2014年12月16日火曜日

選挙結果からおもうこと

「微積分は,時間と運動と変化にかんするゼノンのパラドックスとともに始まった。なかでも有名なのは「アキレスと亀」という名で知られているパラドックスだ。偉大な戦士アキレスとちっぽけな亀がかけっこをすることになった。亀はハンデをもらい、いくらか前方からスタートする。アキレスが亀のスタート地点に着くまでに、亀はのろのろとほんの少し先へ進んでいる。アキレスがそこに着くまでに、亀はもう少しだけ先に進んでいる。アキレスがそこに着くまでに、亀はもう少しだけ先に進んでいるので、やはりアキレスをリードしている。このように、いくら俊足のアキレスでものろまの亀には決して追いつかない。常識はこれに反しているので、ゼノンは常識のほうがまちがっていると結論した。変化は幻想にすぎない、信ずるべきは自分の頭脳であり、他のものを信じてはならない、と。
 ほとんどの数学者はこれについて、ゼノンは無限級数について混乱していたんだよ、と言うだろう。今では誰もが微積分を知っているので、もはやゼノンに出番はないように思われる。それでもぼくは、彼が何に頭を悩ませていたのか、なんとなくわかるような気がするのだ。ジョフとやりとりした古い手紙を順番に読んでいると、過去が現在に追いついてくる、歳月が背後から駆け足で迫ってくるという痛烈な感覚に襲われる。ジョフとぼくは亀のようにのろのろ動く現在にいて、早足の時間から追いかけられているのだ。」(『ふたりの微積分』 スティーヴン・ストロガック著・南條郁子訳 岩波書店)

なんとも微妙な結果なようにみえる。今回の選挙結果のことである。300を優に超えると騒がれた自民党は、以前より3議席減らして快勝と豪語でき、同時に民主も議席は増やしたが党首落選、共産党が躍進と湛えられる。アベノミクスがどうのこうのというよりも、安倍政権への批判は、その右翼的な、翼賛体制的なものへの現実化路線が危惧されてくるから、というのが左翼的な立場のひとたちの主張だったことをおもえば、結果はその思想立場の分裂そのままの反映として、わかりやすいものだ。しかし、アメリカの言う事もきかずに平気で靖国参拝して、つまりヒトラーの墓参りをしたようなものなのだから、そういう人が国際社会で「積極的平和」を訴えても、口先だけのこととして相手にされないのは当たり前だから、安倍の経済政策など国際的に孤立するか利用されるだけが落ちというのも政治的に明白なのだから、アベと名付けられる政治経済策への批判自体が、現実的になってくるともおもわれない。おそらく、失脚させられる、とする知見のほうが当たってくるだろうと私も予測する。が、そんな人の政権を、国民がまたもや支持してしまったような結果になってしまった、というところに、だから微妙なものがかかわってくることになる。(だからそう簡単には、諸外国勢力もつぶせはしないだろう。)以上の当為からして、国民は、安倍の経済策や政治を支持してしまうことにならないからだ。それは、世界では意味をもてないのである。ならば、何が支持された結果になるのか? 強いて言えば、自民党を支持した、その昔からの支持層が反復された、ということにはなるかもしれない。それは自民党の選挙戦略、無党派層を取り込むとかではなく、地元の基盤を固める路線として意識されたものでもあったろう。だから論理的に整合していえば、安倍の顔が象徴するような自民党がもう一度反復された、というようなことになろう。どんな顔か? 単純に、それは二世だの三世だのの、世間知らずであるがゆえに純粋に血統物語を体現しているような面相、ということだろう。群馬で「ユウコちゃん」が圧勝したようなのが、国民の指示内容なのだ。その支持者は、自分が外の世界からだまされていることを承知しているはずである。むしろそれゆえに、その不安ゆえに、なおさら強固に支持して自我を持ちこたえさすのだろう。それは、オレオレ詐欺の被害者に似ている。だまされたくもあるのだから。そんなじいさんばあさんに、真実を語る左翼言説が、実践的になりうるだろうか? なりうるわけがないだろう、というのが今回の結果である。私も、ファシズムを防げ、みたいなのは、お互いの仲間内では確認事項としていいとしても、それをそのままだしてすましていられるナイーブさ自体が、2世3世と同じだろうとおもわれた。そんな左右の絡み合いが、結果の微妙さ、真偽不確かさをうみだしている。安倍(日本)のファシズムは、世界が防ぐだろう。まえみたいに。しかしそんな以前の結果を期待して、共産党に入れたわけではないだろう。日本人が日本からファシズム反対しても、世界では意味をもてないのは、安倍を支持する人の側と同じである。逆に言えば、支持者・非支持者の意図に反して、世界を、つまりは詐欺にあってもいいよ、ということを意味=支持させられてしまう。インテリの普遍的立場として、そのネットワークの確認として、不変的なことを反復する必要もあるのかもしれないが、それは「ことば」(=思想)ではないだろう。人の心に届かないのだから。人を、動かせないのだから。

では、どんなことばなら届くのか? 少なくとも、警察や銀行の窓口では、じいさんばあさんが詐欺にあわないように、いろいろノウハウが積み立てられてはいるだろう。もちろん、じいさんばあさん相手だけの話ではない。若い人にだって、どうその心に言葉をとどけられるのか、実践的には難しいだろう。徴兵されるぞ、という言葉が真実だとしても、ゆえにだからこそ、反発したくなるだろう。

サッカー界でも、世界で勝てない事態から、Jリーグのなかに、マンUやバイエルンをまねて、常勝するチームを作って軸をもたせたほうがいいのではないか、という意見がでている。前回のブログの続きでいえば、息子のサッカーチームのコーチ会でも、ブラジル帰りのコーチはその話に言及していた。しかし日本では、そういう方針の意図に反して、かつてのV9時代の読売巨人軍の茶番劇的な反復になってしまうだろう。つまり、世界的な意味をもてないのである。その自覚ゆえに、<それ>を追い出して、Jリーグがはじまったのではなかったか? 今負けていることに、何が不安なのだろう? 子供たちは、そうやって勝っていくことを、本当に望んでいるだろうか? 私のみるかぎり、彼らは、やはり仲間とともに勝ち、負けたいのである。だから、詐欺にあうことも辞さないのだ。仲間が死んで、自分が生き残れば、負い目をおうのである。そして、それが人間の存在条件にあるとしたら? というのが、ハイデガーからアガンベンにいくような洞察の哲学が証明してみせていることではないか? 自民党を支持した国民をアホだとみくびるものは、実は、自分が人間から見捨てられているのである。自分が支持者でもあってしまうことを、忘れていられるのである。

2014年11月25日火曜日

ホーム、ということ


「日本では巧い選手がプロになるが、スペインではサッカーを知っている選手であれば巧くなくともプロになる」(『フットボール批評 2014.02』「サッカーを知らない日本人」)

結局、女房は入院し、息子は新宿区のサッカー代表チームへの選出が決まった。朝練習もあるので、朝ごはん作りに弁当、洗濯と忙しくなるが、頭の中での段取り作りは職業がら慣れているので、週末の練習試合に夕刻6時に帰宅でも、七時半には、風呂洗濯炊事朝弁当への仕出しと、すべてを終えて寝床に入っている。試合では私自身が主審もやったりするので、足が棒になってつる寸前、体を横にする必要があるのだ。息子の一希も、代表コーチからサッカー以外の躾けをいわれていることもあるが、いま家庭がどういう事態になっているのか理解しているのだろう、洗濯や風呂焚きを手伝ってくれる。練習量が増えて、5年生になってからの太り気味の体格が直ってくるかとおもいきや、腹が減って余計に食べるぶん、なおさらメタボのようになってしまった。
それでも、新チーム結成当初は、サブプレーヤー扱いだったが、足の速いサイドブレーヤーが腹痛で控えにまわって代わりにでたさい、きっちりと得点を決めゲームメイクのできるセンスをみせたからか、それ以来先発陣として起用されはじめている。ベンチでは、父兄たちから「応援団長」ともよばれていた性格がプレーヤーとしても発揮されて、一希がフィールドに入るとゲームが活気づき泥臭くなる、ゴールへむかってどんな道筋を開拓していけばいいのかが見えてくるようになる。それまでは、運動能力の高いいい子たちのパス回し、きれいなサッカーに終始ししてしまうという印象で、なんだか日本代表のサッカーのひな形をみているような感じだった。そしてこういう傾向は、他のそれなりの実力のあるチームにはみられるものであるようにおもう。

では、なぜなのか?

私がパパコーチとして手伝っているコーチ陣の飲み会でも話がでたことなのだが、やはり基本的な方針として、勝ちを目指すチーム作りか、育成を重視するチーム作りか、という論点の裏にその原因がみえてくるのではないか、と私は推論している。青年時にブラジルへのサッカー留学もしたことのあるコーチの主張は、やる気のある上手な子の先発陣の固定化で戦うべき、というもの。しかし、それでも勝てるわけではないのだから、本当に勝ちたいのなら、現時点でやる気がなさそうでも、またへたくそでも、その子たちを含めて全員の底上げを目指して采配をふるうべきだ、というのが私の意見。もちろん、全員を平等な時間試合にださせてといった、形式的なやり方ではなく、その底上げの中には、あえて今は出さない、あるいは逆に、下手でも乗ってきている練習があるからあえて先発で起用する、とかいった、コーチの洞察とチーム構築に向けた手腕によって、その実践の具体処置がかわるけれど、と。「そうできればいいですけどね。」と、ブラジル帰りのコーチはいう。「まあ野球でもなんでも、いまはエリート教育ですよね。才能のある子を優先させる。だけど、そうやってきて、日本代表のユースチームとか、世界で勝ててますか?」と私。「う~ん、それが勝ててないんだよなあ」……そのコーチがいうのは、サッカーは結局はネイマールなんだという。個人の力なんだという。「だけど、ヨーロッパの有名チームのコーチが日本にきて、小学生年代のサッカーをみていうのは、テクニックがあるけど、戦術的理解がない、と指摘しますよね。ということは……」「いや、戦術は中学生からでも教えられる。」――そう突っ込まれて、サッカーをやってなかった私は考え込み、そこでの話はそのまま尻切れトンボになってしまったのだった。

改めてここで、私がいいたかったことを整理してみると、こういうことだ。

日本人は世界的にみて、テクニックはある、なのになぜ、その日本人からメッシやネイマールのような個人技に秀でた選手が出てこないのか? それは矛盾した事態ではないか? 私の推論では、それは、日本人が、まだサッカーを知らないからだ。私がやっていた野球で、野球を知っているとは、<捕れて(止めて)、投げれる(蹴れる)>といった個人テクニックのレベルにおいて現れ見えてくるのではない。それは、抜け目ない走塁にうかがわれてくるのだ。強いチームとやっていやなのは、ランナーを塁にだすと、もう気を許せなくなるので、そのプレッシャーに耐えられなくなってミスを誘発されてしまう、ということなのだ。プロ野球日本代表チームがかかげる「スモールベースボール」とは、そういうことだろう。サッカーには、その知っていることからくる抜け目なさ、がない。それが、今回のワールドカップでも、代表チームの必死さのなさ、とみえてきてしまう。きれいにやろうとしているようにみえてしまう。しかし、では、この抜け目ない必死さをうみだしているもの、そのメンタルの強さをうみだしているものとはなにか? 私の推論では、それは、<ホーム>という意識・無意識なのだ。それは、国家という抽象的なものではなくて、具体的に誰それのため、という顔のみえる意識、想いである。ヨーロッパのクラブチームでは、強豪でも、小学生年代では、地元の子以外を入部させない。単に、勝てばいい、という方針でやっているのではない。メッシでも、バルサに入れたのは、中学生からだった。いま日本人の小学生の子供が入っているけれど、それはおそらく、母親かだれかがスペインに同居できて、子供のホームシックが防げると了解しているからだろう。小学生年代で、このホーム、心のよりどころをしっかりと身につけさせないと、結局はシビアな試合になればなるほど力を発揮できないで、ミスに負けてしまうチームや選手になってしまう、ということではないだろうか? ヨーロッパには、そうした人間的ノウハウが、歴史的に蓄積されているのではないだろうか? しかしいま日本の子どもたちは、その時点で上手な子ほど、親のいわれるがままに、まるでプロ選手のように、強いチームへと移動・移籍していく。私たちのチームにいた〇〇くんも、いまはそうやって埼玉の強豪チームに自動車で1時間かけて通っているけれど、それでも、地元のサッカー大会に暇があれば友達の応援にかけつけてくれるのは、やはり、淋しいからではないのか? 私のいまのこの考えは、その子のどこか淋しげな様子をみて洞察されてきたものなのである。目先の結果(利益)だけを求めて、移転先をさがす、これは、資本主義の論理そのものだ。が、ヨーロッパは、それではだめだと、その主義思想を生み出した文化国家だけに、知っているのではないか? バルセロナのパスサッカーは、バルセロナに建設中の、ガウディのサグラダ・ファミリアと結びついていないか? 百年過ぎても、その理念、目標、ゴールへ向けてなお建築中なのだ。それは、たとえ負けつづけても、自分たちのポゼッション・サッカーをやめなかった精神と結びついている。それが、今回のブラジル・ワールドカップで負けると、日本は今度はカウンター・サッカーだとなるのだろうか? かつての、全体主義から民主主義へと早変わりしたように。そんな目先の結果追求のために、日本人の、ホームという意識・無意識が、崩れていってしまっているのではないか? そんな子供たちに、日本人に、危機をはねのけていかせる底力が発揮できるだろうか? 若い年代にゆくほど、サッカー日本代表チームがうまくても勝てないひ弱さをみせているのは、そのためではないのか?

