2016年11月20日日曜日

直系家族のエピソード――トッド『家族システムの起源』ノート(4)

「脳は、一雄一雌関係を保つことにいちばん「頭を使って」いるのではないか。あなたは夫や妻の短所や欠点に苦労させられたことはないだろうか? もしあなたが、パートナーとの関係を続けるのも楽じゃないと思っていたら、まさにそういうことだ。鳥類でも哺乳類でも、体格のわりに脳が大きい種はまずまちがいなく一雄一雌だ。反対にその他大勢の群れをつくり、乱交にはげむ種は脳が小さい。
 さらに鳥類をくわしく見ると、脳の大きさにほんとうにかかわってくるのは一雄一雌だということがわかる。それもちょっとやそっとのことでは揺らがない。長続きする関係だ。一雄一雌関係にも二種類あって、ヨーロッパコマドリやシジュウガラは繁殖期のたびに相手が新しくなる。そのいっぽうで、フクロウなど獲物を捕まえて食べる鳥や、カラス、オウムなどは一度決めた相手と死ぬまで添いとげる。そして後者の脳は、相手を一年でとりかえる鳥よりはるかに大きい。体格や食性などの生態を考慮しても、この事実は変わらないのだ。
 哺乳類になると、一雄一雌関係は全体のわずか五パーセントと少数派に転落する。それでもイヌ、オオカミ、キツネ、レイヨウの仲間は一雄一雌だ。彼らの脳は、大きな社会集団のなかで相手かまわず交尾する種より大きい。」(ロビン・ダンバー『友達の数は何人? ダンバー数とつながりの進化心理学』 インターシフト)

高校野球部の同期会ということで帰省し、伊香保に行ってきた。大学進学でほぼみな上京していたが、今はほぼみな地元で生活している。19歳いらい、つまりは世の中のことを意識的に見られる年頃以降は、地元での生活がなかったわけだから、私には生まれ故郷がどんな人のつながりで動いているのだかわからない。しかも、野球部という集団場所に子どもの頃から所属していたとしても、私はどちらかというと、イチローみたいな一匹狼タイプだったろうから、遊びでつるむような友達というのもいなかった。酒を飲みながら話を聞いていると、たとえ私が東京の職人下町のようなところに参列して生きてきたとしても、他所からきた私のようなものをとり込んで成立することを前提としているような都会よりも、地元でのほうが封建的なメンタルやしきたりが動いているのだな、と思われてきた。家の会社を継いでいる者の話を聞いていても、長男という存在がずっしりとくる。

そんな話のなかで、私が子どものサッカーチームのコーチをしていると近況紹介していると、現高校野球部父母会会長が、私を次の監督にしたらどうなのかと口をはさんだ。一瞬、幹事役をはじめとした、この地元世界の仕切りに末席している男たちの間で、妙な沈黙がおこった。子ども二人が、旧制中学からの伝統ある男子進学校に入学でき、その長男が野球部の選手になっているということでその役についていた者、現役時代はキャッチャーだったのだが、どこか空気を読めずまわりからばかにされるところのある者だったのだが、いまは「偉い」役職ということで、発言に力があるようだった。「俺は教師じゃやないから」と私も驚いて沈黙を破ると、もうそこには触れないとそらしていく話がつづいた。ということは、本当に次期監督を探しているところがあるのだろう、そして私が子どものサッカーで話していた流れから推論すると、自身が甲子園出場経験があり、数年前に球児をその三十年振りだかに甲子園へ連れていった現監督の指導法に、批判的な声が結構ある、ということなのだろう。それは昔ながらの、指導者への問答無用な暴力的なものであるらしい。去年、元部長の傘寿の祝いで100以上だかの元部員が集まったときにも、「意味がないよ」と、その強圧的な指導に対し苦言をもらしている先輩にも出会っていた。しかし、そうした体制に意識的な疑問をはさめないのが、この地元での野球界なのだろう。現地高校野球界で、周りから信頼の篤いとされる現役監督は、私の中学野球部の1年上の先輩だった。「腰が低くてすごい評判がいい」とは、父母会会長の言葉である。「だけど、知り合いにきくと、怖くて誰も近寄れないんだよ。」選手の指導でも、暴力は当たり前のようだ。ミスをした選手へのおおふくピンタが、外野へとつつづくファウルライン上をあとずさりしていく選手を追いかけていったという。ということは、大会中にそうなったのだろうか? 私が中学のとき、その甲子園経験者の先輩からショートのポジションを奪い、先輩がサードにコンバートになったと知ると、「えっ、だ、だいじょうぶだったの?」と父母会会長は驚く。「まあ、先輩からレギュラー奪って、リンチされなかったのは俺だけだったけど。」おそらく、空気の読めない会長は、私の立ち位置を感じて、無邪気に思ったこと、認識していることを言ってしまったのだろう。

