2012年8月13日月曜日
生態と胆(共同体と個人)――柄谷行人と渡辺京二
「なぜなら前五世紀の前半を通じて「思想家」たちが生まれ生きたのは、アテナイではなく他の都市だったからである。この新しい人間タイプができあがったのはアテナイ以外の都市においてなのだ。この新しいタイプの人間と、彼が住んでいた都市とのあいだの関係はどのようなものであったのか、われわれにはとんと思い浮かばない。ただ、前四世紀以来「思想家」とアテナイとの関係が示しているものとはまったく別のものではないかと疑わせるだけのわずかな根拠はある。われわれが手にしているのはきわめてわずかな情報だが、その大部分が、こちらの都市からあちらの都市へと移動したり、あるいは政治闘争に介入している思想家の姿を描いているという事実は、それ以外には解釈できないのである。このことは、前四〇〇年以後、哲学者たちが圧倒的にアテナイに定住したことと対照的である。/ つまりわれわれは、まさに「思想家」の社会的な姿が形成された六〇年間に関して、何も知らないのだ。こうした無知は、ただ一つの情報の光に浴した都市であるアテナイが、こと「思想」に関するかぎりギリシア世界の周辺より遅れた都市であったという事実に帰せられる。思想がその教説の糸を織りはじめてから一世紀半が経過したが、アテナイの人々は「思想家」の経験をいまだに持っていなかったのである。そのためには、前四六〇年ごろ、すべての善き貴族が持つ善良なる俗物根性に動かされて、ペリクレスがアナクサゴラスをアテナイに呼び寄せる必要があった。それから少し後の前四四〇ねんごろには、事態はすでにじゅうぶんはっきりしてきて、われわれの前に思想家が社会的姿をまとって、つまり人民(demos)が見、認める新しいタイプの人間として登場してくる。しかしだからと言って、彼らの見方が適切なものだったというわけではない。そんなことはありえない。/ ところでそうした体験は、アテナイの人々のように根っから反動的で、伝統的信念にしがみついている「人民」がくぐり抜けるには、実に不快な体験であった。」(『哲学の起源』 ホセ・オルテガ・イ・ガセット著 佐々木孝訳 法政大学出版局)
文芸誌誌上で連載していた柄谷行人氏の「哲学の起源」という論考が、上引用のオルテガの問題提起を受け継ぐように書かれているのは、その同名のタイトルからして推し量られる。その哲学史の古典的な本道を刷新するような批評を書くこと事態になんらかの学問的野心があったとしても、その実際的文脈を、われわれは推論的になぞってみることができる。単独者という構えに傾きすぎたきらいのあったは氏は、NAM失敗後、むしろ共同体(封建)的な在り方を再考することに重点をおきはじめたが、最近になって、また単独者(個人)の方をもやはり握持しておかなくてはならない、とおもいなおしたかのようだ。と、朝日新聞などの書評等を読むと、推論したくなる。震災後の状況(相互扶助ユートピア)から、原発事故後の成り行き(アナーキックな、個人自然発生的な大衆運動としてのデモ)が、極左主義者や芸術家といった活動的「思想家」の評価への態度へと変転していったと。以前はそうした活動家を馬鹿にしていたわけだから、状況への対応によって自身の言説が再編成される、といったインテリ的態度に、私はあまり興味がない。どういうことかというと……
たとえば、学生の頃、文芸批評家の渡辺直己の授業で、美人批判というものがあった。美人がおとしめられている、というのである。私はいったいどこの話のことなのかとおもった。まわりの男の間で、そんなことはまったくない。やはりおとしめられているのはブスである。なのに、なんで美人を批判する論を批判する構えというのが成立するのか? 要は、左翼運動失墜後、そういう平等的な正義を背景にしたような言説がジャーナリズム界で支配的な前提になっていて、それに対してなのだ。つまり、あくまで美人をもちあげている世の中そのものに対峙しているわけではないのである。柄谷氏の『日本近代文学の起源』なども、そのような言説世界に対するインテリ的対応である。そのように、一部の言葉世界を操作することによって自身のポジションを定立しようと試みるインテリ世界とは別の次元で言葉を発してきた渡辺京二氏は、どのような対応を、たとえばこの震災・原発事故にみせただろうか? 近世社会の生態をみつめ、水俣病患者と長年共闘してきた氏には、強いて言うこともなく、むしろジャーナリズム世界の言説にはうんざりしているようだ。
渡辺氏のポストモダン批判の言葉を読むと、柄谷氏の、外国人固有名と引用だらけの文体を徹底的に嫌悪している様がみてとれる。が、氏の文章のなかで、私の知る限り一度、柄谷氏の「日本近代文学の起源」を肯定的に引用している箇所がある。その文を読む限り、渡辺氏は、柄谷氏の知性に一目おいていることが見て取れる。私の感性では、両氏の洞察の仕方に、どこか類似性があるのである。それは、実は身近な日常的な場所から普遍的な考察がはじめられていることだ。柄谷氏の引用だらけの文章のなかで、一番面白いのは、そのわかりやすいアフォリズム的な比喩である。イエスの麦種のたとえ話のような。それと、両者の思考の根幹にあるのが、人間(自己)を突き放したところにある、ユーモアある生態的な構造的見方だ。柄谷氏は自身の「構造」を数学的な厳密さと重ねあわせたりもしているが、私には、そうはなっていないとおもう。
たとえば現進行している反原発デモについて、柄谷氏は「ゴキブリ」の比喩をもちだして発言している。一匹いるということは、見えないところ(デモにでてこないところ)に千匹いるのだ、というような。渡辺氏が大衆と知識人の区別を、生態的な構造に起因するとしているのは、以前のブログで引用したとおりだ。率先的な個人と潜在的な個人予備軍としての大衆、という生態的な関係? 自助と相互扶助との、単独者と共同体との自然構造的な関係? そんな図式的な理解でおさまる事態ではないとおもうが、そう比喩的にとらえてみるとして、その実体の、内実の在り方は具体的にどいうことだろうか?