2014年10月21日火曜日

女房の病気

「この事件で、当然のこながら、私の自宅がガサ入れ(家宅捜索)された。家には、妻と子供がいた。妻は、早稲田大学在学中に知り合った民青の女性で、秋田県横手出身のお嬢さんであった。要するに、私は、マドンナ系の女と結婚していたわけである。良家の子女として育ってきた、このマドンナには、夫が恐喝や詐欺の容疑を受けて家宅捜索されるなんて、許しがたいことだったのだ。彼女は、私の母親にかみついた。
「なぜ私たち家族にこんな迷惑をかけるようなことをするんですか」
「それが学の仕事や。パクられて、どうふるまうか、みんな見ている。どういう男か試されているんや。支えてやらにゃならん」
「家族を守れないで、何が男ですか」
 妻と母親は、まったくかみあわなかった。
 この妻の対応こそが市民社会の「つれなさ」を示すものであった。
「清く、正しく、美しく」を押し通して、私のような者を見捨てていく薄情な市民社会の心性、「濁って、まちがいだらけで、汚く」見えるけれど、情の濃やかな共同体の心性――そのどちらを取るか、という選択を私は迫られることになったのである。
 私はいったん、市民社会のほうを取って、そこから社会を変革することで、共同体を救い出そうとした。しかし、それができない相談だったことを悟ったのである。どちらかを取らなければならない。私は、市民社会を捨てて、共同体を取った。このあと、寺村建産倒産後に、妻とは離婚し、裏社会に潜ることになったのである。(宮崎学著『突破者外伝』 祥伝社)

女房の病気が再発した。潰瘍性大腸炎とかいう、難病指定の病気だ。だからこの病気の場合、「再発」というのではなく、「再燃」というのだそうだ。かつて安倍総理がこの病気になって、辞任することになった。下血とウンチがとまらなくなるような症状らしい。薬で抑え込むことができるようだが、治すことは無理だということだ。女房がその病気を発症させたのが安倍がやめるちょっと前だったので、今回も、そのうち安倍総理が「再燃」して、辞任するようになるのではないか、と勘繰ったりしている。同時に、私の身の回りに、どんな事態が呼び寄せられているのか、と。
そう憂慮していたところで、今度は私がスズメバチにさされた。もはや家主のいなくなった家の庭の手入れで、二階屋根にまでのびひろがったツタを下からひっぱってとっていたときだ。そのツタに巣を作っていたのだ。おそらく、ひと抜き目で地面に落としていたのだが、ツタがかぶさって、ハチのほうもそうすぐには脱出できなかったのだろう。ツタを引っ張ると頭上からの落葉がひどいので、私はヘルメットをとりにもどった。フェンスと家の壁との狭い隙間に再びもぐりこんだとき、地鳴りのような音がきこえる。水道管が破裂しているのか、地下鉄の音がここまで聞こえるのかな、とか疑心暗鬼になりながらも作業をつづけて、突如、それは来た。おそらく、心のどこかではスズメバチかもしれない、とこの季節の用心としておもっていたのだろう、姿を一匹もみずとも、わあ~っと幽霊かなにかに襲われるような感覚に、「ぎゃあ!」とか悲鳴をあげて咄嗟にフェンスをベリーロールで飛び越え道路に転がり落ちるようして走る。目の前を一匹おそってくるので、やっぱりそうか、とおもいながらも、すぐ後ろを追いかけてきているような気配がするので、振り返りもせずに、そのまま20メートル近くをダッシュ。足をとめたところで、目の上、眉毛のへんが熱いことにきづく。一発さされたな、だけどそれだけですんだか、と安堵しながら、作業していた場所へもどってみると、屋根の上にいた職人さんのほうへ、積乱雲がもくもくと高くなっていくように、スズメバチの群れが飛び交っているのだった。危うく、巣をヘディングするところだったかとおもうと、ぞっとする。結局その日、親方も二発、もう一人の職人さんも一発、さされたのだった。

そのもう一人の職人さん、団塊世代の生まれで、私が木から落ちて入院している間に、腰痛の悪化で仕事をやめたような形になっていたのだった。仕事が暇にもなってきたので、親方が、ではこのさいに、と手術を受けさせたら、他の体調もふくめ、悪化してしまったのだった。またもともと、団塊世代より少し若い親方と職人さんには、いろいろ確執もあったかもしれない。が、とりあえず体調の安定した職人さんが、シルバー人材で働きだしたことを知って、親方が声をかけたのだ。おそらく、これまで30年以上と一緒に仕事をして、番頭としてただひとり育ててきた職人を、そのまま暗黙に首を切ったようなつれないままの関係で自身の生涯が終わってしまうことに、死んでも死にきれない、というおもいだったのかもしれない。また、2児の父親になった自身の息子に、金銭的な合理的な理由だけではなく、不合理でも人間的な関係こそを重視するのが職人の世界の筋なのだ、ということを教育してみせたかったのかもしれない。もちろん、そうは昔のように忙しくなく、かといって若い衆が自分の息子との関係で根付いてもくれないので、自分の付き合いで育てた老体が週四日で働いてくれる程度が、いまの経営規模ではちょうどいい、とかも折込済みの暗黙判断だったかもしれない。

その団塊世代の職人さんのほうには、1児の父になる息子がいる。以前は、親方の息子とともに、またお互いが中卒でこの世界に入って来た者同士として、働いていた。結婚をさかいに、女房のほうの実家近くの植木屋へ転職したのである。がいまは、その生産中心の植木屋から、高木専門の空師のもとについて一緒に仕事をしているという。植木生産の現場は、ゼネコンの現場への搬出などが多く、朝が早いなど労働条件が過酷で、ひとり、またひとりとやめていって、女房の父親のツテではいった自分だけが残っていたのだが、とうとうやめることになったのだという。しかし、空師仕事とは……親は、自分の息子がそんな日々の危険と向いあう仕事についていることに、どうおもうのだろう? 気が気でないのでは……。だけど、腹はすわっているはずだ、腹をくくっているはずだ、すでに、自分もそうなのだから。そうあってきたのだから。

植木職人の世界にいるとはそういうことであり、そういうところから、女房の子ども教育を牽制し、サッカーをめぐっての、世の中をめぐっての発言をしている、夫婦喧嘩をしている、そのことが、良家のお嬢さんたる女房にわかっているだろうか? 自分がどこにいるのか、誰と結婚しているのか、そのことがわからないで「清く、正しく、美しい」文句を並べることなど、単にイデイロギーにしかならず、論理(筋)にはならないのである。

2014年9月25日木曜日

三つの著作から―――<山城むつみ『小林秀雄とその戦争の時』(新潮社)、柄谷行人『帝国の構造』(青土社)、すが秀実『天皇制の隠語』(航思社)>

最近ようやく、注目する批評家の三著作を読み終えた。山城むつみ氏の『小林秀雄とその戦争の時』(新潮社)、柄谷行人氏の『帝国の構造』(青土社)、すが秀美氏の『天皇制の隠語』(航思社)である。三者三様ともいえるが、前二者の在り方をすが氏が批判的に相対化して時代言説の布置に位置付ける、という構図にもみえる。しかしそれらの関係を私なりの言葉で整理するのにはなにか困難を覚えている。今日は、雨ということで(降っていないのだが…)仕事も休みなので、時間があり、試みてみよう。ただそのまえに、この読書前に友人にあてたメールを引用することで、自分の問題意識がどこにあるのか、忘れないようにしておこう。読書世界のパズルに巻き込まれると、なんで読書などするのか、という動機自体を見失って、いわば象牙の塔にこもってしまう、バーチャルな世界と現実とを混同してしまうことになりかねないので。

――メール引用――

<ちょうどいま、山城氏の近著『小林秀雄とその戦争の時  「ドストエフスキーの文学」の空白』を読み終えて、これから柄谷氏の『帝国の構造』を読もうかな、というところです。
山城氏の叙述や視点は、やはり私には身につまされます。が、時事的に、柄谷氏の『帝国』と同時に読みたく、あるいは書評することで、現在の頭の混乱を整理したくなりました。

なんといっても、「イスラム国」と名乗る現実がでてき、その言葉がマスメディアにもでてくると、そういう構造認識は20年以上もまえからあったとはいえ、自分が何時代に居始めたのか、混乱してきます。そしてその地では、この地で異常といえる残虐さが日常になっていることを、メディアを通して知る 、そのことの媒介的、まだ距離のある混乱と、山城氏のいう、その地での異常がこの地での日常と同列的だとする緻密な論証の助けをかりて、この地もが、その地のような異常が日常となってくるまえに、つまり本当の混乱が、直の思考不能(空白)がくるまえに、考えておきたい、混乱を整理しておきたい……お昼のワイドショーでは、団地で少年たちのたまり場になっていた家庭での少女殺人事件が異常ともてはやされていますが、私も夏休みまえだったか、またもや漢字を覚えない一希に女房が偏執的な暴力をふるうものだから、割って入って首しめていまたが、途中でふとばかばかしくなって、というかそういう観念に襲われてやめましたが、そういうこの地での日常での異常と、その地での異常的な日常が 、同じであるとはわかってしまう……私が殺さなかったのは、殺してしまった場合のと同じ「一つの眼差し」によるといえば、まさに山城氏の、あるいは小林秀雄のドストエフスキー(ラスコーリニコフ)論考になってき、「イスラム国」よりもまえに「大東亜」と騒がした時代をわれわれが通過して9条があるなら、ととれば、山城氏の微分的な著作と、柄谷氏の積分的な著作は重なってくるだろうと。

いったいどうなるのでしょうね? 夫婦喧嘩は子供の勉強をめぐってしかおきないのですが(そしておそらく、これは一般性をもってくると、サッカー部の父兄をみてても推察されてくるのですが)、そんなことで殺人事件などおきたら、ほんとにばかばかしいのですが、このばかばかしい一 点に、何か諸関係の問題が集約しているところがあるのだとおもいます。喧嘩するたびに認識が深まって互いの理解がよくなって落ち着くのならいいのでしょうが、そうはならないことが予測できる。差別的にいえば、相手側が女だからということになる。結果が、つまり子供の成績や就職といった結果だけが、喧嘩を消滅させる。私が一希はもう新宿代表に内定している、みたいな情報をもらしたことで、女房は態度急変する。現体制からの子供の将来が不安だから、現にある勉強にしがみついているような。私は、自分がろくに受験勉強もせずに、早稲田に受かったときの母親の表情を思い出します。女房はその母親をまえに、帰省中、おもわせぶりなように一希に漢字勉強させ、できないとひっぱたきはじめる のですが、今のやさしくなった老人をみて、勘違いして、私の家庭体制(価値観の出自)に抵抗した気になるようです。まさに、そのように私も勉強させられ、その母への対抗として今の私の軌跡があるのに。私がばかばかしくなるのは、すでにかつて、母(女房)に勝ってしまっている(母殺しをする小説を書いたことがある)、家を出て違うところへいってしまっている、そういう自己認識があるからかもしれません。

ながくなってしまいましたが、私生活も時代も何かが具体的に反復しはじめたようです。しかし反復の認識や知識があっても、どうしょもなかった、というのが、小林のいう「歴史の必然」ということなのですね。>

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現今の市民社会運動の限界的な陥没(いかがわしさ)を、今なお暗黙に日本の思想界に支配的な批評家・小林秀雄の言説の変遷を参照にして緻密に推理論証してみせるスガ氏は、柄谷氏の思考の枠組みにも、かつて小林秀雄が依拠したいわゆる「講座派」的な軸が挿入されていると指摘するわけだから、山城氏が肯定的に、小林(柄谷)氏と社会(戦争)との関わりをこれまた緻密に読解してみせるその論証とは、対立的な趣向になるだろう。山城氏自身は、いわゆる現今の、たとえば護憲(9条守れ)のような市民社会運動に、そのままで首肯しているどころではないとは明確なのだが、その明察さは、氏が小林(柄谷)氏の論考を、より内向的に徹底的に読み込むことからきている。となると、この山城氏の内部における差異は、スガ氏が小林氏と柄谷氏の間に見て取ろうとする、あるいは期待する「切断」線と似てくるような気がする。

<より端的に言えば、小林は社会理論としての唯物史観は認めながらも、それが自意識の「内面論理」たりえないことに批判を向けているわけである。ここから、一見トリッキーと見なされた「マルクスの悟達」(一九三一)という視点が出てくることは見やすい。マルクスは、あえて「内面論理」の問題を切り捨てて、人間の「生き生きした社会関係」についての歴史理論を構築することにのみ専念した。これが「悟達」なのである。小林がマルクスに満足せず、ベルクソンに親近した理由も、ここにある。
 しかし、この程度のことであったら、何も今さら問題にするには及ばない。それは、せいぜい社会理論に対して私的な内面を対置するということに過ぎないからである。問題は、一見するとありふれた二項対立に過ぎないことが、小林にあっては、徐々に解消され、リンクしていくということである。>(前掲書「2 小林秀雄における講座派的文学史の誕生」)

そして柄谷氏には、氏の論理に内在する講座派と労農派との複線を認めたうえで、こう言葉を投げる。

<言うまでもなく、「新しい社会運動」の限界は、それが新自由主義の「政治」に抗する政治性を提示できないところにある。そのことも安倍政権の誕生以降、明らかになりつつある。市民社会論に寄り添いながらも、それを切断してきた柄谷の「政治哲学」は、『哲学の起源』以降、どのような展開を見せるのだろうか。>(同書「市民社会とイソノミア」)

このように予期される「切断」とは、宇野理論の「逆説的」な読みによる反復と捉えられているものだろう。科学(マルクス)が「革命の必然」を論証できないと宇野経済学(科学=社会理論)が言うのなら、その社会科学が依拠し、しようとしている市民社会への根拠づけからの解放(「切断」)である。無根拠な切断の理由(根拠)を、科学(理論)から与えられて解放されるというのだから、またずいぶんとエリート的だな、と私などはおもうのだが、この理論づけ(思考過程、密度)がないと、恐らくはロマン主義の機会原因論的な動機に近傍してしまうのだろう。だからあくまで、この無根拠な、市民社会からの乖離を科学的に気にする必要もない、単独的な運動(実践)への飛躍ということなのだ。
ならば、スガ氏の上引用の一文は、次のように言いかえられるだろうか? ――<問題は、一見するとありふれた二項対立に過ぎないことが、柄谷にあっては、切断され、リンクしていくということである。>

私の上のような読みの文脈にあっては、ゆえに山城氏の小林秀雄読解は、この「切断」と「リンク(接続)」を、より丁寧に顕微していっていることにある。そして、その山城氏の読みは、あきらかに初期柄谷氏の、いわば「切断」線にこだわった氏の思考力を自家薬籠中のものにして手離さず、さらに徹底化していることにあるとおもわれる。同書の武田泰淳論なども、柄谷氏がかつて論じた視点をより緻密に説明してくれているようなところがある。柄谷氏の直観的な言い方が、山城氏によって補足追求されるといった関係だ。となれば、スガ氏の小林秀雄に対する論究は、その小林の言表を、柄谷氏の切断線方向で敷衍化していった山城氏の論究と接続されていることになる。つまり、媒介する柄谷行人という思考の在り方自体が、二人の関係を切断しかつ「リンク」させていることになる。それが、スガ―柄谷―山城、という三者三様の関係の中身ということになるだろうか? 図式的に言いかえるとこうなる、<スガ=社会(運動の在り方)批判>――<柄谷=社会/内面>――<山城=内面(運動への動機)批判>

では、もっと具体的に、その関係間の切断と接続とはなにか?

