2019年12月22日日曜日

大学入試改革をめぐる

佐藤 一例を挙げると、早稲田の文化構想学部の入試問題は、近代文語文、要するには江戸末期から明治時代の文語文で出題されます。これを出題範囲に入れているのは、後は一橋大と上智大学の経済など。高校では普通学ばないので、「東大文Ⅲには受かったけれど、早稲田の文化構想は落ちた」ということが、実際に起こるのです。
 ところで、これらの大学がなぜそういう入試をするのかというと、入学後の授業に必要だからではありません。「うちの入試問題は、最低二か月は近代文語文を勉強しないと、点がとれませんよ」という意思表示なのだと思います。つまり、「特別の勉強をしてでもこの大学に入りたい」という「第一志望の学生」を集めるための入試戦略なんです。」(『教育激変』池上彰・佐藤優著 中公新書ラクレ)

渡部 …で、その変化の流れを、今回の出来事が大きく加速することになった。早稲田はこれを機に思い切りコンプライアインス系に変わってきたといいます。…(略)…自分のことを棚に上げて済みませんが、その気持ち悪さが、「戦前的」なものにみえてなりません。しかし、戦前はそれでも、中等高等教育だけは、しっかりしていたわけですよね。少年少女に難しい本を、遠慮なく読ませる。大学生ともなれば、英語以外にもう一つ、二つ原書を読めねば、周囲が納得しない。ところが、現在の「戦前」は、その文系教育までも決定的に否定しはじめているんですね。新しい大学入試制度と、それに準拠した高校の新指導要領。これは大問題で、高校の国語の指導要領が大きく変わります。紅野謙介さんの『国語教育の危機』という新書本に詳しく書かれていますが、それによると、三年後の二〇二二年から指導要領が変わって、国語が「論理国語」と「文学国語」の二本立てとなり、驚くべきことに、「文学国語」を受講しなくても高校は卒業できるようになってしまうんです。その「論理国語」とは、駐車場の契約書の内容を読むとか、いくつもの文書を整理するとか、つまり、ただの情報としての日本語を学習するそうです。簡単に言うと、今度こそ本当に、教科書から『こころ』も『舞姫』も消えるようです。」(「特別インタビュー 文芸評論家・渡部直己はなぜ、早稲田大学文学学術院教授を「解任」されたのか その2」『映画芸術』2019.469号)

「しかし、「民主主義社会」において存在しうるのは、たかだが相対的に目立つコソ泥に過ぎない。それが「原父」であるかのように自身を見誤ったとすれば、遅かれ早かれ「殺される」ことは、まま起きるだろう。渡辺直己に間違いがあったとすれば、その批評それ自体ではなく、誰もが村上春樹の批判者になるべきだし、誰もがユングをバカだと思うべきだと信じたところにある。もちろん、そんな大学のありかた自体が今や過去のものである。現在の大学が求めているのは、学生が聞いていようがいまいが、つまらぬ精密なシラバスどおりきっちりとニュートラルな――せいぜい、辛口の書評ライターがやる程度の?――授業をやってくれる教員であり、ゆくゆくは、それもAIに取って代わられようとしている(のかもしれぬ)のは、すでに述べたとおりだ。」(絓秀実著「自由と民主主義万歳! われらコソ泥たち――ケーススタディ」 『G-W-G(minus)03 特集 天皇/制と文学』2019.5)

延期になった大学入試の新テスト導入。
その国語テストの主な理由は、記述式になるので、採点が曖昧になって公平性が保てそうにない、ということらしいが、本当は、何か政治的、経済利害的な駆け引きがあるのだろう。もともと正解のある答案なので、採点にぶれなどそうは生じないはずだ。これまでだって何字以内で記述せよ、というのは二次試験でやってきたはずで、しかももっと答えがはっきりするものになるのだから、マニュアル的に対応できるはずだ。一昨年だかに公表された新問題を私はやってみたが、上記引用著作での佐藤氏の肯定的な評価よりも、私は渡部氏のような印象と評価をもった。文学が読めるものはマニュアル書も読めるようになるだろうが、マニュアル書しか読んでこなかったものは、文学など読めないだろう。ということは、その文字どおりな答えの理解で終わってしまって、相手の返答の真意まで読み込めず、コケにされるような人間教育となるだろう。前回ブログでもいったように、「官僚を育てたいのだな」、というのが私の感想だ。もちろん、明治時代からの教育目標はそうだったわけだが、なお江戸的な教養のあり方が尾を引いていて、今回、それがもっと純粋に目的化される、ということなのだろう。

そして早稲田大学の教授であった渡部氏がセク・パワハラの容疑で「解任」されたのは、氏の解釈では、そうしたことどもの政治的駆け引き、大学改革にまつわる政治的変化の背景に巻き込まれた、ちょうどよい生贄を自ら提供してしまった、ということになるらしい。私も、そういうことなんだろうなとは思うが、それも呑気に大学の先生をつづけ、今さらながらの遅れた、遅すぎた認識だ、というのが絓氏が示した評価であろう。また、ネット上で渡部氏をつるし上げるに一役買ったであろう私の知り合いの範囲の感触では、PC的な観点からというよりは、大学変革の瀬戸際時点で抵抗していた認識前提を、今になってひけらかして偉そうな弁解をするな、ということのようである。それは実践的に、もっともな批判なのではないのか?

そう批判した友人のメールでの突っ込みがなかったら、私は、そもそも渡部事件に興味はもてなかっただろう。今回ブログで取り上げようと思ったのは、冒頭引用の池上・佐藤の対談本を読んだからである。素材として、上記の雑誌文章などをその友人からメール送付してもらった。当初、つまり私が今年に入ってからの新聞で、渡部氏が「辞任」したという記事を読んだときの第一印象は、日大アメフト部の事件と同じなんだろうな、だけど、何もやってなくとも、つまり無罪であっても、「心で姦淫したものは姦淫したのである」というのが文学の洞察的立場なのだから、すぐに「辞任」というのはさすがな対応だ、というものだった。だから、おそらくはネット上では相当PCでやられてるな、とおもい、自身のブログで、絓氏と入れ替わりで早稲田の文学部に教えにやってきた渡部氏の最初の年の教え子の一人な私なので、「一番弟子」だという自認を表明してみたりしたのである。ところが実際のところは、事件時期も日大アメフト部事件後の2017年のことでほぼ同時期、「辞任」ではなく「解任」であり、そのフェイク・ニュースに抗する渡部氏の弁解は、私にはあまりに当たり前的、つまり文学的でないので、がっかりしたのだった。あの当時の、現皇嗣の女房・紀子様のことを「白豚」と読んで授業していたように、何か過激なことでも言っているのかと期待したのである。とくには、ネット上の炎上で人が殺される、などというのは、柄谷氏のはじめたNAMに主体的に関わっていれば、経験ずみのことであるはずであり、少しは慣れて技術も習得していただろうに。あの組織の瓦解が、一人の女性(現私の女房)への魔女狩り裁判(評議会)での全員一致な決議を端緒に伝播していったことを、私はどこかの総括WEBみたいなところで指摘していたはずだ。

日大アメフト事件をめぐっては、自身のブログでも何回か書いたが、要は、スポーツや文学をやる学生の質が落ちた(変わった)、前提(育成)的な考えが共有されなくなっている、ということだ。真剣にやるスポーツで、ファウルがあるのは当たり前だが、それはギリギリな線でやるというところに技術とスポーツマンシップ(友情)がある。鹿島アントラーズにいた内田選手が日本代表としブラジルのネイマールとマッチアップしたとき、最初にしかけたのは内田選手だった、それ以降、二人での削り合いの姿自体が一つの見ものだった。が、日大選手のアフターファウルは、論外で話にならないが、問題なのは、そのスポーツ的にはとろい選手が日本代表候補である、ということである。文学でも、男女の性関係問題などサシで勝負・対処できなければしょうがないのに、そういう前提がないものが大学院で文芸創作をめざしている女性だという。ヤクザがなぐられて交番に駆け込むのが正当的な時はあっても、おかしい話ではないか。そこにあるニュアンスが共有されていない、つまりは、暗黙の前提である共同体が崩れているのだ。すでにして、新テストでしか受からないような、文字通りな理解しかできないような、監督や教授の話を鵜呑みにしかできないようなプロの卵になってきていた、ということだ。

暗黙の共同体が崩壊していくのはしょうがない。しかし、ニュアンスのわかる生徒、子供を育てていかなくてはいけないのではないか? 佐藤優氏が教育の前提とする、「共感」する能力といってもいい。たしかに、それを身につけさせる方法の一つとして、きわめて日本的な、部活動的な、といおうか、教師の人格的感化、という作法というかやり口もあるだろう。渡部氏はそう意識的に実践してき、佐藤氏にも、根本はそうだという共有がある。が、そんな根底的なことが、大学という現場で、つまりはすでに成人に近い人が集まる場所で、そもそも可能なのか? それが不可能だからこそ、渡部氏は、まずは生徒の人格前提を破壊するショック療法からはじめ、佐藤氏は、教える前から自分の著作を読んで語学や数学の勉強もしてきている良い子にだけ教えるのがメインになる。つまり両者とも、実践的には無理をしており、理論的には偽善的だということだろう。私自身は、子供(小学生年代)にサッカー(パパ)コーチとしてかかわることで、若い父母とうに接しながら、結局は、世界の動きに現場で負けて、ただその運営転換に巻き込まれないよう手早く身を引いた。ということで、実践的にはお手上げ状態ということだ。

理論的にはどうか?
サッカーを通して、子供にどうその技術を教えるのか、だいぶ翻訳をふくめた書籍もでていて、勉強して分かったのは、少なくとも、もはやあちらでは、部活動顧問のような渡部氏のやり口はしていない、主流にはなりえない、ということだ。子供を楽しませていつの間にか技術を習得させる練習メニューの開発をふくめ、コーチの指導法とう、驚くべき科学である(NHKの「奇跡のレッスン」とかいう番組の、テニス指導の様子が典型的だ)。しかし考えてみれば、それこそが日本が世界大戦で負けた、負けた原因の思想性ではなかったか? おそらく欧米の大学教授が、スパルタ的に教えるなんてことはないだろう。渡部氏は、留学はしていないのだろうか? しかし厳密には、あちらの思想の根底が変わった、真に反省したということではなく、いわば女の口説き方がうまくなった、ちゃんと歴史教訓を科学的に検証して取り入れている、ということだろう。パパ(コーチ)の位置を、譲っているわけではないのだ。強い「原父」にかわる、柔らかい「コソ泥」パパ。
絓氏の現代思想的な言い方では、次のようになるだろう。

<男根中心主義的あるいは男性中心的パースペクティブは、今日では、デリダやフェミニズムをはじめ多くの立場からの批判にさらされている。男根中心主義の権化のように批判されていたラカンでさえ、「すべてーではない」女の享楽の存在を主張しているとして、そこに可能性が見いだされている(しかも、そう言う論者の多くは、あたかもファルス享楽が簡単にのりこえられるかのごとく主張している)。男根中心主義をあからさまに主張することは、いかに保守派といえども、はばかられる。保守派が、なお「民主主義」を拠りどころにせざるをえないのも確かだろう。現在ささやかれている「民主主義の危機」なるものも、一夫一婦制の危機とそののりこえ不可能性に深く関係しているはずである。>(前掲書)

この箇所を、私は、このブログでも書評した、河中郁男氏の『中上健次論』への応答と読む。が、それは私の考えている最中の問題でもあるので、一言する。

エマニュエル・トッドの家族人類学と柄谷行人の世界史の構造をふまえていえば、「一夫一婦制(核家族=双系制)」とは、近代(民主主義)においてはじまったのではなく、むしろ歴史(文明)以前の人類、狩猟的な遊動生活時にまでさかのぼる習性となる。フロイトの「ファミリーロマンス」とは、文明(帝国)に接したことによる、葛藤の症状である。それは、「原父(帝国=共同体家族)」に一元的に支配されてしまったことへの、「抑圧されたものの回帰」である。自由とは、家から出られるということであり、平等とは、その遺産の兄弟姉妹への平等的な分配である。が、文明(歴史・帝国)は、そうさせないような制度をもった。父が、死ぬまで子供を手放さず、相続は長男(男系)へとされて、その体制の保持・伝播が図られた。が、人類の基底習性には、むしろ「父」ではなく、「母」に影響されやすい自然趨勢が強いのが実情で、そこを問題として把握しておかなくては、父権性への対抗も十全たりえない。柄谷氏の、歴史以前(核家族)にあったろう「贈与交換」を「高次元で回復」というアイデアや、ラカンの、キルケゴールの哲学、「ドン・ファン」という概念から示唆された「すべて―ではない」という発想も、そういうことではないか? 私は、去年、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」を今さらなように読んで、キルケゴールの女性の「献身」というヘーゲルへの対抗概念を想起した。実際的には、女房と息子との関係、そして、やたらユニクロのパンツを私(夫)のために買ってくる女房の行動形態を観察していることからくるが。むろん、「献身」などといったら、それこそPC的に非難の的となる。換言・敷衍すれば、トッドや柄谷の理屈も、結局は、男根中心主義批判の一ヴェリエーションとして現状に包摂されるだけなのである、とするのが、絓氏の立論、見立てなのだろうか?……

マッチョ的でない教え方、教育をめぐるあり方に関しては、岡崎乾二郎氏の『抽象の力』(亜紀書房)というのもある。私は、サッカー勉強の途上で、将棋の藤井聡太氏も受けたというモンテッソーリの幼児教育方法などにも触れていたし、「アクティブ・ラーニング」という実践の肯定的な理解も、その延長としてあった。が岡崎氏の複数主体という概念提出をめぐっては、絓氏が「簡単にのりこえられる」ように表現していると脱男性主義的な主張に言うように、安易な主体超克ではないかと疑義を述べたのだった。

中上健次論を上梓している渡部氏は、私の知る限りでは、河中氏へは応答していない。
渡部問題を河中氏の中上論で揶揄すれば、次のようなるだろうか?――渡部氏は、『地の果て至上の時』の秋幸の父・浜村龍造(「大学」)が、原父としての荒くれ者から、「資本家(企業)=文化人」へと変貌しているにもかかわらず、その変化に気づかないまま、相変わらず小「原父」として、「中本の一統」たる若い衆のようにふるまい「殺されて」いった、ということなのだ。フリーターになることも辞さなかった秋幸にはなれなかった。さらに、図書新聞での文芸連載再開の様とは、龍造に裏切られて精神病になり、アル中になって嘆き悲しみ語りに没頭する、『奇蹟』のトモノオジのような立場になっていく、ということだ。坪内逍遥賞に貢献したのに、早稲田ブランドに手を貸したのに、あの頃の文学は……と。龍造に切り捨てられ、ジンギスカン伝説を妄想するようになった『地の果て――』の「ヨシ兄」ではないだろう。とにかくも、私はそういう生き方を、悪くはないとおもう。が、河中氏によれば、そうなってしまうのは、渡部氏の批評のあり方、文学の考え方からくる、論理的な必然なのだ、として論考されているのである。それに対し、渡部氏は、なお何も言っていないのではないか?

しかし、ここからの「文学」の問題は、次のブログにまわす。渡部事件をめぐって提出された、ネット上の議論と、先に上げた河中氏の論考などをからめて、もう少し、突き詰めてみたいとおもう。

2019年12月8日日曜日

映画『ジョーカー』とハロウィン騒ぎ


佐藤 ただ、自分で「エリート教育」をやっていながら思うのだけれど、このアクティブ・ラーニングについていけない人たちがどうなっていくのかというのは、深刻な話だという気もするのです。詰めこみ教育同様、新しい学び方の現場でも「落ちこぼれ」は生まれるはず。面倒なことに、今度はそこにAIが絡んでくるわけです。
池上 前におっしゃった、AIリテラシーを備えた人間のところに情報やお金が集まっていく、という問題ですね。選ばれた人たちは、アクティブ・ラーニングによってそういう能力を獲得していけるけれども、そこからこぼれ落ちると、以前にも増して悲惨なことになりかねない。」(『教育激変 2020年、大学入試と学習指導要領大改革のゆくえ』(池上彰・佐藤優著 中公新書ラクレ)

映画『ジョーカー』が、若者の間で好評だという話は知っていたが、自身で見てみたいとはおもわなかった。がvideonewsでの宮台氏のコメントを聞いて、このブログで書評した河中氏の中上論を想起し、確認してみたくなったのである。また、子供の教育にハイになりすぎていきそうな女房に気分転換させるためにも、風呂敷広げたハリウッドの大衆映画に連れていくのはいいだろう、と考えたのだ。月曜日の天気は雨という予報だったので、前日の日曜日からその心構えでいた。二人で見るのは、『スノーデン』以来だろうか?
が、見続けていくうちに、私は、“超”がつくぐらい、女房のことが心配になってきた。やばいんじゃないか、と。この映画は、母親殺しがテーマになっていたからである。そして、そのテーマを本人に意識させるような成り行き、下地の上で、この映画を見ることになってしまったからだった。私は、日曜日に、試みに作ってみたYouTubeでの自作動画、女房と幼稚園児時代の息子のコラボになってしまったようなダンス・シーンのアップを、二人のラインで紹介していたのだ。私としては、二人にもこんな共作になるような仲があったんだよ、と思い出してもらえたらいいな、という感じだったが、実際の狂気のような女房のダンスと、背後の音響装置の破損から偶然に生じた破壊的なノイズ音の連続によって、私の思いやりは正反対へのメッセージにもなりうる、両義的な意味を含ませたトーク投稿になっていた。でこの『ジョーカー』は、私の希望とは正反対の方の意味の露呈へと後押しさせていたのだ。

橋本治が遺作にもなった『父権性の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』で、アメリカのヒーロー映画を題材にしながら、まさにその新書タイトルにあるような話題を提出していたのを、私も村上春樹をめぐって言及した。が、私自身がここ数年、このブログで主張してきたことは、むしろ「母殺し」をめぐるもの、いわば、日本の文脈だった。それを、トッドの核家族論や、柄谷氏の双系性議論で補完していったのだが、その以前は、中上健次を題材にしていたのだ。本当に相手にすべきなのは、父である龍造ではなく、母であるフサなんだと認識しなおし、「死のれ、死のれ、マザー、マザー」と若者に歌わせた『地の果て至上の時』以降の認識をとりあげて、である。
ジョーカーが立ち上がるゴッサム・シティーとは、宮台氏が指摘しているような、善悪の彼岸(「法の外」)である「地の果て」であり、そこに放たれた「火」が象徴させるものとは「至上の時」の出現であっただろう。資本家でもあるだろう父の殺害は、ジョーカー本人ではなく、それに感染した他の者が代行したという設定は、自らが手を下すまえに自殺してしまった父・龍造という秋幸をめぐる状況とも重なる。しかも、目の前で両親を殺されたヒーローとなるバットマンは、ジョーカーと異母兄弟であるかもしれぬという設定も、家族関係の入り組んだ、双系的現実を前提とした中上の設定と重なるだろう。が、『地の果て――』での秋幸は、まだ母の殺害の想定にはいたっていない。が、この洋画では、中上の『地の果て――』以降の認識が、『地の果て――』にすでに織り込まれているような構成をとっているのだ。トッドや柄谷の理論で敷衍していえば、核(双系)家族や高次元で回復されるべきだという交換A(互酬)の基礎を突き崩していくような衝動の前景化である。父の向こうの、母の存在、脱構築派が隠れたテーマとして問題としてきた欧米の抑圧された地盤が、テーマとして提出されていたのである。

私は「やばい」とおもいながら、一度ならず女房の様子を斜視でうかがった。さらに、ジョーカーが、息子とだぶってきた。女房は、息子から殺されるという母親の物語を、どう受け止め、その映画を観に連れてきた私を、どう思い始めているのだろうか? 私は、秋葉原事件を起こした青年のこともおもいだした。息子が小学生の時に発生したその事件をめぐって、このブログでも「小さな過去」と題して考察したが、私は最近YouTubeでみた動画のことを想起した。犯人として捕まえられた青年への、母親の過干渉がクローズアップされていた。さらに不況というか、クライシスになっていく社会状況の中で、若者は、息子は、どうなるのか、他人事のようには、この映画をみられなくなってきたのである。このブログを書く前に、『ジョーカー』の映画評を検索して、いくつか読んでみた。劇団ひとりの、自身の若い頃を振り返っての感想は、なお息子が入っていく、入っていっている世界をめぐって、私を深刻にさせる。
この映画の若者の間での好評、という巷の話題からは、私は、渋谷でのハロウィン騒ぎを連想していた。その現象をめぐって、私はフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」にかこつけてブログ考察したけれど、なお客観的対象としてだった、ということになろうか。私はそこで、江戸時代中期以降の、若集宿のような伝統的な中間団体の機能不全からの現象と、集団(仲間意識)を養育していくための唯一の機関になってしまったような現在の義務教育・高校までの下部的なシステムの不全状態を重ねてみたのだった。江戸後期から明治へとは、この不全を強権的な父権性導入によって解消させた時代、とも言えるのだ。

佐藤優氏のような論客も、こうした若者たちの現象に、ファシズムへの兆候をみるようである。最近の舛添要一氏の『ヒトラーの正体』への書評も、その一環態度だろう。私も、そうした歴史の反復性に言及したこともあるが、息子が成長するにつれて、国家機能を前提にしたファシズムが、本当に成立するのかどうか、疑問に思い始めている。スマホ導入の資本主義の現実を見据えた河中氏の中上論を読んでからは、なおさらだ。カリスマ的人物、なる集団的幻想が成立するのか? 橋本治が言ったように、もう「指導者はやってこない」のではないか、そしてそれは、ファシズムよりも危機的で壊滅的な、「地の果て至上の時」を、この現世に出現させてしまうのではないか……映画『ジョーカー』は、そんなカタストロフィを現実のものとして、私に想像させてきた。

