多様さは、実は生物学的な、身体的な現実であって、その自然の多様さを、実は男と女という文化的・社会的な区別が抑圧してきた、という逆転の真実を、現今の科学が露呈させてきている、のではないだろうか?

 

だとしたら、「贈与」という一つ言葉で要約されるその交換にも、実は、多様性がはらまれているのではないか、ということになる。まずそこには、おおまかな傾向割合としての、男女差があったりするかもしれない。――「男の贈与が建前に縛られた、いわば<硬い贈与>であったとすれば、女の贈与は――これもけっして本音を語っているわけではないが――はるかに融通のきく<軟らかい贈与>であった。」(桜井英治著『贈与の歴史学』中公新書)硬い⇔軟らかい、の様々な度合いが発生する交換実践……そういう理解前提から問われてくるのは、「誇り高い」「高次元」を想定する発想の是非であり、それが本当だというなら、その担保とは、根拠とは何か、ということである。個人的な趣味で、というのは、思考約束事上、とりあえずどけて考えてみなければならない。またそれを示せないならば、そんなのは男たちの「幻想」であり、「観念的な力(霊)」などとは男たちの「形而上学」にすぎない、とそれを「犬の縫いぐるみ」のように放り投げる女たちからの批判に答えることにならない。

 

しかしまた一方で、ならば、色々あるよ、グラデーションだよ、レインボーだよ、という態度は、実際には、どんな実践になり、どんな意味方向を持ってくるというのだろう?

 

私は、わからないので、両方を、考えているわけだ。

 

最後にヒントとして、私が考えさせられている私のブログに、リンクをはっておくことにしよう(<切腹いいね!>)。また、もともと以上の問題点への想起は、2週間まえぐらいの朝日新聞での女性学者の未成年への性的暴力に関するエセーからあったものだったのだが、柄谷・蓮見のエセーを読んだので、これは「交換とジェンダー(1)」として先に書き、女性学者のエセーからの思考は、(2)として、時間できたら、例題として、追記してみようかと思っている。

2021年12月8日水曜日

コロナ現状


急激に感染者なり重症者なりが減少し、ほぼゼロ状態といってもいい状況がつづいている日本のコロナ情勢。といっても、ワクチン接種がすすんで底をうったようになる減少から一月ほどあと、これまでにないぐらいの急激な感染増加率を示したきたのが欧米の現状らしいので、政府も第六波に次はなるのだという想定のもとに準備をしている、ということなのだろう。そして三回目のワクチン接種を早めたいと。私には、ワクチンをみなで打ってしまったから急拡大みたくなったとしかおもえないのだが、それはひとまず置いておこう。

 

とにかく、日本でのこの静けさはなぜだ? という話になる。

 

で、生活クラブの会合での、おばさんたちの話でそうなったのか、それは、マスクのおかげだ、とわが女房が言い張るのだった。

 

そんなことはありえないだろう、と私が反論してもゆずらない。日本人はマスクをちゃんとしているから感染が予防されているのだと。ほんとうにマスクで世界的パンデミックがおさまるなら、医学もなんにもいらないだろうに。私には、世界大戦に竹やりで戦えていると思い込んでいた、終戦間際の日本民衆みたく見えてしまう。

 

とりあえずこの件で、説得力あるとおもえたニュースは、まずは東大ミレーション報告、それと、日本でのデルタ酵素変化があったとする研究報告。

 

しかしそれでも、群馬でいきなりクラスター発生です、とかなるのだから、単に検査体制が不備だったり、オリンピックで対応出遅れ、重症になるべく遺伝免疫の人はすでにみな感染してしまったから、という話なのかもしれない。もともと東アジアではリスクが少ないわけなのに、日本では相対的に死亡者が多く、ゆえに「コロナ敗戦」とも呼称されてもいるわけだから、この今の静けさは、敗戦の焼野原ということなのだとか?

 

だとしたら、これが荒野であることを、私たちは気づいていない、ということになる。いま、ガウンにひざ掛けしてパソコンのキーボードを打っているが、冬の雨景色をみせる部屋の窓も、その技術の様は、もう先進国でもなんでもない、断熱効果もへったくれもない掘っ立て小屋の技術水準のままである、ということも、最近スマホニュース知った。建築分野でも、世界基準からは却下されてしまうあり様になっていようとは。

 

外が見えなくなり、竹やりで世界大戦に対応できるとおもっている、ということだろう。 

2021年11月22日月曜日

テロの予感とプラットフォーム

 


アメリカ経由の祭りハロウィンの当日、ハリウッド映画『ジョーカー』をなぞって、渋谷での喧騒をのぞいたあとでの24歳の若者による京王線内での犯行は、犯罪心理学者の専門家等から、精神異常者のものではなく、単に世間の注目を集めたいだけの私的な犯行になろう、と評価されているようだ。BBCニュースでは、いまでも日本は安全です、となる。

 

しかし他国の大都市に比べ、日本の日常での安全がつづくのは、それだけ、普段の抑圧が強いだけでなく、それに気づけないほど隠蔽されているからだろう。私が子どもの頃の時代劇のセリフで、「てめえら人間じゃあねえ、たたき斬ってやる!」と、突然正義の浪人だかが暴れはじめるのがあった。つまりは、そうになるまで、「じっと我慢の子であった」(という定番ナレーションのはいる時代劇もおもいだすが…)、大人しくしていた、ということだ。真珠湾の奇襲攻撃も、そんな、もう我慢ならねえ、という正義感の爆発でもあろう。普段は、内にストレスを溜め込まされていく体制であるが、それが一気に噴出して体制への反抗となってあらわれるのである。

 

しかも、この若者も、すぐあとに続いた60過ぎの男の便乗のような犯行も、死刑になりたかったから人を殺そうとした、とか言っているようだ。ということは、外への加害というより、内への自殺衝動が変形されての爆発となっている。時代劇よりも、日本的な内向性鬱屈がひどくなっている、と言えるのではないか?

 

私はこの事件から、オウムによるテロのような事件発生の予感を感じた、と以前ブログで書いた。日本の場合、宗教や思想信条に結びついていくような常態的な関連が人々の間で希薄だから、テロ、というより、暴動、というあり方に近くなっていくのかもしれないが、そう予感した下地には、そのブログで言及したコロナ・ワクチン体制のほかに、皇族の娘の結婚をめぐるメディア状況というものがあったろう。天皇家が、天皇制(同調圧力)に抑圧されるまでになっている。若い二人は、アメリカへと亡命したわけだろう。私は、近い将来、天皇(家)から自殺者がでるのではないかとも、心配してしまう。

 

さらに、このまだ文学が生きていたころなら天皇制と通称されていた「同調圧力」なるものは、SNS等のネット環境が世界中を同期させている現今では、日本だけに固有の問題とも言えないのではないか、いや逆に、この環境が、日本の天皇制的な体制を補強してゆくようなツールとして機能していったがためにこそ、鬱屈が加速され噴出のタイムリミットにも近づかせているのではないか、とも思えるのである。

 

そう考えを思いめぐらせていたところに、大塚英志氏の1989年出版『物語消費論』の現代版へのアップデートだという『シン・モノガタリ・ショウヒ・ロン 歴史・陰謀・労働・疎外』なる新書を手にした。この考察は、説得力がある。このブログでの文脈で言い換えれば、プラットフォームが「同調圧力」(無償労働による意識されない疎外)を産み出している、ということになろう。だからテロとは、実はそこにおいて、それをめがけてなされているのだ、と分析される。そういう意味では、なお治験中であるワクチンの接種も、ボランティア労働による圧力になり、いま権力やマスメディアが抑圧・隠蔽にやっきになっているのも、それが「陰謀」だという言論なようだから、その抵抗の目指している先に、やはりなにか核心的なものがあって、そこに触れている、虎の尾を踏んでしまっている、ということへの無意識的な「否認」の仕草なのだろう。日本の文脈で言い換えるなら、天皇制とがプラットフォーム(ほぼ皆が関心いいね!をもたされてしまう、そう無償労働で搾取されてしまう…)なのだから、そこに抵触している、ということになる。

 

大塚氏の指摘は、トランプ現象は小説家集団Qによって文学テクニックで仕掛けられものだとするものからはじまって多岐にわたるのだが、ここでは、このブログでも言及してきたような問題領域に重なる部分の引用にとどめておこう。

 

<つまり、高度消費社会に於いて、そこで私たちがただ「生きる」こと自体が「労働」であり、私たちは無自覚に「搾取」されている、という「問題」の所在とそのような「制度」への「名付け」として、ルーサー・ブリセットがあったことが改めて確認できる。プラットフォームによるビッグデータの収集というビジネスの成立した現在、ようやく、あのサッカー選手の名を偽装した「オープンポップスター」の正体を私たちは知ることができるのである。ブリセットは搾取される私たちであり、だからブリセットは「たくさんいる」ことが必要だった。/しかし、今やブリセットの名は、忘れさられている。だから、ブリセットが「プラットフォーム」の比喩だとしても、例えば私たちは自分がTwitter社に「労働」を搾取されている「たくさんのブリセット」とは思わない。/だから、渡邊博史や青葉真司の「事件」で立論されるべきは、彼らはプラットフォーム的なものが体現した新しい社会のアイコンとしての人気作品の関係者を脅迫し、アニメ社会に火を放ったという犯行の枠組みである。渡邊の事件、青葉の事件の双方に共通するのは、既に述べたように、これが新しい社会システムへのテロリズムだという側面がある点だ。>

<それは例えば、Uberの配達員がいくら働いても個人事業主としての充足を得られなかった時に表出するかもしれない「怒り」とも似ている。それは「隷属」を「参加」と言いくるめることができたことで生じる破綻である。ファンと作者、個人事業主と企業を「同じ」と言い繕いつつ、そこには歴然として越えられない「階級」がある。しかし労働者はファンや個人事業主として「名付け」されているので「階級」としての「名」はない。/しかしこのような透明化された「階級制」への抗議が、政治活動やましてやテロリズムとして行動化されるのは、極めて例外的である。せいぜいがプラットフォームの「乗り換え」で済まされる。渡邊が『黒子のバスケ』に拘泥せず、アイドルグループの名を挙げてそのファン活動にとどまるという選択肢があったことを「後悔」しているのは、そういう意味である。>(「物語隷属論」『シン・モノガタリ・ショウヒ・ロン 歴史・陰謀・労働・疎外』大塚英志著 星海社)

 

2021年11月9日火曜日

映画『MINAMATA』を観る

 


久しぶりの祝日がきて、女房と映画『MINAMATA』をみにいく。

当初は、この映画はカメラマンのロマンス伝記みたいな気がして、今月末公開とかいう原一男の『水俣曼荼羅』はみにいくだろうからと、観賞予定はなかったのだが、天気もいいし、と。ただ、女房を誘うのはためらわれた。彼女は、水俣病をおこした会社チッソの重役の娘だったからだ。なんとなく行くかときくと、「行きたい」と強く答えてくる。そこで、吉祥寺の映画館へとでかけた。

 

最終日を一日前に控えた祭日だったからか、結構お客さんがはいっていた。やはり、年増な人たちがおおい、という印象だ。映画自体は、やはりというか、洗練されたエクゾチズム、芸者や金魚といった露骨すぎるオリエンタリズムを経験したあとでの、ある趣味階層へのマーケティング結果、という気がしてくる。いま上映中の『ONODA』にも、そうした外国人の異国趣味な視点を、薄められた普遍的問題で模糊してみせる、みたいな傾向になっているのではないか、だからそれらがなんでこの時期にそろったのかな、というほうに、私は考えさせられてしまう。映画のドラマが終わって、たしかチェルノブイリ原発災害からはじまって、世界で引き起こされた公害の告知映像が続いていったのだが、フクシマの災害まで挿入されていたのか、記憶は不確かだ。なかったような。ただその世界的企業による公害映像をみせられながら、私はどうしても、いま世界中の人が接種している新型ワクチンのことを連想しないわけにはいかなかった。いつから、人々は、とくに東電の原発災害の記憶がなおなまなましいはずの日本の民衆が、こんなにも素直に、産業科学の安全妥当性の広報を信頼してしまうようになったのだろう? 私が個人文脈で勉学した意見では、原子力から遺伝子そして量子コンピューターへと連なる現在の先端的技術は、アインシュタインのいう観測問題として露呈されてきた、生命体にはコントロール不能の境域が関わっている。DNAのらせん構造といっても、それは可視光線的な枠での人為的区切りにすぎない。陽子一粒の水素結合で構造が支えられているとは、他の不可視な系との(ワープ的な)繋がりが全的にあるのだろう。放射性物質の内部被爆のように、その水準で改変操作された人工物質が、身体内の全的な系の調和を乱し、体に変調を引き起こさないように願うばかりだ。

 

そしておそらく、そうした産業科学にたずさわっている多くの技術者は、意図的な悪意で陰謀的に仕事をしているわけではないだろう。善意で邁進したがゆえに、その結果に直面したとき、精神分析でいう「否認」の態度に陥るのだろう。

 

映画観賞後の喫茶店で、女房と会話してみる。…(東北帝大の理学系出身の)父は、(会社を創業した)野口に憧れてチッソを選んだ。野口は、水力発電などで名をはせた技術者だった。ほとんどのエリートは、東京から出たくないので、熊本になど行かないのだ。とくに、お嬢様を嫁にむかえた夫は、まずいかない。私の母もお嬢様だったが、子どもにお母さまなどと呼ばせたりする世間は嫌だったし、子どものころ満州から引き上げてきた経験をもつ父も(飢えと紙一重だったと、私は父の弟、まるで兄にたかりにゆく漱石作品の自由人として生きてきたような人からきいている)、東京が好きでなかった。中学のころから熊本市の寮にいかされていたので、事件のことは知らなかった。悪いなどとおもったことはない。東京本社は、熊本の工場などつぶれてもいいとおもっていた(というような話を、父から耳にしたのだろうか?)。たいがいは熊本に来ても、単身赴任の出向で、帰っていく。高校の途中で、会社をやめ、千葉に引っ越してきたのだ。(おそらく、一仕事終えたので、系列の会社へ移動したのだろうとおもう。生前に、少し事件をめぐって話したことがあるが、自分たちが仕出かしてしまったことに、反省というより、心底おそれおののいているような印象だった。「銀行にいって、会社つぶれるぞ、いいのか、と脅してたんだ」とも言っていた。私と女房との縁が、社会運動組織にあったと知っていたからか、「環境問題に興味があるのなら、知り合いがやっているから、紹介するぞ」とも言っていた。「あれは、ほんとうに悪いことなんだ」とつけ加えながら。)

 

数か月まえから、我が家は、「生活クラブでんき」にはいっている。女房は、山梨県まで、その太陽光発電所を見学にもいったのだそうだ。「山梨で作った電気がこの中野区まで来るっていうの?」と私がきくと、「そうよ。説明きかされたけど、ぜんぜんわからなかった」と、返事がくる。ありえない、と私は考える。原理的にいって、つまり量子論的にいって、電子の同一性というのはない(不明な)のだから、わかりえるのは、ここまでの電線経路での他の様々な発電所からくる電流の量合算から、この借家で使う分量での割合が仮説的に推測できるだけだろう。生活クラブのホームページにはそこまでの説明はないが、明細書には、生活クラブでんきとか呼ばれるものと他電気を比較的に並べた%の割合がのっているらしい。が、原発や火力発電が減少しないなら、電気の全体量が増えてそれらの割合が減るだけで、やはり、国策的なものが変更にならないかぎり、クリーンエネルギーとかいう政治パフォーマンス広報にしかならないのではないか?

