居住している町内会の文化祭に、自著三冊、とその説明文を、出展してみた。
タイトルは、「庭と戦争」。
また戦争か、とふと思いたったのは先月。はからずも、妻への弔いの展示になってしまった。
<庭と戦争>
けれど、古語の意味は、海。
水平線の手前の、平にないだ、漁をする所。転じて、地平線(山の稜線)の手前の、柴刈りに行く所。転じて、家の外の手前の、作業する土間。
海や山に出かけるのに、天気を見誤ったら大変。命がけ。
だからなのか、日和、とも表記された。
けれど、陸続きだったら? 向こう側の人も、あそこは俺の庭だ! と言うかもしれません。
つまり、それではすみません。命がけ。
島国の外から現れた巨人(大陸側の最終兵器)が、「人を喰う話」です。
その世界大戦の様は、にわ、という言葉の意味をめぐって、なされているのかもしれません。
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※ ようやくというべきか、業界と結び付いているような造園学会の<にわ>理解とは一線を画す、若手の研究者たちが現れてきた。若い人たちのほうが、辞書を引けば普通にでてくる<にわ>という起源的な語義の意味をふまえて、未来を思考=志向している、と私は思う。
参照文献;
福嶋亮大 『思考の庭のつくりかた はじめての人文学ガイド』 星海社新書
腹瑠璃彦 『日本庭園をめぐる デジタル・アーカイヴの可能性』 ハヤカワ新書
『州浜論』 作品社
山内朋樹 『庭のかたちが生まれるとき』
*ちなみに、出展した私の冊子『庭へむけて』『パパ、せんそうって、わかる?』『人を喰う話2』は、もともとは電子ブックとして、スマホで見られる形式のものなので、<bccks 知人書房>で検索すれば、無料で読むことができます。