2015年1月27日火曜日

イスラム国の人質

「人間が戦争を呪うのは当然だ。呪わぬ者は人間ではない。否応なく、いのちを強要される。私は無償の行為とったが、それが至高の人の姿であるにしても多くの人はむしろ平凡を愛しており、小さな家庭の小さな平和を愛しているのだ。かかる人々を強要して体当りをさせる。暴力の極であり、私とて、最大の怒りをもってこれを呪うものである。そして恐らく大部分の兵隊が戦争を呪ったにきまっている。
 けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れる考え方も必要だと思っている。なぜなら彼等は強要せられた、人間ではなく人形として否応いやおうなく強要せられた。だが、その次に始まったのは彼個人の凄絶せいぜつな死との格闘、人間の苦悩で、強要によって起りはしたが、燃焼はそれ自体であり、強要と切り離して、それ自体として見ることも可能だという考えである。否、私はむしろ切り離して、それ自体として見ることが正当で、格闘のあげくの殉国の情熱を最大の讃美をもって敬愛したいと思うのだ。」(坂口安吾著「特攻隊に捧ぐ」http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45201_22667.html)

やはりその二人の人質事件の画像を見て以来、元気がでない。今日は雨だが、午後から仕事だ。書く時間も気力もままならないだろうので、この件をめぐって連絡くれた友人への応答メールから引用する。

後藤さんは、「白痴(ばか)」を助けにいったのですね。奥さんが赤ちゃん孕んでいるというのに。香田さんとは違って、もう四十過ぎで、私と同じ歳ですね。若い人がいったわけではない。自分の決断で、まさにバカを反復(切腹)してみせた。そう以前の絵本とおなじように理解していいのかさえ、混乱してきます。だけどたぶん、国家を超えた倫理のほうを、信じて死にたい、そういう死に場所を探して生きていたのかもしれませんね。とにかく、もう大人です。私は後藤さんの謎を追求してみたいとおもわない。それよりももっと教養的に、中東からの世界情勢を、もっと正鵠に理解しないとな、とおもいます。アルカイダにせよイスラム国にせよ、それはアメリカ(イスラエル)が支援しているアラブまがい世界ですね。その世界での内ゲバみたいなものだ、革マル派と何とか派みたいなものとおもえば日本人にはイメージしやすい、とか佐藤優氏がいっていたようにおもいます。イランは、アラブではなく、ペルシャ帝国を復活させたいんだと。われわれは、まるで古代史を生き始めているようで、単純に勉学的についていけなくなっている。
最近、NAMについての回顧が目立つな、とは怪訝におもっていました。「社会運動」とかいう雑誌でも、柄谷本人が何か連載しているようですね。NAMとそれ以後の理論的仕事が、東欧や中東、そして中国や韓国で評価されているようなことを、柄谷本人がいってきたわけですが、また敢えてそう言うことの意味についての考察はまだ置いておく、とか私は言ってたのですが、そのことの意味が、まさにイスラム国とかの台頭現象がみえて、はっきりしてきているような気がします。柄谷氏の理論的洞察がそれを予見し処方しようとしている、のではなくて、むしろ逆で、そうしたインテリの構え自体をパロディーしているのだとおもいます。そのこと自体が、むしろNAM解散時のずっこけとして見えていた、その極大的な現実化、がイスラム国なんじゃないか? そこは、国家を捨ててきた、単独的な、傭兵たちが集い、資本と国家に対抗している組織で、そこに、香田氏をはじめ(そのときはなおイラクという国家があったわけですが)、ハルナさんだの後藤氏が、また単独的に出向いている。だから、同僚なんだとおもいます。ただ他の国の知識人は、将来的な理論を柄谷氏に読んでいるというのだから、解散のずっこけ体験を理解してもらうのは、難しいだろうな、とおもいます。イスラム国だって、ずっこける、のではないか? むろん、そこにこそ深刻さがあるわけで、つまり、古代史があるわけで、つまり、マルクスの知性は人間の生きのびていく知力として廃れないとはいえ、レーニン的な実践は、単にずっこけにしかならない古代史がやってきている、ということではないか? 柄谷はそこを、知的体系としてではなく、物語っている、だけにしかならない、という本人の意図をこえたところでは、歴史の動きには触れていることになるのかもしれない。と、私自身がでかい話、曖昧な物語推論しかできなくなる、というの が、昨今なんではないか?>

