2025年6月15日日曜日

宇野常寛著『母性のディストピア』(集英社 2017)を読む

 


前回ブログの山下悦子の『高群逸枝論』は、母性的なものが「下からのファシズム」として機能した、という視点であるが、宇野常寛の『母性のディストピア』も、そうした認識にたっているものである。ただ、高群が古典的な文芸作品や日記などを文献としているとしても、家族構造をみようとしている点で、前者はあくまで下部構造に関わってくる話であり、後者は虚構世界の上部構造を焦点化したもの、という見方を私はとる。上・下というかつてのマルクス主義的な区別が古いというなら、柄谷の交換様式論をふまえてもいい。柄谷は交換A(互酬・贈与)に注目しその高次元化を目指すというが、その交換Aを支えた氏族制の、父権的(サムライ魂――最近文芸誌に発表した「風景の再発見」で新渡戸稲造の「武士道」の英語版からの翻訳を提出していることをみてもいい)な面を救い上げようとする。が高群も同様に、氏族制の時代を喚起させるのだが、それは群婚制という、むしろ母系的な現実性をすくいあげるためだった。

 

この上下の位相の違いを踏まえたうえで、「母性」性質的なものをめぐる是非論議を追求してみよう。

 

 

まず宇野は、1991年に柄谷・浅田・いとうせいこう・高橋源一郎・中上健次らによって提出された「湾岸戦争に反対する文学者声明」を批判的にとりあげる。

 

<…当時から既に批判されていた「文学者」たちの愚劣さ(実効性のなさ)と非倫理(紛争地域の見殺し)ではなく、むしろ彼らがその愚劣さから目を背けるために「あえて」偽善性を引き受けるという主張を採用していたことだ。>

 

この偽善性は、守られるべき女を演じる妻の犠牲(庇護)のもとで父(治者)は維持される、江藤淳のような右よりの批評家から村上春樹にも共有される、心的な規制であり構造である。この<母子相姦的な構造を「母性のディストピア」と表現したい。>

 

<ここでは世界と個人、公と私、政治と文学のうち前者が後者に、世界の構造の問題が(男性的な)自意識の問題に回収されながらも、それが隠蔽され擬似的な関係を結んでいる状態にある。「母性のディストピア」の常態化によって、戦後日本における成熟とはこの擬似関係に自覚的でありながらそれに気づかないふりを演じること(引用者註;「あえて」ということ)を意味するようになったのだ。>

 

そしていまや、

 

<情報技術に支援されることによって、いま戦後的な「母性のディストピア」は解体されるどころか延命し、肥大している。いや、情報技術の支援によって、それはアイロニー(引用者註;「あえて」ということ)を内包することなく機能するものに進化したとすら言えるだろう。いま、この国を(あるいは世界を)覆っている情報環境は巨大な、目に見えない、母胎のようなものだ。そこでは人は目にしたいものだけを目にし、そして信じたいものだけを信じることができる。政治と文学は切断され、「父」として前者(政治)にコミットしたつもりになりながら情報環境という「母」に守られ後者(文学)の中に引きこもる。何の喪失感も、悪の自覚もないままに。かつて戦後日本を包み込んでいた母胎はサンフランシスコ体制の産物であった。しかし、冷戦終結から四半世紀を経た今日、この母胎は情報技術のつくり上げたネットワークに置き換わり、そして強化されている。>

 

そしてここに、<どちらかといえば母権的な、日本的なムラ社会の、丸山眞男のいう「無責任の体系」が情報技術によって進化したボトムアップの権力にどう対峙するのか、という古くて新しい問題がここにはある。>

 

以上が、当時の宇野の状況認識の要約である。

 

おおまかには、私もそう認識している。

ただ、柄谷の「湾岸戦争に反対する文学者声明」等のジャーナリズム内での実践(パフォーマンス)行為に関するものには、少し違った見解をもつ。柄谷は、それらは、「あとで意味をもってくる」としてやっていたのだ。今は「効果」はないかもしれない、が、あとで、効果をもってくるとして、つまり、“布石”としてやっているのだ。だから、NAMの二年ほどのみの解散も、少しのためらいで決断・容認する。さまざまに、いくつか打った布石が、時の経過とほかの状況との絡み合いあの中で、三十年ほど経ったいま、どう本当に機能効果を持ち始めているのかは、私は知らないが、と言っておこう。(こう指摘すれば、その意味効果が、推定されてくるところも出てきているのでは、とも認識する人もいるのではないか、と思うが…私は、その「あとで」の「効果」自体に、反対している、ということなのだが…結局は、マッチョに居直っているということなのか、と思われてくるので。)

 

そしてもう一点。

宇野はあくまで、日本というこの国の状況を読んでいるわけだが、暗黙には、引用か所にも、「あるいは世界を」、とあるように、この母性的状況を、世界に拡大しようとしている。が、トッドの家族人類学的な認識を重ねれば、核家族(双系制)的なイギリス・アメリカでは日本傾向はあるかもしれないが、大陸文明の中心(父権・共同体家族)やそれに近いところでは、そうはなっていないのではないか、ならないのではないか、ということだ。しかも、ロシアによるウクライナへの侵攻、イスラエルの進撃、等、またはコロナ下でのかつての文明大国の対応をみると、資本やテクノロジーへの統制・検閲が、強靭に決行できてしまっているように見える。かつて、資本主義はアメリカナイズが頂点だ、いや日本での子供の資本主義が達成点になる、とのコジェーブの分析を受けてフランシス・フクヤマが「歴史の終り」を説いたわけだが、ぜんぜんそうはなっていないのと同様のことが、この母性をめぐる認識議論にも、言えてくるのではないだろうか?

 

世界は、厳しい、というか、こわっ。これが父権か、いったいこれに、どう対応するんだ? というのが、むしろ今突きつけられている日本での問いなのではないだろうか?

 

とにかく、宇野は、日本(世界)を覆う「母性のディストピア」に対し、次のような対応認識を示す。

 

    所有する/される、父権/母権的な縦のつながりの記述するナルシズムではなく、家族にいかない兄弟/姉妹的な横のつながりの記述する関係性へ。

    世界と個人、公と私は「政治と文学」ではなく「市場とゲーム」で結ばれる中では、物語の語り手/読み手としての成熟ではなくゲームのデザイナー/プレイヤーとしての成熟になる。静的・一方向的・自己完結的な文学ではなく、動的・双方向的・開放的なゲームである。他人の物語への感情移入によって成立するものから、自分の物語を自分で演じるものへの変化である。

 

以上の参照例として、ボーイズ・ラブや同性愛的な荻尾望都、竹宮恵子などの少女漫画、オタクな成熟、ニュータイプをもう一度、のようなものがあげられてくる。

 

私としては、なんともいえない、考察中ということになるのか。私のこのブログは、もしかして、「自分の物語を演じるもの」ということになるのかもしれないが、自覚はない。ただ、少女漫画ということでいえば、冒頭写真は、妻の遺品として、最近気づいたものである。「少女フレンド」の特製付録品だ。中には、ヘアピンの類がいっぱいつまっている。この1972年からつづいた少女漫画で、まさに荻尾や竹宮が連載を開始しはじめたのだ。私は、妻・いく子は、どうも60歳すぎてから自分のセクシュアリティを再発見したのでは、と、少女漫画のことなど知らない妻の妹さんの発言とうからも、予想を改めたが、そうではなく、当初どおりの推測が当たっていたのだ。中学時代、おそらく友達のあいだで、流行ったのだ。当時の中学生の間での年賀状の挿絵などが、やはりその推測を補完するものだったのだ。

 

世界と個人、公と私をつなぐテクノロジーという媒体(中間的なもの)を肯定していくときの技術、態度、実践の在り方が問題である。宇野はそこから、自然(原始)の森ではなく、「庭」という中間的な在り方の話になっていったのかもしれない。が、この森と庭に関する議論でも、私は考え中だ。石牟礼は、自身がそだった「うまわりのとも」(湿地帯で、それは私が暮らした東京中野区にある「ばっけ」と呼ばれたかつての土手地帯の言葉を、現地水俣のそこを見て思い起こさせた。)を森として復活すべく、その再興の学者・実践者と対談したりしている。そうしたことが、どういうことになるのか、まだ私は一定の見解に達していない。

