2011年6月27日月曜日

震災被災地へ――陸前高田市

炊き出しボランティア・パキスタンチームの運転手として、震災地・陸前高田市へむかった。 <避難所の中学校>





















山道を抜けたところでいきなりでますよ、と何回かあちこちへ救援にでかけている日本人スタッフの話しだった。近づくにつれ、みたくない、という気持ちがでてくる。海より10kmほどのまだ山中で、ふと木材の集積、そして小川の土手に横たわった自動車にでくわす。





ここまで津波が到達したという地点。というより、山にぶつかったのだろう。山腹の10m近くまで、屋根のだいぶ上まで波をかぶっている。塩水にふれた部分の木の枝は赤茶けている。それでも日本作りの家屋はたおれない。海岸近くでも、ぽつんと立っている蔵をみかけた。まわりは流されて何もないのに、それは石垣基礎も壁もほぼきれいなままだった。



おそらく次に作業しやすいように、道路側に残骸を堆積させている。










流された自動車。









分別され山積みされた木材。








海に向う河口付近。










一本松がみえてくる。

海近辺、災害現場の中は、一般車両は進入禁止。














































高校あと。ぶじ生徒は避難できただろうか? テレビニュースでみると、すぐ裏山にのぼって逃げればとおもったが、逆にすぐ後に山が迫っていると、おそらく人間心理ではそれを登ろうという気はおきず迂回するだろうと思えてくる。とくに、ここからは建物で海はみえなかったろうから、まず校庭に避難、となれば、その後迂回しながら開けた高台にのぼるコースをとるだろう。その1kmほどの途中で津波に襲われれば、逃げようがない。聞けば、生か死かであって、けが人というのはいないという。



避難場所の体育館。

カレーライスの配膳あとで。

この避難所の、理科室を使った厨房で食事を作る若夫婦の話しによると、海近くで食堂を営んでいた自分たちが生き延びたのは偶然だという。避難場所として指定されていた市民体育館に避難していた母親は亡くなったという。自分たちがそこに行かなかったのは、中学生の娘が心配だったので、そっちへ向ったからだと。奥さんは「あんな遠くまで」と最初もらしたそうだ。だから逆に、「生かされている」とも感じるという。内陸商人の考えが自然な肌になっているインドレストラン経営者のパキスタン人とは、帰り際、まさにこれから自分の生活を作っていくためにどんな援助が欲しいか、いくらかかるか、と必死に情報を交換する旦那さんだった。避難所は、子供がかけまわったりしながらも、静かだった。そして規律があり、清潔だった。落成したばかりの体育館や校舎のためというより、そうした努力とノウハウの蓄積がなじんできているのだろう。しかし夜になるにつれ、そのただっ広い避難所で過ごすことの寂しさが漂いはじめるような気がした。当初1000人が、いまは200人ほどになり、近隣地区からのボランティアスタッフもいた厨房の体制も、7月からは、ほんとに津波で家が流されて避難した人たちだけの世界になるという。そっちのほうがいいのだ、家のあるなしが意識の違いをうむので、自分たちだけのほうが居心地よくなるのだとも、旦那さんはいう。外はどしゃぶりに近い雨だったので、涼しかったが、これから暑くなると、どうなるだろうか? 被災・避難者の沈着振りが、想像を超えた出来事に直面したものの、異常な心理にもおもえてくる。

* 陸前高田市から、東北道にのって車で8時間ほどで東京中野区は上高田まで帰ってきてしまう。いま団地の6階から雨のふる窓外をみても、すぐ向こうにある気がしてしまう。往きも帰りも、ほとんどまともに寝ずに、慣れない真夜中の運転だったので、なおさら夢見心地で、現実感がない。ここでもあすこでも。しかし、被災地の人たちは、東京が遠く感じられることだろう。われわれはここを、身近な感じにさせられることができるだろうか? そのように、生きているだろうか? 3月20日すぎには現場にカレーをもって、単独駆けつけたというパキスタン人たちの、他人事とは感じない能力と実践を、私たちはもっているだろうか? また、普段の仕事も休まずボランティアにくりだす日本人スタッフの人たち。なお怪我が完治していないこともあるが、朝帰りを見込んでさっそくまえもって仕事をさぼる段取りの私には、真似できないことである。だけれども、一生懸命ついていこう、身を寄り添うように生きていこうとするのが、この自然に生かされている人間の務めなのだろうと、考えている。