 

つまり、太陽光発電といっても、東電が仕切る送電線への参加の許認可をめぐるとかいった、国策を前提とした政治的配分の問題が想定される。とおもっていたら、元公明党議員による、クリーン発電を企業している会社からの収賄だか補助金詐欺だかの事件がでてきた。衆院選の結果あとのこの事件の提示に、自民党と公明党、さらには維新との政治駆け引きがあるのではないかとも勘繰らせるが、いいことをめぐっても、色々なグレーゾーンがあるのだろう。

 

こういうことを付記したのは、女房の実家であった千葉の空き家へと引きこもろうと考えているさい、電気の自給もできないかと太陽光発電のことなど調べはじめたからなのだが、昨年の台風でその近辺、一週間の停電になったのだが、民家の屋根上のパネルも吹き飛んでいたらしい。台風が巨大化していくのも、善意な産業科学のおかげなのだろうか?

※たくさんの著名人が称えているなかで、私に近い感想のブログあったので、リンク。

https://yuuhikairou.blog.ss-blog.jp/2021-09-25

2021年11月3日水曜日

選挙結果と放火事件

 


予想通りな衆院選挙結果となった。とりあえず、選挙へ行くような国民の半数の内の多くが、成り行き任せな共同体の自壊をなお選んでいる、ということなのであろう。私としては、主体的に既得権益勢力をぶっこわすと言明しているN党にでも投票しておこうかというところが当初だったが、たぶん今回で消えてなくなり、野党勢力も苦戦するだろうからと、リベラル派定番どおりに、小選挙区が立憲民主、比例で共産、というところに落ち着いた。野党が政権をとったほうが、なおさら何も決められない「未完のファシズム」となって、自壊がはっきりしていくだろうなと。維新の会の急激な躍進が以外だったが、これは「未完」としてではなく、もっと強力なリーダーシップを発揮した列記としたファシズムたれ、という反動的な民意の反映なのだろう。それが自壊を加速させるだけとは気づいていない人々の、無意識的な思い、かなえられない願い、みたいなものなのだろうか?

 

そんな選挙よりも、私が気になったのは、その開票中に起きた京王線での放火事件のほうだ。おそらくこちらの方は、選挙には行かない、ある若い世代たちの民意を反映しているのではないか、と。映画「ジョーカー」を模倣したという。それと渋谷のハロウィン騒ぎの件について、二年前だかにこのブログでも言及したことがあるが、おそらく、オウムのテロ事件に似た、もっと大きな暴動が日本で起きることになるだろう、と私は予測している。

 

私の推測では、この日本の若い世代たちのストレスを産み出しているものは、コロナ騒ぎでの用語を使えば、「同調圧力」ということになる。マスクにしろ、ワクチンにしろ、言論の戦いとして意識化される世間がない。もうそうしろとの暗黙の決定しかなく、他の意見ははじめから異端においやられている風潮だ。スマホの普及した子どもたち、若者たちの間では、この世間にあわせないといけないという、世間体、友達の間での見栄、外見のつじつま合わせみたいのが、相当な圧力として存在しているようだ。私の息子が自衛隊などを受験するのも、その狭い世間下に追いやられて、という風にみえる。戦争の悲惨さなど、戦後のリベラル派の教育が説いてきた論理をもちだしても、聞く耳が持てない。大人がそんなこといっても、世界は違うではないか、と見えるというより、圧力がかかるのだ。黒沢清は、映画「東京ソナタ」で、バブルはじけて失業したサラリーマンの大学生の息子が、大人がなに言ったって、結局はビラくばりのような仕事しかないじゃないか、とその虚しさと鬱屈から、アメリカの海兵隊に入隊しイラクへ派遣されていく家族のエピソードを挿入している。その映画では、失業を恥ずかしくて家族に言えないサラリーマンが、見栄を捨てて清掃業についていくことで、人間としての本当の姿を回復していく希望を垣間見せるように終わっていくのだが、私の場合、はじめから、清掃業のような仕事なのだった。だから、そんな落ちはない。

 

どころか、先月まで、三代目若社長の仕事手伝いで街路樹作業をやっていたが、とうとう、遺伝子スイッチというか、本能的な判断が生起した。その仕事が終わり、親方との寺の手入れ作業にもどったとき、一服時のコーヒーを飲みながら、話を切り出す。「私はもう、三代目の仕事はやりません。仕事がないときは、なくていい。空き家になっている千葉の実家に行く予定をたてますので、来年からは、そのつもりで段取りをつくってください。」――自意識的な思いめぐらしというより、サッカー元日本代表監督の岡田氏の言葉でいえば「遺伝子スイッチ」がはいる、主体的にではなく、受態的に、決然と私が追いやられる、という感じ。身の危険を本能的に感じた、とも言える。ここから逃げるぞ、場所を変えるぞ、という強迫観念だ。最近のこのブログでの言及用語でいえば、「中動態」的な決断、とも言えるかもしれない。

 

街路樹作業の手伝いには、就職も決まった大学四年生がいれかわりバイトに呼ばれてきた。一流大ではないだろうが、あまりコロナとか関係なく、観光業以外は、職はあるような話をしていた。が、自分たちがいくのが、ほぼブラックなんではないかと、自覚的になっている。宅建の勉強して不動産業にゆくものは、もうその実態に気づいている。しかし、行くしかないではないか? 戦争、それが悲惨で悪だとは知っている、しかし、行くしかないではないか……おそらく、若者たちは、その八方ふさがりなような世界を感じて生きているのだ。

 

理屈など通じない。自ら、身を以って、その壁を壊してやると進んでいくだけだ。

2021年10月1日金曜日

<単独ー普遍>――量子論と中動態論から


 このブログで、量子論をめぐる試行錯誤的なメモをだいぶ積み重ねてきた。もともと、その関連の書籍を読み始めたのは、河中郁男中上論における「観点」という概念が、量子力学からきているのかな、と推察し、その方面に全く不案内だったので、確認してみようということだった。が、読んでいるうちに、現今の科学、社会的領域にまで、いろいろ考えさせられてきた。とくには、若い頃、人間の基礎学を、柄谷行人経由で学んできたものには、その量子論をめぐる問題は、柄谷氏の『探究Ⅰ・Ⅱ』で宙づりにされたままであった、哲学的な課題を想起させてきた。今回のメモは、そこでの、単独と普遍との関係をめぐる考察へのメモである。

 上のような私の連想が、そう突拍子なものではないことは、他の人の記述からも確認できる。

 <柄谷自身も述べているように、もちろん「固有名を確定記述に置き換えると可能世界で背理が生じるということは、固有名がすでに可能世界をはらむ現実性にかかわるということは、固有名がすでに可能世界をはらむ現実性にかかわるということを意味する」以上、あらゆる固有名の存立構造(を支えている現実世界の枠組み)は、可能世界を経由することで遡行的に成り立っているとも言えよう。しかし、そのような固有名の単独性をめぐる形而上学思弁とは無関係に、この現実世界の唯一無二性は、柄谷の論旨とは別の角度からなお問い返すことができるように思われる。たとえば、赤間啓之は「彼(柄谷―引用者註)にはもともと固有名の「他ならぬこれ」を、歴史が実現されたもの以外ではありえなかったという単純明快な必然史観と結び付ける傾向がある」と述べており(『ラン・ウィズ・ア・《ベルクソン》――あるいは「可能的なもの」と「潜在的なもの」』(『現代思想』第二二巻一一号、一九九四・九)、固有名(=超越論的歴史)が基礎づけられる現実世界/可能世界の階梯秩序は、存在論的なレベルでのさらなる議論を誘発しうるはずである。言うまでもなく、これは『存在論的。郵便的――ジャック・デリダについて』(新曜社、一九九八・一○)以来の東自身による哲学構想とも密接に関わる問題系であり、…(略)>(加藤夢三「偶然性・平行世界・この私」『現代思想』二○二○二月号「量子コンピュータ」)

 より通俗的にいえば、柄谷が単独性を定義的に言い換えてきた「他ならぬこの」とは、量子論でいう、「波(他なるもの=潜在性・可能性・普遍構造)」と「物質(この=現実・単独性」との同時存在的関連性、と言えるのではないか、ということだ。この柄谷の物言いを、小林秀雄的に歴史の必然性として理解することは、その歴史観を柄谷が批判してきたのだから、間違いになろう。だから、この論点を把握するのに、「傾向」という用語を、上引用記述者らは導入しているわけだ。しかし、「傾向」とは、暗に批判してみせているだけで、その用語選択自体が、論点をずらして他の記述をしはじめる口実なのではないかと予感させる。むしろ、私には、かつて大澤真幸氏が、柄谷との対談で、その単独―普遍との関係づけが、唐突すぎてわからない、と発言していたときがあったとおもうが、そう不明と批判しておいたほうが誠実なのではないかとおもう。たしかに、論理的には、詰めがない、ということなのかな、と私自身、宙づりのまま数十年が過ぎていったわけだ。が、本能的には、唐突的に関連しているのではないか、単独者であることは、そのまま、普遍的ではないのか、という思いが抜けきらないのである。私は、東浩紀氏の論考を追ってきたわけではないのでよく知らないのだが、最近になって、とくには量子関連の書籍を読み進めるうちに、東の問題領域と重なってきているらしいことが知れてきた。一昨日買ってきた最近作の『ゲンロン12』でも、「訂正可能性の哲学」なる論を発表している。まだ読んでいないが、エマニュエル・トッドなどを挿入しているようである。私は、このブログでも、トッドをめぐって、またトッド柄谷世界史構造めぐる図解などを提示してきた。がおそらく、引用導入の意図は違うのではないかという気がする。東はたぶん、単独―普遍の関連において、家族というような媒介項、中間的なものを導入するための布石として、トッドを導いてきているのではないかな、と。だいぶ以前に、『クォンタム・ファミリーズ』を読んだが、やはり、私には、そこでの平行世界を重視していくような姿勢には、違和感を抱いたものである。「中動態」をめぐっての理解でも、私は東のものより、國分氏の方に近い気がする。

 で、その國分功一郎の中動態をめぐる著作から、この問題にかかわる箇所を抜粋してみる。

 <中世のスコラ哲学に「ハエッケイタス(haecceitas)」という概念があります。文字どおりには、「これ(haec)」であることを意味します。英語ではthis-nessと言うので、ここでは「<この>性」と翻訳したいと思いますが、個別具体的に特別な意味をもつものとして対象が現れてくるとき、その対象には<この>性があると言うんですね。言い換えれば、ほかならぬこの個体、取り替えがきかないこれとしてこの物やこの人を見るとき、そこには<この>性が見出されていると考えるわけです。…(略)…こう考えてくると、<この>性が固有名と結びついていることがわかります。固有名によって名指される個体には<この>性があるわけです。…(略)…

 ドナルド君(自閉症者――引用者註)はそのときの状況を正確に記憶しており、それを「あなたの靴を引っ張って」という言葉に対応させている。言い換えれば、ドナルド君はこの表現を使うたびにその具体的な状況をいわば追体験しているわけです。その具体的状況から言葉を引きはがさない。

 ドナルド君は経験した出来事のクオリアを別の言葉に還元することを拒絶していると言えます。言い換えれば、固有名として捉えられるべき出来事を確定記述に還元することを拒絶しているわけです。一語文が二語文、三語文より貧しいわけではありません。むしろ逆で、二語文、三語文を使えるようになるということは、目の前で起こった新しい出来事を手持ちの言葉の組み合わせに還元してしまうということです。つまり現実を抽象化し、一般化し、貧しいものにしている。

 それに対し、ドナルド君は出来事を経験したときの驚きと喜びを何度も追体験しているわけです。ドナルド君はすべての言葉を<この>性をもつものとして経験していると言ってもいいでしょう。言葉を一回きりの文脈から引きはがして貧しくすることがない。>

 果たして、ドナルド君は、自閉症者と診断される者たちの一「傾向」は、歴史的必然観として理解されえるものなのだろうか? ドストエフスキーの『白痴』におけるムイシュキンとは、このドナルド君のような存在だった。私は、その「傾向」を抽出してモデル化した作品として、鹿島田真希著作ゼロ王国を論じた。

 ところで、私の問いは、単独―普遍という回路が、本当に不明であり、論理的詰めを欠いているもの、なのだろうか、というものだった。言い換えれば、それらが、直接的な関係であることはありえないのか、早とちりな思い込みにしかならないのか、というものだった。が、量子論関連の書を読み進めているうちに、そうでもない論理が、数学上にあるらしいことが示唆されている、ということを知った。このブログは、そのメモが本意である。

 <ここまで、量子確率論あるいは非可換確率論のような量子論の数学的構造が、量子現象のみならず、人間レベルの現象のモデル化においても役立つことを述べてきた。繰り返しになるが、ここでは決して人間レベルの現象の核心が量子現象に還元できるといった強い主張をしたいのではないし、もちろん「電子も人間と同じように自由を感じている」といった擬人観的な主張をしたいわけではない。むしろ、量子レベルの現象と人間レベルの現象が異なっていることを踏まえた上で、その間の「本質的な同じさ」の核心を捉えようとしているのである。なぜなら、量子現象も人間現象も同じ「現実」の出来事であり、そうである以上、その双方を記述できる普遍的な仕方があるはずだからである。(でなければわれわれは古い物心二元論を暗黙のうちに前提し続けることになるだろう。)

 その核心とは、数学的には量子確率論あるいは非可換確率論によってはじめてモデル化できるような、「あらかじめ選択肢の集合や重みが与えられている」という仮定では成り立たないタイプの非決定性、すなわち「不定元としての現実」ということである。われわれが常に、そして時々刻々と新しく直面し続けるこの現実は、量子場のレベルから人間のレベルに至るまで、「問いがなければ答えがない」という構造=出来事に貫かれているということである。たしかに決定論的モデルは、現実のある側面を理解する上で役立つ。しかし、それはきわめて限定的な状況に限られるのであり、一般的には確率論的なモデルによらなければならない。それどころか、通常の確率論をも超えた「量子確率論」や「非可換確率論」すら必要になることがあり、しかもそれは何も原子以下のレベルにおける特例ですらないのである。>(『<現実>とは何か 数学・哲学から始まる世界像の転換』 西郷甲矢人・田口茂著) 筑摩書房)

 そこから、私と他者、単独と普遍との関連で、何が言えるというのか?

 <倫理をめぐって「置き換え」ということを言うと、「置き換え不可能な個人、あるいは人格をおろそかにするのか?」という疑念や懸念があるかもしれない。たとえば「労働者が置き換え可能な歯車として扱われる」といった文脈では、「置き換え」ということがしばしばネガティブに語られるからである。

 しかし、ここで言う「置き換え」は、多数の項(将棋のコマや碁石のようなもの)を上空から眺めて、それらを互いに入れ替えるようなことではない。むしろ倫理において、私と他人を上空から眺める視点はない。完全に第三者的な神のような視点が確保されるなら、そこで行われるのはもはや倫理的な決断ではなく、計算・衡量による判断である。いまここでどうすべきかの決断を迫られるとき、倫理の問題が浮かび上がってくる。そこでは、ある意味では、置き換えのきかない仕方で私の自由な決断が要請されている。しかしその置き換えのきかなさは、恣意的な決定を意味しているのではない。私の自由な決断が要請されているからといって、私がなんでも勝手に決めてよいということではない。私はまさに、ある普遍的な「置き換え可能性」のなかへ自らを投げ入れるのである。そこでは、自由で個性的な決定そのものが、ある普遍的な置き換え可能性の創造でもある。「置き換え可能性」とは、この意味で「置き換え不可能性」、かけがえのなさそのものの「置き換え可能性」を意味しているのである。

 これはまさに、「私」という語についてわれわれが述べた構造とまったく同じである。「私の視点からしか一切を見ることはできない」という置き換え不可能性(個体性)そのものが置き換え可能であるということを理解することが、「私」という語を使えるようになるということであるだろう。レヴィナスが言うように、「私である」ということは「他人の身代わりである」ということである。「身代わり」とはsubstitutionのことであり、これは「置き換え」とも解釈できる。「私である」ということは、かけがえがないのであるが、このかけがえのないあり方そのものが、「他人のための身代わり」として置かれているのである。みずからが置き換え不可能であるということそれ自体の置き換え可能性を理解したとき、われわれは自己の存在の根本的な倫理性に気づくはずである。>(同上)

 この共著では、私と他者との回路を、「回転扉」という比喩で述べてもいる。それは、中間項の媒介の余地があるとするより、より直接的な関係に近いものであろう。数学での圏論からそう論理づけられてくるらしいのだが、私には、正確にはわからない。しかし想起するのは、柄谷は、中間団体の必要性を説きもした。東は、アニメや漫画などでの「世界系」とされる作品を批判するに、そこに家族や組織のような中間的な媒介がはしょられ描写されない非現実性をとりあげた。イエスは、「その者の敵は家の者となる」と言った。私の「傾向」における問いとしては、たぶん、こうなる。<単独(私)と普遍(他なるもの)との回転扉的な直接的な関係において、家(族)や組織(仲間)といった中間的なるものは、どのように関与することができるのか? その在り方と是非を、どのように私は、あるいは人は、判断したらよいのか?>……自衛隊員になる、といった息子に、私は、関与できるのか? どのようにしたらよいのか? ということである。

 おそらく、これらの問題系を、少なくも意識化してみようと、諌山創氏のコミック漫画『進撃の巨人』を、『喰う2』として、考察してみることになるだろう。この若い想像力によって描かれた世界系の作品は、これまでの乗り物系の系譜を踏まえながらも、明白に、「エヴァンゲリオン」で顕著になった大人たちの世界観を告発している。それは、量子論的な現実を踏まえることによってなされている。

2021年9月3日金曜日

小百合さんとの会話


 まあちゃんはいくつになったら年金をもらうの、と吉永小百合似の奥さん、ずっとひとり親方の主人について草取りや掃除をいっしょにやってきている小柄の、手伝いということなのに自分たちの仕事では生活できないから年中はいっている造園屋からは巨人のように大きな主人とあわせて大さん小さんと呼ばれている彼女がきいてきた。いつまで仕事やるかによるとおもうけどもらえたとしても光熱費にもたりない額だからなと答えると、そうぜんぜんたりない死ぬまで働かなくちゃならなねぇのかよってオッサンもぼやいてるのよ、と今はいっちゃんと他の庭の手入れにいかされている主人の話をだして、一間半の脚立の上の方で背は低いけれど古木の風格のある椎の木の手入れをしているその下で一面の地面を覆ったドクダミを鎌でひっかきながら、だからもう社員と同じなんだから社員にしてくれといっても年金よぶんに払うことになるのがいやでさせてくれなかったのこっちの仕事は日曜日にやってくれと言ってきながらねと顔を上向けて、まあちゃんは厚生年金にははいってないの? と声をあげてくる。親方の奥さんからは入るなら計算してあげるわよと若いとき言われたけど日雇いの稼ぎが減ってくのもなんだからはいらなかったよと答えると、あらもったいない国民年金だけじゃどうにもなんないけどもらえるときにもらっとかないともらえなくなったらいやだから六十すぎたらもう払わなくてもいいから楽だけどもらっておこうかオッサンと話してるのよ、と立ち上がり、緑色のプラスチック製の熊手で搔き集めた草をオレンジ色のプラスチック製の手箕で受けて、もう車はないのだろう駐車場のコンクリート土間においてあるナイロン製の枝葉専門の緑色の四角い袋のところまで行って詰めこんでまたもどってくる。上の方の整枝はおわってきたので一段脚立の足場を降りて、いっちゃんは植木屋さんになるまで中学卒業してからプレス工で十年以上働いていたから厚生年金8万くらいもらってるんですよとつけ加えると、あらいいじゃないと答えるので、だけど国民年金払ってなくて厚生年金があるのも知らないでいてお金のことはぜんぜん考えてなかったんですね飲むのに使わなければ家のローンだって払い終わるぐらいなんだけれどとしゃべりながら剪定鋏をいれ、これまで枝をきちんと抜いたかどうかもはっきりしない小透かしで仕上げられて密になった枝の重なりに野透かしの手加減をどれくらいにしようかと考え、帝王切開で700グラムのあかちゃんが産まれたというつい一昨日だったかきいたいっちゃんの次女の話を思い出し、お祝いにあげたのし袋にちゃんと2万円はいっていたかなと心配になる。いっちゃんの次女はたぶん駆け落ちみたいに茨城の田舎のほうへ嫁いでいったんだとおもうよいっちゃんのアパートは四畳半の2LDKだから長男が婿にいっても夫婦娘二人では寝るところもままならないだろうからと女房に話してみたとき、だけど帝王切開で700グラムというのは大変よたぶんその子は障害が残るかもしれないねだけど3万円は多いわよと言われたので、いっちゃんはたぶんお金に困っているとおもうんだよね1万じゃなければ3万になるんだろ奇数じゃないど駄目だとかと返答すると、いまはもう偶数でも関係なくなったのよという話に落ち着き、薄い墨汁液の筆ペンで書いていた住所と名前に20000と金額欄の四角い空白にいれて、カンマはどこにいれるのだかよくわからなくなってこのままでいいや0は四つでいんだよなと不安になったのだった。おめでとうございます、と、炎天下のアスファルトの地べたに座りこんでそれぞれの缶ジュースを飲んでいた午後三時の一服時、役所仕事の清掃局の敷地にあるヒマラヤ杉にのぼっていると下で低木を切っていたいっちゃんの受けたスマホの対応からもれ伝わってきた言葉から推論してきいてみるとそうだというので、小さんがすぐに応じたのだった。じゃあまなぶちゃんとおなじだね、と小さんは清掃局の裏の路地の向かい側の家の奥さんが差し入れてくれたオレンジの手作りシャーベットをプラスチックのスプーンですくって、産道を通らないから頭がまん丸になってくるのよと言って食べたのに、小さくてまん丸だとほんとにパンダの赤ちゃんみたいですねと上野動物園で産まれた双子パンダのニュース映像とだぶってつけ加えて言った言葉が、すでにのし袋に入れてあった3万円の中から1万円だけ抜いてあとはそのまま手をつけなかったよなと振り返ってみようとする脳裏によみがえる。手伝いにいっている造園屋の職人のまなぶちゃんの赤ちゃんの写真は脚立にのぼるまえにスマホの画面でみせてもらっていて、横浜ベイスターズのユニホームを赤ちゃんが着ていたのは、警察官になりたいといって今月その公務員試験を受ける予定でもある息子が急に横浜の大学を受けたいというのでなんでかなと考えてみたら夕食時いつものようにベイスターズの試合を生中継でみせられていたからもしかして野球がみたいからなんじゃないかと言った反応で小さんが開いてみせたのがベイスターズの公式ホームページのコマーシャルなのだった。まなぶちゃんの奥さんはサントリーの広告会社に勤めてるから広告に応募してみたら採用されたんだって可愛いわよね、と言い、このあいだサントリーの職域接種でお台場にいってモデルナ打ってきたら異物がはいってた番号のやつで、いっしょに受けたまなぶちゃんもえ~っとなったけどまだなんともないからだいじょうぶだろうって話しててと言いたしたので、注射針をワクチンの瓶に斜めに指すとゴムの破片がまざってそれは粒大きいからだいじょうぶって話になってるけどだいじょうぶなやつで二人も若い人が亡くなったらそっちのほうが問題なんじゃない? と答えたのに、そうだよねえ、と彼女は応じたのだった。

  脚立の上から、庭に面した一階の部屋の様子をちらとのぞいてみる。カーテンが大きく開いているので、一人暮らしの奥さんがもう覗いてくるようなことはないだろう。手入れにはいってしばらくして、部屋掃除を請け負う業者の男性が一人、軽ワゴン車で訪れてきていた。仕事まえの造園屋での打ち合わせでは、その家の奥さんは変わっていて、カーテンの端を少しだけ開いてこっそりとずっと作業を覗いているのだと説明があった。顔をあわせた挨拶では、はっきりとした口調で話す奥さんだった。椎の木の隣にある赤松の葉はほぼみな赤茶けていて、もう次期枯れてしまうだろうと思われた。人の背丈より少しだけ高い程度だとはいえ、古びた幹は地を這うようにしてから立ち上がり、鎌首をあげた蛇のようにもみえる。ところどころに、太い枝の切り口がみえた。この夏の暑さつづきのためというより、剪定に堪えてきた庭木としては寿命に近くなったのだろう。表門から玄関への通路を挟むようにして植えられた枝垂れ紅葉も、大きくはないが古びていた。私の母親もそうだが、家に取り残された年老いた奥さんが、木が大きくなったからもっと切ってくれ、と急に言い出すことがある。いつもと変わらないのに、なんでそう言い始めるのだろうと考えてみると、腰が曲がり、背が縮んだせいで、木が大きくみえてくるのではないかと思われた。そうして木は小さくなり、必要な枝葉をなくし、弱っていくのだ。

  古びた椎の木と松の木の間で、吉永小百合似の小さんが、鎌で草を刈る。

2021年8月18日水曜日

ワクチン接種をめぐる

 


ワクチン接種の模様が変わってきたようだ。

親戚関係的な身の回りでは早い時期にすでにすましていたが、最近は職場・仕事関係でも受けに行く人が多くなった。ゼネコンなどの現場に入っていると、打たざるをえなくなってくるそうである。営業づきあいでも、打ってなければ話し合い現場に参入しにくい、とかもあるようだ。

 私の勤め先でも、若社長や団塊世代職人さんが接種したのは知っているが、親方や奥さんのほうはどうか知らない。マスクをつけるのも普段意識していないから、私自身がなお接種していないことに、プレッシャーは感じない。そもそも、コロナは、話題にもならない。が、手伝いにいっている造園屋では、みな仕事まえの打ち合わせや、お客さんまえではマスクをつけるように言われるし、ワクチンもみな受けはじめ、一回目は終えている。ここでは、圧力はないが、気兼ねみたいのがでてくる。私は原則的に受ける気がない、とゆえに表明もしている。

 が家では、お昼のワイドショーばかりみている女房が、陽性者・重傷者が増加している状況が怖くなってきたのか、「なんであなたは受けないの?」と聞いてきた。「あなたがかかって世話するようになるのは私なんだからね。まわりに迷惑がかかるのよ」とか、「イツキがかかって帰ってきそうだわよね」とか言ってくる。手術後の以前までは、もう体をいじられるのが嫌な感じだったし、子どもには受けさせないほうがいい、という意見だったように伺えたが、変わってきたらしい。コロナにかかるかかからないか、ワクチン接種するかしないかは私にはどうでもいいので、つまりそんな健康だのなんだのはなんでもいいので、女房が怖がってパニックになるようなら、一緒に受けてみるか、という気にもなってきた。(持病ありでいい歳をしている女房は受けてもかまわないというか、受けたほうがいいのではとおもっているのだが、一人では受ける勇気がでない、ということなのだろう。)

 

が、ごく最近では、テレビでも、接種率の7割を超えているようなアメリカの州でも、「ブレークスルー感染」がでてきているだの、3回目が必須だのと騒がれてくるようになったので、また女房の判断はぶれてきているようだ。「ワクチン受けてなくて、かかって死んだり重症になるのはその本人だろ。受けてた人はそうならないというのなら、それでいいじゃないか。病気になって医者はじめ周りが世話するようになるのは当たり前だ。爺さんや障碍者たちにだって、人に迷惑をかけていいのです、それを気にしない世の中が素晴らしいと世間でも言われてきたじゃないか。木に登って落ちて死ぬのは植木屋本人だ、安全帯つけろヘルメットつけろと杓子定規にものをいって、いざそういう事件がおきたら安全対策を怠っていたからと金だそうとしない役人対処と同じだな。木から落ちたくて落ちるやつなんているわけないんだぜ。人間を信用しないことが前提になっている発想じゃないか」、というようなことを女房にいって、また屁理屈をいう、とか言われていたが、もうそう反旗を翻す気がお互いなくなってくるような感じだ。

 インドからのデルタ株だけでなく、ペルーからのラムダ株とかいうのも、日本女性が感染していたというのが羽田空港で検出されたというニュースもあった。デルタはまだインド=ヨーロッパ語族経由だが、ラムダは、マンモス追いかけてベーリング海峡から北米、南米へと降りていったモンゴル系のインディオたちの間で変異していったものかもしれない。ならば、東アジアではなぜか流行を抑えていた、ファクターXというのも、効かなくなる可能性もあるのかな、と思いながら、ころころ変わるニュースのバカらしさを超えて、なんだか面白くなってきたような自分を感じる。帰省もせず、ほぼこのお盆休みは東京の家にいて、こんなブログを書いているのだが、実験する勇気がわいてくるような。こっちにおいでよ、デルちゃん、ラムちゃん、俺の体をたたき台にして、お話してみないか?(このウィルスは女形なのだろう。)

      がこの下書きを書き終えたところで実家の兄から電話がき、母の認知症が高じたのか、隣家と雨どいの件で大喧嘩になっていると連絡がはいる。お盆休みまえも聞かされていたので、現場職人の私が見に行くことに。お昼にでかけ、原因を三つみつけて二点修復し、残り一点は隣家の方での手直しになるので、その現場写真とやり方を弟に教えて、夕方帰ってくる。入用至急だ。

 ※

私が、いまのコロナ状況とワクチン技術に抱いている疑問点の主要なものは、以下のことになるかもしれない。

 ①大阪大学関係の研究所の発見で、ワクチン設計にあたり標的としたコロナの突起部分の遺伝子情報でも、実際の生体との反応で、中和抗体という善玉の抗体だけでなく、ADE(抗体依存性増強現象…中和抗体がきれるとより感染悪化が発生しやすくなる、とされる。ノーベル賞受賞者の医学者も警告を発していたが、河野大臣は陰謀として否定している)を引き起こすような悪玉の抗体もが形成されていることを突き止めた件があったわけだが、これは、作成される善玉の方が多く悪玉の方が少ないから大丈夫という実用性をこえて、前提となっていた仮説が根本から崩されたことを意味しないのか?

