けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れる考え方も必要だと思っている。なぜなら彼等は強要せられた、人間ではなく人形として
やはりその二人の人質事件の画像を見て以来、元気がでない。今日は雨だが、午後から仕事だ。書く時間も気力もままならないだろうので、この件をめぐって連絡くれた友人への応答メールから引用する。
<後藤さんは、「白痴(ばか)」を助けにいったのですね。奥さんが赤ちゃん孕んでいるというのに。香田さんとは違って、もう四十過ぎで、私と同じ歳ですね。若い人がいったわけではない。自分の決断で、まさにバカを反復(切腹)してみせた。そう以前の絵本とおなじように理解していいのかさえ、混乱してきます。だけどたぶん、国家を超えた倫理のほうを、信じて死にたい、そういう死に場所を探して生きていたのかもしれませんね。とにかく、もう大人です。私は後藤さんの謎を追求してみたいとおもわない。それよりももっと教養的に、中東からの世界情勢を、もっと正鵠に理解しないとな、とおもいます。アルカイダにせよイスラム国にせよ、それはアメリカ(イスラエル)が支援しているアラブまがい世界ですね。その世界での内ゲバみたいなものだ、革マル派と何とか派みたいなものとおもえば日本人にはイメージしやすい、とか佐藤優氏がいっていたようにおもいます。イランは、アラブではなく、ペルシャ帝国を復活させたいんだと。われわれは、まるで古代史を生き始めているようで、単純に勉学的についていけなくなっている。
最近、NAMについての回顧が目立つな、とは怪訝におもっていました。「社会運動」とかいう雑誌でも、柄谷本人が何か連載しているようですね。NAMとそれ以後の理論的仕事が、東欧や中東、そして中国や韓国で評価されているようなことを、柄谷本人がいってきたわけですが、また敢えてそう言うことの意味についての考察はまだ置いておく、とか私は言ってたのですが、そのことの意味が、まさにイスラム国とかの台頭現象がみえて、はっきりしてきているような気がします。柄谷氏の理論的洞察がそれを予見し処方しようとしている、のではなくて、むしろ逆で、そうしたインテリの構え自体をパロディーしているのだとおもいます。そのこと自体が、むしろNAM解散時のずっこけとして見えていた、その極大的な現実化、がイスラム国なんじゃないか? そこは、国家を捨ててきた、単独的な、傭兵たちが集い、資本と国家に対抗している組織で、そこに、香田氏をはじめ(そのときはなおイラクという国家があったわけですが)、ハルナさんだの後藤氏が、また単独的に出向いている。だから、同僚なんだとおもいます。ただ他の国の知識人は、将来的な理論を柄谷氏に読んでいるというのだから、解散のずっこけ体験を理解してもらうのは、難しいだろうな、とおもいます。イスラム国だって、ずっこける、のではないか? むろん、そこにこそ深刻さがあるわけで、つまり、古代史があるわけで、つまり、マルクスの知性は人間の生きのびていく知力として廃れないとはいえ、レーニン的な実践は、単にずっこけにしかならない古代史がやってきている、ということではないか? 柄谷はそこを、知的体系としてではなく、物語っている、だけにしかならない、という本人の意図をこえたところでは、歴史の動きには触れていることになるのかもしれない。と、私自身がでかい話、曖昧な物語推論しかできなくなる、というの が、昨今なんではないか?>
たしか10年ほどまえのイラク戦争のとき、ファルージャというバグダッドの西方に位置する都市でのアメリカ有志連合部隊への抵抗について、その石工たちが中心となった市民組織について、自身のホームページで何か発言した覚えがあるが、さがせなかった。いまそこは、イスラム国の統治下にあるようだ。というか、もともと、その石工職人たちの国際的なネットワークがあっただろうそこは、抵抗の最前線のひとつだった。当時人質として捕まった四人の若者の一人、高遠氏がなお、その都市への支援を中心に、情報を発信しているようだ。
イスラム国が、ドゥルーズをはじめとしたポスト・モダン思想のパロディーであるというような批判認識は、私だけではないようだ。友人のツイッターでもそう認識されている。かつてNAM解散時後、柄谷氏は、アルカイダが一番NAM的だとか言ったといい、最近でも、スガ氏が、いまもっとも批評的なのはイスラム国だと言い放ったそうだときいている。しかしどちらにせよ、イスラム国にせよ、つまり近代の政治とが、プラトンの哲学者政治のパロディー的実現だったともいえるならば、ゆえに、国家もそれを越えようとする知識人の運動もすでに失墜されるべくなっているのではないだろうか? 安部はバカではない、大学でのインテリであることにおいて、かわりなく、そうしたものが主権を操れるのは、近代の政治枠組みによってだろうから。
「家庭の幸福は諸悪のもと」……友人がメールでくれた安吾の言葉のほかに、私はやはり太宰のそんな警句をおもいだす。後藤氏は、特攻隊員のように、国家に殉じようとしているのではないだろうけれど、覚悟には、安吾が洞察してみせる葛藤と決断があっただろう。彼はおそらく、自分の友人たちに、首をさしだしにいったのだ。
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