 

それと、以上に重なるだろう問いを、別の角度から整理、考えてみたい。中島岳志編集の『RITA MAGAZINE 2』で、「死者とテクノロジー」という特集をやっている。これは、柳田国男の「先祖の話」、家の継承、墓(葬儀、喪)をどうするか、という、父系側からの問いかけだ。私はまだ、妻を納骨できていない。この他人事ではありえない問題を、考えるだけではなく、解決していかなくてはならない。

2025年6月10日火曜日

山下悦子著『高群逸枝論 「母」のアルケオロジー』(河出書房新社・1988)と宇野常寛著『母性のディストピア』(集英社・2017)を読む(1)

 


ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は、父殺しをめぐる三人兄弟の話だが、日本の文脈でなら、むしろ母殺しがテーマとして浮上してくるだろうと、『中上健次ノート』というエセーを書き、自身も『いちにち』という小説にまとめてみたのだった。が、妻が遺し与えた課題を追及しているうちに、石牟礼道子や高群逸枝にゆきつき、そういう方向性からの追及ではすまないのではないかと考えるようになっている。しかし、母をもちあげるとは、日本の文脈では、戦時中の国防・母運動や、現今の子育てにおける父は黙って母の圧制(負担)のような状況下においては、どういう言葉、物言いで説明していけばいいのか、となる。とくに、高群は、まさに母を根拠に戦時中のイデオロギーを強烈に補完する言葉をだしていた者である。

 

そう思いめぐらすなかで、上二著を読んでみた。まだ高群の作品自体や彼女に対しての他からの批判書を読んでいる途中であるが、母(性)をめぐる考えをいったん整理してみる。まずは、山下悦子『高群逸枝論 「母」のアルケオロジー』から。

 

 

石牟礼道子は、本当は、高群逸枝を研究したかったのだが、水俣病事件に出会うことによってそれを中断し、その関わりが一段落したあと取りかかろうとした四十歳すぎに、目がほとんど見えなくなってしまい読書することがかなわなくなってきたので、あきらめた、というようなことを言っている。『苦海浄土』のタイトルは、本人当初は「海と空のあいだに」だったが、編集者の意向で変更された。のちに、このタイトルは、短歌集に採用されていることからみても、彼女には思い入れがあったのだろう。私の推察では、このタイトルは、高群逸枝の最初の詩集『日月の上に』から来ている。というか、それへの批判なのだ。ひとまわり以上も年上な高群は、「日月」という天(自然)上の理想を望むことができたが、わたし(たち)はもはや、「海と空のあいだ」、つまりは人間界の苦しみを引き受け、「天の病む」世界を生きていくほかはないのだ、という覚悟の表明なのだ。

石牟礼は、高群の晩年にちかい時期だったか、面会謝絶を続けていた東京の自宅を訪問することを許されている。『最後の人 詩人高群逸枝』の半分は、高群というより、その夫橋本憲三の話になっている。石牟礼の高群への関心の中心は、男女関係とその世間における女性の不当さ、自身が受苦したものの不合理さへの探求ということだったろう。

 

山下悦子は、高群の初期詩集から、日本浪漫派に通じる哀愁や寂寥感をただよわせた「故郷」を読んでいる。そしてその「山の平和な生活を一変させた」のが橋本憲三との出会いであると。その熊本の故郷には、当時まだ、若集宿のような、夜這いの風習のようなものが残っていたのではないかと、高群の詩から推察できる。がそれは、「山の平和」として受け止められていたようには、私には読めない。むしろ、高群は、夜這いに来る男たちを気味悪がり、嫌がっていたのではないかということが、詩の背後にある。『日月の上に』は、おそらく幼少から大人へと成長していく時間軸におおまかに沿っているが、娘に達する頃の時期とみられる詩の言葉に、その嫌悪がひそまされている。が、インテリでニヒルの憲三は、この群れる男たちとは違ったのだ。だから、彼女は興味をもち、恋に落ちたのだ。そこには、同じに近い故郷の男であっても、マレビト的な外人性があった。彼女は、外人を選んだのだ。しかし、群れを捨てることもできなかった。それは、民衆(大衆)への想いのようなものからではない。戦後ののちに、彼女は、男には、カマキリのオスのようにメスに食べられて死にたがっているような、マゾヒズムが根底にあるのではないか、と言っている。それは、生物は分裂して生まれてくるが、またもとの物質と一体になりたがっているのではないか、という認識とつながっている。フロイトはそれを、死の衝動(タナトス)と読んだが、高群は無に帰すそれを生命といい、愛と捉えたのである。そしてこの根底に抱えた洞察、おそらく夜這いの男たちとの関係から得た認識が、詩人としての直観が、彼女の女性学、歴史の考察へと応用されてゆくのである。

山下悦子は、高群の方法は、「現象学的還元」であって、歴史実証的なものではないのだという。それは通史ではなく、共時的に把握されていたものを通時に置き換えた歴史としての誤解なのだという。が、起源に母権性があり、母系の現実があったというのは間違いだが、南北朝時代に父権的なものへのパラダイム転換があったという時点の証明は正しい、つまりは、高群の根底的な洞察は間違いではなかった、ということだろう。がそもそも、高群の思考を、柄谷行人からアドバイスを受けたという現代思想で難しくする必要があったのか? 高群は、自身の体験から得た洞察仮説を、歴史文献を使って実証してみせようとしただけである。そしてエマニュエル・トッドの家族人類学でも、柄谷の日本精神分析でも、日本(人類)は双系(核家族)的なのが起源的であるなら、父系とともに母系もあったのが現実ということになる。しかもこの母系的なものは、たとえば子供を産むと母方の親元の方へ妻は子供と一緒に退避していく子育て傾向が今もって見られることからも、その残存は推察できる。「現象学的還元」という「内省と遡行」の方法というなら、それはむしろ柳田国男の方だろう。だから、遡行で意識化できうる時間範囲は、限られる。高群は一気に古代までいった。高群から贈呈された本をみたら、柳田は黙って(絶句して)しまう他ないだろう。そして高群が母系に注目したというなら、柳田は父系に注目した。柳田の「いえ」に対する認識には、内省を超えた自身の理想というか夢のようなものがひそまされている感じがする。高群は、「内省と遡行」をしたのではなく、体験し、直観し、歴史的にはおおまかにはそれは当たり、認識的には、昆虫などの生態(群れ)を量子力学的に理解していこうとする郡司ペギオのような思考射程も入ってくる。

 

山下は、こういう思考をしているから、こういう行いになるのだという。デリダの脱構築、形而上学批判の踏襲である。高群は、母を無ととらえ、それを根拠にした。だから、西田幾多郎のような東洋思想にゆき、天皇体制のイデオローグになったのだと。ならば、なんで石牟礼道子はならなかったのか? 母を根拠に、国家と資本に闘ったではないか。もし高群に子供がいたら、ああはならなかったのではないか、と山下は一方で言う。高群は死産(男の子)で、無事育っていれば、徴兵される年頃であった。私もそう思う。俗にいえば、女性はそうなんだ。子供は嫌いだと言っていた妻は、いざ自分が産んでみると、溺愛するようになる。「おまえ子供はいやだって言ってなかったか?」ときくと、「そんなことは言っていない」となる。こう考えるからこう行うとはならない。むしろ、そう現行一致と理解すること自体が、男性の早とちりだったとしたらどうだ? 高群の、外人との結婚が日本古代にあったとする文献仮説は、自国内だけではおさまらなくなった大東亜共栄圏のイデオロギーとしても機能した。それは、歴史的にも天皇氏族は混血だったとおおまかには当たっていようが、実は単に、マレビト的であった夫橋本憲三との経験の応用なのではないか? がそんな彼女でも、子供がいれば変わったかもしれない。となれば、こういう考えをしている奴はこうなるんだ、とまだ行ってもいないのに切断する思想的基準に、説得性はあるのか?