 ②私は、日本ではなお感染状況がひどくなくても、世界ではひどいらしいままなのだから、医療体制を拡充する準備をしておくべきだと言ってきたが、そういう意見を述べるネット上のコメントなどで、そんなことはできないのはもうはっきりしているのだ、素人にやれるほど医療現場はやさしくはない、というものをだいぶ散見した。本当か? 手術するわけでもないのだから、医大生でも、ベテランをサポートしながらマニュアル技術を学んでいくことはできるだろう。交代でおこなう名簿や数人のチーム形成や、訓練の期間も、半年以上はあったことになる。他の国がコロナ専門の野戦病院のようなものを作れたのに、日本ではできません、というのは、国家の無能を表明していることになるのではないか? この点は、前回の日本サッカー界問題とも、通底してくるだろう。この決断を遂行していく主体の脆弱さの体制のことを、ジャーナリズム界では、「未完のファシズム」とも表現しているのかもしれない。以前は単に「天皇制」という用語が、広義で使用されていたわけだが。だからここに、前々回の「中動態」をめぐる議論が重なってくる。狭義の天皇制は変革しなくてはならないことが明白であっても、広義の天皇制には、掬い取らなくてはならない意義が、世界(主体)文脈上みえてきている、ということになるからだ。たとえば、近代法的に、昭和天皇が裁かれ、その首が敗戦後、飛んでいたとしよう。ならば、近代主体的には、もうその子には責任はない、と免罪されるだろう。が、人間にとって、それは本当であり、それですまされることなのだろうか? 自然現実では、すんでいない(「すみません」)のではないだろうか? ある意味、昭和天皇の首が飛ばず、「免責」されてしまったがゆえに、次なる平成・令和の天皇は、近代法を超えて、新しくどんな責任の取り方が自分たちにありうるのか「引責」し、模索してきたのではないかという印象もでるのだ(実際的には、昭和天皇の責任問題が曖昧なままにされてきただけなので、つまり責任のあるなしがあやふやなまま来たので、免責も引責もありえない中途半端状態が続いている、ということだろう)。狭義の天皇制からなら、そんな真面目な子どもたちだけではなく、ヘソだしダンス以上のとんでもない子息がでてきて、それが日本国民の象徴です、となりうるわけだから、変革は必要になる。が、それだけの思考範囲だと、人間の自然性を裏切った近代解決で終わりです、という話であり、世界の戦後の問題は、むしろそこからどうしたらいいのか、ということであったろう。たとえば、鳩山由紀夫元総理が主体的に動こうとしたら、すぐにもつぶされたという一件があった。八月革命で民主が主権をとったというなら、そんなことはありえない。実際には、天皇の首は落とされたのではなく、そこに首輪がつけられて手綱はアメリカ(連合国)が握っている、というのが、国連憲章でも記述された体制であったろう。これが日本国民の象徴的な姿なのだから、よく見ておけ、ということが、見せしめ的にも繰り返されてもきたわけだ。が、だからといって、首輪をつけられた象徴と戦って主権回復したぞ、とナショナリズムな文脈だけで遂行されれば、最近アフガンを奪還したタリバンみたくなる。いやタリバンには、イスラム教という、一国家をこえた大義文脈があるわけだ。だからそれと同様、世界的に開かれた文脈をもって、内政=内省的な問題もが解決されなければ、となる。その大義(文脈)のひとつが、主体を問う、ということであるだろう、ということだ。(そしてもう一つが、「世界資本下の労働」問題になろう、ということだ。)

 ③遺伝子操作ワクチン技術は、わからないことを、わかっていることに還元して考えていく思想の技術である。麻薬は、自分がわからなくなっていくことに肯定(快楽)していく思想であるとしたら、この技術の思想は、わからないことを否認して安心していこうという思想である。比喩的にいえば、わかることは、見えることは、X染色体とY染色体の組み合わせたる、男と女という二対である。わからない範囲も、そのどちらかに振り分けて理解していこうとする。が、RNAレベルで、性差にかかわる遺伝子は、おそらくそれなりの数であるであろうことが予想されるのではないだろうか? だとしたら、その組み合わせは、かなりの数で、二組どころではない。おそらく、LGDを自称する人々などは、それを身体内で感じているのであろう。まさに、レインボーの旗のように、性差はグラデーションみたくなる。ということが、ジャーナリズム世界でも明るみにでてきたということは、この遺伝子操作ワクチンが前提としているような技術水準の身体内世界が、人の現象としても現れるようになってきた、ということであろう。ならば、思想的に、いまのワクチン接種推奨の発想は、LGD問題に象徴されるような、未知なる多へと開かれた思想に、逆行していることになるのではないだろうか? それは、技術水準をこえて、イデオロギー対立をはらんだ階層間の対立でもあるのだろうか?

 

 女子医大に通う女房の話によると、病院の入り口に置かれた消毒液、手洗いをするもののところに、お子さんはつけないでください、というような案内が貼られるようになったらしい。消毒液をつけた手指を口にもっていって体内にとりいれたら、腸内細菌が減って回復せず、色々な病気にかかりやすくなることが指摘されてきたからだ。皮膚表面でも、自分を守ってくれる細菌や微生物も多いのだとか。以前なら、そんなことをいうと、陰暴論だ、と言われていたはずである。もしかして、そのうち、お子さんにはマスクをつけさせないでください、となるかもしれないが、これは、張り紙をつける箇所もない外での話になるから、無理ではあろう。が、育ち盛りの子が、マスクをつけて充分な酸素を脳みそに吸収させえないと、微妙な脳障害をおこすようになってくるというのは、本当の話なのではないかと思っている。

      <…ニューヨーク大学の微生物学教授で、ヒト・マイクロバイオーム研究の第一人者であるマーティン・J・ブレイザーは、『失われてゆく、我々の内なる細菌』(2015年)において、肥満、若年性糖尿病、喘息、花粉症、食物アレルギー、胃食道逆流症、がん、セリアック病、クローン病や潰瘍性大腸炎、自閉症、湿疹などの「現代の疫病」は、抗生物質の乱用や帝王切開、消毒液の使用などによって、免疫系や病気への抵抗性に重要な役割を果たしているマイクロバイオータ(常在細菌)が消失しつつあることと関係が深いと指摘する。>(小塩海平著『花粉症と人類』岩波新書)

 が、新型変異ウィルスが、本当に猛威をふるってきたら、マスクでもワクチンでも、実存的な選択を迫られる。マスクをつけて病気になりますか、つけないで病気になりますか、ワクチン打って病気になりますか、打たないで病気になりますか、というような。クマに崖までおいつめられて、崖から飛び降りるか、クマに向かって立ち向かうか、というような選択。どちらの選択をしても、もう碌なことはないという。接種後に死亡したとされる数は、さきほど厚生省のHPをのぞいたら、ファイザーとモデルナでの合計で、830人を超えるくらいであるらしい。韓国では、若い軍人が接種後になくなって、因果関係を政府が認めた。670人ぐらいが接種後死亡者数らしい。同じ人種でも、韓国の方が率が高いということは、韓国のデータの取得が正しいと予想し、その率で日本に当てはめれば、死亡者推定数は、もっと倍増するのかもしれない。が、いまのところは、接種してもたいしたことがない人が大半、接種しなくても無事な人が大半なわけである。いや、打っていたら重症化しなくなるんだ、という記事やニュースが、ちょっと前までだいぶあったのに、打った人の間で広がるブレークスルー感染やら、ビデオドットコムニュースでの神保さんも、打ったら重症化が防げるというのが医学的にもはっきりしておらず、ただ治療技術があがったのが理由なのかもしれないと言われてきている、と報告している。

 ころころ変わる世情につきあっていても、きりがないだろう。

 <そういうわけで、私の個人的な感懐としては、スギ花粉症は、日本という国が、私たち庶民やその周囲の環境を置き去りにして経済成長を追い求めたことに対する警告であると思われて仕方がない。荒唐無稽な思いつきに思われるかもしれないが、本書で縷々述べてきたように、花粉症という疾患は、単なる健康問題ではなく、現代人のわがままな振る舞いによって環境生態系との間にねじれが生じ、そのきしみやゆがみが私たちの身体反応に変化をもたらし、結果として花粉症という歴史的産物として表出したものと考えるほかない。したがって花粉症対策を講じるにあたっては、地球生態系との関係修復を視野に入れた人類史的なタイムスパンが必要となる。>(小塩海平著『花粉症と人類』 岩波新書)

      環境問題に関して付言すると、私は、CO2の削減のために環境を守ろうとなる科学には依拠しない。それならば、氷河に向かう地球のサイクルや、太陽の活動の周期など、もっと大きな系によって、地球の大気圏内温度が、人間の活動などものともせず、変化に影響をあたえるとするのも、やはり科学であるのだから、科学が、根拠になるとは思っていない。来年はその大きな系によって温度が下がったら、そらみろこっちが科学だ、という話の、やりあいにしかならないからである。私には、ただ、自分の記憶にある風景が凌辱されるのを見るのは心が痛む、その実存的な一点からの批判が基礎になる。中上健次は、ユンボで掘る土とスコップで掘った土は違う、といった。その発言の真意は、テクノロジー(道具)一般には還元できない、人間(自然)としての列記とした差異があるということだ。中上の路地の消滅と、アマゾンの森の消滅は、そうした心の痛みにおいて、人間やその内に棲息する常在細菌を含めた他の生態系らの保全と回復を要求してくるのだと思っている。

2021年8月17日火曜日

オリンピック、サッカー日本代表戦から


オリンピックでの、サッカー日本代表戦を振り返って、総括されていわれることに、監督の采配批判というものがある。試合後、大会後に、監督が批判されるのは、常套的な儀式みたいなものになろうから、それ自体は、なんでもない。

が、その批判が、同じ選手をずっと使っていたのでフィールド選手が疲れてしまっていたから、というのであったら、どうだろう? アホみたいな話であろう。が、そういう元プロ選手やサッカー評論家や外人記者からの指摘が、おそらく一番正しいのである。そしてこのことは、サッカーではなく、二次大戦中の日本軍のあり様を知っていれば、行き着く先がそこであり、そこを突き破れるのかどうか、という話になり、日本サッカー協会が気づいていない、あるいは気づいていてもそれ以上は変革のやる気がないのならば、世界で戦うなんていう大看板は、早くおろしたほうがいいだろう、ということになる。野球は日本とアメリカという島国でメインにおこなわれているローカルなものなので、問題が露呈しにくいが、世界中の人々との間での競技にさらされるサッカーでは、その国の文化や思考形態が、如実になってくるのであろう。

 

私の目にとまったものは、まず、イギリス人記者の話。

森保監督は失敗した

それから、サッカー評論家の杉山茂樹の解説。

・「U―24日本代表がメダルを逃した3つの理由。そのほとんどは指揮官の采配に由来した

 

この英国人記者の指摘は、そのまま少年サッカーチームでのあり様とも重なる。そのことを、私は、息子のチームのパパコーチになりながら、同時進行的に、このブログでも再三とりあげ考察してきた。一応、子どもへ教えるためのD級ライセンスなどの講義で、プレイヤーズ・ファーストだの、勝敗を超えた選手育成を理念として提出していながら、それでは世界では勝てないと、それは草の根のスポーツとして別個な活動枠にして、実際の大会に直接する、ホーム&アウェーのユニホームも用意できるクラブチームのエリート選手育成の徹底へと舵を切ったのだ。その結果どうなるか? 選手のテクニックはうまくなっていくだろう。が監督は? サッカーをはじめてやりにくる子どもたちの能力は多彩である。ひとりひとりが違う。その子たち全員を使って試合に勝て、というのが命題だったならば、監督はピッチ上のチーム力をキープしていくためにも、様々な組み合わせを試験し鍛え上げていかなくてはならない。が、はじめから、運動能力の高いような子、監督の指示に理解力のあるような子だけを相手にしていればいいのなら、頭の使い方も単線的になる。

 

本田圭佑は、オリンピック総括として、選手育成にではなく、指導育成に問題があることが露呈した、と指摘している。

「選手たちのレベルがあがっている一方で、課題に挙げたのは「指導者の力量」

 

おそらく本田選手の指導者に期待するものは私とは違うだろうが、今の日本のサッカーが突き当たっている壁が、そこにあるという指摘は同じであろう。そして本田が言うように、たとえば、ベンチに呼んだ選手を全て使って、リーグ戦からトーナメントへと試合を続けていくことが前提されたら、監督の戦術面での思考方もが変わってこざるをえない。が、これまでの、日本人代表監督のあり様はどうであったか? いつも同じうまいとされる選手がフルで出場しておわる部活動そのものだ。それしか考えられないのか? と、私は少年サッカーでも、他のコーチのことを思っていた。「昔の野球だってそうだったでしょ? なんでサッカーではそうしちゃだめなんです」と、問い詰められたこともある。その時は、そうだったっけかな? と考え込んだが、たしかに、中学時代、地元県では一番の優勝回数を誇る名門で、いまの高野連会長や、おそらく次期会長も出していくだろう中学校の部活ではそうだった。同学年部員が30名総数100名ぐらいの部員がいても、試合はおろか、練習でバッティングに参加してボールにさわれるのは、10名ぐらいだった。しかし小学生の育成時代、空き地や草っぱらでのボール遊びからはじまった少年野球チームに集まるパパコーチたちが、まず考えていたのは、道徳的なことだったろう。だから、野球はキャッチボールができないと、スリーアウトがとれず終わらない試合になってしまうので、誰もが途中交代とはいかないけれども、それでも、最終回には、ベンチにいた選手は代打で出されたものだ。そういう、みんなでやろうぜという雰囲気というか、教えがあった。うまくても、「天狗になるな」と妖怪話がだされたであろう。しかしそんな文化作法は、たしかにまだ少年野球では残っているが、学歴の高い親御さんの子どもたちが多いように見受けられるサッカー界では、なくなってきているというより、伝統にはならなかったのかもしれない。しかしそれでも、世界で戦えた選手は部活あがりであり、クラブチームがメインになっていた以降の若い選手たちは、テクニックこそ秀でているものの、部活出の先陣を超えていないどころか、下がってきているのではないだろうか? 68年オリンピックの釜本が一番すごくて、カズ・中田ときて本田ぐらいまで、あとは、個人という感じがしない。ビッグマウスとか、そんな話ではない。本田は下手くそなのに、決定的なところでは奇跡的な上手さをみせゴールを仕留めた。今回オリンピックでの、久保の右サイドから中央バイタルエリアへのドリブル侵入が何度もあったが、ごり押しで優雅さや説得力を感じさせず、無理しているがゆえの個人技、という評価にとどまっている。日本の指導体制が、本当に、選手を強化してきた、と言えるのか? さらに、代表の監督になっている者が、そこまできた選手を鍛えられる采配をしているのか? その采配の基礎になる、集団性を志向してきた昔において個人がで、個人を志向した現在において集団性(の体たらく)がでてきていることの認識のうちに、自分たちを変えていく思考の力量を広げていこうという気があるのか?

