近所で植木手入れをしていた昼休みに、家にもどって弁当を食べてから、食卓の下にもぐって昼寝していると、テレビをみていた女房が、「航空自衛隊ならまだ許せるんだよ」とつぶやく。ニュースかコマーシャルの何かに反応したのであろう。頭の上から落ちてきた言葉に、私は一瞬、緊張した。それは、陸軍はだめでも海軍はいい、といっていたような戦前の言葉みたいではないか。
高3になる息子が、進路問題をひかえ、来月の公務員試験を受けるのは知っていた。警察官になりたいというのが、とりあえずの息子の意見であるらしい。3年生になった春先だったろうか、息子の部屋の勉強机の上に、警察官の募集要項やら公務員試験の問題集があるのに気づき、女房に問いただしてみたのだった。学校側が勧めているという。子どもの教育に私が口をだすと、狂ったようになるので、女房の病気を高じさせないために、関与しないというか、用心しながら気を張っていた。高校への進学の時には、教科書をびりびりに引き裂きながら、躍起になっていて、私は児童相談所に虐待の件で相談しようかと迷っている、息子は学校で異常がないかそちらの息子に尋ねてくれないか、とか、少年サッカーで一緒にパパコーチをしていた同級生の父親に、相談したりもしていたのである。私は、近所の誰でも入れる工業高校でもいいじゃないか、と口にしていたが、本人もそれはいやだという。どうにか大学への進学が期待される私立高校へともぐりこみ、女房はご機嫌だった。問題は解消されていくのか、繰り越されていくのか、そこを見極めていかなくてならないのだろう、とその時私は思ったものだった。
「自衛隊にも入るのか?」 寝言のように、片手枕で、私は女房にきいてみた。
「なんで大学へいくいのか曖昧な生徒には、片っ端からすすめているのよ。大学はいってももう就職できるともかぎらないと言ってるから、アメリカのあれと同じよ。息子の他にも、幾人かいるわ。おだてられるからその気になって、ほめられたことないから、うれしくなるんだわ」
私は、少し間をおいてから、付け足した。
「…つまり、それが意味することは、ほめられたことがないから劣等感があった、ということだよね」
女房は、私が言いたいことを察すると、躍起になって言い返してきた。
「だからほめろっていうの。あんたそうやって、自分の子どもだけをひいきしてきたから、こんなんになったんじゃない。」
「俺がサッカーの監督から最初に言われたことは、もし息子に手をだしたら、コーチにさせないからね、ということだったんだよ。パパコーチでも、教師の父親でも、自分の息子には厳しくなりすぎて、他の子どもとおなじようにあつかえない。だから、子どもがぐれたり暴力的になっていく。それを訓練していくのは大変なんだ。だけど俺がみたチームは、コーチから馬鹿にされてたへたくそな子でもゴールを決めてヒーローになり、弱くても強かったから、お母さん方もこのチームでならと喜んで、残ってくれたんでしょ。なのに、俺が抜けたら、またうまい子優先になって、子どもも母親もばかばかしくなってやめていった。」
「すぐまた自分の自慢話になる」
「事実の認識だよ」と呟いて、また寝ることにした。何度も繰り返してきたやり取りだ。女房もだまり、やがて立ち上がり、食卓をあとにしていった。女房も、実際には、中学までの自分のしてきたことを振り返って訂正してきていることを、私は気づいていた。たまに噴出するが、息子に丸くなっていた。が、もうその教育的な事柄に関し、息子は聞く耳をもたなかった。というか、だから、方針を変えて丸くなっていったのかもしれない。普通なら、ぐれていてもよさそうなものなのに、息子のメンタルはしぶとい。友人づきあいなどの件では、よく女房と会話をする。そんな振り分けは、私にはできないことだ。
公務員試験勉強を教える無料塾から、息子が帰ってきた。食卓につき、買ってきたのだろう何かを食べ始めた。たぶん、昨日の昼食時に、そばは食いたくないカレーのナンがいいあるんだから食べろなら食べないと女房と口論になっていたから、近所のネパール人の店から、ナンとカレーを買ってきたのだろう。
スマホのアラームが鳴り、私は食卓下から起き出した。
「試験は来月なのか?」
「そうだよ」と息子はナンを口にしながら答える。
「自衛隊を受けるのかい?」私は質問する。
「いやそこまでは考えてないよ」と息子は言う。
「うん。おまえの一番仲のいい○○君のお母さんは、中国人だよね。○○くんのお母さんは、敵かい? 違うだろう。よく考えてな。」
私は地下足袋をはいて、仕事へと向かった。
息子がおまわりさんになりたがっていると言うと、知り合いの職人さんや草野球仲間の大人たちも、「いや、それはいいじゃないか」、とうらやましがられる。自衛隊員を目指しているといっても、心配はするが、そこに価値判断は発生しないだろう。自分からそんな厳しい世界に飛び込んでいける稀な人材に、感心してしまうところがあるのだろう。私と女房が息子の抱く進路に違和感を抱くのは、私たちがブルジョワ出身だからである。
