2011年2月28日月曜日

落下2――森と自由


「政治的エリートに属する人が自分で自分を選択するとすれば、それに属さない人は自分で自分を排除していることになるからである。このような自己排除は、恣意的な差別どころか、われわれ古代世界の終わり以来享楽している最も重要なネガティブな自由(リバティー)の一つ、すなわち政治からの自由に、本当に実質とリアリティーを与えるものであろう。」(ハンナ・アレント著『革命について』 志水速雄訳 ちくま学芸文庫)

「植木屋が木から落ちるのは当たり前だ」と父は言ったそうだ。そのとおり。しかしつづけて、「そんな仕事についているのがわりいんだ」と言うのには、うなずけない。単にそれは、差別だろう。父、そして母もそうだが、私が大学に通うために上京し、卒業して植木職人をやっているということを、親戚や近所の人に言うことが恥ずかしくてできないのだ。それは禁句になっているようだが、私が親戚に「何やっている?」ときかれれば、平気な様子で「植木屋」と答えると、父母は渋い顔にうつむくが、驚いた表情をみせた親戚はすぐにも「それはいい仕事だね」と応じてくる。もともとは村長をやっていたような家系であっても、田舎の人たちは自らが土をいじってきているので、本来は違和感は生じない。ただ子供の頃ヤギの乳搾りが仕事だった父も、そして県下の進学高校を卒業した私も、そうした世界から離脱して官僚的なピラミッド・コースに参入したはずだという世間体があるので、それを崩してくるような現実を隠そうとする習性がでてくるのだ。しかも、父母がもっている植木屋のイメージはよくない。かつて、父の勤め先の大学や理事長の邸宅の庭手入れをしている植木職人に、自宅の角に何を植えたらいいかときいて言われたとおりヒマラヤスギを植え、それがでかくなりとんでもない目にあったこととか、松の手入れをしてもらったら、それ一本で何万円もとられたとか、で、口達者な者のインチキ仕事なんではないかと思っている。去年、私の職場が新宿区のケーブルテレビで紹介されて、そのDVDを両親にみせたら、私と一緒に仕事をしている職人さんが、まさに理事長宅出入りの職人とそっくりな北島三郎似のものだから、やはりいかにもな、という受けとめ方をしたようだ。私はその偏見を否定しはしない。実際、職人世界は卑屈な閉鎖性で世間と対置し自己を守ってきていることが見られるからである。誤解されてもしょうがない。値段ひとつ、オープンにしない風潮がなお残っている。しかしそう堂々としない(――本当は堂々としたほうが受けはいいのだが、それに伴う対処の仕方に知恵をまわすことを怠ってやろうとしない。)のは、そうもできない過去を背負っている、まさに差別の現実があったからだと、これまた了解しえるのである。しかし、自由競争的な市場原理は、オープンでないものを淘汰していくだろうから、そんな不要な差別は解消されていくだろう。つまり両者の溝は、自然的に埋められていくだろう。が、それはあくまで、市場経済的な形式上でのことである。問題は、その向こうにあるのだ。

私が見た感じでは、経済構造上の転換が、ヒトの身体的な価値観を即応的に変えていくようになるとは思えない。私のプチブル的な育ちは、国家(官僚)主義的なヒエラルキーと、それに結びついた給与体系をもった資本(市場)主義の価値観を注入(教育)してきたけれども、私がそれを自己否定するとき、私は根本的に破壊され尽されるわけではない。まだ正確にはわからないけれども、16歳で自己懐疑的に発病した私は、7歳から15歳までの自分を打ち消して、それ以前の、記憶としては思い返せない幼児期の価値観を取り返そうとしているのである。
外務官僚だった佐藤優氏には、次のような発言があるが、私がやっていることも、そのような「文学」的な営みである。