 

ブラジルから来た闘莉王も、疑問を呈している。

「なぜもっと早く…」闘莉王が“采配”を一刀両断

 

私は、区の少年サッカー連盟の理事にもなっていた。Jリーグ創設にもかかわったという80歳にはなるかという引退した重鎮がいて、ゴットファザー的な存在であり、サングラスをかけたらまさにそのものだが、もう胡散臭がられていた。理事会を仕切るのは、パパコーチあがりなのだろうが、国家官僚や民間でも大企業の人たちだ。だから、ボスは何かというと、「あの官僚どもが」「やり方が官僚だ」「官僚はだめだ」と口から出てくる。しかしスポンサー相手や複雑になった日程を組んでいくには、そうした事務能力がなければこなせない。もう鶴の一声ではすまされない。ボスと話しができるようになるのに数年かかると噂されていたが、現場あがりの私には親近感がわくのか、向こうから話かけてきたりした。

 

日本サッカー協会はどうだ? 早稲田派閥か? 少なくとも、日本人の代表監督は、岡田―西野―森保という早稲田出身者だ。というか、協会長もそうか? 東大サッカー部出身のパパコーチの話から類推すると、そこをサポートするように、東大人脈みたいのもあるのかもしれない。静岡出身の高卒の監督や、海外選手の経験もあるJリーグ監督もいるが、代表監督への道筋は開かれているのだろうか? なにか、つまらない閉鎖性があるような気がする。そういうものどもを改革して、次にいける覚悟があるか? 軍人つきあいで、先輩―後輩派閥で、人事も、本当の戦争の戦術も決まってしまった旧日本軍と、同じあり様になっているのではないだろうか? その結果、勝てる曲面を失い、若い者たちが無駄に死んでいった。疲れ果てて…。

 

しかし私は、このブログで、これまで少年サッカーを通して言ってきた以上のことを繰り返したいわけではない。

 

・ダンス&パンセ「世界システム論で読む少年サッカー界

 

私は、むしろ、オリンピックの決勝戦、スペイン対ブラジル戦での確認のほうがしたかった。まだ見ていない。しかし、確認というのは、日本の成れの果ては上のようだが、世界の成れの果ては…、という予感。ブラジルは、ヨーロッパの合理精神に管理された戦術サッカーを通り抜け、本来の創発的な、縦横無尽な自由奔放な集団同期なアートを、若いブラジル青年たちが描いてくれたろうか? ネイマールが出てきたとき、ブラジルはブラジルのサッカーを捨てようとしていたと言われた。4-2-2-2というおおざっぱな伝統的布陣から、4-2-3-1というような緻密な組織サッカーを導入することを迫られていた。その後、路地裏での子どもたちのサッカー環境もなくなっていき、少年の頃から青田買いがはじまり、まだブラジルらしいサッカーを体得するまえに、ヨーロッパの世界へと買われていく選手たちが多くなった、と指摘されてきた。その後、どうなっていったのだろうか? オリンピックでは優勝したみたいだが、その勝ち方というより、ピッチのあり様は、どうだったのだろうか?

 

大枠が変わっていないのだろうから、変わるわけもないが、変わりうる可能性が蠢いていないか、それを確認したかったのである。

 

とりあえず、世界での憂慮とは、次のようなものだ。

 

<サッカーは、それにかかわる権力者や受益者たちにとって、いまや莫大な利益をあげるためのビジネスであり搾取システムにほかならない。そしてそれが商品として成立する絶対条件は、自チームの勝利である。現代サッカーにおける勝利至上主義は、単純に言えばこの条件によって不動のものとなった。…(略)

 しかも選手たちは、経済原理の犠牲となっただけでなく、いまやテクノロジーの奴隷でもある。ブラジル大会からゴールラインテクノロジー(GLT)がワールドカップにも導入され、七台のハイスピードカメラがゴール周辺を撮影しながらボールの軌跡を電脳の鷹の目で捕捉しつづけた。この「ホーク・アイ」などとも呼ばれるテクノロジーが、もともとミサイル追尾システムの応用によって生まれたシステムであることを意識する人は少ないかもしれない。サッカーのデジタルな公正性といわれるものが、実は軍事技術を遂行するための軍事テクノロジーによって支えられているという事実を知ったとき、私たちはサッカーの判定の公正性がデジタル装置の導入によって保たれたといって真に喜ぶ事ができるだろうか?

 さらにいまや選手たちはスタッツ(統計)と呼ばれるデータの奴隷でもある。選手とボールの動きを捕捉する監視カメラと、スパイクに埋めこまれたデジタルセンサーと、身体機能を瞬時にモニターするデジタルブラジャーによって、選手たちのパフォーマンスは即時にデータ化され、数値化されて、戦術構築のための素材として管理されていく。即興と偶然性とノイズによって、思いがけない運動性と奇跡的なゴールの瞬間的顕現としてあるべきフチボルのリアリティが、合理的に勝利をめざす精緻なデジタルデータのアルゴリズム体系へと変貌させられているのが、いまのサッカーなのである。ドイツ・サッカーがいかに強かろうと、私は、このチームの背後に、人間の可塑性にみちた身体の自然編制への動きを感じることができない。そこにあるのは、徹底的に合理的に調教され、詳細なデータから組み立てられたアルゴリズムに則ってその戦術を忠実に行使する、デジタルアバターのようなプレーヤーたちの群像である。>(今福龍太著『サッカー批評原論 ブラジルのホモ・ルーデンス』 コトニ社>

 

しかし上は、サッカー選手だけの話ではないだろう。

私たちは、人工的に設計された遺伝子ワクチンを打つ。この体内に組み入れられていく自然まがいの薬品は、マラドーナが服用した、身体の未知の細部を未知なる全体性へと解放していく麻薬とは真逆なものだ。それは、人間にわかっている範囲での効用だけをみ、他の系と結びついた全体なるものへの目配りには目隠ししながら、ただ結果としてでてくる統計数値だけで、なおもわかったこととして処理しえると高をくくったような産物である。麻薬は、わからない世界へと開く。新型ワクチンは、わかっているとされる世界へと閉じようとする。

 

次回は、ワクチン接種の問題になるだろう。

2021年8月16日月曜日

息子の進路――資本下の労働


 近所で植木手入れをしていた昼休みに、家にもどって弁当を食べてから、食卓の下にもぐって昼寝していると、テレビをみていた女房が、「航空自衛隊ならまだ許せるんだよ」とつぶやく。ニュースかコマーシャルの何かに反応したのであろう。頭の上から落ちてきた言葉に、私は一瞬、緊張した。それは、陸軍はだめでも海軍はいい、といっていたような戦前の言葉みたいではないか。

 高3になる息子が、進路問題をひかえ、来月の公務員試験を受けるのは知っていた。警察官になりたいというのが、とりあえずの息子の意見であるらしい。3年生になった春先だったろうか、息子の部屋の勉強机の上に、警察官の募集要項やら公務員試験の問題集があるのに気づき、女房に問いただしてみたのだった。学校側が勧めているという。子どもの教育に私が口をだすと、狂ったようになるので、女房の病気を高じさせないために、関与しないというか、用心しながら気を張っていた。高校への進学の時には、教科書をびりびりに引き裂きながら、躍起になっていて、私は児童相談所に虐待の件で相談しようかと迷っている、息子は学校で異常がないかそちらの息子に尋ねてくれないか、とか、少年サッカーで一緒にパパコーチをしていた同級生の父親に、相談したりもしていたのである。私は、近所の誰でも入れる工業高校でもいいじゃないか、と口にしていたが、本人もそれはいやだという。どうにか大学への進学が期待される私立高校へともぐりこみ、女房はご機嫌だった。問題は解消されていくのか、繰り越されていくのか、そこを見極めていかなくてならないのだろう、とその時私は思ったものだった。

「自衛隊にも入るのか?」 寝言のように、片手枕で、私は女房にきいてみた。
「なんで大学へいくいのか曖昧な生徒には、片っ端からすすめているのよ。大学はいってももう就職できるともかぎらないと言ってるから、アメリカのあれと同じよ。息子の他にも、幾人かいるわ。おだてられるからその気になって、ほめられたことないから、うれしくなるんだわ」
 私は、少し間をおいてから、付け足した。
「…つまり、それが意味することは、ほめられたことがないから劣等感があった、ということだよね」
 女房は、私が言いたいことを察すると、躍起になって言い返してきた。
「だからほめろっていうの。あんたそうやって、自分の子どもだけをひいきしてきたから、こんなんになったんじゃない。」
「俺がサッカーの監督から最初に言われたことは、もし息子に手をだしたら、コーチにさせないからね、ということだったんだよ。パパコーチでも、教師の父親でも、自分の息子には厳しくなりすぎて、他の子どもとおなじようにあつかえない。だから、子どもがぐれたり暴力的になっていく。それを訓練していくのは大変なんだ。だけど俺がみたチームは、コーチから馬鹿にされてたへたくそな子でもゴールを決めてヒーローになり、弱くても強かったから、お母さん方もこのチームでならと喜んで、残ってくれたんでしょ。なのに、俺が抜けたら、またうまい子優先になって、子どもも母親もばかばかしくなってやめていった。」
「すぐまた自分の自慢話になる」
「事実の認識だよ」と呟いて、また寝ることにした。何度も繰り返してきたやり取りだ。女房もだまり、やがて立ち上がり、食卓をあとにしていった。女房も、実際には、中学までの自分のしてきたことを振り返って訂正してきていることを、私は気づいていた。たまに噴出するが、息子に丸くなっていた。が、もうその教育的な事柄に関し、息子は聞く耳をもたなかった。というか、だから、方針を変えて丸くなっていったのかもしれない。普通なら、ぐれていてもよさそうなものなのに、息子のメンタルはしぶとい。友人づきあいなどの件では、よく女房と会話をする。そんな振り分けは、私にはできないことだ。

 公務員試験勉強を教える無料塾から、息子が帰ってきた。食卓につき、買ってきたのだろう何かを食べ始めた。たぶん、昨日の昼食時に、そばは食いたくないカレーのナンがいいあるんだから食べろなら食べないと女房と口論になっていたから、近所のネパール人の店から、ナンとカレーを買ってきたのだろう。
 スマホのアラームが鳴り、私は食卓下から起き出した。
「試験は来月なのか?」
「そうだよ」と息子はナンを口にしながら答える。
「自衛隊を受けるのかい?」私は質問する。
「いやそこまでは考えてないよ」と息子は言う。
「うん。おまえの一番仲のいい○○君のお母さんは、中国人だよね。○○くんのお母さんは、敵かい? 違うだろう。よく考えてな。」
 私は地下足袋をはいて、仕事へと向かった。

 息子がおまわりさんになりたがっていると言うと、知り合いの職人さんや草野球仲間の大人たちも、「いや、それはいいじゃないか」、とうらやましがられる。自衛隊員を目指しているといっても、心配はするが、そこに価値判断は発生しないだろう。自分からそんな厳しい世界に飛び込んでいける稀な人材に、感心してしまうところがあるのだろう。私と女房が息子の抱く進路に違和感を抱くのは、私たちがブルジョワ出身だからである。

 しかしそこでも、女房と私はちがう。警察官なんて一生日陰者として生きるようになるんだよ、とか、自衛隊に入れば再就職がいいたってリクルートっていうんでしょ、リクルートなんて大した会社じゃないってことがわかってないのよ、陸上自衛隊ではなく航空隊なら……こうした発想には、ブルジョワの貴族趣味みたいなのが隠見している。そしてそんなプラクティカルな、世俗的な話で息子を説得しようとしても、通じない。高校の頃の私も、母から防衛大学は再就職がいいだのと聞かされていた記憶があるが、私には気色悪い話だった。一般的にいっても、年ごろの若者たちは、純粋に真面目に考えている。何を考えているのかはっきりしてなくとも、動機がまっすぐなものだ。だからこちらも、偽善にはならない、それでいて目安になる正しさをイメージできる言葉を提出しなくてはならない。暴力を独占している機関に、自分からすすんで入ることは、いいことではない。おそらく息子は、幼児をつれた母親との間に入ってパントマイムをして子どもを笑わせたり、私と女房との間に割って入って夫婦喧嘩を仲裁してきたように、警察官を夢見ているのだろう。

「あたしの妹の旦那の兄貴も、警察官になったんだよ。試験には受かったんだけど、研修が厳しくて、あわないって、つづけられなかった」とは、吉永小百合似の、ときおり手伝いにいっている造園屋にきているひとり親方の奥さんだ。本人も、旦那と一緒に仕事をしている。私が警察官になろうとする息子を心配するのも、その点だ。徹底的ないびりとしごきの研修。この夏の街路樹の剪定に手伝いにきていた就職探し中の学生によると、なお民間会社でも、そういうのが続いているらしい。たとえば、700人採用して、ふるいにかけ、残りが数十人とかに減っていく。だから、また大量採用できる。そんな軍隊様式みたいのが、民間でも公務でも、まかりとおっているのが日本の職場なのである。が、息子は、中学の部活でも、高校の部活でも、そうした体育会系の方式に従わず、顧問から目の敵にされてきた性格の者なのだ。「わがままだ」とは、中学顧問が、終わりの会で息子に手向けた言葉である。高校まで野球部を経て、少年サッカーで息子を教えてきた私には、その顧問の気持ちは推定できる。だから、警察組織にはいって、やられるんではないか、というのが、私の心配事になる。

「俺はやめないから」というのが、女房との口論のなかで、出てきた言葉でもあった。「俺が大学選んだって、どうせそんなへんな大学なんかだめだっていうんでしょ。俺はいい大学にいったって、警察官になるよ。小学生のときから、みんなにそう言っていたんだから」
 その時に、私は仲にはいって言ったような気がする。「仕事先を心配することはないよ。近所でも、結構ある」と私は、スマホをだして、塗装屋のHPをだしてみた。「小さくても、しっかりしているところはあるよ。(息子は植木屋よりかは、左官系の方が似合うようにみえていた。図画や絵心のある知り合いからも、絵のセンスが言いといわれたりしていた。)飲みはさせても、給料をださない親方もいるから注意がいるけど、職場にいってトラックの台数やきれいさをみれば、すぐにわかるよ」二人は、私のスマホをのぞきこんできただろう。

 しかし「土方系」(息子の使った言葉)は、学校でも紹介できるところがあるようなのだが、おそらくは友達とのみてくれから、気の進むものではないのだろう。私のように、一匹狼ではない。進学していく友達が、たくさんいる。野球がやってみたいというので、私の所属する草野球チームの練習試合に参加してみることになったとき、友達は何人呼べるのだ、ときくと、いくらでも呼べるという。息子がサッカー部をやめて、以後ぞろぞろと同級生がやめていったらしいから、そうした帰宅部になった高校生がたくさん仲間として残っているのだろう。進学を目指しているそういう子たちの間では、肉体労働は蔑視されているかもしれない。

※ 


「息子のことで、相談があるんです」とは、草野球仲間のひとり、親方の長女の旦那だ。野球がおわったあと、焼き鳥屋をやっているメンバーの店にいって、もちろんコロナだから店は閉めたままだが、仲間内だけで生ビールを飲んでいる。
「植木屋になるかどうか、迷っているんですよ」と切り出してくる。
 私は少々びっくりして、聞き返す。
「迷うって、他に選択肢があるの?」彼の息子、つまりは親方の孫は、農芸高の造園科にいっている。私の息子と同じ高校三年生だ。去年ぐらいから、街路樹などをやるとき、手伝いのバイトになっている。この梅雨時期にも、来た。迷う必要が、あるのか?
「いや、やろうとおもって、農芸高にいったんだとおもうんですよね。だけど…」と口をにごらせる。その曇った表情から、私にはわかった。その息子が中学を卒業するとき、そのまま植木職場にはいろうかどうかと、やはりこの焼き鳥屋で、たまたま出会った奥さんの方、つまりは親方の長女から話をもちかけられたときがあった。彼女の弟、つまりは今は社長としての肩書きを持っている親方の息子が、中卒でも立派にやっているように見えたからであろう。お金もかからなくてすむ。私は、植木屋はいつでもなれるんだから、高校にいって余裕をもたしたほうがいいとおもうよ、と言ったと思う。しかし、生活費を稼ぐために、トラックの運転のできる彼女自身が、父親や弟の現場にアルバイトとして働いてみて、おそらく、弟のところで息子を働かせていくことに不安が生じてきたのだ。「ああわたしも、あいつのところでなく、まあちゃん(私のこと)といっちゃん(団塊世代職人)の方で仕事したいな。オヤジに言ってみようかな」社長になった息子との関係で、職人が根付いていかないことに親方は怒り、実質的に会社を分けたのだ。サンダルでご家庭にいったり現場でオートバイを乗り回したりで仕事どころではない中卒あがりの彼を、私と年上の職人が暖かく見守ってきたから今があるということなど忘れて、忘れるどころか最近までは、見下していたであろう。が、私たちが若社長経由の会社に手伝いにいくと、その会社の年上社長たちが一目おくのに気付いて、「単なる職人(若社長の言葉)」でも偉い感じにはなるんだな、と意識が少し高まったのだ。ちょうど大塚家具での親子騒動があった頃で、おそらく酒の席などでその話題がでたりで、若社長も意識しはじめていることに私は気づいている。