山城氏にとっての「社会」とは、この著作では、「そこ」という言葉になる。いわば、まずは日本海の向こう、大陸における対岸の火事的な戦争の有様、異常時のことである。切断とは、そう他人事と世間では受容されてしまう「そこ」との関係、いわば通念的な社会関係からの切断である。むろん、この関係自体は、実はもっと一般的な話であって、別段戦争のようなわかりやすい異常でなくともいい、というか、むしろ日常的な「ここ」においてある関係が、小林の戦争体験によって露見されたということである。山城氏は、その通念的な「そこ」と「ここ」との社会関係を、次のように内的にえぐってみせる。

<……なぜなら、「そこ」にいた旅行者、小林秀雄の目を瞠らせた真に「恐ろしい」ものはその「ど強い」現実そのものではなかったからである。
 戦時下の検閲が戦後に解除され「ど強い」現実が赤裸々に見えるようになっても、それを包んでいた恐ろしい「空気」が見えるわけではない。おそらく、その「空気」は、当時、かりに検閲がなかったとしても、つまり「ど強い」現実がかりに報道に露出していたとしても、「ここ」にいるかぎり、見えなかっただろう。それはそこの「ここ」が「ここ」しかない「ここ」だからだ。「そこ」があっても、それは「ここ」と同一平面上に位置づけられているため、「ここ」の間尺にあった「そこ」でしかないので、結局は「ここ」しかないのだ。そのような「ここ」にいるかぎり、真に「恐ろしい」ものは、検閲されていなくても見えない。言ってみれば、内務省の検閲以前に、たんに、そのような「ここ」にいるというただそれだけのことで生じてしまっている検閲があるのだ。>

だから切断とは、その見えない検閲、通念的な社会関係への認識的な切断、ということになる。見えないものを見る視差の握持である。そしてその視差が、次のような内省を強いる。

<連中は何と異常で「無惨」な行為に走ったことかという視線で彼らを見ているとき、自分はそうはならないということが暗に前提されてしまっている。しかし、そう考えていられるのは、僕らがあくまで「ここ」にいて「ここ」の日常感覚が「そこ」においても延長し、「ここ」のモラルが「そこ」でも連続的に保持し得ると信じ切っているからにすぎない。もし「そこ」が「ここ」の座標を延長した空間にはないのだとしたら、――もし「そこ」が「ここ」とは連続していない、断層のある、別の空間に属しているのだとしたら、――そう信じ切っている僕らが何かの拍子で「そこ」に置かれたとき、強姦・虐殺・放火に走らないという保証はどこにもない。>

つまり社会関係への認識が、犯罪や戦争への加担、巻き込まれを防いでくれるわけではない。おそらく山城氏が、小林のいう「マルクスの悟達」という言葉を引用するなら、事態を防げないがゆえにその実践から解放されて(切断して)社会科学の純化に精を出すというスガ氏のような意味においてでなく、またその真逆で純粋に自分勝手にすればいい、というのでもなく、不純でも生きざる負えない、という文字通りな達観という話においてだろう。だからここから、「反省」などしないで「黙って処す」国民(=小林)議論の是非の視点が発生する。また、この不純さ、切断によって自己に抱え込んだ社会とのかい離を、飛躍(実践)として架橋するかもしれない散(雑)文思想への注目が発生する。


<小林の「見え過ぎる眼」(「徒然草」)は、ひょっとすると、すでに一九三八年、「満蘇国境」にあって戦争の結末を予め知っていたのかもしれない。だが、見え過ぎる程度の眼、予め知っている程度の知が一体、何なのか。たしかに、事後という地平は、事前にはどうしても見えなかったものを易々と見ることを可能にしてくれる。その「利巧」さが、あのときああしていれば、ああもあり得た、こうもあり得たと「反省」を促してやまないのでもある。しかし、「反省」を可能にするこの明視そのものによって見えなくする死角がある。と言って、事前の光学に戻ればそれが見えるようになるわけでもない。事前の視野にはもちろん、事後からの遠近法によってさえ見通すことのできない絶対的な死角がある。事前と事後との間には時間の結び目が断たれる瞬間が必ずあり、誰もがその死角を、見るまえに跳ぶのだ。「何か知らない一線」を踏み越えるのである。予め知っていたことが、かりにすべてそのままに起こったとしても、そこに生じた諸結果の中に立たされれば、予め知っていたとおりのそのままの諸結果が、全く思いもよらぬこととして経験されるほかない。その落差が、無意識というものの実体であり、人間が生きて何かを為す、やってしまうということの意味だ。悲劇はとは、永遠回帰とは、反復する同じもののこの差異の肯定ではないのか。>

やってしまって認識したドストエフスキーは、ロシアを舞台にした小説を書くという実践を反復した。人が「黙って処す」のは、たんに迎合するときだけではない、むしろ苦渋の選択を強いられているときだろう。ドストエフスキーは、この無言の民衆に言葉をあたえようとした(佐藤優氏と沖縄との関係はこれに似ているかもしれない)。山城氏は、そう小林のドストエフスキーを読むがゆえに、さらにこう氏の言葉を抽出するのである。

<つまり、かつてと同様、今もなお、文学者は、いや俺は、「自分」の心の裡に棲んでいる「黙ってゐるもう一人の微妙な現代日本人なるものに」に正確な言葉を与えていない、それを「日本人の思想の創作」として提出していない、「私は、敗戦の悲しみの中でそれを感じて苦しかった」、「私の心は依然として乱れてゐる」と。「文学と自分」の批評家が問題にしているのは、僕らは、国民という、国家の政治単位としてではなく、個として、「戦争放棄の宣言」を定義するような「経験」(森有正)を自分のうちに確実に育てているか、文学者はそれを「日本人の思想の創作」として言語に結晶化させているかということなのだ。「凡ての大思想は、その深い根拠を個人の心の中に持つという事が信じられなければ、それは文学者たる事を信じていない事である」。小林は、一個の文学者として、「戦争放棄の宣言」そのものをではなく、その「深い根拠」の方を自分の「心」に問い、それに匹敵する実質を自分は果たして「日本人の思想の創作」として析出させているのかと自分自身を徹底的に問いつめたのだ。「苦しかった」のは、そして「自分の名状し難い心情を語る言葉に窮した」のは、そのためである。それは、裏を返して言えば、小林は敗戦以後ずっと、より具体的に言えば、日本国憲法公布の日付で『ドストエフスキーの文学』の再開を宣言して以来ずっと、「戦争放棄の宣言」に匹敵する実質を「日本人の思想の創作」として産み落とそうと苦しんで来たということである。たとえば、すでに見た「「罪と罰」について」がそれである。だが、その緻密かつ周到な読解も、最後には作品読解という位相を超えて出てしまっていた。苦しみはまだ続くのである。>

社会を切断してみせた自己は、その認識(悟達)を握持するがゆえに、社会へと自らの内的動機によって接続を模索する。山城氏が見つめているのは、見かけの「リンク」ではなく、あくまで内省的な動機の力なのだ。

*****     *****     *****     *****

山城氏は、この社会を切断した自己から社会への折り返し地点における小林秀雄の引用文を引き合いにだすに際し、前置きとして小林がこのように考えただろう、と推定している。――<「日本は単に文明の遅れた国ではない。長い間西洋と隔絶して、独特の智慧を育てて来た国である」と「日本人或は東洋人独特の智慧」について考えただろう。>
私の以上の文脈において、その「東洋人独特の智慧」として、柄谷氏の『帝国の構造』を導入してみせるのは、行き過ぎだろうか? むろん、柄谷氏の論考においては、亜周辺としての日本と、中心(帝国)としての中国(東洋)の智慧(原理)は理論的に区別されているわけだが、われわれ日本人が、西洋の「神」概念より、中国の「天」の観念にむしろ親しみがあるのは経験的事象・事実なのではないだろうか?(私も、そうした私観を無邪気にブログで書いたおぼえがある。) たとえ、中国の民衆のように革命を起こすわけではないにしても。スガ氏の見立てならば、どちらにせよ、それは言説的に小林秀雄の論理枠組みの反復であり、「日本回帰」の事象と同等な論理必然、カラクリ、ということになるのかもしれない。実際、柄谷氏が柳田国男を引き合いにだしはじめたのだから、なおさらそのスガ氏の見立てを実証しているともいえる。しかしこの『帝国の構造』が、社会を切断した自己からの飛躍的な社会架橋としての実践だとしたらどうだろう。これは「大きな物語」というよりは、おおざっぱな、<雑なる小説>だとしたら? かつて蓮實重彦氏は、柄谷氏を「小説家」だと『闘争のエチカ』として論じてみせた。最近の柄谷氏の言動は、たとえそれが小林以来の批評的布置の反復だとしても、やはりどこか生き生きとした闘争の身振りを、読者に感じさせないだろうか。
私は山城氏のように、「反復する同じもののこの差異の肯定」として、柄谷氏を考えてみたくなるのである。たとえそれが、道化(茶番)してるような身振りにうつろうともである。

黙って処している国民の一人として、苦渋に生きている者として、私は柄谷氏の以下のような文、帝国の原理の下地になるような指摘から考えたくなる。

<「無為」とは、「為」を否定することです。「為」は、いわば力による強制を意味します。どのような力か。一つは呪力による強制であり、いいかえれば、氏族社会の伝統である互酬原理です。もう一つは武力による強制です。これは、氏族社会の崩壊とともに露出したものです。老子1がいう「無為」は、それらのいずれをも斥けるものです。この意味での「無為」は、道家(老荘)だけでなく、儒家にも法家にも共通する態度です。無為とは呪力と武力に頼らないことです。「思想」の力が成り立つのは、そこにおいてです。また、そのかぎりで、思想家が力をもったのです。>

かつて若かりし頃の柄谷氏は、正月のお年玉のやりとりへの違和感を表明し、精神科医が金をとることを評価していた。私も、日常的に、そうした互酬原理に従えない性質なので、人間関係的にはつきあい友達は一人もできない。しかも柄谷氏を読んで意識化してからは、まさに意識的に確認しながら日常を生きることになるので、もらってもお返しをしないということに引け目をかじずに、抜け抜けと明るく超然としている。そんな奴が互酬倫理が厳然と残存する職人世界で20年以上も生き延びているのだから、たいしたものではないか? 今さらになって、商品関係的な冷たい関係よりも、互酬的な温かみのある人間関係のほうがいいのだ、それを高次元で回復するのだ、といわれても、そうは問屋がおろさないのである。
私は、あくまで私の動機において、社会と接続する必要があるのである。

2014年9月1日月曜日

息子の事故

「バルセロナってクラブは、”学校の寄宿舎”みたいなもんだってことがわかってきた。選手たちはみんなファンタスティックだし、あいつらには何の問題もない。バルサにはアヤックスやインテルでも同僚だったマクスウェルがいや。だが、どいつもこいつも、スーパースターとしての振る舞いをまったくしていない。それも奇妙じゃないか。リオネル・メッシ、シャビ、アンドレ・イニエスタ、そして他の選手たち誰もが、まるで小学生みたいなんだぜ。世界のトップスターたちが、ここではへいこら頭を下げている。俺にはまるで理解できなかったよ。イタリアでは監督が「ジャンプしろ」と言ったら、選手は「なぜジャンプするんですか?」と質問したよ。だが、ここでは誰もがこっくりとうなずいてジャンプする。まるで調教された子犬と一緒だぜ。なんて居心地悪い場所だ。それでも俺は自分に言い聞かせたぜ。「この状況を受け入れないといけない。先入観をもつな!」と。何とか適応しようと努力し始めたんだよ。そしたら俺は飼い慣らされた子羊みたいになっちまったぜ。あり得ねえだろ。親友で代理人でもあるミーノ・ライオラは、「ズラタンに何が起こった? ズラタンじゃないみたいだな」と言ったよ。」(ズラタン・イブラヒモビッチ著『I AM ZLATAN IBRAHIMOVIC 沖山ナオミ訳 東邦出版)

夏休みの最後の日、息子の一希は自転車事故を起こして救急車で運ばれる。下り坂の途中で人をよけようとして、電柱に激突、後頭部を打つ。仕事途中にきた女房からのメールによると、図書館へむかっているときにだそうだ。脳検査では異常はないが、様子見のためそのまま入院。傷口をホッチキスでとめてあるそうだ。仕事を終えて家についてみると、子供の事故の連絡にあわてて外へでていったような空気がある。勉強机にもなる食卓の上には、夏休みの宿題の読書感想文の、女房の添削した赤鉛筆で直された原稿用紙が広げられたままだ。図書館には、この二日前に、私と一希はいっていて、そのとき息子も何冊か借りたはずだ。ということはつまり、読書感想文の添削最中に喧嘩がはじまり、「それなら違うのを借りてやりなおす!」とでも一希はいって、逃げるように出ていったのだろう……そう、私は推論した。
病院に出向くと、ベッドで寝ていた一希は顔をあげた。ショックで深刻そうな表情をしていた。ベットわきで、女房が看護婦から説明を受けている。女房は、子供の無茶な運転やノーヘルメットが事故とケガの原因である前に、自分が因果をつくっていることを、自覚しているのだろうか? 私は、そんなことを問い詰める気にはなれなかった。3.11以降、学校の勉強をしつこく迫るその態度、それでいて、原発反対だの政府がなんだのと、御託を並べる情勢にはうんざりだった。自然の大きさのまえに、そんな勉強の強要や屁理屈に固着していることが信じがたい。もっと、おおらかでいろ、そう、自然は教えてきているのではないか?