観賞後、女房が、「もうやんカレー」を食べようというので、googleマップで探して、映画館のあったゴジラヘッド・ビルのすぐ隣下にあったその店へと、迷ったすえにたどり着いた。たしか、何かのテレビ番組で紹介してたな、とおもう。で、その漢方調味料入りだとかいうカレーを食いながら、女房がきいてくる。「なんで、父親は精神病院にはいったの? そこがいまいちわからないのよ。」私は、一瞬、なんの話をしているのかわからなかった。「えっ、病院に入ったのは、母親だよ。」「違うでしょ。ジョーカーの本当のお父さんが入ってたんでしょ。」「違うよ。ジョーカーの父親は、市長だよ。そう母親がその市長に書き送ったを手紙を盗み見てジョーカーが気づいて、あのでっかい父親の屋敷に確認しにいったんだろ。で、市長のほうは、母親が子供を虐待していたからその子、つまりジョーカーを幼いころ養子として受け入れた時期があって、その間だか、母親を入院させていた、という話をしたんだ。もちろん、それは女中に手をだした金持ちの言い逃れかもしれず、本当は、どっちなのかはわからない。母親の妄想なのかもしれない。が、この映画ストーリーは、それでも市長が父だ、ジョーカーは隠し子だというバイアスのもとで作られている。主人公は、そういうおもいにかられ、殺人を企てていこうとするんだから。」「そんなこと、言ってないじゃやない。」「そこまで説明したら、面白くなくなるから、文学でもなんでも、はしょって、観衆に推論させる、つなげられるところで作っていくんだよ。」私は、唖然とするより、イライラしてきた。ハリウッド映画のストーリも追えないものが、偉そうに子供の勉強を教えているのか? おそらく女房は、この映画に、母殺しのテーマをみてはいないだろう。おそらく、父殺しも。いちいち、文字で、字幕やセリフで説明していないから。文字通りな論理で展開されていかないと、論理がつなげられない、なんという優等生か! 私は、共通一次試験に変わるという、新テストの国語問題を思い出した。新聞で掲載されていたそれを解いて、要は、官僚を育てたいのだな、とおもったものだ。マニュアル書や図との関連など、書かれたことを読み取るテクニックに秀でた者たち。女房も、高校までは勉強ができたと豪語する。が、言外に構成される本当の論理、真意まで想像が、推論がいかない。これでは、あの教育改革では、忖度もできない官僚ができあがるだろう。忖度とは、思いやりの一種である。それに従うかどうかは別にしても、その下地がないならば、索漠とした人間関係、いや文字通り言わないと理解しあえない、堅牢な人間関係があるだけになるだろう。つまり、救いがなくなるのだ。

冒頭で引用した対談で、佐藤優氏と池上彰氏は、この新テストを評価している。私のやってみた感触では、以上のように、否定的だ(アクティブ・ラーニングという概念提起は、このブログでも子供のサッカー指導をめぐって、肯定的に言及してきたが)。それは、「論理国語」という用語分類で収れんされていく発想につらなっていく。なんと狭い、狭義な「論理」という言葉であることか。小室直樹氏は、「論理」を日本語で訳せば、「有言実行」になるのだと言っていた(『数学嫌いな人のための数学』東洋経済)。それは、言葉が通じない相手、他者へ向けての説得のための態度が前提なのだ。佐藤氏は、「共感」という人間能力を教育の基礎として提示しているが、「論理国語」の前提とは、島国的な、言わなくてもわかりあえる内輪世界での論理、言語ゲームである。が、人が外へ向けて言葉とともに実践する態度には、「忖度」が前提としているような、家族的な、核家族(双系)的な非権威的な密着度、とくには母子関係が大切なのだと私は洞察・理解している。周縁的な位置にいた核家族的小集団が、文明化された父権的な帝国に対し、皆殺しを免れるための行動を伴った論証である。まずは相手をみて、殺られる、と忖度できなくてはならない。ジョーカーは、秋葉原事件を起こした若者は、中上の秋幸らは、その基盤を破壊していく切実さを露わにさせた。理論的には、もはやファシズム(全体官僚主義)もが成立しえない地点に、私たちは立たされようとしているのではないか? 「地の果て至上の時」という時代に。……女房への心配が杞憂だったように、そんな言葉が実現されないよう、有言実行されないよう、私は希望している。

2019年12月2日月曜日

”フェイク”と”フォニイ”

「最後にもう一度、“フォニイ”という言葉の意味を確認しておきたい。私はどの場合にも、ヴァン・ルーの文例の、
≪内に燃えさかる真の火を持たぬまま文を書き詩を作る人間は、……つねにフォニイであろう≫
という意味において、“フォニイ”といったのである。」(江藤淳著『リアリズムの源流』河出書房新社)

今年の流行語大賞の候補にはなってはいないようだが、トランプが大統領になって、ポスト・トゥールース時代とか呼ばれはじめ、“フェイク”、という言葉が接頭語のように使用されるようになった。その言葉で問題とされているのは、その反対語の“ファクト”、ということなのだろうが、宮台真司氏によると、それはあまりに個人化された時代になって、事実の共有という前提自体が崩れてしまったから、という事になる。ということは、事実(ファクト)といえど、それは共同的な幻想、集団的な解釈だ、というニーチェを系譜に持つような教養が前提とされている、ということだ。私もその教養を共有している。だから、たとえば殺人(戦争)と歯磨き(日常)という事態があっても、前者は「事実」として記憶化されていくが、後者は取るに足りないものとして、記憶から、歴史から問題とされない。が、何を事実とするかもが個人化されていくとは、歯磨きもがその人にとっては「事実」として、歴史として認定されていくということであって、つまりは、殺人と歯磨きが同等な出来事になる、ということだ。この事態は、歯磨きという日常的になったものの歴史性を問うというような、ニーチェの系譜学を受けたフーコーのような分析在り方の普及版、ともいえる。そんな時代の中では、自分の隣にミサイルが落ちても、他人事のようにスマホをとりだして、なま映像としてYouTubeなどに流していられるような分裂した態度をうむ。分裂、というのは、より広い状態の中では身体実際としてそんなことはあり得ず(本物のスキゾは別になるか…)、ゆえにそのあり得ないことを当人もが意識せざるを得ず、ゆえにまた、炎が身近にせまってきたら撮影など不可能になって逃げるだろうし、あるいはそのまま、本当に焼け死んでしまった人もでてくる、ということだ。実際、3.11の津波現場で、そうやって逃げ遅れてしまった人を想定してもおかしくないだろう。撮影という個人的な日常行為と、戦争という集団的な行動との価値ヒエラルキーが同列に意識されるようになっているので、どちらをとるか、どんな何を他人と共有したい「事実」と認定したいのか、その価値判断が人それぞれに任せられているような事態=時代になっている、ということだ。

しかし、平成元年に出版された江藤淳の『リアリズムの源流』(河出書房新社)を読むと、少なくとも当時は、なおそんな意識はなかった、あるいは希薄だった、というように見える。江藤の時代にあって、流行語としてあったのは、“フェイク”、ではなく、“フォニイ”だったらしいからだ。

<形容詞“フォニイ”の語釈を見ると、“marked by empty pretention: FALSE, SPURIOUS”とある。すなわち、”空っぽでみせかけだけの。インチキの、もっともらしい“である。
 つづいて名詞“フォニイ”の項を見ると、“one that is fraudulent or spurious: FAKE, SHAM”と記されている。”いかさまでもっともらしい人あるいはもの。ごまかし、にせもの“という意味としてよかろう。因みにこの項には、次のような文例があげられている。
〈he who writes or composes without the true inner fire……will always be a phony.――H・W. Van Loon…(略)…
形容詞、名詞、動詞を通じて、“phony”の同義語は、ウェブスターでは“counterfeit”とされている。反義語は、少なくとも形容詞“フォニイ”についていえば、“リアル”である。この文例はウェブスターには出ていないが、本年一月二十一日号の「タイム」に、
〈ENERGY CRUNCH: REAL OR PHONY ?(エネルギー騒ぎ、リアルかフォニイか?)〉
という表紙刷込みの特集見出しが出ていたのが、恰好のものといえよう。>(「“フォニイ”考」)

トランプは、人為的な地球環境破壊の話は“フェイク”だとしているのだろうが、平成元年当時では、“フォニイ”という言葉が使用されていた。
しかし江藤は、この言葉を、当時の文学界に向けて、まずは言葉を扱う作家や研究者に対して言ったのである。

<…断っておくが、『リアリズムの源流』という論文で私が跡づけようとしたのは、日本の近代リアリズム小説の過程で果した写生文の役割についてである。「子規と虚子の方法と主張」とは、当然リアリズムの「方法と主張」である。…(略)…子規のいわゆる「新機軸」「新趣向」は、いうまでもなくリアリズムの機軸、趣向である。それはものに直接推参しようとしたことにおいて新鮮だったのであり、単に新しさのための新しさを求めたために新鮮に感じられたのではない。この「新機軸」「新趣向」から生れた写生文のリアリズムが、幾多の「新奇」のみを追い求めた言文一致運動のなかで生きのこり、定着し得たのは、とりもなおさずこのものへの推参の意欲のためである。いいかえれば、“フォニイ”でなかったからこそ、虚子・碧梧の「新機軸」は「無学」な批判に抗して発展し得たのである。…(略)…私の“フォニイ”批判は、“フォニイ”に対する「感覚的・自覚的(無自覚ではなく)な嫌悪の表現である。「感覚的・自覚的」に嫌悪を表現するとき、批評家は論理を用いる。こんなことは批評のイロハであって、このことに対する「非難は寧ろ自己の無学より起る」のである。文学研究家や外国文学者が、論理と感覚を分離して論じようとするのは、彼らの感受性の欠陥を露呈している。そして、批評家が「感覚的・自覚的」に嫌悪を表現しようとするとき、彼は「安定」を志向するどころか、つねにもっとも“critical”な位置に身を投じている。逆にいえば、そういう人間だけが批評を書くに値し、そういう人間の批評にだけ「真の火」があるのである。>

上のような物言いは、私にはラカンを思わせる。

<この「fictious」という用語は錯覚的(illusoire)という意味ではありませんし、またそれ自体では騙すという意味もありません。この用語を、フランス語の「虚構のfictif」という用語に置き換えることはけっしてできません。…(略)…それは、以前申し上げたように、あらゆる真理はフィクションの構造を持っている、という意味においてです。…(略)…そして、まさしくフィクションと現実とのこの対置のなかに、フロイトの経験のシーソー運動が置かれることになります。>(ジャック・ラカン著『精神分析の倫理 上』小出浩ほか訳 岩波書店)

江藤が目指しているのは、「事実」ではなく、「真実」だといえる。個人や人を本当に動かしている内的な構造であり、それに従わざるを得ないながらもその核となるその人固有の秘められた出来事、その衝迫性である。
河中郁男氏はその中上論で、そんな「真実」にはとどまらない作家の「事実」への居直りを、評価したのだった。「真実」を問わず「事実」のみを受け入れるとは、「事実」を相手にしない、ということだが、つまり、殺人も日常的な大した事ではないと過ごしていく、過ごしていくようになる資本主義の現実を肯定するところからやり直しはじめた、それが中上だ、ということだ。
私には、この評価はまだ出来ていない。先週あがったVideonewscomでの宮台氏の時代評と映画評を鑑みれば、中上の秋幸が「ジョーカー」のような存在になった、ということになろうか。
私は、「真実」の側、江藤が見据えた現実、リアルを手放したくないと考えている。が、それもがもはや、共有的な教養でも事実でもなく、私たちは、本当に、個人個人のバラバラな集合、何かの折には何らかの他の集合と重なって、共有項が発生する場合もあります、というような時代に、埋没させられていくだけなのだろうか? 

今日は雨で仕事中止になったので、これから、女房と映画「ジョーカー」を見に行く予定。

2019年12月1日日曜日

ダンス&パンセについて



「ダンス&パンセ」などとこのブログ名につけておきながら、少しもダンスの話がない。ダンサーであるはずの女房が、結婚後、いや息子が小学生にあがった頃からか、全然踊らないからである。もともとは、ヤフー・ジオシティーズに作ったHPに、私の創作や女房のダンスなどを載せていたわけだが、パンセ的なものはブログの方がやりやすく、ジオシティーズ自体が今年、時代の変遷を受け入れて閉鎖されたので、このブログ一本となったのだ。しかし、ダンス的なもの、動画はユーチューブがあるだろうと、試みに、一つかつてのをアップしてみた。

ユーチューブ;チムチムニー

女房は、子供の教育に忙しい。格闘している。高校受験にあたっては、教科書ぶっちぎりまくりだ。児童相談所に訴えようかとおもうところまでいった。「オノ・ヨーコが九九できない息子を蹴とばすか? ジョン・レノンがそれに加勢するのか? そんなことやったとたんアーティストとしての活動が偽物だとふっとぶじゃないか!」と、私が怒鳴っても、「理解できない」と答えが返ってくるのだった。どうも、芸術活動と私生活は、まったくの別物だという頭らしい。

息子が高校にはいって、だいぶ以前よりかは落ち着いてきた。自制ができるようなってきたようだ。しかしそれも、ある意味テクノロジー、ユーチューブのおかげ、というところもある。私の話や、あるいは文章メディアではだめなので、状況に応じたしかるべく人の意見動画を女房のライン上のトークに転送してやるのだ。それが、効いてきている、ような気がする。

2019年11月17日日曜日

ドキュメンタリー映画『ドリーミング 村上春樹』を観てから

このドキュメンタリー映画は、村上春樹氏の作中にある次のような認識を、真に受けることから開始されている。

<完璧な文章などというものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。>

上をこう言い換えてみたらどうだろう?

<完璧な文章は存在する。完璧な絶望が存在するようにね。>

私には、どちらも、何も言い得ていないので、その文学的、詩的効果、言葉のコノテーションは同様に発揮されるように感じられる。意味があるようでないようで、ゆえに、どこか“深い”感じがでてくるような。
原作のデビュー作『風の歌を聴け』では、この認識に、さらに言い訳みたいな弁明がつづくので、さらに意味不明なような意味深長な効果がでている。映画中のデンマークの翻訳者は、この言葉の真意を理解しようとするというより、どう訳すかに悩んでいるのではあるが、私としては、他の人が、いったいこの箴言をどう理解しているのかと気になり、ネットで少し参照してみた。論理的に理解しようと努めている人もおられたが、「完璧な文章」の定義が結論になってしまう循環論理になっていたりする。そこを、「名文」という、慣習的には共同了解があると前提してもいい文章に置き換えて定義していけば論理が成立するかもしれないが、村上氏自身の文章からそこを忖度するには無理があるだろう。ゆえにというか、当然なように、それを、真に受けようとする真面目な人、真剣な人はとまどうことになる。
ある医者は、次のようなツイッターがあったという反応を紹介している。

<インフルエンザを心配する患者を前にして、実のところあなたは、インフルエンザかもしれないが、そうではないかもしれない、としか言えない、とかなんとか言った医者。あなたは村上春樹?>(「診察室の像

この曖昧な村上態度に啓発されてつづられるこのweb文章にはユーモアがある。常識的には、そういう認識しか持ちえないならば、ユーモアで対処していくのは健全なことだ。が、村上自身の文章を読むと、すごく真面目腐っている。これはおかしい。ゆえに、私には、ひとをたぶらかせているとしか思えないのである。

さらにでは、上の認識を、割腹自殺した三島由紀夫にぶつけてみよう。「完璧な文章なんて存在しないさ。完璧な絶望が存在しないようにね。」、と。……たしかに、自殺者の絶望は、「完璧」ではないのかもしれない。さらに言って、「死にいたる病」(キルケゴール)とは、神への信仰が「完璧」ではないことからくる不可避な事態なのかもしれない。が、それを自死していく者の前でいうことは、ユーモアどころか、単なる侮辱にしかならないだろう。

私は別段、村上氏のような作品が文学として存在していることを非難しているのではない。どんな作品でも、あって然りではあるだろう。そうではなく、それが真面目な作品として受容されているらしいことを訝っており、真実をみようとする人の能力が劣ってきているのか、真実などもうみたくなくなってきているのか、には、何か時代的な作用があるのだろうかと、考えてみたくなるのである。私にとって、村上氏の作品は、メルヘン、大人の童話みたいなもので、とてもカフカのアレゴリーと同列にあつかえる次元にはいない作家なのだ。実際、このドキュメンタリー映画は、人物大のカエルがCGで現実の中に合成されるよう制作されている。ドキュメントというよりは、幻想的な風合いであり、それが、私にも受け取れられる村上文学的な「ありよう」である。

<月並みな意見かもしれないが、僕らの暮らしている世界のありようは往々にして、見方ひとつでがらりと転換してしまう。光線の受け方ひとつで陰が陽になり、陽が陰となる。正が負となり、負が正となる。そういう作用が世界の成り立ちのひとつの本質なのか、あるいはただの視覚的錯覚なのか、その判断は僕の手に余る。しかしいずれにせよ、そういう意味合いにおいては、F*はまさに光線のトリックスターだったと言えよう。>(村上春樹著「謝肉祭(Carnaval)」『文学界』2019.12月号)

最近の作品でも、上のような文章は、以上で指摘したものの延長にあるようなものだろう。認識があるというより、語りがあり、なんらかの効果がある。よく読めば、深く考えることは避けるよう弁解されている。が、その語り口と認識めいたものに「深刻」めいたコノテーションが付着するので、読者はまともに受ければ、論理態度としてはダブルバインドになるはずだが、ストーリーテリングの技術として、そこにとどまることは求められていない。が、私は読んでいるうちに胃がむずかゆくなり、とてもついていけない。人からすすめられて長編小説を読んではみるが、いつも上巻でダウンしてしまう。

私が感得する、この村上氏の日本語文章の身体性は、もしかして、翻訳では失われるのかもしれない、とこの映画を見て思い当たり、ならば英文で読んでみようかと思い立ち、どうせ英語で読むのなら、もっと思考を抽象モデル的にしぼって考察をしやすくしてくれそうな、多和田葉子氏の作品がいいだろうと、本屋に立ち寄った。全米図書賞の翻訳部門を受賞したという『献灯使』の英訳本はあっても、文庫で出ているはずの日本語がどこでも在庫切れでない。そういえば、と、多和田氏がノーベル賞候補にあがっている、というようなニュースをどこかでみたような気がして、ために売り切れになっているのだと気づく。しょうがないので、加藤典洋氏の『村上春樹の短編を英語で読む』という文庫本が目についたのでそれを買ってしまった。家で目を通してみると、英文が全然ない、逐語的に、一文一文を対照させて読解してくれるのかとおもったが、いわば社会学的時評みたいな感じだ。しかも、上と下の二巻本だったそうで、その下の方だけを買ってきてしまったのだった。次の週、中野区の方の本屋にいったら、多和田氏の『献灯使』は山積みされていた。増刷されたのか? 多和田氏の作品をまともに読んでみること自体が、多和田氏の『群像』新人賞の作品「かかとを失くして」を文芸誌上で読んで以来になる。まさに、上で述べてきた文脈上で、考えさせられた。最近再読しはじめた、江藤淳氏の論考を切り口に、この日本語(文体)を検討してみる価値はありそうだ。少しづつ、やっていこう、と思う。

2019年11月4日月曜日

論点整理――評伝『江藤淳は甦える』を読む

「私の知り得た限りでは、正田美智子さんの人気はハイ・ティーンの間では下落の一途をたどっているようにみえる。それは十一月二十七日において最高だったが、その日の午後の記者会見で微妙に震動し、今日では清宮〔昭和天皇の末子。現、島津貴子〕の人気にくらべてかなり劣っているだろう。(略)比較的好意的なのは下層中流程度のもの、中学卒業程度で〔中村〕錦之助や〔見空〕ひばりなどの日本映画のファンたちである。反感を示しているのは中流以上、上層中流にいたる比較的教育程度の高いもの、あるいは外国映画のファンたちである。(略)なぜ反感を持たれるか。それは十一月二十七日にはともかく一個の「平民」だった「ミッツィー」が、次第に見えない糸に引かれるように規範化され、自分でも規範的人間になろうとしているからだろう。(略)すでに記者会見の直後に、かならずしもハイ・ティーンとはかぎらぬ数人の人々から、まるでもう皇后さまになったようだ、という声を聞いたことがあった」
 十一月二十七日の記者会見とは、正田美智子嬢が皇太子の人柄について、「御誠実で、御清潔で……」と答えた、その日の「典型的な優等生」ぶりのことである。ここでは調査対象外の大人の「声」まで勝手に援用していて、ルポでもリサーチでもなくなり、評論家が顔を出している。この原稿を書いている時には、まさか自分の従妹の長女が次代の皇太子妃に選ばれるとは想像だにしていなかっただろう。小和田雅子も徳仁親王もまだ生まれてないから当たり前だ。(平山周吉著『江藤淳は甦える』 新潮社)

確か半年前ほどの毎日新聞の書評欄で、三浦雅士氏が冒頭引用の著作を紹介するに、もし今も江藤淳が生きていたら引用に使うテキストはエマニュエル・トッドになっていただろう、とあったので、もう一度江藤淳の仕事を振り返るに、この評伝はとっかかりやすくしてくれるかも、と読んでみた。私は、三浦氏が言うように、心理学的、社会学的なエリクソンから、統計学なトッドへと江藤の下地になる思考素材が移行するようにはおもえなかった。が、他にもいくつか探っておきたい視点があったので、それを記しながら、少し自身の思考過程を整理しておこうとおもった。

・ひと月まえぐらいの副島隆彦氏のwebサイトで、副島氏が、妻のあとを追うように自殺したとされる江藤淳氏の最期の現場を知っている出版関係者の間では、ベッドの上での暗殺かもしれないとささやかれている、と暗示させるような一文を記していた。アメリカでの公開文献を掘り出して日本への検閲問題を探っていたのだろうから、そんなことがありうるのか、とおもったが、この評伝では、江藤夫婦が実際に用心・警戒していたことが記されている。風呂に水を張って手首を切る、というくらいの現場記述しかないが、お湯ではなく水なのは、夏の夕刻ならありうるのか? と少なからず疑問はでる。突発的だったのなら、わざわざ風呂をたくのか、裸だったのかどうか、は知らない。