<私の著書の中でまともなものは、二〇〇二年以前の回想だけです。要するに、時間がそこで止まっていて、過去に経験したことをどうやって自分で納得するかというのが、残りの人生の課題だと思っているのです。さまざまな「トランス」をしながら、そのことについて考えている。>(佐藤vs柄谷「国境を越える革命と宗教」『中央口論』2011.1月号)

フランスの詩人ランボーは、「時計がとまった」と言った(『地獄の季節』)。私も、16歳で時計がとまっている。それ以降は、余生なのだ。身を切るような。記憶のない幼児期を回復する運動思考といっても、それは病気になり、官僚路線から脱落し、仕事もせず、そして木から落ちる、という営みとして現象してくる。しかしこの余生があったおかげで、私は人生のはじめから官僚路線に参入していることから排除され自身でもそんなことを思いもつかない庶民階級的な価値観を見ることができたのである。いや正確には、私自身子供のころの遊び相手は、石屋さんや農家のせがれ、そして近所の工場勤めの息子たちであったから、学びなおすことができたのだ。そこは、卑屈な閉鎖性でガードされているとしても、そこにある価値は、官僚・市場的なものよりも人間的であり、マシである。つまりベストではないかもしれない。しかしマシであることを認めることからはじめることは、ヒトが自由であることを認めること、その価値を理念的に前提としていくという思想の営みなのだ。どういうことか?

とにかく動けないので、一日中椅子に座って、本を読んですごしている。午前中は、国家試験になっている「森林インストラクター」の試験問題集などを勉強している。森林知識的なものはいいとしても、そこでのレクリエーション活動知識とかとなると、官僚たちが相当無理して作った問題だというのが見えてくる。山(森)での集団的な活動には、自然と自分との関係、他者と自分との関係、そして自分自身との関係を考えさせてくれるもので、ゆえに余暇を超えた生涯教育的な良き推奨に値する価値、なのだそうだ。事実そうだとしても、それをだいだいてきに、つまり上から教えるとは、そういう啓蒙の仕組みを作るとはどういうことなのか? 息苦しい話しだし、実は子供は、そんなお膳立てされた経験からは何も記憶しない。あるいは記憶されるものは、その啓蒙とは違ったものになろう。あるいは、最近では大企業が森林保全の活動広報にだいぶ参入しているし、地域復興と結びついたNPO的な活動も盛んになってきているようだ。すでに余生を生きているような私からすると、こんな雁字搦めでは森(山)にはいっていく気がしなくなる。山(森)がいいのは、それがアジールだからではないのか? つまり、そこに自由があったからではないのか? 世間からも、法からものがれて、その庇護からも離れて。事実的にはすでにその山林の所有権が制度化されているとしても、発想の、思想の自由として、その身体的な自由の余地が現今の思想から排除されていく傾向があるのは、ヒトの生活を行き詰まらせないだろうか? 病院のベッドにずっと寝かせられていると抜け出したくなる身体の自由は、森から抜け出したサル=ヒトの集団の、その価値の習性であるかもしれないではないか? 国家官僚制と定住の技術体系が結びついているとしたら、そのたかが1万年ほどで形成された価値よりも、数百万年とつづいた遊動の生活の価値観のほうが、身体的に根強いのではないだろうか? さらには、この性懲りもない習性=自由を、たかが数百年の市場(資本)主義の価値がくつがえせるわけもないのではないだろうか? ならば、われわれは、この自由を認めるところからはじめるほかはないのではないのか? それが、より自然に、その観念に近く、近づいていく、回復していく運動思考なのではないのか? すでにわれわれは、そんなサル=ヒトの幼児期のことを思い出すことはできないけれども。