2011年6月9日木曜日

混沌のなかの整理

「ナショナルな諸部門を崩壊の危機から救うために、消費者が、程度の差はあれ「汚染された」食品を消費することを強いられる場合、まったく反対に、消費者という眠れる巨人の力が見出され、試されることになるかもしれない。日本を世界に対して開くこと――新たな日本のコスモポリタニズム――によって、罹災した危機に陥った日本にとってむしろ望ましい、危機を脱する道が拓かれるのかもしれない。政治構造と政治活動がコスモポリタンになれば、ナショナルな利害の促進もそれだけ効果をあげ、グローバルな時代における日本の重要性もますます高まるだろう。/そう考えるならば、日本の社会・経済・政治を根底から揺るがす大事故も、日本が世界に開かれるチャンスに変わるかもしれない。」(ウルリッヒ・ベック著「福島、あるいは世界リスク社会における日本の未来」『世界』7月号)



心身健康であっても、足の怪我で身動きできず、じっとしていなくてはならない不自由さからくる不快な感情はもう脱していいはずなのに、最近はさらに不快が高じて、精神が混沌としている。実家の方で兄と父親で暴力沙汰が高じているだの、保証人をしているペルーの友人のアパートで又貸しがばれそうで立ち退き沙汰になっているだの、足の腫れがなかなかひかないだの、いつ仕事できるのか仕事があるのかだの、知らない間に無意識に考えているのかもしれない。それに世の中の情勢が拍車をかけている、ということか? もういい加減、新聞やテレビ、ネットでの検索閲覧をするのにも鬱に近くなる。不眠も発生する。なんでこうなるのか、自分でもわからない。心身の暴走がはじまったのか?……だから、ちょっと整理してみる。

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まさか、東電の工程表を信じてる人がいたとは。しかも、それが総理大臣だったとは……あれは、何かだせといわれ、ださなくてはならないから何かだした、という代物ではなかったのだろうか? 工程表どおり来年1月に冷温停止になるまで責任を投げない、常識で判断する……と総理は言うのだが。

――素人疑問――

1)水の循環構造とは可能なのか?……ビデオ・ニュースでも、宮台氏と小出氏との間で理解の行き違いがあった。東電の説明をとりあえず理解する宮台氏に対し、それが理解できない小出氏、という構図で。私の理解では、どちらも正しい。こういうことだ。――10の冷却水が必要だとして、もし洩れが1だけであるなら、1循環時にまた1だけ水をたしてまわせばいい、それならば、まあ循環している、といえるだろう。だが、5洩れるとしたら? 1循環ごとに5をたしていくとは、いまの垂れ流しとほとんどかわらない、といえるだろう。東電は穴をふさぐ、とかもいっている。すでに水没しており、水をかけつづけなくてはならない、というのに、そんな作業が可能なのか? ぜんぶ穴をみつけられるのか? せっかく作業員が相当な被曝でやったのに、結局はやらなくても同じだった、とならないのか?