「まあ、たしかに、親方と息子は違うよ。そうだな、おととしだか、NHKの大河ドラマで、真田丸とかやってたの知ってる? 有名になったのは息子の幸村だけど、偉いのは父ちゃんのほうなんだ。徳川と豊臣との最後の戦いで、真田が大阪城にはいったときいたとき、家康は、度肝をぬかれて、父親のほうか、息子のほうか、聞き返したというんだね。父親の方は、何を仕出かすか、手が読めないんだよ。親方は、洞察力あるから、長いものに巻かれながらも抵抗の仕方を知っている。それがなかったら、練馬の会社が談合ばれてつぶれたとき、一緒につぶれているよ。そういう会社は、たくさんあったんだからね。そういう意味では、息子のほうは純真だね。だから、そこが読めなくて、新宿の会社と共倒れになる可能性はあるよ。もう営業仕切ってるあすこだって、女の子の監督ばかり雇って経営力が落ちているのは明白だ。そのままおだてられて巻き込まれてもね。だけど、もう息子の考えでやっていくしかない。親方のほうの仕事は、もうお寺しかないようなものだからね。選択肢がないのは、わるいことではない。態度がはっきりして、いいことなんじゃない?」
 また、高校にもいっていない若社長は、官僚的なシステムで頭が固まっていない。その分、古典的なマッチョな親分にはまるのだろうが、人間味を失っていないぶん、変化していく可能性があり、遅々ではあるが、新しく認識を得ては変わっては来ていると私は感じてもいた。
 店にいた者たち、私より少し年長で、やはり年ごろの子どもたちをもつ店長や、私よりひとまわり年下の大工の一人親方などは、ふだん大人しい私が口にだす言葉が、酒飲みの話からすっ飛んでいくのは知っていた。が親方の長女の旦那とは、あまり話したことがなかった。彼の女房すなわち親方の長女は、彼女が女子高生の頃など、まるでアニメにでてくるような感じで、エヴァンゲリオンのキャラクタ―で言えば、容姿も性格もアスカに似ていた。

「ぜんぜん、職人の話す話じゃないんですね。いや、きいてよかった」と私よりひとまわり年下の、やさ男ふうの彼は言う。が私は一方で、去年彼の息子と同じく農芸高の夜学部を出たフィリピン人、私の息子と仲の良い友達のことを思った。すでに近所の神社の低木の手入れなどを好き勝手にやっていて、宮司からも可愛がられて、その社内に畑を作り、様々な野菜や果物などを栽培していた。卒業とともに、私の職場へ入れることも可能だったろうが、私は、ためらっていた。この地元意識の残る東京山の手の職人街は、身内とよそ者への区別が明確だった。若社長が自分の身内や町内会を通した若い衆をとりこもうとしているとき、フィリピン人の母を持つ彼は、浮いてしまって差別に会うのでは、と思えてくるのだ。幼少のころからそうだったのだから。卒業した今は、共産党系の元区議員の世話を受けながら、ファミレスでアルバイトをしていた。ぶらぶらできるのならば、違うチャンスを模索したほうがいい。コロナでなければ、例年春先に設けている、百円寿司での会食を、息子や女房とともにしているはずだった。

 親方の長女の旦那は、その後たぶん、息子とも進路をめぐって話したのだろう。祖父母の会社に遊びにきた息子が、事務所というか居間のデスクに座ってスマホをいじっているのに、仕事終わりの挨拶のときに出くわすことがあるが、目が、生き生きとしてきた。梅雨時の街路樹の手伝いを母と二人でやってきたときには、本人自身が何やら悩んでいるようにみえたのである。

 私の息子は、悩んでいるようにみえないが、やはり悩んでいるだろう。なんとか息子は警察官になるならば、「長いものに巻かれるのではなく、弱いもの、困った人を助けるおまわりさんになれよ」と、送りだすことだろう。研修でつぶれれば、だから言ったこっちゃないという態度が予測される女房を制して、受け入れる体制を用意していなくてはならないだろう。しかし先だっては、中国人を母に持つ中学時代からの仲のよい友達のところへいって、世界史のゲームをやってきて、家に帰るや「勉強するぞ!」と自室に入っていった。その仲の良い友達は、中学時代にすでにサッカー部をやめていたが、e-スポーツが得意で、三国志や何やかのゲームをやっているうちに世界史も相当できてしまうようになり、今はそれなりのクラスの大学進学を目指しているのだった。息子は、そんな仲間との間で、どんどん変わっていくのだろう。

 そして私が、私の方が悩むというか、模索することになるのは、当然である。ブルジョワから、労働者の庶民の世界へと入っていったのだから。私が、おそらく父親の職を継ぐように、学校の教師の道を選んでいたならば、今頃は地元で、それなりの実質権力をもった教育官僚になっていただろう。女房がなおブルジョワの夢をみているとしても、しかしそれは、私によって、私が従事してきた労働によるメンタリティーによって、崩されているのである。だから、家庭の価値が揺らいでいるのは致し方ない。女房は、なお実際にある親戚関係から、自分の幼少の頃に身につけた夢を追っているのかもしれない。今年のゴールデンウィークには、妹の息子、つまりは私たちの甥っ子の、コロナで一年のびた結婚式が紀尾井町のホテルであったが、式終了後に女たちが着物を着換えている待ち合いの間、やはり暇をもてあましていたような爺さんと、環境問題や山林の技術やら、日本の三代目問題やらを気さくに話すようになったが、後日聞かされると、その六十歳過ぎの男は、衆議院議員で、自民党政権がつづけば大臣になる可能性もあるようだった。新婦の母の兄だという。何も知らない私は、じゃあまたという感じで、まるで寅さんになってしまうように、後にしてきたのだった。その二世にあたる議員の近くには、学生上がりぐらいの青年がいた。彼の、息子だったろう。私のいる植木屋と、三代目にあたる甥っ子の会社が、うまくいけばいいですけどね、と言う私の発言を、神妙になって聞いていた。次第に私に近づいてきていた青年の顔には、迷いがあった。

 しかし、迷う必要もない、そこで悩む必要もないような、習俗的に頑としてあったような労働者の家庭の価値もが揺らいでいる。身体的な趣味判断もが揺らいでいるとは、これが自分は好きなのに駄目なの? とより本源的なところでズレてきているということである。インテリの自意識的な悩みよりかは深いところで、底辺の価値が揺らいでいるということなのだ。この底辺という意味は、下層ということだけではすまされない。ヒエラルキーの三角形を支えている、私たちの土台でもあるはずだからだ。

 資本下の労働は、肉体を使うということの蔑視という差別感情を、精神的な原始的蓄積として隠している。労働は、その本源的な搾取にのっかって、ホワイトカラーやブルーカラーという中間色でなだめられてきた。が、少数の勝ち組だけが明白化していくような資本主義の進行は、中間色を機械化やAI化によって払拭し、先端のエリートと末端の肉体労働者とを白日の下にさらけだした。子どもたちは、その資本の光をあびた、世間での価値をみる。末端で生活していたものは、まさに自分が末端でしかないことが、ばれてしまう。しかもそこには、そう簡単には変えられない、身体化された趣味判断、価値判断があるのである。おそらくこの光をあびつづけたら、彼彼女たちは、身を焦がしていくような自己破壊に陥るだろう。そこが破壊されるとは、三角形の山が崩れるということである。エリート層がそれを意図的にやっているととらえるなら、それがいま問題にもなる陰暴論ということになるのだろう。

 次回は、そうやって世界で進行する事態を、一つのモデルとして可視化してくれる、サッカーという競技をめぐって書いていこう。オリンピックでの日本戦を中心に、論じていくことになるのでは、とおもう。

2021年8月14日土曜日

アスリートの責任とは――中動態ということ


オリンピックがはじまり、テレビで選手たちが競技するのを目にするようになって、私は、なんだかすまないような感じになってきた。とくに、サッカーでの日本代表対南アフリカ戦まえ、コロナ陽性者がでて試合開催が危ぶまれるなかで、南アフリカ代表の監督が、「私たちはギロチン台にたたされているようなものだ」とインタビューに答えているのをきいて、とてもいたたまれない気持ちになってきた。実現した試合など、とても見る気になれなかった。

そこで私は、ちょうどフェイスブック上で、アフリカ系であろう、1905年生まれというウマールさんという方からの友達リクエストを承認したら、次々と、ナイジェリアとかイスラム教徒であろう方々からの申請がきて数十人のフェイスブック・フレンズが膨れ上がったところだったので、何かメッセージをださねば、という感じになってきた。

 そこで、以下の英文メッセージを、かつて住んでいた団地から東京の高層ビル群を撮った初日の出の写真とともに、だしてみた。

 Tokyo Zombiecs 2020 is open! I feel bad for athletes. They are fighting. ButWho with? What for? By whom?

 英語の単語やフレーズが、実際にどういう含蓄で伝わるのかがわからない私は、この「すまない」という感じを、どう英語で表現したらいいのかを考えあぐねた。スマホでだが色々例文などを調べて、どうもこの一番の慣用表現、I feel bad for…が近いのかな、という気がしたので、それを使うことにした。なんで考えあぐねたかというと、「すまない」と感じるのが「私」なのかどうか、判然と感じられてこないからである。そしてこの慣用表現を選んだのも、もしかして、確かに文法的には<I>という主語がはいっているけれども、それは慣用的な無意識に沈んでしまっていて、英語をネイティブで受け取る方々は、無定的な共同性で感受するのでは、と想像されてきたからである。

かつて文芸批評家の柄谷行人は、志賀直哉の私小説を翻訳するに、I feel とするのは正確ではなくて、It feels in me…とすべきなのだ、と話していたことがある。日本語でなら、主語なしで「感じた」と書きえるが、英文では難しい。早稲田大の文芸科の授業で、渡部直己が、フランス語でなら、なんとか表現できるようになるんだけどどうやって? という質問があって、仏文にいったらどうなんだとフランス語の先生からいわれてもいた私が返答しなくてはという感じになって、「On(人々)」とか答えたら、「正解でよかったね」と言われたことなども思い出す。

 この「すみません」という感じは、ベネディクト・アンダーソンが、日米戦にあたり、「菊と刀」で、日本人の特殊性のように分析してみせた問題であるが、戦後の哲学のなかで、それにとどまらない問題なのではないか、と指摘されてきたことである。ホロコーストで生き残ってしまった人が、悪いことなどしたわけでもないのに、理由もなく罪悪感に襲われる。歳をとってから、突然自殺してしまう人などもいるのだという。レヴィナスなどによって考察されてきた。そして逆に、この災害的な事態において発生してくる人々の無定の連帯的な有り様を、「災害ユートピア」として把握するソルニットなどがあらわれてきた。私は、そのように、推定というか、感じている。そしてつけ加えれば、最近ふと、なのだが、同世代が特攻などで死んでいった三島由紀夫も、生き残って「すみません(すんでいない、終わっていない)」という罪悪感におそわれて、そこに発生する連帯感に、「天皇」という言葉をあてはめようとしたのではないか、と思えてきた。だとしたら、私には、なんでそこで「天皇」なのかがわからない。同じ世代でも、日本人のことだけで、それに殺されていった他の国の人々のことまでもが念頭にあがらなかったのか、というのが、「災害ユートビア」的視点からの疑問になる。そして、戦場に出て、生き残ってしまって帰ってきた日本人は、「沈黙」した。私は、村上春樹がだした「父」をめぐるエセーを通じても、その問題にふれた。「沈黙」するのは、罪を感じているからだ。が、それを引き起こしたのが「私」であると感じられていないとしたら? 近代法的に罰をあたえても、本人には自覚ができない状態での出来事なので、また繰り返してしまう現実性が滞留している。ラスコーリニコフは、法的に裁かれたが、殺人の反省などできなかった。しかし省察はしていただだろう。そして時間のたつなかで、理由もなく改悛したみたいになる。これは、志賀直哉が、意味もない気分で父と「和解」したのに似ている。この事態が、いいわけではない。が、近代的な主体性の思考範囲では、そこにある問題を解決できないどころか悪化させてしまうことが症状として露呈してきた世界の中で、もう一度人間の自然性を直視してみよう、という視点の一つとして、最近は「中動態」という用語が再燃しているわけだ(私は「量子論」の再燃も、その曲がった棒を逆にもどす一環であろうと考えている)。

 國分 …先ほどの放火のお話をお聞きになられて、「いやちょっと放火はまずいだろう」と思う人はみなさんのなかにも当然いらっしゃるでしょう。しかしじつはこの方の問題行動は放火だけじゃないんです。家じゅうの大事なものを片っ端からぶち壊すなど、さまざまな問題を抱えていた。

 けれども不思議なことに、一度それらの行為を外在化し、自然現象のようにして捉える、すなわち免責すると、外在化された現象のメカニズムが次第に解明され、その結果、自分のしたことの責任を引き受けられるようになってくるのです。このことが、当事者研究によってわかってきた。とても不思議なことですが、一度免責することによって、最終的にきちんと引責できるようになるのです。

 逆に、最初からこれはおまえがやったんだろうと責めるのでは、引責にも解明にもつながらない。そうしていると結局また同じことをしてしまうのです。そもそも本人もなぜ自分はこんなことをしてしまうのかと思っていて、自分を責めているのです。その気持ちが解明を妨げているのかもしれません。だからいったん免責をすることによって、自分はいったい何をしたのか、そのとき自分はいったいどんな感じであったのかを研究してみる。それが責任への道を拓く。>(『<責任>の生成――中動態と当事者研究』國分功一郎・熊谷普一郎 新曜社)

 日本国民の大半はおそらく、オリンピックが開催されるとは思ってもいなかっただろう。たしか開催の判断が迫られる数か月まえ、リベラル系のユーチューブなどで、電通の社員やオリンピック関係者が漏らしてきたとされる話を受けて、中止は決まっているが建前上公表できないだけだ、だから早めに明確に公表して損害を減らしていくべきだ、それから、IOCは中止にしたいが日本側がごねている、それから、いやIOCはこれで食っているのだからやめるわけもなく日本が引きずられているんだ、とか意見が飛び交うなかで、陽性者数が増加しはじめ、また緊急事態宣言だ、理由はどうあれいくらなんでもこれではできないんじゃないの、という世論的な成り行きのなかで、えっ、やんのかい、と強行されていった、ように私にはうかがえた。私も、やるとは思ってなかった。無茶苦茶な話になるので。が、決行され、すると、戦争突入と同じだ、無条件降伏だ、みたいな意見がでてき、閉会し、敗戦した、とかも言われる。これまでで一番のメダル数だったとのマスメディアの報道も、すぐに消え、コロナ重症者数も激増になり、パレードなど開催できるわけもないだろうから、たしかに、ムードは敗戦だ。

としたら、オリンピックに参戦したアスリートは、前大戦に召集された兵士と同じような立場という話であり、戦場にいき、生き残って帰還してきたことになる。そして、「沈黙(戦争後遺症)」に陥る。わけのわからない罪悪感におそわれながらも、それを処理できない。戦場の兵士やアスリートが、その罪の意識を事前に解消しようと、つまり加害者立場を回避しようと、ボイコットなどできない。できないのは、実際的にできないというよりも、論理上できない。自分が実際的に逃げられても、裏切ってしまった、自分だけ生き残ってしまった、という無定の連帯感が論理の前提になっているからである。もちろん、これは仮説である。

だから、当事者ではない私たちが、なおその災害から距離のある人々が、戦争を回避させなければならないのだ。ブラジルでのオリンピックが決まったとき、その国民の大半が反対デモに押し寄せた、という報道があった。そんな金持ちのために金を使うなら、自分たちのために使え、と。日本では、コロナ以前に、オリンピックに反対の考えを持つ人々自体が少数であろう。いやもう、うすうすはいらない、と感じているが、それを意識にのぼらせてはいない。これは、私たちの問題であり、アスリートの問題ではない。いまアスリートは、違った形で、ラスコーリニコフのように、沈黙の中で考えさせられているだろう。もちろん実際には、次から次へと資本の競技に追い立てられて、その暇もなく鬱屈を堆積させていくのだろうが。その後遺症を他人事と排除するのか、我が事として考えてみるのか。私たちと一緒に考えてくれ、当事者として考えなおしてくれ、と連帯的な言葉をだせるのかどうか。糾弾するのがいいのか?