2011年2月18日金曜日

落下――天罰・守護霊・人


「今、明白な事実として、人類の一回性を例にあげたが、天地創造の世界観にあっては、天地万物、空間から時間にいたるまで、神によってある時創造されある時終る、一回限りの現象として認識されているのであるから、そこでは、人間以外のすべての現象についても法則の存在は不可思議になるはずである。/天地創造の世界観を持つ欧米の学者も法則の追及をしているから、証明とか法則とかいった問題は、人類共通の問題であるようにも思えるが、日本の学界の、法則定立への強い志向、証明ということに対する信頼ないし幻想は、目にみえている範囲のことをきちっと組み立ててゆく森林的思考方法に、よりなじむためであると考える。森林のなかでは時間は無限であり、万物流転、すべてのものはくり返している。目にみえないところまで、いずれ、きちっと、知識が積み上げられてゆくであろう。森林の学者はこう考える。/砂漠の学者は、世界は認識しきれないという前提から出発するから、私にはこうみえると主張するだけで、その「証明」は本質的に必要ではなく、ただ、他への伝達の手段として「証明」を利用する。」(鈴木秀夫著『森林の思考・砂漠の思考』 NHKブックス312)


退院してきて3日ほどたつ。作業中に木から落っこちて、かかとを粉砕骨折。20メートル以上あるイチョウの木の下枝10メートル近くのところから、気付いたときは落下最中だった。すでに30メートル近くある銀杏並木を手入れしはじめて三週間目、その頂上にいながら、すでに注意力の忍耐が神経疲労で切れていることにはきずいていた。真下は保育園送迎のママチャリがいったりきたり。月曜日で調子もあがらず、労災が月曜日に多いのもうなずけるな、この木の手入れが終ったら10時の一服を長めにとって、なにか違った手を打たないと危ないな、と思い巡らしたりもしていた。相棒は二日酔いだったので、すぐに樹上から降ろして歩道のガードマンをやらしていた。まだ切りおわりもしないのに、「もう10時ですよ、速いですね、きょうあと三本くらいいけるんじゃないですか。」などと他人事のようにほざいてくる。怒るとなおさら集中力が鈍るので、一服のジュースを買いにいかせ、ために私が落ちたときはマグドナルドにいたのだった。一通り枝おろしがおわり、切り枝のひっかかりをとりにまたハシゴをのぼっていって処理したその帰りだった。枝からハシゴのほうへ降りようとしたそのとき、まだ枝が木にひっかかっているのじゃないかと、ふと魔が差したように上を見上げてしまったのだ。降りようとしながら上をみる、同時に二つのことをしてしまうというケアレスミス、普段ならやるはずもないことを、すでに注意力の切れていた状態では無意識のうちにやってしまうのだろう。空がまわった。目まいのように。手は中空をひとかきあえぎ、下をみると、コンクリートの屋根が迫っていた。あすこに頭を打ち付けて、後にそっくり返って死ぬ、そんなイメージが静かに浮かんだ。が次の瞬間、何かが起こったのだ。気付いたときは、地面側に倒れていた。足と肩に痛みがあるが、首がまわる。半身不随じゃない。意識がしっかりしている。携帯電話をだして相棒をマクドナルドから呼び、元請けの社長に電話をかけると旅行宴会中なので、会社にかけかかりつけの病院へおくってもらう手配をする。それから親方にかけると、なんで落ちるんだ注意しろといっただろこんな小さな会社が事故をおこしたらどうのこうのと長い説教がはじまる。そのうちに、元請け社長の息子と二日酔いの相棒が現場に到着する。二人に抱き起こされて病院へむかった。事故原因は? 目先の売り上げとその場しのぎ重視のため、若手育成のノウハウを思索せず、少数のできる者に危険仕事を押し付けっぱなしだからだ、落ちたのは私だけではない。落ちてみて、そういうことだったのかと改めて気付く。しかし私は、そんな馬鹿馬鹿しい世俗のわかりきったことになど、興味がない。しかし、都会のど真ん中の高木を、機械がはいらないため人力の木登りで切っていく仕事とは、いままでの歴史にはない、新しい作業である。その手仕事の新しさのこと、その馬鹿馬鹿しい弱者への押し付け処理を、だれも気付こうとしない。ならばそれは、見殺しということになるのである。実際、私の落下を、バス停で待つ人たちは目の前(上)でみていたのだから。