・個人的なことで、私の母方の親戚には、日露戦争に参加し、海軍中将にまで出世した斎藤七五郎という人がいる。江藤淳氏の祖父も海軍中将だったというから、重なり合うところもあったのだろうかとの興味だ。この評伝からは不明だが、スマホでついでに調べると、1902年明治35年5月10日に、一緒に明治三十三年従軍記章というのを天皇からもらっている。江藤の方が5歳年上で、海軍大学校甲種の一期首席卒業、斎藤の方は、同じく甲種の四期首席卒業だそうだ。しかし私がついでに調べてびっくりしたのは、この海軍の斎藤氏、海軍から派遣されたロンドンで、南方熊楠に大英博物館を案内してもらって知人となり、のちに、わざわざ和歌山の田辺まで訪ねている、ということだ。また、この評伝ではそこまで言及されていなかったが、江藤淳の父の弟が、水俣病を起こしたチッソの社長や会長をやった経歴があるということを知った。評伝では、興銀に勤務というようなことしか書かれていなかった。私は女房に知ってたか、と聞くと、なんとなくきいていた、という。小和田雅子嬢が皇太子妃の候補とされていたとき、親戚にチッソの社長がいるということで騒がれたのだそうである。つまり、私の方でも、女房の方でも、江藤家の部下の親戚がいた、ということになる。

・私が、学生の頃いらい読んではいない江藤淳の作品群に、再度興味を持ちはじめたのは、トッドと柄谷の交差点、民主主義(ローカル)と普遍(帝国)の原理の現在と将来的状況を見極めたいから、という視点からだ。より文学に引き寄せていえば、それは江藤淳が、大江健三郎に対し、日本ではなくノーベル賞を向いた文章を書きはじめたことへの批判の再考、ということになる。この江藤の批判は、村上春樹までは、妥当な有効射程に入りそうだが、では、今回のノーベル賞候補になっているのではないかと言われた多和田葉子には当てはまるのか、と問えば、もう無理な批判ではないか、と私は感想する。しかしなぜ、無理、無効になるのか? この問いは、蓮見・渡辺的な、文学オタク的な読解視点からは解明されない、というより、捨象されてしまうだろう。それは、オタクが、現実的な葛藤をカッコに入れることで成立する、純粋世俗だからだ(渡辺直己は、それを「不純な力」と呼ぶ――「話芸と書法」から)。が、文学を生きる、のではなく、文学が生きる、とするのが私の立場であろうとき、世俗(話芸)と文学(書法)は峻別できない。かつて、私小説作家は、それを書く知人の嘘(文体)に敏感だった。江藤淳も、この敏感さの系譜にあると言っていい。が、その文学外の感受性は、文学の、文字の世界に触れることで磨かれる。その批評的視点は、どこで確保され、理論化され、立場を明確(担保)化してきたのだろう? テクスト論以前の主題論的読解は、その担保を問わない独我論(小林秀雄的)だった。が、作品に埋没していくオタク読解は、そういう風に文学が好きなのではない者にとって、空々しい。江藤淳は、自分の感性を、上野千鶴子に評価される心理・社会学的視点だけでなく、いちおう、言文一致につらなるエクリチュールのレベルでも考察しようとした。もう一度そこらへんを突き詰めて意識化してみることで、ローカル(俗語)と普遍(文学)とのあり様と、そこに関わる私(たち)の態度如何が、より見えてくるのではないか?
先々週、村上春樹を翻訳しているデンマークの女性を撮ったドキュメンタリー映画をみた。なぜ世界の広範囲で村上が受け入れられているのか私には謎なので、少しは解明のヒントがあるか、と見に行ったのだ。で、見る以前の推定通りなことが提示されているので唖然としたが、要は、世界の帝国化の背後で、世界のオタク化もが同時進行なのだろう。なぜ私が村上を受け入れられないのか、も映画を見てはっきりしたので、次のブログで書き留めておこう。

・江藤淳が、ミッチーブームを、冒頭引用のようにとらえている、そういう受け止め方がかつてあり、今のマスコミからは完全に消え失せているのを知るのは驚きだ。今は、退位した平成天皇とともに、美智子氏は尊敬すべき人物として崇拝一辺倒な印象なのだから。しかし図式的な延長で考えていけば、もう上流などなく、中流もなくなりはじめて、そのミッチーブームを支えた中流の下しかいないような民衆状況になったのだから、当たり前か。そうした中流から脱落し始めた人々が、五か国語をあやつる現天皇夫妻を羨望をもって見守っているのかもしれない。逆に、語学も優等生的でなく、軽薄な男につかまる娘がおり、息子も情緒不安定と報道される庶民に近い弟家庭は、見たくないのか評判が悪くなっている。けれでも、次は、男系にこだわるなら、より庶民像に近い彼らが、天皇になっていく、のだろう? そのうち、ツイッターやインスタグラムをする王子やお姫様もあらわれるかもしれない。へそ出しダンスより過激な写真が流布されて。私は、そうなるべきだとおもい、そう皇室を擁護・保持したほうがいいとおもっているが(「人間宣言」の徹底――私の見立てでは、弟が悪役をかって、家族の思いを忖度して言動している…)、本当は、そうなるまえに、憲法から天皇をはずしておいたほうがいいのに、と考えている。そうなってしまったとき、それが国民の象徴です、なんてあったら、私たちが恥さらしみたいではないか? が、落ちぶれていく一億総中流は、自身を慰めてくれるブランドが必要なのだろう。その価値が列記として下がってからでないと、気づけないのだろう。そしてその「気づけ」には、二通りある。そこには世界の価値(ブランド)などなかった、ということと、しかしそれでも、大切なものだった、ということだ。しかしそのとき、消費者でしかなくなった国民は、もう要らない、と捨ててしまう可能性もあるのだろうか?

2019年10月22日火曜日

付記として(2)

前回ブログで引用した、マーク・フィッシャー著『わが人生の幽霊たち』で言及されているミュージシャンの音楽を、ユーチューブ上でほぼ一曲づつピックアップし、ライブラリを作ってみた。
以下を参照としてリンクしてみる。

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2019年10月20日日曜日

付記として

「ヒッチコックの『めまい』(一九五八)がそうであるように、『シャイニング』のなかにおいてわれわれは、超自然的な幽霊の可能性が抑えられているときにのみ、<リアルな>幽霊に遭遇することになる……あるいはこういってもいい。われわれはそのときにのみ、<リアルなもの>の幽霊に遭遇することになるのである。」(『わが人生の幽霊たち うつ病、憑在論、失われた未来』マーク・フィッシャー著/五井健太郎訳 ele-kingbooks)

梅雨や台風といった、普段の季節の巡りによって引き起こされる災難が、普段通りやり過ごせる日常的な出来事ではなく、非日常的な災害になってしまうことが普通な、日常的な事態になりつつあることが、ここ数年の繰り返しで身に染みてくるようにった。3.11での大地震のようなものでなくとも、まるで映画『日本沈没』での、引き裂かれた大地に呑み込まれる由美かおるとそれに手をさしのべる男優の誰かが演じたような場面が、実際のあちこちで再現されたことが報道されるにつれ、もはや逃れうる主人公はいないのではないかと、我が事のような想像が押し寄せてくる。群馬にある実家の藤岡市も、今回の台風で、一番最初に河川氾濫の警報が出た、利根川水系の神流川と烏川という河川に挟まれている。烏川の堤防からは、500メートルもないだろう。ネットでの災害情報を調べて、雨のピークはもうすぐ終わるから、今回は避難しなくて大丈夫だ、と東京から伝えた私の判断に従うことになったのだが、役所からの避難勧告、町会長の一軒一軒まわっての避難通告との連絡、そしてテレビで堤防氾濫、決壊のニュースが流れるたびに、本当に大丈夫なのか、気が気でなかった。ほぼ歩けない80歳すぎの母を大雨のなか移動させ避難所で過ごさせるのは、最終的な手段とした方がいい、だから、ぎりぎりセーフの判断をつらぬき通し、あとは腹をくくる、というのが私の考えだった。実家に前もって行っておくことも考えていたのだが、前回の台風で、東京の中野区の団地も風で窓ガラスが割れるのではないか、というくらいだったので、妻子を残しては動けない。「川が氾濫したことがないのなら、大丈夫に決まってるでしょ。ぎゃあぎゃあ騒いで」と、九州で子供の頃を過ごしていた女房は、台風なれしていない、経験知がないのんきな関東人と馬鹿にしてくるのだった。「これまでの経験知が役にたたなくなるというのが最近起きていることの経験知だろ」そう言いながら、私が女房に対し本心にあったのはむしろ経済のことだった。女房は日常的な循環なように、不景気のあと景気がくる、と金の扱いを考えている。いま不動産は高いから、マンションが安くなってから、と。そうなったときは、おそらく金の価値自体が変わっている、これまでの経験値を超えて。結局その判断は、世間体じゃないか、自分の歳を考えろ、そのうち子供も家を出る年ごろになる、ある金で、必要なものを買っておけ、とりあえず、車が20年近くたってメンテナンスが余分になるから、現金一括で新車に変えよう、レンタカーだのカーシェアだの、現物ではなくシステムへの信用など、俺はまったく信仰していない……。

資本主義の循環性というよりは、破局性をめぐって、宮崎氏の映画『Tourism』河中氏の評論『中上健次論』を論じたのだったが、以後読んでみた本、松本卓也著『享楽社会論――現代ラカン派の展開』(人文書院)、マキシム・クロンブ著『ゾンビの小哲学』(人文書院)、そして冒頭引用の著作等から、その論点が、文化的な世界的同時性にもなっているようだと知れてくる。とくに冒頭引用のイギリスの文化批評の著者は、2017年に自殺してしまったらしいが、ブレグジットの下地になっていくようなアンダーグランドな世界の視点が興味深い。音楽マニアな宮崎監督の背景にも、そうした情念が通底しているような気がする。そして松本氏のラカン論には、私が河中氏の論理の矛盾点と指摘した箇所と重なるような認識が提示されている。それは、柄谷行人氏の四つの交換様式論とラカンの理論との交差として指摘されている。とりあえず、結論的な部分だけ引用して終えよう(その是非は、私はまだ判断できていない)。

<交換様式Dのこのような規定は、ちょうどラカンが分析家のディスクールを「資本主義からの出口」(AE521)と評したことに対応するだろう。簡単に素描しておこう。現代ラカン派では、分析家のディスクールは、エディプスコンプレックスのような既存の知(S2)の専制を脱し、主体の自体愛的な享楽(身体の出来事)が刻まれたひとつきりのシニフィアン(S1)を析出させることであると考えられている(これが、S2とS1のあいだにおかれた遮蔽線の意味である)。そして、このシニフィアンこそが新たな主体化の核となり、己の人生を非エディプス的なかたちで、特異的=単独的なかたちで新たに生き直すことを可能にする(松本卓也2015)。それは、人々を画一的な「すべて」にしようとするエディプス的な力に抗して、「すべて」の側に与せず、「すべてではない」(すなわち、決して「すべて」を構成しない)生のあり方を発明し、それを生きることにつながるであろう。>(「大学のディスクールと分析家のディスクール」前掲書)

2019年9月29日日曜日

河中郁男著『中上健次論』(鳥影社)と。

中上健次の論にはとどまらない中上健次論である。
まず第1巻は、作品を読む行為としての批評的枠組みの問題、とくには単線的なものへと抑圧してきたと河中氏には理解される、戦後の文芸・思想史上にみられる系譜を洗い出す作業を前提必要とし、第2巻は、具体的な問題読解を例示して批判してみせる必要から書き出される。第3巻は、『地の果て至上の時』で、これまでの批評的読解では把握しきれない外へと到達してしまった中上氏のその後の作品を、河中氏の方法意識のもとで試みられる読解として提示してみせたものである、と大概には要約できるだろう。つまりは、第3巻までの長さは、根底からのやり直し、土台の構築作業から入る必要にかられたところからくる必然である。
この必然に対する応答を、私の知見の範囲では、まったく知らない。ネットで検索してみても、無視されているのではないか? 第1巻で標的にされる浅田彰氏、第2巻では渡部直己氏がやり玉にあげられる。前者とは、同じ京都大学出で年齢も近い。後者は、代表的な中上論を上梓している批評家の筆頭といえるだろうが、最近さわがれたパワ・セクハラだかにはとりあえず応答しても、文学自体には応答しないらしい。大澤真幸氏や東浩紀氏といった現在形の論客も射程に入っているが、そもそも河中氏のこの中上論を読んでいるのか? 論じるに値しないと判断しているのか? それとも、大見えを切っているような文体に対する、触らぬ神に祟りなし、という対応だろうか? 私の知る限りでは、新聞広告が二回打たれているが、その二回目で、柄谷行人氏が、ふまえなければならない中上論の決定版、とのようなコピーを書いている。その柄谷氏自身は、本論で、徹底的に批判(否定)されているのである。マルクスを読めていないどころか、マルクス自身がそうやってはいけないと予め釘をさしておいた『資本論』の形而上学的読解をおこなってしまっているのだと。
しかし、その柄谷氏の説いた、「(近代)文学は終わった」という認識パラダイムを受け入れるなら、これらの無視、文学的応答のなさは、もっとも至極な対応ではあろう。文学という理念(規範)が失効したポスト・モダン的な状況では、生活という世俗の営み(スノビズム)があるだけなのだから。真面目に応答する面倒や不利益を考慮するなら、無視して日々の繰り返しに時間を費やした方がいいという、賢明さが最善になるだろうからである。そして私自身は、このパラダイムを受け入れている。文学的営みは、じいちゃん・ばあちゃんが「俳句」や「短歌」を公民館で創作している趣味と同じ社会的営みになっているだろう。あるいは少し高尚なものとして、「朝日カルチャーセンター」での生涯教育。もはや、なんら社会的影響力はない。私が、このブログで、河中氏への応答をつづるのは、まったく個人的な必要性と義務による。それは、文学的応答の職務も倫理・義務もなくしてしまった職業作家たちの事態と同じである。

*****

河中氏は、戦後の私たちが、「汝、平和を守るべし」という戦死者の声を定言命法として受けいれ、支配されてきたという。それが問題であるのは、様々な死者の声、むしろ沈黙する死者たちを抑圧してしまう構造が定着してしまうからだ。中上健次が、大江健三郎に代表される「戦後の枠組み」に抵抗を見せ始める継起は、兄の、小説中では「郁男」の自殺をめぐる真実を思考しはじめることによってである。父子との、母子との、姉・兄弟といった家族関係に潜む内的な現実を探る試行錯誤は、作家においてだけではなく、それを追う読み手にとっても、いわば量子論的読解を強いる。運動と位置を、同時に観察しうる視点はありえなくなる。まず何がみたいのか、「観点」を決定しなくてはならい。作家は「秋幸」を観測地点という抽象設定に変える。そこで見えてきたのは、資本という変化、運動である。『地の果て至上の時』が書かれた1980年、その変化は決定的となる。「汝、享楽せよ」、戦後を動かしてきた「定言命法」とはこれではないか? この資本の現実は、内面の「真実」など問題としない。犯した、殺した、という「事実」をそのまま受け入れることでしか始まらない。しかしその先は、どうなるのか? 私たちが突き付けられているのは、そういうことである。

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高1の息子がスマホを使うようにならなければ、私は、資本主義を身をもって理解することはなかったのではないか? あるいは、そうしたとき、河中氏の中上論を読まなければ、単なる知識・教養として通りすぎただけだったかもしれない。

<『枯木灘』で最も重要なことは、「秋幸」が「道徳的マゾヒスト」として在り、「龍造」が「淫らな父」として在るという事である。この二人の在り方が、中上が突きつけた現代の問題なのだ。
 例えば、「道徳的マゾヒスト」である「秋幸」とは、リストカットする子供である。彼らは、自らを傷つけ、傷つけることによってしか自分の存在を確かめることができない。また、「淫らな父」とは、子供を取り巻く資本主義そのものである。それは、ゲームソフトとして、音楽のダウンロードとして子供たちに大いに楽しむことを命ずるのである。>(第1巻・p687)

<あるいは、「オウム真理教」の事件を考えてみればいい。彼らは社会全体に向かって攻撃を仕掛ける。そのことは、その攻撃性によって社会が何らかの変化をもたらすことを期待するもの、つまり革命行為ではなく、テロリズムでしかない。…(略)…それは、何も変えず、ただ非難されるだけなのであり、自らを苦しめるだけなのだ。あるいは、社会現象となっている「引きこもり」を考えてみてもいいだろう。彼らの自らの内部への「引きこもり」は、個人の内省が社会的な個人の根拠となるような意味で、社会的な生産行為の準備となるというわけでは必ずしもない。彼らは、極限まで自分自身の空虚な内面に立て籠もるだけなのだ。>(第2巻・p144)

息子の中学時の進学親子面談時、隣のクラスの子がリストカットし、面談が中止になった事があるが、「道徳的マゾヒスト」たる「秋幸」の土方労働は、「疲れ」で眠るため、ということなのだから、私がフリーターで肉体労働をしてきた一つの大きな理由と同じで、つまり自身リストカットする「道徳的マゾヒスト」=戦後民主主義者だった、ということだろう。「平和を守るべし」という社会的要請が内面化されていて、攻撃は自らに仕向けられてゆく。それは、私の高1の時にはじまった「引きこもり」の延長の裏返しであろうが、クラスに1・2名のその時から、息子の中学時代、一クラスに何人も「引きこもり」がおり、おおざっぱでならクラス30数名のうち3分の1近くがそう数えられる経験を持つ、と蔓延している。私が内的にも社会復帰できたのは、東京・新宿のアパートの裏にあった植木屋が、なお職人的なモラルを維持していた家族経営なところだったので、そこで人間的な面倒見と温かみが残っていたからである。が、3代目に移るにつれ、サラリーマン的なやり口の方が真っ当なような傾きがでてくる。タイムカードの導入、といった植木屋もでてきた。私の勤め先では、社長を退いた2代目親方が「荒くれ者」を維持しているので導入はされていない。が、傾向は、刑務所から戻ってきた「秋幸」の勤め先が日当から月給・給料制に変わっていったように、時代の変化を受けているのである。そして「秋幸」は、土方をやめてフリーターになり、正社員ではなくアルバイトとして、かつて高度成長期を「荒くれ者」として跋扈した「龍造」の林業会社へ通いはじめたわけである。この意識的な「フリー」な位置、いわば「余剰」としての「労働力」が、排除された「物自体」として「資本家」と対峙できる位置が、資本主義の現実を親近=透視させてくれたわけだ。しかし、バブル期をフリーターとして過ごした私自身は、息子へのスマホ導入、といったさらなる変化がなければ、その深刻さを軽視していただろう。

そのスマホか寝るかしかしないような息子が、先ほど、友達と遊びにいく約束があるから2千円くれ、という。「全員丸坊主だ」、という発想の出てくるまだ若いサッカー部コーチとの軋轢で部活をやめてる状態だ。「月末は俺も金ないよ。机の上の財布からとってけ。」「ちょうど2千円しか入ってないけど、いいの?」午後にマッサージに行くから鍵をもってけと言っていた私への気兼ね、確認だ。「いいよ」と私は答える。……こんな父子の日常会話自体に、そうとう深刻な現実が読み込めるのだ。

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しかし、河中氏の資本主義理解、あるいは、中上健次の小説の読解に伴う資本論には、論理的に不透明な、曖昧な部分があるのでは、と私になお釈然としないところがある。それは、マルクスによる3つの時代区分に関わるものである。その時代区分とは、――<第一に「共同体」が力を持っている時代、第二に「人格的独立性」を中心とした時代、言い換えれば「近代」=「民主主義」の時代であり、第三に「資本主義」の時代である。こういった時代区分によって、マルクスは「言葉」=「理念」と「私」を基軸にして構成された「近代国家」の時代、つまり民主主義の時代が壊れた後、資本主義の時代が来ることを示したのである。「資本主義」が機能しなくなるとき、共産主義社会が到来するという共産主義革命の到来を予見した通俗「マルクス主義」よりも、こういった時代区分の方が現実的なものである。>とされるものだが、この3つの在り方に伴う河中氏の認識モデルに関してである。

<また、マルクスはここで重要なことを述べている。つまり、第三段階において、初めて第一段階のもの、「家父長的な状態」「封建的な状態」「古代的状態」といったものが崩壊するということである。何故なら、第三の段階は第二の段階を諸条件とするにしても、第一の段階は必要としないからである。つまり、「資本主義」は「共同体」を完全に破壊させる。>(第2巻p218)

<こうした三つの段階を改めて考え直してみると、こうした三つの段階が、我々の言う「幻想の村」=「方法としての村」であるどこにもない「村」である「原始共同体」=「異物」から逆照射された歴史的連鎖であると考えてみたくなるのだ。
「原始共同体」=「幻想の村」は、歴史的過程が、マルクスの第一段階/第二段階/第三段階が、むしろ折り重なって社会を構成する在り方を、可視化する「異物」なのだ。>(第3巻p94)