 

今の社会的制度・条件下において、女性たちがとち狂い、ファシズム体制を補完したとして、そんな考えしてるからそうなるんだ、と批難できるのか? 受験勉強に子供の尻叩くママゴンの狂気より、受験制度自体がおかしいのではないか? 子供におせっかい(自分の腹を割って出てきた幻視的な一体感なのか?)する母性自体が、人間的であり必要悪な性質だと言うのだろうか? 

かつて、「保育園落ちた日本死ね」という無名お母さんの投稿が話題になったことがある。今は、ほとんど保育園には入れるようにはなっているようである。がそうなれば、赤ちゃんは37度の熱をだせば両親が引き取りにいかねばならない、となっているから、どちらがいくのだ、となる。朝から夫婦喧嘩だ。私の職場まわりの若夫婦は、そうである。どちらも行けなければ、多くは母方の両親に頼む、である。子育ては、夫婦二人でできるものではない。私たち夫婦は、長屋住まいみたいなところにいたから、大家さんや隣老夫婦に子供をあずけて、妻は息抜きによくひとりでかけていた。つまり、群れの中で、社会で育てる。そうした人付き会いが無い、無くなっていくことを前提に、AIで子育てができるのだろうか? 現今まできたテクノロジーは、この母性をめぐる個と群れとの問題を、解決していけるのだろうか?

 

次は、二冊目の、宇野常寛著『母性のディストピア』をめぐって。

2025年5月30日金曜日

毛円だんす『dances 芭蕉』を観る

 

左「花車(風車)」右「まつり(雷小僧)」奥山振付衣装in1982(1983,1984)

両国のシアターXで行われている「ルナ・パーティーvol.16」にあたる、5/18の公演である。

 

このブログで感想を綴った江原朋子先生の『Primitive』がそのvol.14にあたるのだろうか。

 

妻いく子が師事したその江原先生の誘いで、5/1日にティアラこうとうで行われた「シェイクスピアを踊ってみた」というテーマでの公演会でも、毛円だんすの作品を見ていた。江原先生から、いく子が二十代の頃のダンスの先生だった、奥山由紀枝さんの演舞もあるからと招待していただいたのだった。そこでは、江原先生のタイトルは「ハムレットの事情 オフィーリアの事情」、ジェフ・モーエンさんと奥山先生のタイトルは、「After Romeo and Juliet」であった。

 

江原先生のその公演での意図は、配布されたパンフレットでの言葉からも明白だった。恋人が死んでもまだ復讐劇を続けるハムレット……これは、ウクライナでの戦争からはじまった現今の男性価値中心の社会批判が込められているのだろう。

 

対し、毛円だんすの舞台は、タイトルからも示唆されるように、死後(After)の話になるのだろう。この世界では二人の愛はかなわなかった、が二人の愛は無限であり、メビウスの輪のように永遠に閉じることがないのだ、と訴えていた。そのメッセージ性が、男女二人の衣装の袖がひとつに繋がったイメージ形象とダンスの動きで、美しく主張されている。パリ・オペラ座に飾られているシャガールの「ロミオとジュリエット」の絵を見て着想されてきたとのことだった。そのシャガールの絵は、上空は緑空であるが、下方地上からは、紅の血のようなものが靄っている。一見幻想的な世界の底に、現実の血なまぐささを感じ取ったからこそ、∞という愛の形象(衣装)を表現してみたのではないか。

 

そう前回の公演で読み取っていて、今回の毛円だんす単独公演の舞台でも、まず印象に飛び込んできたのが衣装のイメージ強度だったので、公演後の観衆と一緒になった話し合いの席で、奥山先生に、次のように質問してみた。

 

「衣装には、何かメッセージ性が意図されているのですか?」 パンフレットの紹介文には、奥山先生が衣装担当をしているとあった。先生は、それはなく、まずイメージで作るのだと。下の緑は茎で、葉があって、菊の花が咲いているのだと。で、三着目を間違ってしまったのだと。ダンスのタイトルは「dances 芭蕉」である。モーエンさんがまず菊を描いた日本画を見て着想したらしい。そして芭蕉の菊のモチーフの俳句三首がパンフレットで紹介され、作品はその三首に沿って構成されたということだった。私は金色の男性の衣装と、女性の白色の衣装から、金白色の娘さんが生まれたのかと思いました、と付け加えた。今回の衣装も、最後はいつの間にか、ひとつになって、まるで手品みたいでした。(よくみると、裾をボタンでぱっと隣のダンサーの衣装にかけられるようにしてあった。)

 

私は次に、影について質問した。

二首目のダンス時だったろうか、ふと、背後の壁に、ダンサーの影が大きく映って、影絵のような存在感をもって見えてきたからである。照明を落とし、板の間が斜めに上下二段の落差をもった空間、天井から幾本かつりさがった畳縁のようなもの、どこか雰囲気が能の舞台と重ね合わされる。影については、照明係の人のアドバイスで取り入れたとのことで、あまり考えていなかったという。だけど、影がぴたっと月をつかまえていましたよ、と私は言う。ダンサーが両手をあげて輪を作ったとき、背後の壁にのぼった丸いほのかな月が、影絵の掌のなかにぴったりとおさまったのだ。それが両の掌ですくった水をこぼさないような仕草にかわるとき、手の中に落ちた月影をそっと運んでいるような物語性がやってきた。最後の三首目の三人が一体となったようなダンスでは、両横の壁で、ダンサーの影が踊り出した。芭蕉忍者説というのがあるのですが、まるで分身の術を使ったようでしたよ。お二人はカニングハムのメソッドを教えられているということなので、カニングハムに偶然という考えがあるとおもうのですが、これがそういうことでもあるのかな、と。ダンサーは背後は見えないですから、どうやって影を操ったのかなっておもったんです。

 

奥山先生もモーエンさんも、ニューヨークでカニングハムの教授をうけ、そのメソッドの教師である。私のこのブログでの、自己紹介文にも、カニングハムの言葉が引用されている。振り付けするとはダンサーがぶつからないようにすることである、という。私はそれを日本の植木職人の剪定技術、そして日本の私小説の技術に重ねていたのだ。

 

しかしモーエンさんと奥山先生の舞台は、筋を捨象した抽象性というより、意味的なイメージにあふれ、物語性があるように思える。よくは知らないのだが、日本経済バブル期、欧米での話題のダンスグループが日本にいろいろやってきて、たしかカニングハムは、テレビCMにも採用されて、肉体運動のような奇妙な動き(ダンス)を披露していたような気がする。

 

話し合いの席には、江原先生もいて、最後にマイクを向けられた。奥山先生と同じ舞台にいたことがあるというのだ。私には初耳だったが、それに奥山先生が、いやわたしなんか江原さんの後ろ姿をみていただけで、みたいな返答をする。パンフレットを読みかえして、奥山先生も、厚木凡人に師事、とある。江原先生もそうだから、もしかして、厚木凡人の舞台でのことだったのだろうか。厚木凡人といえば、日本でのダンスのモダン性を最初に突き詰め切り開いた人、というぼんやりとした知識しかない。いく子の遺品の、トリシャ・ブラウンのDVDでトリシャについて対談している。

 

江原先生は、自分が「モダン」ダンスをやっているのだということにこだわりがあるようだった。ルナパーティーでの『Primitive』でも、ベジャールの「ボレロ」の有名な振り付けを盆通り風にデフォルメしてみせたところに、何か一般的に理解されている欧米中心のダンス史への批評意識があるような気がした。どのように「モダン」という概念を考えているのだろうか? それは厚木凡人経由なのだろうか? バブル期とその余韻がまだある時期、フォーサイスを頂点にか、ダンスのダンス性とは何かを根源的に問うようなモダン省察が現代思想の言説で流行った。それはどこかデジタル的な分節化の作業であり、身体という物質性にゆきつくような思考だったと思う。が女性のダンサーたちは、そんな男性風潮というかダンス史の中でも、意味や物語性を消さなかった。そのつきつめた先の物質(身体)は、本当に物質(体)なのかと問い返しているように。いく子が好きだったピナもそうだし、文学作品を下敷きにしていた江原先生の作品もそうであろう。むしろ、求め探っているように思える。

 

暗がりがほのかに浮かび上がると、一段低い舞台で、金色の男、白い女が舞い始める。中央の一段高い橋掛かりをも兼ねたような舞台では、女性らしき人物が横たわっている。ゆっくりと起き上がると、金と白の交じった衣服の娘も、静かに動きをとりはじめる。亡くなった両親が夢に現れて、わたしを誘っているようだ。三人は静かに交差しながら、舞い絡む。いつの間にか、三人の他にも、人影があらわれた。祖霊たちなのだろうか、子孫の背後で、一体となった踊りに華やかな雰囲気をそえる。それは蝶のように舞い上がり、菊のように咲く。水の音は、永遠を木霊する。

 

1991年、33歳のとき、ニューヨークへと奥山先生に会いにいったいく子のダンスにも、そうした試行錯誤な文脈が系譜されている。

2025年5月24日土曜日

映画『V.MARIA』(宮崎大祐監督)を観る

 


「連帯婚を基礎とする古代社会では特定の人間を対象として妻問うことは社会通念に反するから、罪の意識をまぬかれない。したがってこの矛盾を克服するためにはさまざまな贖罪の意識が必要となった。」(村上信彦著『高群逸枝と柳田国男 婚制の問題を中心に』 大和書房)

 

宮崎大祐監督の作品は、『大和(カルフォルニア)』の感想をこのブログ上で書いて、監督本人からの評価反応があったので、以来、ずっと見続けて感想を綴ってきている。が今回は、音楽が全面に出るらしいというので、その分野の趣味と知識のない私には、反応できないのだろうと思っていた。が主人公の高校生マリアが、亡くなった母の開けてはいけないという段ボール箱を開け、開けて見たからにはこれを背負え、というような書置きに促され、その翌日だったか、母の遺品にあったものと同じ小さなキーホルダー式の人形を鞄につけていた同級生ハナと一緒に、母が好きだったヴィジュアル系のバンド演奏を聴きに行く途上、路地道の倉庫に落書きされた絵のような文字が写っているのを目にして、私は愕然としてしまった。一年半ほどまえに亡くなった妻のことが強迫観念のように襲ってきたからである。

 私の妻も、生前に触るなと言っていた段ボール箱の山を残していた。私はその禁断の箱を開けた。三十歳の妻の、がりがりにやせたニューヨークでの写真があった。背景は、ニューヨークの壁を埋め尽くす絵文字のような落書きだった。四十半ばの妻と三十半ばで知り合い結婚した私は、妻の若いころのことは何も知らない。「傷心旅行」と、友に宛てた手紙にはあった。小学生卒業時の寄せ書きから、日記や手紙・手帳のたぐいが全て残っていた。アート系のダンサーになった妻だから、自らのダンス映像もあり、背景でも使う音楽のカセットテープ群もあった。妻の表現は、自身が被ってきた苦境の発散に近く、その源をたどっていくと、水俣という出自が大きいにことに気づく。父が、水俣病を引き起こした会社の幹部になっていった子息であった。そこを探ると、水俣病事件史を書いた石牟礼道子にゆき、さらに探ると、石牟礼が師事した同郷の高群逸枝にゆきついた。日本で初めて女性学を起こした詩人・在野の研究者である。彼女はたんたんと、暗黙に父権を擁護する学問を打ち立てた柳田国男の民俗学を覆していった。その業績は、おそらく今でも正当に評価されていない。妻が背負って生きてきた課題を自分のものとして背負い続けるとは、高群が開示させた母系の現実性をまず喚起させることとなっていったのである。

 

 

V.MARIA』。――この映画タイトルは、原曲の『Virgin Mary』 の変更であろうと思われる。しかしこの変更にこそ、宮崎監督がこれまで一貫してテーマ的に追及してきている自身の問いが露呈している。池袋シネマロサでの舞台挨拶では、映画最後にこの曲を歌う段になって、迷った末になんらかの変更を作曲家に申し出たというエピソードが披露されていたが、この件にまつわることなのではなかろうか。英語圏では、マリア様のことを「Mary」と表記し、発音する。これがMariaになるのは、移民した南米系の者たちが子息にそう土着のまま名づけたりすることがあるからである。そもそも、マリア信仰自体が、父権的なキリスト教を受容するための土着的な工夫、露呈だ。宮崎監督がMaryMriaに変えたのは、自身の土着的な感性にこだわり探っているからであろう。そしてこの探求が、「V.」への変更にも現れる。このVは、Virginではなく、音楽ジャンルで使用されるVisualであろう。しかしこのvisionは、ジャンルとしてというより、より語源的に、洞察、幻視、霊的体験、つまりは見えないものを透視する力としてである。Visual Mariaとは、埋もれて見えなくなってしまった土着的な霊性をみようとし、そこに、母系的な力のようなものがあるのではないか、という問いの顕在化なのだ。

 

    Noteでのインタビューで、監督は「欧米文化とヤンキー文化の影響を受けて咲いた、奇妙で土着的で唯一無二の音楽と遭遇する若者の映画をつくりたいと思っていた」と述べている。さらに「V系文化やヤンキー文化も仲間にある程度寛容で、何よりも関係主義的で母性的なところがある」とも。(『V. MARIA』宮崎大祐監督ロングインタビュー(前編)|daichiyoshino

 

マリアが母・聖子の遺影の下にいる冒頭、母の母、マリアからすれば祖母が現れる。背中を伸ばす器具はないか、とマリアにきく。ということは、祖母の実家というより、母の家なのだろう。が、マリアはのちに、友人には「おばあちゃんち」と紹介している。「おじいちゃんち」でもなく。マリアが夜おそく帰宅したとき、おそらくは祖母の靴が玄関にあるシーンがアップされる。だから、祖母は別のところに住んでいて、孫娘のために夜食を作っていたのだろう。家には、先祖の写真、祖父の写真などは飾られていない。父と母は離婚したのかもしれないから、父との家族写真などがないのは普通かもしれない。が、この女だけしかおらず、しかも、祖母は娘に家をゆずって他の家にいるらしい、という設定は、奇妙ではないだろうか?

 

この映画の舞台は、大和市周辺であろうとおもわれる。源頼朝が鷹狩をしていたといわれもあるかつての山地。その鎌倉時代とは、高群の史実によれば、擬制婿取婚という、以後確立されていく父権原則に母系原理が最後の抵抗を示した婚姻形態を残す。

 

<つまり、「家は女のもの」という太古以来の頑固な意識、したがって婚姻は男が女のところにくる形式以外にはないという母系制以来の伝統が、このどたん場におよんでもなお生きて原理となって作用しているわけで、これを要約すれば、すなわち擬制婿取婚は、女が男側へ迎えられることとなったこの現象――日本民族が太古以来かつて経験したことのなかったこの現象――にたいして、招婿婚原理すなわち女系原理が、最後の抵抗と権威を示した婚姻形態であったといえる。>(『高群逸枝全集/第6巻』「日本婚姻史」 理論社)

 

宮崎監督が、まず透視しようと設定したのは、そのようなヴィジョンである。ここでのヴィジョンには、過去だけではなく、将来(ヴィジョン)を持つという言い方にあるような理想像も含む。現在に埋もれた過去の系譜の洞察に、願う未来社会を予見する。その時、ヴィジョンは土着性を超えて普遍性を身に纏おうとする。

 

母・聖子は、「東南アジア」にパラグライダーをやりにいき、その帰路か、旅客機の事故により死亡したとされる。わざと観光地を曖昧にした表現には、何か意図があると思われるが、最初はマリア信仰の強いカトリック地帯のフィリピンかとも思ったが、もしかして、『TOURISM』とかけたシンガポールなのかもしれない。ただ私は、聖子やハナが所持していた人形から、ブードゥー人形を連想する。この販売の拠点はタイであり、パラグライダー観光の人気国のひとつだ。しかし重要なのは、ブードゥー教である。これは中米ハイチで、黒人奴隷がキリスト教を受容するに土着的に変形させたシャーマン的な密教のようであるらしい。呪いの宗教のような地下の雰囲気がある。もしかして、アメリカの南部地域のプロテスタント教会でも、黒人の系譜が強く、カトリックのようなヴィジュアル的な雰囲気があり、映画パンフレットから推論すれば、監督が学生の頃に触れた早稲田大学近辺であろうプロテスタント系の教会で触れた音楽体験にも、この普遍宗教の向うに土着性の触知を幻視したのかもしれない。

