「人間は成人期に達するまで、変化する状態の中に、したがって「霊たちの世界」にいるが、そののちその霊魂(アニマ)の方面では、天界か地獄のどれかにいる。なぜならそのとき人間の心は一定の状態になり、めったに変化しないからである。」「他生に入って来たばかりの霊たちも可変的な状態、つまり「霊たちの世界」にいる。彼らの状態に応じて、ほんの短期間だけそこに留まる者もいれば、非常に長期間留まる者もいる。」(『霊界日記』エマヌエル・スェーデンボルグ著 高橋和夫訳 角川文庫ソフィア
少年サッカークラブの忘年会、父兄たちの間で、勝つことにこだわるチームにするのか、楽しむサッカーにするのか、その方向性が話題になる。私自身は、勝つことを目指すが、こだわらない、というもの。負けてもいいという前提から入るなら、子供の態度はなんでもありになってしまうし、目標を実現するためにどう個々人やチームが考え実践していくのか、その過程の方が大事だろう、と私には思えるからである。とくにサッカーでは、その過程に論理の力、という思考力が重要になってくるので、目的を持つことをはずせない、あくまで結果あっての過程になる。「楽しむ」という考えは私にはない。それは、何をもって「楽しい」とするかは人によりけりで、子どもをみてても、ふざけあってることが楽しむ主流になっている子もいれば、自分が試合にでていなくとも親友が活躍してチームが勝っていくことに一体感的な充実を楽しんでいる子もいる。
さらに、サッカーというゲームの本質上、あるいはリーグ戦という形式上、試合数をこなしていく中・上級生クラスともなれば、どういう試合展開になるかがやる前からほぼ読めてしまう。勝てないことがわかっているのに、勝つことにこだわるとは、単なる精神論になりかねない。こういう状態になるから、この子の成長にはこういう起用法がいいだろうと考える。うまい子、というよりも、どういう持ち味をもった子なのかを把握しておくことが重要になる。サッカーにも、野球のポジションとは違うが、相応に役割の違いがでてくるようだ。密集を気にしないタイプなのか、人ごみが嫌いでスペースに逃げたくなるタイプなのか、中央に寄って行く癖があるのか、後ろからの視界の確保でマイペースをつくっていくのか、自分の見たいものを本能的に見ていく・見分けていくタイプなのか、最前列でも最終ラインでもなく2列目や1.5列目付近からの視界確保や飛び出しのほうが力が発揮されるのか、サイドで張っていてぴんときたときだけいきなり動き始めるようなのか、右側が好きか左側がやりやすいのか、体の開き方やその向きにどんな癖があるか、判断は細かいのかおおざっぱなのか、状況におうじて行くのか好き嫌いで行くのか……コーチとしてチェックしてしまう部分はきりがない。相手事情や試合の重なりによって、どう子供たちの性向をポジショニングとして組み合わせていくか、かつその試合ではその性向を生け捕り的に生かそうとするのか、癖を修正させようとするのか、そのために結果へのリスクが予想されたらどうリスク管理を作っておくのか……と、また考えだすときりがない。試合をつくっていく、という前提だけでもこのような複雑さをはらんでくるのだから、上級生ともなれば勝ちにこだわっていくべきだという父兄の考えは、具体的にどういうやり方でということなのかよくわからなくなるし、逆に勝つことにこだわらず子供優先のプレーヤーズファーストでという方でも、いろいろなプレーヤー、相反する態度のプレーヤーをまとめる具体的処方箋をいだいているのか、考えていくレベルで発言しているのかが疑問になる。
とくに、子ども優先、というヨーロッパの思想には注意が必要だと私は考えている。大人は指図しないで子供に自由な発想でやらせようとすることと、幼少の頃からすでに専門的なポジションで育成しスカウティングや競争の激しいクラブチームの現状は、どう整合性がもたれているのか、日本にはいってきている主な情報だけでは理解できない。確かにたとえば、日本での野球だったなら、もう小学生にもなればピッチャーがやりたいとかキャッチャーがいいとか、どこのポジションについている誰のような選手になりたいとかと言える野球好きな子もいる。そうなれば、専門的にのびのび育てる、ということも見えてくる。野球のうまい子、といっても意味をもたない。ピッチャーとキャッチャーを比べてもしょうがない。同様に、サッカーのうまい子とが、ボールコントロールの秀でた子を意味するわけではなくなるだろう。前線の選手とボランチで育成されている選手とは比較できない。この場合、比較しない・できないとは、競争がなくみな平等的に扱われているということを意味してこない。すでにサッカーを知っているかどうか、その延長上でサッカーをやりたいのかどうかですでに子供たちが振り分けられていることを意味している。これは勉強でも同じだろう。ヨーロッパの多くの国では進学テストはないという。ならば楽か、というとそうでない。そんなことをしなくとも、すでに先生はその子の学力やモチベーションをしっているわけだから、進学して勉強するのか、職業学校に行くべきなのか、を振り分けていく、ということだ。もちろん、学力も動機も不十分でも、進学を希望するのは子供本人優先である。が、学校に入れても、授業についていけなければ進級も卒業もできない。そうした元での振り分けがなされた競争を前提にしている。だから、いい加減な動機の子が平等に扱われることはありえないのだ。しかし、この厳しさを、日本で真似しようとしても無理があるだろう。元での階級的な差別はなくても、尾のほうでの学歴差別や社会的評価の問題がでてくるからである。だから、親たちは勉強などしたくない子でも大学にまでいれなくてはならなくなる、そういうバイアスがかかってしまう。
と認識しているので、私はなんでサッカー部にいるのかよくわからない動機の子、あるいはまだその成長や自覚が不十分な子でも、注意はするが、深追いしない、そのきっかけが小学生では訪れず、中学や高校になってから、ということもあるかもしれない、と時間軸を大きくとる。大人になっても自覚できないかもしれない。そういう大人もいる、という情報は子供にあたえ、自分はどういう大人になりたいのか、と問うてみることだけができるだけ、と考えている。ゆえに、なおさら、日本の少年サッカークラブが、勝ちにこだわってはいけない、と結論するのだ。そしてそれで、世界で、勝てるわけがない。しかしその長いスパンでの自己認識だけが、自然成長的に、勝ちを目指しているその結果を呼び込んで来るのだと思っている。これは、逆説だろうか?
U-17日本代表監督の吉武氏の、ワールドカップ決勝トーナメント初戦でのスエェーデン戦敗退後の発言はおもしろい。見事なポゼッションサッカーが目標なのではない、それだけでは世界で勝てないかもしれない、しかし、10年に一人の天才があらわれたとき、そのサッカーはその天才を受け入れ生かすサッカーになるのではないのか、と言うのだ。実際、そのU-17の試合をテレビでみていておもったのは、バルセロナばりのサッカーをしていても、メッシがいない、ということだ。おそらくそこらへんが、メディアで決定力不足という日本の課題をこの世代は繰り返した、と評価された理由だろう。が、吉武氏は、あえて、そうしたメッシまがいの個の強い選手を選考から外して、凡庸に徹したのである。しかもそれは、将来のメッシを日本サッカーが受け入れられる土台を作っていくためなのである。なんと西洋的な論理、ロゴスに合致した発想だろう! と私は感心した。これはもうメシア願望(最後の審判)の下に自己の態度を構築していくキリスト教論理の受肉化である。中学の数学教師だったという吉武氏は、その数学の本質性をよく理解している人物なのだろう。論理(数学)とが、単なる辻褄合わせではなく、信仰なのだ、不合理な力なのだ、ということを理解しているのである。それをサッカーの原理性として根底にすえ実践してみせること。ここには、世界で生き抜いていく日本の子供たちの成長の鍵が秘められているとおもう。日本は凡庸でも、天才=普遍的な存在を受け入れる寛容さを準備する、教育する……昨今の総理大臣にこそ教えたくなるような方針である。
2013年12月29日日曜日
2013年11月25日月曜日
宇宙人とサッカー
<彼らに口はありません。彼らとの会話はいつも意思が頭に直接響くように伝わる感じです。…(略)…
「地球で発見されている元素は120くらいですが、実際に使われているのは30くらいでしょう。しかし我々は256ある元素をすべて使っているのです」
「地球人は頭が悪い」といわんばかりの話でしたが、彼らが乗っているUFOと同じものを造る技術がないのは間違いありません。
反論する気も起きず、黙って聞いていると、彼らは元素のほかにも、時間の感覚がまったく違うことを教えてくれました。
「地球の時間で1000年かけないと移動できない距離も、我々は『そこに行く』と思った瞬間に移動できます」
こうもいっていました。
「我々は時間と時間のなかを歩いて移動しているのです」…(略)…
UFOの内部はいったいどこまであるのかよくわからないほど天井が高いのですが、その上のほうまで届く、巨大な1枚の紙のようなものがボーンと存在していて、1、2、3、4、5といったアラビア数字ではなく、ローマ数字のようなものがいくつも並んでいました。
「あれはなんですか?」
声を出して訊ねると、彼らは教えてくれました。
「あれは地球のカレンダーです」
「地球のカレンダー? じゃあ、最後の数字の先はないのですか?」
「ご覧のとおり、最後の数字で終わりになります」
彼らにカレンダーの見方を教えてもらい、最後の数字を確認しました。果たしてそれは、幻想のなかでソクラテスに似た人に告げられた、地球のカレンダーが終わる年号と同じ数字だったのです。
もしそれが本当なら……。年号はソクラテス似の人にいわれた通り、だれにも話せませんが、気が遠くなるほど遠い未来の話ではありません。いえるのは、時間がないということです。
奇妙な数字の一致は、わたしがいま必死に働いている大きな原動力になっています。>(木村秋則著『すべては宇宙の采配』 東邦出版)
テレビアニメの「イナズマイレブン」では、日本チームが宇宙人たちとサッカーの試合をしている。が上引用にある木村氏、無農薬りんごを成功させたことで有名となった方の体験談によれば、果たして宇宙人がサッカーをやるのかどうかが疑問におもえてくる。それは、思った場所に瞬時に移動できてしまうのなら、ゴールに入ってしまう苦労がない、試合にならない、という能力事実的な問題というよりも、そもそも宇宙人が、遊びという余分なことをする趣味があるのかどうか、そういう脳みそというか存在を抱えているのかどうか怪しいとおもえてくるからだ。巷で騒がれるUFOの形にしても、実に機能的て、装飾性がないようにおもえる。ゴチック様式のUFOなどは目撃されず、円だの楕円だの、やけに抽象的な形象だ。そもそも、瞬時に移動できるのなら、乗り物など必要なのか? UFOは、もしかして乗り物ではないのではないのか? それ自体が趣味的で余分な産物なのだろうか? 木村氏のもとを訪れてきたとある外国人の打ち明け話には、家の前に現れた宇宙人はペットをつれていたというのもあるから、実は芸術家肌のものたちなのか? だからサッカーなどという自分たちの能力とは反するものを敢えてやってみるという物好きな態度がでてくるのだろうか?
木村氏が見聞したというものは、宇宙人だけではない。マンダラや龍、幽霊といった神秘的な物事である。しかし、これらのものが実はすべて同じモノだとしたら? だいいち、木村氏のまえに現れた宇宙人らしき存在は、自らを宇宙人と名乗り出たものではないらしい。木村氏が、なぜかそう理解してしまったようである。うどん屋を仲間とでたら龍が空を昇っているのにでくわして、写真もとってみたがどれにも白い筋のようなものが写っていた、というエピソードがあるが、本当は、全てがそんなモノなのかもしれない、としたら? 我々はそれを、自分たちが理解できる表象(素材)に置き換えて見させられているとしたら? ということである。ちょうど、夢の原理は誰にとっても同じだが、人それぞれ見る夢はちがうように。違った文化圏や教養の差異によって、見るモノ、見えてしまうモノが違ってしまう、ということである。
ならば、その原理とはなんだろう? 作家の鈴木光司氏の『エッジ』を参照すれば、夢が我々の意識とは別世界の実在のように、それらの位相が、パラレル的にこの宇宙に存在しているとすれば? 宇宙人は、我々が夜空を見上げている世界からやってくるのではなくて(そこには、我々しか存在していない―ー)、幽霊があの世として我々この世界の隣に存在しているのではと仮想されているように、この世の隣人のごとく存在しているのではないだろうか? <龍>と仮生されてくるものも、そんなこの世の隣人の一つの何かなのだ、としたら? ……そう見たほうが、論理的に辻褄があわせられる、気がする。
つまり、だとたら、やはりこの世も、この世の生も夢の原理に似たものによって仮生される世界の一つ、ということになりそうだ。……と考えてみたことが、その仮生の私にとって、どんな意味をもってくるというのだろうか? もたせようというのだろうか?
「地球で発見されている元素は120くらいですが、実際に使われているのは30くらいでしょう。しかし我々は256ある元素をすべて使っているのです」
「地球人は頭が悪い」といわんばかりの話でしたが、彼らが乗っているUFOと同じものを造る技術がないのは間違いありません。
反論する気も起きず、黙って聞いていると、彼らは元素のほかにも、時間の感覚がまったく違うことを教えてくれました。
「地球の時間で1000年かけないと移動できない距離も、我々は『そこに行く』と思った瞬間に移動できます」
こうもいっていました。
「我々は時間と時間のなかを歩いて移動しているのです」…(略)…
UFOの内部はいったいどこまであるのかよくわからないほど天井が高いのですが、その上のほうまで届く、巨大な1枚の紙のようなものがボーンと存在していて、1、2、3、4、5といったアラビア数字ではなく、ローマ数字のようなものがいくつも並んでいました。
「あれはなんですか?」
声を出して訊ねると、彼らは教えてくれました。
「あれは地球のカレンダーです」
「地球のカレンダー? じゃあ、最後の数字の先はないのですか?」
「ご覧のとおり、最後の数字で終わりになります」
彼らにカレンダーの見方を教えてもらい、最後の数字を確認しました。果たしてそれは、幻想のなかでソクラテスに似た人に告げられた、地球のカレンダーが終わる年号と同じ数字だったのです。
もしそれが本当なら……。年号はソクラテス似の人にいわれた通り、だれにも話せませんが、気が遠くなるほど遠い未来の話ではありません。いえるのは、時間がないということです。
奇妙な数字の一致は、わたしがいま必死に働いている大きな原動力になっています。>(木村秋則著『すべては宇宙の采配』 東邦出版)
テレビアニメの「イナズマイレブン」では、日本チームが宇宙人たちとサッカーの試合をしている。が上引用にある木村氏、無農薬りんごを成功させたことで有名となった方の体験談によれば、果たして宇宙人がサッカーをやるのかどうかが疑問におもえてくる。それは、思った場所に瞬時に移動できてしまうのなら、ゴールに入ってしまう苦労がない、試合にならない、という能力事実的な問題というよりも、そもそも宇宙人が、遊びという余分なことをする趣味があるのかどうか、そういう脳みそというか存在を抱えているのかどうか怪しいとおもえてくるからだ。巷で騒がれるUFOの形にしても、実に機能的て、装飾性がないようにおもえる。ゴチック様式のUFOなどは目撃されず、円だの楕円だの、やけに抽象的な形象だ。そもそも、瞬時に移動できるのなら、乗り物など必要なのか? UFOは、もしかして乗り物ではないのではないのか? それ自体が趣味的で余分な産物なのだろうか? 木村氏のもとを訪れてきたとある外国人の打ち明け話には、家の前に現れた宇宙人はペットをつれていたというのもあるから、実は芸術家肌のものたちなのか? だからサッカーなどという自分たちの能力とは反するものを敢えてやってみるという物好きな態度がでてくるのだろうか?