上2つの引用文章は、矛盾してないだろうか? 第三段階において、第一段階が破壊されるのだとしたら、それら3つの段階が「折り重なる」ということはあり得ない。中上健次が、『岬』・『枯木灘』・『地の果て―』という三部作において、この3段階の過程をたどってみせていることを指摘しながら、河中氏は、その過程が循環した、ひとサイクルが完結した趣旨の記述もする。ということならば、第三のあとで、第一もがまた再開される可能性が担保されていることになる。がどちらにせよ、「折り重なる」という空間的把握と、前段階の破壊を伴う不可逆さや過程(循環・サイクル)といった時間的把握はそのままでは相いれない。もしかして、河中氏は、現象として時間的にみえるものから、思考モデルとして抽出してくれば、3つの段階の重なり合いが理論化できる、と言っているのかもしれない。が、だとすれば、これは河中氏が否定する柄谷行人の「交換」モデル(「世界史の構造」)に近づいてくる。河中氏の「幻想の村」、マルクスの言う「原始共同体」とが、柄谷氏の説く「交換X」という仮説的なユートピアに近似してくる。だとしたら、カント批判からはじまった中上論が、またカント的に戻ってきてしまう、と言えないのか?
河中氏の柄谷批判は、その「交換」が、1対1の個人間をモデルにしそれで終わっている、というところにあった。そんな単独者同士の交換は、実際的にありえず、資本の交換は連鎖であり、たえざる過程にこそあるのであって、そこを抽出して終わる理論とは、マルクスがプルードンを批判していうように、「ばかげた願い」なのだと。

河中氏の立場は、個人(単独者)ではなく、「村」人(集団)から考える、庶民に寄り添った立場から考えたいという「願い」であり、ゆえに、インテリ批判として一貫してきたわけだ。その批判の用語が、カントやヘーゲルといった哲学から、ラカンといった批判対象者が引用する現代思想的なものであり、自身の正鵠な読解によって正すという中央突破的なやり口による。インテリ批判が、創作や詩、あるいは宮沢賢治に象徴されるような素材からだったなら、正確に読み取るという前提さえ難しくなるだろう。しかしそのことによって、3巻を読み終えてみると、すでにある俗説との差異が、わかりにくくなる。たとえば、「荒くれ者」から「資本家(文化人)」への「龍造」の変貌は、「資本(労働力)」として抽象設定された「秋幸」という立場からでなくとも、見えてくる現象である。ヤクザ映画では、そうした時代変化に翻弄される主人公は仰山でてくるだろうし、作家中上の前に出ていただろう。が、事後認識なのが通説のカラクリであって、その同時性の設定で洞察するのは、困難であったろう。いや事後の位置にある私自身が、その認識の深刻度を理解していなかったのだから、その論理上の差異と、その指摘は、決定的なことなのだ。が、すでにある通説に、河中氏の方法論が埋まってしまう印象を持つ。

<「村落共同体」は崩壊した。つまり「村」は、一万年かかってできあがった「村」は、徐々に「資本主義」に浸食されていった。このことは、一体どのようなことなのだろうか?>(第3巻p76)

通説的にも自明な現象への問いを、改めて問う深刻度。柄谷氏はこの「どのようなことなの」かという問いを、「世界史の構造」として提示してみせたわけだ。それは、「一万年」以上も前の、定住以前の世界を想定してみせることによってである。「交換」の段階は、「折り重なって」いるというのが柄谷氏の認識モデルである。が、それは一様にではない。第三段階では、商品交換が主流にはなるが、第一の贈与交換や、第二の略取・再分配の様式がなくなるわけではない、とされる。柄谷氏は、建築史家の中谷礼仁氏の著作から、古墳を迂回して建築された大阪の国道についての例を引用したりしているが、だからといって、古層が強度を失っていない、というのではないだろう。近所の東京は山手通りと早稲田通りの交差点は、かつて古墳であり、そこに浅間神社があり富士塚もあったが、山手通りを通す際の昭和2年に破壊され、旧道は直角に交わり直行するよう改造されている。さらに、家族人類学のエマニュエル・トッドによれば、「村」=「文明」の伝播は、核家族(双系)的な交換様式の残存が濃厚であった周縁地帯における価値、パリ盆地での自由・平等という民主主義的な政体によって頓挫し、とくには文明の辺境地であるアングロサクソン系の個人文化普及によって停滞している状態、となるだろう。この柄谷の空間的モデルと、トッドの歴史的時間モデルは類同している、と私は指摘した。

河中氏は、柄谷氏の『トランスクリティーク』を「無残な失敗」と酷評する。実際、本人がそう認識して次なる『世界史の構造』へと転回したのかは知らないが、私としては、あくまで『探究』の他者論、つまりは個人間の交換論の延長として、「世界史の構造」はある。いや河中氏自身が、<新しい意味での「個人」として成立しうる可能性を持った存在>として、「特殊部落民」を谷川雁の『日本の二重構造』の観点として読もうとするわけでもあるだろう。辛辣な口調とは裏腹に、氏の態度は微妙であり、曖昧=両義的である。

<だが、「右翼」であることには、様々な形があり、「右翼」は何度でも再来するということ、そして、「右翼」であることは、何よりも日本の庶民の情緒的、あるいは心的な構造の中に内在するものに根拠を持つものであり、現れる様々な変遷を辿ることによって、時代の変遷を、社会的変化を描くことができるということを示したように思われるのである。我々は、戦後というものを戦後的理念=「平和」、あるいは民主主義の理念とその批判的な受容、そして、その内在化といった観点の変遷から考えがちである。だが、そうした観点は、知識人の頭の中にしかないもので表層的なものでしかない。むしろ、生活する人間の情緒的なものに根ざした観念的世界がいかに時代の変化を蒙っていくのか、ということのほうがより根底的であり、中上が「右翼」を描くことによって示したのは、こうしたものである。…(略)…いずれにせよ、中上以前の「右翼」は、「個」に現れた形での「右翼」であった。ところが、『異族』の中の「右翼」とは、重層的な関係における、それぞれの位置での「右翼」であり、そのそれぞれの「右翼」の「天皇」や「国家」の現れ方であることに特徴がある。
 それは何よりも、中上が「自己意識」に捉われた「個」を脱したということから生まれたものであった。それを我々は、<対象a>=「幻想の村」から、「プレ・モダン」/「モダン」/「ポスト・モダン」の重層性を描く方法として考えた。そうした重層的な位置から、それぞれ世界の捉え方を描いていくということが、中上が到達した地点であり、その完結はしなかったが、結実しかけた成果が『異族』という未完の超大作なのだ。>

第3巻を締める最後の文章は示唆的である。「個」を脱したとされる作家・中上は、「個」の力によって脱したのか? インテリよりか、庶民を凝視し、寄り添う立場を選択した。それは、個の意志によるのか? 量子の観測態度は、それが在ることの確信からの対応・発見であるとして、主体的な意志なのかどうか判然とできない。名づけようのない態度。とりあえずそれを、曖昧な態度、としておこう。しかし、この庶民の近傍に位置する態度は、災厄とともに、ということなのか? 「右翼」の再来としての。理念=規範をなくしたインテリの言動は、事実確認的というよりは、行為遂行的な、パフォーマティブな実践となった。柄谷・浅田らの「批評空間」以降、NAM実践の失敗後に思想ジャーナリズムを席捲したのは、佐藤優氏ということになるが、それは自身の言動がリアル・ポリティクスに影響がありうることを前提としたものだった。発言者の真意は不明だが、外交上の腹の探り合いのような言論が、言説的に仕組まれていくことがめざされた。が、総理を褒めたり貶めたりしながら、影響の真意がわからなくなってくると、佐藤氏は言論活動よりかは、エリート師弟への教育実践に比重を移すようになってきている。しかし、そうした対応どもが、河中氏の言う「戦後の枠組み」の延長での茶番にすぎないのだ。

ばかな息子はどこに行くか? それを見る私の眼は、父の目なのか? 個人のものなのか? かつて子であった私の思いか? 女房も含めた、家族の視点なのか? インテリとしてなのか? 職人としての社会階級的な立場からなのか? 馬鹿同士としてなのか? ……すべては、曖昧なまま推移する。明確にみようとする意欲が、私を曖昧にしてゆく。しかしそれが再来するとき、曖昧なままではすまなくなるだろう。そしてすでに、それは再来しているのだろう。部活をやめるやめないにしても、それは庶民が惹起させる再来的な襲撃なのだ。

2019年9月8日日曜日

宮崎大祐監督・映画『Tourism』を観る

吉祥寺のアップリンクへ、宮崎大祐監督の『Tourism』を見に行った。前作『大和(カリフォルニア)』の感想ブログを、その映画Facebook上で紹介してもらったこともあって、今作をまた私が何か<読み>得ることがでてくるのだろうかと、不安というより期待をもって、夜の上映に足を運んだ。厚木基地周辺・郊外の若者の生態を切り取ったような前作からのスピン・オフな感じで制作されたということだが、むしろ私には、前作に潜在していたテーマ(現実感)が焦点化されて浮き彫りされてきている、と感じられた。それは、前作が、アメリカとの政治的関係を象徴的に描いているとしたら、今作は、経済的な関係が、とくには、政治的な次元としては表象(象徴)されることもない、むしろシステムの表からは排除されているだろう潜在的な現実が前景化されている、と。

そのことはまず冒頭、シェアハウスしている若者、男一人に女二人という家の中で、幽霊がでるという会話から示唆される。経済力がましなもののアパートへの居候(いそうろう)というかつての形ではなく、家賃を分担した公平な形、しかもどうも、朝食も誰かメインな者が作ったものを皆で一緒に、ということではなく、テーブルは同じでも、それぞれが自分の朝食を用意して食べているらしい。彼・彼女たちが、正規の社員ではなく、アルバイトをして金銭を得ているということが、その後のドキュメンタリー的なインタビュー映像とうによって明らかにされる。男のレンタル本の仕分け作業でのスキルのこと、その熟練と習熟によってそこに居座るのではなくむしろ他への転職を考えるきっかけになっていくらしいこと、とくには、主人公のニーナの、雑巾を作っているような工場での単純労働の情景は生々しい。そのニーナには、幽霊がみえないのだった。相棒の彼女スミレには、貸家の廊下の奥だかに座っている男の姿が見え、気味悪がっている。同居の男は、なんとその幽霊と会話が成立し、名前まで知っているというのである。この冒頭のシチュエーションは、見ていて笑えるのだが、映画進展とともに、彼・彼女たちの社会的位置と対応した、深長な意味をもっていることが知れてき、同時に、この映画が、なんで言葉を覚えはじめたばかりなような子供の語りによってはじめられ、終わるのか、という映画全体の枠組みの必然性もが知れてくるのだ。

上映後、映画評論家の人と、今作では配給方面の仕事にまわったという男性との話があった。映画完成度、という理念的な前提をとれば、この対談での意見は正当であったろうとおもう。なんで子供の語りが必要なのか?旅をして成長するビルディングス・ロマンと不思議な国アリスの形式を使うのはいいが異文化との出会いが予定調和的一致になっていないか?スマホの紛失から一転して、郊外での生活感の描写から異世界巡りになるアイデアは面白いが、その置き忘れたスマホをズームしてとるのではなくもっとさらっとやったほうがよかったのでは?……しかし、短期間に即興的に撮影されたこの映画の不完全さ、亀裂の方から映像をみていくと、むしろそうした評価とは正反対の事態が見えてくる。

たとえば、子供の語りについて、配給役にまわったという男性は、「言葉を覚えたばかりくらいの年齢」みたいな印象、ということを述べていた。つまり、単なる子供の声ではなく、まだ赤ん坊の喃語発音が残響しているような、くぐもった声なのだ。ということは、まだ小学校にあがるまえの、5・6歳の男の子が想定されるだろう。その声が、映画の閉めで、5年後にニューヨークでニーナに会うことになる、と言う。ということは、この映画の時点では、0・1歳ということなのか? それとも、この映画はだいぶ昔の話で、子供が歳をとってから、すべてを回想して語るという未来設定の語りなのだろうか? ならば、普通なら、老人の語り声が選ばれるはずだ。しかしそうではない、常識的な現実(設定)を相手にしているのではない、というのは、この映画が、幽霊の、不可視な世界を顕在化させようとしている意図が感じられることから想定しうる。つまりこの子供は、フェアリー、妖精なのだ。しかし、この映画は、おとぎ話(フェアリー・テイル)ではない。現実を、リアルなものを手繰り寄せようとしているのである。

シンガポールのホテルで、スミレは、幽霊をみる。「ウィリアム」と、名前まで知らされている。観光地では、日本植民地化に抵抗した諸民族の死を悼む記念碑を見る場面がある。映像はモノクロになり、銃の音が響く。死者が、彼女たちを取り巻いているのだ。観光客としての彼女たちを。象徴的な世界では、観光客とは、第二の兵士と言われる。リュックを背負い、カメラを手にしている姿が、背嚢に銃という、兵士のイメージと重なり、事実、かつての戦場が、観光地になるからである。兵士は、国のために戦い、そのシンボル体系下において、父や母、家族のために戦う。その今は亡き父・母の、祖先の跡を追悼するかのように、かの地を訪れる。が、彼・彼女たちにとって、家族とは何か?

シェアハウスとが、居候とは違う、新しい形であるのは、そこに、もはや父・母がいないからなのである。自分の規範となるような父も、飯を作ってくれる母もいない。高度成長期の居候には、力関係や依存関係が、父―子、母―子の延長としての形が反映・反復されていただろう。が、もはや、そんなものはない。『大和(カルフォルニア)』では、戦後日本の規範たる、アメリカという不在なる父の痕跡があった。しかしこの映画では、白人の「ウィリアム」は死んでいるのだ。モデルとなる規範や理念が喪失されている世界で、彼女たちは、どうやって「成長」するというのか? 異文化に接して、大人になって帰っていく? そんなことは、もはや不可能なのだ。まして、彼女たちが持っているのは、カメラではない。リアルな映像自体がよそとつながったスマートフォンである。彼女たちは、自立して稼いだ金で観光地にやって来たのではなく、ネット上でのクジにあたってやってきたのである。「生活感」から遠く離れた地点に、彼・彼女たちの現実があるのだ。

この彼・彼女たちが表している現実条件とは何か? 資本主義、ということだ。もう、それしかない世界のなかで、私たちは生きている、生かされている。父の私が、高1になる息子に、何を言っても規範たりえない、なぜなら、資本が父だからである。その父は言いつづけるのだ。「汝、享楽せよ!」と。これは、ラカン派の精神分析上の言葉だ。私は最近、息子のスマホの安全フィルターを解除した。子供を管理しようとすることが意味(有効)のないばかりか、むしろ生きる力を奪ってしまう。ラカンがいうように、もはや父は、子供をなだめるだけだ。「飛び込んでいけ。あとは、偶然しかない。運よく、切り抜けてくれ。」そう、祈ることぐらいしかできないのだ。宝くじで得た金と、汗水流して稼いだ金と、私たちはいま、区別しうる内面(規範)の強さをもっているか? どっちも対等な価値をもっていると、平然としていられるだろう。いや、クジで当たって得た金のほうが、リアルに感じるだろう。私自身、バブル期に大卒したあとの建築現場掃除や配送の夜勤荷分けのバイトをしたあと、雑誌で仕事を探すことにあき、住んでいるアパートの裏にあった植木職人の家庭で30年近く働くようになり、こうして家族をもって過ごしていられるのも、運がよかっただけである。平準では、私の職種で子供をもった家庭を維持するのは難しいが、たまたまそこが昔気質の方針で、育てた師弟は大事にするポリシーを意識的に守っていこうとしていたところなので、そこまで給与があがりボーナスもでるからなのだ。しかし、だからといって、スキルを人一倍身につけた私が職人という意識になれるわけではなく、気分はあくまでフリーターなのである。いまある生は、まさに運の賜物、とは明白なくらいだ。が、逆にいえば、その運から漏れ落ちる人々が、必ずいる、ということが構造化されている、ということになるのだ。「資本論」を書いたマルクスにとって、「労働力」とは、必ず「余り(余剰人員)」が潜在しているという抽象的な現実である。余りだからこそ、フリーター(自由)なのであり、しかしゆえに、それは「絶対的貧困」に、死に隣接している地位なのだ。努力が、むくわれるわけでもなく、むしろ運によることが普通な世界……ニーナと同居している男は、それを倫理として受け止めようとしている。自分たちが、世のシステムから排除され、抑圧され、不可視化されてしまうことに、ゆえに代表制という政治のシンボリックな世界にも参加する機能から外れていることにも、抗うわけでもない。その政治的な不可能性を受け入れることから、シェアハウスのような倫理を模索しているようにみえる。宮崎監督は、シンガポールでも、バスを待つ外国からの出稼ぎ労働者の群れを映していた。あるいは、スマホをなくすことで神隠しにあったニーナを救ったイスラム教の家族の長男は、夜の屋上で地下活動的な演奏に彼女を連れていく。資本構造的には、それは戦争(国家)ではなく、テロに近い場所になる。抑圧されたものの噴出は、亡霊的だというのが資本主義を精神分析したラカン派の洞察である。その亡霊は、潜在した「現実界」の姿なのだ。スマホとは、その根拠を欠いた幻影のような世界に参加するために、究極的なモノとして開発された魔法の杖であろう。リアリズムな表現であるなら、食堂の椅子に置かれ、これから置き忘れようとしているスマホを、思わせぶりなように撮りはしない。が、ズームに露出されつづけることによって、それが日常的な道具というよりは、何か不気味なものに感じられてくる。それは、資本という見えない魔力こそを写し取ろうとしているのだ。

文学畑の私は、宮崎監督の前作『大和(カルフォルニア)』を、基地の作家村上龍を参照することで読解した。今回は、路地(被差別部落)の作家中上健次になった。というか、最近読んでびっくりした評論、河中郁男氏の『中上健次論』(鳥影社)の影響を受けてこの映画感想を書いている。(河中氏の中上論については、ブログで書評するつもりだ。)宮崎氏の前作は、基地という特殊が郊外という一般と対になって把握されていたとおもうが、今作では、むしろ排除された地として、特殊/一般の回路では把握されえない場所、よって幻影として、亡霊としてしか現れえない位相に移動しているのではないか、と思えてきた。たとえば、パンフレットでは、ロケの代役をすることになった中山雄太氏が、こう書きつけている。

<そうした映像がSpecters and Tourism(亡霊と観光客たち)というタイトルのインスタレーションとしてマリーナベイサンズに展示されているのを見るのは不思議な気持ちだった。文字通り観客(Spektator)だった自分らが、再開発の波でビルごと消えた風景のなかで亡霊(Specter)となって、いつものようにニヤニヤとアヴァンギャルドな演奏を見ている。故郷をはなれて行き場を失ったTouristsとなった僕らに出来ることは見れるうちに見ておくこと、主にサイト・シーイング。>

宮崎監督がこの映画で撮ったシンガポールの場所のいくつかは、もう再開発で存在しない、というのである。中上健次は、資本開発されて亡くなっていった路地を小説としてだけでなく、8ミリでも映す活動をしていた。その路地の消滅について、河中氏はこう言う。

<つまり、「資本」という眼に見えないものが「土地」=「自然」を破壊しているのであり、「土地」を削っているのは、「資本」だと言えるのである。
「土地」=「自然」が崩壊することによって、生まれるのは「理性」の崩壊でもある。例えば、次のような現象はそういった「理性」の基盤であるものが壊れることによって、「理性」が抑圧してきたものが立ち現れるということである。…(略)…
 この「理性」/「自然」が抑圧してきたものが「地霊」(丹鶴姫と呼ばれた女人の亡霊―引用者註)によって象徴されているものである。「現実界」から出現するのは、こうした「地霊」である。>

おそらく、宮崎氏が透視しようとしているのも、中上の路地(部落)のような現実であり、可視的な基地なのではなく、それが抑圧してきた不可視な基地、いわば潜在的な現実なのだ。だから、この作品は、亡霊の映画となろうとしたのであり、表象しえない、言い換えれば体系化しえない現実を仮にも統合的にするために、世俗の時間軸を超えた、妖精という語り手が必要となってきたのだ。この語り手は、歳をとらない世界、いわば構造的な世界としての一角、「現実界」からの使者なのだ。映画後の対談で指摘された、語りによる「メタレベル」、という階層はもう成立しない。子にとっての父、人にとっての神のような超越的な視点はもはやありえない。監督である宮崎氏自身が、これまで規範=理念としてきたアメリカ映画の形式を捨て、「スキゾ」的に撮れたら、と望んだという。理念=規範として抱いたアメリカはすでに資本の亡霊であり、この統合失調症的な映画をまとめているかのような妖精の語りは、自らもが見えない主人公として、この映像群の亀裂から顔をのぞかせていたのだ。つまり語り手は、映画の主人公=観光客(Spectator)=死者、でもあるのだ。

映画後の対談者の話によると、監督の次回作は、文字通り、「ゾンビ」なのだそうである。それは、いわゆる「想像界」のものではなく、「現実界」から立ち現れた亡霊であるだろう。

2019年8月15日木曜日

三島由紀夫をめぐって

私は三島賞候補になった倉数茂氏の『名もなき王国』を論じて、ゼロなどあるのか、すでに一があるのではないか、といった。そして三島賞をとった鹿島田真希氏の『ゼロの王国』を論じて、主人公(吉田青年=ムイシュキン)はこの女ではなく、あの女を追い求めているのだ、といった。しかもあの女とは前提的な理想像(イデア)ではなく、この女の経験の向こうに洞察されてくるのだと。
大澤真幸氏の『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社新書)は、上のふたつの指摘を論理化しているかもしれない。

<「一だけがある」という主張は、「何もない」(つまり「0」)という命題と同じことに帰着する。「一」だけしかなければ、「一」をまさに「一」として構成する「他」が存在しないからである。
 だから「一がある」とは言えない。しかし、「一がない」とも言えないのだ。どうしてか。われわれは確かに「一」を――自らに対して立ち現れる包括的な世界を「一」として――経験するのだが、そのように経験することが可能なのは、「一」が常に、「これには尽きない」という向こう側を、つまり「他」を含意するからだ。だからと言って、その「他」は「一」から独立の実体として存在しているわけでもない。それゆえ、「(「他」から区別された)一がある」と断定することもできない。…(略)…それは、決して積極的には現前しない(現前したときには「こちら側」の要素にすでに転じてしまっている)。つまり、向こう側はつまり「一」に対する「他」は不可能なものとして存在しているのである。>