 

マリアがハナに連れられていったビジュアル系バンドの観衆のダンスも、地下にもぐり、シャーマンのような身振りにあふれている。こういう風に首を振るのだと、マリアはハナから教えられる。が、この身振りは、のちに、二人が喧嘩別れし、また仲直りした儀式のように、お互いが、ごめんなさいと首を何度も縦に振る仕草と照応させられる。ということは、このシャーマン的な身振りが、殴り合いの喧嘩に始末する男性原理的な対応とは正反対な、平和を構築していく女性原理的な儀式とし象徴的に理解され、提示されているということだ。ここには、監督の時代認識、戦争へといたっている現今の情勢への批判が結びついているのだろう。母の日記から読み上げられた日付は、8/15日の敗戦、9/7日の沖縄での降伏調印式(沖縄では「市民平和の日」)、そして7/8日が何かのおりに言及された。この日は、オウム真理教の地下鉄サリン事件があった日である。そしてこの事件が起きた今(2025年)より三十年前に、母・聖子とヴィジュアル系バンド「GUILTY」のギター&ボーカリストのカナタ(おそらく彼方であろう)が出会ったのである。そしてこのバンドを愛するファンの女性群から、聖子は集団リンチを受けてカナタとは別れることになったのだ。

 

聖子は、赤い戦闘服のような衣装の背中に、「GUILTY 革命前夜」と刺繍していた。マリアも、この母の遺品を着て、三十年後に出会ったカナタのライブを訪れる。

 

何が、「革命前夜」なのだろうか? おそらくここにも、原曲(LUNA SEA「革命」)や原作(ベルトリッチの映画タイトルから来ているという)を超えて喚起されてくる監督の問題意識が重ねられている。ギルティー、罪、これはアダムとエヴァの物語、神の言葉に背きリンゴを女が食べてしまって善悪の分かれた世界に墜ちてしまったというキリスト教的な原罪を想起させようとしているのではないのだ。もっと、ヴィジュアルでなければならない。一人の男を独占しようとして聖子は群れから暴行を受け排除された。ここにあるのは、仲間を裏切っても愛に生きるという新しい罪意識の芽生えなのだ。高群が、より太古の群婚制から招婿婚への移行に見たのも、この愛と罪の歴史である。(冒頭引用参照)

 

<招婿婚の発現によって、群婚制は一部を遺存して亡びたが、群婚本能は亡びなかった。いったい群婚制というのは、その頃や、また前節の終りの若衆組條でもみたように、性の連帯感にたつ婚制であるが、招婿婚では、個別式すなわち対偶式となり、連帯観念を断絶する。しかし、個別式となったからとて、多夫多妻―男が同時に多くの女に通い、女が同時に多くの男を迎えることはさまたげない。この点外見はほとんどプナルア時代とかわらないものがあるが、プナルア時代では否応なしの連帯観念であり、自由意志のそれではない。それが、ここでは自由意志で、自分の好きな多くの相手に通い、また多くの相手を迎えるのである。自由選択権が原則として個人にあたえられたのである。こうして群婚本能は、連帯性の部分をたちきり、自由化して再生した。>(『高群逸枝全集/第2巻』「招婿婚の研究一」 理論社 註;旧漢字適当に変更)

 

    この映画を見る一週間ほど前か、近所の千葉劇場で4Kリバイバルになったエドワード・ヤンの『カップルズ』をみた。そこでも、男(女)友達の恋人は自分たちの恋人、独占するなという群れ意識規範から離れて、一対のカップルを選択する国際的な恋愛の様、土着性と普遍性がテーマとなって描写されている。また私が三十年つとめた植木屋親方は、任侠ものの暴走族シリーズDVDSPECTER』に出てきて中学同級生を伝説的な総長に担ぎ上げた再興メンバーの一人だが、若い私に酒の席でこう言った、「おまえは友達がやったあとの女とやれないだろう、俺たちはできる」と。――この群れとしての性は、歴史的ではあるが、高群は「本能」とも言っている。この反復は、精神分析化できるものではない。冒頭引用の村上も、ダーウィンは昆虫に伺える「本能」の出自(歴史)は理論化できなかったと要約している。私自身は、量子力学にあるフェルミ粒子とボース粒子のような区別原理が、人の生体にも作用しているのではないかと探っている。

 

聖子は、罪の意識を持つがゆえに、群れる者たちを切断しているわけではないのだ。あくまで、その仲間の連帯性を尊重しているのである。そこに、近代個人主義的な恋愛観とは違う太古性が反復され、それが母系にある本能(群れ)を超えた思想なのだ。この思想は、聖子にリンチを加えた側にも実は共有されていたことが示される。聖子を暴行した女性の一人は、バンギャル仲間が結婚などで離れていく中でも残り、「ライブハウスのキョーコ」として恐れられ崇められていた。その彼女は、自分が聖子にしてしまったことを悔い、贖罪意識をもっていた。だから、聖子の娘のマリアの想いを知ったとき、世代(時間)を超えた連帯性の側に立つのである。

マリアもキョーコも、その母聖子に伺えた思想を継承し、背負うとしているのだ。それは文明(父権)の所産として文字体系化されてゆく思考ではなく、それを流動化させ解体していかせるような落書き絵文字として提示されることを要請する。あるいは、言葉でなく、何度も首振りを繰り返すシャーマン的な身振り、ダンスとして表現される。群れのなかで、彼女たちは屹立し一人の立場にたつが、たとえ制裁を受け世間の風潮に排除されてもそこに甘んじることなく、毅然として仲間とともにあろうとする連帯の側にたたずむのだ。それは、高群が生涯を通して表明してきた自身の癖であり、思想である。

 

    キョーコを演じるサヘル・ローズさんの映画『花束』はまだ見ることができないでいるが、私が悲嘆に暮れていた半年ほど前になるか、千葉市中央区のの商工会議所に、子供支援組織の後援で呼ばれ自身の体験談を語ってくれた。その感想もこのブログで綴っている(ダンス&パンセ: サヘル・ローズさんの話から)。がこの映画では、キョーコとして着るTシャツの絵柄が気になった。私には、火に見えた。そこから、サヘルさんの出自イランの土着宗教である拝火教を連想した。高群の最期の作品自伝タイトルは『火の国の女の日記』である。これは、熊本男児の男性原理的な世界で自立していく女の苦闘の日記である。が、それは男性嫌悪にゆきつくようなフェミニズムにはならず、あくまで男との連帯を模索し、一対の「カップル」を成就し全うしていった愛の記録なのだ。

 

「革命前夜」とは、三十年前に、この思想を、ヴィジョンを垣間見たではないか、という監督の内省なのだろう。バブル経済がはじけ、自然災害やテロ事件が連続する時代相の最中に、そんな吉兆もまた見たのではなかったか、と。が、世界はまたそのヴィジョンを地下に追いやり、友と敵を分け勝敗を競う父権男性原理的な戦争に突入した。しかし前夜で終わってしまっても、まだその命脈は消えているわけではない。それは、本能と共存してそこにある。目に隠されていても、いつでもそこにあるのであり、私たちを刺激しつづけている霊的な力なのだ。死んだはずの聖子も、娘や友や仲間たちと一緒に、ヴィジュアルな音楽に満たされたその場所で実在をあかすのだ。

 

この映画は、そんな地下水脈の刺激に呼応しようとする試みであり、宮崎大祐監督のこれまでの映画の集約的な問いの昇華でもあるのだろう。

 

リンク;

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2025年4月11日金曜日

冥王まさ子著『南十字星の息子』(河出書房新社)を読む


だいぶ以前、若いころに、冥王まさ子の作品をいくつか読んではいた。その時の感想は、インテリ女性であるはずの知性と、少女感性的な作品との間隔の大きさだった。作品タイトルやペンネームからして、どうなっているのか、彼女の中身がわからない。