木から落ちての骨折がなおり復帰した仕事で、自分の住む団地の欅を切ることになったことは以前に言った。この団地の管理をずっと請け負ってきた会社の親方が、その半年後の街路樹剪定で、木から落ちて亡くなったことも。その70歳近くになる親方を知る年上の職人や、長いつきあいだという団地の緑化委員の者たちは、その原因を、若い職人にめぐまれなかったから、育たなかったから、といっている。安全帯をつけてなかったのかどうか、などと調査しはじめる官僚とはまったく違う見方だ。私は、当初その会社が団地の欅を剪定する作業を請け負っているさい、その大木にハシゴをかけ、木の下で円陣を組んでいる姿を思い出す。車椅子の私は、6階のベランダから、いったいこの欅を彼らはどうやって切るのかな、と見下ろしていた。円陣の真ん中では、社長らしき人物が、若い職人たちを前に話し込んでいる。30分以上そうしていて、とうとう作業ははじまらなかった。できなかったのだろう。それゆえ、その仕事は再見積もりで私のいる会社にまわってきたのだった。他の業者の職人がさっさとやってのけたことに、その親方はどうおもっただろう? 社長の昔の気質を知る緑化委員によれば、若いものに怒って、いざ大きめな街路樹の剪定をするさいに、若者に気概を教えるために、自らの体を奮い起こしてのぼっていったのだろうという。素人の委員がそう見立てられるのであれば、談合とうで地域仕事を仕切っている業者のボス会社にもわかっていたはずだ。原因は、徒弟制的な技術伝承を疎外する役所の仕事形態にあるのである。そんな奴らが、安全帯を二つつけさせて作業させようなどととんちんかんな官僚手続きを提案するのなら、なんでどやしつけにいかないのか? 結局、親分会社といっても、利害関係しかないのだろう。人は歩けばつまづく。どんなに注意しても、その確率からのがれられない生態的、自然関係の中で生きている。一昔まえのような、建築現場で安全帯をつける手すりも足場につけておらず、ヘルメットもかぶらず男気を強制されるような現場ではない。役人がそうした安全対策の手抜きを監視するのは無論だが、それが完璧だったとしても、ある一定の確率で人がつまづくように事故が起きるのは自然的現実なのだ。そこにおいてできることは、事故を隠さず、きちんと人を保障することだ。しかしこの保障とは、金銭関係的な近代システムのことをいっているのではない。われわれがこの自然のなかで、胆をすえているか、腹をすえているか、つまり、自然から人為的に逃避せず、それを受け入れたところで思考しているか、ということなのだ。
この心臓からは、たとえ自身がデモに参加する少数の率先的なインテリに当っていたとしても、まさにそれは偶然当っている、自然構造から割り振りられているだけで、そこに人間の気概や尊厳があるのではない、と受けとめる図太さやユーモアがにじみでるだろう。それは、参加していない人と同等な、自然的な構造としてあるのである。そう自己を突き放したとろこにしか、人間の気概や尊厳は発生しない、と私は考える。つまり、個人と共同体との関係も、役人的にびびった反応としてのシステムにではなく、それが逃れられない自然の受苦として胆をすえるとき、目に見える世界をこえた、見えない連帯としての信頼が出来してくるのである。
私には、柄谷氏も渡辺氏も、思想的な立場はちがっても、この胆の据え方において同型のものがあるようにみえる。
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