2)燃料はどこに、どうなっているのか?……小出氏の推測によれば、おそらく核燃料は圧力釜から垂れ落ちて、格納容器の底で、「あんぱん」みたいになっているだろうという。だとしたら、いくら水をかけても、冷やしきらない、のではないか? 絨毯みたいにひらべったくなっているのなら、薄いので冷えそうだが。でかいあんぱん状態では、表面だけが冷えて皮のようになるけれど、中はいつまでも溶岩状態のままにおわるのではないか? さらに、福島の原子炉を設計した人たちの対談などを読むと、圧力容器よりも格納容器の方が温度が高い気配があることから、水が燃料を素通りしてどこかにいって、いまもって再臨界状態なのではないか、と推定したりしている。放射能測定器を個人で購入して測定しはじめた友人の考察でも、宇都宮での放射能数値を時間単位で吟味してみると、ふわっとあがる時間帯があったりするので、まだ再臨界がおわっていないのではないか、と推察しているが、あながち間違いでないのかもしれない。だとしたら、これはチャイナ・シンドロームが進行中ということだ。

3)水でいいのか?……3月の末時点で、ISEPの飯田氏は、水では汚染水が増えるだけでむり、石棺するにも崩壊熱が高すぎるので、生コンでも無理だろう、だから、それにかわるスライム状の何かを新開発しなくてはならない、といっていた。というか、ゴルバチョフの回想録を読むと、生コンでやる、ということ自体がアイデアであったらしい。しかも、最初の投入が失敗し、大爆発を起こした、のだと。そしておそらく、そのチェルノブイリの現場に立ち会った学者とヨーロッパで話しあってきた飯田氏の話しをも勘案すれば、ゆえに、次のときは生コンの流し方を工夫して石棺に成功した、ということになる。そしてそのために、現場の近くに似たような状況を作って実験し、それで確認してから実行にうつした、というのである。ならば、もし、生コンにかわるスライム状の何かが開発されても、そのときは失敗してまた爆発する、というリスクをかける、ということを意味してこないか? このままダラダラと放射能を永久に垂れ流していることを選択することは、日本全土で生物が暮らせる環境ではなくなっていく、ことを選んでいるのに等しい。飯田氏は、最近出版の岩波ブックレット『今こそ、エネルギーシフト』のなかでも、循環構造とかよりも封じ込めることに政策を移すべき、そのためにも、メルトダウンを実験して制御ソフトプログラムを作ったりした世界の英知を結集してことにあたるべきだ、と提案しているが、その際にはまた爆発する、というリスクを自覚してやる、ということになるのか? とすると、爆風は同心円的だろうから、〇〇km圏内は再度の避難、とか前もってやらなくてはならなくなるが、そんな時期遅れにだされる避難指示を政府がだせるのか? だまってこそこそやることになるのか?

4)世論調査では、3月末ごろで原発賛成6vs反対4ぐらい、4月末で賛成5vs反対5、5月末で賛成4vs反対6、とおおまかに推移している。これはやはり世論操作とかいうよりも、わかりやすい動向にみえる。当初は、震災避難民も、原発事故避難民も、とくには関西・九州方面のひとは区別できなかっただろう。4月になって、なんとなくその区別ができるようになる。5月になると、「えっ、家があるのに帰れなくなるの? あんな宇宙服きて一度かえっておわりなの?」と、その事故後の状況がテレビで繰り返し放映されるようになったので、ならいやだな、となったんではないか、と私は考える。ということはならば、増えた2割の浮動層は、状況によっていつでも賛成にも反対にもなると考えておいたほうがいいのではないか、とおもう。しかも、この割合自体は、たぶん固定的だ。比喩でいえば、反対のデモにまで参加するのはおそらく全国で数万人、これは、大江健三郎の本が売れるような数。そういった層。その周辺に、デモに参加したり大江氏の著作自体は読まないけれどなんとなく良識をもっている知的大衆層。その他の人は、選挙の浮動票と同じで、だいぶかわるとおもう。青森県の原発ある市町村の選挙では、原発維持賛成派の市長が当選した。新聞報道からみるかぎりだけど、その結果ではなく、その中身はまあいいのではないか、と私はおもう。むしろ、単なる反射的反発での反対派の候補が当選しても、市民を説得できるとはおもわない。賛成し推進してきた者だからこそ、原発を止めることができるのではないか、という可能性と説得性を残した選挙内容だったようだから。だから、国がとめるといえば、推進市長は止めるよう住民利害を説得する。ただ、現政府の方針が、これまでの原発推進の方針を堅持する、となったので、このまま本当に推移していくのか? 中間市町村が自己決定できるような問題でもないので、国の方針を変えられるのは、政治家の意志と、国民の声ということになる。世論がこのまま原発反対のウェイトでいくだろうか?