木村氏が見聞したというものは、宇宙人だけではない。マンダラや龍、幽霊といった神秘的な物事である。しかし、これらのものが実はすべて同じモノだとしたら? だいいち、木村氏のまえに現れた宇宙人らしき存在は、自らを宇宙人と名乗り出たものではないらしい。木村氏が、なぜかそう理解してしまったようである。うどん屋を仲間とでたら龍が空を昇っているのにでくわして、写真もとってみたがどれにも白い筋のようなものが写っていた、というエピソードがあるが、本当は、全てがそんなモノなのかもしれない、としたら? 我々はそれを、自分たちが理解できる表象(素材)に置き換えて見させられているとしたら? ということである。ちょうど、夢の原理は誰にとっても同じだが、人それぞれ見る夢はちがうように。違った文化圏や教養の差異によって、見るモノ、見えてしまうモノが違ってしまう、ということである。
ならば、その原理とはなんだろう? 作家の鈴木光司氏の『エッジ』を参照すれば、夢が我々の意識とは別世界の実在のように、それらの位相が、パラレル的にこの宇宙に存在しているとすれば? 宇宙人は、我々が夜空を見上げている世界からやってくるのではなくて(そこには、我々しか存在していない―ー)、幽霊があの世として我々この世界の隣に存在しているのではと仮想されているように、この世の隣人のごとく存在しているのではないだろうか? <龍>と仮生されてくるものも、そんなこの世の隣人の一つの何かなのだ、としたら? ……そう見たほうが、論理的に辻褄があわせられる、気がする。
つまり、だとたら、やはりこの世も、この世の生も夢の原理に似たものによって仮生される世界の一つ、ということになりそうだ。……と考えてみたことが、その仮生の私にとって、どんな意味をもってくるというのだろうか? もたせようというのだろうか?
2013年10月26日土曜日
なぜ勉強するのか? していることになるのか?
「けれども、勉強の本質は知識それ自体の獲得ではなく、理解力・想像力・表現力という三つの訓練だということは忘れてほしくありません。/ では、三つの力は何のために身につけるのでしょうか。身につけると、どんないいことがあるのでしょうか。/ 一つ言えるのは、世界の仕組みに対する理解度が増してくるということです。これは、少なくともぼくのような小説家の仕事をしている人間にとってはすごく大事なことです。」(鈴木光司著『なぜ勉強するのか?』 ソフトバンク新書)
なんで勉強をしなくちゃいけないのか、その子育て中の子どもからの問いに、「世界の仕組みを知ること」と解いて『エッジ』(角川ホラー文庫)というSF推理小説を書いた、という鈴木光司氏の新聞でのインタビュー記事に出会い、興味を持ち、当の二著作を読んでみた。この宇宙の自然法則自体が崩れて世界の仕組みの自明性が消失していく『エッジ』の発想は、木から落ちてケガをしてから顕著になったというべき私の最近の神秘主義的なと表現される宇宙理解を刺激してきた。その推理小説の読後、私は桐野夏生氏の新作『だから荒野』を読んでみた。こちらは、46歳の誕生日に、「身勝手な夫や息子たちと決別し」、「1200キロの旅路へ」と出る主婦の物語である。これら自然神秘と通俗世界、この二つに興味をひかせた私の思考回路とは次のようなものだったろう。「勉強しろ!」とうるさいママゴンに息子の一希は「早よ、死ね!」と中学生くらいには言い返し反抗的になっていくことが予想される家庭現状に、夫が自覚もなす術もなく成り行きまかせにまかせていかせるとどうなるか、現役の優秀な作家の想像力ではどうなるのかな、方向性を変えていかせる情報なり認識が得られるかな、と期待した、ということだろう。
で、それらの読後は? ……時間つぶし的には面白かったのだが、私は退屈してしまった、というか、結局は素朴な疑問が残ったままだなあ、問題(現実)解決のヒントはえられなかったようだなあ、いやそう反措定的に考えられるようになっていることが、読んでよかったということなのかなあ、という感想である。
「なんで勉強するのか?」――「世界の仕組みを知るために」。または鈴木氏は、日本人にとっての「論理」力の必要性ということも強調しておられる。私も賛同なのだが、いざ自分の息子への伝達となると、思考=試行がストップしてしまう。このブログでも何度も言及してきたことだが、息子がやっているサッカーもまた、「世界(フィールド)の仕組み」を論理的――ロジスティックに、戦術的に――に解明し、打開していく実践能力をつけさせたいがためである。が、とても小学4年生で国語の理解力もよくない息子にはチンプンカンらしい。自分では選手カードを使っていろいろフォーメーション組んで監督よろしく遊んでいるが。「なんでこんな宿題するの?!」と聞かれて、私は、「コナン君みたいになれたらいいとおもわない?」と答えるのが精一杯な状態だ。しかし推理するのは好きなのか、テレビドラマの「相棒」を面白くみている。
「女房は家出するのか?」「子供は引きこもって反抗的になるのか?」「夫は男尊的でバカなままなのか?」――女房が家出することは、今の時点から、そうなっても自業自得だぞ、戦後のフェミニストたちが批判してきた日本の母親の縮小再生産な反復になっているだけなんだぞ、と言い聞かせている。桐野氏的な認識では、そんな世界認識を説く夫たる私自身が「身勝手」ということになるだろうか? しかし私の認識では、この作品はやはりサラリーマン、会社組織に従属する核家族物語だな、その土壌に問題がある前提だな、という気がしてしまう。雨天中止、というか仕事をさぼれる植木屋さんの私などは、今月はゴールデンウィークなみの休暇=さぼりが、もう今日の台風で三回になる。腰痛も激しいので、家でじっとしている。女房はここぞとばかりに出かけてかえってこない、そんな息抜きプチ家出はしょっちゅうだ。子どもは雨で外ではあそべないので家にいると、サラリーマン家庭の子どもたちがぞろぞろ2DKの我が家に遊びにくる、というか、避難しにくるのだろう。自分の家では騒げないし部屋をちらかせないし。そんな子供たちが私のパソコンでお笑い動画をみてたり、DSをやってたり、漫画本を読んでたりする間で、私は図書館から借りた本を読んでいる。考えてみると、奇妙な光景だ。「おまえのお父さん、なんでいつも家にいるんだ?」という疑問も私が雨天中止の植木屋だということを知っているのでもはや発生せず、私も子供のひとりなように、その間にまぎれこんでいる。
どうも問題は、ちがう風にやってくるのではなかろうか?
昨夜、お笑い番組の動画ばかりみている息子に、いまはグーグルの地図で世界中の風景が見聞できたりするのだから、そういうのみたりしたらどうなんだ? と私がいうと、「うん、こんどから少しはそうしてみるよ」と、やけに素直に返事してくる。なんか最近は私にたいし、とくにそう素直で少々気味が悪い。サッカーコーチを超えて子供に大声で指示をだす女房がベンチコーチから怒られ、私自身が奥さんをなんとかしてくれと相談持ち掛けられたりしたので、そのことで私が「性懲りもなく繰り返すな! そうやっておまえは子供をだめにしているんだぞ! 自分の子どもならしょうがない。が、ほかの子どもたちを素人の思い込みで口をだしてつぶすな!」と怒鳴りちらして以来なような気もする。一希は、何かを理解したのか、それともひきさがって、大人しくなったのだろうか? しかし、いまだに女房とは宿題バトルし、同時に母親から逃れられない二律背反な感情に囚われているようだけど。
しかし私が鈴木氏と桐野氏の二小説に退屈したのは、両氏は「小説の仕組み」は疑っていないのかな、とおもったからであったろう。その提示してある「小説の仕組み」じたいが、私にはもう読めない。読みやすすぎて、退屈する。同時に、そのように読みやすくないと、私には読めない、今は「小説の仕組み」自体を疑いつつ書いていく小説らしい小説を読む気が起きない、が、それを欲しているという気分の矛盾。今は直接的に明快な批評解説文よりも、比喩的で不明瞭な小説的作品に私の現状を解析していく鍵があるのではないかという認識。……上記のような雑文思考が持てただけでも、小説的な作品を読んでみてよかったということになるのかもしれない。
というか、なんで私はこんなふうに勉強しているのか? していることになるのか?
なんで勉強をしなくちゃいけないのか、その子育て中の子どもからの問いに、「世界の仕組みを知ること」と解いて『エッジ』(角川ホラー文庫)というSF推理小説を書いた、という鈴木光司氏の新聞でのインタビュー記事に出会い、興味を持ち、当の二著作を読んでみた。この宇宙の自然法則自体が崩れて世界の仕組みの自明性が消失していく『エッジ』の発想は、木から落ちてケガをしてから顕著になったというべき私の最近の神秘主義的なと表現される宇宙理解を刺激してきた。その推理小説の読後、私は桐野夏生氏の新作『だから荒野』を読んでみた。こちらは、46歳の誕生日に、「身勝手な夫や息子たちと決別し」、「1200キロの旅路へ」と出る主婦の物語である。これら自然神秘と通俗世界、この二つに興味をひかせた私の思考回路とは次のようなものだったろう。「勉強しろ!」とうるさいママゴンに息子の一希は「早よ、死ね!」と中学生くらいには言い返し反抗的になっていくことが予想される家庭現状に、夫が自覚もなす術もなく成り行きまかせにまかせていかせるとどうなるか、現役の優秀な作家の想像力ではどうなるのかな、方向性を変えていかせる情報なり認識が得られるかな、と期待した、ということだろう。
で、それらの読後は? ……時間つぶし的には面白かったのだが、私は退屈してしまった、というか、結局は素朴な疑問が残ったままだなあ、問題(現実)解決のヒントはえられなかったようだなあ、いやそう反措定的に考えられるようになっていることが、読んでよかったということなのかなあ、という感想である。
「なんで勉強するのか?」――「世界の仕組みを知るために」。または鈴木氏は、日本人にとっての「論理」力の必要性ということも強調しておられる。私も賛同なのだが、いざ自分の息子への伝達となると、思考=試行がストップしてしまう。このブログでも何度も言及してきたことだが、息子がやっているサッカーもまた、「世界(フィールド)の仕組み」を論理的――ロジスティックに、戦術的に――に解明し、打開していく実践能力をつけさせたいがためである。が、とても小学4年生で国語の理解力もよくない息子にはチンプンカンらしい。自分では選手カードを使っていろいろフォーメーション組んで監督よろしく遊んでいるが。「なんでこんな宿題するの?!」と聞かれて、私は、「コナン君みたいになれたらいいとおもわない?」と答えるのが精一杯な状態だ。しかし推理するのは好きなのか、テレビドラマの「相棒」を面白くみている。
「女房は家出するのか?」「子供は引きこもって反抗的になるのか?」「夫は男尊的でバカなままなのか?」――女房が家出することは、今の時点から、そうなっても自業自得だぞ、戦後のフェミニストたちが批判してきた日本の母親の縮小再生産な反復になっているだけなんだぞ、と言い聞かせている。桐野氏的な認識では、そんな世界認識を説く夫たる私自身が「身勝手」ということになるだろうか? しかし私の認識では、この作品はやはりサラリーマン、会社組織に従属する核家族物語だな、その土壌に問題がある前提だな、という気がしてしまう。雨天中止、というか仕事をさぼれる植木屋さんの私などは、今月はゴールデンウィークなみの休暇=さぼりが、もう今日の台風で三回になる。腰痛も激しいので、家でじっとしている。女房はここぞとばかりに出かけてかえってこない、そんな息抜きプチ家出はしょっちゅうだ。子どもは雨で外ではあそべないので家にいると、サラリーマン家庭の子どもたちがぞろぞろ2DKの我が家に遊びにくる、というか、避難しにくるのだろう。自分の家では騒げないし部屋をちらかせないし。そんな子供たちが私のパソコンでお笑い動画をみてたり、DSをやってたり、漫画本を読んでたりする間で、私は図書館から借りた本を読んでいる。考えてみると、奇妙な光景だ。「おまえのお父さん、なんでいつも家にいるんだ?」という疑問も私が雨天中止の植木屋だということを知っているのでもはや発生せず、私も子供のひとりなように、その間にまぎれこんでいる。
どうも問題は、ちがう風にやってくるのではなかろうか?
昨夜、お笑い番組の動画ばかりみている息子に、いまはグーグルの地図で世界中の風景が見聞できたりするのだから、そういうのみたりしたらどうなんだ? と私がいうと、「うん、こんどから少しはそうしてみるよ」と、やけに素直に返事してくる。なんか最近は私にたいし、とくにそう素直で少々気味が悪い。サッカーコーチを超えて子供に大声で指示をだす女房がベンチコーチから怒られ、私自身が奥さんをなんとかしてくれと相談持ち掛けられたりしたので、そのことで私が「性懲りもなく繰り返すな! そうやっておまえは子供をだめにしているんだぞ! 自分の子どもならしょうがない。が、ほかの子どもたちを素人の思い込みで口をだしてつぶすな!」と怒鳴りちらして以来なような気もする。一希は、何かを理解したのか、それともひきさがって、大人しくなったのだろうか? しかし、いまだに女房とは宿題バトルし、同時に母親から逃れられない二律背反な感情に囚われているようだけど。
しかし私が鈴木氏と桐野氏の二小説に退屈したのは、両氏は「小説の仕組み」は疑っていないのかな、とおもったからであったろう。その提示してある「小説の仕組み」じたいが、私にはもう読めない。読みやすすぎて、退屈する。同時に、そのように読みやすくないと、私には読めない、今は「小説の仕組み」自体を疑いつつ書いていく小説らしい小説を読む気が起きない、が、それを欲しているという気分の矛盾。今は直接的に明快な批評解説文よりも、比喩的で不明瞭な小説的作品に私の現状を解析していく鍵があるのではないかという認識。……上記のような雑文思考が持てただけでも、小説的な作品を読んでみてよかったということになるのかもしれない。
というか、なんで私はこんなふうに勉強しているのか? していることになるのか?