私は、自分があの頃、枝おろし最中に木から落ちて、この同じ病院に入院していたときのことを考えた。なんで神は、息子に事故をおこさせたのか? 私にか、私たちにか、何を知らせようとしているのか? これから、どうしてほしいというのか? どうすべきだというのか? それを読解する、なにか他の兆候が起きていないか? いつしか、そんなふうに、私は考えていた。

2014年8月9日土曜日

弱いまま勝つ

「馬庭念流を百姓剣法と云うのは、半分は当っているが、半分は当らない。むしろ源氏の剣法だ。諸国の源氏が野良を耕しながら武をみがき、時の至るを待っていたころの姿がそっくりこうだったに相違ない。違っている一事といえば、馬庭ではもう時の至るを待っていないだけだ。それだけに、畑に同化するように、剣にも同化し、それを実用の武技としてでなく天命的な生活として同化しきった安らぎがある。一撃必殺を狙う怖るべき実用剣を平和な日々の心からの友としているだけなのだ。全身にみなぎりたつ殺気はあるが、それはまたこの上もなく無邪気なものでもある。終戦後は村の定めも実行されなくなって、寒稽古にでる若者の姿が甚しく少くなってしまった。
「みんなスケートやスキーを面白がりまして、そっちへ行きたがりますな」
四天王はこれも天然自然の理だというような素直な笑顔で云った。馬庭の剣客は剣を握って立つとき以外は温和でただ天命に服している百姓以外の何者でもない。まったく夢の村である。現代に存することが奇蹟的な村だ。この村の伝統の絶えざらんことを心から祈らずにいられない。(坂口安吾著 「安吾武者修行 馬庭念流訪問記」)

「弱いまま勝つ」、というようなタイトルの、高校野球もののテレビドラマを最近までやっていて、子供が録画してよくみていた。その一希のなかなか勝てないサッカーチームの現状を評して、コーチをしている俺が悪いからだと女房はなじってくるし、息子も負け癖がついてひねくれてくるので、「そのうちわかる、弱いまま勝ってやる、俺がそれを証明してやる」――と言いかえしていたのが一月ほどまえ。そしてどうにか、この夏のフットサルの地域大会で準優勝して、その証明を果たすことができた。まさに、普段の中心選手も欠いた弱いままの勝利だった。他のチームのコーチからも、「サッカーが必ずしも技量だけではない、ということが体現されているような試合」と評価された。ひとりひとりが、暑さにまけず、最大のモチベーションでのぞんでくれた。コーチの一番の難仕事は、技術の教え以前に、まずは子供から信頼を得ること、そしてその心をつかんだら、こっちからこっちへと、まだ子供たちにとって未知の世界へともってくる腕力である、と私はおもっている。はじめて準優勝のカップを手にして、子供たちは、やれば新しくみえてくるものがある、という感覚を覚えただろうか?
 しかし目指しているのは、ミニゲームではなく、あくまでサッカーだ。小さいコートでの、反射神経中心の試合なら、ハアハアいう我慢でなんとかなるところがある。が、大きなフルコートでは、それだけでは無理になる。違った我慢が必要になる。慎重にやること、ミスを小さくするような丁寧さ、判断することの持続、つまりは、肉体的だけではなく、神経・精神的な静かな我慢を身につけなくてはならない。そのための練習方法、アイデアはあるけれど、果たして、子供たちは練習にきてくれるのだろうか? くるようになるだろうか?

2014年7月20日日曜日

ザック・ジャパンと育成問題

「余談ではありますが、私は近年の日本の育成現場で流行っている「教え過ぎない指導」、「ボトムアップ理論」には少し危機感を覚えます。おそらく、こうした指導や理論は「指導者が常に指示を出して選手を機械的に動かすのを避けましょう」という意味なのでしょうが、私は指導者が選手にサッカーのプレーの仕方を教えなければ選手がサッカーを学ぶことはできないと考えています。」
「私的な意見ですが、日本サッカーの育成年代においては戦術指導への理解と戦術指導のできる指導者がもっともっと増えていくべきだと思っています。スペインでは育成年代から当たり前のように戦術指導が行われ、それが大人になった時のパフォーマンスにつながっています。これは私がスペインで6年間指導をして得た結論の1つです。」(坪井健太郎著『サッカーの新しい教科書』 KANZEN])

ネットなどの記事によると、元サッカー日本代表監督のザック氏は、アジア杯で優勝したあたりからだったか、途中で自分のやり方を選手に指導するのではなく、選手に任せる方向に方針を変えたという。ブラジルW杯後のインタビューなどを考慮すると、私見では、おそらくザック氏は日本人の人柄や文化に惚れてしまったのだろう。誠実で真面目なこの選手たちをまえに、口うるさく言うことから降りてしまったのだろう。しかし、本心は、彼らの能力や真剣さでは世界では勝てない、という認識はあったのだろう。だから、いきなり本番の試合で方針をかえた、自分の色をだした。結局本試合で長い起用をされたフォワードは経験豊富な大久保であって柿谷でなく、終了間際にはパワープレーの指示をだす。「勇気」をもっていつものプレーができる(た)か否か、という視点からザック氏はW杯予選リーグ落ちを評価したが、一番に「勇気」を欠いて普段とは違う方針に転換したのは監督本人だったようにみえる。あるいは、たしかに、相手のドロクバより先に大久保の選手交代がなされていたら、とか、偶然的にも日本が初戦に勝って決勝トーナメントへ進出できた可能性もまるきりなかったわけではないようにもみえる。が、大会全体からみたら、やはり日本の実力は、世界大会レベルで互角に戦えるレベルにはないと、まずは球際での真剣さレベルでそう思わざるを得ない。だから、私たち第三者がとる態度とは、勝った負けたの結果からではなく、勝っても負けても存在してしまうだろうその問題点を認識分析し、それを克服していくよう持続的な方針を理念として握持しておくことだろう。そういう評価の視点からして、ザック・ジャパンのW杯での惨敗は、育成年代でのサッカー指導の問題点、矛盾点をあぶりだしてくれたのではないかとおもう。

要は、ヨーロッパ人のザック氏は、日本にきてプレイヤーズ・ファーストという方針で普段の練習・試合に臨んだ。が、ぶっつけ本番で、監督の戦術的な色をだしたのだ。このブログでも、選手(子供)優先のサッカーというヨーロッパからの指導方針と、その日本少年サッカーをヨーロッパのコーチがみていう、「日本の子どもたちはテクニックはすぐれているが、戦術的理解がない」という評価とは、矛盾しているのではないか、と指摘してきた。自由にやるのと、作戦を理解してやるのと。この矛盾点を、日本のサッカー協会は理論的に解決していない、そのことが、育成の現場でも、各コーチの指導法のちぐはぐさやパパコーチ同志の確執として現れてくる、と。私自身はこの矛盾を、自由とが、算数の問題を解く自由と理解すれば、それは矛盾ではなく、本来的な思考態度として引き受けていく前提なのだ、と理解した。靴紐のリボン結びという例題を比喩に使いながら。そういう見方をしていた、哲学教養が前提にある私には、上の坪井氏の提言や、W杯の分析での指摘は首肯しうるものである。しかし、坪井氏の提言をそのまま日本に輸入するような発想だと、つまりは、例題からただパターンを暗記・習得していくだけの、明治以降の遅れた近代化の日本の態度のままだと、結局は、同じことになってしまうだろうと、危惧する。

<日本人選手は「ボール扱い」に関しては世界でも有数のレベルにありますが、これはボール扱いに関して非常に高いレベルでの自動化がなされているということなのです。
 さらに日本のサッカーがレベルアップするためには、戦術の経験値と戦術メモリーの蓄積を図り、戦術的にも自動化を図ることが必要です。>(同上)

W杯でのドイツの優勝が意味するものとは、この戦術の「自動化」である。社会学的にいえば、それはサッカーのエリート化、「官僚化」を意味する。徹底的にパターン・定石を暗記しておくこと。そのバリエーションのデータ化とそれに対応するオートマティック(組織・集団的)な対応の暗記・訓練化こそが、現在と今後の世界の潮流になっていくだろうと。坪井氏は、そう純粋にサッカー分野でのことを考えているので、この事態にまつわる文脈、とくには日本というアジアあるいは世界の途上国の中でいち早く近代化をなしとげた教育システムにまつわる社会問題上の諸文脈については、無意識であろう。ボール・コントロールといったテクニックのレベルであれ、戦術上のことであれ、それが「自動化」(暗記反復化)される発想を伴ったとき、遅れてそれを学ぶ側には、その動機自体は学ばれない。ゆえにまた、自分の本来性といったものに拘らないで変化できる、できた日本の文化的土壌でこそ、ためらいもなく暗記教育にまい進し、遅れた近代化を見かけ上はなしとげることができた、というのが人文的な一般的教養であろう。そして日本ではとくに、その暗記主義、人間の自動化=兵士化を、世界と戦うという現実的政策として、エリートだけでなく、全国民的に総動員しなければならなかった。日本の運動部や会社の新人教育に、上官―下士官と相似の、先輩(上司)―後輩(部下)的な不合理で暴力的な上下関係が導入というより普及してしまっているのは、そのためである。疑似封建制が、社会のあらゆるレベルではびこってしまったのは、軍隊教育を経た戦後になってこそなのである。(読売巨人軍の桑田選手が、引退後早稲田大学の大学院でテーマとして追求したのも、この運動部における暴力の社会・歴史的な考察である。)だから、もし、サッカーの指導もが、個人テクニックをこえて、チーム・集団的な戦術の暗記、監督の作戦理解、といった位相に移行すると、おそらく、この暴力主義が復古精神的に、日本の地として、露呈してくる、そちらにバイアスがかかっていくだろう、と予想されてしまうのだ。「プレイヤーズ・ファースト」を日本のサッカー連盟として普及させていこうとしている池上正氏は、その方向へ転換するきっかけは、自分が選手に対してしてしまった暴力からだったという。それは、曲がった棒をもとにもどすというアルチュセール的なイデイオロギー対応として正当である。もし日本が、より一層の暗記エリート主義にまい進しようとするならば、近代化過程での特殊文脈としての地にからめとられてしまうだろう。現に、子供への育成現場で、その兆候は表れ増加傾向にあるのではないかと推察される。しかし、暗記しても、そうする動機、モチベーションは獲得されえない。ヨーロッパのサッカーが、たえずフィールド上に真理を、ゴール(ゴッド)へむけての真実を追求していくその科学的な合理精神として進化発展してくのは、まったくの不合理な、キリスト教的な情熱、と呼べるものから出来しているのであろう。結局は、どんなに暗記がうまくいっても、0点におさめられることが理論的な結論であって、ゴールは、つまりは神への信仰は獲得されないのである。

しかも、日本の、日本人の底力として発揮されるかもしれぬ情熱、モチベーションは、近代化の過程での追い付き・追い越せ的な情熱、戦国時代の武将群像によって象徴化される男の通俗的な歴史ロマンにあるだけではない。渡辺京二氏が『逝きし世の面影』で前景化してみせてくれたように、何よりも子供優先の社会であり、庶民文化であった。むしろ、近代においてはじめてなように「子供の発見」をしなくてならなかったヨーロッパと違って、日本の庶民社会の間では、近代的に子供の自由を認めてやれた前近代的な社会だったのである。だから、具体的にサッカーの育成現場でも、パパコーチの近代的な父系的厳しさと、前近代的な双系的(父系と母系の特徴が並列同居的)な甘えが、指導作法として混然としてしまう。私なども実際、「曖昧な日本の私」(大江健三郎のノーベル賞受賞講演タイトル)になってしまう。しかしそれでも、「暴力」にバイアスがかかるぐらいなら、何もしないでほったらかしにしていたほうがマシであろう、とおもう。

だから、理論的な実際は、以上のことを考慮したうえでの、各コーチ自身の内省と各子供への洞察と、それの実践へ向けての手腕ということになる。その個人の力自体が難しいのだ。たとえ、一般的に、理論的な解がわかっていたとしても。アトレチコ・マドリードの監督の戦術を問題とするだけではなく、あのきかん棒な選手たちにどうやってその方針を浸透させてモチベーションをあげていったのか、その監督個人のノウハウこそが問題で重要なのだ、とする指摘もあるように。「プレイヤーズ・ファースト」を実践する池上氏でも、子供に勝手なことをさせているわけではなくて、その現場での洞察に従った、しかも各子供ひとりひとりへの洞察にしたがった、臨機応変な実践力で対応しているのだろう。それは、ハウツー的に、パターンとして学べるようなものではないであろう。

<サッカーをする本当の楽しさは、真剣にプレーして、負けると悔しくて、もっと練習してうまくなりたい! と感じることです。練習中に仲間とふざけ合っている楽しさは、サッカーを楽しんでいることではありません。一生懸命取り組んでいるのなら、ぜひ見守ってあげてください。>(池上正著『少年サッカーは9割親で決まる』 KANZEN)

私は、日本のサッカー現場における(サッカーにかぎらないが)、育成の方針は、やはり上記の池上氏の考えが大枠でいいとおもう。しかし、指導する具体的な内容において、若いコーチたちが勇気果敢に現地へもぐりこんで内側からつかんできた情報をいかしていく、フィードバックしていく更新転換の体制を、日本のサッカー協会はとっていくべきであろうとおもう。

*ほか、サッカー育成問題に関わるブログ
2012.7 「ユーロ・サッカーから――世界とコーチング
2013.5 「サッカーと戦争(ロジックとロジスティック)」/「数と形(サッカーと政治)
2013.8 「夏休みの宿題にみる戦争(サッカー)の論理
2013.12 「少年サッカークラブの育成から
2014.2 「サッカー<プレイヤーズ・ファースト>の自由」