たしか10年ほどまえのイラク戦争のとき、ファルージャというバグダッドの西方に位置する都市でのアメリカ有志連合部隊への抵抗について、その石工たちが中心となった市民組織について、自身のホームページで何か発言した覚えがあるが、さがせなかった。いまそこは、イスラム国の統治下にあるようだ。というか、もともと、その石工職人たちの国際的なネットワークがあっただろうそこは、抵抗の最前線のひとつだった。当時人質として捕まった四人の若者の一人、高遠氏がなお、その都市への支援を中心に、情報を発信しているようだ。

イスラム国が、ドゥルーズをはじめとしたポスト・モダン思想のパロディーであるというような批判認識は、私だけではないようだ。友人のツイッターでもそう認識されている。かつてNAM解散時後、柄谷氏は、アルカイダが一番NAM的だとか言ったといい、最近でも、スガ氏が、いまもっとも批評的なのはイスラム国だと言い放ったそうだときいている。しかしどちらにせよ、イスラム国にせよ、つまり近代の政治とが、プラトンの哲学者政治のパロディー的実現だったともいえるならば、ゆえに、国家もそれを越えようとする知識人の運動もすでに失墜されるべくなっているのではないだろうか? 安部はバカではない、大学でのインテリであることにおいて、かわりなく、そうしたものが主権を操れるのは、近代の政治枠組みによってだろうから。

「家庭の幸福は諸悪のもと」……友人がメールでくれた安吾の言葉のほかに、私はやはり太宰のそんな警句をおもいだす。後藤氏は、特攻隊員のように、国家に殉じようとしているのではないだろうけれど、覚悟には、安吾が洞察してみせる葛藤と決断があっただろう。彼はおそらく、自分の友人たちに、首をさしだしにいったのだ。

2015年1月8日木曜日

サルのホームと原発社会

「それでも、恐怖心を一〇〇%取り除きたいと言うのなら、原発を完全に放棄する以外に方法はありません。それはどんな人でも分かっている。しかし、止めてしまったらどうなるか。恐怖感は消えるでしょうが、文明を発展させてきた長年の努力は水泡に帰してしまう。人類が培ってきた核開発の技術もすべて意味がなくなってしまう。それは人間が猿から別れて発達し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです。」(吉本隆明著『反原発異論』 論創社)

「サルの社会は、個体の欲求を優先します。個体にとっての利益とは、「なるべく栄養価の高いものを食べること」と「安全であること」です。…(略)…弱いものにしてみても、食べ物をめぐって無駄に争うよりは、遠慮したほうが結局は得だという知恵があるのです。/ これは非常に経済的なシステムです。絶対的な序列の中にいるから、効率がいい。サルが群れているのは、集まっていたほうが得だからにすぎません。その証拠に、サルは群れから一度離れれば、その集団に対する愛着を示すことは一切ありません。」(山極寿一著『「サル化」する人間社会』 集英社インターナショナル)

ホーム、ということを、昨年末のブログにつづき、もう少し考えてみたくなった。いや、なお考えていることに気づかされて、この冬休みの際(13日までで子供よりながい)に、もっと突っ込みをいれてみようと。昨年は、算数や高校数学までの復習をやりはじめ、数学理論書の概説書や柄谷氏の「内省と遡行」なども昨日は読んでいた。それがなぜなのか、「ホーム」ということに、どうつながるのか、といまようやく思い至ったのである。