2013年9月16日月曜日
明日はどっちだ?(夏風邪と甲状腺がん)
「日本の近代化をめざす琵琶湖疏水とともに生まれた小川治兵衛の庭は、山県有朋によって日本の近代化をはじめて表現した無鄰菴庭園としてその姿を現し、幅広い世界をつくり上げていった。そして山県がつくり上げた大日本帝国が五〇年を経て崩壊してゆくに際して、岩崎小彌太が財閥解体を目前にして鳥居坂本邸に籠りながら眺め、近衛文麿が末期の目で見つめたのもまた、小川治兵衛の庭であった。/ 小川治兵衛は、日清戦争の勝利にはじまり太平洋戦争の敗戦に終わる、すなわち山県有朋にはじまり西園寺公望をへて近衛文麿に終わる日本の近代化のプロセス、そのプロセスを担った山県・西園寺・近衛という大三角形をまるごと包み込む庭園をつくり上げたのであった。」(鈴木博之著『庭師 小川治兵衛とその時代』 東京大学出版会)
季節の変わり目には風邪をひきやすい。当たり前として伝承されていることだとおもう。寝入るときは暑くても、夜半には開け放した窓から夜気が忍び込み、寝ている最中にとりまかれとりつかれてしまう。自然(身体)とのバランスを崩して邪気にやられてしまったならば、暑くてもその熱を追い出すために、蒲団をかぶって寝る。汗を出す。我慢する。それが文化というものだ。おそらく何万年と人類が暮らしてきたなかで体得し伝承してきた。子供が蒲団を蹴とばしてはいだなら、我慢強くまたかけてやる、それが親の受け継がれた作法だったはずだ。ところがわが女房、毎年その作法を性懲りもなく無視し子供に風邪をひかせ発熱させている。低級な身体の快・不快に左右されて卑小なエゴに居直り、自分の脂肪太りのためか女の性質なためか、暑さにも我慢しようともせず、クーラーだの扇風機をかけまわす。そして「反原発」だの「子供を草っぱらで遊ばせよう会」だの「うちの子も甲状腺癌が心配だの」とほざいている。わが子の夏風邪ひとつ防げもしないのに。こんな秋への移行期の暑さなど、虫の鳴き声や空気が皮膚をなぜてゆくその流れに集中してさえいれば、いつしか気持ちが涼しくなって寝入ってくる。そんな単純な自己コントロール、自然との調和の術も忘れた者が、放射能だとぎゃあすか騒ぐ。原発推進派も反対派も、近代下の卑小な自己に依拠しているところで同じ穴のムジナである、という好例だ。しかしおかげでこっちは腹が立ち、寝入れずにこんなブログを夜半に書き込むはめになる。今夜は台風が直撃するというのに、窓を開け放ち、扇風機をまわし、咳をし38度近くまで熱をだしている息子は熱いといって蒲団をはいでのたうちまわっても、暑いからそうなるのだからとなんの対策もとらず、女房ひとりで鼾をかきはじめて寝入っている。なんともいい気なものである。
台風雨で家に閉じ込められた昨日日中は、前の晩に借りたDVDをみていた。息子が、『明日のジョー』がみたいというので、テレビシリーズのものをいくつか借りてきていた。映像としての記憶はないのに、見ているうちに、次にどうなるかのストーリーの細部が、断片的なシーンを脳髄のどこからか掘り起こしながら思い出されてきて、記憶というもののあり方に不思議になる。その漫画のなかで、ジョーが、慈善活動をする金持ちのお嬢さんを、その活動のエゴイストな偽善を囚人衆の前で告発し笑い飛ばすシーンがある。自己弁解のためにやっているだけじゃないか、それが、俺たちのためになっているのか? ……その場しのぎの快を欲する囚人たちは美しいお嬢さんを支持し、ジョーは独り暴力にたかぶっていく。これは、いまもって「連続する問題」だ。というか、今の社会活動なるものは、このジョーの批判を忘れたというよりも、自己満足やエゴなのは当たり前だからとそこを肯定して素通りし、実践的にマシな改善がなされるのだからいいのだ、と居直っているようにおもわれる。しかしほんとうに、そんな程度で、マシになるのか? 配膳されたホームレスはその日をしのげるだろう、が、ジョーの怒りや暴力を発生させているものは収まらないどころか、むしろその慈善=偽善=居直りによって、なおさら深く激しく潜伏してきた、そしてなだめられ抑えつけられたところとはちがった場所から噴火しようとしているのではないのか?
夏風邪と甲状腺がん、あなたは子供のどちらを心配しますか? 明日は、どっちですか? あなたは、どっちの明日を選びますか?
季節の変わり目には風邪をひきやすい。当たり前として伝承されていることだとおもう。寝入るときは暑くても、夜半には開け放した窓から夜気が忍び込み、寝ている最中にとりまかれとりつかれてしまう。自然(身体)とのバランスを崩して邪気にやられてしまったならば、暑くてもその熱を追い出すために、蒲団をかぶって寝る。汗を出す。我慢する。それが文化というものだ。おそらく何万年と人類が暮らしてきたなかで体得し伝承してきた。子供が蒲団を蹴とばしてはいだなら、我慢強くまたかけてやる、それが親の受け継がれた作法だったはずだ。ところがわが女房、毎年その作法を性懲りもなく無視し子供に風邪をひかせ発熱させている。低級な身体の快・不快に左右されて卑小なエゴに居直り、自分の脂肪太りのためか女の性質なためか、暑さにも我慢しようともせず、クーラーだの扇風機をかけまわす。そして「反原発」だの「子供を草っぱらで遊ばせよう会」だの「うちの子も甲状腺癌が心配だの」とほざいている。わが子の夏風邪ひとつ防げもしないのに。こんな秋への移行期の暑さなど、虫の鳴き声や空気が皮膚をなぜてゆくその流れに集中してさえいれば、いつしか気持ちが涼しくなって寝入ってくる。そんな単純な自己コントロール、自然との調和の術も忘れた者が、放射能だとぎゃあすか騒ぐ。原発推進派も反対派も、近代下の卑小な自己に依拠しているところで同じ穴のムジナである、という好例だ。しかしおかげでこっちは腹が立ち、寝入れずにこんなブログを夜半に書き込むはめになる。今夜は台風が直撃するというのに、窓を開け放ち、扇風機をまわし、咳をし38度近くまで熱をだしている息子は熱いといって蒲団をはいでのたうちまわっても、暑いからそうなるのだからとなんの対策もとらず、女房ひとりで鼾をかきはじめて寝入っている。なんともいい気なものである。
台風雨で家に閉じ込められた昨日日中は、前の晩に借りたDVDをみていた。息子が、『明日のジョー』がみたいというので、テレビシリーズのものをいくつか借りてきていた。映像としての記憶はないのに、見ているうちに、次にどうなるかのストーリーの細部が、断片的なシーンを脳髄のどこからか掘り起こしながら思い出されてきて、記憶というもののあり方に不思議になる。その漫画のなかで、ジョーが、慈善活動をする金持ちのお嬢さんを、その活動のエゴイストな偽善を囚人衆の前で告発し笑い飛ばすシーンがある。自己弁解のためにやっているだけじゃないか、それが、俺たちのためになっているのか? ……その場しのぎの快を欲する囚人たちは美しいお嬢さんを支持し、ジョーは独り暴力にたかぶっていく。これは、いまもって「連続する問題」だ。というか、今の社会活動なるものは、このジョーの批判を忘れたというよりも、自己満足やエゴなのは当たり前だからとそこを肯定して素通りし、実践的にマシな改善がなされるのだからいいのだ、と居直っているようにおもわれる。しかしほんとうに、そんな程度で、マシになるのか? 配膳されたホームレスはその日をしのげるだろう、が、ジョーの怒りや暴力を発生させているものは収まらないどころか、むしろその慈善=偽善=居直りによって、なおさら深く激しく潜伏してきた、そしてなだめられ抑えつけられたところとはちがった場所から噴火しようとしているのではないのか?
夏風邪と甲状腺がん、あなたは子供のどちらを心配しますか? 明日は、どっちですか? あなたは、どっちの明日を選びますか?
2013年8月16日金曜日
夏休みの宿題にみる戦争(サッカー)の論理
「……幸いにも、アルゼンチン人の女性記者が私の腕を抑えた。「大事なのはフォーメーションだけよ。そのほかのことは書く価値がないわ」と彼女は言った。/ その瞬間だった。イングランドのフットボールの致命的な欠陥が白日の下にさらされた。フットボールを決めるのは選手ではない。いや、少なくとも選手だけではない。フットボールは「形(シェイプ)」、そして「空間(スペース)」、「選手」をどう賢く起用するか、そしてその使い方の中でどう選手が動くかにかかっているのだ。(略)アルゼンチンの女性記者は、効果を狙って少し大げさな表現をしたのだろう。選手の心、魂、やる気、力、パワー、スピード、情熱、そして技――すべてがプレイに影響をおよぼすのは確かだ。しかし、これらの要素とはまた別に存在するのが論理的次元なのである。」(『サッカー戦術の歴史』 ジョナサン・ウィルソン著 野間けい子訳 筑摩書房)
子供の夏休みの宿題をみる。休みまえから小学4年生の一希が、何に混乱しているのかは教科書を調べてわかっていたが、女房との勉強バトルがうかがえなくなるまで、その落ち着いた環境がみえてくるまで、と、時期をまっていた。佐渡へと家族旅行を終えたあとは女房も満足したのか静かなので、その隙にと私が算数の問題をやらせる。一希の頭の混乱は、この4年生の算数上にあらわれてきた、いわば抽象世界と具体世界のかい離に起因し、その整理が頭の中でできないことにあると知れていたからだ。おそらく、教師側でも、そこが難しい説明困難な個所だと気付いているのだろう。だから、夏休みのドリルからは省かれている。ドリルは、計算問題ばかりだ。しかし問題なのは、この具体世界を理解(整理)して心を落ち着かせるには、この世界から離れた抽象的なモデル世界をイメージして論理化してみせる必要が人間にはあるのだ、と気づかせることなのだ。世界は複雑でわからないものなのだ。そこで頭の混乱を収めるために、どんな術をヒトがあみだしているのか? それが、倍数の応用問題として4年算数ででてくる。
問1) カブトムシは20センチでダンゴムシは2センチです。カブトムシはダンゴムシの何倍ですか?
答えは簡単だろう。ならば、逆はどうか。「ダンゴムシはカブトムシの何倍ですか?」と。0.1倍だの10分の1倍だの、現実世界にありうることだろうか?
問2) 3こで1パックになっているヨーグルトのねだんは200円です。ヨーグルト12この代金はいくらですか?
これも、パックをはがして1個の値段をだして、と現実をこえて考えなくてはならない。お店でそんなことをしていたらおこられるだろう。しかも、1個の値段が整数として割り切れなかったら、という場合も教えるという必要がでてくる。この場合の違いとはどういうことなのか、どうして発生するのだ?