しかし、ここ東京のサッカー少年クラブのコーチ間で議論したことなど、とても地元では無邪気にできはしないだろう、と私は思わされた。それは野球とサッカーの日本での系譜的な差異、というより、地域差のようにおもわれる。

一希が、よくTV「ドクターX」をみている。私の経歴からすると、私は「御意」の側ではなく、群れを嫌うほうだろう。ネクタイ・スーツいたしません、接待ゴルフはいたしません、満員通勤電車は乗りません……それが、就活にあたって、意志的とはいわないまでも、意識的なポリシー、生理だったはずだ。だから、あの24時間戦えますかのバブル期、ほぼ不可能なモラルだったので、私は消極的に動けず、つまりは就活などいっさい行わず、ウサギ小屋でじっとしていたのである。最近になって、小池都知事が、「満員電車」など恥ずかしい、と言っている。小池氏も、「ドクターX]タイプな帰国子女だから、集団倫理の掟を潔しとはしていないのだろう。が、私は、「御意」の群れを、否定する気はないし、否定するのはよくないと思っている。それが、トッドの保守的な学術をも受容的に注目する態度につながっているだろう。あるいは、柄谷氏が、NAMの散会が意識しはじめられたころ、コアなメンバーにむけて、「これからは前衛党のようになる」と、その続行のためのアイデアに転回しようとしたとき、むしろなおさら興ざめてしまった感性とも通じているだろう。そういう意味では、私はなお地元の封建意識を手離していない。それが何故であったのかを、NAM解散後、意識的に理論的に追求している、ということにもなるだろう。

息子は、とりあえず、「御意」の群れを好む性向のようにみえる。それでもいいから、自分の道を探っていってほしい。

2016年11月19日土曜日

エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(3)――柄谷行人著『遊動論』と

林羅山の子々孫々の墓

日本が、「直系家族」的な家族人類学的類型の価値イデオロギーの中に在る、と言われても、その価値がどういうものなのかはわかりにくい。今月の『文芸春秋』12月号の、トッド氏と磯田氏との対談は、その家族的枠が、どう価値的に社会に作用してくるかの具体例にふれているので、メモしていく。その価値は、日本の社会思想史の文脈からみたら、どこか追認的な懐かしい見解にみえる。中根千枝著の『タテ社会の人間関係』、村上 泰亮著『文明としてのイエ社会』、あるいはその日本的伝統なるものを批判的に論じた関ひろの氏の『野蛮としてのイエ社会』などを連想する。その発想枠の源典には、丸山眞男氏の『日本の思想』や、最近都知事の小池氏の紹介で話題になった山本七平氏の『空気の研究』などもあげられるかもしれない。要は、敗戦を受けての反省から、ムラからでよ、という主体的・意志的なイデオロギー価値の提出へとつらなっていく系譜。ただトッド氏の見解が違うのは、これまでは日本の特殊性の主張に収斂していく閉鎖的な議論だったが、その我々の固有的な価値が、実はもっと大きな世界史的な文脈に通じていることを前提にしていることだろう。そこから、実践的な方策を考えていくにも、現状から出る、という個人主体を問題とするというよりも、他の家族類型からくる価値とのバランス、集団的な調整を趣向しやすい。それはだから、地政学的なリアル・ポリティクスと親近してくるようにみえる。トッド氏が、中国という共同体家族的な価値を中心とするアジア地域において、日本の核武装の必要性(バランス)を喚起させるのも、そのような地政学的な均衡=平和という、現実主義以外の発想をとり得ない学問的な枠組みがあるからだろう。そこが、双系制(≒核家族)を遡行的なユートピア=統制的理念として握持する、「世界史の構造」の柄谷氏とは違ってくるポイントだ。しかし、トッド氏も、文明的な共同体家族の価値イデオロギーに反動的にその地域に固有的な家族形成が発生してくるというのだから(母系制は父系的な価値への反動として出来するとされる――)、潜在的には、フロイト的な回帰理論、抑圧された心理の永続性、持続・反復性を認めているのである。おそらく、それを理論的には排除しているので、「反動」における動きを理念型的に捉えてみようとするような問題自体が発生してこないのだ。