2014年6月25日水曜日

W杯と9条 ――ゴミ拾いと居合い抜き

「当事者がどこまで自覚しているかは別にして、客観的に見た場合、沖縄県は、信頼もできず力もない東京の中央政府に対する交渉に見切りをつけている。そして、米政府に直接働きかけることによって、突破口を開こうとしている。危機的な状況になると沖縄と沖縄人には、セジ(霊力)が降りてくる。セジを霊力と訳したのは久米島出身の沖縄学者・仲原善忠だ。船にセジがつけば、航海の安全が保障される宝船になる。セジは人にもつく。沖縄県が優れた外交能力を発揮しているのも、目に見えない沖縄と沖縄人を守るセジによるものと筆者は考えている。」(佐藤優著『宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源』 角川書店)

日本代表最後の戦い、残念に終わった。前半はとにかくなりふりかまわぬ必死さがプレーに感じられて、なんでこの真剣さを最初からださなかったのだ、Jリーグの練習の時から、とおもった。結局3試合、今回は攻撃サッカーをするぞ、と勢いよく敵地に飛び込んで行って、相手チームの真剣な、大人の強さにあしらわれて帰ってくることになった。しかし、ほとんど大人対中学生くらいのメンタルと頭脳の差があったと私には見えたが、そこまでくるのにも20年かかっていて、ここでの口惜しさと内省を、とくには次のある若い選手がまた一歩前進させてくれたら、と願ってやまない。またそれは、われわれサポーターもが成熟していく必要があることを同時に意味してくることだろう。

とくに最終試合のコロンビア戦、とくに後半に司令塔の10番がでてきてから、私はまだ20代前半のころ、日本バブルがはじけた直後の1990年代初頭から、夜勤の荷物担ぎのバイトを日系を中心とした南米からの男たちと一緒にしていたころのことをおもいだした。ああいう抜けめなさ。普段は怠けているようでいて、というかほんとに仕事はしたくないので、適当にやりすごしながらも、ここで踏ん張れば楽ができる、というポイントを見出すや彼ら全員がドバっと示し合わせていたかのように集中力を発揮する。そのカウンターの一点からみれば、日本人の勤勉さや忍耐などだらだらやっているようなもので、効率がわるい。その賢さとテレパシーがあるかのごとき集団性が、私にいまもって強く印象づけられている国際体験、カルチャーショックだった。このチームプレーは、歌舞伎町や六本木などでの遊びの場でも発揮される。とくに、日本の女の子にちょっかいだそうとするときに。

そんな光景をみてきた私からすると、試合後にゴミ拾いする日本のサポーターのニュースは、外国のメディアも肯定的に報道していたとはいえ、嘘だろう、本当は「よくやるよ」と軽蔑していたはずだ、となる。俺たちは真似しないけど、偉いことは認めてやるよ。だから、今後もたのむね、と。で、たとえばそう日本人があからさまにいわれたとして、果たしてかの善きサポーターは黙々とゴミ拾いを続けられるだろうか? その覚悟があってやっているのだろうか? むしろ、善意でやっているのにそんな仕打ちとは、と逆上気味になるか、泣き寝入り的に引き下がるのではないだろうか? 自分のゴミを拾って帰るのはいい(あたりまえだが)、しかしそれ以上のことをすることには、自分の行為を世界基準で客観視し、それでもやると主体的に折り返す、習慣的ではない思想的な営みとして引き受けていかなくてはならないのである。だからおそらく、外国の集団がゴミ拾いしたら、それが貧しい人たちの仕事を奪う搾取行為だ、とうの左翼言説からの批判をも織り込んだ、闘争的な、だから組織的に持続可能な体制的なものになる気がする。少なくとも、そんな覚悟なくして、善意の押し売りみたいなことはやってはいけない、というのが私の労働現場からえた国際感覚である。弱い奴は、用心して、大人しくしていろ。それができるのが、大人だ。そう仕掛けてくる相手に、前回ブログの冒頭で引用した、荷物担ぎのユダヤの思想家ホッファーのように、こちらも知恵を返してやり返してやれること、それが、相手から「ばかではない」と認められ、フェアな”友達”になれる条件である。そして、ほんとうに弱いことを自覚して大人しくしている、立場の弱い日本の中高年の労働者たちに、彼らはほんとうにやさしくするのである。中途半端な賢しらは、売られた喧嘩は買うよ、に始末する。ブラジルでゴミ拾い、とは、喧嘩を売っているようなものであろう。

選手でも、サポーターでもみえたその日本人の弱さ。そのことがまずわれわれに自覚されてきた大会だった、と私は分析する。いや、攻撃するぞ、とかいってそうさせてもらえなかったザマなのだ。そうしなくてはならない。そしてそのことに、卑下する必要はまったくない。その自覚と内省があって、はじめて将来にむけた、いや今からはじまる、日本サッカーの戦い方が見えてくるのではないか、とおもうからだ。少なくとも、私には見えたような気がしたのである。
真面目で勤勉であり忍耐強い、という弱さ。人間的な喜怒哀楽・浮き沈みというよりも、機械的な一定さ安定さの中での方が自分たちの力を発揮させられる、という弱さ。オランダやドイツのように豪快に緻密に攻め切れるわけでもなく、イタリアや南米の中堅チームのように自陣に引いてカウンターを狙い一点を守りきれる賢さもない。しかしこれは、自分たちの弱さに徹していないからではないか? コロンビア戦、本田は一人で不器用なドリブルをゴリゴリ仕掛けてボールを奪われ失点する。単純に、奪われ方がまずすぎる。同時に、攻撃的なサッカーを標語してきただけに、カウンターに対するケアが育成されていない。オシムが助言していたように、そもそもセンターバックの足がおそすぎる。かといって高さも中途半端。そうしたことすべて、自分たちを過信し買い被っていたからだ、と自覚しよう。だからでは、自分たちの弱さに徹するとはどういうことだ?

私は、居合い抜きのイメージを提供しようとおもう。日本の武士、サムライの得意技といったら、これだろう? カンフー激のように格好良く刀を振り回すのではなく、ただにらみ合い、ひたすら戦わないでにらみ合い、相手がしびれを切らして動きをみせた隙に一撃を与えて終える。イチローの打法もある意味では居合い抜きだ。ホームランをかっとばす技術ではない。自分の小ささを自覚したところからくる弱者の一撃打法、内野案打戦法だ。で、それがサッカーではどうなる? スペインのポゼッションサッカーからゴールを目指す攻撃性を抜いたものだ。……ん? つまり、自陣に引いてカウンター狙いで守るサッカーではなく、敵陣に引いてゴールを狙わないパス回しサッカーだ。そして、ひたすら相手がへばり、足がつるのを待つ。そうなった最後の5分間で勝負する。勝をとれなかったらしょうがない、俺たちは世界で勝ちきれる柄ではないのだ、と自覚している。その自覚の先にだけ、運が良ければ、W杯優勝もあるだろう、と割り切っている。単調な、機械的な動きを忍耐強く、勤勉にこなしつづけ、その退屈さに付き合える外国チームは少ないだろう。しかし、すでに、日本代表のU-17は世界大会でこの退屈さとポゼッションゲームの模範例を示していたではないか? いや、ザッケローニの戦術もまた、ギリシア戦、フランスの新聞によれば眠くなる試合運びをさせる「催眠術師」だとのことだった。この、スペインサッカーとは似て非なるものこそ、日本の戦い方として、われわれに合った世界性を持つのではないだろうか?

おもえば、本来、日本の柔道とはそういうものだった。相手と組み、動かない。相手が耐えきれず反撃にきたときに、その力を利用して投げる技だった。が、それではいつになっても勝負をつける戦いがはじまらず、退屈なので、オリンピック用にルールが変更され、早く戦え、と急かされるようになっているのだった。いや、オリンピックだけではない。日本の憲法もそうだ。9条を抱えて、専守防衛というわれわれに合ったやり方で無理なくここまできたのに、世界で戦え、戦えるように、と、弱さを自覚・内省することなく、中途半端な賢しらで、原則の解釈だけを変更して打って出ようとしている。そんなに世界のゴミ拾いがしたいのか? じゃあやって、たのむよ。俺たちは、後方支援でいいからさ、と、私には一緒に仕事をしたコロンビアやペルー、チリやアルゼンチンからの労働者たちの声が聞こえてくる。われわれの弱さを自覚しろ、ウルグアイやコスタリカのサッカーのように。集団的自衛権だって? 自分のゴミだけを拾うことしか、われわれの度量ではできないのだ。そしてその弱さを自覚することにこそ、、世界の人々との連帯や、心からの共有が芽生えてくるものなのである、というのが、私が労働現場から得た教訓である。

2014年6月12日木曜日

学習塾と知性

「…私はすぐに汗だくになり、ジャケットだけでなくシャツも脱ぐことになった。それ以降、仕事はまるで急斜面をはてしなく登りつづけるようなもので、このままやれるのだろうかと思った。しかし、向いの相棒を見ると、落ち着き払っていて、新しいシャツには一筋の汗も見えない。それどころかまるで遊んでいるかのようだ。
 まもなく、私のまわりでおかしなことが起っていることに気づいた。みなが私の様子をうかがっており、株式市場のブローカーのように、指で合図を送り合っている。そして、彼らはしきりに笑ったり、しゃべったりしていた。相棒は鼻歌を歌いながら、仲間たちにウィンクをしている。起っていることが何であれ、それが私のことであるのは間違いない。それが何かわからなければ、自分の知力への自信が失くなってしまう。相棒の動きを注意深く観察してみた。なぜあんなに簡単に仕事がこなせるのだろうか。体は私の半分しかなく、力も二分の一なのに。突然、喜びがあふれてきた。わかった!」(『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』 中本義彦訳 作品社)

小学校も高学年になると、学習塾に通っているため、サッカークラブの練習や試合にこれなくなる子も多くなる。東京23区内の高台地区に居住する学校のクラブコーチの話では、学年の8割ぐらいの子が、中高一貫の受験に備えるようになるという。谷底の方の学校の子たちはそこまではいかないようだが、ぽつりぽつりとでてくる。母親の顔をみていて、だいだい予測がつく。子どもにきいてみると、やはりそうで、五学年から塾の成績順によるクラス分けができて、その競争についていくのに大変になるそうだ。ちょっとノイローゼ気味になっているのではないか、とその子の様子から心配になって気もするが、他人の家の方針にかかわることまで深入りはできまい。ただそういう事情をコーチとして知っていると、練習に来ない奴はだめ、と排他的に、あるいは運動部的に対処するのは子供の成長にとってよくはないだろう、と判断するようになる。子ども自身は、仲間とやりたいのだから、親の事情にしろ、コーチの考えにしろ、大人の都合で一方的に試合にもでられなくなることは、不可解だろうから。

受験に受かってから、その中学のクラブチームで伸び伸びと上達していく、ということも多いだろう。というか、公立の部活動チームより、そうした進学校のチームのほうが、強いようにも見受けられる。サッカー専門のクラブチームよりは技術的に劣るかもしれないが、いわゆる頭の良い子たちは運動もできる、というのが相場だろう。たしかに、脳みそや体が柔軟な小学年代をボールコントロールの足技習得に全うできなかった時間は取り返しがつかないが(だから、サッカー専門的にやってきた子供たちにはかなわなくなるのかもしれないが)、守備や戦術的なポジショニングによって、そうは点をとられないサッカーができてゆくのだろう。サッカー経験のない大人でも、子供相手にはそれなりにやれてしまうのと同様だ。

息子の一希が、サッカーを専門的にやっていくほどそれが好きかどうかはおぼつかない。ひたすら壁にボールをぶつける遊び練習をしていて、あきない、なんでだかボールをいじっていると時間がたつのを忘れる、そんなサッカーというより、ボールに選ばれているという感覚がないと、本性的に難しいだろうな、というのが私の経験である。野球をやっていた私は、あきなかった。ひたすら、隣の人の家のブロック塀にボールを投げ当てては捕球していた。どんなボールでもとれる、そんな感覚がみについてくる。しかしそれでも、技術的には社会人野球レベルにはなれたかもしれないが、スポーツを仕事とめざしていくには、何か性向的に違っていたのだ。むしろ私は野球を材料に、より広範で突っ込んだ思考を突き詰めていく読書をやる方向に向かった。しかし読書人としても、プロにはなれない、セミプロレベルで、野球の場合と同じなようだ。これは半端というよりも、専門的にはなれない隙間に入り込む性向として自分が出てくる、という感じだ。だから、20年以上やっている植木職人という仕事よりも、なおフリーターのままという、なんでもない感覚のほうが強いのである。

そんななんでもない私が、一希をはじめ子供たちにいいたいことはこうだ。

学校の勉強でも、サッカーの練習でも、それは社会や世界にでたとき、ほんとうの問題に直面し解決していくためにやっていることなのだ。君たちは、スパイクを履くためにリボン結びという結び方を学んだ。それを知らなければ、すぐにほどいて結びなおすことも難しい。しかしそれは、その結び方を暗記していればいい、ということではない。その背後にある、本当の問題、すぐにほどけなくてはならない、すぐに結べなくてはならない、という矛盾を洞察し、理解する、ということが肝心なんだ。そこを理解すれば、君は、リボン結び以外に、もっといい結び方を発明できるかもしれない。一つの例題を、学習をとおして、君は自由な発想を手に入れる。だから、ならばもっと問おう。なんで「すぐに」ほどいて、結ぶ必要があるのか? 時間がない? 時間がないとはどういうことだ? 種や苗をを植えるのにだって、いつだっていいわけではない。時季をのがせば、のんきにしていたら、食糧も手に入らなくなる。つまり自然自体が、われわれ人間をしてその矛盾をせっぱつまらせているとしたら?
最近、プロサッカーの試合中、こんな事件があったね。ブラジル代表でもある黒人の選手が、コーナーキックを蹴ろうとしたら、観客からバナナが飛んできた。それは、おまえら黒人は猿で人間じゃねえだろう、という差別表明を意味していた。その瞬間、この選手はコーナーキックを中断したのではなかった。とっさにバナナをひろってむいて食べて、そのままプレーを続行したのだ。もし彼がそこでプレーを中断していたら、観客と喧嘩になって試合どころではなかったかもしれない。(かつては、バルセロナにいた当時のエトー選手がこうした状況に追い込まれて、試合が中断したことがあったんだよ。)差別には反対しなくてはならない、それはサッカーよりも大きな問題だ。試合をやめなくてはならない、続けなくてはならない、この矛盾を、彼は一瞬にして解決して見せたんだ。バナナを投げた当人は、面食らって、自分を反省する機会をもたされたことだろう。
しかも、この実践に対する他のサッカー仲間の反応も早かった。同じブラジル代表で黒人系のネイマールは、バナナをもって「俺たちはみなサルだ」というメッセージをネット上で発信した。だって、ヒトはサルから進化した、というのが西洋(白人)の科学なんでしょ、ならば、俺たち黒人だけがサルだというなら、白人の科学は嘘をついている、世界に嘘をまき散らしている、ということかい? どっちがほんとうなんだ? 俺たち(だけ)がサルだというのか、ヒトはみなサルだというのか? ――そう、根源的な問題を問い詰めている、ともいえるよね、世界の仲間と連帯しながら。

君たちも、こうした本当の知性を発揮することができるだろうか? 