5)マスメディアのなかでは、今回の震災が日本経済に壊滅的な打撃をあたえるようなことはない、というふうにみえる。どこの国際機関か忘れたが、日本のGDP成長率は、今年は0.1%くらいになるが、少しづつ回復していくだろうとみているようだ。ただちょっと専門的な雑誌などにあたってみるとシビアになってくるようだ。近い将来の経済動向の正鵠さを求めるのは無理があるのだろうし、私にはわからないが、4)との関連で、こんなことを考える。「自然エネルギー」の方策は、経済状況いかんによっては、右翼的な反動と合致、混同されてくるのではないか?……「ぜいたくは敵だ!」、「食べられません勝つまでは」、だったか、そんな国民を一丸とさせる戦時中の標語は、震災後の、日本人はひとつに、の世論基調と重なってみえてきてしまう。原発を推進しようにも、金がかかってできない、そんな経済状況でもなくなった、とわかれば、日本人はひとつに、の合言葉にのっかって、エネルギー転換の政策がなされ、経済政策の不手際を、戦時中的な国民操作でごまかし推進させられる、ことも考えられるのではないだろうか? その場合、反原発の世論が高いからといって、市民社会的な自治・自発性が是とされているわけではない。飯田氏には、そうにはならないようにエネルギー政策を転換したい、という意図もあるようだが、政治経済の状況によっては、だいぶこんがらがった事態にもなるのではないだろうか? 自民、民主の大連立の話しは下火になってきたようだが、世論もひとつ、政治もひとつ、となると、まさにファシズムではないか、とおもえてしまう。といっても、被災地の瓦礫の処理さえ国家の発動で処理できずに夏をむかえようとしている今をおもうと、なかなか負けを認めずずるずる何もしない現状をひきのばしている菅総理は、東条英機にみえてきてしまうのだが。早くしないと、大空襲が、原発投下が、と同様、熱中症どころか感染病が被災地で蔓延し、後手後手対策の果てに原発がまたドカン……とならなければいいが。3月末の時点で、佐藤優氏なども、東電の技術者の自負心を傷つけないように、べっこに対策チームを作ってやるのが危機対策の基本だ、と言っていたのだが、まるきり懲りないように東電まかせ、その工程表も信じている、ときている。では、そうならないと、またヒステリックに怒って責任を他人転嫁、とすまそうというのだろうか?


*とにかくも、グローバルな文脈で、世界を相手に大博打を打てる政治家なり、日本世論の動きがでてこないと、これまで自然災害後にみせてきた日本史的な「世直し」を、歴史の気運を、伝統を反復できず、平常どおりのずるずるさでいくところまでいってしまうような気がする。私が憂鬱なのも、そんな気運のためだろうか? この気運を、気勢をかえていくには、どうしたらいいだろうか?

2011年6月2日木曜日

希望を、筋道をつけてゆける混沌を

「……ペレストロイカ停滞の原因がとりあげられ、問題は改革の道にダムのように立ちふさがっている巨大な党・国家機関にあることが確認された。…(略)…ところがその二日後にわれわれは恐ろしい試練に見舞われ、すべての構想は長期にわたり舞台裏へ押しやられてしまった。/チェルノブイリ原子力発電所の事故は、わが国の技術が老朽化してしまったばかりか、従来のシステムがその可能性を使い尽してしまったことをまざまざと見せつける恐ろしい証明であった。それと同時に、これが歴史の皮肉か、それは途方もない重さでわれわれが始めた改革にはねかえり、文字通り国を軌道からはじき出してしまったのである。/今はわれわれは、この悲劇がどれほどの大きな規模と広がりをもち、健康と家を失った人々のためにさらにどれほどのことをしてやらねばならぬかを知っている。この災厄とその後遺症が、私のソ連大統領在任の最後の日まで、そしてその後も私のどれほどの心労の因となったことか。」(『ゴルバチョフ回想録』ミハイル・ゴルバチョフ著 新潮社)


