2019年7月4日木曜日

『進撃の巨人』をめぐる、父と子の対話

「トンビが飛んでるね。」草原を疾走する調査兵団の騎馬隊の頭上、空を裂く鳴き声とともに、羽を広げた鳥が舞っている。「ということは?」私が付け足すと、「海が近い。」と高1の息子が即答する。「いい反応だね。」
 騎馬隊は、そして初めて海に触れた。いつもと違う、エンディングの音楽とシーンが流れた。
「この終わり方はいいと思うな。」父はつづけた。その間、食卓に座った息子は、スマホをいじりはじめて下を見ている。「エヴァンゲリオンの作者はシン・ゴジラで、日本は世界とこう向き合った方がいいと一つの態度を示したけど、これは、みんなと一緒に考えてみよう、みなさんも考えてください、という提示の仕方だね。パパも、それがいいとおもうよ」おそらく、息子はまた父親の小難しい講釈がはじまるのだろうと、体を一瞬こわばらせるのがわかる。が、いまはそんな父の講釈に食ってかかる進撃の女房はいない。私と息子は、家に二人きりで、食卓をはさんで座っている。息子の萎縮は、幼い頃からの、夫婦喧嘩によるトラウマ的な防衛なのだ。しかし今は、その防衛反応をする必要はない、という状況を息子は一瞬で確認し、父の話をうざったく思いながらも、実は耳を傾けはじめていることを、父の私は感じ取っている。私は息子の無意識に向けて、つまりは、今ではなく将来へ向けてのおもいで、言葉を打ち込んでゆく。
「おまえがいう原爆のイメージがでてきてから、このアニメは日本と世界のことを喚起しようとしているね。壁の中の民とは、島国の日本ということでもあるだろう。そして日本は、かつて島の向こうの大陸と、世界と戦争した。たしかに新しく成りあがってきた日本を、世界はいじめるようなこともした。その世界にこの野郎と思うのは、当然だろう、それはいい、しかしその挑発にのって、世界を敵にまわして戦争することは、いいことだろうか? 原爆を落とされ、東京も焼け野原にされてしまった。海に囲われた日本は、そもそも世界を知っているのだろうか? サッカーでも、日本代表はまだ世界を知らないとか、いうだろう? 日本では、わからないんだよ。フィリピンとか、貧しい国の子供とか、戦争にあっている子供たちは、自分が見て、経験して勉強できる。しかし平和になっている日本では、そのままでは、勉強できないんだよ。壁の中の人類がその王の不戦の誓いによって島に閉じこもったように、武力放棄の憲法によって世界の紛争を他人事のようの過ごすことがパパたちはできたんだから。だから、経験できないことを、学校で、しっかり勉強する必要がある、ということだ。エレンたちが、父の残した三冊の本から勉強したようにね。エレンは最後、海の向こうの大陸の人たちは「敵」だといった。ということは、また戦争するということかい? それじゃあ、解決にならない、ということだろう。この間も、北朝鮮のジョンウンとトランプがあったよね。日本も、これから壁の向こうに出て、大陸とやりあわなくてはならないんだよ。どうしたらいいんだ? まだ人類は、その答えをもっていない。『進撃の巨人』の終わり方は、いいな。」

     *****     *****     *****

今日の仕事が雨休みなので、セリフ確認のために録画をみていた。NHKでは、第四期が来年秋に放映準備、だそうだ。途中、家事をやめて進撃の女房が、食卓の向こうに座ってきて、一緒に見ることになる。昨日からほぼ確実な雨予報だったため、女房は朝寝坊、子供もつられて起きてこず、朝飯は用意できず、何も食わずに学校へ忙しく出ていった。私だけがいつもの二度寝もせず、さっそうと起きてトーストを食べ、このブログの準備をはじめたのだった。戸を開けての息子との視聴時は、外の騒音でよく聞こえなかったが、エレンの、海の向こうをみつめてのセリフは卓一だった。「海の向こうには、敵がいる。父の記憶で見たのとまったく同じだ。敵を全部殺せば、自由になれるのか?」…というような。それと、再生そのままでは読みとれなかった解説文を、一時停止させて読んでみた。これもすごい。私の読解は、見当はずれなひとりよがりなものではないことが確認できて、ほっとした。しかしこの若い作者は、本当に、その後に想像力をのばしてみるのか? ファンタジーに終わることなく、リアルさを保持したままやるのは大変だとおもう。その挑戦がえらい!――

<現在公開可能な情報
我々は世界全体が憎む「悪魔の民族」であるとわかった。彼ら、世界の人々は我々「ユミルの民」の根絶を願っている。だが、ただ座してそれを待つ理由などない。生ある限り、私たちは生き続ける義務がある。抵抗する努力をやめてはならない。しかし。しかしだ。果たしてその手段とは、世界に対し力を示し、恐怖を与えることだけなのだろうか?巨人の力、彼らのいう悪魔の力を振るう以外に、本当に別の道はないのだろうか?同じテーブルにつき、お互いの心を語り合う未来を考えることは夢想だろうか?世界中の人々がお互いを尊重し、話し合うことは本当にできないのだろうか?今、それが空虚な理想論に思えたとしても、私は考えたい。考えることから逃げたくない。それが私の負うべき、責務と信じるからだ。>

0 件のコメント: