「いふまでもなく戦争の為に倒れたものの大部分は血気盛んな若者であるから、その落ちつく先は皆幽界じゃ。目下幽界に入って来る霊魂の数は雲霞の如し、しかも大抵急死を遂げて居るので、何れも皆増悪の念に燃ゆるものばかり、そのものすごい状態は実に想像に余りある。多くの者は自分の死の自覚さへもなく、周囲の状況が変化して居るのを見て、負傷の為に一時頭脳が狂って居るのだ、位に考えてゐる。/が、霊界がこの戦争の為に受くる影響は直接ではない。新たに死んだ人達を救うべく、力量のある者がそれぞれ召集令を受けて幽界の方面に出動することがこちらの仕事ぢゃ。すでに無数の義勇軍は幽界へ向けて進発した。目下はその大部分は霊界の上の二境からのみ選抜されているが、やがて私達の境涯からも出て行くに相違ない。」(『死後の世界――浅野和三郎著作集②――』 潮文社 *旧字は新字に改め。)
正月に実家に帰って、久しぶりに父親の姿をみてショックだったのは、もう半分はあっちの世界に入っているな、と感じられてきたことだった。身動きが緩慢で、ぼけっとしている状態が多い。なんとか残存している細胞で、この世を見ている、といった様子だ。そのうち、家族の名前や顔もおもいだす力がなくなってしまうのでは、とおもわれた。私自身、昨年は、自身の体力の衰弱を思い知らされた年だった。もう、子供のサッカーコーチでも、ゲームの中に入れないどころか、キーパーさえおぼつかない。持久力は回復してきているのだが、息があがらなくても、筋肉がついていっていない。無理してやって、たとえその練習中は無事のりきれても、夜寝床に入ると、突然両足がつりだして、にっちもさっちもいかなくなってしまう。そんなやばいという恐怖感を何度か味わうと、もう怖くて参加できなくなるのだった。まだなお40代の私でさえこんななのだから、60歳を過ぎた親方や団塊世代の職人さんはどうなんだろう、と考える。弱音は吐かない人たちだ。たまに仕事にでてくるような親方でさえ去年、神社の椎の木をチェンソーで伐採するにあたっては、枝おろしは私がやったけれど、最後は自分で仕上げていった。怪訝におもっていたのだが、年末の仕事納めの飲み会の席で、神社の木を切ると縁起がわるいことが起きるといわれているから俺がやったんだ、死ぬのなら、まだ俺の方がいいだろう、しかし、こうやってまだ生きているところをみると、まだ呼ばれてないんだな、やることがあるんだろう。俺は、そういう仕事を金のために引き受けてきた。困った客がいて、その人がきちんとそれにみあった額を用意してくれるのなら、やってやる。何もおきやしねえよ。手入れしているでかく育った樹を切る場合は祝詞をあげて、実生で生えてきたやっかいな雑木は平気で抜いていく。それで、何か起きたか? おかしくないか? みんな同じじゃないか。……これは、神を信じているということなのか? 無神論なのか? しかし、職人の仕事で身につけられる超越的感覚とはこのようなものである。私自身、いつしかそんな考えが身についている。経験を積む老年期に近づくにつれ、死ぬかもという危険にともなう恐怖感は遠のいていく。慣れてきたのではない。体力の衰弱が、細胞のたくさんの死が、そう身体をこわばらせることを面倒というか、厭うのである。これは、死を身近に親しむようになった、哲学なのだろうか?
「しかしならば」、と私は正月の寝床で考えた。自分が青年期に経験してきた、あの死の想い、自殺という想念の現実はなんであったのだろうか? あれは、こんな静かなものではなかった。激しいものだった。私は、考えをすすめる。老いは、死に近づくのではなく、死を忘れさせようとしているのではないだろうか? 赤ん坊だろうが、死をまだ知らない子供だろうが、元気な人だろうが、それはすぐ自分の横に、いつでもくっついている。いつそっちの世界にいくのか、誰もしらない、そんな世界がすぐ隣に横たわっている。……そう考えにいたったとき、私は、今年はどうも記憶に残しておく必要もない初夢でおわったのだな、となおさら頭の向こうにおいやっていた今年の初夢を、夜半に起きてトイレにいくさい思い出そうとしてなかなかおもいだせなかったその断片に思い当った。私は、小石の堆積した川辺で、かつて少年期の野球友達や、いま息子と一緒に教えている子供たちと、サッカーをしていた。別にサッカーボールがあるわけではなく、ポジションについているわけでもなく、ただ集まっているだけなのだが、私はそれをサッカーと認識していた。思い出せたただそれだけの夢の跡。が、それは川べりだった。トイレで小便をしながら、私は、その川が氾濫し、洪水になるつづきが、なぜ夢の中ではおきなかったのか、その続きをみれなかったのか、と考えなかったろうか? 私は、現実的には、その妄想を小便として水に流せる健全さを保っている。が、夢の中では、青年期の頃みた夢の表象の反復が、川として、水として、相変わらず潜伏・潜在していたのだった。私の、この老いにおける健全さが、忘れさせてくれているだけだ。あの死は、のっぺりと横たわっている死の世界は、私のなかに、隣に、いつでも準備されてある。……
死への想像は、人を宗教的な、すなわち守銭奴的な経済活動へと熱狂させもするだろう。そうしたことすべてを、老いによる衰弱は、細胞の死の群れが、忘れさせていく、かかずらわないようにしむけていく……つまりは、それに抵抗する実践をもしりぞけ、静かな哲学に埋没させるように。そこには、何か自然の、身体の智慧があるのかもしれない。が、その、老いと死は別物だとは、考えてみれば歴然とした区別ではないか? さらに、、その区別を混同して、何もしないできないと自然な境地へと身を任せることは、人間の倫理として、果たしていいことなのかどうか?
偉大な思想家は、60歳をすぎた死を前にするようになって、突然的にそれまでの理論を切断し、決定的な差異を導入し転回する、という意見がある。人間の精神を問題にした、フロイトがその一人であるといわれる。そのとき、彼が根底に導入したのが、タナトゥスという死の衝動だった。その激しさは、むしろ若いうちにこそ、くる。「目覚めろ!」と、私の青年期が、老年の近づいた中年の私に叱咤しているようだ。むろんそれは、初夢からくるのではなくて、それを分析している考える自分からくるのである。
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