     *****     *****     *****     *****

トッド 天皇家は、直系家族、つまり日本的な「イエ」とは異なる何かです。明治期の法制化で天皇家にも直系家族的な「男子長子相続」の原則が適用されましたが、本来の天皇家のあり方からすれば、あまりにも人工的な措置だったようにも見えます。
磯田 その通りです。天皇家が日本の家族システムと決定的に異なっている点がひとつあります。それは現在に至るまで、婿養子をとったことが一度もないのです。近世以降、日本の家族には二割五分から四割は婿養子が存在します。婿養子をとるのは血縁の継承よりも、家名の存続に重きを置いているからだと思います。…(略)…
トッド (世界的にみると)直系家族は血統が何代も長く続くことには重きを置いていません。血統よりも、プラグマティックに家業の継続性などのほうが重要だと考える傾向にあります。」(エマニュエル・トッド/磯田道史「日本の人口減少は「直系家族病」だ」『文芸春秋』2016・12月号)

↓↑

<双系制は、家の血のつながりから独立させる。このことは、柳田がいう固有信仰の特性とも関連する。固有信仰では、父系と母系は区別されず、いずれも先祖と見なされる。しかも、このことはたんに、両方を先祖にいれるにとどまらない。むしろ、先祖を血縁と無関係に考えることになる。たとえば、血のつながりがなくても、何らかの「縁」あるいは「愛」があれば、先祖とみなされる。逆にいうと、養子制度が一般に承認されたのも、このような先祖観があったからである。日本では「遠い親戚より近い他人」という考えが一般的である。それは、祖霊に関してもあてはまる。「近い他人」が先祖となりうるのだ。>(柄谷行人著『遊動論』 文春新書)


トッド 日本はドイツと同じ家族システムの国ですが、ひとつ違う点は、イトコ婚(イトコ同士の結婚)の存在です。ドイツのイトコ婚は、ほぼ皆無ですが、日本では歴史的に許容されてきました。第二次大戦直後でも婚姻全体のうち七・二%です。イトコ婚は同じ親族グループ内での結婚(内婚)なので、社会の閉鎖的・内向的な傾向を示すものと考えられています。…(略)…イスラム世界だとイトコ婚は三割ほどを占めるのに対して、ドイツのようにキリスト教文化圏は内婚を厳しく排除します。そう考えると日本の内婚率は、ユダヤ民族と同じくらいの割合ですね。…」(前掲書)

↓↑

<神が人を愛する、というような考えは、呪術や自然信仰から来ることはない。ゆえに、それは先祖信仰から来るというほかない。もちろん、先祖信仰がそのままで普遍宗教となりうるわけではない。そもそも、先祖信仰は限られた氏族の間でしか存立できない。国家社会は、多数の氏族神を超えた超越的な神を必要とする。神の超越化は同時に、祭祀・神官の地位を超越化する。神の超越性は、専制国家の成立とともにさらに強化され、世界帝国はその極に達して、「世界神」が生じる。
 だが、それが普遍宗教かといえば、そうではない。そこには「愛」が欠けている。つまり、神が人を愛する、および人が神を愛する、という関係が存在しない。セム族の宗教、すなわちユダヤ教にそれが存在するのは、そこに、先祖信仰が回復されているからだ。もちろん、それは先祖信仰のままではない。ここでは、先祖信仰がいわば”高次元”で回復されているのである。ゆえに、先祖信仰を否定すれば、普遍的になるというのは錯誤である。>(柄谷前掲書)