しかしそこでも、女房と私はちがう。警察官なんて一生日陰者として生きるようになるんだよ、とか、自衛隊に入れば再就職がいいたってリクルートっていうんでしょ、リクルートなんて大した会社じゃないってことがわかってないのよ、陸上自衛隊ではなく航空隊なら……こうした発想には、ブルジョワの貴族趣味みたいなのが隠見している。そしてそんなプラクティカルな、世俗的な話で息子を説得しようとしても、通じない。高校の頃の私も、母から防衛大学は再就職がいいだのと聞かされていた記憶があるが、私には気色悪い話だった。一般的にいっても、年ごろの若者たちは、純粋に真面目に考えている。何を考えているのかはっきりしてなくとも、動機がまっすぐなものだ。だからこちらも、偽善にはならない、それでいて目安になる正しさをイメージできる言葉を提出しなくてはならない。暴力を独占している機関に、自分からすすんで入ることは、いいことではない。おそらく息子は、幼児をつれた母親との間に入ってパントマイムをして子どもを笑わせたり、私と女房との間に割って入って夫婦喧嘩を仲裁してきたように、警察官を夢見ているのだろう。
「あたしの妹の旦那の兄貴も、警察官になったんだよ。試験には受かったんだけど、研修が厳しくて、あわないって、つづけられなかった」とは、吉永小百合似の、ときおり手伝いにいっている造園屋にきているひとり親方の奥さんだ。本人も、旦那と一緒に仕事をしている。私が警察官になろうとする息子を心配するのも、その点だ。徹底的ないびりとしごきの研修。この夏の街路樹の剪定に手伝いにきていた就職探し中の学生によると、なお民間会社でも、そういうのが続いているらしい。たとえば、700人採用して、ふるいにかけ、残りが数十人とかに減っていく。だから、また大量採用できる。そんな軍隊様式みたいのが、民間でも公務でも、まかりとおっているのが日本の職場なのである。が、息子は、中学の部活でも、高校の部活でも、そうした体育会系の方式に従わず、顧問から目の敵にされてきた性格の者なのだ。「わがままだ」とは、中学顧問が、終わりの会で息子に手向けた言葉である。高校まで野球部を経て、少年サッカーで息子を教えてきた私には、その顧問の気持ちは推定できる。だから、警察組織にはいって、やられるんではないか、というのが、私の心配事になる。
「俺はやめないから」というのが、女房との口論のなかで、出てきた言葉でもあった。「俺が大学選んだって、どうせそんなへんな大学なんかだめだっていうんでしょ。俺はいい大学にいったって、警察官になるよ。小学生のときから、みんなにそう言っていたんだから」
その時に、私は仲にはいって言ったような気がする。「仕事先を心配することはないよ。近所でも、結構ある」と私は、スマホをだして、塗装屋のHPをだしてみた。「小さくても、しっかりしているところはあるよ。(息子は植木屋よりかは、左官系の方が似合うようにみえていた。図画や絵心のある知り合いからも、絵のセンスが言いといわれたりしていた。)飲みはさせても、給料をださない親方もいるから注意がいるけど、職場にいってトラックの台数やきれいさをみれば、すぐにわかるよ」二人は、私のスマホをのぞきこんできただろう。
しかし「土方系」(息子の使った言葉)は、学校でも紹介できるところがあるようなのだが、おそらくは友達とのみてくれから、気の進むものではないのだろう。私のように、一匹狼ではない。進学していく友達が、たくさんいる。野球がやってみたいというので、私の所属する草野球チームの練習試合に参加してみることになったとき、友達は何人呼べるのだ、ときくと、いくらでも呼べるという。息子がサッカー部をやめて、以後ぞろぞろと同級生がやめていったらしいから、そうした帰宅部になった高校生がたくさん仲間として残っているのだろう。進学を目指しているそういう子たちの間では、肉体労働は蔑視されているかもしれない。
※
「息子のことで、相談があるんです」とは、草野球仲間のひとり、親方の長女の旦那だ。野球がおわったあと、焼き鳥屋をやっているメンバーの店にいって、もちろんコロナだから店は閉めたままだが、仲間内だけで生ビールを飲んでいる。
「植木屋になるかどうか、迷っているんですよ」と切り出してくる。
私は少々びっくりして、聞き返す。
「迷うって、他に選択肢があるの?」彼の息子、つまりは親方の孫は、農芸高の造園科にいっている。私の息子と同じ高校三年生だ。去年ぐらいから、街路樹などをやるとき、手伝いのバイトになっている。この梅雨時期にも、来た。迷う必要が、あるのか?