この倍数問題を通過したあとで、図形問題や平行という概念、そして小数点などの導入がでてくるから、教師体制側もそこにつまづきのアポリアがあるとしっているのだろう。が、説明が難しいので、納得させることができないまま、計算問題として処理してすましてしまうだろう。結果、算数(数学)は現実とは関係ないもの、やらなくていいものと子供はその困難を合理化して逃げてしまう、ということになる。もちろん、私もうまくこの難点を説明できない。子どもには、答え(計算)はまちがってもよいから、式(考え方)を理解していこうと、ゆっくり時間をかけた。翌日おなじ教科書の例題問題をやらせてみると、先日はぐずって放棄しようとしていたその問題というか、考え方を披歴できるようになっている。それは、考え方を暗記した、ということなのかもしれないが、私は、それは九九を暗記したのとは違う態度を子どもに植え付けていることなのだと推論している。数学は同じ例題を繰り返しやること、外国語は同じ例題構文を繰り返し前から読んで理解できるようになること。暗記というよりも、その論理にそくした頭の使い方を覚えることが抽象力を鍛えることになるのだとおもう。なんでそんなことが必要なのかは……私はその説明は、政治的な話になるだろうと考える。
<一方、日本をはじめとするサッカー後進国は、”サッカーの本質(カオスとフラクタル)”をストリートサッカー経由で時間をかけて築く前に、先を急ぐあまり、サッカー先進国の型(=練習メニュー)を通じてサッカーを学んでしまったのではないでしょうか。(略)その結果、サッカー後進国は”サッカーの本質”を理解しないまま、サッカーの全体像を理解する前にサッカーの各部分(技術・戦術・体力・精神力・攻撃・守備・パス・トラップ・ドリブル・シュートなど)にばかり目が行ってしまい、サッカーを細分化(要素還元化)して理解することが”習慣化”し、そして細分化(割り算)と統合(足し算)を繰り返す要素還元主義的なトレーニングが”習慣化”されてしまったのではないでしょうか。「”サッカーの本質”を理解しているかいないか」、という最も大切なスタート地点が違うわけですから、同じ練習メニューを行ってもその効果に大きな差が出てきてしまうのも無理はありません。(略)…
サッカー先進国と後進国の差の原因を、このような”ボタンの掛け違え”と僕が思うようになった理由のひとつは、「問題は、その問題を引き起こした考え方と同じ考え方をしているうちは解けない」というアインシュタインの言葉に出会ったからです。戦術的ピリオダイゼーション理論をより深く理解するために、カオス理論をはじめとする非線形系科学に関する本を読み漁っているときに出会ったのが、このアインシュタインの言葉でした。>(『テクニックはあるが「サッカー」が下手な日本人 日本はどうして世界で勝てないのか?』 村松尚登著 河出書房新社)
しかし、ではなぜアインシュタインは世界を知る基準単位を<光>に求めたのか? それは聖書に、「はじめに光があった」と書かれているからである。その唯一神への信仰が、科学を進化、キリスト教圏の考え方では「進歩(神に近づくこと)」させてきたのである。ゴールとは、神なのだ。その神(目的)が世界を、フィールドを作ったのなら、そこはでたらめに創られているわけがない、真理の法則があるはずだ、それを探せ、となる。冒頭引用した『サッカー戦術の歴史』には、サッカーらしきボールを使う遊びは他の文化圏でも、日本でもあったのに(平安時代の蹴鞠)、なんでヨーロッパでは進化しかのか、という問いがはらまれている。たしかに、日本では蹴鞠のままである。しかしそれは、そこに唯一の真理を見出そうとする信仰がなく、ゆえに科学とその進化も発生しない。またサッカーの戦術歴史を書いた作者は、サッカーが発生したイングランドでその進化が止まって他のキリスト教文化圏で進展していったのは、その「島国根性」にあると見立ててもいる。ならば、後進国で島国日本のわれわれが、そのキリスト教的な論理を受け入れがたくあるのはいたしかたない。サッカー評論家の杉山茂樹氏のような指摘が、日本人一般には受け入れられていないようなのもそのためだ。しかし、杉山氏のコンフェデ3連敗の日本代表への苦言は、たとえばこのブログでも国際ユース大会での北澤元選手の比較や、あるいは「ナオトはテクニックやスピードはあるけど、速くプレーしようとしすぎで空回りしている。焦らずに落ち着け。サッカーはもっと賢くプレーするものだ」とバルセロナで言われた前掲書の村松氏の分析と、根本的には同じものだと私は理解している。
で、理解する必要があるのだろうか? 私は、ある、と返答する。なぜなら、なお世界は西欧が、欧米が、キリスト教文化圏が作っているからである。ビジネスにしろなんにしろ、われわれはその世界で生きていかねばならない。ならば、敵をまず知るべきである。つまり、あの論理を。ロゴスを。ロジスティックを。少なくともこれまで、平和など人類史に存在などしていない。戦後日本の周辺でも、朝鮮やベトナム、インドシナで戦争が頻発しているのだから、日本は平和だったなどと世界理解するのはそれこそ島国根性である。しかしもうそんな根性ではいられないだろう。私が一希に算数を理解させたいのは、戦争に準備する必要としてなのだ。
子供の夏休みの宿題をみる。休みまえから小学4年生の一希が、何に混乱しているのかは教科書を調べてわかっていたが、女房との勉強バトルがうかがえなくなるまで、その落ち着いた環境がみえてくるまで、と、時期をまっていた。佐渡へと家族旅行を終えたあとは女房も満足したのか静かなので、その隙にと私が算数の問題をやらせる。一希の頭の混乱は、この4年生の算数上にあらわれてきた、いわば抽象世界と具体世界のかい離に起因し、その整理が頭の中でできないことにあると知れていたからだ。おそらく、教師側でも、そこが難しい説明困難な個所だと気付いているのだろう。だから、夏休みのドリルからは省かれている。ドリルは、計算問題ばかりだ。しかし問題なのは、この具体世界を理解(整理)して心を落ち着かせるには、この世界から離れた抽象的なモデル世界をイメージして論理化してみせる必要が人間にはあるのだ、と気づかせることなのだ。世界は複雑でわからないものなのだ。そこで頭の混乱を収めるために、どんな術をヒトがあみだしているのか? それが、倍数の応用問題として4年算数ででてくる。
問1) カブトムシは20センチでダンゴムシは2センチです。カブトムシはダンゴムシの何倍ですか?
答えは簡単だろう。ならば、逆はどうか。「ダンゴムシはカブトムシの何倍ですか?」と。0.1倍だの10分の1倍だの、現実世界にありうることだろうか?
問2) 3こで1パックになっているヨーグルトのねだんは200円です。ヨーグルト12この代金はいくらですか?
これも、パックをはがして1個の値段をだして、と現実をこえて考えなくてはならない。お店でそんなことをしていたらおこられるだろう。しかも、1個の値段が整数として割り切れなかったら、という場合も教えるという必要がでてくる。この場合の違いとはどういうことなのか、どうして発生するのだ?
この倍数問題を通過したあとで、図形問題や平行という概念、そして小数点などの導入がでてくるから、教師体制側もそこにつまづきのアポリアがあるとしっているのだろう。が、説明が難しいので、納得させることができないまま、計算問題として処理してすましてしまうだろう。結果、算数(数学)は現実とは関係ないもの、やらなくていいものと子供はその困難を合理化して逃げてしまう、ということになる。もちろん、私もうまくこの難点を説明できない。子どもには、答え(計算)はまちがってもよいから、式(考え方)を理解していこうと、ゆっくり時間をかけた。翌日おなじ教科書の例題問題をやらせてみると、先日はぐずって放棄しようとしていたその問題というか、考え方を披歴できるようになっている。それは、考え方を暗記した、ということなのかもしれないが、私は、それは九九を暗記したのとは違う態度を子どもに植え付けていることなのだと推論している。数学は同じ例題を繰り返しやること、外国語は同じ例題構文を繰り返し前から読んで理解できるようになること。暗記というよりも、その論理にそくした頭の使い方を覚えることが抽象力を鍛えることになるのだとおもう。なんでそんなことが必要なのかは……私はその説明は、政治的な話になるだろうと考える。
<一方、日本をはじめとするサッカー後進国は、”サッカーの本質(カオスとフラクタル)”をストリートサッカー経由で時間をかけて築く前に、先を急ぐあまり、サッカー先進国の型(=練習メニュー)を通じてサッカーを学んでしまったのではないでしょうか。(略)その結果、サッカー後進国は”サッカーの本質”を理解しないまま、サッカーの全体像を理解する前にサッカーの各部分(技術・戦術・体力・精神力・攻撃・守備・パス・トラップ・ドリブル・シュートなど)にばかり目が行ってしまい、サッカーを細分化(要素還元化)して理解することが”習慣化”し、そして細分化(割り算)と統合(足し算)を繰り返す要素還元主義的なトレーニングが”習慣化”されてしまったのではないでしょうか。「”サッカーの本質”を理解しているかいないか」、という最も大切なスタート地点が違うわけですから、同じ練習メニューを行ってもその効果に大きな差が出てきてしまうのも無理はありません。(略)…
サッカー先進国と後進国の差の原因を、このような”ボタンの掛け違え”と僕が思うようになった理由のひとつは、「問題は、その問題を引き起こした考え方と同じ考え方をしているうちは解けない」というアインシュタインの言葉に出会ったからです。戦術的ピリオダイゼーション理論をより深く理解するために、カオス理論をはじめとする非線形系科学に関する本を読み漁っているときに出会ったのが、このアインシュタインの言葉でした。>(『テクニックはあるが「サッカー」が下手な日本人 日本はどうして世界で勝てないのか?』 村松尚登著 河出書房新社)
しかし、ではなぜアインシュタインは世界を知る基準単位を<光>に求めたのか? それは聖書に、「はじめに光があった」と書かれているからである。その唯一神への信仰が、科学を進化、キリスト教圏の考え方では「進歩(神に近づくこと)」させてきたのである。ゴールとは、神なのだ。その神(目的)が世界を、フィールドを作ったのなら、そこはでたらめに創られているわけがない、真理の法則があるはずだ、それを探せ、となる。冒頭引用した『サッカー戦術の歴史』には、サッカーらしきボールを使う遊びは他の文化圏でも、日本でもあったのに(平安時代の蹴鞠)、なんでヨーロッパでは進化しかのか、という問いがはらまれている。たしかに、日本では蹴鞠のままである。しかしそれは、そこに唯一の真理を見出そうとする信仰がなく、ゆえに科学とその進化も発生しない。またサッカーの戦術歴史を書いた作者は、サッカーが発生したイングランドでその進化が止まって他のキリスト教文化圏で進展していったのは、その「島国根性」にあると見立ててもいる。ならば、後進国で島国日本のわれわれが、そのキリスト教的な論理を受け入れがたくあるのはいたしかたない。サッカー評論家の杉山茂樹氏のような指摘が、日本人一般には受け入れられていないようなのもそのためだ。しかし、杉山氏のコンフェデ3連敗の日本代表への苦言は、たとえばこのブログでも国際ユース大会での北澤元選手の比較や、あるいは「ナオトはテクニックやスピードはあるけど、速くプレーしようとしすぎで空回りしている。焦らずに落ち着け。サッカーはもっと賢くプレーするものだ」とバルセロナで言われた前掲書の村松氏の分析と、根本的には同じものだと私は理解している。
で、理解する必要があるのだろうか? 私は、ある、と返答する。なぜなら、なお世界は西欧が、欧米が、キリスト教文化圏が作っているからである。ビジネスにしろなんにしろ、われわれはその世界で生きていかねばならない。ならば、敵をまず知るべきである。つまり、あの論理を。ロゴスを。ロジスティックを。少なくともこれまで、平和など人類史に存在などしていない。戦後日本の周辺でも、朝鮮やベトナム、インドシナで戦争が頻発しているのだから、日本は平和だったなどと世界理解するのはそれこそ島国根性である。しかしもうそんな根性ではいられないだろう。私が一希に算数を理解させたいのは、戦争に準備する必要としてなのだ。
2013年7月29日月曜日
文学とは何か
「憲法を改正して交戦権を回復し対外的に日本の国家主権を示すことでこそ平和は維持し得るというのはひとつの正論ではある。しかし、「政治上」の細かな議論はおいて「人文上」から観るとどうだろう。この正論は、相対的平和の中で「近代生活」を湯水のごとく享受しながら平和を主張することとどこが違うのか。これもやはり、どこかの国でどんな戦争、どんな紛争があろうと自国だけは「近代生活」を享受できる相対的平和を手放したくない、保持していたいという以上のことを主張していないのではないか。それこそが、概して、平和維持という、口当たりいい言葉の本心ではないのか。/ 問題にしたいのは、「人文上の権利」だ。「政治上の権利」ではない。憲法以前の人文だ。憲法以後の政治ではない。右の正論では「政治上の権利」が理詰めで問われているだけで「人文上の権利」が問われていないのではないか。「近代生活」を拒否していないと不満に思うのではない。「近代生活」を拒否しなくてもいい。ただ、「近代生活」を拒否するのに払わねばならないのと同じくらいの代償がそこで支払われていないのではないかと疑問に思うのだ。この代償を支払うつもりのないままに自衛権が問題いされ、平和の維持が言われてはいないか。じっさい、憲法を改正して交戦権を回復せよと今日言う誰がそれだけの犠牲と代償を自分で引き受けるつもりでそう言っているのか。」
「「憲法にうたわれているような平和と自衛を実現するためには、「近代生活」を犠牲にするのと同程度の代償は支払う覚悟が要るということだ。その代償を払うつもりがあるのかないのか。口先だけの議論でなく実際に何かをしようというのであれば、平和のために何をどうするにせよ、この問いは憲法以前のどこかで必ず問われる。憲法九条に記されていることを本気で活かしたいのであれば、条文や成立経緯をめぐる苦しい窮屈なディベートを自らに強いるべきではない。憲法以前のところで為しているべきことがあるのだ。そこで問題になるのは「人文上の権利」である。」(「人文上の権利」 山城むつみ著『連続する問題』所収 幻戯書房)
子供への虐待が、震災・原発災害地域で増加していると、児童相談上へあげられてくる件数からはっきりしてきたという。そこには、夫婦喧嘩を子供が見ることで受ける障害症状といったものもはいってくるという。直接な被災地とはいえない東京の一家庭でもその統計結果に肯けてしまう現状があるのだから、現地は深刻にちがいない。しかしその夫婦喧嘩、家庭内で発生してしまう根本を探っていくと、上で引用した山城氏の指摘する問題に突き当たらざるを得ない、とわかってくると私は思う。いわば、「近代生活」への未練が、すでに否が応でもその放棄という代償をしはらわされようとしている被災者の方々に葛藤を引き起こしてしまう。これは、酷な言い方だろうか?
福島県には、「近代生活」的なあり方を嫌気して、自給自足的な生活をつくろうと都市部から移住してきた人も多かったときく。その人たちも、放射能で自らの田畑を放棄させられた。またそうした現地へ、にもかかわらずと、自発的に現場に入り、草を刈り田畑を再生させ耕し、あるいは、その他の仕事、建設関係から福祉サービスまで、といった様々に必要な復興の現場に参入し手助けしたいと移民しにきた人もいるだろう。私は、そうした人たちの動きや思いを、たとえば現今の反原発運動も都市部のいい生活をしている人たちのエゴなのだ、といったようなある種のインテリ的な見方で批判してみたいとはおもわない。半面はあたっているとおもうが、それだけでは批判しきれないもう半面があるだろう、と推論するからだ。そしてその推論のあり方が、いわゆる山城氏が保田與重郎にみた「人文上の権利」という見方からくる。要は、私は「文学的」な見方を放棄する気にはなれないのである。ジャーナリズムをみまわしてみると、「文学」を忘れた政治的な、現象面的なものへの反応ばかりの話で、私には説得力としてものたりない、どこか中途半端な、何か大切なものを忘れたうえでの議論におもえてくるのである。
しかし「人文上の権利」、いわば「文学」とは何か? その見方とは? と言われても、明確に言いえないのが難問だ。だがとりあえずここで、私は、現地に同情し入っていく人々、原発に懲りて反対の声を上げる人々、そうした人々の動きには、知的観念からの批判を超えた、「類としての行動」、いわば「自然(史)」の観点がはらまれているだろう、と言うことができる。だから、右からだろうが、左からだろうが、それを批判しきれないのだ。逆に、山城氏は、上での憲法論議に関し、右も左も批判する観点を保持しているのがわかるだろう。しかし、その保持している観点、いわば「人文上の権利」視点、文学とは何なのか?