トッド …ヨーロッパでも日本におけるのと同じように、直系家族は、数世紀という長い時間をかけて、ゆっくりと定着していったのですが、知識や技術の伝承に長けている家族システムなので、これが広がる過程で社会が飛躍的に進歩します。直系家族とは、継続性と柔軟性を兼ね備えたダイナミックな社会なのです。
磯田 家を継ぐ長男以外は、外に出て仕事を見つけなければなりませんから、直系家族は、近代化に不可欠な工場や軍隊を作るのに、とてもマッチしています。
トッド ところが、直系家族がいったん完全に確立してしまうと、今度は社会全体が継続性だけを重視するようになり、やや「化石」化の傾向に陥りがちなのです。先ほどのスクラップ&ビルドが苦手という話を聞くと、磯田さんは直系家族にあまり肯定的ではないようですが?」


磯田 さらに興味深いのは、組織を守り続ける直系家族社会の中で、”破壊者”の役割を担ったのが、薩摩を中心とした西南日本の勢力だったことです。明治維新を引き起こした革新的エネルギーは、薩摩をはじめ、佐賀、長州、土佐といった中世的な様相を残していた地域から生まれました。
トッド 直系家族というシステムは、核家族がいわば進化した新しい形態なので、それよりも古い原初的な家族システムの残滓が、そうした地域に残っていた可能性もありますね。…(略)…日本の社会が、秩序を重んじる直系家族によって固定化してしまったとき、それを打開するために薩摩の人たちが、あるいは薩摩風の人たちが無秩序というか、フレキシビリティを発揮するのですね。それは直系家族より前に存在した、原初的でアルカイック(古風)な家族システムによるものかもしれません。 
 普段、日本人は非常に規律正しく礼節を重んじる民族ですが、と同時にもっと柔軟で、「自然人」とでも言うべき奔放な側面も併せ持っている気がします。同じ直系家族のドイツやスウェーデンで「自然人」を見つけようとしたら、もっともっと深く地層を掘り返さないといけない(笑)
磯田 なるほど。丸山真男が言うところの「古層」のようなものでしょうか。」

↓↑

<私の考えでは、柳田のいう固有信仰は、出自によって組織される以前の遊動民社会にもとづくものである。母系であれ、父系であれ、出自による集団の組織化は、定住段階に始まった、と考えられる。定住とともに、多数の他者との共存、さらに、不可避的に生じる蓄積、そして、それがもたらす社会的不平等や対立を、互酬的な縛りによって抑えるようになった。だから、そこには、愛があると同時に敵対があるのだ。
 ここから見ると、柳田国男のいう固有信仰の背景には、富と権力の不平等や葛藤がないような社会があった、と推定することができる。それは水田稲作農民の共同体ではなく、それ以前の遊動民の社会である。>(柄谷前掲書)



磯田 …普段は遠く離れて核家族で暮らしているのに、このときだけは日本人は直系家族としての意識を取り戻す。帰省ラッシュがなくなったら、日本の直系家族は消滅すると速水先生が言っていたことを思い出します。
トッド つい最近、日本で直系家族的価値観が今もなお保たれていることを実感した出来事があります。十月十二日に東京電力の施設で火災が発生したために、都内で大規模な停電がありましたね。その時、私はちょうど都内のホテルに滞在していましたが、避難する宿泊客たちの規律正しい姿に驚くと同時に、やっぱり、とも思いました。フランスだったら考えられない事態ですよ。これ
は”ゾンビ直系家族”と言っていいでしょう。家族構造がモダン化した核家族になっていても、直系家族の価値観はなくならない。江戸時代、そうしたイデオロギーはまだ発展途上でした。現在のほうがむしろ、より強くなっているのではないでしょうか。
磯田 もっと細かく見ていくと、私は最近、”ゾンビ万葉集”の可能性もあるのではないかと思っています。
トッド 万葉集? それは何年ごろのものですか?
磯田 七世紀から八世紀ですね。フランスだとフランク王国のメロヴィング朝のころでしょうか。
  なぜ万葉集かというと、直系家族から万葉集の時代のシステムに戻ったものがあるからです。その筆頭が、相続の仕方です。長男が総取りするという直系家族的原則がなくなりました。次に、結婚したら妻の親側の家に住むことが増えてきました。特に子どもが生まれてから移り住む人が多くなった。さらに、おおっぴらに婚前交渉をするようになった。万葉集のころは、日本史上、一番性愛に大らかだった時代ですから。
 一方、変わらなかったのは、親を養うという意識です。実際にそうするかどうかは別として、今でもアンケートをとると「親を養う」という直系家族的な考え方は意外と根強いです。あとは、子どもができたら結婚するという考え方。…」