何がおこったのだろう? 本当なら、死んでいてもいいはずなのに。いや仕事柄、いつ死んでもいいように、子供には遺言めいた言葉をいつも残していて、女房にもヒステリックになって子供と喧嘩(教育)するのは逆効果だからもっと信頼しろ、といっている。自身のホームページでも、仕上げする前にこんな怪我をしてしまって、怪我後すぐにアップした一希との共同作『サンタさんへの贈りもの』も、遺書みたいなものだった。しかし本当にそうなるとは……松葉杖で帰宅後、私は机の下をみた。あの事故を起こした日の朝、私が仕事へいこうと食卓を立ち上がったそのとき、はらっと落ちたものがあったのだ。机と壁の脇に、私はそれを見つけだした。去年のぎっくり腰のさい、座位したところから窓の外にみえた欅のてっぺんの枝ぶりを、デッサンしたものだった。また私は、あのイチョウの木の下枝を、前回の作業終了まぎわの時間調整に切ってその片付けが終ったさい、聞いたこともない小鳥の鳴き声を頭上にきいた。その姿を探したが、甲高い鳴き声が中空に響いているだけだった。そして私は、この二つの小さな出来事を、不思議な気味の悪さとして感じ、覚えていたのだった。私は、机の下から欅のデッサンを手にしてみたとき、だからはっとしたのだ。兆しがあったのではないか? 私の身に迫る危険のことを、教えてくれるものがいたのではないか? そしていざ本当にその危険が発動された最中、私を助けてくれたものがいたのではないか? あちこちにある痣や擦り傷から推理すると、私は落下途中、ズボンの脇ポケットのタオルを入れた膨らみが、ハシゴのつなぎ目にひっかかり、20cmくらい体の向きがかわったらしい。ためにコンクリの平屋根をかろうじてかわして、そこには肩だけが激突し、体が一度ハシゴにのってから、植え込み地側の地面へと跳ね落ちたのだろう。私を落下地点とは反対のほうへひっぱる力が働いたのだ。

一瞬のふとした人間のスキやミスにつけ込んで介入してくる何か、私はその動きを、神とか自然と呼ぶ。職人や、スポーツの世界では、この感覚は日常的なものだろう。それは常に復讐であり、天罰的なものだ。食物連鎖のある生物界はむろん、人の世界(存在)それ自体がなんらかの齟齬・軋轢なのだ。しかしそれでも、その天をなだめるかのように、仲介にはいってくれる存在がいる、いるらしい。世間ではそれを精霊とか守護霊とか呼んでいるけれど、ニヒリストの私には憑いているものではないとおもっていた。しかし私の身の回りにも、私を見守ってくれているそんな霊たちがいるとしたら? だとしたら、私に何をしてもらいたいというのだろう?  ……むかしアニミズムの世界では、そう自然からの意味を読み取って、自分(たち)の物語を構築し、そのことで生と死の充実を図っていた。物語(先)を構築できること、その意志を持てること、それが人間にとっての希望であるだろう。閉じこめられた洞窟で、一じょうの光がさすとき、そこの穴をこじあけていけば外にでられる、と物語=希望が想像されてくるように。私は身の回りから、どんな意味をすくい上げて、霊に答えるような共同の物語を、希望を作り上げていくことができるだろうか?

実家からは、「植木屋やってれば落ちるのは当たり前だ、そんな仕事についているのがわるいんだ」と父親がほざいているのがきこえてくる。そう伝えてくる兄は私が構築しようとする物語に怯え、俺は病人だからとあとずさりする。親兄弟は、怪我人のもらした一言にパニックになる。仕事より大切なものがあるではないか? 身近な雑音は、退院してきた私を混乱させる。生活することではなく、生きることそれ自体の……春一番になるのか強い風が、ベランダの洗濯物を竿ごとふきとばし、空を割るような高い音をたてて、いま落としていった。