 私は、イラク戦争が起きた時、「自衛隊員を見殺しにするな!」という幟を自作して、それを息子をのせたバギーにつけて反戦デモに参加した。女房は、それでは、戦争に反対なんだか賛成なんだかわからないじゃない、と口にした。集合場所でであった主催者の活動家たちも、その幟をみて、目を見張った。その息子は、来月、公務員試験を受ける。それは、自衛官も含まれる採用試験である。いまなら、女房にも、その反戦の意味は明白であろう。「息子を見殺しにするな!」ということなのだから。

 次回は、「息子の進路」と題して、そこらへんの考察を付記するだろう。

2021年8月9日月曜日

コロンピックを詠む

 


テレビにてオリンピックが過ぎてゆく夏の暑さとウィルスを残して


金も増え菌も増えてと来し方の金もなくなりご臨の終かな


五輪来て台風が来て不況が来るだろう大強行の大恐慌の


スポーツの意義と設けられた祝日に不要不急なステイホーム


見栄張ってつづける嘘の塗り壁に吊り下げられるはメダルという首


紐付きの首輪をもらいに表彰台ソーリートチジとバッハ奏でる


しゃしゃりでる犬畜生の厚化粧人間様へとなりたいばかりに


また今年も帰省に悩む民草の先祖返りの道は混まぬに


次選挙、民の意向はすがすがしかな首の皮ひとつががしがしいって


世界とは5つの輪っかに入ることか? ケンケン足を罠にかけられ


はめられてもはめられても雑草のごとく歯を食いしばり生い茂る老い茂る

2021年8月8日日曜日

暑い


今風の建て売り借家に引っ越して半年ぐらい。梅雨どきにも、なにこれ、と気づいたが、なんという暑さが部屋にこもるのか。1階はそれ程でもないのだが、2階はもう、陽だまりサウナだ。コンクリート団地の比ではない。 おそらく、土でできた瓦屋根ではないのはしょうがないとしても、薄い屋根材の下には、部屋を広く見せ見栄えをよくするためか、断熱効果をかねるだろう屋根裏の空気空間がないので、熱くなった屋根の熱がそのまま人の暮らす空間空気を熱してくることになるからだろう。密集路地地帯での家だから、日当たりはよくないが、陽の高い夏には屋根に直射してくる。部屋に温度計はないが、一緒に仕事している植木屋さんの奥さんにこの事情を訴えると、妹のところでもそうで、38度を超えていくのが普通になるから、部屋ごとの冷房が欠かせなくなるのだと嘆いていたとか。部屋の間取りも、狭く切り取った敷地に、なんとか部屋数だけはとろうと工夫してあるので、ウナギの寝床のような細長いのが組み合わさっている形になり、風通しも悪くなる。庇も、ないに等しい。2階屋根の庇ぐらいにまで成長した柿木一本でもあれば、日差しはさえぎられ、嘘のように涼しくなるのだが。

とても、人が住める環境であるとはいえない。こんなもの、作るな、売るな、貸すな、といいたくなる。もう、昔の職人が前提とするような初期条件が、排除されている。自然の中で、ではなく、市場の中で、が第一になって、こんな建築物が今風になっているのだろう。安普請とはいえ、それでも大概の人々の給与では、高価な水準である。だから、住めばインチキにあった感じだ。 各部屋で冷房なんかしていたら、それこそさらに高くつく。しかも、たぶん、半生を昭和時代で生きてきた者にとっては、空気に金などかけたくないという貧乏根性が身にしみているだけでなく、冷房の空気が、体に悪い。気持ち悪くなってくるのだ。だから、扇風機ですますことになる。 が、体温を超えていく室温では、もう無理。それでも、2階の息子には、受験勉強ではなくスマホやってるだけなら冷房つかうな、いれるなら1階のリビングだけにしてそこで勉強しろ、とか、女房より昭和からの指示がでているようだ。といっても、私が仕事でへばっている間は、女房は冷房いれてお昼寝みたいだが。 夜も、私ひとりで寝ているときは扇風機のみだ。暑くて寝つかれない。プロペラの音も、うるさい。すでに、梅雨時から熱中症になって、保冷剤を頭にのせている。女房が寝室にくると、冷房のスイッチが入れられ、いつの間にか、スヤスヤ眠り、寒くて目覚め、タオルケットをかぶる。体脂肪もほぼない肉体たがら、寒さはこたえ、風邪も引きやすくなるのだ。

世間では、地球温暖化だの、環境破壊だのと、騒がれている中で、冷房が効いて寒がっているのは、変な感じがする。コロナで大変だ危機的状況だとニュースで騒いでいながら、次の番組で、金メダルとれるか、と日本人選手やチームの競技がでてくる奇妙さに、似ている。

素直に、受けとめられる人なんて、いるのだろうか?

2021年7月17日土曜日

『東京自転車節』(青柳拓監督)を観る

 

右青柳監督、左音楽担当秋山さん

寝る前にYouTubeをのぞいたら、この「東京自転車節」の映画予告の動画が流れていた。なんでアプリのAIが私のスマホにこのドキュメンタリーをヒットさせてきたのか訝しかったが、すぐ家から自転車で行ける東中野駅近くのポレポレ座でやっているというので、翌日(先週の日曜のことだが)、さっそく見に行った。

 

私は、去年の盆、コロナ禍の帰省(=規制)にあたって、こんな短歌をこのブログで記していた。(「帰省下に詠む」)

 

《荷を背負い自転車で行く若人のスマホ片手の行く末は何処?》

 

今年28歳になる青柳拓監督は、その若人の行く末を、身を以って模索してみせていた。日本映画大学を卒業し、映画仕事にたずさわりながら、アルバイトとして運転代行を実家の山梨でしていたが、コロナで仕事が皆無になってしまった。そんななか、ウーバーイーツをしながら撮ってみないかとプロデュースされたこと以上に、所持金数百円になってしまったら出稼ぎに行かなければと、東京にいったらコロナに必ずかかるぞと噂されている田舎から、自転車をこいで出てきたのだった。卒業作「ひいくんのあるく町」が2017年全国公開された経歴をもつ。私はその映画をみていないが、どこかで予告をみたのだろう、この「東京自転車節」で「ひいくん」が田舎風景の中に現れたとき、記憶がよみがえった。ゆったりしているがシビアな、独特な時間の流れがただよっている。監督は楽天的で明るい、頼りなげな性格を素直に画中にも落としていくが、認識はシビアであり、浮かべた笑みの裏に、目の前に何が在るのかを洞察していこうとする思考がうごめいている。観賞後に設けられたサイン会で、私も購入したパンフにサインをしてもらったが、この近くに住んでいるからすぐにみに来れたという私に、「ではよく映画をみるんですね?」と尋ねてきて、私が「よく」ということになるのかなあしばらくぶりなような、と真面目に受け止めて考えはじめてしまうと、こちらを覗き込むような視線を笑顔の中でよこしたが、そこにはナイーブな若者の眼差しはなかった。パンフでも、知り合いのライターが、その計算高い一面を親しみをこめて解説している(「都会で聖者になるのは大変か」若木康輔)。

 

ではそんな監督が、ウーバーイーツという自転車配達業の向こうに、どんな現実を見たのか?

 

1945年の東京は焼野原だった」「2020年の東京も焼野原だ」

 

配達中、公園で出会ったおばあさんの戦争の話を聞きながら、画中でてきたテロップの言葉は上のようなものだった。そして、監督自身の声で、今を彩る言葉が叫ばれていく、「自粛要請、不要不急、濃厚接触、夜の街、新しい生活様式……」その声は、次第に、怒りにふるえ、奔放しだす。「…自宅待機も引きこもり、リモートワークも引きこもり、ズーム飲み会も引きこもり、陽性陰性わかりません、家にいるしかありません。拝啓 新型コロナウィルス様、私は元気です」

 

パンフでのインタビューで、青柳監督は、答えている。――<映画の後半はさながら『ダークナイト』や『ジョーカー』のような雰囲気になっていますが、当時の自分は確実に社会に対しての違和感や鬱憤が蓄積されていたんだと思います。自分で言うのもなんですが、自分のあんな素敵な笑顔は久しぶりにみました。まさか狂った先に笑顔があるだなんて思ってもいなかったし、それこそジョーカーのようで、恐ろしい状況だったと思います。これを映画として撮っていてよかったです。映画を撮ってなかったらどうなっていただろうと思うと……ちょっと考えたくないです。>

 

「考えたくない」のは、考えさせられる現実に触れたからだ。この映画は、何かを認識してみせたドキュメンタリーではない。認識の前提、思考の前身になるような現実の塊に突き当たったことを示してくれたものである。監督はこれから、いやでも考えていくだろう。もちろんその考えとは、ウーバーを資本主義社会の絡繰りとして解説する大家ケン・ローチ監督の認識につらなるようなものではありえない。そんな解釈があったって、どうにもならないじゃないか、と監督も若者たちの一人として突き当たっている困惑を、画中で表現している通りだ。ウーバーイーツのような労働形態が、現在の先端的な何かを象徴しているとしても、若い世代は、それしか知らない。物心ついたとき、そこにある現実には、ただもまれるだけだ。そのもまれた身体が、本当のところは何を意味してくるようになるかなど、誰にもわからない。しかし、盲目の中の洞察だけが、解釈をこえた認識をつかませる。そこには、彼らだけがつかんでくる現実の一面が刻まれているはずである。

 

そしてもう若くはない大人たちは、若い者たちと同様、社会や人生への答えなどわからないままであるけれども、もまれてきたことの反復経験が、現実を相対化させる。それしか知らないわけではないからだ。こんな今にだって、違うものがあるのだ、あるはずなのだと。それは、大家としての言動というよりは、見守る者の助言者のような振る舞いになるだろう。

 

パンフではその役割を、青森県立美術学芸員の奥脇嵩大氏がしていることになるのかもしれない(「転がる自転車の先」)。まだ三十半ばと若いが、示唆していることは古い。古いというか、古くなって忘れ去られたものがもう一巡りしてきているのかもしれない。引き合いに出してくる思想が、戦中派の運動家、谷川雁なのだから。というよりも、この映画自体が、「昔」を、「炭坑節」を呼び覚ましてきたのだ。

 

<労働ってシステマチックなものじゃなくて本来もっと人間らしい血の通った作業だと思うから、ウーバーイーツという身近なシステムくらい自分の力で血の通ったものにしたいと思いました。システムによって断絶された社会で、それぞれが「孤独」だということを意識し自覚したけど、それなら「孤独」だからこそ会いたい!繋がりたい!と強く思うようになりました。『東京自転車節』のタイトルに「節」と付けたのは、昔、労働者たちが汗をかいて自分たちを鼓舞するように歌っていた炭坑節のように、自転車配達員での仕事も血の通った人間臭いものしたいという想いから、こういうタイトルにしました。>

 

この映画の音楽は、監督の幼馴染の、地元のアマチュアの人が作ったそうだ。打ち合わせをしたわけではないのに、ウーバーイーツの仕事中での電話でのやりとりから、「月が出た出た月が出た」の「炭坑節」の編曲を思いついたのだと、上映後の、二人のやり取りの中で話されていたこととおもう。「ジョーカー」の現実が、人間の血を噴出させるのではなく、通わせるようなユーモアで包まれる。マクドナルドの店員などが、雨の中での仕事は大変だと、差し入れや声掛けをしてくれていると呟かれていたのを思い出す。映画が、自転車節にはまっている。固定したシステムの最中においても人の血はなお通っており、それはシステムへの潤滑油であると同時に、亀裂にもなりうる連帯の保証でもあるだろう。

 

谷川は、「連帯を求めて孤立を恐れず」と言った。それをもじって、「孤立を求めて連帯を恐れず」といって社会運動をはじめた今を生きる現代思想家もいる。が、今の後者も、要は、連帯こそを求めていたわけだが、あまりに孤立化しはじめた新自由主義下の時代に、その孤立を慰撫するしかないような若者たちを傷つけないために、そうひねくれた物言いをしなくてはならなかったのではないか、とその運動に参加した私は、今思える。だから、「昔」の言葉のほうがストレートで、強いだろうと。しかも、谷川の原典では、それは個人にではなく、メディアに対して言われているのである。「そして今日、連帯を求めて孤立を恐れないメディアたちの会話があるならば、それこそ明日のために死ぬ言葉であろう」と。奥脇氏は、その「メディア(媒体)そのものとなった」のではないかと、この『東京自転車節』を評価する。

 

去年の、帰省下に詠んだ歌は、こう閉められた。

 

《世の中はスマート社会へと瘦せ細るのかAI・ウィルスが人削除して》

 

私たちの漕ぐ社会は、どこへと向かうのだろうか?