トッド 核家族システムのフランスでは、親を養おうという意識なんて希薄ですよ。婚外子の存在も普通のことですし、片親でも子育てできる社会システムが整っているので、出生率も二・0一にまで押し上げられています。日本では、直系家族の価値観が、ますます少子化を進めていると思います。歴史人口学者として言っておきますが、日本における最大の問題は、人口減少と少子化です。…(略)…移民をもっと受け入れるべきだとしても、根本的な解決にはなりません。今日の日本社会の最大の問題は、直系家族的な価値観が育児と仕事の両立をさまたげ、少子化を招いていることです。家族のことを家族にばかり任せるのではなく、出生率上昇のために国家が介入すべきです。政府が真っ先に取り組むべきは、経済対策よりも人口問題だと考えます。」

2016年11月11日金曜日

エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(2)

父から孫イツキへの墨絵<登り竜>

「Ⅰ ユーラシア」の「第4章 日本」の個所からのみ抜粋

原型的な……

「縄文時代末期のものと推定される墓穴の中の骸骨の遺伝子分析を用いた最近の研究は、日本の南西部の異なる二つの地域に位置する二つの共同体において、婚姻後の夫婦の居住は双処居住だったことを検証した。」

「喚起された唯一の地域多様性は、いずれも直系家族であるが、遺産相続の変異によってその様態が異なるというものにすぎなかった。男性長子相続は、息子がいない場合の娘による相続を妨げなかった。それは、前工業時代の人口条件の中で二○%の家族に見られた状況である。性別による相続の分析は、日本では養子を相続人とすることが頻繁に行なわれたことによって、込み入ったものとなっている。相続人を養子に取るという手法は、ヨーロッパでは排除されている。…(略)…養子縁組は、実際には、母方居住の入り婿婚を形式化したものであった。これによって、娘による遺産の継承が可能になるのである。養子となる者は、親族の中から選ばれるのではあるが、世帯主の親族から選ばれるのが義務ではなく、時として世帯主の妻の親族の中から選ばれた。父系親族しか養子として認めない朝鮮のシステムとは、非常にかけ離れている。…(略)…日本の標準型では、実際上、女性による相続が二○%に達するということになったわけである。それは<レベル1の父系制>に相当するということになる。」

東北の前提的な……

「日本の北東部で観察されるのは、中国風の父系制の度合いの強い父方居住共同体家族ではない。日本では、北東部でも南西部でも、家族モデルは、必要に応じて女性による財産の相続を許している。実際、いくつかの指標によると、女性の地位は、主要な島である本州の中心部よりも、狭い意味での北東を意味する「東北」で、時としてより高いことがあるように見える。それは日本における絶対長子制、すなわち、女子が最年長なら相続するというあの規則の地域である。彼女の夫は、婿として家族の一員となる(姉家督)。…(略)…それは、兄弟間の不平等の原則と、女性の地位が依然として無視できないという、二つの最も特徴的な直系家族的価値が、中央部よりもはるか北東部で顕著であるという、単純にして正当な理由から言えることである。世帯の目に見える構造を無視して、これらの変数だけに従うならば、北東部の家族はなお一層「直系家族的」であると考えられるだろう。」

「北東部のシステムは、容易に相互に相関しやすい他の特徴を示している。すなわち、父親の引退は早めであり、子どもの結婚年齢もやはり早めである。この慣行はもちろん、世代間の集住を容易にする。早期に引退した父親はまた、家を離れて、同じ囲い地の中の別に切り離された家屋に住むこともある。時には他の子どもも父親について行く。最終的には最も若年の息子が、父親の家を相続する。これが<隠居>の手順である。分離は別々の台所の開設にまで至ることがある。これは、厳密に言えば、人類学者なら二つの核家族があると知覚するはずの事態である。しかし、現地共同体と国家の見方を表現する住民登録簿(戸籍)は、この全体を一つの単位として定義する。跡取り息子が家長でありその代表者ということになる。また。このように次々に起こる核分裂によって出来た世帯の間には、やはりより強くより序列的な繫がりが見られるのである。」