まだ骨折したカカトの腫れがひかず、リハビリで筋力増加に励み、家にこもっては読書をしている間に、仕事上の公共仕事としては、3月の年度末がすぎ、5月の入札時期が始まっている。怪我の経過報告がてら元請けの情勢を社長の息子にきいてみると、これまでとれていた仕事がとれず、というか、これまでの通例の管理作業が発注されていないようだ、というのが先月末の返事だった。私の推論では、東京23特区では、震災被害自治体に10億円の協力支援も決めているし、去年の実績で申告した税額が本年度に本当に企業から支払われるのか、その様子をうかがっているのではないか……という感じを、ちょうど今さっき電話をくれた社長にももらしてみると、よくわからないが、とにかく業界では激震が走っている、という。地震や原発事故があろうがなかろうがやってくることが、それを契機に、予定より早くやってきた、ということなのだろう。つまりそれはあくまで、惰性の果て、というよりは、転機として出現してくれた、ということだ。これは天啓なのだ、と私は考える。だから、その天啓的な転機を、あくまで惰性的なシステム体制の延命の方向で支持してはならない、というのが私の立場、になるだろう。そこから、いま、テレビでの国会中継を見ている。自民党の政治家の話しが、うるさい。


佐藤優氏のたとえでいうならば、すでに政治(経済)的な「メルトダウン」がはじまりだしたのだ。それを認めない、ということは、東電的な事態である。今朝の新聞(今は朝日を購読している…)では、不信任案可決なら衆院解散、と前回の民主党内選挙の、菅vs小沢の時と同じように、その一面を読んだなら、態度曖昧な議員には脅しとなるような紙面構成になっている。社会面でも、「復興遅れるばかり」「政争にあけくれないで」「今は選挙どころではない」――という世論の声が見出し紹介されている。たしかに庶民の感想は、そういうものに近いのだろう、とおもう。小沢氏自身は、先月のウォールストリート・ジャーナルへのインタビューでも、危機になると「みんなで仲良く」というのが日本人だが、それは間違っている、と認識表明しているのだから、現状世論と闘うことを宣言している、と言える。だから、その危機を、どのくらいの深刻さで認識しているのか、が実践的な行動への出発点になる、ということだ。


くり返していえば、私はすでに「メルトダウン」ははじまっているのだとおもう。しかしまだ、釜の底が抜けて爆発するという、チャイナ・シンドロームが起きているわけではない。しかし、一刻を争う、ということだ。危険を犯してでも手を打たなければならない。いまの官邸は、東電相手、という狭い領域では筋を通しているようにみえるが、大きくいえば、自民党時代に敷かれた官僚の路線を引き受けていく方向だ。つまり、平常どおり、なのである。これは、あの原発現場では安全などありえない、という現実を引き受けて作業をしているのに、厚労省が「安全管理」の徹底を要請する、などという、工事現場での役人態度を頑なに反復することしかできない、のと同じだ(官僚にはそれくらいしかできない、ということだ)。それが無理なほど深刻だから被曝しているのに、その現実を無視して表向きの体裁、官僚としての国民向け立場保身しか打ち出せていない。だから現場では、すでに法的庇護を超えている作業をしているのに、そのことが是正という建前で隠蔽され、裏で抑圧された形で強行させられるのである。作業員は、二重拘束的な分裂状態に苦しむだろう。これは非常時なのだ、注意して作業をしても、法的以上の被曝をして健康を壊すかもしれない、その時はその労働者と家族の保証はするから頑張ってくれ、労働体制も非常体制でくみ支援強化するから、とリスクを負って官邸中枢が言えない、言ってやらない。平常運営でしかないエリート官僚(東電)体制だから、作業員も半端なことしかできないのだ。それがダラダラきて、転機への芽が、決死の意志がなえ、だから役人同様、小さなエゴからの、ごまかし作業が横行するだろう。