「いや、やろうとおもって、農芸高にいったんだとおもうんですよね。だけど…」と口をにごらせる。その曇った表情から、私にはわかった。その息子が中学を卒業するとき、そのまま植木職場にはいろうかどうかと、やはりこの焼き鳥屋で、たまたま出会った奥さんの方、つまりは親方の長女から話をもちかけられたときがあった。彼女の弟、つまりは今は社長としての肩書きを持っている親方の息子が、中卒でも立派にやっているように見えたからであろう。お金もかからなくてすむ。私は、植木屋はいつでもなれるんだから、高校にいって余裕をもたしたほうがいいとおもうよ、と言ったと思う。しかし、生活費を稼ぐために、トラックの運転のできる彼女自身が、父親や弟の現場にアルバイトとして働いてみて、おそらく、弟のところで息子を働かせていくことに不安が生じてきたのだ。「ああわたしも、あいつのところでなく、まあちゃん(私のこと)といっちゃん(団塊世代職人)の方で仕事したいな。オヤジに言ってみようかな」社長になった息子との関係で、職人が根付いていかないことに親方は怒り、実質的に会社を分けたのだ。サンダルでご家庭にいったり現場でオートバイを乗り回したりで仕事どころではない中卒あがりの彼を、私と年上の職人が暖かく見守ってきたから今があるということなど忘れて、忘れるどころか最近までは、見下していたであろう。が、私たちが若社長経由の会社に手伝いにいくと、その会社の年上社長たちが一目おくのに気付いて、「単なる職人(若社長の言葉)」でも偉い感じにはなるんだな、と意識が少し高まったのだ。ちょうど大塚家具での親子騒動があった頃で、おそらく酒の席などでその話題がでたりで、若社長も意識しはじめていることに私は気づいている。
「まあ、たしかに、親方と息子は違うよ。そうだな、おととしだか、NHKの大河ドラマで、真田丸とかやってたの知ってる? 有名になったのは息子の幸村だけど、偉いのは父ちゃんのほうなんだ。徳川と豊臣との最後の戦いで、真田が大阪城にはいったときいたとき、家康は、度肝をぬかれて、父親のほうか、息子のほうか、聞き返したというんだね。父親の方は、何を仕出かすか、手が読めないんだよ。親方は、洞察力あるから、長いものに巻かれながらも抵抗の仕方を知っている。それがなかったら、練馬の会社が談合ばれてつぶれたとき、一緒につぶれているよ。そういう会社は、たくさんあったんだからね。そういう意味では、息子のほうは純真だね。だから、そこが読めなくて、新宿の会社と共倒れになる可能性はあるよ。もう営業仕切ってるあすこだって、女の子の監督ばかり雇って経営力が落ちているのは明白だ。そのままおだてられて巻き込まれてもね。だけど、もう息子の考えでやっていくしかない。親方のほうの仕事は、もうお寺しかないようなものだからね。選択肢がないのは、わるいことではない。態度がはっきりして、いいことなんじゃない?」
また、高校にもいっていない若社長は、官僚的なシステムで頭が固まっていない。その分、古典的なマッチョな親分にはまるのだろうが、人間味を失っていないぶん、変化していく可能性があり、遅々ではあるが、新しく認識を得ては変わっては来ていると私は感じてもいた。
店にいた者たち、私より少し年長で、やはり年ごろの子どもたちをもつ店長や、私よりひとまわり年下の大工の一人親方などは、ふだん大人しい私が口にだす言葉が、酒飲みの話からすっ飛んでいくのは知っていた。が親方の長女の旦那とは、あまり話したことがなかった。彼の女房すなわち親方の長女は、彼女が女子高生の頃など、まるでアニメにでてくるような感じで、エヴァンゲリオンのキャラクタ―で言えば、容姿も性格もアスカに似ていた。
「ぜんぜん、職人の話す話じゃないんですね。いや、きいてよかった」と私よりひとまわり年下の、やさ男ふうの彼は言う。が私は一方で、去年彼の息子と同じく農芸高の夜学部を出たフィリピン人、私の息子と仲の良い友達のことを思った。すでに近所の神社の低木の手入れなどを好き勝手にやっていて、宮司からも可愛がられて、その社内に畑を作り、様々な野菜や果物などを栽培していた。卒業とともに、私の職場へ入れることも可能だったろうが、私は、ためらっていた。この地元意識の残る東京山の手の職人街は、身内とよそ者への区別が明確だった。若社長が自分の身内や町内会を通した若い衆をとりこもうとしているとき、フィリピン人の母を持つ彼は、浮いてしまって差別に会うのでは、と思えてくるのだ。幼少のころからそうだったのだから。卒業した今は、共産党系の元区議員の世話を受けながら、ファミレスでアルバイトをしていた。ぶらぶらできるのならば、違うチャンスを模索したほうがいい。コロナでなければ、例年春先に設けている、百円寿司での会食を、息子や女房とともにしているはずだった。