あの女は、あくまでこの女の現象によって在る。あるいは、現象によってしかない。大澤氏の解析では、三島がそう感触していたのは、『金閣寺』での美女の名前が「有為子」とされることに示唆されているという。無為(ゼロ)ではなく、あくまで「美のイデアは現象(有為)」なのであると。逆に言えば、そのないものがあるとされるには、強引な行動によってこそその存在が確信される、という論理も発生させる。世の覆い(ヴェール)が在るからこそ、その向こう側のないものが在ることになるのだから、そのヴェールを押し続ける、極端には破壊する、という行為が、そのないものへの信仰の証明にもなるからだ。『金閣寺』の放火とはそのようなものであり、三島の割腹もそのような論理であった、というのが大澤氏の見立てである。そして燃やす対象はどんな建物でもよいのではなく、切り裂かれる肉体も、貧弱なものではよくない、という話にもなる、とされてくる。
大澤氏は、この三島の結末、最期作『豊穣の海』での主人公をないものとする虚無、それゆえにこその自身自らの破壊行為は、三島にとっては、抑圧されたものの回帰とそれへの反動だ、とみている。いわば、有為子となざした感触は、無意識的な筆記で、忘却されるべきものだった。しかし、「ない」と言ったのは、女自身からではなかったか。男が、そう認識したのではない。つまりそれは、男の論理体系にあるわけではない。たとえ、そう男の作家が書きつけたとしても、である。そういう立論によるのが、橋本治氏の、『「三島由紀夫」とは何だったのか』(新潮文庫)であろう。

橋本治氏の立論からすれば、大澤氏の論理は、女からの論理の拒絶=断絶を、もう一度男の論理の体系へ解消していく試み、として映るだろう。橋本氏は、あくまで現象の側だけ、にとどまる。真実(イデア)が向こう側にあろうがなかろうが、関係がないのだ。ニーチェがいうように、女は真実を欲していない。『豊饒の海』の結末で、聡子が清顕のことなど知らない、そんな人いなかったのでは、というのは、そんな事実など、自分には関係ないということであり、それも清顕が結局は女として自分を相手にしなかったからで、そんな過去は、女当人には存在していないに等しいのであり、そんなセリフ(関係)は、「現実にいくらでもあることなのだ」、と橋本氏は言うのである。

<「物語の中」に入り込んでしまった三島由紀夫の胸の中から、その「敗北の記憶」「挫折の記憶」は、いつまでたっても消え去らない。その「屈辱の記憶」を晴らすため、復讐さえも考える。…(略)…三島由紀夫には、それをする必要があった。しかし、「園子=恭子=聡子」として三島由紀夫の中で生かされた「女」は、それをされて喜ぶだろうか? 一方的な復讐と、一方的な贖罪。喜ぶ以前に、そんなことをされる必然を感じるだろうか? よく考えれば分かるはずである。だから、三島由紀夫はよく考えた。そして、それをしたことに対する「園子」の答えも考えられた――「私の記憶にあなたはいない」である。それをして、それはもう無意味だった――かくして三島由紀夫は、女の復讐によって死ぬのである。それが「考えられる唯一の答え」だと悟って、三島由紀夫の一切は崩壊する。>

しかし、三島が女の非論理に直面するのは、彼が実際には大奥のように主人が女である「女の世界」で生きてき、そこから出たからである。その決別を、橋本氏は『サド侯爵夫人』に読み、「≪嘘の中で生きるのは何でもないんだ」と言う女(『恋の帆影』第三幕のますみ)を捨てて、≪それを壊すのはいつも男だ≫(同前)と言われる「男」の世界の住人になった三島由紀夫は、「思想的な色彩」を強くする。」と、跡付けられる。しかし、そうして回帰していったはずの男たち、「友」は、「もう死んで」いた。「その世界の主と争うことの無意味を知」らされていた間、つまりは<女の平和>=戦後の「欺瞞」にいた間に、男たちは死んでいたのだ。敗戦当初、「戦後」を肯定していた三島だったが、その肯定のうちに、回帰すべく世界はなし崩しにされていたのだ。「『豊饒の海』の冒頭に置かれる「死者」の写真は、それを物語るのだ」と橋本氏は締めくくる。この読解の中では、無(女)と有(男)は、論理矛盾が解消されるよう体系化されるのでなく、断絶したままほうっておかれているだろう。で、それでいいのか?
おそらく、橋本氏の解答は、論理体系を前提にするものではないので、今の経験(時代)上ではわからない、というものだろう。三島の問題は、近代の問題であり、男の問題であり(漱石遺作の『明暗』なども、女から復讐される男の物語であるだろう…)、それが崩壊してきているのが事実だとしても、崩壊しきっているわけではない。そんな中で、世に出た女たちのスキャンダルな事件を受けて、とくには政治家になった女たちにいう、「少しは「全体のこと」を考えようよ。」と(『父権性の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』朝日新書)。……経験的な範疇、世俗現象にとどまるのが立論だとしても、「全体」という男の体系をいきなりもちだしていいのか? というか、そういう曖昧な態度の許容は、今ある、提示された事実の無考慮や誤認からくるのでないか、というのが私の意見、指摘である。同じ経験的な立場、演繹論理ではなく、帰納的な歴史実証を基礎にして思考を提示する立場として、ここで私はエマニュエル・トッドを介在させたい。

橋本氏は、江戸時代の識字率の高さを持ち上げたりし、それが、「日本」のイメージ、クールジャパンとかの政治的なキャンペーンとも重なってくる認識を前提しているが、トッドによれば、当時でさえ、スウェーデンやドイツでより高い地域があったと例示している(トッド・ノート(7)他)。というか、序列に意味があるわけではなく、封建制的なところ、父権性が伝播してきたがなお双系的な地盤が根強いところでは、母の影響力が強く、識字率もあがる、というところに歴史的な意味がでてくる、というのだ。そして歴史以前の、双系的現実が強いところ、文明伝播(父権性)が行き届いていない地域では、核家族的な原則、いわば民主主義的な自由と平等の傾向が強く残存していることになる。つまり、橋本氏が「近代」として認める原則、個人の台頭や女権の拡張、父権性の崩壊といった現象は、むしろ、文明の一時的停滞、伝播の頓挫過程、とも言えてくるのである。歴史が不可逆だとしても、構造的な循環、ここでは、文明の逆襲もが想定されるのだ。現今の、アメリカが退潮し、中国、ロシア等と、その非民主的な帝国的価値が勢力を復興してきているのは、その表れなのかもしれないのである。

という観点に立った場合、橋本氏の立論は、有効だろうか? 世俗的な現実性として、橋本氏の洞察は驚愕にあたいする。世界の無だと、男たちが大仰にとらえたところを、女がおまえのことなど知らない、忘れた、といっているだけだ、というのだから。倉数氏の『名もなき…』には、インテリを軽蔑していた風俗女が、インテリの命をかけた行為を目の当たりにして、理解を改めて男によりそう、というエピソードがあるが、もしかして、軽蔑された男はそのまま軽蔑され続ける方が「よくある話」なのかもしれない。三島由紀夫はそう悟ったのだ、と橋本氏は言う。そして、だから「美しい」のだと。――<自分の人生の無意味を無意味として明確に摘出するその行為が美しくなかったら、人は「美しい」という言葉を捨てなければならない。>この「美」の感性は、橋本氏が、三島は「空に北極星があるように「美という概念」が不動の形で存在している」と認識しているのだと、イデアの一般的理解を提示しているときの「美」とは違う。正直な姿は美しい、とでも言おうか。むろん、大澤氏の矛盾止揚した論理の「美」とも違う。近いのは、おそらく、村上春樹氏の、『納屋を焼く』、だ。
三島は、「金閣寺」を焼いた。切腹する肉体は、鍛え抜かれた美しいものでなければならなかった。ありふれた、貧弱な姿ではいけないのだ、というのが、大澤氏も受け入れている「美」(イデア)の前提である。これを、「崇高」と置き換えてもいい。ナショナリズムの人員動員に匹敵する、対抗しうる人心掌握が、政治的に志向=思考されているからだ。が、村上氏は、いわばそれに否、というより、嫌みをみせつけているのだ。大仰に考えるなよ、と。が、大見えを切る立場、目立つのはいやなので、控えめをよそおい、ひそかな指摘だけをしている。柄谷行人氏は、それこそが「ロマンティッシュ・イロニー」であり、日本浪漫派なのであり、その思想は、三島よりも川端康成にこそ代表されるものなのだと指摘したわけだ。しかしその立場は逆に、エリートな、エスタブリッシュメントな立場ではなく、庶民の立場の代弁という趣向をもつ。村上氏が、オウム真理教の幹部エリートたる加害者ではなく、被害者のほうにこそ共感をよせる文章をつづるのも、その表れだ。そして村上氏が、一貫して標的としてきたのが、どうも三島であるらしいのは、色々指摘されてきた。おそらく、『納屋を焼く』も、『金閣寺』のパロディーなのだ。卑しき姿にだって、燃やす価値のある「美」はあり、人々はそこに魅せられる病を抱え込んでいる、抱え込んでしまっている。そしてそこにフォークナーが介在されるので、つまり、敗戦(南北戦争の南軍=日本軍)を、自分が、そして父たちが、いわば庶民的な民衆が、本当はどう受け止めて心情しているのか、その真実を、屈折した病を摘出し告発したいのである。庶民を真に理解しているのは三島じゃない、俺だ、ということだ。上から目線でものをいうのはよせ、と。しかし、「二度とあやまちはくりかえしませぬから」とおもうとき、私たちは、被害者から考えるのか、加害者から考えたほうがいいのか? というか、歴史的教訓は、被害者(民衆)もが加害者だった、ということにあり、それが実証されてきたことだ。被害者の側からでは、関係なかったのに、というウソにしかならない。つまりは、戦後の、ウソでもいい女の平和を肯定することにしかならない。「記憶にございません」、「ウソだろ」、と女を問い詰めてはいけないのか?(もちろん正解は、真実(有)を抱え込んだウソ(無)という在り方にこそあるので、そう女を問い詰めることこそが真実から遠ざかる、野暮になる。) 女として相手にされなかったから、きちんと戦争に参加できなかったから、ないことにする……黙って揶揄することが、有効な言説になる、とでもいうのか? 嫌みという、女の非論理な論理をとおしていればいい、ということになるのか?

<世間というか、その汚れと無縁に生きることが可能であったエリート作家の悲劇ともいえる。建前と本音を、器用に使いわける、現代の日本人を、あまりにも知らなすぎた。
 いや、知らなかったわけではない。見聞きする処世術の巧みさに苛立っていたことだろう。だが、それすら肌にしみこませたものではなく、あくまで思考するなかでのことだったのだ。>(小室直樹著『三島由紀夫が復活する』 毎日ワンズ)

エリート三島の愚行とされるものは、公爵ムイシュキンが『白痴』と呼ばれるものと形式的には同等だ。この人のなかに、あの人を追い求めていったのだから。違うのは、三島が面食い、あくまできれいな表象を通すのに、ドストエフスキーは、むしろ不幸せな表象を通すことだろう。だから三島は卑しき天皇、人間宣言を認めず、ドストエフスキーやキルケゴールは、むしろ卑しき人間が神であったことに、恐れおののくのである。(村上春樹氏には、卑しき姿から超越的なものをみようとする感覚こそがないだろう。)その人間関係(経験)からあの表象(イデア)を見ようとする志向=思考は、エリートや、男たちの論理として片づけていいものなのだろうか? 鹿島田氏の作品は、男の論理を身につけた女の産物だとすませられるのだろうか?
もともと、私がこうした論考を、今年の問題意識の延長でつづるようになった最初には、東京の植木職人の朴石による庭の考察から、富士講という江戸時代一番栄えた庶民信仰のことに思いが及び始めたからである。

<入定という言葉は知っていたが、現実にそれにあうのは初めての人が多かった。案山禅師のように入定と云っても、実は凍死に近い死に方であったならば、そこに当然の批判が出る。入定とは断食による宗教的自殺行為である。食を断ち水だけで何日間持つか、又、その苦痛に本人がどれだけ耐えられるかは興味深い問題であった。
 身禄が入定を予告し、七合五勺の岩小屋に籠った瞬間、多くの人の眼は七合五勺の岩小屋に向けられた。>(新田次郎著『富士に死す』 文藝春秋)

小室氏によれば、富士山には、死の世界に旅立った三島を受け止めている不二山人が住んでいるという。江戸時代、その富士山で入定した食行身禄は、エリートではない。その自決を、江戸庶民は愚行や白痴とはみなかった。それは、時代遅れではなかったからで、三島のそれは、そうだったからか?
私には、人は、橋本氏やトッドのように歴史、時間的な存在としてだけではなく、やはり、大澤氏がみるような、空間的、論理形式的にも生存しているようにみえる。帝国の逆襲の向こう側に、時代に流されるだけではなく、違った世界を見てしまうのは、インテリ男特有の、夢想原理なのだろうか?

2019年8月11日日曜日

鹿島田真希著『ゼロの王国』から(2)

ドストエフスキーは、なぜ『白痴』という作品において、日本人の「切腹」という文化に言及したのだろうか? つまりは、現代のイエスとして造形されたムイシュキンという主人公と「切腹」とが、どんな関連にあるというのだろうか?

その中心的主題ともいうべき点を熟考するに、私は、日本の文化を解析してみせた、ルイス・ヴェネディクトの『菊と刀』における、日本人の「恩」と「恥」という表裏一体となった感覚についての記述が、有効ではないかと指摘する。その箇所は、鹿島田氏の『ゼロの王国』を論じた前回ブログ冒頭で引用した部分である。とくには、「並々ならぬ恩恵をほどこされて恥辱を感じる、なぜなら自分はそのようなことをしてもらうに値しないから。」――このように人間関係を要約する記述は、鹿島田氏が「白痴」から抽出してきた純粋な人間関係の原理性と重なる。ムイシュキン(吉田青年)と対面しだす者たちはみな、彼と対等に関係するには値しないと感じてしまう。とくに女性は、自分は彼にはふさわしくない、と思い詰めるようになる。恋人という特定の関係の枠でお互いがフェアであろうとするには、彼との関係で自分の不甲斐なさ、不完全性さが露呈してくるようになるからである。同性愛志向をもつでもない男同士でなら、そこまで思いつめるところまではいかない。それどころか、彼は、女をめぐる闘争から、自ら降りてしまう男であるので、競争相手にならない。ムイシュキンも吉田青年も、一度は女を他の男から奪うということになりながら、可笑しな関係に逆戻りする。彼とは対等になれない女の方は、私と同じように怒ってくれ、ののしるようになってくれ、そうすればお互いが不完全な存在同士としてフェアになれるのに、両青年は天然的にそうできないのだ。鹿島田氏は、その天然を、「自尊心から無縁な人物」「喜んで相手の奴隷となる人物」と言語化する。いいかえればそれは、奴隷となっても「恥」を感じないということ、自己愛的な自分がいない、ということだ。しかしそれは、彼らが逆に他人をして「恩」を与えつづける人物であり、「恥」をかかせつづける人物だということになる。奴隷のように自らを差し出して生きる人物。

しかし、彼らをめぐる関係がこじれてくるのは、そこからなのだ。なぜなら彼らは、この目前の女や男に卑屈になり、謙遜しているわけではないからである。ムイシュキンは、うらぶれたナスターシャは本当はこんな人ではないと、むしろ「あの」人を追い求めていく。彼女は一瞬その洞察にたじろぎ理解者を得たと恋するようになるが、そのことに耐えられなくなる。自分は彼が見てくれているあの自分に成れることはもうない、反復は不可能なのだと思い知らされて。吉田青年のエリやユキを見る見方にも、この人を超えたあの人があり、彼女たちは理解と拒絶という二律背反に葛藤することになる。「あの」とは完全性であり理想像であるが、それは仮説的・演繹的・理念的に前提としてあるとされているのではない。それならば、人間はそうあるべきだ、というイデオロギーと同様なものになるだろう。そうではなく、彼らは、まさにこの経験の表象から、とくには不幸な姿から、むしろ帰納的に「あの」存在性を洞察してくるのである。ニーチェは、イエスのことを、「洞察力をもった白痴」と呼んだ。彼らの無垢も、知性の産物なのだ。この不純さの中に、あの純粋な原石が宿っていると見抜くことが生きることなのである。

ということは、彼らにあっては、経験が時間的に経験化、蓄積されていなかない、ということだ。洞察といっても、それは不純物の継起、歴史的な考察によっているというよりは、一瞬芸的に見抜く力なのである。この力の前では、過去は堆積されていくのではなく、更新されてしまう。つまりは、彼らはキルケゴール的な意味での反復を生きてしまう者なのである。いつも新しく、だから、白痴なのだ。『ゼロの王国』が、ユキと別れた吉田青年の、次なる恋愛関係の更新へといきそうな暗示で結末されていくのは、それゆえだ。が、ドストエフスキーによれば、そう更新できるのも、27歳ぐらいまで、ということになる。吉田青年は、その歳になるまでには、まだ数年ある。私は、この27歳という循環(経験知)を、カントの啓蒙思想から読んだ。自然(生理)の成長とはズレのある人間には、もう一循環の人為的な経験、職人が技術を習得するには10年かかると言われるように、文化的な社会人となるためには、もうひとサイクルな一節が必要になるのだと。この一節とは、三島由紀夫が『午後の曳航』で問題化したように、13年である。自然的には、そこで成人となり、儀礼がある。近代法でも、その自然性が反映されている。しかし形式的に大人社会に参加しえたとしても、市民として一人前になるには、もう一節が人間には必要なのだ。幼児のように記憶が更新されてしまう吉田青年が世間に適応できる限度は、精神病院に戻っていったムイシュキンが下地であるなら、それゆえ27歳になるだろう、ということだ。

そうした彼ら――イエス、ムイシュキン、吉田青年――が、「切腹」に関わるとしたら、どこにおいてであろうか? むろん、「恥(恩)」を与える、という関係においてだ。より一般的にいえば、「贈与」ということになろう。マルセル・モースは、この関係に在るものを、他の部族社会の事例からとって「マナ」や「ハウ」と呼んだわけだ。わけはよくわからないが、負い目(恩義)を発生させてしまうので、そのモノを、霊的な力、とみたわけだ。そしてもともと、切腹は、この目に見えぬ霊的な力を、真実を白日の下にさらす、さらしたい、という狩猟民的な衝動からきている、と考察されている(千葉徳爾の民俗学など)。ヴェネディクトの指摘にあるように、「恥は身を切られるような感覚をともなう」「日本」がいまだ原始的であるといえるとしても、その原始性を人類は抱え込んでいるのだ。アウシュビッツや自然災害で生き延びた者が感じてしまう「恥辱」(レヴィナスやレベッカ・ソルニット)というのも指摘・考察されている。ドストエフスキーが、恥辱を与えた者の前で腹を切って見せるという日本人の仕草を引き出したのは、実はそれが特異ではなく、普遍的であると洞察したからである。極論的にいってみれば、生きることは、他人の間にあることであり、それだけで恥ずかしいことなのであり、死にたくもなることなのだ。この根源的な困難に、私たちは、どう立ち向かおうというのか?