山城氏は、同じ書籍に集められたエセーのなかで、「少子化」という現実見方(政治ジャーナリズム)に関し、こうも記している。
<人口の問題は、統計学を離れて個人の問題としてみれば、端的に結婚(結婚する、しない)や出産(子を持つ、持たない)の問題として現れる。人生の大事として個々人がそれについて深く考えたり悩んだりしないはずの問題である。そして、そこには当然、打算、欲望、責任、そして決心が複雑にからんで来る。それが意識の問題、意志の問題でないはずはないのだ。では、それはすべて意識次第、意志次第で決定されているかというとそうではなく、我々が何をどう意識しどう意欲しているかにかかわらず、現にあるこの生活をしているというただそれだけのことによって個々の意識の外側から、右に述べたあの「力学」が作用して結果的には集団として出生率が一定値以下に抑えられるのである。何をどう意識し意欲しようと、その意識の仕方、意欲の持ち方そのものがそれによって予め制約されていると言ってもいい。個としては意識のレベルで任意なものとして現れる問題が、いわば種としては自然史のレベルで一定の枠内に制御されているのである。考えてみると、これはフシギなことではないだろうか。
これが純粋に生物学な現象でないのは言うまでもないが、しかし、純粋に経済的な現象でもないだろう。いわんや、政治、政策の効果などではない。『資本論』の著者はその序文に「経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える私の立場は、ほかのどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとすることはできない。というのは、彼が主観的にはどんな諸関係を超越していようとも、社会的には個人はやはり諸関係の所産なのだからである」(岡崎次郎訳)と断っていたが、地上の人類の活動に作用している「力学」をグローバリズムや世界資本主義の問題として分析する現代のエコノミストはそれを「自然史的過程」として考えているだろうか。人口の動態と推移を分析する人口統計学は、結婚、出産に関わる「自然史的」なフシギをどう扱っているのか。人が結婚したり結婚を控えたりするのは、また人が子を持ったり持つのを控えたりするのは、心理(意識や意志)を超えたどんな「自然史的過程」の作用によってなのか。素朴な疑問だが、寡聞にして僕はこれに答えてくれる学を知らない。」(「精子そのものに影が射している」 同上)
この「フシギ」に立ち止っていることが許されて在る見方、学、それが「文学」だとおおまかには言えるかもしれない。のろまやボケといわれようが、その劣等者でいいのだ。
山城氏の文章は、その思考のあり方に触れることは、私をほっとさせてくれる。
「「憲法にうたわれているような平和と自衛を実現するためには、「近代生活」を犠牲にするのと同程度の代償は支払う覚悟が要るということだ。その代償を払うつもりがあるのかないのか。口先だけの議論でなく実際に何かをしようというのであれば、平和のために何をどうするにせよ、この問いは憲法以前のどこかで必ず問われる。憲法九条に記されていることを本気で活かしたいのであれば、条文や成立経緯をめぐる苦しい窮屈なディベートを自らに強いるべきではない。憲法以前のところで為しているべきことがあるのだ。そこで問題になるのは「人文上の権利」である。」(「人文上の権利」 山城むつみ著『連続する問題』所収 幻戯書房)
子供への虐待が、震災・原発災害地域で増加していると、児童相談上へあげられてくる件数からはっきりしてきたという。そこには、夫婦喧嘩を子供が見ることで受ける障害症状といったものもはいってくるという。直接な被災地とはいえない東京の一家庭でもその統計結果に肯けてしまう現状があるのだから、現地は深刻にちがいない。しかしその夫婦喧嘩、家庭内で発生してしまう根本を探っていくと、上で引用した山城氏の指摘する問題に突き当たらざるを得ない、とわかってくると私は思う。いわば、「近代生活」への未練が、すでに否が応でもその放棄という代償をしはらわされようとしている被災者の方々に葛藤を引き起こしてしまう。これは、酷な言い方だろうか?
福島県には、「近代生活」的なあり方を嫌気して、自給自足的な生活をつくろうと都市部から移住してきた人も多かったときく。その人たちも、放射能で自らの田畑を放棄させられた。またそうした現地へ、にもかかわらずと、自発的に現場に入り、草を刈り田畑を再生させ耕し、あるいは、その他の仕事、建設関係から福祉サービスまで、といった様々に必要な復興の現場に参入し手助けしたいと移民しにきた人もいるだろう。私は、そうした人たちの動きや思いを、たとえば現今の反原発運動も都市部のいい生活をしている人たちのエゴなのだ、といったようなある種のインテリ的な見方で批判してみたいとはおもわない。半面はあたっているとおもうが、それだけでは批判しきれないもう半面があるだろう、と推論するからだ。そしてその推論のあり方が、いわゆる山城氏が保田與重郎にみた「人文上の権利」という見方からくる。要は、私は「文学的」な見方を放棄する気にはなれないのである。ジャーナリズムをみまわしてみると、「文学」を忘れた政治的な、現象面的なものへの反応ばかりの話で、私には説得力としてものたりない、どこか中途半端な、何か大切なものを忘れたうえでの議論におもえてくるのである。
しかし「人文上の権利」、いわば「文学」とは何か? その見方とは? と言われても、明確に言いえないのが難問だ。だがとりあえずここで、私は、現地に同情し入っていく人々、原発に懲りて反対の声を上げる人々、そうした人々の動きには、知的観念からの批判を超えた、「類としての行動」、いわば「自然(史)」の観点がはらまれているだろう、と言うことができる。だから、右からだろうが、左からだろうが、それを批判しきれないのだ。逆に、山城氏は、上での憲法論議に関し、右も左も批判する観点を保持しているのがわかるだろう。しかし、その保持している観点、いわば「人文上の権利」視点、文学とは何なのか?
山城氏は、同じ書籍に集められたエセーのなかで、「少子化」という現実見方(政治ジャーナリズム)に関し、こうも記している。
<人口の問題は、統計学を離れて個人の問題としてみれば、端的に結婚(結婚する、しない)や出産(子を持つ、持たない)の問題として現れる。人生の大事として個々人がそれについて深く考えたり悩んだりしないはずの問題である。そして、そこには当然、打算、欲望、責任、そして決心が複雑にからんで来る。それが意識の問題、意志の問題でないはずはないのだ。では、それはすべて意識次第、意志次第で決定されているかというとそうではなく、我々が何をどう意識しどう意欲しているかにかかわらず、現にあるこの生活をしているというただそれだけのことによって個々の意識の外側から、右に述べたあの「力学」が作用して結果的には集団として出生率が一定値以下に抑えられるのである。何をどう意識し意欲しようと、その意識の仕方、意欲の持ち方そのものがそれによって予め制約されていると言ってもいい。個としては意識のレベルで任意なものとして現れる問題が、いわば種としては自然史のレベルで一定の枠内に制御されているのである。考えてみると、これはフシギなことではないだろうか。
これが純粋に生物学な現象でないのは言うまでもないが、しかし、純粋に経済的な現象でもないだろう。いわんや、政治、政策の効果などではない。『資本論』の著者はその序文に「経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える私の立場は、ほかのどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとすることはできない。というのは、彼が主観的にはどんな諸関係を超越していようとも、社会的には個人はやはり諸関係の所産なのだからである」(岡崎次郎訳)と断っていたが、地上の人類の活動に作用している「力学」をグローバリズムや世界資本主義の問題として分析する現代のエコノミストはそれを「自然史的過程」として考えているだろうか。人口の動態と推移を分析する人口統計学は、結婚、出産に関わる「自然史的」なフシギをどう扱っているのか。人が結婚したり結婚を控えたりするのは、また人が子を持ったり持つのを控えたりするのは、心理(意識や意志)を超えたどんな「自然史的過程」の作用によってなのか。素朴な疑問だが、寡聞にして僕はこれに答えてくれる学を知らない。」(「精子そのものに影が射している」 同上)
この「フシギ」に立ち止っていることが許されて在る見方、学、それが「文学」だとおおまかには言えるかもしれない。のろまやボケといわれようが、その劣等者でいいのだ。
山城氏の文章は、その思考のあり方に触れることは、私をほっとさせてくれる。
2013年7月15日月曜日
連帯(共生)へむけての基礎認識 (引用銘記)――石原吉郎著作から
「この、無意味な世界を生きるに値するものとするということは、無意味を意味におきかえることではない。無意味とたたかいつづけることである。」(『石原吉郎詩集』 思潮社 現代詩文庫
「挫折という痛切な経験は、僕にはない。しかし、一つの時代が挫折するとき、一つの世界が挫折するとき、僕はその挫折の真唯中にあるのであり、僕を含めた一つの全体がそこでは挫折しているのだ、ということをはっきり知らなくてはならないのだ。」(同上)
「最初の淘汰は、入ソ直後の昭和二十一年から二十二年にかけて起り、長途の輸送による疲労、環境の激変による打撃、適応前の労働による消耗、食糧の不足、発疹チフスの流行などによって、八年の抑留期間中、もっとも多くの日本人がこの期間に死亡した。またこの期間は、何人かの捕虜と抑留者が、自殺によってみずからの死を例外的にえらびとった唯一の期間でもある。
この淘汰の期間を経たのち、死は私たちのあいだで、あきらかな例外となった。私たちの肉体は急速に適応しはじめ、生きのこる機会には敏速に反応する、いわゆる<収容所型>の体質へ変質して行った。
このような変質は、いうまでもなく、多くの人間的に貴重なものを代償とすることによって行われる。しかしこの、喪失するものと獲得するものとの間には、ある種の本能、人間の名に値する瀬戸際で踏みとどまろうとする本能によって、かろうじてささえられるきわどいバランスがあって、人がこのバランスをついにささえきれなくなるとき、彼は人間として急速に崩壊する。」(「確認されない死の中で」『望郷と海』石原吉郎著 ちくま文庫)
「<共生>という営みが、広く自然界で行われていることはよく知られている。たとえば、ある種のイソギンチャクはかならず一定のヤドカリの殻の上にその根をおろす。一般に共生とは二つの生物がたがいに密着して生活し、その結果として相互のあいだで利害を共にしている場合を称しており、多くのばあい、それがなければ生活に困難をきたし、はなはだしいときは生存が不可能になる。私が関心をもつのは、たとえばある種の共生が、一体どういうかたちで発生したのかということである。たぶんそれは偶然な、便宜的なかたちではじまったのではなく、そうしなければ生きて行けない瀬戸際に追いつめられて、せっぱつまったかたちではじまったのだろう。しかし、いったんはじまってしまえば、それは、それ以上考えようのないほど強固なかたちで持続するほかに、仕方のないものになる。これはもう生活の知恵というようなものではない。連帯のなかの孤独についてのすさまじい比喩である。」(「ある<共生>の経験から」 同上)
「こうして私たちは、ただ自分ひとりの生命を維持するために、しばしば争い、結局それを維持するためには、相対するもう一つの生命の存在に、「耐え」なければならないという認識に徐々に到達する。これが私たちの<話合い>であり、民主主義であり、いったん成立すれば、これを守りとおすためには一歩も後退できない約束に変るのである。これは、いわば一種の掟であるが、立法者のいない掟がこれほど強固なものだとは、予想もしないことであった。せんじつめれば、立法者が必要なときには、もはや掟は弱体なのである。
私たちの間の共生は、こうしてさまざまな混乱や困惑を繰り返しながら、徐々に制度化されて行った。それは、人間を憎しみながら、なおこれと強引にかかわって行こうとする意志の定着化の過程である。(このような共生はほぼ三年にわたって継続した。三年後に、私は裁判を受けて、さらに悪い環境へと移された。)これらの過程を通じて、私たちは、もっとも近い者に最初の敵を発見するという発想を身につけた。たとえば、例の食事の分配の分配を通じて、私たちをさいごまで支配したのは、人間に対する(自分自身を含めて)つよい不信感であって、ここでは、人間はすべて自分の生命に対する直接の脅威として立ちあらわれる。しかもこの不信感こそが、人間を共存させる強い紐帯であることを、私たちはじつに長い期間を経てまなびとったのである。」(同上)
「こうした認識を前提として成立する結束は、お互いがお互いの生命の直接の侵犯者であることを確認しあったうえでの連帯であり、ゆるすべからざるものを許したという、苦い悔恨の上に成立する連帯である。ここには、人間のあいだの安易な、直接の理解はない。なにもかもお互いにわかってしまっているそのうえで、かたい沈黙のうちに成立する連帯である。この連帯のなかでは、けっして相手に言ってはならぬ言葉がある。言わなくても相手は、こちら側の非難をはっきり知っている。それは同時に、相手の側からの非難であり、しかも互いに相殺されることなく持続する憎悪なのだ。そして、その憎悪すらも承認しあったうえでの連帯なのだ。この連帯は、考えられないほどの強固なかたちで、継続しうるかぎり継続する。
これがいわば、孤独というものの真のすがたである。孤独とは、けっして単独な状態ではない。孤独は、のがれがたく連帯のなかにはらまれている。そして、このような孤独にあえて立ち返る勇気をもたぬかぎり、いかなる連帯も出発しないのである。無傷な、よろこばしい連帯というものはこの世界には存在しない。」(同上)
「挫折という痛切な経験は、僕にはない。しかし、一つの時代が挫折するとき、一つの世界が挫折するとき、僕はその挫折の真唯中にあるのであり、僕を含めた一つの全体がそこでは挫折しているのだ、ということをはっきり知らなくてはならないのだ。」(同上)
「最初の淘汰は、入ソ直後の昭和二十一年から二十二年にかけて起り、長途の輸送による疲労、環境の激変による打撃、適応前の労働による消耗、食糧の不足、発疹チフスの流行などによって、八年の抑留期間中、もっとも多くの日本人がこの期間に死亡した。またこの期間は、何人かの捕虜と抑留者が、自殺によってみずからの死を例外的にえらびとった唯一の期間でもある。
この淘汰の期間を経たのち、死は私たちのあいだで、あきらかな例外となった。私たちの肉体は急速に適応しはじめ、生きのこる機会には敏速に反応する、いわゆる<収容所型>の体質へ変質して行った。
このような変質は、いうまでもなく、多くの人間的に貴重なものを代償とすることによって行われる。しかしこの、喪失するものと獲得するものとの間には、ある種の本能、人間の名に値する瀬戸際で踏みとどまろうとする本能によって、かろうじてささえられるきわどいバランスがあって、人がこのバランスをついにささえきれなくなるとき、彼は人間として急速に崩壊する。」(「確認されない死の中で」『望郷と海』石原吉郎著 ちくま文庫)