まず私は、ホーム、ということを、サルから考えようとしていたことがかつてあったはずだ、とおもいだした。探してみると、それは、柄谷氏の『世界史の構造』への感想文として提示されている。そこでは、エマニュエル・トッド氏の『世界像革命〔家族人類学の挑戦〕』(藤原書店)が引用され、大家族から近代への核家族へとむかうという通念とはちがって、むしろ人類の原初期の方こそが核家族であったこと、そしてその上での引用として京都大学学術出版会の『集団ー―人類社会の進化』から、その人類学的新知見が、類人猿の研究成果からも後押しされている、と指摘した。サルからヒトへの初期段階、なおサルの生活形態を継承していたかもしれない人類は、父ー母ー子を中心とした、核家族的、単雄単雌集団で縄張りを形成していた、という仮説を。だからならば、近代化してこそサル化に再び近づいた我々は、なおサルのままでいるものたちのサル知恵から学ぶべきことがあるのではないか、とサルを肯定評価したのだった。

ところが、この冬休み中に読んだ、冒頭引用した二著者は、サル化に否定的である。吉本氏は、原発開発をやめることは、サルにもどってしまうことだと批判し、逆に山極氏は、そうしたアトム(個人)化がサル社会に近づくことだと批判するのである。資本主義の個人利害優先の進展と、その自然的限界を乗り越えて資源問題を解決していくため、原発技術を基礎的に据えていこうとする社会に対し、行くも退くも「サル」だということだ。もちろん、私がいう「サル」と、山極氏のいう「サル」は意味がちがう。山極氏によれば、私のいう「サル」はゴリラ的であり、研究者はそこを区別し、氏自身の批判する「サル化」のサルとは日本猿のような分類に属するものである。そしてその両サルの違いは、前者(ゴリラ)は核家族的集団であり(現歴史での実際は単雄複雌的)、後者のサルは単に個的な群れであって、集団的なアイデンティティーはない、とされる。ならば、このサル内の区別は、核家族的な近代と、個人=群としての、ドゥルーズ的なかつてのポスト・モダンという概念上の区別ともつながる。むろん後者は、その実践結果としては、資本主義の形式的な戯れ進行を肯定してきたわけだ。吉本氏も、この人類の歴史の進展は不可逆だとして、そのアトム化を、文明論・技術史的に首肯している、ということだろう。しかし、比喩的には「ヒトからサルへ」となるだろう近代を起点とした進化は、本当に不可逆なのだろうか? 原発を開発させた技術の根底には、数学史上の変転、数学基礎論として問われた根底的な問いからの解放として、つまりは、対象の真実を極めるという真剣さからの解放として、そのアイデア体系が無矛盾ならばよしとする形式的な戯れ態度の受容がある。
数学者の岡潔氏は、その数学者の態度変更を批判していたわけだ。高瀬正仁氏は、その岡氏と、カルタンに代表されるような形式主義的態度の数学者を区別し、前者を評価する。前者とは「わかる」という「発見の喜び」があり、その感情が共有されうるが、後者は「理論は簡単な論理の連なりであるから難解ということはありえず、だれにもやすやすと受け入れられる」が、その「論理の連なりが非常に長いため、途中で退屈のあまり放り出してしまいたくなることはある。車の運転を習ったり、コンピューターの使い方に習熟するという感じ」で、「機械操作」だと(『近代数学史の成立』東京図書)。この感じの区別は、山極氏のヒトとサルとの区別と似ているだろう。前者は他者と共感しえる集団性をもつが、後者は個人的な習熟や満足=満腹で終わってしまうと。そしてこの後者の数学が現今にいたるまでの科学技術を支え、我々はそこで唯一その数学態度を有益的として存続証明してみせている原発社会を生きている、ということになるのである。ならば、吉本氏の前提とする不可逆史観は、少なくとも数学基礎論的には、むしろ怪しい、というべきだろう。むろん、我々はもはや何万年と消えない原子力のゴミを抱え込んでいるのだから、実際的には、吉本氏の常識に反論することはできない。可逆だ、その近代の起点に帰ってやり直すこと、今の態度を変えることは可能なのだ、といっても、それはまさに言っているだけにしかならないのである。つまり、我々にできることは、ただ態度を変更することだけなのである。その実現した態度変更が何百年とつづけば、何万年後に原子力のゴミの害がなくなったときに、洗浄されたユートピア社会が実際的に機能してくるだろう、と夢見ることができる、ということか?