しかしもちろん、神は切腹しない。ムイシュキンや吉田青年が切腹から遠い、恥を感じない人物として造形されているのは、逆に人間がどういう原理的な関係性に在るかをより明快にするためである。歴史を忘れ、大国(アメリカ)に隷属しても恥を感じていない(ふりをしている、ということにしかならない)民衆の政治性をあからさまにするためではない。いや、ドストエフスキーには、ロシアの政治性を分析しようとているコードは、作品に挿入されているかもしれない。私はそれを読めていないが、ポリフォニーという世俗的な形式性が、そう推論させるだろう。逆に、鹿島田氏の語り形式は、より端的に、以上の問題を焦点的に考察するに有効となっているだろう。

2019年7月21日日曜日

『ゼロの王国』(鹿島田真希著)から

「日常的な感謝の言い回しで、「気の毒」と同じように心苦しさを示すものはほかにもある。たとえば、個人経営の店主の常套句、「すみません」。その意味はこうである。「あなたから恩を受けましたが、現代の経済の仕組みの中では、恩返しをすることができません。このような立場にいることを心苦しく思います」。「すみません」は通常、「ありがとう」「感謝しています」、または「申し訳ありません」「お詫びします」などの意味で用いられる。…(略)…日本人の受け止め方によれば、「すみません」と同様の態度をもっと強く示している言葉としては、「かたじけない」がある。この言葉も、感謝の念を表しており、漢字では「辱」や「忝」を使って表す。いずれの漢字にも、「侮辱された」と「感謝している」の両方の意味がある。日本の国語辞典によれば、「かたじけない」という言葉は、次のように言っているのに等しいという。並々ならぬ恩恵をほどこされて恥辱を感じる、なぜなら自分はそのようなことをしてもらうに値しないから。このフレーズを使うと、恩を受ける際に感じた恥を率直に認めたことになる。ちなみに、後述するように日本では、恥は身を切られるような感覚をともなう」(『菊と刀』ルース・ベネディクト著/角田安正訳 光文社古典訳文庫)

鹿島田真希氏の『ゼロの王国』(講談社)は、ドストエフスキーの『白痴』を下敷きにしている。
もう文学作品をめったに読むことのなくなってしまっている私は、この作者のことも作品のことも知らなかったが、三島賞候補作にあがった倉数氏の『名もなき王国』についての私の感想を読んだ友人が、三島賞をとった作家に似たようなタイトルの作品があると教えてくれたのだった。私が倉数氏の作品を受けて読み始めていたのは、三島賞を受賞した東浩紀氏の『クォンタム・ファミリー』(河出文庫)であった。家族をめぐる考察について、確認してみようという気が起きたからである。そして男の著者二人は家庭をめぐって書き、女の作者は、家庭成立以前の、男女関係をめぐって書いた。この違いは、作品の形式性を露呈してくるので決定的だが、私の評価は、文学にはない。

『名もなき王国』のタイトルの由来は、作者の意図するところとしては、おそらく、作家の想像力、虚構の世界、つまりは小説だ、ということであろう。作品に即して言えば、無名作家の伯母(女性)の世界、ということだ。では、『ゼロの王国』とは何か? 一度読んだかぎりでは、それを示唆するような用語はこの作中には、私はみだせなかった。しかし、発表年代も近い鹿島田氏の作品に、『来たれ、野球部』(講談社)というのがある。そこから判断すると、この「ゼロの王国」というのも、非現実の世界、文学少女(少年)の想像力(妄想)でできあがった観念王国、ということらしい。そしてその王国の支配者(女子高生)は、飛び降り自殺することになり、その彼女を模倣する野球部のエース(少年)は、現実的な生きる力をもった幼馴染の同級生(少女)に救われる、目覚めさせられる、というのがその作品の趣旨であった。そして、この幼馴染同士の男女関係は、『ゼロの王国』の男女関係、いわば、ドストエフスキー『白痴』の、ムシシュキン公爵と彼をめぐる女性との関係をなぞっている。『ゼロの王国』では、ムイシュキン役は、宛名書きのバイトをこなす青年なのが、『来たれ、野球部』では、少女になっているわけだ。つまり、この男女交換可能性は、作者の追求が、より抽出度の高い人間関係の原点にある、ということを示唆しているだろう。私はこの抽象関係を、「ゼロ(原点)」と読んだのだった。いいかえれば、世俗的というよりは、純粋な人間関係とは何か、それが現実成立可能なのか、それで王国(世界)を作れるのか、という探究である。

しかし、この抽象度の高い純粋性ゆえに、小説としては、つまり文学評価としては、私は物足りなく感じたのだった。いわば、「雑」がない(絓秀実著『小説的強度』福武書店)。そういう意味で、家族を扱った倉数氏や東氏の方が、雑居的になって、小説としては面白いな、とブログでも示したように、文学的に評価したのだった(その男二者の差異と評価は置いておく)。鹿島田氏の作品の多くは、女性の「愚痴」と形容されもする語りが多いようだが、それはノイズというよりは、形式的な純粋性に落ちついているように私には感じられる。文学に引きこもる主人公を作中で自殺させたとしても、文学少女の作品だなあ、と思ってしまうのだ。が、私の評価は、文学にはない。私には、鹿島田氏の追求の方が、東氏のSF的な実験とされるものよりも、思考に刺激的なのだ。

ドストエフスキーの『白痴』を、『ゼロの王国』テーマと同様なものとして、全体(類)を愛する者が一人の人間(女性)を愛することができるのか、と集約してみることはできるだろう。しかし、その作品は、雑の一種たるポリフォニーと把握される。主人公が多様な価値をもってせめぎあっている、ということだけではない。それならば、『ゼロの王国』でも、まさに『白痴』のキャラクターをなぞるような配役がなされている。しかし『ゼロの王国』には、雑居感がない。類と個の愛の葛藤テーマを哲学的にしぼって、婚約者と結婚すべきかどうかを描写したキルケゴールの『あれか、これか』でも、雑居感は伴う。『ゼロの王国』の主人公たちは、肉のない書き割りのようだ。しかしこれは、小説的な技法が未熟だから、ということだろうか? 鹿島田氏の純粋な小説の語りの技法を、阿部和重氏は評価している。いくつも賞をとっているのだから、技量はあるに決まっているのだ。では、何がないのか? 文字通り、人格だ、と私は言おう。主人公の強度(血肉)は、そのキャラを、作者が本当に持ちえているのか、ということで決まる、というのは、論理的には前提として想定されもすることだろう。が、当然な前提にはなりえない。東氏の『クァンタム・ファミリー』でならば、「同一性検索障害」とでも形容される病気になるかもしれない。しかし東氏のこの作品自体は、一つの、いわば文学外的な専門知識を持ったものの、その専門的言語ゲームによる言葉遊び、コピーライターのような用語で構成が成立していっているようにみえる。つまり読書全体として感じられるのは、血肉あるキャラの多様性というよりは、一つの言語ゲームに習熟した一人格である。作品の辻褄があって構成が完結的になればなるほど、その感が強くなる。比べて、倉数氏の作品は、辻褄が完全にあってないぶん、全体の綻びから、むしろ文学としての雑さが「少しだけ」感触されてくるのだ。

なぜ、こういう事態になってくるのか?
私はこれを、鹿島田氏は女だから、と言おう。「全体」とが、男社会にあっての男の論理なのだから、女が全体(国家、家族、等類的概念)を想定しづらいのは論理的当然である。もちろん、男女を超えて人間自体が考える言葉をもつ生物なのだから、女性にあっても、一生懸命勉強すれば、その全体への論理を身につけることはできるだろう(男は一生懸命じゃなくても当然としてついてくる)。が、あらゆる領域・位相で、苦手なことを維持・保持するのは困難である。しかも、それ(全体)がいかがわしいのではないか、という疑いに目覚めた近代以降においてはなおさら。橋本治氏は、この「苦手(差別)」を、父権性とかと「社会(歴史)」に求めているが(『父権性の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』朝日新書)、私はこのブログでも幾度か指摘してきたように、生理(子を産む)ある身体のためだと認識している。鹿島田氏が、語りの文学技法に形式純粋しやすいのは、おそらく、子供という自分の分身であると同時に他者でもある、異物との雑居がないからだろう、とおもう。だから、公園に集う主婦の談義から、散文的な認識記述・描写の方に進むのではなく、わが身に引き戻された愚痴語りを方法化していくようになりやすいのだ。私にはその徹底の衝動が、面白い。アニメ『進撃の巨人』の第四期の予告編では、主人公ミカサの幼馴染を呼ぶ声が木魂する。その声は、もはや幼馴染の少年を呼ぶ少女のものではなく、また世界(全体)と戦う同士としてのものでもなく、ひとりの女であることの自覚の声であろう。おそらく、世界(全体)へという男性の観念性(の発揮たる戦争)を拒絶していく平和への追求には、全体に回収されきらない個別な関係が要請されてくるのは、論理的な必然だろう。しかし戦略が、困難な手続き、微妙さの持続、になるのは、小説を書くという現場においても大変だということは、絓秀実氏が『小説的強度』で考証してみせたとおりであろう。

が、私は文学の評価がしたいのではない。身体的に違う男女の関係(差異)を論理的な要請として、平和という帰結のために根拠づけ、その前提を円満的に維持していくのが、さらに困難な現実であるのは、どこの夫婦、男女関係でもみられることである。いや、男女という二項だけでなく、性はもっと多様でそれも遺伝子的に決定づけられている、という最近の意見もあるだろう。が私にはなお、そうした意見こそが、全体という男性論理の観念性に依拠しているもので、ありふれた決定的な差異を捨象していくもののように考えている。同様な権利を要求しているのだから。だから、それはいい。しかし、考えるべきことは、そこにあるのか? 次回はおそらく、三島賞をめぐる作品からではなく、その三島由紀夫を論じた橋本治氏の論考を軸に、書き留めておくだろう。

2019年7月14日日曜日

父をめぐって(2)

「ドイツ国防軍の将兵は、イギリス、フランス、アメリカと戦い、ソ連とも戦って、敗れた。国防軍の将兵は義務を果たしたのであって、罪はなく、恥じることもない。すべての罪は、ナチスとその党員、親衛隊が行なったことであり、戦争陰謀もユダヤ人の虐殺も、彼らの責任である。こういうふうになっている。だから国防軍は無実(ピュア)なんです。今でも軍があるけれど、軍はピュアである。いくつか信じられていることがある。優勢なソ連軍を前に、国防軍が絶望的な状況で、勇敢に戦った。なぜか。背後に市民がいて、彼らが安全な場所に逃れるために戦ったのだと。だから、正しい戦いであると。これに類する話は日本に少なくて、たとえば満州でソ連が攻めてきたときに、真っ先に逃げたのは軍人で、取り残された民間人はひどい目にあったとか、沖縄戦では、軍は民間人を守るどころか、かえって民間人をひどい目に遭わせたとか、言われている。
 日本で、戦争を企んだり悪事を働いたりしたのは軍であって、軍部に罪がある。そういう戦争の決着をしています。ドイツと違うのです。
 じゃあ、徴兵されて軍人として戦争に従事し、戦場に行った祖父や父親、すべての人びとのことを、どう考えたらいいのか。」(『アメリカ』橋爪大三郎/大澤真幸著 河出新書)

なお生き認知症になっている父の遺書を改めて吟味してみると、無神論になっていることが注目される。「なっている」というのは、父の祖父(私のひい爺さん)の遺訓では、神仏を敬え、とあるからだ。それに比べると、変化がある、ということだ。その遺書が出てきたのが両親の寝室にある神棚の中であり、父が、お盆には必ず実家へ帰り、墓参りをしていたとしても、自分自身が死にのぞみ、坊さんを呼びその仏式での葬式を拒否していこうとしていることに、決意が感じられるのだ。お悔みの金も拒否し、身内での会では「未完成」を流してほしい、と。「未完成」とは、自身がそうだということだろう。そう自覚することの大きな一つの理由が、息子たち(とくに兄と次男の私)を、脱落させてしまった、ということであったろう。そんな息子たちに、母を守れ、というのが、父が一番伝えたかったことで、祖父の遺訓よりも、具体性に富んでいる。なぜそうなるのか?

庭手入れに入っているお寺の本殿に、日々の仕事前、仕事終わりに、団塊世代の職人さんが、そして最近ではもう少し年の若い親方が、頭を下げるようになった。本殿が新しく改築されたのは、もう20年以上まえで、その間、そんな習慣はなかった。石屋さんがそうしているのには数年前に気づいたが、当初からではなかったろう。むしろ当初、と言えるのは、改築の建設を元請けしたゼネコンの現場監督や営業担当みたいなのが、商売上、そうしている、という感じだったはずだ。別に強制されているわけではないので、私は今もって頭をさげず、怪訝に思ってみているだけだが、居心地がわるくなる。神社の手入れにも入っているのだから、そこでもするようになったのか、というと、そんなことはない。団塊世代の職人さんは、もともとそうしたメンタリティー、腰が低いがゆえの尊大さ、夜郎自大な映画での高倉健、黙っていればいい気になりやがっててめえら人間じゃあねえたたき切ったる、という感じなのでそうなってくるのはわかりやすい。が、合理精神(金勘定)で動かざるを得ない唯物的な親方までがそうなったというのは、私には驚きだった。精神的な構造は、どちらもおなじであろう。別に、敬虔な心持になったわけではない。職人さんは、偉そうにみえる礼儀正しさに従ったほうがいいという動機、親方は、仕事も減りもうそこが生活のための金づるになった、という観念から、状況に屈服したのだとおもう。神社に頭をさげないのは、そこが年に数回ほどの手入れのままで生活には支障がないからだ。しかし、なお手入れ仕事を与えてくれているお客様は神様になったのであり、その代表象徴として、お寺の本殿が位置づけられている、ということだ。唯物的には、住職に挨拶していればことたれり、おそらく住職自身が、植木屋の心変わりを奇妙におもっているようにみえる。が、このままそんな空気が強くなると、私は不敬事件を起こした内村鑑三みたくなるのでは、と不安である。

つまり、精神構造の神の位置には、他のものでも代入可能が容易で(信仰ではないので)、それはマッカーサーになったり、アメリカになったり、トランプにもなりうるわけで、それを文学・日本思想史上では、代々日本史では、天皇が持ってこられることが多かったので、天皇制(的メンタリティー)と呼んできたわけだ。私が危惧するのは、もしかして、私の職人現場に出現してきたことが、今の弱体化した日本の態度としても、大勢的なものになっていくのではないか、ということだ。弱気になった心が、自分を庇護してくれる具体的な神(客)にひれ伏してゆく。これはどこか、団塊世代より一回り以上年上な、大江健三郎世代にあたる、父の遺書にも似ている。母(庇護者)を守れ、と自殺を思いながら息子たちに遺言した父に。

この父の病に似た屈折を、村上春樹氏は気づいていたろう。『納屋を焼く』企業家の衝動は、そうした戦後の父たちの感触だろう。そして中国で戦線に参加した実際の村上氏の父は寡黙だった。この父たちを、その屈折を、どう救ったらいいのか、という問いが、冒頭引用の『アメリカ』というタイトルの橋爪/大澤対談のテーマのひとつである。その引用後、橋爪氏は、「二階建て」理論でその父たちの屈折を免罪しようと理屈づけている。要は、一般的な秩序維持のための現実要請を命題としての、軍と徴兵された市民との区別である。が、それが国際的な道徳や論理で正当的であっても、当時、日本の市民が、そう自身を納得させて戦争に参加していたわけではない。ならば、そんな一般的理屈を国際社会に押し出して自身を正当化しようとしても、動機として、持続しない、言えば言うほど空々しくなるだろう。私は、この件では、「日本の場合、全部いいか全部悪いかみたいな構造になってしまったのが苦しいところ」という大澤氏の認識に賛同する。軍と市民の区別は、日本人の心情にそぐわない。しかし、その大澤氏が、広島の原爆記念碑に刻銘された「過ちは繰返しませぬから」という日本語を、読み間違えている。大澤氏は、この主語は原爆を落としたアメリカであって、それを言えなかった日本の弱さを問題とするのだ。が、日本人なら、この主語のない、普通の日本語の主語が、「私たち」であるのは、自明ではないか。日本語としても、もしそれが三人称的な相手だったら、主語ははぶきにくい。私の場合だからこそ省くのが、慣用であり、われわれの曖昧な、優柔不断なメンタリティーである。そこが問われて、なおさらしどろもどろになって、「人類的な観点」でそうした、そうなったという理屈をだすことに追い込められた、ということだろう。が、この主語(主体)がないことを追い詰められてひねり出した論理過程は、実は、ドストエフスキー的に普遍的である。

「私たちは過ちは繰返しませぬから」――道徳常識で考えれば、原爆落とされて、いわばぶん殴られた方が謝っているわけだから、変な話になる、だから、主語は「アメリカ」だと、世界文法的な論理で辻褄をあわせようとする。しかし、右の頬をひっぱたかれたら、左のほっぺをだすのじゃなかったのか……となれば、どうなるのだ? 「過ち」とは何か? 相手から、ビンタ(原爆)を引き出してしまった自分の行いである。それがどんな行いであろうと、とにかく相手が悪いことをした(し返した)のならば、自分が因果的に、悪いことをしていた、と認めるのが、私たちの、子供の頃からの習性になっていたものではないだろうか? 私は、この広島の記念碑の言葉からすぐに思い出すのは、小学生時の学級会での模様だ。委員長だった私が議長で、その週の反省会か何かやっている、とにかく時間をつぶさないといけないので、みなが誰かから何か悪さをされたと訴える、で、「もうしません」と答える。主語はない。みなが、申し合わせたようにそう言って、学級会は終わる。つまり、私が暗黙な主語でも、みなが、悪いのだ。その悪さがもう起こらないように、どうしたらいいか、ということも時折議論がすすむが、悪は、人為的というより、自然的な発生という感じで、深刻さはない。そこにあるのは、みなで、悪を「召還」してしまった、という確認であって、学級会とは、悪魔祓い、日本的に言えば、厄除けのお祓いの儀式である。だからそれは反復可能な構造が想定されているので、「繰り返さない」、「もう」という言葉が付け加わるのだ。――「私たちは、悪を召還させることはもうしません」ということは、欠けているのは、主語ではなく、目的語だ。「私たちは、過ちを、繰り返しません」と言っているのではなく、「過ちをしてしまう私たちは、もう誰々さんに、過ちを繰り返させませんから」、と実際には言っている、言いたいのである。私たちの、循環構造(因果)のなかで。そしてこの「誰々」とは、アメリカ、ということではない。アメリカも含めた「みな」、つまり、「人類」であって、人間とはそういうものだ、という世界観(達観・諦観)なのである。そう観念しているのである。私たちは、過ちのあとで相手に、「すまない」と謝る。やってしまった終わったあとなのに、「すんでない」と言う。考えるとわけがわからず、なら本気で反省しているのか、と怒鳴りたくなるが、このわけがわからないことを考えもせずにやってしまっているのが、私たちなのだ。お客様は神様ですと、宗教的な真剣さはなく、本殿に頭をさげはじめた職人たちのように。おそらく、「すまない」、と祈っているのだ。それは、切腹の心情に類似している。恥を忍んで、神(母)を拝みたおしているのだ。私は、柄谷行人の9条理論を、その切腹の形式論理として理解しているが、心情的には了解できても、今の日本に、それ(切腹=9条実践)ができる実質があるのか疑問である、というスタンスであることは、このブログでも述べてきた。

私はこの形態、父たちの態度・態勢、切腹の形が、特殊的なことではないのはわかっている。それをこれまでの文脈上では、トッドの家族人類学などを使って考証しようとしてきたわけだが、そんな大枠ではなく、もう少し身近な、狭い具体例で突き詰めておきたい。次回はおそらく、三島賞を逃した倉数氏の『名もなき王国』と、三島賞をとった鹿島田真希氏の『ゼロの王国』を比較検討することからはじめるだろう。

2019年7月4日木曜日

『進撃の巨人』をめぐる、父と子の対話

「トンビが飛んでるね。」草原を疾走する調査兵団の騎馬隊の頭上、空を裂く鳴き声とともに、羽を広げた鳥が舞っている。「ということは?」私が付け足すと、「海が近い。」と高1の息子が即答する。「いい反応だね。」
 騎馬隊は、そして初めて海に触れた。いつもと違う、エンディングの音楽とシーンが流れた。
「この終わり方はいいと思うな。」父はつづけた。その間、食卓に座った息子は、スマホをいじりはじめて下を見ている。「エヴァンゲリオンの作者はシン・ゴジラで、日本は世界とこう向き合った方がいいと一つの態度を示したけど、これは、みんなと一緒に考えてみよう、みなさんも考えてください、という提示の仕方だね。パパも、それがいいとおもうよ」おそらく、息子はまた父親の小難しい講釈がはじまるのだろうと、体を一瞬こわばらせるのがわかる。が、いまはそんな父の講釈に食ってかかる進撃の女房はいない。私と息子は、家に二人きりで、食卓をはさんで座っている。息子の萎縮は、幼い頃からの、夫婦喧嘩によるトラウマ的な防衛なのだ。しかし今は、その防衛反応をする必要はない、という状況を息子は一瞬で確認し、父の話をうざったく思いながらも、実は耳を傾けはじめていることを、父の私は感じ取っている。私は息子の無意識に向けて、つまりは、今ではなく将来へ向けてのおもいで、言葉を打ち込んでゆく。
「おまえがいう原爆のイメージがでてきてから、このアニメは日本と世界のことを喚起しようとしているね。壁の中の民とは、島国の日本ということでもあるだろう。そして日本は、かつて島の向こうの大陸と、世界と戦争した。たしかに新しく成りあがってきた日本を、世界はいじめるようなこともした。その世界にこの野郎と思うのは、当然だろう、それはいい、しかしその挑発にのって、世界を敵にまわして戦争することは、いいことだろうか? 原爆を落とされ、東京も焼け野原にされてしまった。海に囲われた日本は、そもそも世界を知っているのだろうか? サッカーでも、日本代表はまだ世界を知らないとか、いうだろう? 日本では、わからないんだよ。フィリピンとか、貧しい国の子供とか、戦争にあっている子供たちは、自分が見て、経験して勉強できる。しかし平和になっている日本では、そのままでは、勉強できないんだよ。壁の中の人類がその王の不戦の誓いによって島に閉じこもったように、武力放棄の憲法によって世界の紛争を他人事のようの過ごすことがパパたちはできたんだから。だから、経験できないことを、学校で、しっかり勉強する必要がある、ということだ。エレンたちが、父の残した三冊の本から勉強したようにね。エレンは最後、海の向こうの大陸の人たちは「敵」だといった。ということは、また戦争するということかい? それじゃあ、解決にならない、ということだろう。この間も、北朝鮮のジョンウンとトランプがあったよね。日本も、これから壁の向こうに出て、大陸とやりあわなくてはならないんだよ。どうしたらいいんだ? まだ人類は、その答えをもっていない。『進撃の巨人』の終わり方は、いいな。」

     *****     *****     *****

今日の仕事が雨休みなので、セリフ確認のために録画をみていた。NHKでは、第四期が来年秋に放映準備、だそうだ。途中、家事をやめて進撃の女房が、食卓の向こうに座ってきて、一緒に見ることになる。昨日からほぼ確実な雨予報だったため、女房は朝寝坊、子供もつられて起きてこず、朝飯は用意できず、何も食わずに学校へ忙しく出ていった。私だけがいつもの二度寝もせず、さっそうと起きてトーストを食べ、このブログの準備をはじめたのだった。戸を開けての息子との視聴時は、外の騒音でよく聞こえなかったが、エレンの、海の向こうをみつめてのセリフは卓一だった。「海の向こうには、敵がいる。父の記憶で見たのとまったく同じだ。敵を全部殺せば、自由になれるのか?」…というような。それと、再生そのままでは読みとれなかった解説文を、一時停止させて読んでみた。これもすごい。私の読解は、見当はずれなひとりよがりなものではないことが確認できて、ほっとした。しかしこの若い作者は、本当に、その後に想像力をのばしてみるのか? ファンタジーに終わることなく、リアルさを保持したままやるのは大変だとおもう。その挑戦がえらい!――

<現在公開可能な情報
我々は世界全体が憎む「悪魔の民族」であるとわかった。彼ら、世界の人々は我々「ユミルの民」の根絶を願っている。だが、ただ座してそれを待つ理由などない。生ある限り、私たちは生き続ける義務がある。抵抗する努力をやめてはならない。しかし。しかしだ。果たしてその手段とは、世界に対し力を示し、恐怖を与えることだけなのだろうか?巨人の力、彼らのいう悪魔の力を振るう以外に、本当に別の道はないのだろうか?同じテーブルにつき、お互いの心を語り合う未来を考えることは夢想だろうか?世界中の人々がお互いを尊重し、話し合うことは本当にできないのだろうか?今、それが空虚な理想論に思えたとしても、私は考えたい。考えることから逃げたくない。それが私の負うべき、責務と信じるからだ。>

2019年6月24日月曜日

切腹といいね!