関西前提的な……

「この貴族階級の成員たちによって残された数多くの日記の詳細な分析を行ったマックルーは、きわめて巨大なクランを組織・編成する父系原則と、男性配偶者の住居についての母方居住の優勢との共存を証明することができた。このシステムの中で、支配的なクランである藤原一族は、皇帝一族と連携して、独特の地位を占めていた。マックルーは、人類学における父系制と母方居住の組み合わせの希少性に言及している。とはいえ、…(略)…厳密に言うなら、このような婚姻後居住モデルは、おそらく母方居住屈折を伴う双処居住と定義されるべきものであろうが、しかし、父系原則を含むシステムとしては、それだけでも大したものである。…(略)…しばしば、母方居住的住居様態は、祖父である藤原の者が、自分の娘の息子である未来の皇帝を育てることを可能にしていた。シモーヌ・もクレールは、藤原クランに所属することは、宮廷での地位を獲得するための競争のグラウンドに入場することを許す一つの条件でしかなかったということを示した。藤原一族の中でも、継承規則に関して不明瞭さが支配していた皇帝一族の中でも、堅固な長子相続の原則は全く観察されない。
 一見して複雑なこの布置について、相対的に単純な解釈は可能である。父系原則の導入は、中国の威信によって可能になった。しかし、家族システムがまだ主要部分では双処居住的で、親族システムが双方的であったと考えられる日本の社会の中で、父系制は補償的母方居住反応を生み出した。風俗慣習に関して、女性によって頻繁に書かれた当時の日記を通して感じられるのは、両性の関係という面では均衡がとれているが、中国的父系原則と日本的双方基底との間のある種の二元性の作用を受けている、そうした文化である。この二元性は、文書の中に刻み込まれている。男性の行政文書は中国語で書かれたのに対し、女性の個人的文学は、日本語とカナで書かれたのである。それに、この時代の当初における、女帝の出現と中国との関係の再開とが、同じ時期に起ったというめぐり合わせにも、驚く他ない。」

関東での変移から……

「現在入手可能な歴史データが示すところでは、男性長子相続が本当に日本に、その貴族層の中に登場したのは、鎌倉時代後半になってから、すなわち、十三世紀末から十四世紀初頭までの時期においてであった。」「要するに直系家族の台頭は、中国と同様に、日本でも父方居住現象と女性のステータスの低下の始まりを伴ったわけである。日本は<レベル1の父系制>に達するが、その後、これを越えることはないだろう。親族用語は一般的特徴としては双方的なままである。」

「直系家族の台頭は、農業経済の稠密化と集約化の段階に相当する。十一世紀から十二世紀の大開拓の後、十三世紀半ばに、瀬戸内海沿岸では二毛作が出現する。米を収穫した後、穀物を栽培するわけであるが、これは土地を疲弊させるよりはむしろ豊沃にした。そしてまたしても、戦争は稠密化と直系家族を促進した。」

「長子相続は、京都の宮廷の権威をはねつけた戦士的貴族たちによって<関東>にもたらされたのである。家族の地理的分布が示す微妙な差が、このような仮説を確証してくれる。直系家族が、最も純粋な形態とは言えないまでも、絶対長子制や末子相続のような逸脱的要素をあまり含まない形で存在するのは、<関東>においてである。絶対長子制は、日本の北東部、<東北>の特徴であり、末子相続は、西部では数多くの例が見られるわけであるが。…(略)…本州の人口密度の高い部分の西と東の間の違いは、とはいえ、単線的な直系家族類型の中の微妙な差にすぎない。」

「日本北東部のケースの中に感じられると思われるのは、もともと存在した一時的双処同居を伴う核家族システムの上に、不平等という直系家族的概念が直接的に貼り付けられたということである。もともとの兄弟姉妹の夫婦家族を連合する双処居住集団の痕跡さえ知覚することができる。直系家族的な序列原則が兄弟間の関係の上に直接に取り付けられたようなのである。父親は早期に引退する。<本家・分家>集団の中では、同じ株から枝分かれした世帯間の付き合いが重要となる。娘が長子である場合、その娘を跡取りとする絶対長子制の規則は、それが存在するのであるなら、もともとの双処居住の痕跡に他ならない。先に記述されたような、分離した住居を伴う<隠居>は、核家族間の関係を組織していた柔軟なシステムの痕跡である。
 以上提案された解釈に従うなら、追加的な一時的同居を伴う直系家族は、日本北東部では、それほど必要としていなかった社会に直系家族的概念が輸入された結果であるということになる。」