今回、この遺作となった作品を読んでみたいと思ったのは、彼女がシュタイナーなどのスピリチュアリズムな考えに傾倒していったようなので、それはどうしてなのか、という疑問からだった。離婚した元夫の柄谷行人の、『力と交換様式』において、スピリチュアリズムとは商品交換が趨勢な時代おいて派生してくる宗教なのだ、とするような記述に触れたとき、その物言いは、岡崎乾二郎著の『抽象と力』、そしてかつての妻への批判的論破の意図が背景にあるのでは、と感じた。自身の妻を失ってよりスピリチュアルな原理を思考していくことになっている私は、ならば、その妻だった作家の最期の作品を読んでみようと思ったのである。

 

それは、驚くべき作品だった。

知性と、少女的な感性の感覚が、内省的に摘むぎとられた認識の言葉によって橋渡しされ埋められているからだけではない。この作品自体が、彼女の最期を予定していたかのようなスピリチュアルな啓示のように提出されていたことになってしまうことを、読者に突きつけているからである。

 

話は、高校生と小学生の二人の息子を持つインテリ夫婦のもとへ、ホームステイのためにやってきたオーストラリアの高校生が、夫婦仲を離婚へと決定させる関係の現実を露呈させてまた帰国していくという、年末年始をはさむひと月ほどの経過を綴っていったものである。

 

夫婦の関係には、ジェンダー問題が、と言っても日本的な現状に集約される切り口によって背景化されている。そしてその背景の問題を見えやすくするためか、夫婦の設定は抽出変形化され、私事的な批難を超えて文学的に昇華されている。夫は、父を戦争で失っていてお母さん子で、京都で育っている。妻の方は、母親を思春期に亡くしており、継母との関係がうまくいかなかった回想をもつ。戦争の後遺症が、日本の男女関係を大きく規定しており、責任主体としての「父の不在」なマザコン家族という「悪循環」を再生産させていく社会意識構造をうむ。敗戦が去勢された男たちの仕事への動機、「傷ついた男のナルシズム」となり、家族や男女関係にエネルギーを注げない男たちに女の方も批判できないでいることが自己確認される。だからむしろ、女たちはそんな男たちを庇護する「母親」のようになってしまうのだと。「動かざること巌のごとし」の厳格な夫、子どもの教育に殴ることも辞さない巌に献身的になってしまうのも、愛ではなく「恐怖だけだったのではないか」と未央子は気づくようになる。

 

が、息子たち、子どもたちの存在が、そうした社会意識、世間知を異化するように設定されている。この作品には、二つの三人兄弟がある。「この家族は息子が三人だ」と巌の友人が指摘した、父も子供のような、通俗的な世界のもの、それともう一つが、オーストラリアから来たエマニュエルを含めた三人兄弟なのである。巌は、姉二人の、長男末っ子だ。エマニュエルも、オーストラリアでは年齢の離れた三兄弟の次の四人目末っ子な十六歳である。その末っ子が、ある意味、「インディビジュアル」であることを志向させる異文化からの長男として、この家族にやってくるのである。そしてやはり、「この家族には父親がいない」と認識する。だから、長男の邑人が「父親の役までつとめ」るようになるのだと。

 

この子どもたち三人は、そんな社会意識を見抜いていながら、そこに葛藤しながら、実はまったく違う原理で認識し、動いていることが作品の最期で示される。次男(三男)の都夢は、帰国していったエマニュエルを、「ただの人じゃない」、「ぼくたちの家族にぴったり」、「いればいいっていうんじゃないんだよ、一度来ればずっといることになるんだよ」、と言う。長男(次男)の邑人は、「お母さんはまだニュートン力学で考えてる」、「ああなったからこうなる、って時間の順序で考えてるでしょう。それじゃ何もわかったことにならない」、「表面はばらばらに見えるものが本当はどこかでみんなつながっていて、何か一つが動くときは他のことも同時に動きだすようにエネルギーが働いているものなの」、と説明する。その説明を、未央子は了解し、「すべての中心にエマニュエルがいる」、「自分の夢がエマニュエルを引き寄せたのだ」と思わずにはいられない。

 

未央子がいう「夢」とは、作品冒頭の、この世に生まれてくるときに出会い別れた少年とのことである。作中、この夢は、他の女性たちとの会話のなかで、「前世」のエピソードとして変奏される。また自分のセクシュアリティーも、この世ならぬ次元において推論される。――<あたしはあたしよ、男でも女でもないんだよ、と宣言して、友達から軽蔑されたっけ。でも好きになる相手は一貫して男の子だったから、心理学的にもまぎれもなく女なのだ。それともあれは、男の子が好き、というよりは、男になりたい、という願望の表れだったのだろうか。好きになった男の子の動作や口調をまねてばかりいた。魂には男も女もない、と未央子は今も思っている。そこに性差が加わるからややこしくなるのだ。性差にもとづいて何年も母親の役をつとめるうちに、未央子は意識の大半が母親になってしまった。我慢する母親、恐縮する母親、支配する母親、できの悪い母親、苛立つ母親、髪をうらめしく伸ばした母親お化けだ。>

 

夫の巌も、この魂の次元から捉えられている。家事手伝いに来てくれる、婚約者とは前世の縁だったという富子は、夫婦の関係をそう見抜いているらしいのだが、「こういうことはいっちゃいけないんだ」、エマニュエルと未央子との関係も「たとえば、あ、これはいっちゃいけないんだ」と切り上げる。この伏線のようなやりとりは謎のままにしか見えないのだが、前世で会ったものが何度も出会うのには「きっとそうする必要がある」という前提会話があることから推論するに、夫の巌自身が、未央子がエマニュエルに出会うためのきっかけのような存在だと暗示されているのだろう。

 

では、この長男(末っ子)のエマニュエルとは何者なのだろうか? 聖書では、「汝神とともにあり、という意味」だとされる。がタイトルには、「南十字星の息子」とあるから、この含意の方が言いたいことなのだろう。「息子」は、南十字星を天空に伺うオーストラリアから来る。通俗世界、散文的にはそこは「流刑の大陸」ではあるが、「世界の意識の下部」としても未央子には理解されている。この息子の登場は、意識下の、夢の、魂の関係を浮上させた。が、その発見は、夫婦の離縁、家族の破壊を代償させた。未央子は、飼い猫のにゃん太が怪我をしたとき、それを予感する。――<この子は疫病神ではないかしら、悪魔は美形で現れる、という。ころっと魅せられて、賛美しながら人は破滅に向かうのだ。この子はつぎつぎ凶事を起こして、あたしたち一家族を奈落に突き落とすのではないか。まさか、と未央子はもう一度否定する。猫の怪我ぐらいで疑うなんて、あたしはどうかしてる。だが、もっと悪いことが起きそうだという不安は未央子の頭からすぐには離れない。>

 

邑人は、エマニュエルを見送り、母に「ニュートン力学」とは別の原理を説いたあとで、「にゃん太の怪我は関係ない」との以前の発言は嘘で、「本当はあるんだってば」と、どこか肯定的にくつがえす。ということはつまり、エマニュエルは、この世では破壊者だが、だとしても、この世の物理とは違う原理を、魂の次元を発見させる天使、意識下の世界から派遣され、前世で自分とすでに縁もあったかもしれない使者なのだ。

 

が、問題は、それが本当は、なんなのか、ということだ。

 

冥王まさ子は、1995年のこの作品の刊行を見るまえに、動脈瘤破裂で亡くなったそうである。作中、エマニュエルは帰国するさい、みなにプレゼントを渡したそうだが、未央子に何を渡したのかは、未央子に黙らせたままだ。おそらく、この『南十字星の息子』という作品自体が、プレゼントなのである。この世とは違う次元から来たとされた使者は、「疫病神」のように「もっと悪いこと」、作者冥王自身を破壊した。しかしあたかもそれを代償とするかのように、『南十字星の息子』という彼女の意識の下からきた「息子(作品)」をこの世に贈らせたのである。自らの死を知らなかった彼女に、遺言はありえない。突然の死は、この世への、産声をもたらしたのだ。

 

私たちは、この産声、彼女の「夢」を、「意味という病」として退ければいいのだろうか?