「ねえ、トーツキイさん、話によると、日本じゃ恥辱を受けた者が恥辱を与えた者のところへ行って『きさまはおれに恥をかかした、だからおれはきさまの眼の前で腹を切ってみせる』と言うそうじゃありませんか。そして、ほんとに相手の眼の前で自分の腹を切って、それで実際に仇討(あだう)ちができたような気分になって、すっかり満足するらしいですがね。世の中には奇妙な性質もあるもんですねえ、トーツキイさん!」(ドストエフスキー『白痴』)
「恥辱だけが生きのびるような気がした。」(カフカ『審判』)

夕飯どき、高1になった息子に、中学時代に同級生だった友人の家まで届け物をしてこいと女房が言う。届け物は、私が仕事中にとった梅の実らしい。初めてその要件を頼まれたわけではなく、息子はとにかく理屈を言って拒否していた。私には、その友達を含めたサッカー部活のお別れ会で、息子が拒否する理由は推察できていた。今はいかない、雨が降っている、検索すると1.8kmと遠い、とか物理的な理由を言う息子に対し、そうやってぐたぐたする、スマホばかりする、勉強もしない、と、とにかく自分の思う女づきあい(欲望)を貫徹しようと次から次へと関係ない理屈を並べてまくしたてる女房。「自分で行けばいいだろ」「場所知らないでしょ」「沼袋のライフの前のラーマン屋の三階だよ」「沼袋じゃなくて新井のライフでしょ。なら近いでしょ」「店の名前なんか知らないよ。沼袋駅の近くにあるんだよ」「新井でしょ。近くなんだから行きなさい!」「沼袋だよ!」とどうでもいいことにエキサイトしてくる。ちょうど兄との電話の最中だったのだが、うるさくて実家の話はよくきこえず、それを察した兄が電話を切り、食卓に座っていた私は固定電話の子機を持ったまま、息子に言う。「いっちゃん、ここは我慢してママの言うこときいてやったほうがいんじゃないの?」テレビの下に寝転がりスマホをいじっていた息子は、たちあがりざま、「じゃあいっしょに行くか」と女房へすごむ。「じゃあ行くよ」と女房。「もし沼袋だったらぶんなぐるからな!」と息子は食卓の椅子を女房の足元にたたき投げ、ドアを思いきりガシャンと閉めて外にでてゆく。ごそごそと用事をこなしてから女房はその後を追うが、1・2分の間合いのために、次にどんな展開がやってくるか、私には想像がついた。30分もたたないうちに息子がもどり、しばらくして女房がもどってくる。「なんであそこでもどるの! わからないでしょ!」「あとはまっすぐ行けばいいって言っただろ!」「届けに行きなさい!」「行きたくないんだよ!」「そんなの関係ない。行きなさい!」「なんで行くんだよ!」どうも梅の実の入った袋を壁にたたきつけたのか、ぐしゃっ、という音がする。「もうこんなの食えねえよ!」「持っていきなさい!」「なんでだよ? 俺は、あいつが嫌いなんだよ! いつもいじめみたいにしやがって。行きたくねんだよ! なんでそんなやつのところへ行かなくちゃいけねんだ!」そんな奴とは、二枚目な優等生だった。副キャプテンだ。お別れ会では、彼がキャプテンを支えたから、チームがなんとか分解されずにすんだ、というのが顧問の認識だった。私はほとんど全く部活の応援には行かなかったが、最後の紅白試合や納会を見れば、状況は一目瞭然だった。チームメイトに一番の影響力があるのは、息子だろう、がそれは、口先達者な調子者だからで、そこに、熱心な信者みたいな友達数人がついているが、少数派だ。実力もあり、真面目に取り組もうとするキャプテン以下の者たちに、後輩たちもついて、こちらが多数派だ。小学生でのクラブチームも一緒だったキャプテンは、息子には頭があがらず、うまくチームをまとめきれていないのを、成績も学年でトップに近い副キャプテンが、その軋轢を制するために、息子には「いじめ」ととれる正当な反論を展開していたのだろう。親馬鹿の女房には、息子は人気者なのでチームをまとめているとおもっている。が内面的な人間関係の構造はちがう。私にはそれが見えていたけれど、あくまで推察にしかなりえないことなので、口にはできなかった。言っても、事実として生起しているわけではないので、女房はとりあわず自分の思い込みに突き進むだけだ。が、いまはっきりと、息子は「あいつが嫌いだ」と言った。女房は、息子を「八方美人」だと形容していた。「相手も、イツキのことをうさんくさがってるんだから、なんでわざわざこんなことで来るの、にしかならないよ。」母親同士のことはわからない。たしか、彼は母子家庭だったかもしれない。ラーメン屋の三階に暮らしている、というのだから、そうだったかもしれない。子供の、いや男の自尊心を、女の欲望づきあいが、うまく補正できるのだろうか?

ただ私はうんざりしていた。ばかばかしい。女・子供の喧嘩の傍らで、自分が腹を切る空想をしていた。横に切り、縦に切り、内臓をこぼす……ばかばかしいとは、恥ずかしいということだ。言っても通じないばかばかしさとは、説得させることのできない自分の不甲斐なさを恥ずかしいとおもうことでもある。真実は、そんなところにねえよ、しかし、俺はそれを言い聞かせることができない、女房は、女連中は、薄々はそう感づいているが、それを見たくないから、子供や動物の動画を見ては可愛い、「いいね!」することで自分が善人である、悪いことから遠いところにいると自身を慰める、怖いものを、真実などみたくない、錯誤のまま自分が良きひとであることを確認・承認させておいてくれ……ハラワタを露わにした私は、ニタニタしている。女は、真理を欲していない、とニーチェは言った。おまえには、これでもわからないだろう。おまえらには、わからないだろう。恥ずかしい。私が恥ずかしい。そして私は、この恥が、日本の文化を超えて、人類的に根源的な欲望であると知っているけれど、それがゆえに正しい、気概で生きることが正しい方向へと私たちを導いてくれるのか、くれるものなのかは、知らない。そして、苦痛に笑う男たちをアホらしくみる女たちの欲望が、その関係が、真実から遠い生存の原理が、本当に良きものであること、私たちをより良く導いてくれるものだとは、疑わしい。

FaceBookが、暗号資産と呼称されたもの、ネット通貨を発行する計画だそうだ。不特定多数というよりは、特定的多数が市場とされるなかで、神の見えざる手は、働くだろうか?

2019年6月15日土曜日

NHKの受信料をめぐって




「嘉永四年七月には、大蜘蛛百鬼夜行絵の番付けである「化物評判記」が、神田鍛冶町二丁目の太田屋伝吉の板元で発売されたが、手入れ取り上げとなった。…(略)…この化物は以下のようなはんじ物であった。
「実と見へる虚の化物 忠と見せる不忠の化物 善と見へる悪の化もの 倹約と見へる驕奢の化物 金持ちと見へる乏人の化物 貧客と見せる金持ちの化物 利口と見せる馬鹿の化物 としまと見せる娘の化もの 新造と見せる年増の化物 医者と見へる坊主の化物 女房と見せる妾の化もの 革と見せる紙煙草入の化物、親父と見せる息子の化物、米と見せるさつま芋の化物、若く見せる親父の化もの おしゃうと見せる摺子木の化物 冬瓜と見せる白瓜の化物 鉄瓶と見せて土瓶の化物 取と見せて年玉の化物 山谷と見せる色男の化物 ふとんと見せるふんどしの化物 大蛇と見せる麦わらの化物 鴨と見せるあひるの化物 鮒と見せるこんぶ巻きの化物 鰻と見せるあなごの化物 武士と見せる神道者(の)化物 物識と見せる生聞の化物 銀と見へる鉛の化物 血汐と見せる赤綿の化物 佐兵衛と見せる猿の化物 お為ごかしに見せる蕨の化物 不思議に見せる道化の化もの」
 この化物の群れは、まさに実と虚とが不明確ないし逆転している幕末の世相をしめしたものであろう。封建社会の倫理・道徳などが音をたてて崩れおちていく状況を活写したものと言うことができる。(『江戸の情報屋 幕末庶民史の側面』吉原健一郎著 日本放送出版協会)

「原子爆弾のきのこ雲みたいだね。」と高1の息子が言い、「おっ、それいいね。」と私が反応すると、「どうせそれをイメージしているんでしょ。」と付け足してくる。ずいぶん覚めているんだなあ、と思ったが口にださず、私はNHKで深夜に放映されているアニメ『進撃の巨人』の録画を見続けながら、息子の指摘から考えた。あの超巨大巨人が爆風とともに出現するとき、前期の描写では、そんなイメージは引用されていなかったはずだ、このイメージには意図がないのか? それとも製作者側に変化があったのか? 後期続編が放映されはじめて、王国の偽物の王様だの真のお姫様だの、という話になってきて興ざめていたところに、原爆というリアルな表象が提示されてきたので、再び注目しはじめる感じになる。そして次回では、死を覚悟・前提した作戦で巨人の群れに騎馬隊が突撃していく。野球のピッチャー・モーションで岩を投げつけてその隊列を残滅させる獣の巨人は、「特攻か、あいかわらずそんな発想しているからおまえらダメなんだ!」と、とどめの一撃を投げつける。となれば、あきらかにこの構図は、アメリカ(原爆=巨人兵器)と「海」をあこがれる「壁」の中の人類の一部(島国日本)の日本現代史をなぞっている。「特攻に意味などない。しかし戦死者に意味をもたせるのは、今生きている俺たちの行動だ」と新米兵士たちを鼓舞する隊長は、しかし、特攻の裏で勝てる秘策を冷徹に敢行していたという現実政策があった、というところに、昭和史とこのアニメ場面での相違が新しさとしてある、提示されている、と言える。しかしならば、それは「エヴァンゲリオン」の作者が「シンゴジラ」で提示した方向性と類比的になる。ロボット系列から巨人生体操作という「エヴァンゲリオン」へのアニメ系譜と、オタク系の弱い意志の男の子と強気な女の子、という設定の踏襲(引用)だけでなく、オタクたちがリアル・ポリティクスな活躍をみせるというシンゴジラでの活劇的転換の思想性をも共有していることになる、これまでのところは。

ところで、そうやってNHKを見ている私たち一家は、受信料を払っていない。私が結婚する30歳半ばまでテレビをもっていなかった延長、ということもあるが、女房もNHK側が催促に来ても「帰ってください」の一点張りか居留守を使って拒否している。私も一度戸を開けて対応したが、その際は相手の話をきいてから、「考え中なんです」と返答したら、「ああそうですか、わかりました。」と引き下がっていった。

そのNHKの受信料支払い率が、今回統計の発表で、はじめて80%を超えたそうだ。NHK支払い率が一番高いのが秋田県の98%、一番低いのが沖縄県で、はじめて50%超えたところだそうだ。たしかに去年は、次から次へと委託された取り立て会社員がやってきたから、未払いで済ますのは容易ではなかったろう。そんな新聞記事とともに、県別の年収の統計結果の記事にもであった。年収の一番低いとされるのも秋田県で、一番の東京470万円に対し290万円くらいとなる。たしか、秋田県は、小・中高生の全国学力テストでは、ほぼ毎年1位クラスの成績結果だったはずだ。そして、自殺率が一番高いのも、秋田県だった。私は、そうした統計の符合をみて、不気味にならざるをえない。子供のころから一番勉強し、働いてNHK受信料を真面目に払い、それでも収入ひくく自殺していく人も多く出る……そうなさせている日本社会が、その方向性が、本当にいいのか? 「あなたどうおもいます?」と、こんど来たらNHKの委託社員に私は問うだろう。「たとえば、100%になったら、ほんとにそれって、みんなが同調するみたいなことが、いいことなんですか? 私には、不条理にみえますが。見ての通り(と、私の日に焼けた黒い顔と、玄関土間に脱ぎ捨ててある地下足袋を指さし)、私は日雇いですから、支払いにはシビアでなくてはなりません。無暗に稼いだお金をだすわけにはいかない。難しい問題です。考え中です。日本国憲法でも、個人の思想と信条の自由は保障されている、ということはそれらを獲得していくための過程としての考える自由が認められていることになるのだとおもいます。結論は出ていません。申し訳ありませんが、お仕事大変でしょうが、そういうわけで、今はお引き取りできないでしょうか?」と言って、私は玄関を閉めるだろう。

しかし、「進撃の巨人」の展開が気になる。

2019年6月10日月曜日

父をめぐって

「その「忘れる」という言葉には、どんな意味がこめられているのだろう。夫は妻の名前を忘れた。結婚記念日も、三人の娘をいっしょに育てたこともどうやら忘れた。二十数年前に二人が初めて買い、それ以来暮らし続けている家の住所も、それが自分の家であることも忘れた。妻、という言葉も、家族、という言葉も忘れてしまった。
 それでも夫は妻が近くにいないと不安そうに探す。不愉快なことがあれば、目で訴えてくる。何が変わってしまったというのだろう。言葉は失われた。記憶も。知性の大部分も。けれど、長い結婚生活の中で二人の間に常に、あるときは強く、あるときはさほど強くもなかったかもしれないけれども、たしかに存在した何かと同じものでもって、夫は妻とコミュニケーションを保っているのだ。」(『長いお別れ』中島京子著 文芸春秋)

山の方の施設から、家から近い老人ホームへと移ってきた父のところへ、さっそく母は歩いて行く。2kmもない距離だが、それでもリウマチか何かで足をひきずっている母には、30分ほどかかるという。梅雨入りした土砂降りの中を、午前中にでかけて、夕方に帰ってきて、そのまま寝込んでしまったと兄は言う。久しぶりに参加しようとした草野球をキャンセルして、私は車で行った。出迎えた母は、まあ元気そうだった。「帰ろうとすると、だめだ、とかみついてくるのよ。だけど夕ご飯の知らせに、一番で走っていって、今帰っても大丈夫ですよって施設の人に言われて、帰れたの。」その父は、前の施設でもそうなように、6畳よりは広い小綺麗な個室のベッドで寝転んでいた。「お父さん、来たよ、マサキ。マサキだよ、わかる?」父はきょとんとしている。前の施設とはちがって、部屋への扉の向こうが介護さんの居る広間へと開かれているわけではなく、どこか部屋に閉じ込められている間取りになり、トイレも各個室の中に設えられているので、父が用をたそうとしたときは、自分たちで始末しなくてはいけないような感じになる。母がズボンとオムツを下ろし、私が介助する。オシッコは、下の床へと落ちてゆく。座ってさせたほうが、と二回目は便座に座らせてみたが、立ち上がってから小便をし、下ろしたオムツの中へとやってしまう。お尻拭きで汚れた床をふきながら、これも一緒に水に流していいのだろうか、と考える。

村上春樹氏が「猫を棄てる」と題して、父について語っている(『文藝春秋』6月号)。父の期待に応えず、自分の趣味的なものへと没頭的に生きたことで「絶縁」に近くなったが、90歳を迎える父が亡くなる少し前、入院先で会話を交わし、「和解のようなことをおこなった」そうだ。私も父との、いや家との関係は、「二十年以上まったく顔を合せなかったし、よほどの用件がなければほとんど口もきかない、連絡もとらないという状態が続いた」ようなものだったろう。しかし、「和解」が必要なほど関係が「屈折」していたという意識がない。「結婚式をあげさせろ」と、おそらくは親戚関係の手前上父は、女房の両親の方へ迫ったそうだが、私自身にそんな気がないと知って、すぐに降りたようだ、という話からすると、父自身には「屈折」感があったのかもしれない。が次男坊の私に、その「屈折」を押し出すほどの主張を敢えてする感じには、なれなかったのかもしれない。が、そんなことどもを、まだ生きている父と、もはや話すことはできないのだ。今おもえば父は、私と一緒に酒を飲み交わしたかっただろう。アルコールには強くても好きでない私は、つれなかった、と、実家に息子を連れ帰っていたその時の私の稚拙な態度を、息子が高校生にまで大きくなって、はじめて気づくのだ。何をかはわからないのだが、父となった私に、酒でも飲みながら息子とつっこんだ話をしてみたい必要が感じられてきたのである。それは、家族の関係が、母によって先導されていくことへの修正と修復が洞察されてきていることからくるようだ。あるいは、違う時代を生きていることの齟齬を、父と息子との言葉によって明確化していきたいという欲望である。息子よ、おまえは何を考えている?

しかし少なくとも、私と父との間では、もはやそんな話は不可能なのだ。

そして、日本の文学・思想界にあっても、それは「不可能」な歴史として変遷されてきた、というのが教養だろう。江藤淳の「父の喪失」だったか崩壊だったか…。橋本治氏も、最後にはそんな弱くなっていく父という立場(関係)のことを言い残していったようだ。本当に、明治の父は強かった、というようなものだったのかは知らない。が、自ら戦場に行き敗戦を体験した村上氏の父が言葉少なく、まだ戦争の頃は子供時代で、むしろ戦後の高度成長を担っていった私の父親も、はっきりした主張は言えない寡黙さを抱えていることは、意識できた。おそらく、敗戦のトラウマなのだろうと私はおもう。負けた奴が、身につけている価値思想を、肉付けされている自己主張を、どうしてできるだろう? 東京で職人になって、戦争にいった父親世代の話を酒の席で聞かされた。中国人を何人殺した、とか、尻の穴に爆薬を詰めて爆発させたとか、すぐ自慢するのだと、戦後生まれの村上氏世代の職人は話す。「本当に悪い奴らなんだよ。日本人は、悪いんだよ。同級生でも、人を殺したくてうずうずしている奴が、自衛隊にはいっていくんだ。」話す内容がインテリ層と反対でどぎつくても、酒の席で、年下に密やかに話すことしかできないということは、沈黙に「屈折」しているということで、同じ態度を生きている。家では、たとえ若い頃はとくに暴力的であっても、女房(母親)には、頭があがらない。敗戦の「屈折」が、近代以前のより古層の地盤と癒着してしまったような感じなのだろう。そこではなおさら、問題の本質を明確化して把握することが困難になるだろう。村上氏は、自身の家関係を、「偶然」という思想性で抽象(普遍)化させているけれど、私にはその態度はジジェクのいう「早すぎる普遍化」であって、問題の回避にしかならない、と認識している。また、「偶然」ということに関しては、大澤真幸氏に、「必然」の感想があってはじめて「偶然」が存在するというような、鋭い洞察を形式化している論考があるし、山城むつみ氏の3.11からのドストエフスキー論(確率論批判)も、生きていく態度として強いとおもう。村上氏の認識は、私からすれば、子供の感想文の類いだ。

私は、父として、息子と、話すことができるだろうか?