2014年5月21日水曜日

植物とこころ

「私は、植物とは感情のやり取りをする間柄ではないが、植物が生を宿していることを尊重する気持ちには、揺るぎがない。人はしばしば「生きている」ということと、「感情のやり取りができる」ということとを、直接イコールで結びがちなようだ。しかしそれは違う。生きていることと、感情のやり取りができることとの間には、かなりの飛躍がある。このあたり、文化的な問題もたくさんあるし、それこそ人間の脳死問題と直結する鍵でもある。「感情移入できる」ことと「生きていること」がイコールだという発想は、非常に危険だ。裏返せば、これは「感情移入できない」=「話が合わない」ものは、人間であろうと生きていないのと同じ、ということにもなりかねないからである。つまるところ、民族紛争や宗教対立はこれと同じではあるまいか。」

「現在多くの医学系研究者が探している条件、つまりはほ乳類でも体細胞の分化全能性を引き出すことのできる条件が、今後発見されると、医学水準は急激に変化することだろう。…(略)…そのうえ、これら全能性のある幹細胞研究に先んじれば、将来の医療ビジネスでも、戦略的に研究を進めることができる、というわけだろう。いっぽう日本では、ゲノムプロジェクトに政府・民間企業が消極的であったため、アイデアでは先んじていたのに、あっという間に取り残されたばかりか、クローン人間に対する感情的嫌悪感から、この胚性幹細胞の研究までもが、よりによって一時的に禁止されたりもした。願わくは、この措置が、国家戦略の誤算ではなかったことを祈りたい」

「きっと将来は、こうした幹細胞の利用により、ヒトのいのちの見方は、植物のいのちを見る見方に変わらざるを、少なくとも近づかざるを得なくなるはずである。病気や怪我の治療は格段に容易になるだろう。事故で手足を失った人も、自分の体の一部に分化全能性を発揮させることで、自分の手足を取り戻すことができるようになるかもしれない。これを喜ばない人はいないと思う。一方、体の修復が容易、あるいはいつでもやり直しがきくということから、美容のための整形は体の隅々にまで及び、盆栽の剪定なみに気軽に行なわれるようになるかもしれない。いや、それどころかソメイヨシノのように美しい個体は、クローンで増やされる時代も来るかもしれない。それを不気味と思うかどうかは、植物的な生命感をヒト社会にも受け入れることができるかどうか、という一点にかかっている。」(塚谷裕一著『植物のこころ』 岩波新書)

植木屋だからということもあって、15年前に書かれた上引用の植物の本を読んでいると、「スタップ細胞はあります!」と泣き叫んだ女性の背景に、どんな社会的・時代的圧力がかかっているかがうかがえてくる。その万能細胞の発見発表のまえに、製薬会社関連の株売買があって政治家がからんでいたのではないかという疑いや、東大・京大の派閥支配の学者社会の中で早稲田理工の女子が犠牲になったという意見、まして「国家戦略」にまでなる分野だそうだから、追い越され遅れた日本の巻き返しの焦りとアメリカとの思惑との間で、陰謀まがいの政治的やり取りもがあったのかもしれない。真相の全体を知っている当事者は、おそらく誰もいまい、とオレオレ詐欺組織の実態と同様なのだと推察するが、この植物学者の塚本氏の話を読むかぎり、「スタップ細胞」というか、万能細胞がある、というのは「いのち」にの在り方にとって前提的らしい。その潜在能力、才能のスイッチを入れる、発現・発芽・させる人為的条件が発見・発明されたかはわからないが。

去年小学4年のサッカー・トレーニングセンター選抜試験では落ちた一希が、先月の5学年試験ではゴールキーパー候補として合格した。テスト前、所属チームでやっていると申告したフォワードとキーパーのうち、どちらかを選んでとテスト・コーチからいわれて、一度フィールド・プレーヤーとして落ちたものだから、キーパーでなら受かるかもしれないと、そう自身で判断したそうだ。もぐりこんでしまえば、いわばみなとの一緒の練習が中心だから、コーチからも「足先がやわらかくてドリブルがうまいね」とほめられて、フィールドプレーヤーとして調子づいている。周りの上手な子たちを抜きはじめたので、試合でも状況とは関係なく余分なドリブルで仕掛けては失敗する。「試してみたかった」というが、それならまあいいだろう。個人能力や技術に落差の大きいチーム内では、なかなか素早いプレスの中での対応技術がみにつかなかった。環境に必要がないので、いくらコーチングしても、理解できなかったのだ。日本で英語の勉強しても、その生活的な必要がないので、なんでそんなことまでするの、と、モチベーション的なレベルでまずつまずいてしまうのと似ている。一希と一緒にテストを受けたもう一人の子も、前評判は他チームのコーチの間でもよかったのだが、その必要ないところで安泰してしまった必死さのうかがえないプレーで落選してしまったのだろう。一希もテスト中、強いチームの子たちの早く強いプレスの連続にびびったプレーをしていたけれど、自分は受かってみんなと一緒にやってみたいんだという真剣さがひしひしと伝わってくるプレーだった。しかしいまは、というか、たった二回センターの練習に参加しただけで、はやその状況に適応し、そこでの必要な技術を発揮している。もう一人の子も、なんとかもぐりこめれば、一希以上に素早く適応し、自らの才能を発現・発芽させてただろうに。つまり必要なのは、その潜在性を発揮させる環境条件にあるのだ、ということだ。

しかし、人間には「こころ」があるのではなかろうか? もしその子が、プレスのかかった練習環境にある強いチームに入って、コーチからの厳しい指摘も受けながら、たとえそこでの技術を身につけたとしても、内心にはどこか歪みを生じさせないだろうか? 発育にあわない、早すぎた習得は、なんでこんなことまでするのか、という疑問を自身に納得理解させる暇を与えない。いわば詰め込み教育である。トレセン試験中、かつて同じチームメイトで、いまは上手になりたいと強いチームに移籍していった子は、「俺トレセン落ちたらサッカーやめるよ」と、言っていたという。それは、本末転倒した事態ではないだろうか? トレセンの練習中でも、すでに二段階上の地域トレセンにも選ばれている強豪チームのキーパーの子は、「俺キーパーしたくなかったんだよ」、ともらしていたという。サッカーやりたいからと入部して、すぐにキーパー専門として育てられる、というのは、その子の「こころ」に、やはり何か歪みを発生させないのだろうか?

万能細胞が開発されて、つまり、われわれの身体の潜在能力を発現させる適応条件が解明されて実現されるとき、それが早すぎた適応としてわれわれに「こころ」の歪みをも抱え込まさせるともかぎらない。それは社会に対し、歪んだ判断をも根付かせてゆく。いやそもそも、植物にも「こころ」があるとしたら? その「こころ」は、学者が植物のいのちの在り方、継続の仕方から解釈する「生命観」ではなく、われわれにはうかがい知れない「こころ」である。

2014年4月21日月曜日

9条と論理

「一つ目の特徴として、通常の学問では、論理、整合性が高い方、理屈が通っている方が論争に勝つんですが、神学論争では常に論理的に弱い方、無茶なことを言う方が勝ちます。その勝ち方というのは狡猾で、軍隊が介入して弾圧を加えるとか、政治的圧力を加えるという形で問題を解決するんです。つまり、神学は非常に強く政治と結びついています。/ 二つ目の特徴は、神学的思考は積み重ね方式ではないということです。実は、神学的な論争というのは全く進歩がない。そもそも論理的に正しい方が負ける傾向が強いという、でたらめな傾向があるわけですから。しかし、それでちょうどいいわけです。勝った方は、ちょっと後ろめたいことをして勝ったと思っていて、負けた方は、政治的に負けただけで、われわれの方が正しい、筋は通っていると思っていますから、両方合わせると大体バランスがとれる。」(佐藤優著『サバイバル宗教』 文春新書)

上引用の佐藤氏の発言は、私の教養を塗り替えるものである。私は、坂口安吾の、日本の禅坊主が宣教師との論争に負けてキリスト教徒に改宗していくものも多かった、つまり非論理な禅問答と論理を通してくる宣教師との有態の話を聞いて、そういうものか、納得できるな、と思っていたのである。もちろん、論理の訓練を受けている者が、それに従って行動してくるとは限らない。また、佐藤氏の発言の範疇は、「神学論争」において、ということだから、より広範な文化・社会的問題にはあてはまらないところもあるのかもしれない。が、その論争が政治的に、あるいは戦争で解決されてくる、というのだから、神学問題を超えてくる行動規範になるだろう。それがどんな範囲程度になるのか、私には推定できないが。
が、博学的に教養豊な小室直樹氏によれば、欧米人にとっての論理とは、有言実行のことだから、言ったことは必ずやる、という態度と一緒ということである。となればつまり、論争で負けたと認めたのならその通り実行する、というのが欧米人の道理、ということになるのだが、むろん、佐藤氏のこの発言では、神学論争に負けた方が、負けを認めたと言ったのか、負けを暗黙に認めざるを得ないので認めず、負けてないと戦い始めるのか、は不明である。佐藤氏と小室氏の論理をつじつまあわせれば、論理的には(頭の中では)負けを認めても、負けと言わず(論理明言せず)、戦争をはじめる、ということになる。
となれば、政治的・武力的にも劣勢な者(国)は、論理的に勝っても戦争になってやばいが、論争に負けても屈従的になるからまずい、という二律背反的な事態になる。どっちをとるか? となったら、個人では前者ですむかもしれないが、庶民を巻き込む国の問題となったら、屈従的でも生き延びるほうを選ばざるをえまい。――が、そんな背反態度に追い込まれるのは、その二項対立的な論理にはまってしまうからだろう。

『これからどうする』(岩波書店)での柄谷行人氏の発言、態度表明は、そうした論理のワナからメタレベル的に立とうとするものだろう。地政学的にみて、日本はアメリカの論理(言い分)をたててそっちにつくと中国との関係がまずくなり、中国の言い分をたてればアメリカとの関係が悪くなるのはわかりきっている、だから、日本国憲法9条の理念を高々と掲げて実行していこう、どちらにもつかない論理を公にだしていこう、というのがそのメタ論理である。(ロシア・カードという3項目が使えなくなれば、なおさら2項対立のバイアスは強くなるだろう。)それが空想的でないのは、みんなの前で武力放棄と戦争する国家主権を放棄してみせれば、そんな丸腰の国を襲うのは卑怯になるので、手出しはできない、ということを想像してみればいい、という。たしかに、密室の中で、凶器をもった相手に「殺すなら殺してみろ!」と脅しても本当に殺されるかもしれないが、公衆の前にでてそう叫んだなら、無暗に手は出せなくなるだろう。が、戦後自衛隊をもち、高度成長をなしとげた日本が今更になってそんなことをしても、本気でそれを周りに信じさせるのは容易ではないのではないか? いやもっと一般的にいって、個人間の丸腰ならともかく、国との関係となったら、たとえば、弱い丸腰のような国が一方的に強国に攻撃されても見捨ててきたのが世界、現代史なのではないか? 私には、柄谷氏の態度というかアイデアが、単に理念的な話だったら有効であるとはおもえない。ただ私は、プラグマティックな意味で、それは有効にもなりうるかもしれないとはおもう。つまり、小室氏が、リンカーンの奴隷解放宣言とが決して理念的に掲げられたのではなく、もう南部に負ける、という土壇場を形勢逆転し、イギリスに参戦させないために打ってでた大博打なのだ、と言ってみせるような。それなら、日本が9条を主体的に持ちなおしてみせることに、実践的な有効性が折り返されてくるかもしれない、とおもう。どのようなタイミングかはわからないが。しかし、公に宣言したならば、有言実行しなくてはならないのが、今の論理世界である、というのが小室氏のさらなる教示であった。日本人はその論理(言ったこと)の厳しさがわかっていないと。

9条をノーベル賞に、という運動があるようだ。私は、類として、その運動というか、運動を発案した主婦の反応を面白いとおもうが、すでにノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領のその後や、オリンピックが東京に選ばれたこと自体が東アジアで戦争をおこすなという世界政治的なメッセージだったのにそれを知らずに、東京誘致決まった直後に靖国参拝してみせる阿部総理の行動をみていると、既成の左翼運動に絡みこまれたようなその一主婦のはじめた運動は、頓挫させられてしまうのが実際なのではないか、とおもう。ゆえになおさら、それがその現実を超えていく類としての伝染性、思想的な共有制ではなく、類としての共感性に期待したくなる。フロイトが、戦争は生理的にいやなのだ、それでいいのだ、と期待したように。

それにしても、柄谷氏は、かつて石原慎太郎氏との対談で、自衛権は自然権だから憲法を超えているのだと発言し、それ(武力)を肯定する石原氏の態度と意気投合していたときがあった。どう理論的に連なって、9条宣言になったのだろうか? 前掲書の佐藤氏は、「評論家の柄谷行人さんも、「日本人が物事を真面目に考えれば必ず京都学派になってしまう」ということを、ぼそぼそと、あまり理論的に精緻にはしない形で言っています。」と述べたりしているが、状況に対する直観的な実践としてそう発言したのだろうか?