2021年7月4日日曜日

『NAM総括』(吉永剛志著 航思社)を読む(2)

 


「総括」という漢字をみると、どうしても内向的に過激化していった左翼組織の生々しい現実(内ゲバ、リンチ)を連想してしまう。私が、NAMに入会したとき、日大の体育会系を卒業している弟は、「それはアルカイダみたいなものかい?」と、聞いてきている。私たち1970年前後に生まれた世代では、もうそんな経験に触れることはないはずなのだが、世間的なイメージとして、ノンポリであることが当たり前になったような学生の間でも、なおネガティブな記憶の歴史が付きまとっていたのだろう。NAM内のメールで、これに参加したからといって公安ににらまれることなんかないのだと柄谷は発言していたとおもうが、田中さんは、公安スパイがすでに潜入してメールを監視しているのは当たり前だよ、とも言っていた。そうした現実権力との切迫性が、どれくらい実際にあったのかは知らないが、NAM解散後20年近くの人生がすぎて、もう左だからといって怖い、危ない、というイメージはなくなっているような変化があったと感じている。もしかしてなのだが、そこには、3.11の災害が引き続いているなか、ほとんどの普通の企業のテレビコマーシャルが自粛で中止を判断していったなかで、生活クラブの虹色のコマーシャルが目立って流布されていたことと関係しているのかもしれない。以後、左翼とはいわず、リベラルという、より範囲のひろい曖昧な中立用語に置き換えられて世俗化していっているように感じている。

 

しかし野球馬鹿であった私は、運動部活動の体験から、内ゲバやリンチに連なる人間関係の生態を理解していく素地を抱え込んでいた。早稲田の二文にいってつづいた夜の読書のなかで、柄谷のマクベス論を読んだときも、だからすぐに、この論考が、幼い頃テレビでなんの気もなくみていて雰囲気の暗い記憶として無意識に刻まれた浅間山荘事件へとつらなる、あるいはその後も海外でのテロ活動の新聞記事の見出しをみることもなくみて感受していくことになったであろう、いわゆる左翼組織での人間関係が引き起こした現実への解析なんだな、とすぐに理解がおよんだ。同時に、私の受容は、部活での暴力沙汰からの連想できているので、それは左翼と呼ばれる組織をこえた、人間一般の現実としても、理解された。ゆえに、他人事にはなりえない、切迫した認識を言語化してくれたものとして、その柄谷の文芸批評は衝撃だったのである。

 

この著作でも言及されているように、NAM批判を率先した鎌田哲哉は、「彼らが今回人殺しをしなかったこと自体、ただの偶然でしかない。」と発言している。そのようなことを言っているということは、私も伝聞的に知っていたが、そこまで行ってはいないだろう、そんなたまがいたのか、行き過ぎた見方だな、と思っていた。が、今回、吉永さんの著作を読み、蛭田さんから借りた『ゲンロン11』での特集などを読み、もしかしたら、それはありうる可能性だったのではないか、と思い返した。おそらく、鎌田が想定し、私が思い浮かべているNAM会員たちとは、私と同世代的な、当時若かった者たちのことである。私は柄谷の『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(作品社)は、読む気がおきないので読んでいないが、記事でみかけた書評によると、結局は左翼運動にかかわっていた人たちが古い考えのままだったのが解散の一原因、と発言しているのをみかけた。いわば、旧ブント系の人たちの年寄り世代のことなのだろう。吉永さんの著作の中では、もう少し若い、全共闘世代での、中核派や革マル派に関わって、暴力関与の前歴のある人たちのことにも言及されている。私自身は、そんなことは全く知らず、感知せず人と接していた。解散後だいぶたって、高瀬さんも、そうした前歴があってあやしい人なんだときいている。私はそんな高瀬さんに、大前研一を引用してフィリピンのことを話したりしていたのである。蛭田さんもそうだ。Qをめぐる最後の会合で、おそらく自身が深く関与したQ擁護の発言をもらしたのであろう、すると柄谷から、「おまえはマルクスを侮辱する気なのか!」とののしられたそうで、以後、左翼の奴らは品がない、すぐに断言すると「切断」しはじめたが、今でも過激な性格のままである。が、私が思い返したのは、私たち若い世代、左翼組織での経験があったとしても、まだ大人しいとされるだろう者たちのことだ。しかし、最後は、金が関わってきた。もし、Qを続けていたら、それは円と連動しているので、具体的な借金として存在してくることになる。Q退会のとき、実際に、会員の多くは、赤字額を円建てで返却しもしたはずだ。私も、事なかれ主義で、数百円だか送金した覚えがある。金がかかわってくれば、人は追い込まれ、追い込んでいく関係に入りやすい。よくある世俗の現実が、私たち若い世代の間でも、発生してきておかしくはなかっただろう。私には、そう思えてきたのである。

 

東浩紀の『ゲンロン11』の特集に、浅間山荘事件につらなる連合赤軍のことを描いた漫画家との対談がある。その『レッド』の作者の山本直樹は、自身の部活動での感覚が描写に反映されていると前置きしているが、この革命組織での運動も、前半は、楽しかった、と回想され、後半、陰惨になる、と指摘している。NAMはある意味、前半の楽しいところがおわって、後半をむかえずにして解散にいたった、との見立ても可能なのかもしれないのだ。

 

が、私が『ゲンロン11』から導入したいのは、以上のような文脈ではなく、暴力へと収れんしていった組織を把握するのに、山本氏との対談への前段階として、座談会『革命から「ラムちゃん」へ』とタイトルされたものがあるように、女性性をめぐる、座談会の言葉では、「ジェンダー」をめぐる文脈が浮上してくる、ということである。

 

私は、先のブログ(1)で、ジャーナリズムを生きる著名人柄谷の被害妄想かと疑う伏線があった、と述べた。私が「スターリン主義者」として評議会で断罪されるまえ、ある一件で、たしか規約委員会上でか、裁判みたいなものがあった。それは、柄谷にかわる新代表を決めることに、強硬に反対意見を述べた、ある女性をめぐるものだった。吉永さんの著作の中でも言及されている飛騨さんの文章のなかで、NAM形成期に活躍した「七人」のうちの一人、「女性ダンサーのY」として出てくる女性である。解散まえは、地域系東京の新しい事務局の会計を担当することになっていた。いまは、私の女房である。彼女・山田は、とにかく柄谷が代表でいつづけるべきだ、と意見していた。その事態を柄谷がとりあげて、こういう私へのおっかけみたいのがいて私は困る、「こんな女には、徹底的に冷淡にすべきだ。」とメールやりとりされたのである。オブザーバーとしてメールを覗いていた私は、一連のその評議員の間でなされた魔女狩り裁判のようなさまをみて、気味が悪くなった。それなりに長いやりとりになっていて、王寺さんが、もうこういうのはやめようと、介入して打ち切ったのだ。私が柄谷のメールにすぐに陳謝して黙ったのは、危うきには近寄らず、という本能のようなものである。この件で、事務局で一緒にやっていた建築系の有銘さんと、「通るわけがない話なんだから無視していればいいのに、なんでわざわざとりあげるのかね」とうなずき合ったものだ。言葉にはでなかったとおもうが、病気なんではないか、と二人は認識していたとおもう。

 

しかしその件を私が考えさせられたのは、彼女と結婚してからである。そして、東らの座談会でまず引用されてくる大塚英志の『「彼女」たちの連合赤軍』を読んだのも解散後で、それが、この件を左翼組織文脈で解明させていく手引きになると理解したのだ。『テロリストになる代わりに』とタイトルをうたったダンスも創作する彼女は、「かわいい」となにかといい、「ラムちゃん」が好きだった。そしてとにかく、「うるせえやつ」だった。ダンスの講演前のグループ演習でも、「この女をだまらせろ!」と演出家がどなっているのを見たことがある。私は大塚の永田洋子の記述を読んで、私よりひとまわり年上の山田のことを考えた。「遅れてきた永田洋子」、という比喩が私には浮かんでいたが、リンチにいたる方とされる方が、同居している。たぶん彼女自身、それをなんとなく自己意識化している。組織というよりも、人間関係のなかで、男女関係のなかで、そして二人の間で生まれてきた息子との家族関係の中で、そのことが実際的・実践的にどう機能してき、どう論理構造的な帰結を予感させ、意味としてはなにが生成してくるのか、というようなことを考え、考えさせられてきた。大塚は「かわいい」という視差を抽出してきたにとどまって、結局は「女性をアイドルのように見ている」と『ゲンロン』では批判されているが、私には、柄谷にうかがえた左翼的なるものの感覚を、大塚の著作は考えさせてき、NAM解散後の家族関係が、観察思考させてきたのである(私自身が、夫婦喧嘩のさなか、なんど「こんな女には徹底的に冷淡にすべきだあ!」とわめいたことか)。そして今回『ゲンロン11』での特集にふれて、「ラムちゃん」がでてきて、なおさら合点がすすんだ。自分の言葉で要約できるまでには咀嚼されていないので、目だったところをピックアップする。

 

 永田は、ひらたく言えば「生き方が不器用なひと」です。それはさきほども述べたとおり、一周まわってかわいいと言えなくもない。けれど、それはポストモダンな消費社会を肯定するような大塚的な「かわいい」感性とは真逆のもので、むしろすごく生真面目で一生懸命なものです。>

 

 一九八二年の永田の一審判決では、その判決文に「女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味」という有名な文章があって、それにフェミニストから抗議が殺到するということがありました。そういうなかで『ビューティフル・ドリーマー』が作られた。

大井 ラムは、あくまで押井が解釈した永田洋子ということですね。

 そうです。そしてここで指摘しておきたいのは、その解釈が、まさに当時ミソジニーとして批判されていた判決をなぞるものになっているということです。それは押井さんの限界を示している。今日はむしろ批判してきましたが、大塚さんの『「彼女たち」の連合赤軍』は、まさにそのようなミソジニーをひっくり返すために書かれたものでもあった。

さわやか 押井が考えるラム=永田は、無意識で女性同志に嫉妬し粛清する人物でしかなかった。でもほんとうのラムはちがうわけでしょう。>

 

山本 だからただの鬼ババじゃないんですね。そもそも永田さんも、ほんとうは、どこの会社にもいるような、ふつうのちょっと困ったひとだったと思います。元連合赤軍で、途中で山岳ベースから脱走した前澤虎義さんが言っていましたが、永田洋子は保険の外交員とかやらせたらすごく成功したんじゃないかと。押しが強くてまじめ。けれど茶目っ気がある。そして何よりも説得に熱心。>

 

さわやか 永田は革命を楽しめなかった。性の不和を抱えていたから。

 けれどもその不和こそがいまふりかえるとアクチュアルです。『レッド』はその視点を入れたことで連合赤軍事件を現状のものとして蘇らせている。大塚は永田を「かわいい」少女として対象化した。それに対して、山本さんは永田を「#MeToo」の主体にように描いている。>

 

ちなみに、山田は、NAM解散にいたるドタバタのなかで、経理をしていたであろう会社をやめ失業し、保険のおばさんになろうとしたがだめだった。その能力というより、まずは資本主義がどうのこうのと営業には余分な知識があるので経営側と対立してしまうこと、そして通産官僚系の家族からも切れていたようなものだから、初手のツテがなくなっていたからだ、と言った方が当てはまるな、とおもう。その彼女が生活的に行き詰まり、不安定な状態の頃のことを、倉数さんらは見知っていたはずだ。当時東中野の長屋のような私のアパートで、会員の幾人かと雑魚寝して宿泊したことがあったと記憶する。京都から、やはり生活に行き詰まった渡部さんが私のところで居候していたのもその頃だ。渡部さんは、私と彼女が結婚することになったと知って、他のアパートに移ることになって、私と彼女が手伝ったのである。

 

しかし私は、ここで彼女だけの事柄をとりあげてみているのではない。そもそも、NAMには女性会員自体が少なかったわけだが、そうしたジェンダー的視点をいち早く指摘していたのが岡崎さんだった。「男ばかりだよね。だめだよこれは」と発言したのは、芸術系の会合でも、最初期だったろう。根底的なところで、「かわいい」とのぞきこむ、いわばミーハー的なおっかけに連なっていくような異質性を、あらかじめ排除していくことで成立していたということだろう。そしてそのことは、柄谷本人にあっては、確信的なことだったのかもしれない。たしかYouTube上で、小森洋一をインタビュアーとしたNHKでの昔の番組がアップされていて、そこで、運動では同性愛的な同志になるのが不可避になるものなのだ、というようなことを発言している。

 

が、運動の実際の中では、やはり女性会員がいたのである。だから、ちがった線は描かれていたのだ。山田は大学を出ておらず、文を綴るのがへたくそなのでメールはあまり書かず、具体的な顔のみえる人間関係で「うるせえやつ」だったが、NAM組織が当初めざしたヴァーチャルな現実性の中で、際立って活躍したうるせえ「アイドル」がいたことを、多くの会員は思い出せるはずだ。「りえりん」こと北村さんだ。近畿大学の大学院生だったはずで、私は事務ひきつぎに京都の南無庵にいったさい、「おまえ、コピペも知らずに事務員になろうとしているのか!」とあきれられたのを覚えている。『NAM総括』にも名前が出てくるが、京都の事務局には、他にも二人の女性が引き受けていた。もしかして、左翼組織運動的な関わりでの参加は目立っていなかっただけで、経済的な、協同組合的な運動の関わりでは、それなりにいたのかもしれない。「わっ、植木屋さんみたいな階層の人と接するのは、わたしはじめてなの」とおっしゃったNAM会員のお嬢様も、東京のメンバーのなかにはいたのである。そもそも、田中さんとペアなように活動していた阿部さんがそうだ。この年代の活動家をどう女性たちが支えてきたか、たしか数年前にか研究書も出たはずで、その新聞書評されたであろう何かを読んで、不思議な存在にみえた阿部さんの輪郭がほのみえてきたような気がした。

 

いくら複数の系を作って交差させても、それが同質的な系であったら、本来の意味はなくなるのではないか。私は、第三世界系の関心系にも参加して、夜勤のバイトで知り合った南米からの出稼ぎ労働者としての友人たちの間から、日本語を教えてほしいとの声があったりしたので、大和田さんらと勉強会を開いたりしてもいた。本著作で、Qイヴェントでの出店の表に、「在日ペルー人手製のケーキ」出品者として菅原の名前として私は出てくるが(恥ずかしいことに、自著販売との記入もある)、彼らは、日本の経済的縮小とともに、故国へもどっていった。私には、一般的な活動として運動をつづけていくまでの動機や人生がない。あくまで、友人・知人との関わりの延長での支援活動であった。アパートの保証人も、多いときは5件ぐらい引き受け、歌舞伎町のディスコ・レストランを開いた日系ペルーの友人から頼まれて、その連帯保証人にもなっていた。日系でも仕事がなくなってビザがなおりないという友人からたのまれて、入管を説得する文章を書いて提出し、身元保証人になって無事発給になった件もある。彼らが国へかえるさい、これにはいってくれと言われるままにはいったフェイスブック上で、いまも関係はつづいている。がよほどのきっかけがないと、個的な関係を超えて運動を継続していくのは困難だ。しかしだからといって、日本でむごい目にあう外国人の問題への関心がなくなるわけではない。一般的な活動は潜在していっても、それを呼びおこすかもしれない個的な文脈がくすぶっている。その固有的なものが、異質な線として重ね合わさって、系の実質的な複雑さが実現できるのではなかろうか。指針や教訓として、あらかじめ活動(家)を目指したような運動の必要性と有効性がなくなることはなく、なくなってもいけないと私は思うが、それが中心になろうとするとは、同質的な一般性の系=組織でしかなく、人の生が、営みが、持続可能になるとは私は思わない。活動が仕事になってしまえばなおさら、生き生きしてこれないので、メンタル(脳精神)が退廃してくるだろう。自分の固有文脈を手離せないぶきっちょなものは、持続しかない、反復しかない。解散など、成立しない。

 

吉永さんの「総括」がメインストーリーを描いた概括だとしたら、私が付記したものは、「外伝」みたいな逸話になるのかもしれない。が私としては、忘却されてはならない微細かもしれぬが異質な線である。大きな物語に回収されず、またされてはならないようなもう一つの現にあった話である。がそれは、可能的だったものとして、潜在させられていってしまう世界や歴史のことなのかもしれない。

 

こう記すと、『ゲンロン11』での、東の「原発事故と中動態の記憶」という、柄谷の『探究Ⅰ・Ⅱ』の変異のような論点と重なってき、『NAM総括』での、唯一というべき吉永さんと柄谷・浅田らを分ける「科学」という営みの受容理解のあり方ともかかわってくるのだが、それは、直接的にはNAMとは関係ないので、違うブログ・タイトル(たぶん、「中動態と量子論」)でメモすることになるだろう。また、現在、遺伝子操作ワクチンをめぐる「科学」への疑義を提起した文をふくむ電子出版を、NAM会員でもあった安里ミゲルさんや鈴木健太郎さんらと作成中でもあるのだが、3人でことを成そうとするだけでも大変である。みな過激な病人であるがゆえに、であるとおもう。