*参照ブログ「中学生の自殺(3)――教育と育成

2019年5月6日月曜日

屑屋再考案3――トッド・ノート(7)

「魔女裁判は、したがって縦型の家族イメージと関連があるとともに、精神分析の古典的なアプローチが要求している父と息子との対立は二次的にしか浮かび上がってこないのである。母親と息子との関係の清算の問題が主要な対立としてあるのであり、それが悪魔のイデオロギーによって変容され、村のなかで選ばれた善良な老齢の女性に降りかかるのである。この母の象徴的殺害(しかし正真正銘の殺人を引き起こす)は、女性の権威が強いことによって、無意識な異議申し立てがなされる人類学的システムの特徴なのである。そこでは女性の地位が高いために、子供たちの躾と教育はきわめて徹底したかたちで行われるのである。ところで母の権力だけが子供たちの躾を深いところで保障することができるのである。そして権威を尊重する心理的なメカニズムの再生産を担っているのは父ではなく母なのである。」(『世界の多様性――家族構造と近代性』エマニュエル・トッド著・萩野文雄訳 藤原書店)

ゴールデンウィーク中の作業によって、ようやく穴掘り他の外構作業のだいたいが終わる(ツルハシとネコ車を導入して、ほぼ一日で荒堀終える)。物置の裏側をくり抜いて戸をつけ素通りできるようにする。とりあえずあとは、裏庭出入り口、門替わりの車止めやチェーン等の設置だけだ。コニファーの間にサツキを植え、東側の砕石の小山にはメッシュフェンスを信玄堤のように張り、ジャスミンを絡ませて土留め用に植える。西側の小山には、ツルニチニチソウを植えてみる。畑の中には、野菜ではなく果物ということで、母のリクエストのブルーベリーを植える(あと何本かを何にするか思案中)。サツキもブルーベリーも、酸性好みの植物だ。測定器で計ったら、PHは6だった。土壌は粘土質に砂交じりなようだが、なんだかよくわからない。黒色まじりの山砂のような黄緑色、といおうか。保湿はよさそう。かつてはここは利根川の支流の川底だ。1km先の土手が決壊でもすれば、こっちに流れてくるだろう。最近は大雨の異常気象があるから、少しは対処法をとりこんだが、このままではあまり役にたたないだろう。そんな作業をやっていると、母が、納戸になっている寝室は、西日が強くて雨戸を閉めきったままになっている。なんとかならないか、ともらしてくる。洞窟に隠れた天照大神を誘い出す古事記の神話が連想されてくる。女房は、「母親の尻にしかれる兄弟」と怨恨交じりに言って私を送り出したが(その拘りによって「母」という構造を反復しているのだが)、そんな私事の話じゃねえよ、と素人を正そうとしてもしょうがない。と、高1の息子のゴールデンウィーク中の宿題に、大澤真幸氏の『思考術』の読解が出されている。――<人間はなんでもかんでも考えなきゃいけないということはないけれども、考えることで何かを成し遂げようとした場合には、やはり十代ぐらいから少しずつ組み立てられていく、できればメリハリのきいた、一生考えなきゃいけないテーマがはっきりあるということが重要である。それがあると、それとの関係でいろんな問いが網に引っかかるように絡まって、出てくる。それに応じて、短期で処理したり年単位で処理したりという問題を設定し、それに答えるという作業を重ねていくと、結果的にライフワーク的な仕事のための道具がひとつひとつ整っていくことになる。>個別の事柄から普遍を、ここという特殊を出汁にして(大澤氏の言葉では「託して」)、一般というあちらのことを考える、という振り子訓練。息子はいまだ宿題をやっていないが。
で、私の「ライフワーク的な仕事」かもしれない実家の裏庭に「託して」、まだ読んでいなかった冒頭引用のトッドの著作から抜粋していく。

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「核家族はその二つの変種とともに、双系制システムに属しており、父系親族と母系親族に同等の価値を付与するものとなっている。女性も遺産の分割に関与する(外婚制共同体家族の場合は女性は一般的に相続からは除外される)。これは当然のことである。なぜなら核家族というのは、ひとりの男と女の単純な結びつきであり、その在り方によって一定の度合いの平等をもたらす自立的な対話のなかに位置づけられているからである。しかし逆説的なことに、対称性に関心を持たない絶対核家族の方が、「平等主義」家族よりも両性間の平等をより深く実践しているのである。兄弟間の対称性原理は、男性の連帯をア・プリオリに前提とするものなのだ。それがすべての社会で自然なものとなっている両性間の不平等をさらに強化するのである。」(同上)

「暴力性が少なく社会的な共同作業を優遇する絶対核家族は、文化的にもまた平等主義核家族より活性力がある。なぜならばこの家族構造では、実際上の女性の権威が認められているために、子供のきめ細かな躾やより速い教育的な進歩が可能となるからだ。この点では、母親の権力を認めている権威主義家族と対比することができる。
 しかし平等主義核家族と権威主義家族とに共通する構造的なひとつの特徴が、これらを他の構造から区別するものとなっている。女性の地位の曖昧性がそれである。
 権威主義家族は家系の男性継承を理想とするが、実際上は強い女性の権威を容認している。平等主義核家族は夫婦の連帯と両性の不平等とを同時に追求する。この二つのケースでは緊張が集中するところは同じではない。平等主義核家族の場合は男性とその妻との間に緊張が集中し、権威主義システムでは男性とその母親との間に凝縮する。
 核家族モデルは家族の縦の関係を弱めるものであるために、権威主義モデルや外婚制共同体モデルよりも不安を引き起こす要因は総体的に少ない。自殺率は常に低い水準にとどまっており、母親の権威が弱い平等主義核家族の場合は、自己破壊の頻度は最低の水準にある。夫婦の関係の曖昧さがこの人類学的類型に生み出す緊張は、縦型の家族システムから派生した図式のなかに閉じ込められている精神分析的図式には適合しにくいものである。」(同上)

「双系制で縦型、女性主義的で権威主義的なタイプ4は、もっとも強い母親の権威と対応している。女性の高い地位と強い親の権力が組み合わさったものである。その養育の力は最大である。このタイプは、例えば、ドイツ、スウェーデン、日本などの家族システムに対応している。」

「このシステムの起源はア・プリオリに特定できないとしても、権威主義家族構造の家系的理想と女性の高い地位との間には機能的な関係があることは認めざるを得ない。物質的あれ精神的であれ、資本をそっくりそのまま後の世代へと受け継がせていくことを何もまして優先させるこの家族システムは、男性継承者が不在のときにも、その存続の危険に対処できるものでなければならない。このように女系による相続か消滅かのいずれかの選択迫られるとき、このシステムは女系相続を選ぶのである。」(同上)




2019年4月26日金曜日

『名もなき王国』(倉数茂著・ポプラ社)を読む


新聞を読んでいて、倉数さんの作品が三島賞の候補作にあがっていることを知り、その著作のタイトル『名もなき王国』(ポプラ社)から、私は、「令和」という元号を連想し、読んでみたくなった。名もなき王=苗字のない天皇の大和国、すなわち、ゼロの、零和、というわけだ。そして本当に、倉数氏の作品が、元号(天皇制)に迎合するしかない今の時代に抗って書き込まれているものならば、すごいな、と期待したからだ。そして期待通りだった、と言える。むろん、倉数さんが作品を発表したのは元号公表以前でもあるから、著者の意図とは違ったところを、私は読んだのだろう。

実際、目次を読み、読み始めて、すぐに私が訝ったのは、前々回ブログでも論じた、中谷さんの『未来のコミューン』との構造的符号であった。家からはじまり庭でおわる、という。私が両者の著作を手に取ったのは、まだお互いが30歳代ころの、知り合いだからでもあるが、この符号は、どんな偶然によるのだろうか、と思ったのだ。建築専門と、文学専門と、庭専門の符号、と書かれた内容を超えたリアルな人物同士の符号にもなるだろう。それが単なるフィクションの世界での話なら、「近接の原理」という、文芸創作科でテクニカルにマニュアル化されて教えられもするだろう小説の技法の話にすぎなくなる。東海大で創作を教えているそうな倉数さんのこの作品は、その技法の熟練した腕前の産物だ。私は早稲田の文芸科で、最近パワ・セクハラで辞任した渡部直己からよく聞かされていたものだ(私が一番弟子にあたるのだろう)。しかしそれが現実に本当に読みうるという事態は、倉数さんのこの物語のテーマ(素材)の一つでもある、現実(私)と虚構(言葉)をめぐるそんな小説談義や技術と同類なことなのだろうか? おそらく、私が出版業でもなく、研究者でもなく、現場で働いていくことを選んできたのには、議論するまでもない本能で、現実に生きることを選んでしまうからだ、と今思えるのである。

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この著作の、漢字へのルビの振り方、そのあるやなしの法則性、小さなひらがなの出現の様は、どこか身体を変調させてしまうような違和が感じられる、というのが、まずもっての文学(形式)的な読解の感想だった。なんでこんな簡単な漢字にルビが振ってあるのだ? 人の名前には、必ずつけているようだ。毛沢東はいいとしても、高橋、にまで。ほかにどんな読み方があるのだ? ポプラ社が、子供向けの作品がメインで、倉数さんのデヴュー作品が、識字率のまだない少年向けだから、そうした読者を想定しているからか? しかし、「抽斗」、という漢字にはない(普通は、「引き出し」だろう)。また、「納戸」、にもない。そして、植木屋の私にも読めない「夏茱萸(なつぐみ)」という庭木が最後に出てくる。

文学教養が豊かであるのなら、様々な引用・下敷き作品が連想されてくるのだろうが、読み進めてすぐに私が連想した作家は、三島由紀夫だった。私も作中の「私」同様、中学から高校はじめぐらいに、好きで読んだことあって以来、ほぼまったく読まなくなってしまった類いの作家だ。学生のころ、教養として、『豊饒の海』とかは読んだろう。子供(少年)の扱い、同性愛者の男の性質、「伯母」という漢字をとりまく貴族風な雰囲気、つまりはロマネスクな趣味の装いが三島作品をなぞっている。が私が当時好んだのは、三島の漢字の扱い方というか、得体の知れない漢字のリズムと豊穣さだった。そして、倉数氏のルビの振り方は、この三島の文学、ひいては現実(私)と虚構(肉体)をとりまく三島的な思想へのアンチとして意図されているように、私には思えてきたのである。むろん、その三島的思想には、虚弱としての自分をボディブルで鍛え上げた肉体の人工的虚構性、という態度のことだけでなく、天皇という現人神という虚構性を堅持している日本という問題規制もが孕まれる。NAM解散いこう、倉数氏が実際にどんな人生を経験していったのかは私は知らないが、私小説風ともとれるこの『名もなき王国』は、暗い。つまり、氏が描写した「令和=零話」は暗いのだ。これで三島賞とれるのだろうか、と心配になるぐらいだ。しかしそれは、本当の話ではないか? 何を元号で浮かれ騒いでいる? そんな現実を、足場を、われわれは持っているのか?

50歳を過ぎた私にとって、いま、一番評価したくなる日本作家は、三島由紀夫である。なぜなら、腹を切って死んだからだ。千葉徳爾という民俗学者は、三島の切った腹がちょこっとだけだった、敗戦で切腹した看護婦や快楽マニアでももっとたくさん切れてる、と実質批判したが、もはやなんのモチベーションもない平和な時代に、自分を突き放した罵声のあとで、なおも計画通り、腹を切ろうとした。そのちょっとしかなかった傷跡こそが、むしろ三島という私、凡庸な人間、いや人間という凡庸を証している。普通の人が、腹を切ったのだ。虚構の肉体は、切り裂かれはしなかった。だから、リアルなのだ。私たちは、このリアルを、笑えるか? シニックに、なれるか?

<津波のような解放感と喪失感が押し寄せてきた。私はもう何者でもない。空っぽ、無、rien、ゼロ。家族も蓄えも大切な人間もいない。>

『名もなき王国』の「私」は言う。この主題は、三島から中上健次へ、そしてペダンティックには村上春樹などにも継承されている日本文学の問題である。もはやその「ゼロ」を、渡来人が世界先端と哲学的にもてはやしもしなければ、日本文学自体でもまともには主題化できない。それは作品のテーマでなく素材として次元を落としてエピソード的に挿入されるだけだ。この作品も、そうした照れによって、現在の言葉の付置に迎合し、リアリティーを、場違いのなさを担保している。それは、以前のように、まともに天皇制(批判)ができなくなっている現状とパラレルであろう。あくまで現人神を望んだ三島が、退位を表明した天皇の凡庸さ、人間らしさにふれたら、どう思うのだろう? しかしそれは、三島が自身の肉体を切り裂くことができなかったのと同じである。疲れる、痛い、そういうことだ。ならばそこに、「ゼロ」などあるのか?

<チカではなく、私が死ぬ。空っぽの自分に、無をかけあわせる。それはごく自然な算法であるように思えた。ゼロ×ゼロ=ゼロ。小学生だって納得する式である。>

3.11以降の天災は、人に、日本人に、日常の平凡さの大切さを教えた、ということになっている。今の思想言説、風潮も、そういうことだ。戦争のない平和(平成)のころは、「日常を生きろ」とか、逆に、若者は戦争を望んでいる、という談義が起きては消えた。しかし9.11が先行的に、今は議論する余裕もなく、何も起こらないでくれ、と願望だけをはびこらせているようにみえる。ということは、「家族も蓄えも大切な人間もいない」、というか破壊・喪失してきたのがこれまでの軌跡だった、と無意識には目の当たりに気づいてしまった、ということだ。私たちは、本当は、「ゼロ」(文無し)なんではないか、とおびえている。倉数氏のこの作品の暗さは、一見の浮かれ騒ぎの過程・時代の背後を、正直に露呈させてしまった、ということだろう。どんな選考員が三島賞にいるのか知らないが、私が心配になったのは、それゆえ、希望のなさを提示してしまっていると受け止められかねないと憂慮したからだ。しかし、再び問う、ゼロなんてあるのか? それは、たんに、構造的な問題なのではないか? その虚構に囚われているから、ゼロ×ゼロ=ゼロ、と想定し、おびえるのではないか? そのおびえを、新元号で、新しい記号でごまかそうと、まだ(戦争と天災のあとの本音では、「もう」だが)何も起こらないでくれ、とその構造を延命しようとしている、ということではないのか?

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ゼロなんてあるのか? 零話なんてあるのか、というのは私の実感である。もうイチ、一、がある。私たちは破壊し、喪失した。しかし、そうして廃墟になったとしても、その瓦礫が、あるのだ。それが、一、だ。

たとえば、昨日、弟から、こんなメールが届いた。兄が、母を殴った。殺される、と母が言っている、と。私は、兄が、納戸と化した母の寝室へのプロジェクトについて書いた前回ブログなどを読んでいることを知っている。この「知っている」とは、最後の小林秀雄がベルグゾンや本居宣長等を使って伝えようとした、「感じる」と同じ意味でだ、という教示に近い。推論でも、認識でもない。心が、痛いのだ。私は、テレビのリモコンを投げつけられてタンコブを作った母がひとり、誰もいない居間でうずくまっている様子も感じている。兄は、私のブログを読んで、実行に移した。私の物語が、そそのかしてしまい、そそのかされた兄の行為を、感じている。そしてこうブログに書いている私を、雨で仕事が休みで書いている私を、先月から実質仕事もなくほぼ家で読み書きしている私を、女房がどう感じているかも、こちらはなお推論に近い形で、身近に感じている。女房も倉数さんのことを見知っており、私がいま彼の作品を読み終え書き始めたのだろうと知っている。この知と感じに、ゼロが入り込む余地がない。私の現実認識が虚構となり、その虚構が現実となって私の心を痛めてくる。この循環構造とも見えるものは、構造なのか? からくりは感じられても、ゼロという空虚さがない。そんな実感こそが虚構である、という哲学・文学談義じたいが空々しくなる、という生きる方向性以外、私は本能的に、とれないのだろう。その現場作業からみれば、庭から納戸への道筋を作ろうとしている植木屋からみれば、廃墟はゼロではなく、一であり、更地でさえ、疲れと痛みのような一歩を感じることができる。もちろんたぶん、この現場感覚=本能を反復するのは、意識的には、今の私には無理であろう。「この夢が覚めるまで、少しだけ眠ろう。そう思って、瞼を閉じた。」――『名もなき王国』という虚構はこう締めくくられる。「私」には、意識的には無理だからだ。三島のように、虚構=夢をまっとうさせようとする決意=意識は、凡人にはできはしない。しかし三島のように、その決然たる実行が、凡庸さを反復させるのだ。やったが、むりだった、象徴になろうとしたけど疲れた、腹切ったけど、痛かった。首を落としたのは私ではない。退位させるのは、天皇ではない。私を夢から、虚構の制度から目覚めさせるのは、他人なのか? そのからくり自体に、三島は抗わなかった。気づいていても、信じようとしたのか、自らそこに身を投げた。倉数氏は、それを、虚構のからくりを、いやがる。「少しだけ」、だ。「少しだけ眠」るのだ。勇ましく夢から覚めるためでも、ずるずると夢を見続けるためでもなく、それが夢=装置であることを確認するためなように、である。それが小説というジャンルの中でなら、文学という制度を確認するために、となる。だから、凡人が二度寝したがるような逆説的なこのささやかなる処方は、漢字かな交じり文に、さらなる小さなひらがなを付け足す、平易な漢字に振り仮名をつける、という控えめな過剰さと重なる。三島は、ルビなどつけようとしなかっただろう。しかし倉数氏は、ロマネスクな統一性を、虚構の現実性が乱されることも厭わずに、「少しだけ」、付け足していくのだ。
ならば氏の作品は、暗く終わっているのではない。この<令和>という虚構装置の向こうに、「少しだけ」、誰でもできる、何かしらの真っ当な対応が残っていることを暗示しているのだ。ゼロではない、一があるのだ、と。

2019年4月8日月曜日

屑屋再考案2

前回ブログで、納戸と化した母の部屋(家)に言及したことで、以下のプロジェクトを考案したことがあったのを思い出した。

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――反戦リフォームプロジェクト――
屑屋再考案


<――昨夜は三浦軍曹の夢を見ました。ぼんやりした夢ですが、眼を覚ましたとき、ことによると彼は生きて還っているのではないかという気がしました。大工の棟梁だったという軍曹のことですが……。>(『軍旗はためく下に』結城 昌治著 中公文庫)


「仁義なき闘い」の映画監督深作欣二氏の作品に、上記に引用した小説を映画化したものがある。それは、「敵前逃亡」により処刑されたとされるため、「戦没者遺族援護法」の施行にあたって遺族年金がおりなかった妻が、その南太平洋の戦場で、実際に夫に何があったのかの事実を、残存兵を探し歩きながら聞き出してゆく物語である。彼女は、ようやくのこと重い口を開いた生き残り帰還兵から、戦場で生起していた壮絶悲惨な現実を知ってゆくことになる。テレビで見ただけのこの映画が、私の脳裏に深く刻み付けられているのは、その最後のシーンによってである。いったい戦争が終わってどのくらい時がたっているのか、その寡黙で夢遊病者のような生き残り兵が、いま何をやって生き延びているのか、定かではなかった。が、とつとつとあの戦争の光景を語りはじめた彼をカメラが少しずつズームをさげて写し出していくとき、鑑賞中気がかりになってくるそんな疑問が一望の下に明白となるのだ。彼は都会のゴミを収集していた屑屋であり、そのオンボロの崩れ落ちそうな小屋の向こうに、新宿の高層ビルの群れが蜃気楼のように浮かびあがるのである。
私にはどうしても、このテーマパークでも言及した、実家の裏に小屋を構えて屑屋をしていた元軍人の男のことを思わずにはいられなかった。彼は二度目の世界大戦に出兵した軍曹である。戦争後は、肉親とは縁を切ったようにこの自力で立ち上げたトタン屋根の家に引きこもったのだ。軍人年金は支給されていたので、その病死が明らかになると、12人の遺族がその土地を含めた遺産相続に名乗りをあげたという。
両親や近隣住民は、不衛生だからと役所に苦情を申し出て、撤去してもらおうと考えているようだ。役人が見に来て、山と積まれた冷蔵庫などの廃棄に100万円くらいかかるだろうと洩らしていったという。それゆえ、何も手をつけられないままだ。そこで、私は考えはじめた。国家がアホな強権を発動させて、自衛隊員を中東の砂漠へと派遣し、人民を男気な妄想に仕えさそうとしているこの時勢の最中で、靖国には回収されない一人の人間の軋みを残すことはできないだろうか? 私は、その衛生的に消されようとしてる霊の声に応答し、廃墟に木霊してみようとするべく、反戦プロジェクトを立ち上げることにした



(実)家には、三日居続けるのは難しい。女房など、里帰りしてもすぐに親と喧嘩して引き返してくることになる。(母-娘関係は特別か?)そこには、なにか重苦しくなるような、<不気味なもの=親しいもの>という精神分析上指摘されてきているような、見えない空間が成立しているのだ。
母親は、隣家の屑屋を気味悪がっている。元軍曹を、「聖人」とも呼ぶのだが。実家にそのまま連結するのは、あまりにこの世俗感情を逆なでしてしまって、時期早々ということになるだろう。しかし、この廃墟との関連がうまくなければ、本当の不気味さは隠蔽されるだけで、逆に凶暴な荒廃を精神にもたらすだろう。うまく幽霊をこの世に召還させてつきあっておく必要があるのだ。
以下は、とりえずのメモであり、現在の作業は、よりイメージ化するためのデッサンや模型作り。弟が、法務省からこの土地の登記簿をコピーしてくれる。


<アイデア雑記 >
1)トイレに基礎堀および駐車場床掘りで出た土をいれ、ネムノキの植栽。肥やしに転換。
2)リヤカーを、記念館入り口への、にじり口に。その取っ手の勾配線が、屋根の勾配に。
3)旧玄関を家内側からあけると、坪庭になっている。
4)残存ゴミをつかって、メモリアル彫刻を作る。ベンチも。看板も。(公募する?)
5)新築屋根資材は、空き缶の?葺き風。
6)宿泊施設にもなるようにする。(周りは管理放棄された農業地。真向かいは農協が住宅地に法的転換したが売れずに草ぼうぼう。)
7)メインな機能は、書斎。
8)幽霊がでればいい。(まわりが怖がるので、実家とは接続しない。)
2005.5.22

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上の案は、結局は東京に行ったきりのような次男坊の私に対する母の警戒、信頼がないために挫折した。が、今回、雑草予防のために敷かれたジャリ空き地に、お隣の息子二人の駐車を許可したのだが、ゴミや吸い殻は平気で捨てるやで、出て行ってもらいたい、ということになった。が、息子たちは窃盗の前科もあるチンピラなので、弟もそんなこと言うと自分の車のタイヤをパンクさせられるのでは、と動けない。ので、チンピラどころかヤクザ者と一緒に仕事していた私の出番となる。私としては、電機工の長男や自動車整備士の次男らとうまくコミュニケートとっていたほうがよくなると思うが、とりあえず、メンタル的に弱くなっている母の気持ちを安定させなくてはならない。ので、畑が欲しいという母の要望に応えるため、とにかくも、穴を掘ることにした。
とりあえず、屑屋さんの跡地の変遷を、写真でたどる。

まず更地にしてジャリに有刺鉄線

母がブルーなんとかというコーンを植え、でかくなる。私が車入り
やすいよう、コンクリ平板等を使って、出入り口を付け足した。

作業開始。車で踏まれた砕石層は硬い。しかも、30㎝ぐらい深さがある。
というか、他の現場で余った砕石か、見積もりどおりの大量の石ころを、
地面の上に撒き転圧しただけだから、地盤が高い。掘り取った石ころの
量がすごく高くなる。人力では無理かとあきらめようかと一瞬おもう。
隣地側は踏圧弱いとわかり、そこから崩すことに。納戸と化した母の部屋
へのもぐら道のよう。

日に3時間ほど掘る。それ以上は、50過ぎの体にはきついようだ。鋤も壊れたが、
三日ほどでこの位。あとその調子で、三日ほどやれば、10平米くらいの土が現れ
るだろう。がここまでやって、弟が重労働だと業者に頼もうとする。もともと、
門扉やフェンスを作ろうと計画があったが、親の介護費とうで金を余分に使うの
はもったいない。しかも、ユンボでやって黒土放り込むだけだから、いい畑にな
らず、修正のほうに時間がかかるだろう。景観もよくならない。黒土は火山灰土
で肥沃ではない。そうした土の実験観察もしたい。ジャリも捨てるのではなく、
洪水予防の緑の土手に変換しようとおもっている。一気にジャリとりしたら、除草
のメンテナンスの方が大変になる。母には、もうそんなことはできないと弟も了解
し、私の穴掘りが続行することに。隣の息子たちは、路駐することに。そうした
田舎の人間関係の解法も、なお容易には見だせないだろう。