「<共生>という営みが、広く自然界で行われていることはよく知られている。たとえば、ある種のイソギンチャクはかならず一定のヤドカリの殻の上にその根をおろす。一般に共生とは二つの生物がたがいに密着して生活し、その結果として相互のあいだで利害を共にしている場合を称しており、多くのばあい、それがなければ生活に困難をきたし、はなはだしいときは生存が不可能になる。私が関心をもつのは、たとえばある種の共生が、一体どういうかたちで発生したのかということである。たぶんそれは偶然な、便宜的なかたちではじまったのではなく、そうしなければ生きて行けない瀬戸際に追いつめられて、せっぱつまったかたちではじまったのだろう。しかし、いったんはじまってしまえば、それは、それ以上考えようのないほど強固なかたちで持続するほかに、仕方のないものになる。これはもう生活の知恵というようなものではない。連帯のなかの孤独についてのすさまじい比喩である。」(「ある<共生>の経験から」 同上)
「こうして私たちは、ただ自分ひとりの生命を維持するために、しばしば争い、結局それを維持するためには、相対するもう一つの生命の存在に、「耐え」なければならないという認識に徐々に到達する。これが私たちの<話合い>であり、民主主義であり、いったん成立すれば、これを守りとおすためには一歩も後退できない約束に変るのである。これは、いわば一種の掟であるが、立法者のいない掟がこれほど強固なものだとは、予想もしないことであった。せんじつめれば、立法者が必要なときには、もはや掟は弱体なのである。
私たちの間の共生は、こうしてさまざまな混乱や困惑を繰り返しながら、徐々に制度化されて行った。それは、人間を憎しみながら、なおこれと強引にかかわって行こうとする意志の定着化の過程である。(このような共生はほぼ三年にわたって継続した。三年後に、私は裁判を受けて、さらに悪い環境へと移された。)これらの過程を通じて、私たちは、もっとも近い者に最初の敵を発見するという発想を身につけた。たとえば、例の食事の分配の分配を通じて、私たちをさいごまで支配したのは、人間に対する(自分自身を含めて)つよい不信感であって、ここでは、人間はすべて自分の生命に対する直接の脅威として立ちあらわれる。しかもこの不信感こそが、人間を共存させる強い紐帯であることを、私たちはじつに長い期間を経てまなびとったのである。」(同上)
「こうした認識を前提として成立する結束は、お互いがお互いの生命の直接の侵犯者であることを確認しあったうえでの連帯であり、ゆるすべからざるものを許したという、苦い悔恨の上に成立する連帯である。ここには、人間のあいだの安易な、直接の理解はない。なにもかもお互いにわかってしまっているそのうえで、かたい沈黙のうちに成立する連帯である。この連帯のなかでは、けっして相手に言ってはならぬ言葉がある。言わなくても相手は、こちら側の非難をはっきり知っている。それは同時に、相手の側からの非難であり、しかも互いに相殺されることなく持続する憎悪なのだ。そして、その憎悪すらも承認しあったうえでの連帯なのだ。この連帯は、考えられないほどの強固なかたちで、継続しうるかぎり継続する。
これがいわば、孤独というものの真のすがたである。孤独とは、けっして単独な状態ではない。孤独は、のがれがたく連帯のなかにはらまれている。そして、このような孤独にあえて立ち返る勇気をもたぬかぎり、いかなる連帯も出発しないのである。無傷な、よろこばしい連帯というものはこの世界には存在しない。」(同上)
2013年6月24日月曜日
世界をみるということ
「独身稼業の活動屋人生という、同時代の社会における裏街道を歩いていた小津には、むしろ都市部での皆婚化と家族形成というこの時期新しく始まった日本人の生き方こそが、戦争に淵源する巨大な暴力のもとで形成された、奇妙な様式であることが見えていたのだろうか。やがて佐藤忠男が最初の本格的な小津研究で指摘するように、監督・小津安二郎が誕生した昭和初年とは、実は親子心中の激増を見た時代だった。当時の男性優位の賃金慣行の下で、夫との離婚ないし死別後の母親が自力で子供を育てることがきわめて困難となったためである。軍需主導の重工業化に伴って農村社会が解体し、近世以来の「村」という地域レベルの共同性が衰亡するなかで、「家族」という単位のみに日常生活や相互扶助の基盤を求める日本的な近代化の歩みが、一面では情愛ある家族関係への過剰なまでの羨望を育み、他面では後に遺すぐらいなら子供の命もわが手にかけるという悲劇を生んだのだった。」(与那覇潤著『帝国の残影 兵士・小津安二郎の昭和史』 NTT出版)
最近とみにつきまとう虚ろな感覚を言ってみるならば、自分の体はカリモノであって、その仮の物質を通して、永遠に存在するのだろうような何者かが、他人事のように外の世界をみている、というふうだ。そして霊魂とでもよびたくなる永遠の何者かは、この世に関与せず、ただじっと見ているだけの存在……その沈黙は、私をぞっとさせる静かな恐怖をたたえている。先月、ヒナから育てたインコが逃げてしまって、夜半、早朝、木上や藪の中をその名を呼んで目を凝らしたが、呼ばれ探されているのはこの私であるような錯覚がふとおそってくる。いやその捜索の大半のあいだ、津波に飲み込まれさらわれ、生死のわからぬ行方不明となった肉親を追い求める被災した人たちの気持ちが想起され、小鳥が息子だったらどれほどのつらい真剣さでこの世界をみつめるだろうとおもったのだった。しかしその胸迫る想いと、虚ろな感覚は同時・表裏的な現象なのかもしれぬ。なぜなら、このつらい想いと空々しさは、子どもが生まれ、そのか弱き生から死への想像へとかりたてててやまぬ赤ん坊との共生がはじまったころからせりあがってつきまとう感覚だからである。それ以前にも、この生死への感性と呼び換えてもいいかもしれぬ実感の根は、あったような気がする。しかし子どもとの共存は、私を問い詰めさせる。そのおぞましさは、私の子というより、私自身からたちがってくるような気がする。ハイハイしていた頃の息子の姿や思い出は、目前の大きくなった息子に追いやられ実像を結ぶ暇もないが、呼び起されたおぞましさは、相変わらずなのだ。もうすぐ10歳になる息子はどこか親離れを開始している。そのことが、論理としてもなおさら、子どもから独立した感覚として私に取り残されて在る。もっと強さを増して。親離れする子とともに生は遠のき、老いる私とともに死は強くなっているのかもしれぬ。いや取り残されているのはあくまで意識する私であって、ゆえに、虚ろな感覚はその私の向こうの冷ややかな私を超えた存在との間隔を露わにさせることで、その何者かの存在を、日々私に教えているのかもしれぬ。しかし、だからどうしたのだ?
私はまだ、あきらめていない。何を? 身近なことでいえば、息子のいるサッカーチームをそれ相応に勝てさせてあげたい。その勝敗を伴う真剣さを通して、世界のことを考えていけるようにさせてあげたい。その日々の営みをとおすことで、私自身が子供たちといっしょになって、この世界の悲惨さを少しでもましな方へ変えていきたい。おそらく、そんなとこだ。
コンフェデレーションズ・カップで、日本は三戦全敗。実力通りだったとおもうが、悪くない内容(真剣さ)だったとおもう。ここでの教訓を生かすには、個人の力では限度があるだろう。というか、世界で通じる個人を多数として培っていくためにも、遠藤選手がJリーグやアジア大会での制度改革が必要と説いているように、まず日本という全体が変革されなくてはならない。会場のまわりでは、100万人デモだ。イタリアのバロッテリは、外出禁止の勧告があっても、ブラジルのスラム街へと出かけていったという。おそらく、そこに暮らす子供たちを励ましにいったのだろう。サッカーをやるとは、そうした世界の問題に参加するということなのだ。個人の参加が、世界を変えるということはないのかもしれない。虚ろな感覚は、黙ってみている。しかしその感覚を、死を保持していることは、私を自暴自棄にさせるのではなく、落ち着いた微笑ましさを与えてくれるような気がする。子供の成長を温かく見守っているように、それは、世界を見ているのかもしれない。
最近とみにつきまとう虚ろな感覚を言ってみるならば、自分の体はカリモノであって、その仮の物質を通して、永遠に存在するのだろうような何者かが、他人事のように外の世界をみている、というふうだ。そして霊魂とでもよびたくなる永遠の何者かは、この世に関与せず、ただじっと見ているだけの存在……その沈黙は、私をぞっとさせる静かな恐怖をたたえている。先月、ヒナから育てたインコが逃げてしまって、夜半、早朝、木上や藪の中をその名を呼んで目を凝らしたが、呼ばれ探されているのはこの私であるような錯覚がふとおそってくる。いやその捜索の大半のあいだ、津波に飲み込まれさらわれ、生死のわからぬ行方不明となった肉親を追い求める被災した人たちの気持ちが想起され、小鳥が息子だったらどれほどのつらい真剣さでこの世界をみつめるだろうとおもったのだった。しかしその胸迫る想いと、虚ろな感覚は同時・表裏的な現象なのかもしれぬ。なぜなら、このつらい想いと空々しさは、子どもが生まれ、そのか弱き生から死への想像へとかりたてててやまぬ赤ん坊との共生がはじまったころからせりあがってつきまとう感覚だからである。それ以前にも、この生死への感性と呼び換えてもいいかもしれぬ実感の根は、あったような気がする。しかし子どもとの共存は、私を問い詰めさせる。そのおぞましさは、私の子というより、私自身からたちがってくるような気がする。ハイハイしていた頃の息子の姿や思い出は、目前の大きくなった息子に追いやられ実像を結ぶ暇もないが、呼び起されたおぞましさは、相変わらずなのだ。もうすぐ10歳になる息子はどこか親離れを開始している。そのことが、論理としてもなおさら、子どもから独立した感覚として私に取り残されて在る。もっと強さを増して。親離れする子とともに生は遠のき、老いる私とともに死は強くなっているのかもしれぬ。いや取り残されているのはあくまで意識する私であって、ゆえに、虚ろな感覚はその私の向こうの冷ややかな私を超えた存在との間隔を露わにさせることで、その何者かの存在を、日々私に教えているのかもしれぬ。しかし、だからどうしたのだ?
私はまだ、あきらめていない。何を? 身近なことでいえば、息子のいるサッカーチームをそれ相応に勝てさせてあげたい。その勝敗を伴う真剣さを通して、世界のことを考えていけるようにさせてあげたい。その日々の営みをとおすことで、私自身が子供たちといっしょになって、この世界の悲惨さを少しでもましな方へ変えていきたい。おそらく、そんなとこだ。
コンフェデレーションズ・カップで、日本は三戦全敗。実力通りだったとおもうが、悪くない内容(真剣さ)だったとおもう。ここでの教訓を生かすには、個人の力では限度があるだろう。というか、世界で通じる個人を多数として培っていくためにも、遠藤選手がJリーグやアジア大会での制度改革が必要と説いているように、まず日本という全体が変革されなくてはならない。会場のまわりでは、100万人デモだ。イタリアのバロッテリは、外出禁止の勧告があっても、ブラジルのスラム街へと出かけていったという。おそらく、そこに暮らす子供たちを励ましにいったのだろう。サッカーをやるとは、そうした世界の問題に参加するということなのだ。個人の参加が、世界を変えるということはないのかもしれない。虚ろな感覚は、黙ってみている。しかしその感覚を、死を保持していることは、私を自暴自棄にさせるのではなく、落ち着いた微笑ましさを与えてくれるような気がする。子供の成長を温かく見守っているように、それは、世界を見ているのかもしれない。
2013年5月30日木曜日
数と形(サッカーと政治)
「数式は言葉だ、計算じゃない。」(東進予備校のテレビ・コマーシャルから)
国語・算数・理科・社会・体育・音楽・図工と、君たちは学校でいろいろ勉強しているね。じゃあ、サッカーと一番にている勉強はなにかな? 体を動かすから体育かな? でもここでは考え方、頭の使い方という点で、といえば、どうなるかな? スズキ・コーチの理解では、答えは算数になります。たとえば、よくテレビで試合の解説者が、「数的有利」とか「数的不利」とか言っているのをきかないかな? 君たちも、練習で、この数の問題を学習したよね。1対1、1対2、2対1、2対3、3対2……そして3人対人でのボール取り合いとなればポゼッションゲームだよね。自分がボールを受けてぱっと顔をあげたら、前に相手が2人いる。サッカーでは、これは「数的」に「不利」つまり負けだから無理にしかけない、と判断する。だから味方を待つ。2対2なら引き分け。だからしかけてみる価値もある。3対2なら万全だ。もちろん、ほんとに上手な人なら1人でも突破できるだろうけれど、それは個人の話で、サッカーではこの数の問題を原則的な公式、1+1=2のように受け入れて考えていく、それが一番ゴールという正解を得るための近道と考える、ということなんだ。しかしこの数の問題は、それだけではない。たとえば、2人だったら、二人を結ぶ直線になるね。3人だったら、三角形になるね。そういうふうに、数というものが、形につながっているんだ。そしてこの形が、相手とぶつかったときの君たちの判断を誘ってくる。相手が1人で味方が隣にいる2人だったら、味方へのパスや、1人がおとりになることでのドリブル突破だの、と判断するね。1点なら出てこない発想だろ? 3人の三角形なら、パスコースが増えるね。つまり、君たちは自由気ままにボールを蹴っているようにみえて、実は、この数と形が、君たちの考え方をだいぶにおいて支配しているんだよ。サッカーがわかるようになるとは、この数と形の原理原則を頭にいれて、フィールドで上手に使って、ゴールという正解にたどりつけることができる、フィールドの難問を解くことができる、ということなんだね。
で、この間の試合、去年はいい勝負した相手に16対0で負けたということだけど、どうしてだとおもう? 普段やらないポジションにつかされたりしてということもあったみたいだけど、こと数と形の問題に関していえば、その難問に君たちがはまってしまった、ということなんだ。布陣は、3-2-2だったそうだね。これは8人制サッカーの教科書では、守備的な陣形と教えられているものだ。が、では君たちが相手で、キックオフでボールを得たら、どう攻撃する? 何も考えずに、両サイドに深くあいたスペースへと走りださないかい? 前線の2人は後ろ向きには守備をしにくいし深追いできない、中盤の選手はタッチライン近くを走られると追い付かない、バックはもう後ろがいないので、アプローチしずらい、その迷いを形から強制されている間に、体の大きいキック力ある選手の多い相手チームが、どんどん打ってきたということだね。それが16回、繰り返された、ということじゃないかい? たしかに、相手にせめられっぱなしになりやすい、という点では守備的なフォーメーションだね。とくにサイド深く入られることは長くつづくと、5バックになりやすい、ゆえに8人制では、中盤の選手までが最終ラインに引きずり込まれることになるので、クリアボールを支配するのは相手だけになりがちで、すると、また相手との攻防がゴール前ではじまって抜け出せない、という悪循環が発生する。プロチームでも3枚ディフェンスではそうなりやすいんだよ。この布陣に近いチームモデルといえば、かつてのブラジルの4-2-2-2だね。これには相当強烈なサイドアタッカーが必要とされるのさ。
と、どうだい? 数と形の問題が、本当に試合でもそうだったとおもえてこないかい? サッカーが、だいぶ算数に似てきてないかい?