 

「断片的なできごとのつみ重ねである日常とはべつに、ひとすじの意味でつながっている世界があって、それは夢と接する地平線から、天空をめぐる星座のようにゆっくりと展けてくるのだと未央子は信じたい。そして自分が壮大な救済物語のただ中にいるのだと。」

 「人と人を、男と女をつなぐものは本当はいったい何なのか。」

 「要約すると、他者の魂に届きたい、という必死の願いが挫折していく過程よ」と未央子は講釈するようにいった。「たぶんそれが愛するということなのだろうけど、相手を間違えることもあるのよ。何が間違えさせるのかを考えているの」

 「愛って何だろう、とぼんやり考えだす。くっついていたいこと、と小さな邑人がいった。ただそれだけかしら。くっついている努力をすること。もう少し真実に近い。でも、なぜくっついていなければならないのか。一人では生きて行けないから? 一人で生きて行けるほど強ければ愛はいらないのか。もし一人で生きて行けなくて、誰かとくっついている努力をしたとして、それが苦痛だけになったとしたら、それでもそれは愛なのかしら。」

 「わたしは周囲の人たちから悪い母親だといわれてきたのよ、子供たちがああだから」「そんなことをいう奴らは殺しちゃえばいい」未央子はぎょっとしてエマニュエルに向き直った。エマニュエルの眼が笑っている。

 

冥王まさ子は、たしかにこの作品で、この現実世界を殺したのだ。そしてその代償として、彼女は死に、この作品がこの世に生まれてき、私たちに届けられた。私の知る限り、この作品をまともに論じた文はない。妻が死に、私は、この作品を手に取った。そして私は、彼女からの贈り物を受け取った。

 

これは、「意味という病」だろうか? そう割り切る時、量子論が単なる情報論として簡単な話になるように、私たちは、割り切れる世界、割り切ってもいい世界に生きているのだろうか? 必要なのは、意味を排し、目の前の敵を切って捨てる(柄谷マクベス論)ことなのか?

 

※もう少し、この世の俗的な話をしよう。私は、早稲田大学文学部文芸科の授業で、夫婦の離縁につながる出来事のことをきかされている。当時柄谷行人は、文芸誌に、「探求Ⅱ」を連載していた。その他者というのはね、女はわからないということなんだよ、当時文芸批評家として駆け出しの講師・渡部直己はそう講義した。その出来事のことは、この遺作では触れられていないが、未央子の、「バーのママとできようと、家にもち込まないかぎり知らぬが仏」との言及で示唆されてはいる。またNAMの芸術系での会議で、岡崎乾二郎は、柄谷さんは面白いんだよ、子供の喧嘩に親がでる、とかいって、相手の子供もぶんなぐるんだよ、と言っていた。このエピソードも作中にあるが、それが母(妻)から見れば、こういう結末だったことは聞かされていない。――<だから巌は都夢が級友にいじめられたと信じたとき、級友を捕まえて殴った。それが学校で問題になると、巌は、おれは正しい、と主張して、あと始末を未央子に押しつけた。だが、都夢に友達がいないと知ったとき、巌は触覚をもがれた昆虫のように判断力を失った。>

どこか、『巨人の星』の星一徹を想起させる。佐藤優によれば、外務省やエリート企業のサラリーマンの間では、すぐこのアニメの話で盛り上がるのだそうである。が、原作漫画の結末は、大リーグボールを投げすぎて引退した飛雄馬が、ライバルと憧れの女性との結婚式を木の陰からこっそりと盗み見ているシーンで終わるんだ、つまりこれは人格破綻者の物語なのだと。柄谷は、私の妻が遺したVHSビデオ、おそらく大阪でのフェミニズム関連の講義で慰安婦問題に関連した責任のあり方をめぐる話のなかで、自分の子育ては「失敗」だったと発言している。一徹ではなく、飛雄馬世代の私としては、子育てにそんな単語がでてくることにびっくりした。親からみれば、私たちは「失敗作」(作中でもでてくる)なのだろう。が、同世代のもと巨人軍の桑田選手は、プロ引退後、早稲田の人間科学部の大学院に入学し、なんで日本のスポーツでは「根性」(作中でもでてくる)とかの精神主義になるのかと歴史的に批判検討した論文を書いて首席卒業している。日本のプロ野球界は、まず野茂が球界から破門されても大リーグ選手のパイオニアになり、イチローは日本シリーズでヤクルト野村監督のような管理野球に負けたことが一番悔しいのだと大リーグにいき、ダルビッシュは張本の強弁と言いあいながら投げ続け、その延長で、ニコニコと楽しそうに野球をする大谷がいる、そう傍系が実質的な中心になって保守改革を続けてきたのだ。

しかし私の世代より若くなれば、なおさら「父の不在」は顕著になり、ゆえにというべきだろう、妻(母)が歪曲(倒錯)的に強くなる。未央子は、「巌が子供たちを強制し、殴ろうとしたら今度こそためらわずに阻止しよう」と決意もするが、若い世代では、むしろ「強制」し「手を出す」のは、母の方になってくる。私の家庭はすでにそうで、ただ若い夫婦の間にいても晩婚でひと世代上の私は、暴力的に母子関係に割って入って、逆に周りから浮いていただろう。おまえが子供に手をだすのなら俺がおまえをぶんなぐる、と。……だとしても、やはり、しょうもない男たちのジェンダーバイアスの社会を、私たちがなお生きさせられていることに変わりはないだろう。一徹も飛雄馬も、程度の違いであって、同じ思想の中にいるのである。が柄谷は、そのマチスモ(人格破綻)な思想を、唯物論的に肯定しているのだ。そのことを、私は『力と交換様式』の感想、そしてエマニュエル・トッドとの思想比較によっても、このブログで指摘している。

 

さて、今日は、これから、近所の千葉劇場に、モンテッソーリを描いた映画を見にゆく。またそのうち、国立近代美術館に、ヒルマ・アフ・クリント展も見にゆくだろう。これらスピリチュアリズムに通じる女性たちの活躍については、岡崎乾二郎の『抽象の力』から教示されているわけだが、果たして、柄谷交換様式論の力は、この力を論破できていることになるだろうか?

 

2025年4月1日火曜日

大畑凛著『闘争としてのインターセクショナリティ 森崎和江と戦後思想史』(青土社)を読む

 


いく子は自身のダンスに三度、「事件、あるいは出来事」というタイトルをつけている。この言葉は、デリダか誰かの現代思想的なものに触れて、そこから借用してきたアイデアなのかな、と当初推察したりしてもいたが、意味しようとしていることが違うようにみえて、ではその意味したいものは何なのか、ずっと疑問のままだった。

 がこのたび、大畑凛の『闘争のインターセクショナリティ 森崎和江と戦後思想史』を読み、もしかして、こういうことなのか、と違う方向としての意味に気づかされた。

それは大畑が森崎の思想のひとつとして把握してみせようとした、「方法としての人質」にかかわる。

 

この「「関係としての思想」もしくは人質」という考えは、パートナーであった谷川雁と別れたあとの森崎が、「「単独者意識」と「自称近代性」、「植民二世意識」が等号で結ばれ、同時に乗り越えるべきものとして措定」された課題を追及する過程で意識化されてきたものと解かれる。炭鉱から離れ東京へとひとり出立していった谷川とは逆に、森崎は「故郷から引き剝がされ流浪していった流民たちの集合と離散によって編まれていった炭鉱の集団や共同性を、「近代的自我」への根源的批判として受け止め」、「集団の原理」を追及する方を選んだのだと。ここでの「流民」とは、労働組合的に集合化されない、「逃散」していく「未組織労働者」や「女坑夫」たちであり、そこでの「連帯」の模索なのである。そしてその連帯(関係)の在り方として、森崎は、当時起きた金嬉老の、金を取り立てに来た暴力団員を射殺し、「人質」をとって立て籠もった事件から示唆を得たのだ、と。

 

「関係の思想」の内実は、次のように解説される。

 

<「関係の思想」とはある種の相互承認を意味するのではなく、個人的権利すら確立されていなかった時代を知る女坑夫たちの強烈な個としての自尊心と、他人を他人とは割り切れない感覚とが矛盾することなく共存する、彼女たちの特異な倫理性を指すものだった。>

 