2014年3月16日日曜日

Jリーグ、浦和レッズ問題から死後の世界


 「慌てふためいたJリーグは無観客試合の処分を下し、非難轟々の浦和はすべての装飾品の掲出を禁止した。これで何かの解決になるのだろうか。本当の問題はどこにあるのか。

 これから「JAPANESE」とか「日本人」という言葉を使う時は、みんなビクビクするだろう。問題が必要以上に大きくなり、社会主義国の言葉狩りのようになってしまうのではないか、そんな心配も生まれる。いずれにせよ、この一件は損以外の何ものでもないね。」(【セルジオ越後コラム】浦和レッズへの処分に思う、これで何の解決になるのか

Jリーグは浦和レッズ対鳥栖戦で、レッズ側のホーム応援団席入り口に掲げられた「Japanese only」という横断幕が問題となって、リーグ協会側は、レッズおよびそれを実行したサポーターを処分した。それを受けて、浦和レッズ経営側は、今後のスタジアムでのすべての横断幕や旗の持ち込みを禁止する対応を打ち出した。私は去年のブログで、レッズの応援の面白さをとりあげながら、そこに伺える危うさを指摘した(「一緒くたの最中から」2012.9)。同時に、ナショナリズムに回収しきれない新しき力は、その危うさを「綱渡りしながら抽出してくる、生きてみせてみる」、「日の丸とゲバラが同列に置かれる一般大衆の近傍から出てくるのではないか」、と希望を述べた。
今回の事件に、私はさらにその思いを強くした。ゆえに、レッズのよきサポーターには、これまで以上に、旗を掲げて頑張ってもらいたい。そう、浦和管理者側の禁止などに逆らって、である。私がこれまでこのブログ上で発言してきた論理からすれば、この事件は、かつで日本でおこったであろう、そして近未来に起きるであろう歴史の縮図になってしまうのである。
たしかに、事件の出現は、「日の丸とゲバラ」を理論的に区別して自覚的に振る舞えない大衆(サポーター)の甘えが、最近の日本経済の衰退と裏腹に出てきた強がりという政治的風潮におされて、でるべくして露呈した、というところなのかもしれない。が、問題の病巣は、そんな事を起こした一部の調子者にあるのではない。浦和経営側が、自粛的に、それこそ全てのサポーターを「一緒くた」にして全体主義的に反応してしまったことにあるのだ。さらに、おそらくは、サッカー(スポーツ)に政治をもちこまない、という世界普遍的な精神(理念)を、リーグ幹部側が、文字通り真に受けてびびってしまっているのではないか、ということにである。浦和経営側は、現場でもその場の空気とこれまでの慣習におされて事なかれ主義で時間をつぶし、世間で問題となるやこんどはその空気に順応して過剰反応する。リーグ側は、オリンピックでさえ実は政治的な場所なのだということは暗黙には周知の現実なのだから、日本から世界の公式見解に反したことが一面で出てしまったくらいで右往左往しているようでは、世界相手に交渉できるのか、その能力自体が疑われてくる。しかも、歴史現状は、あすこもかしこもそうとう国家エゴが露出したせめぎあいを呈しているではないか? こんな情勢下で、理念を鵜呑みにして振る舞うなど、世界を読み間違えている。だいじょうぶなのか? ニッポン! ――いやだからこそ、ニホンの、いやレッズのサポーターはしっかりしなくてはならないのではないだろうか? まずその時々の「空気」に流されてしまう日本的土壌に関し、理論武装しよう、そうでないと、旗を持って入場して怒られたら反論できないぞ。読むのは山本七平で十分ではないか? いやそれは古すぎるなら、宮台真司で大丈夫だ。日本ではなく、あくまで浦和を応援する、日の丸を裏返して振れば、それが<裏和レッズ>だ!
 
私は、こう想像してしまったのだ。阿部総理を支持する一部のネトウヨに過剰反応して(――近いうち、世界からその右よりに突き出た総理もろともつぶされる「空気」がやってくると予測されています、その世界潮流を鵜呑みにして)、すべての国民から気概ある言葉を自粛的に抑圧させようとする次なる「空気」がやってくる……気概ある言葉とは、「9条守れ!」という言葉ではない。その主張の裏にあるのは、すでに守っていない、解釈改憲で実行している現体制への寄りかかりである。それは、保田与重郎が戦後まもなく指摘したことだった。守っていないから戦争が起きる、のではなくて、むしろ、9条を守ることが、暴力を誘発してしまうということ、そのような構造の一部としてそれが組み込まれているしたら? ……

最近、私は、夫婦喧嘩(妻による夫への暴力)を告げられた友人のメールから急き立てられて、戦争による日本の破滅は避けがたいだろうと、『これからどうする』(岩波書店)で発言したという柄谷氏の柳田論をめぐる読解を書いた。要するに、この柳田論自体が、敗戦後論であり、ゆえに、それを前提に、どうふるまうか、ということなのだが……という以上のような話を、浦和レッズ問題にかこつけてわが女房にいうと、「だからどうだっていうの! そんなでっかい話きいたってどうにもならないでしょ!」とわめき返され、「ママがそれ以上いうと喧嘩になるからやめてよ」と仲介にはいった子供は、そのママの調子のままで勉強に突入させられ、「ぜんぜん楽しくないよ」とベソをかきながら音楽をやらされるのだった! 私は子供のいうとおり、もう暴力はふるえないので、早々と蒲団を敷いて寝る。そしてひとりごちる。「でかい話から細部におりるんだよ。でかい話とは、宇宙の理論ということだ。死後の世界ということだ。おまえがこのまま死んだら、俺や一希とはあの世であえなくなるんだぞ、その真実がわかってたら、あんな暴力沙汰で子供を教えるか? 今をどうすごせばいいとなるんだ? 考えてみろ……」

2014年2月26日水曜日

サッカー<プレイヤーズ・ファースト>の自由

「ゲームで勝つことは簡単ではありません。集団の凝集性はチームの結果と循環すると考えられています。勝つとチームがまとまり、まとまるとチームの成績が上がるといった好循環を生みます。集団での練習が多いサッカーではチームの成績が、個々のやる気にも大きな影響を与えます。育成の指導者は「育てること」と「勝つこと」に真摯に向き合っていくしかありません。」 (中山雅雄著 「JFA news No.350」 2013.6月号)

「子供たちが決めたことですから」と、息子の一希にとって四年生最後の大会になる最後の試合で、あるコーチがいう。先発メンバーとその布陣のことだ。とりあえずは、暗黙の了解である3・4年担当のヘッドコーチである私は、前日の土曜日は仕事で試合はみることができなかった。11対0での勝利だったのだが、そうなることはやる前からわかっていた。だから、もう予選リーグでの突破はなくなり、次は勝利というよりチーム全体の底上げや、もう少しで動きがわかってきそうな子をどう起用するかといった育成中心の采配をしよう。強豪に勝っていくには、できる子ではなく、まだわかっていない子の水準をあげていくしかない。そして私が不在でもチーム力が維持されるように、ここは試合をみるのを休んで仕事にで、他のコーチにまかせようと考えたのだった。ところが、様子が変だ。大差で勝った試合でも、一希は喜んでいない。自身でも2点決めたという。話をきいていると、自分以外の4年生はみなディフェンスで、試合が決まった後半においてもそのままの選手起用だったという。3年生は本年度の3年大会で準優勝の経験もあり、図抜けた選手が4人いる。
<プレイヤーズ・ファースト>とかいうことが少年サッカーではうたわれることなので、そう3年担当のパパコーチからいわれると、いったんは黙らざるをえなくなる。しかし、様子をみていて、むしろ状況が正反対だということがわかりだした。そのコーチは、3年生の番長格の選手を利用して、自分のやりたいことをしているのである。おとなしい4年生はそのまま押し黙って、一希だけが「ちがう!」といって反抗していたのである。実際、サイドバックを任された4年生は私にこっそりといってきた。「俺はトップをやったことがないからやってみたい。」
そこで私は介入し、「子供たちの案」ではなく、前もって用意していたコーチの案を述べ立てた。「相手は3年生チームです。だから、まず3年生を全員前にだします。一希はキーパーをして他4年の中心選手がバックをする。布陣は、3年の〇〇君の役割の難易度を高くしてワンボランチにはいってもらい、4-1-3-2とします。トップ下は、まだ△君が未経験なのでそこにはいり、昨日トップをやった◇君はサイドハーフ、点取り屋の役目なのに昨日とっていない××君にはトップ、ハナコちゃんもトップにはいって点をとりにいくよ。」3年担当のコーチは面食らう。一希が前線にいないと、負ける可能性を心配しているのだ。しかし3年大会もみてきて今日やる相手とのやっとこさ勝ちの原因もわかっている私は、こう言ってやる。「前半で片が付きます。今日顔をだした4年の%君にはセンターバックを任せられるようにしたいので、前後半そのままでいきます。」……結果は、前半を6対0での勝ち差で折り返してくる。
が、問題はそれだけではないのだった。試合前アップの時から、子どもたちがやけにハイテンションで、騒ぎモードなのだ。昨日大差で勝ったことで、浮かれているのか? 私はベンチに入る前に、その心の準備のことを指摘し、静かに沈思する時間を作らせる。が、ゲームがはじまっても、どこかおかしい、まるで学級崩壊のようだ。点差が開いてくるから、なおさらだ。「きのうも、こんな感じだったのですか?」「そうです」と3年担当コーチがいい、「この状態で、強いチームを相手に戦いたかったのですけどね。」と2年担当コーチがいう。私は唖然としてしまった。彼らよりベンチ経験が1・2年多い私は、子どもが浮かれた状態でゲームにはいればどうなるかが目に見えていたし、そのことは、先輩コーチとも確認してきたことだった。しかし、この<池上方式>を信望する2年担当コーチは、一見古風なおっかなコーチを演じている私を暗黙に批判しているのである。私は、区連盟の理事をもしているチーム全体の監督が、その実践の可笑しさを感ずいていることに気付いていた。しかし、「子供優先」といわれると、この変な感じをどう訴えればいいのか、困ってしまう。日本のサッカー連盟自体が、理論的に<プレイヤーズ・ファースト>なるものを捉えられていないのである。

サッカーにとって、「自由」とは何か? 3年生の子供に自由に決めさせて、園庭のような状態を作ることなのか? そんなサッカーなら、20年以上まえの日本サッカーがそうだったではないか。教えてくれるコーチもろくにいないのだから、ボールを持てばゴールめがけてドリブル……ブラジル帰りのカズは、そんな日本サッカーチームのなかで、サイドから攻撃することの重要性を理解させようとしたが、困難だったという。そして今でも、バルサやレアルなどの少年指導のコーチが日本にスカウティングにきて、「サッカーは賢くやるもんだよ」と教えていく。そして日本の小学生年代をみていうには、「足元のボールコントロールなどの技術はいい。しかし、戦術的理解がない」……<コーチの指示作戦を理解すること>と<プレイヤーズ・ファースト>とは矛盾ではないのか? もちろん、このことは、<個>と<集団>の矛盾と、よくプロ選手の迷いどころとして紹介されもすることだろう。しかし、なんで子ども相手でもそんなことが、そんな矛盾が問題となるのか? それは、サッカーにとって、「自由」とは「矛盾」のことだからである。それが原理だからだ。
ならばサッカーにとって、「矛盾」とは何か? それは、「スペース」のことだ。スペースを空けて攻撃しなくてはならない、しかし同時に、そのスペースを埋めて守らなければならない。スペースを空けなくてはならない、埋めなくてはならない、攻めなくてはならない、守らなくてはならない――この二律背反的な矛盾を解決する仕方が、コーチによって異なり、その解き方にこそ独自性や創造性、個性や発想の自由があるのである。それは、数学的問題をとくのに、その解き方にその人の個性や独特性がうかがえてくるのと同じなのである。哲学では、それを弁証法という。

「たとえばだよ、試合中、〇〇くんのスパイクの中に、石がはいっちゃったとしよう。もう痛くて走れない。さいわい、ボールは相手陣地深くにまでいって、バックをやっている自分にはなんとか靴をひっくり返す時間はありそうだ。しかし、またすぐにカウンターがくるかな。10秒以内には結びなおさないと。こんなとき、もし君が結べばいんだろ、と勝手な結び方でスパイクを履いていたらどうなる? すぐにほどけるかい? いや、ほどくことはできたけど、またすぐに結ばなくちゃならないとき、勝手な結び方で紐の長さの調整がすぐにできるかな? 君はあるタイムリミットのなかで、ほどかなくてはならない、結ばなくてはならない、この矛盾を解決する方法を考えださなくてはならなくなる。そう考えてみると、このリボン結びというものを発明した人は、すごくないかい。個人の発明を超えて、みんなに使われているのだからね。それは決して、勝手気ままな解決方法ではないよね。サッカーも、自由にやっていいよ、といわれるとき、それは決して勝手気ままにやっていいということではないんだよ。まず、矛盾がなんなのか、それを把握し、その矛盾に即した解決方法として、君の自由な発想を使わなくてはならない、ということなんだ。そしてそれは、社会においても同じだよ。日本人の方針を決めるおおもとのルールには、言論の自由、というものがある。しかしそれは、好き勝手なことを言っていい、という自由ではないよ。むしろ、その矛盾を解決するためには沈思黙考しなくてはならない、その沈黙の自由、生きていくに困難に直面する人間の条件が前提になっているんだよ。」

というわけで、日本のコーチ陣に、このサッカーの自由を理解させるのは、カズさん同様、困難なことであるだろう。それは結局、一神教的な、キリスト教的な原理性に関わる問題になってき、それを受容するかしないかには、政治的な問題もがかかわってくるのである。