少なくとも、たとえ原発社会からもはや脱出することが不可能であっても、私達はやはり、ホームということ、他者と共感しえる喜びのある社会のほうがましだろう、それをめざそう、と思わざるを得ない。志向=思考せざるをえない。津波のなかでの逃げまどいと、放射能からの逃げまどいには、違いがあったろう。前者は助け合いだったり人間の尊厳がみられたが、後者の際には、夫婦の間でさえ考えの違いが問われ露わにされ、つまりは人をアトムとして孤立させて対立させてきたのではないだろうか? この逃走、夫婦喧嘩のなかで、私たちは、もう原発社会はこりごりだ、とおもわなかっただろうか? その感情は、もはや原発社会から抜け出せない、という史的事実とは、別次元にある、違う位相にある態度を要請しないか? 少なくともその根底にある感情は、「恐怖心」ではなく、もういやだ、ということである。そしてフロイトは、それこそが「戦争」に反対しえる不可逆な態度だ、とアインシュタインとのやりとりで表明したことなのだった

数学をはじめからやり直そう、おそらく昨年、私が算数からやり直しはじめたのには、そんな願いがあったからだと、いまわかるのだった。

2015年1月7日水曜日

初夢と老い

「いふまでもなく戦争の為に倒れたものの大部分は血気盛んな若者であるから、その落ちつく先は皆幽界じゃ。目下幽界に入って来る霊魂の数は雲霞の如し、しかも大抵急死を遂げて居るので、何れも皆増悪の念に燃ゆるものばかり、そのものすごい状態は実に想像に余りある。多くの者は自分の死の自覚さへもなく、周囲の状況が変化して居るのを見て、負傷の為に一時頭脳が狂って居るのだ、位に考えてゐる。/が、霊界がこの戦争の為に受くる影響は直接ではない。新たに死んだ人達を救うべく、力量のある者がそれぞれ召集令を受けて幽界の方面に出動することがこちらの仕事ぢゃ。すでに無数の義勇軍は幽界へ向けて進発した。目下はその大部分は霊界の上の二境からのみ選抜されているが、やがて私達の境涯からも出て行くに相違ない。」(『死後の世界――浅野和三郎著作集②――』 潮文社 *旧字は新字に改め。)

正月に実家に帰って、久しぶりに父親の姿をみてショックだったのは、もう半分はあっちの世界に入っているな、と感じられてきたことだった。身動きが緩慢で、ぼけっとしている状態が多い。なんとか残存している細胞で、この世を見ている、といった様子だ。そのうち、家族の名前や顔もおもいだす力がなくなってしまうのでは、とおもわれた。私自身、昨年は、自身の体力の衰弱を思い知らされた年だった。もう、子供のサッカーコーチでも、ゲームの中に入れないどころか、キーパーさえおぼつかない。持久力は回復してきているのだが、息があがらなくても、筋肉がついていっていない。無理してやって、たとえその練習中は無事のりきれても、夜寝床に入ると、突然両足がつりだして、にっちもさっちもいかなくなってしまう。そんなやばいという恐怖感を何度か味わうと、もう怖くて参加できなくなるのだった。まだなお40代の私でさえこんななのだから、60歳を過ぎた親方や団塊世代の職人さんはどうなんだろう、と考える。弱音は吐かない人たちだ。たまに仕事にでてくるような親方でさえ去年、神社の椎の木をチェンソーで伐採するにあたっては、枝おろしは私がやったけれど、最後は自分で仕上げていった。怪訝におもっていたのだが、年末の仕事納めの飲み会の席で、神社の木を切ると縁起がわるいことが起きるといわれているから俺がやったんだ、死ぬのなら、まだ俺の方がいいだろう、しかし、こうやってまだ生きているところをみると、まだ呼ばれてないんだな、やることがあるんだろう。俺は、そういう仕事を金のために引き受けてきた。困った客がいて、その人がきちんとそれにみあった額を用意してくれるのなら、やってやる。何もおきやしねえよ。手入れしているでかく育った樹を切る場合は祝詞をあげて、実生で生えてきたやっかいな雑木は平気で抜いていく。それで、何か起きたか? おかしくないか? みんな同じじゃないか。……これは、神を信じているということなのか? 無神論なのか? しかし、職人の仕事で身につけられる超越的感覚とはこのようなものである。私自身、いつしかそんな考えが身についている。経験を積む老年期に近づくにつれ、死ぬかもという危険にともなう恐怖感は遠のいていく。慣れてきたのではない。体力の衰弱が、細胞のたくさんの死が、そう身体をこわばらせることを面倒というか、厭うのである。これは、死を身近に親しむようになった、哲学なのだろうか?