森崎にあっては、金嬉老や未組織労働者の「人質になること」が「民衆的連帯」である。しかしここでの「なる」を、活動家としての、インテリの側からの、ブ・ナロード(民衆の中へ)的な共にの意味で理解してはならないのだ。森崎が谷川と別れることには、労働者による女性レイプ事件がきっかけとしてあった。この「なる」は、同じ女性として、「他人を他人とは割り切れない」「身体的感覚」が根底にあるのだ。


 私は著作のここら辺りの記述を読んだとき、いく子の、最近のブログでも引用した、カンピオン監督の映画『エンジェル アット マイ テーブル』の評価の言い方を思い起こした。

 

<女の人が受けとめざるをえない現実、何かをしたいとか突飛したいということじゃなくて、起こってしまうことをかぶってしまわなければならない。抵抗する方法も、また行動するやり方も知らないでいること。身の回りに起きることを、彼女は受けとめていく。…(略)…たぶん彼女たちのために私はパーティを開くのだと思います。>

 

いく子にとっての「事件」、「出来事」とは、ゆえに「人質」的である。しかも、いく子は、森崎がその受苦性を積極的に反転させたように、そのタイトルをもった作品で、「リアルにそこに、「こと」が起きる。」(1999.11公演パンフ)、「ここに、コトが起こる。この時、コトを起こす。」(2000.9公演パンフ)と提示するのだ。

 

なぜ、受難が逆転するのか? そこに、「自由」を見出すからなのだ。

 

大畑は、森崎の見出す「人質の自由」を、次のように解説する。長いが引用する。

 

<このように、自由が森崎にとって呪いのごとき言葉でありながら、前節でみてきたように森崎が人質という方法を「民衆的連帯」の文脈においても提起し、「関係の思想」を「私権」意識に支えられてきた戦後民主主義への批判原理としたことを踏まえるならば、人質の自由とは次のように解釈することができる。すなわちそれは、近代的主体を前提とした個の自由を意味するのではなく、自己が不意にもとらえられるという一見まったく真逆の条件に置かれることで、はじめて近代的原理とは異なる関係の自由が編まれえること伝えるものだ。森崎はここで自由の意味そのものを根底的に組み換えながら、自身の近代的自我や個人主義的な感性の乗り越えと解体を、金嬉老(群)との「妥協をゆるさぬとりひき」に見出していた。

 しかし、この人質の自由は、絶えざる緊張関係に自己と他者を置くことで、新しいなにかがすぐさまうみだされることそれ自体を拒否するような性質のものでもある。この自由をえたところで保証されるものはまったくなく、むしろそれは関係の困難さそのものを受けとめることでもある。なにより、この「とりひき」は決して固定的な立場性には還元されない。問うものと問われるものが存在しながらも、それは一元的なものではなく、交差する民族的次元とジェンダー的次元は項目ごとに分別できるようなものでもない。両者の立場は不変(普遍)的で安定したものにはなりえず、この試みはジグザグの蛇行のような軌道を描きながら、いつでも失敗の余地に晒されている。>

 

この記述は、私がはじめていく子に招待されてみた公演、『青空×干渉するものたち』(2001.10)でのいく子のパンフでの、謎々のような言葉と重ねられる。

 

<関係は困難です。

一人で踊った方が、はるかにラクですし自分のタメになるように思いますし、すべての批評を誤魔かしなく受け止めることができます。たぶんそうだと思います。

でも、一人でやってもしょうがないと思うのです。自分のために踊ったってしょうがない。また、誰かのためでもないんです。私が引き受けなければならないのです。

自問が続きます。ここに、立つほかありません。

アメリカにテロが起り、報復がありました。

関係は困難だって、そんな文学的修辞は意味をなしません。

ここに、立つほかありません。>

 

なんという言葉の符合だろうか。

いく子は、「自由」へ向けての「関係の困難さ」を私に見せようとした。いや「人質」になるという「とりひき」を試みたのかもしれない。友へ宛てた手紙のうちには、柄谷行人がはじめた単独者の連帯としての、「可能なるコミュニズム」という言葉を受けて、そんなこともう自分はやってるじゃん、ともらしていたのがある。それは、他の女性ダンサーたちとの群舞や場の形成のことを言っていたのであろう。が、その意味、方向は、実はまったく真逆なのである。柄谷は、谷川雁の、「連帯を求めて孤立をおそれず」を言い換えて、「孤立を求めて連帯をおそれず」と説いた。が、森崎の思想やいく子が暗黙に捉えてきた志向からは、それらはどちらも同じような意味(方向)になる。柄谷用語でいえば、「切断」の思考が前提にあり、その上で理論的に説かれるポスト近代としての上昇(「高次元」、メタレベルに立つ)志向である。が、彼女たちが前提とするのは、「割り切れない」「身体的感覚」なのだ。

 

それが、女性的に特有なものなのかはわからない。森崎は、「からゆきさん」として流浪した天草や島原の女たちへと向かった。

 

    著作の後書きで、まだ京都にあった、「カライモブックスという古本屋」が言及されている。その古本屋はいまは、水俣の、石牟礼道子の住居あとに移っている。私も、チッソ幹部の娘として「植民二世意識」を生きたいく子の生地であるそこを訪れたさい、水俣を案内してもらっていた相思社の女性職員に紹介してもらい、奥田ご夫婦の共著『さみしさは彼方』(岩波書店)を購入させてもらった。こんどは水俣から、フェリーにのって、天草から島原の方へ訪れてみたく思っている。中学時代のいく子の友人ふたりが、そこの出身である。

2025年3月28日金曜日

小説出版

 


石牟礼道子の代表作『苦海浄土――わが水俣病』は、当初『海と空のあいだに』というタイトルだったそうである。講談社の担当が、自費出版ならいいが商業出版ではそれではだめだ、ということで、机上にあった仏典か何かを開いて「苦海」という言葉が目に入ったので引き出し、同席していた石牟礼の夫もその文献を手に取り「浄土」という言葉を発見して提示し、二人が見つけた言葉を足して「苦海浄土」となったそうである。とにかく出版してお金を稼がなくてはならなかった石牟礼は黙認したが、そこでの不満を渡辺京二への手紙に書いている。

 私の三十年ぶりの小説タイトルは『いちにち』だが、まさに自費出版なのだから、それでいいだろう。副タイトルとして、「二〇二〇~二〇二四」とした。書き始めたら妻が入院手術し、コロナが発生し、戦争が起き、そして死んでしまった……講談社学芸文庫に『妻の死』という、妻を亡くした作家の作品集が編まれているのがあるが、そのどの悲しみの形とも重なり、どれとも違う。

 石牟礼の副タイトルは、「わが水俣病」である。まったく「浄土」になどなっていない水俣の埋め立て地なのに意味不明だな、と本タイトルに思うわけだが、このサブタイトルは、なおさらわからない、これはどこから来ているのだろう、と疑問に思っていた。「水俣病事件史」とかならわかるのだが。最近、もしかしてここからか、という推察にであった。森崎和江の「わがおきなわ」だ。石牟礼は筑豊炭鉱地帯から発刊されていた「サークル」活動で、森崎の女坑夫への聞き書き文章の影響も受けている。ここでの「わが」とは、ネームバリューのある特権的場所の我有化とは正反対の、我が事の現場からの文脈の交差性を意味しているらしい(『闘争のインターセクショナリティー 森崎和江と戦後思想史』大畑凛著 青土社、を参照)。

 

とにかく、ひとつの経過としての作品を提出した。電子出版では無料公開、オンデマンド方式の紙本出版にも対応しているが、印刷や送料で、2189円かかるそうである。

 

BCCKS / ブックス - 『いちにち』菅原 正樹著

 

 ※とにかく、次はまず、いく子からの課題に暫定的にせよひとつの解答=小説を提示しなくてならない。いく子が亡くなった65歳と同年齢までの、あと10年以内ほどに、『ガーベラは・と言った』、そして死ぬまでには、『家と庭』へ向けて認識を深めて、仮説的な答案を提示しなくてはならない。があせっても無理なので、それはやって来ないので、とにかく「事件、あるいは出来事」に巻き込まれても、なんとか正直に生きて、寝て待つことだ。