だけどサッカーでの問題とは、実は君たちが学校でならっている算数とはちょっと違うんだな。君たちのは九九などを暗記してやる計算だね。だけど本当の算数、つまり数学という数の学問がやるのは、ゴールのない暗記計算の繰り返しではないんだな。それはキーパーからバックへ、中盤へ、そして前線へとビルドアップしていくことで達成できる論理、というものなんだ。論理とは、国語の勉強の言葉でいえば、主語、述語、目的語、と順番に組み合わせていくことで意味を獲得できる言葉の力、ということだ。だから日本人がなかなかサッカーが世界で強くなれないのは、その日本語の文法、法則では、主語を省いたりしても文章が成立してしまう、その場の成り行きに任せられる言葉だからかもしれないね。「やるよ」と日本語ではいえるけど、英語では、ちゃんと誰が何を、ということを付け足してないと、言葉にならないんだよ。それだけ、相手にきちんと伝える、という要請が強い文化で生まれたのがサッカーというゲームということなんだ。つまりちゃんとしゃべらなくてもわかりあえる仲間うちではなく、自分が知らない他人とどうコミュニケーションを成立させるか、そのことがずっと問われてきた歴史の中で、サッカーが生まれた、ということでもあるね。
そしてこの論理力が、日本人には一番苦手な難問なんだ。計算問題としての算数はできるけど、つまり足先の技術でパス回しはできるけど、ゴールという目的に即した、意味のあるパス回しを構築していけないんだ。しかもそれができるようになるためには、まずもって、自分たちがどんなサッカーをしたいのかという理想がなくてはならない。それがあってはじめてそれに近づくための作戦がねれて、それを実現していくための技術、とわかってくる。見かけでは、どのチームも、日本のチームもドイツのチームもアメリカのチームも、みんな似たようにボールを蹴り、コントロールし、ミスをする。だけど、目指しているものがあってミスをしているのと、そこがあいまいなままミスをしているのとでは、同じことだろうか? ゴールを真剣に目指して考えやっている上でのミスと、公園での友達とのサッカーでボールコントロールをミスするのとでは、同じかな?
「同じ」じゃないか、と最近、大阪の市長が発言して世界で騒がれてしまったことを、君たちはお父さんやお母さんから、あるいはテレビのニュースできいているかな? 戦争になればみんな人を殺すさ、どの国も同じさ、だから、人殺しをした俺だけをせめるのはおかしい、というようなことをその大阪市長はいったんだね。だけどどうだい? 本当に、真剣に平和を実現するために外国と交渉してきて、そのときのミスのために戦争がおきて人殺しが発生してしまったのと、そんなことを本当には真剣に考えず、まわりが戦争するから自分もはじめて人殺しをしたのとでは、「同じ」かな? 真剣にやってミスをした人が、遊びのサッカーでミスをした人に俺とおまえも「同じ」仲間だね、と言われたら、侮辱されたように感じて怒らないかい? 怒るとおもわないかい? 君たちも日本人の大阪市長といっしょに、どうせ人殺しとして同じなのに、なんで怒るんだ? と頓珍漢になるのかな? だけど、その結果、大阪市長は、もう政治世界のワールドカップにはでられないよ。おまえは俺たちの仲間ではない、と追い出された。だって、世界の平和を作っていく、その努力を否定したのだからね。そのために下からビルドアップして他の国とのパス回しをつくっていく最中のミスを大阪市長は認めないといったのだからね。公園での友達仲間でのサッカーでもミスはあるでしょ、それとおんなじだよと。君たちはどうだろう? 「同じ」だとおもうのかな? はっきりしているのは、それを「同じ」とおもっているかぎり、ワールドカップにはでられない、世界では認められないよ、ということだよ。
参照ブログ<論理と外交と人間と> http://danpance.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html
国語・算数・理科・社会・体育・音楽・図工と、君たちは学校でいろいろ勉強しているね。じゃあ、サッカーと一番にている勉強はなにかな? 体を動かすから体育かな? でもここでは考え方、頭の使い方という点で、といえば、どうなるかな? スズキ・コーチの理解では、答えは算数になります。たとえば、よくテレビで試合の解説者が、「数的有利」とか「数的不利」とか言っているのをきかないかな? 君たちも、練習で、この数の問題を学習したよね。1対1、1対2、2対1、2対3、3対2……そして3人対人でのボール取り合いとなればポゼッションゲームだよね。自分がボールを受けてぱっと顔をあげたら、前に相手が2人いる。サッカーでは、これは「数的」に「不利」つまり負けだから無理にしかけない、と判断する。だから味方を待つ。2対2なら引き分け。だからしかけてみる価値もある。3対2なら万全だ。もちろん、ほんとに上手な人なら1人でも突破できるだろうけれど、それは個人の話で、サッカーではこの数の問題を原則的な公式、1+1=2のように受け入れて考えていく、それが一番ゴールという正解を得るための近道と考える、ということなんだ。しかしこの数の問題は、それだけではない。たとえば、2人だったら、二人を結ぶ直線になるね。3人だったら、三角形になるね。そういうふうに、数というものが、形につながっているんだ。そしてこの形が、相手とぶつかったときの君たちの判断を誘ってくる。相手が1人で味方が隣にいる2人だったら、味方へのパスや、1人がおとりになることでのドリブル突破だの、と判断するね。1点なら出てこない発想だろ? 3人の三角形なら、パスコースが増えるね。つまり、君たちは自由気ままにボールを蹴っているようにみえて、実は、この数と形が、君たちの考え方をだいぶにおいて支配しているんだよ。サッカーがわかるようになるとは、この数と形の原理原則を頭にいれて、フィールドで上手に使って、ゴールという正解にたどりつけることができる、フィールドの難問を解くことができる、ということなんだね。
で、この間の試合、去年はいい勝負した相手に16対0で負けたということだけど、どうしてだとおもう? 普段やらないポジションにつかされたりしてということもあったみたいだけど、こと数と形の問題に関していえば、その難問に君たちがはまってしまった、ということなんだ。布陣は、3-2-2だったそうだね。これは8人制サッカーの教科書では、守備的な陣形と教えられているものだ。が、では君たちが相手で、キックオフでボールを得たら、どう攻撃する? 何も考えずに、両サイドに深くあいたスペースへと走りださないかい? 前線の2人は後ろ向きには守備をしにくいし深追いできない、中盤の選手はタッチライン近くを走られると追い付かない、バックはもう後ろがいないので、アプローチしずらい、その迷いを形から強制されている間に、体の大きいキック力ある選手の多い相手チームが、どんどん打ってきたということだね。それが16回、繰り返された、ということじゃないかい? たしかに、相手にせめられっぱなしになりやすい、という点では守備的なフォーメーションだね。とくにサイド深く入られることは長くつづくと、5バックになりやすい、ゆえに8人制では、中盤の選手までが最終ラインに引きずり込まれることになるので、クリアボールを支配するのは相手だけになりがちで、すると、また相手との攻防がゴール前ではじまって抜け出せない、という悪循環が発生する。プロチームでも3枚ディフェンスではそうなりやすいんだよ。この布陣に近いチームモデルといえば、かつてのブラジルの4-2-2-2だね。これには相当強烈なサイドアタッカーが必要とされるのさ。
と、どうだい? 数と形の問題が、本当に試合でもそうだったとおもえてこないかい? サッカーが、だいぶ算数に似てきてないかい?
だけどサッカーでの問題とは、実は君たちが学校でならっている算数とはちょっと違うんだな。君たちのは九九などを暗記してやる計算だね。だけど本当の算数、つまり数学という数の学問がやるのは、ゴールのない暗記計算の繰り返しではないんだな。それはキーパーからバックへ、中盤へ、そして前線へとビルドアップしていくことで達成できる論理、というものなんだ。論理とは、国語の勉強の言葉でいえば、主語、述語、目的語、と順番に組み合わせていくことで意味を獲得できる言葉の力、ということだ。だから日本人がなかなかサッカーが世界で強くなれないのは、その日本語の文法、法則では、主語を省いたりしても文章が成立してしまう、その場の成り行きに任せられる言葉だからかもしれないね。「やるよ」と日本語ではいえるけど、英語では、ちゃんと誰が何を、ということを付け足してないと、言葉にならないんだよ。それだけ、相手にきちんと伝える、という要請が強い文化で生まれたのがサッカーというゲームということなんだ。つまりちゃんとしゃべらなくてもわかりあえる仲間うちではなく、自分が知らない他人とどうコミュニケーションを成立させるか、そのことがずっと問われてきた歴史の中で、サッカーが生まれた、ということでもあるね。
そしてこの論理力が、日本人には一番苦手な難問なんだ。計算問題としての算数はできるけど、つまり足先の技術でパス回しはできるけど、ゴールという目的に即した、意味のあるパス回しを構築していけないんだ。しかもそれができるようになるためには、まずもって、自分たちがどんなサッカーをしたいのかという理想がなくてはならない。それがあってはじめてそれに近づくための作戦がねれて、それを実現していくための技術、とわかってくる。見かけでは、どのチームも、日本のチームもドイツのチームもアメリカのチームも、みんな似たようにボールを蹴り、コントロールし、ミスをする。だけど、目指しているものがあってミスをしているのと、そこがあいまいなままミスをしているのとでは、同じことだろうか? ゴールを真剣に目指して考えやっている上でのミスと、公園での友達とのサッカーでボールコントロールをミスするのとでは、同じかな?
「同じ」じゃないか、と最近、大阪の市長が発言して世界で騒がれてしまったことを、君たちはお父さんやお母さんから、あるいはテレビのニュースできいているかな? 戦争になればみんな人を殺すさ、どの国も同じさ、だから、人殺しをした俺だけをせめるのはおかしい、というようなことをその大阪市長はいったんだね。だけどどうだい? 本当に、真剣に平和を実現するために外国と交渉してきて、そのときのミスのために戦争がおきて人殺しが発生してしまったのと、そんなことを本当には真剣に考えず、まわりが戦争するから自分もはじめて人殺しをしたのとでは、「同じ」かな? 真剣にやってミスをした人が、遊びのサッカーでミスをした人に俺とおまえも「同じ」仲間だね、と言われたら、侮辱されたように感じて怒らないかい? 怒るとおもわないかい? 君たちも日本人の大阪市長といっしょに、どうせ人殺しとして同じなのに、なんで怒るんだ? と頓珍漢になるのかな? だけど、その結果、大阪市長は、もう政治世界のワールドカップにはでられないよ。おまえは俺たちの仲間ではない、と追い出された。だって、世界の平和を作っていく、その努力を否定したのだからね。そのために下からビルドアップして他の国とのパス回しをつくっていく最中のミスを大阪市長は認めないといったのだからね。公園での友達仲間でのサッカーでもミスはあるでしょ、それとおんなじだよと。君たちはどうだろう? 「同じ」だとおもうのかな? はっきりしているのは、それを「同じ」とおもっているかぎり、ワールドカップにはでられない、世界では認められないよ、ということだよ。
参照ブログ<論理と外交と人間と> http://danpance.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html
2013年5月12日日曜日
サッカーと戦争(ロジックとロジスティック)
「一般的に皆さんがよく見ているのは、国内外のプロリーグや日本代表の試合だと思いますが、スピードに劣る中学生の試合の方が一つひとつのプレーは見やすいと思います。きっと、ミスの少ないチームが勝つことが多いと感じると思いますし、ミスが多いチームと少ないチームとの違いにも気付くと思います。例えば、昨年優勝したサントスの子たちは、本当に”止める・蹴る”という基本が巧みで、簡単なミスをしない。攻撃でミスが出ないから、守る側は大変です。だから、自然と守備力も身に付いていきます。比較すると、日本のサッカーでは技術が追い付かないくらいにスピードを上げてしまう場面が多くて、そのミスのおかげでボールを奪えていることが多いわけです。まず、しっかりとした技術のベースがあって、次にテクニカルな面で狙えるプレーや戦術が広がっていくということが、よく分かる大会ですよ。日本のこの年代のトップクラスの選手たちも出ますから、日本が今後どのようなことをやっていくべきなのかという指針にもなると思います。」(北澤豪発言「エル ゴラッソ」号外 2013東京国際ユース(U-14)サッカー大会)
ゴールデンウィークに、駒沢競技場で開催された国際ユースの試合をみにいった。見たのは予選リーグだったが、それでも強いチームと弱いチームの差が歴然とわかるものだった。うまいチームではない。強いチームである。マラドーナがでているアルゼンチンのボカ・ジュニア、それとロシアはモスクワのアカデミー所属のチェルタノヴォ。ネイマールが育ったサントスFCはみれなかったが、北澤発言からしても、おそらくボカのようなチームなのだろう。それらと他のチームとの違いは、一人ひとりの選手に、チームとしての体系的な考えが行き届いて、意志統一された戦い方をしているということだ。コーチの話をきいている姿からして、それがみてとれる。コーチ(チーム)自身が理解させることに急いでいないので、選手もマイペースで消化できるよう落ちついて集中してきいている。自分がまず何をすればいいのか、このチームの戦い方にとって何を要求されているのか、その役割をしっかりと握りながらプレーしている。体格もさることながら、もうすでに大人の落ち着きである。それに比べ、日本やソウルのチームとうは、溌剌としているが落ち着きが変で、戦い方もドタバタしている。北澤氏が指摘しているように、お互いのミスのおかげで点をとり、とられる、といった模様だ。自分が持っている思考以上、技術以上のスピードで、無理をしてやっている。が、ボカのようなチームは、難しいことはしない。マラドーナやネイマールのような個人プレーヤーがいるのかなとおもっていたが、そうでない。近くの人へ止めてパス、その安全な連結で一貫している。ゴール前も、無理にこじあけるということが抑制指示されているように、相手が隙をみせたときにだけどばっとしかける。無理だったらしない。確実性と確率性に徹底している戦い方。サッカーが下からビルドアップしていく構築的なものであることがよくみえてくる。まだ日本のチームは前回ブログで冒頭引用した中田氏のいうように、「状況に対する反応」でボール運びをしている。そこにイメージ力を個性としてもった選手をボランチ(司令塔)として置いて、なんとかその個人の打開策がうまくいけば、という賭けのようなサッカーをしている。つまり、キーマンとなる個人へよりかかった戦い方である。
(そうした中でも、フランスのパリ・チームは、アフリカ人(黒人)の速さ、高さといった身体能力にかけた戦い方に徹していた。相手ディフェンダーの裏をとらせる前線へのミドルパス。しかも、3人でしかせめてこない、せめさせない。パワーゲームだ。あらっぽい。これで子どもたちが育つのかな、と疑問におもう戦い方だ。成長よりも目先この大会での結果を追求していくようなやり方で一貫していた。賞金かせぎとか、何か裏にあるのか、と疑いたくなる。)
この14歳以下の国際ユースのサッカー大会をみているだけでも、とても日本はまだまだ世界で対等には戦えない、とおもわせられる。コーチの話をきいている姿だけでも、その違いは、いつかのこのブログでも言ったとおもうが、親の躾け方の違いが根底にあるだろうことを推論させる。知り合いのコロンビアのママは、幼い娘を叱るとき、突然人格がかわったような形相になってしゃがみこみ、子どもの目をみつめながらバシッとピンタする。そしてピシッと一言。次の瞬間、またもとのやさしい母親になる。が、こっちときたら、日常そのままのぎゃーすかの延長でぐだぐだ文句をつらねていくだけで、示しがつくような感じではない。親が真剣になる、ということが(他の文化圏と比べたら)、親自身わかっていないような感じだから、子どもだってわかるようにはならないだろう。南米チームのようにはなるには遠い。というか、習慣原理がちがう。
ゴール(目的)をめざして前線にボールを運ぶロジックを考えること、それはつまり、戦争でいう兵站ということ、ロジスティックということだ。この補給路を確保していくということが、すなわち戦争をやるということだ。それが考えられないうちは、無理な仕掛けをしない。われわれは、この戦争の原理を、しっかり握っているだろうか? 「状況に対する反応」だけで戦争をしてしまって、それから出まかせに補給路を考えようとし、パスコースが消されて孤立した前線に、我慢しろ、根性だ、玉砕だと、精神主義的な「道」づれを養成してしまう、そんな癖をつけたままなのではないだろうか? 本当に、真剣に、戦争をするつもりなのか? つもりだったのか? と東京裁判で問われて、責任ある地位についていたものたちは、誰一人として、戦争するつもりだったと答えていない。こんなふざけたことがあっていいのか(原発事故であってしまったのだが……)? どれだけのひとたちが犠牲になったというのか? あれはお遊びだったのか? これからも、そんなことがあるのか(原発事故があってしまったのだが……)? いまなお、あるのか?