「しかしならば」、と私は正月の寝床で考えた。自分が青年期に経験してきた、あの死の想い、自殺という想念の現実はなんであったのだろうか? あれは、こんな静かなものではなかった。激しいものだった。私は、考えをすすめる。老いは、死に近づくのではなく、死を忘れさせようとしているのではないだろうか? 赤ん坊だろうが、死をまだ知らない子供だろうが、元気な人だろうが、それはすぐ自分の横に、いつでもくっついている。いつそっちの世界にいくのか、誰もしらない、そんな世界がすぐ隣に横たわっている。……そう考えにいたったとき、私は、今年はどうも記憶に残しておく必要もない初夢でおわったのだな、となおさら頭の向こうにおいやっていた今年の初夢を、夜半に起きてトイレにいくさい思い出そうとしてなかなかおもいだせなかったその断片に思い当った。私は、小石の堆積した川辺で、かつて少年期の野球友達や、いま息子と一緒に教えている子供たちと、サッカーをしていた。別にサッカーボールがあるわけではなく、ポジションについているわけでもなく、ただ集まっているだけなのだが、私はそれをサッカーと認識していた。思い出せたただそれだけの夢の跡。が、それは川べりだった。トイレで小便をしながら、私は、その川が氾濫し、洪水になるつづきが、なぜ夢の中ではおきなかったのか、その続きをみれなかったのか、と考えなかったろうか? 私は、現実的には、その妄想を小便として水に流せる健全さを保っている。が、夢の中では、青年期の頃みた夢の表象の反復が、川として、水として、相変わらず潜伏・潜在していたのだった。私の、この老いにおける健全さが、忘れさせてくれているだけだ。あの死は、のっぺりと横たわっている死の世界は、私のなかに、隣に、いつでも準備されてある。……

死への想像は、人を宗教的な、すなわち守銭奴的な経済活動へと熱狂させもするだろう。そうしたことすべてを、老いによる衰弱は、細胞の死の群れが、忘れさせていく、かかずらわないようにしむけていく……つまりは、それに抵抗する実践をもしりぞけ、静かな哲学に埋没させるように。そこには、何か自然の、身体の智慧があるのかもしれない。が、その、老いと死は別物だとは、考えてみれば歴然とした区別ではないか? さらに、、その区別を混同して、何もしないできないと自然な境地へと身を任せることは、人間の倫理として、果たしていいことなのかどうか?

偉大な思想家は、60歳をすぎた死を前にするようになって、突然的にそれまでの理論を切断し、決定的な差異を導入し転回する、という意見がある。人間の精神を問題にした、フロイトがその一人であるといわれる。そのとき、彼が根底に導入したのが、タナトゥスという死の衝動だった。その激しさは、むしろ若いうちにこそ、くる。「目覚めろ!」と、私の青年期が、老年の近づいた中年の私に叱咤しているようだ。むろんそれは、初夢からくるのではなくて、それを分析している考える自分からくるのである。