沖縄から……

「理論面で重要なのは、またしても、接触前線上におけるように、母系制は父系制から、母方居住は父方居住制から生まれているということを確認することである。後にも本書中に、他の例から多数見出されるはずであるが、特に、沖縄島ではより平凡な形態の例が見られる。…(略)…またしても、母方居住制は父方居住制の輸入に対する反動と考えることができるのである。実際にそれ以前に存在した、おそらく双方的であったシステムは、姿を消したのだろう。この母方居住という分離的否定が起こった時期は、日本の権力下であったか、あるいはより早く、中国の影響下の時代においてなのかについて、仮説を立てるのは難しい。」

アイヌ人……

「私としてはアイヌ人の家族を一時的双処同居もしくは近接居住を伴う核家族のカテゴリーに入れるものである。ユーラシアの北東の果てに位置するというその位置取りからして、アイヌ人の家族は周縁部的かつ古代的と定義される。要するにそれは、双処居住集団に組み入れられた核家族を人類の起源的類型と考える本書の全般的仮説を検証するわけである。」

イトコ婚……

「日本の直系家族は、軽度の内婚傾斜を持つところが、ドイツや朝鮮の直系家族と区別される。」

※上のような、人類学的な客観的視点の正当性とその是非の程度と、差異(実感)の強度の具合を、柳田などの古典民俗学的な視点や、日本人としての私から内省してみること。あるいは文学を利用して、たとえば家族をあつかった中上の実践は、人類学的な客観からみてどう当てはまってくるのか、その作品の世界史的な意味、作家の実践的な企図はどのようなものになるのか? アキユキは、どんな価値交換をリュウゾウと果たしたことになるのか? 妹との禁忌、内婚、津島佑子の作品とう、とりあえず図式で追ってみること。絵解きすること。また、第Ⅱ巻のヨーロッパの文脈で、ドストエフスキーのカラマーゾフなどを読み直すとどうなるのだろうか?

・<父(権)>が降りたということが、ソ連の崩壊とともに、中上作品の意味としてその時期言及された。そして、共同体国家(家族)=共産圏が消滅して浮上したのは、本当の敵、自分を支配しているものは母親的なものだ、とも。中上は、血盟団事件(テロ)にかこつけて、「死のれ、死のれ、マザー、マザー」と主人公に歌わせはじめたわけだ。現在、プーチン、ドゥテルテ、トランプとか、父権的な見かけの政治家が出てきているが、実際には権威(象徴)で引っ張るというより、実務的な強引さで民衆をひきつけようとしている点で、女性的とも言える。空威張りより生きた実感を、と。そういう世界的な風潮が、共同体家族(ロシア)、直系家族(日本)、核家族(アメリカ)、という家族形態によってその風潮(思想・価値)の実質が変形されて継承(交換)されていく、ということだ。アメリカのトランプが勝ったのは、地方(田舎)においてである。日本でのトランプ現象と類似しているものは、大阪での橋本運動と、東京での小池運動という都心部においてである、と変移されている。生きた実感をという核家族的な反動が、本場のアメリカと違って、日本の地方では、結婚後でもなお母方居住なり父方居住という直系的な家族システムの歪曲形態の残存(双方的居住)がフィードバックとなっているからで、都心部に暮らす文字通りな<パパーママーボク>の核家族的な現実=苦しい生実感がまだ遮蔽されているからか? もし私が、長屋住まいのようなアパートではない居住地でイツキを育てなくてはならなかったら、どうなっていただろうか? 隣部屋の老夫婦や、大家さんが、子どもの面倒をみてくれて、イツキにも逃げ場がなかったら、どうなっていただろうか? 本当の核家族の価値を教育(価値交換)されてきているわけでもない若い夫婦には、とても残酷な社会として日本はあるだろう。母子家庭であるなら、なおさらなはずである。昨日も、パート従業員の母親を殺めてしまったらしい、16歳の高校男子が飛び降り自殺したという事件が、埼玉県は大宮市であったらしい。日本でのトランプ現象の本当の姿とは、こういうものかもしれない。核家族の孤立保障は、国家的な共同体の支援が社会的前提であるが、直系家族社会では、それはまさに家族(父親)自身に任されてしまうのが価値なのである。