2014年2月14日金曜日

詩情と個人 --映画・「ある精肉店の話」をみて

「彼らは『奥の細道』を記すために旅をしたわけではない。このときの旅の目的は、もちろん「物見遊山」ではなく、普通のサラリーマンの旅と同じなのである。しかも「藍のセールス」という、そのときどきの出来・不出来(現代とは違うから、その年の天候や施肥、藍玉製造の巧拙によって非常にばらつきがあった)、その年の景気に基づく需給、先方の信用度、先方の支払い能力に対応した延払いと自己の資金力との関係、それらを総合した形での価格の決定、そのための駆引等々は実に複雑なものであったらしい。それはある意味において、「そのときどきの状態に対応する感覚」すなわち「流行」を要請される。だが同時に彼は、これとは全く別の世界、それがどう変転しようと、それとは関係なき「一貫している詩の心」をもっていた。それは彼が十七歳のときの、埼玉と長野の間の小さな世界の中でのことではあっても、この態度が青年時代にすでに確立していたことは、日本全体の大転換に際しても、変転する世界情勢に対しても、常に同じ態度をとり得たことを示すであろう。われわれは将来に対処するため、近代化の犠牲として失ったこのことの重大さをもう一度考え、あらゆる方法でそれを回復せねばなるまい。もちろんそのことは栄一と同じ内容の「不易」へもどれということではない。栄一の「不易」の内容は芭蕉の「不易」の内容と同じではないように同じでなくていい。言いかえれば記すのが「漢詩」ではなく「英詩」でもよい。いわば「自分の詩的世界をつくり自らその中に居る能力」こそ人間のみが持つ「不易」なるものであろう。それは確かに人を「不倒」にしうるし、それがあれば変転する「流行」に対応しうる。」(山本七平著『渋沢栄一の思想と行動「近代の創造」』 PHP研究所)

東中野ポレポレ座で纐纈あや監督の映画『ある精肉店の話』をみた。この監督の前作で原発地開発をめぐる、瀬戸内海の小島の漁村民を撮ったものも見た記憶があるが、今回も「部落差別」という社会問題的な素材という捉え方を超えた、より普遍的、というよりはより「普通的」な領域へと鑑賞者を誘うので爽快だ。前作では漁師たちやその村の生活、住民という集団的な様相に隠れてよくみえなかった個人の顔が全面に出てきていて面白い。いや私はこの肉屋の精肉職人の顔にとても共感したのだった。年齢は私よりひとまわり上といえど、なんか眼鏡をかけた私の顔に似ている。太鼓作りの職人に様変わりしようとしている彼の弟の顔も実にいい。いいというか、いわば親近感を抱くのだ。いやどこかで見たような……と思い返してみると当たり前で、私のまわりの年上の職人たちは、みんなあんな感じの面構えをしているのだ。じゃあなんで、あのどこか目の座ったというか、腰が据わったというのか、肩肘の力が抜けたというのか、シニックじみた落ち着きをみせても生き生きした感じが抜けないところが、大阪の生野区の肉屋から東京の新宿区の植木屋の界隈にきても似てくるのか、と考えれば、おそらく、死の意識だろうと私は思う。植木屋さんが危ないときといえば、それは木の上にいるとき、と答えは明快だろうが、肉屋さんは、牛を屠場へ連れていくとき、そして屠場で一撃を加えて牛の頭を割る瞬間なのだそうだ。そう映画で知らされ、奥さんたちがその間は気がきでなくなる、牛があばれたら命がない、と聞けば、なるほどな、とおもえてくる。植木屋がシルキーや剪定ばさみで指を切ったりするのがよくあることなのだから、肉屋が包丁で牛をさばいているときに時折ははやるのだろうな、とかもかんぐってみたりする。
 死を無理やり意識させられて生活させられていると、いやでも肝がすわってくる。私は最近胃もたれがひどく、寝ている間も胃液が口腔にあふれてきて、子どもから臭いといわれたりもしたのだが、それは歳のせいで胃腸がよわってきたのだろうとおもっていたが、よくよく内省してみると、高所恐怖心をコントロールしているところからくるストレスなのだと気が付いた。小食にして摂食し胃の負担を減らしていく生活を心がけていたのに、なんでここ数日になっておかしくなったのだと、普段とかわっていたところはと考えれば、高木作業をしていて、たしかにその木上での体の中の感覚と、この胃もたれの感覚が続いている感じなのに気が付くのだ。もちろん、若いころはそんなことはなかったけれど、もう抑えが効かないのだろう。この映画でも、牛を屠場へと連れ歩く弟のほうが、「ふう、ふう」と大きく頬を膨らませて息をし、疲労と恐怖をその息のリズムで制御しようと内心の懸命さでもがいていて、「もう歳ですわ」ともらしたのだった。

しかし私がいいたいのは、そんな死の意識の話ではない。誰でもそうなるそこからたちあがる「個人」の顔のことである。この兄弟は、部落という地区で生まれたこと、またこの仕事にまつわる差別のために、単なる生活人ではすまなかった。解放運動に参加し、社会活動にも精力を注いだ。しかし弟が、ため置いた牛の皮で太鼓をつくる、その技術を残したいと小学校でボランティアの体験講習会を開いたのは、一般的な運動では解消しきれない強いおもい、個人的な特異性があったからだろう。兄のほうも、弟のように、何かを伝えたい、という。唯一残っていた近所の屠場がなくなり、この地区の肉屋も近代産業化の煽りをうけ先の見通しは暗いであろう。そんな時代が変転する中で、「もちろん肉屋はつづけますよ、だけどそれ以外にね」、と。その伝えたい何か、その思いを言葉にするのは容易なことではないだろう。しかし彼を支えてきたのは、むしろ「肉屋」以外の何か、言葉の核と化してきた「詩情」のようなものであろうと私は推察する。弟が、太鼓という楽器作りに、この生活を超越した音の伴う伝承に惹き付けられているのには道理がある。「はったりの世界」を生きている父親の後姿をみて、「俺はこの仕事を継がなあかんのやろ」と納得したその若い時から、打たれて強くなる鋼のように次第に固く鬱積していった心の髄。それが、人間の骨だ。魂の背骨なのだと私はおもう。そこから、手が生え足が生えるように言葉が生えるのだ。むろん、それを他人に通用するよう論理然と述べるには別の訓練が必要だろうが。

しかし、この心の骨なくしてどんな個人もない。船乗りが堂々とロシア皇帝に謁見し、漁師が変転する世界の中を自己主張し渉猟する。なんでかつてそんな個人を輩出していた日本が世界と戦争をはじめそれに負けたのか、その屈辱を考察した山本七平氏の冒頭引用の言葉には、その言葉以前の言葉の核(「詩情」)を、われわれ現代の日本人はもっているのだろうか、いつからどうしてなくなったのか、と問いかけている。つまり、無名世界のなかに、庶民生活者のなかに、個人はいるのか、と。

この映画は、ここにいるよ、と教えてくれる。

2014年1月6日月曜日

夢からの指針

宮台 重要な部分だけを繰り返させて頂きます。グローバル化の中で日本ないし日本国民たちが生き残るのに必要なエートスがあります。このエートスは、共同体ないし中間集団で育ち上がることで身につく心の習慣です。ただし心のクセという意味ではなく、何に価値コミットメントを抱くのかという共同体的な徳を中核にします。/ 日本の国民共同体が存続するために必要な徳、すなわち内から湧き上がる力は、恐らく代々継承されてきたものだけでは足りない。強度も種類も足りない。場合によって一部を取り替える必要もある。その場合、僕たちはどうしたら良いのか。…(略)…
関口 宮台先生から中間集団を育てるというお話がありました。私はそれに関連して、地方の政治を育てていく可能性、地方の政治を変えていかなければならないと考えております。/ 地方の政治が特に県会議員であったり、市議会議員であったり、結局国会議員の選挙の手足になってしまっております。やはりこういう状況でありますと、いつまでたっても本当に、地方分権だと、権限よこせと言っても、日本は変わらないなと私は思っております。/ そこで、ささやかですが、私は春の統一地方選挙に向けて、自分自身が立候補するわけじゃないんですが、政治文化を変えるために、言葉の力を信じて、戦っていこうと思っています。言葉の力を信じるというのは、私自身が小室先生の本の言葉に感銘を受けて突き動かされたというところから出発しています。ですから、先ほど、伝えるだけではだめだというお話がありましたけれども、その伝えたその先に人を動かしていけるようなその言葉を自分自身もしっかり言っていけるように、それに足る力を付けていきたいなと思っております。」(『小室直樹の世界 社会科学の復興をめざして』 橋爪大三郎編)

ここのとこ例年、年初めのブログは初夢を記述していたようにおもう。が今年は、そう書きたくなるような実存的な雰囲気のある夢をみなかった。精神が安定しているのだろう。今朝みた夢も、その雰囲気には、おぞましさはなかった。……場所はおそらく、小学生時代の通学路だ。暗い頭上の空に、UFOが現れて、白い光を射してくる。それに当たったものが、選ばれた者として、地球を脱出し、新しい星の世界へと運ばれていくようだ。どうも地球はもう終末が近いようだ。高校までの友達、皆から疎んじられていたが有名私立大学へ進学しいまは旅客機の機長になっているという友人が空に運ばれていった。選ばれた者は、白い光を呼び込む装置をもっているらしい。私はたまたまその装置を手にした。そして、白い光によってUFOの内部へと連れていかれた。そこで、中年の白人女性がなにか声をかけてきた。私は、「選ばれた者ではないのですが」と言った。しかしそれでもいいらしい。私はほっとして、UFOというより、すでに乗り合いバスのようになっている車内の広い窓から、外をみた。雪景色のなかの道路を、バスが走って行った。私の座る前には、息子の一希がいる。二人でこれから新しい星の世界へ向かうということに、私は冷静だった。故郷を去っていく感じと、故郷にいるという感じが同居していたようにおもう。だから、落ち着いていたのだな、と今おもう。バスからみる雪景色とは、正月に実家の群馬へと帰っていった伊香保温泉への鉄道・バス旅行の影響だろう。そして、UFOと選ばれた者たち、という主題は、私の今の読書傾向が反映されている。

つまり、神秘主義と現実政治、この二つの相反した読書興味がどう生成してきたのか、このブログを読み返してみないと私にはもうわからなくなってしまったが、きっかけはやはり、木から落ちて命拾いし、同時に、3.11からの大災害があったからだろう。そして、もし「現実政治」方向での関心を要約してみるのならば、冒頭引用での宮台氏のような問題意識になる。バブル期に青春を迎えた私世代の、経済的な豊かさが豪語されていたなかでの心の空虚さ、その状況をまずは整理し頭を落ち着かせていかせるための読書探究、整理できてから解決へむけての実践活動……その試みは、私にとっては柄谷行人氏のNAMへの参加ということだった。だから、最近になって小室直樹氏のような学術者を知り、柄谷氏の思考の原型がすでにそこにあるのを知って、おそらく立場は国家主義的なものへの容認の強度において実践的レベルで違いが明瞭になってくるだろうけれど、私にはその右寄りとされる小室氏の思想は受容しやすいものだった。どちらも、数学から経済、そして哲学・思想領域へと移動してきているところからしても、その両者の思考態度に原理的な親近性があるのは伺える。またもし、私が戦後のすごい思索者、私がおもうすごい思想家をあげるとするならば、もうひとり、渡辺京二氏となるだろう。渡辺氏への着眼は、近代主義者を実践的には志向することになるだろう柄谷(小室)氏に対するアンチテーゼ的な位置といおうか。前近代的なモチベーションの現実性を、NAM失敗後の私にしっかりと気づかせてくれたのは氏の論考である。(柄谷氏もNAM後、前近代的な封建精神を民主主義の核、最近の言葉で置き換えるなら、遊動民的な倫理としてクローズアップしてくるのだが…)

そんな私にとって、結婚とがNAMプロジェクトの延長だった。共同体をつくること。個的にバラバラバにされ、心理的にもスポイルされてきた私(たち)にとって、もはや性的動機は空虚だった。空々しく、関心はながつづきしない、読書のほうがいい…それはルソーの『エミール』によれば、そうやって童貞を人為的に世間風潮にあらがって延長(差延・教育)させていくことがヒューマニズム、隣人愛を涵養させていく方法なのだったが、おそらく実験的にはその結果、女性とまともに話もできない頭でっかちの男たちができあがってしまったのである。NAMでもその運動への批判的視点として、恋人や女友達がいないインテリの集まり、落ちこぼれの集まりではないかという内側からの指摘があったりした。つまり私(たち)は、それほどまでに落ちぶれてしまった、しかし、そこから、人間のはじまりからやりなおさねばならなかった、少なくとも私は、その墜落した地点から一からつくっていこうとおもい企てたのである。解散後、結婚していった私の友人たちも多い。彼らが果たして、それをNAMプロジェクトの延長として意識し考えているかどうかはわからない。子供がうまれる。どうなにを教育、養育していくのか? 教科書はなんだ? それら自体、作っていかなくてはならない……と考えさせられるだけでまさにNAMの延長になってくる。私(たち)の親から受けた教育上の価値は、反面教師としての消極的な道具にしかならない。積極的につくっていくためには?

しかし、親の意識や時の風潮がどうであれ、身体的に躾けられるのは、そんな戦後教育やその価値ではない。私の世渡りをへたくそにさせる義理堅さ、頑固さ、従う価値への筋へのこだわり、といった体=心の強度は、どうも群馬上州の環境的な要因に思えてならない。もちろん、群馬のエリート高校へ入学し、そのエリート予備軍の頭のいい立ち回りにショックと嫌悪を覚えたのだから、一概に地方ゆずりとはいえない。おそらく父親の子供への体罰的な反応、いわば義理人情に厚いという地方気質の極端さが、私の行動規範の一つになっていったのだろう。そして、私が意識的に何を子どもに教えようと、やはり、私の子への身体的反応が、一番に息子に感染していくように感じられる。

冒頭の宮台氏の言葉に応じた関口慶太氏は、私と同じその群馬の高々出で、また私と同じく藤岡市出身だそうだ。まあ、東大の法学部卒業なのだが。彼が小室氏を師事し、地元を意識する政治実践へと駆り立てているのも、その地方に涵養され残存している「エートス(内発的な力)」なのかもしれない。