もし、あのチェルノブイリ後の政治状況のなかで、ゴルバチョフ改革派ではなく、共産党国家機関が主導権を握りつづけたらどうなっただろうか? 官僚国家の意志とは、増税と統制である。旧ソ連ではともかく、ペレストロイカという、一国の内政を超えた世界規模での道筋をつけた。たとえその後の経過で、民間(マフィア)上の混沌がやってきても、その道筋がロシア人魂として一貫していくことができたようにみえる。つまり、文化精神的な意味での、アイデンティティーも保たれた。ではいまのこの日本では? とりあえず自民党提出の不信任案が可決されようとされまいと、政治家の意志の足並み乱れは、官僚が体現してしまう国家意志を利するだろう、というような状況だ。投票の結果、というより、その結果の度合い、の中において、どちらの方向に転ぶのかの予想がみえてくるのではないか、と思うのだが……まだ抗辯がおわらない。ながい話しだ。結果をみてから、次の行を書こうとしているのだが……。


いま採決がおわった。私の見たところでは、官僚に<代行>される国家意志へ動く方向へ舵がきられた、とおもう。欠席・棄権が小沢氏本人くらいなら、まだ民主党内に国民を<代表>する政治家意志がだいぶ残るので、両義性を孕んだままで推移することになったのだろうが、彼等30名ほどの政治家が除名されるとなれば、政治情勢はなおさら混沌としてくる。可決されて解散が回避され内閣が政治意志の方向で改造されるか、圧倒的に否決されて民主が一丸的になるのがいい方向性かな、と思っていたのだが……。くり返すが、官僚の国家意志とは、増税と統制である。原発事故のどさくさにまぎれて、ネット規正法のようなものが成立されたことをおもえばよい。そして今回の場合、外交的な敗北である。先月末ころ、朝日新聞だけが一面で、「海外賠償巨額か」と報道していたが、読んでみると、アメリカの原発保険に入ろう、という話しなのだ。つまり、毎年も保険をはらい、ということはソ連が拒否した海外賠償も支払って、さらに廃炉作業でも金をとられる、というか、貢ぐわけだ。そのための増税路線なのだから。ずるずる、というより、みるみる経済的にゆきずまって、国民大衆が米騒動的な騒ぎをおこす場合もでてくるかもしれないが、もちろんそのときは手遅れである。もちろんそれは革命(変革)でもなんでもない。それができなかったことへの回復不可能な取り返しの試みである。そんな騒ぎ=爆発が起きるまえに、事態を深刻に認識し、まだ目に見えてこない段階で危険をおかし、手を打っておけばよかった、という話しなのだが…。


フクシマ以後の日本において、混沌は避けてとおれない。しかしだからこそ、希望のある、筋道のある混沌を作らなければならない。その希望、筋道とは、世界へむけての道理である。地球規模での論理なのだ。そういう物語=文脈、世界への説得力をもってこの日本の事故を開くこと。光の見えない混沌はわれわれを絶望させるだろう。今日の政治的結果が、危機への対処を一手遅らせたことは確かになってくるだろう。現場の作業員は、なおさらずるずると意味もつかめない作業を、「安全」にという標語のもとに、一層の被曝を蓄積させながら、だらだらとやりつづけなくてはならないだろう。(そうしているうちに、また貯蔵プールの方が爆発する、ということも十分ありえる話しだとおもうのだが……。)