親方の長女の旦那は、その後たぶん、息子とも進路をめぐって話したのだろう。祖父母の会社に遊びにきた息子が、事務所というか居間のデスクに座ってスマホをいじっているのに、仕事終わりの挨拶のときに出くわすことがあるが、目が、生き生きとしてきた。梅雨時の街路樹の手伝いを母と二人でやってきたときには、本人自身が何やら悩んでいるようにみえたのである。
私の息子は、悩んでいるようにみえないが、やはり悩んでいるだろう。なんとか息子は警察官になるならば、「長いものに巻かれるのではなく、弱いもの、困った人を助けるおまわりさんになれよ」と、送りだすことだろう。研修でつぶれれば、だから言ったこっちゃないという態度が予測される女房を制して、受け入れる体制を用意していなくてはならないだろう。しかし先だっては、中国人を母に持つ中学時代からの仲のよい友達のところへいって、世界史のゲームをやってきて、家に帰るや「勉強するぞ!」と自室に入っていった。その仲の良い友達は、中学時代にすでにサッカー部をやめていたが、e-スポーツが得意で、三国志や何やかのゲームをやっているうちに世界史も相当できてしまうようになり、今はそれなりのクラスの大学進学を目指しているのだった。息子は、そんな仲間との間で、どんどん変わっていくのだろう。
そして私が、私の方が悩むというか、模索することになるのは、当然である。ブルジョワから、労働者の庶民の世界へと入っていったのだから。私が、おそらく父親の職を継ぐように、学校の教師の道を選んでいたならば、今頃は地元で、それなりの実質権力をもった教育官僚になっていただろう。女房がなおブルジョワの夢をみているとしても、しかしそれは、私によって、私が従事してきた労働によるメンタリティーによって、崩されているのである。だから、家庭の価値が揺らいでいるのは致し方ない。女房は、なお実際にある親戚関係から、自分の幼少の頃に身につけた夢を追っているのかもしれない。今年のゴールデンウィークには、妹の息子、つまりは私たちの甥っ子の、コロナで一年のびた結婚式が紀尾井町のホテルであったが、式終了後に女たちが着物を着換えている待ち合いの間、やはり暇をもてあましていたような爺さんと、環境問題や山林の技術やら、日本の三代目問題やらを気さくに話すようになったが、後日聞かされると、その六十歳過ぎの男は、衆議院議員で、自民党政権がつづけば大臣になる可能性もあるようだった。新婦の母の兄だという。何も知らない私は、じゃあまたという感じで、まるで寅さんになってしまうように、後にしてきたのだった。その二世にあたる議員の近くには、学生上がりぐらいの青年がいた。彼の、息子だったろう。私のいる植木屋と、三代目にあたる甥っ子の会社が、うまくいけばいいですけどね、と言う私の発言を、神妙になって聞いていた。次第に私に近づいてきていた青年の顔には、迷いがあった。
しかし、迷う必要もない、そこで悩む必要もないような、習俗的に頑としてあったような労働者の家庭の価値もが揺らいでいる。身体的な趣味判断もが揺らいでいるとは、これが自分は好きなのに駄目なの? とより本源的なところでズレてきているということである。インテリの自意識的な悩みよりかは深いところで、底辺の価値が揺らいでいるということなのだ。この底辺という意味は、下層ということだけではすまされない。ヒエラルキーの三角形を支えている、私たちの土台でもあるはずだからだ。
資本下の労働は、肉体を使うということの蔑視という差別感情を、精神的な原始的蓄積として隠している。労働は、その本源的な搾取にのっかって、ホワイトカラーやブルーカラーという中間色でなだめられてきた。が、少数の勝ち組だけが明白化していくような資本主義の進行は、中間色を機械化やAI化によって払拭し、先端のエリートと末端の肉体労働者とを白日の下にさらけだした。子どもたちは、その資本の光をあびた、世間での価値をみる。末端で生活していたものは、まさに自分が末端でしかないことが、ばれてしまう。しかもそこには、そう簡単には変えられない、身体化された趣味判断、価値判断があるのである。おそらくこの光をあびつづけたら、彼彼女たちは、身を焦がしていくような自己破壊に陥るだろう。そこが破壊されるとは、三角形の山が崩れるということである。エリート層がそれを意図的にやっているととらえるなら、それがいま問題にもなる陰暴論ということになるのだろう。
次回は、そうやって世界で進行する事態を、一つのモデルとして可視化してくれる、サッカーという競技をめぐって書いていこう。オリンピックでの日本戦を中心に、論じていくことになるのでは、とおもう。