昨今の政治経済事情がわれわれ庶民に突きつけてきているのも、そんな真剣な論理のことなのではないだろうか? ほんとに、やる気があるの? と。
ゴールデンウィークに、駒沢競技場で開催された国際ユースの試合をみにいった。見たのは予選リーグだったが、それでも強いチームと弱いチームの差が歴然とわかるものだった。うまいチームではない。強いチームである。マラドーナがでているアルゼンチンのボカ・ジュニア、それとロシアはモスクワのアカデミー所属のチェルタノヴォ。ネイマールが育ったサントスFCはみれなかったが、北澤発言からしても、おそらくボカのようなチームなのだろう。それらと他のチームとの違いは、一人ひとりの選手に、チームとしての体系的な考えが行き届いて、意志統一された戦い方をしているということだ。コーチの話をきいている姿からして、それがみてとれる。コーチ(チーム)自身が理解させることに急いでいないので、選手もマイペースで消化できるよう落ちついて集中してきいている。自分がまず何をすればいいのか、このチームの戦い方にとって何を要求されているのか、その役割をしっかりと握りながらプレーしている。体格もさることながら、もうすでに大人の落ち着きである。それに比べ、日本やソウルのチームとうは、溌剌としているが落ち着きが変で、戦い方もドタバタしている。北澤氏が指摘しているように、お互いのミスのおかげで点をとり、とられる、といった模様だ。自分が持っている思考以上、技術以上のスピードで、無理をしてやっている。が、ボカのようなチームは、難しいことはしない。マラドーナやネイマールのような個人プレーヤーがいるのかなとおもっていたが、そうでない。近くの人へ止めてパス、その安全な連結で一貫している。ゴール前も、無理にこじあけるということが抑制指示されているように、相手が隙をみせたときにだけどばっとしかける。無理だったらしない。確実性と確率性に徹底している戦い方。サッカーが下からビルドアップしていく構築的なものであることがよくみえてくる。まだ日本のチームは前回ブログで冒頭引用した中田氏のいうように、「状況に対する反応」でボール運びをしている。そこにイメージ力を個性としてもった選手をボランチ(司令塔)として置いて、なんとかその個人の打開策がうまくいけば、という賭けのようなサッカーをしている。つまり、キーマンとなる個人へよりかかった戦い方である。
(そうした中でも、フランスのパリ・チームは、アフリカ人(黒人)の速さ、高さといった身体能力にかけた戦い方に徹していた。相手ディフェンダーの裏をとらせる前線へのミドルパス。しかも、3人でしかせめてこない、せめさせない。パワーゲームだ。あらっぽい。これで子どもたちが育つのかな、と疑問におもう戦い方だ。成長よりも目先この大会での結果を追求していくようなやり方で一貫していた。賞金かせぎとか、何か裏にあるのか、と疑いたくなる。)
この14歳以下の国際ユースのサッカー大会をみているだけでも、とても日本はまだまだ世界で対等には戦えない、とおもわせられる。コーチの話をきいている姿だけでも、その違いは、いつかのこのブログでも言ったとおもうが、親の躾け方の違いが根底にあるだろうことを推論させる。知り合いのコロンビアのママは、幼い娘を叱るとき、突然人格がかわったような形相になってしゃがみこみ、子どもの目をみつめながらバシッとピンタする。そしてピシッと一言。次の瞬間、またもとのやさしい母親になる。が、こっちときたら、日常そのままのぎゃーすかの延長でぐだぐだ文句をつらねていくだけで、示しがつくような感じではない。親が真剣になる、ということが(他の文化圏と比べたら)、親自身わかっていないような感じだから、子どもだってわかるようにはならないだろう。南米チームのようにはなるには遠い。というか、習慣原理がちがう。
ゴール(目的)をめざして前線にボールを運ぶロジックを考えること、それはつまり、戦争でいう兵站ということ、ロジスティックということだ。この補給路を確保していくということが、すなわち戦争をやるということだ。それが考えられないうちは、無理な仕掛けをしない。われわれは、この戦争の原理を、しっかり握っているだろうか? 「状況に対する反応」だけで戦争をしてしまって、それから出まかせに補給路を考えようとし、パスコースが消されて孤立した前線に、我慢しろ、根性だ、玉砕だと、精神主義的な「道」づれを養成してしまう、そんな癖をつけたままなのではないだろうか? 本当に、真剣に、戦争をするつもりなのか? つもりだったのか? と東京裁判で問われて、責任ある地位についていたものたちは、誰一人として、戦争するつもりだったと答えていない。こんなふざけたことがあっていいのか(原発事故であってしまったのだが……)? どれだけのひとたちが犠牲になったというのか? あれはお遊びだったのか? これからも、そんなことがあるのか(原発事故があってしまったのだが……)? いまなお、あるのか?
昨今の政治経済事情がわれわれ庶民に突きつけてきているのも、そんな真剣な論理のことなのではないだろうか? ほんとに、やる気があるの? と。
2013年4月29日月曜日
日本文化とゴール
「日本の文化は「道」。これで終わりというゴールがない。僕が20代を過ごした欧州では、なにかを習得するのは目的を果たすため、という考え方だった。物を作る時も同じで、作るのは使ってもらう、つまり売るという目的がある。日本の場合はその目的がはっきりしない。だからPRや競争が苦手なんだと思う。」「日本のサッカーの良さは、決められたことを丁寧に遂行できるところ。ただ、競争に勝ち抜くという意識は弱い。だから相手を出し抜くような創造的なプレーがうまくない。それを生み出すのは技術ではなくて「間」や「タイミング」。相手がこうするからこうしようではなくて、相手のプレーを自分たちが意図した方へ仕向けないといけない。この課題を克服すれば日本はもっと強くなる。」(中田英寿発言「サッカー日本代表へ」 朝日新聞朝刊2013/4/29)
職場に、新しい人がはいってきた。30歳後半で、それまで私塾を開いて先生をやっていたそうだ。だからというか、一服のときに、子どもの勉強の話になってきた。「今でしょ」と、お笑いの一発芸になっている塾講師のいる東進予備校は、コマーシャルをみていると、他の先生の言うこともちょっとちがうね、いいね、と私が言うと、もともとその予備校は、これまでの詰め込み式の教育に反発する講師たちが集まって作った予備校なのだそうだ。その教育の過程で頭のおかしくなったような子が自分の塾にやってきていたのだという。勉強させるというよりも、もっとそれ以前のことからはじめなくてはならなくなると。学生の頃は、中東や北アフリカの方をひとりでまわってきた経験もしているそうだから、現況批判的な眼識があるのだろう。東進予備校で講師もしている出口汪氏の論理ドリルの話になって、論理というけど、それは言葉のうわっつらのつながりのことじゃなくて、一神教的な宗教のようなものだから、ドリルじゃどうしょうもないところはあるね、と私がいうと相槌をうち、「信仰みたいなものですからね」と返答してくる。そんな彼、すでに子どもはいないが結婚生活をしている彼が、まだ給与も安いだろう植木職の世界に、会社のホームページでの応募を見て、初心からはじめてみる決意をしたということになる。奥さんもまずはたまげて、だいぶ話し合い、了解してもらった、ということだった。
私は町の植木屋が、職安やホームページで勤務者を募集しはじめた、という話を親方の息子からきいたとき、いわばその判断は、地域や私人的な関係を切り捨てより匿名的な一般・抽象関係にはいっていくことを是とする、つまり資本主義的な構造が強いてくる力に押し流されていくほうを選択したのだな、とある意味批判的な問題意識をもたされた。実際、3代目になる息子は、知っている人とやっていると疲れる、とその具体性のある関係から逃げたい、という思いを吐露していた。なりゆきから敷衍すると、よそ者の他人だったら、もっと気遣いなく傍若無人に扱えて楽になるな、ということになる。知らない者のことなど考えなくてすむ、自分のこと、その利害だけを心配していればいい、と居直れるようになる。現時代趨勢の、自己責任という欺瞞に依拠した新自由主義的な資本イデオロギーに暗黙にのっかっていこう、という態度である。しかも、本人は世襲制という非自由主義的な旧体制に安住しているのだから、その自己欺瞞はなおさらだ。しかし、そうしてなんだか変な単独人が職場にはいってきてみると、やはりその趨勢におされた判断はよかったのかな、とも思い直されてくる。いわばネットという新テクノロジーを介して、単独的であったよそ者たちが編集されてくる、という感じだ。その職場でのという具体的結びつきが、より横断的になれば、たとえば他の植木屋や産業でも、批判問題意識をもった人たちが渡り合えるような世界として世の中が再編されてくれば、だいぶ日本の閉鎖的な社会も風通しのいい見晴らしのきく世の中にかわっていくだろうと。
が、肉体労働をしてこなかった人にとって、やはり植木屋さんはきつい。剪定された枝をダンプに積み込む作業をしていても、、その束を三回ほど肩にかついで運んだだけで、息切れがしてくるようだ。そして、頭で批判的な意識を抱いていても、体はやはり言われたことにハイハイ即答して動いてしまう、という日本人の習性が身についてしまっている。いわば会社人間だ。私自身もそうだが、反射的に、せかせかと動かされてしまう。そうすると、その視野の狭くなる動きは、自身のケガや第三者への事故へと現場作業は結びついてしまう。「慣れるまで、急いじゃだめですよ。早くしろ、といわれても、ゆっくりやって怒られているくらいじゃないと」と言い聞かせるようになる。しかも彼は、一つ一つ新聞記者のようにメモをとりながら仕事を覚えようとしている。書いて覚えるのは覚えたことにならないからそれじゃだめなんだけど、とアドバイスしたくもなるが、いまはまだ好きにさせている。が、親方の息子と一緒に仕事をするようになれば、そうした個々人の身体(くせ)を拘束させるような、きつい言葉が一言で飛ぶだろう。その罵声や批判の内には、せっぱつまったところでこそ成立する技術、という職人現場で継承されてきた態度要請というものが詰まってはいるのだが、親方ではなくその息子が無邪気にいうとき、その批判の意味は逆転して、人の自由度を奪う、という字義通りの実践結果しかうまないのである。一挙手一投足、その職の全体性が要請してくる体の動きに個々人をあてはまらせる、そんな社会・人間関係にはもはやいない、というまさに職の全体性を意識しなおせている、年の功ある親方とちがって、若い息子は全体がみえず、その場の効率性だけでしかものが言いえていない。だから、イントネーションがちがうのである。その含蓄を欠いた若造の言葉を、妻をもつ大人の人間が、耐えていけるだろうか? あるいは、その関係をうまく変えて、見晴らしのいいものに作っていくことができるだろうか? 親方と私は、そうやって、関係を作り直してきたものとおもう。親方はだいぶ若造だったインテリの私から、学んできたはずだ。
それは、ユダヤ人の教えにあるような実践だった。最大の復讐は誠実であるということである、というような。あるいは、イロニーの最終形態は真面目である、という哲学の箴言にあるような。つまり、私にとって、怒られ嫌味を言われてもどこふく風とニコニコしていたのは、ソクラテスやイエスのような世の中を変えていく復讐実践だったのである。
彼に、そんな息の長い知的体力があるだろうか? そして私は、どう支援していくべきなのだろうか?
職場に、新しい人がはいってきた。30歳後半で、それまで私塾を開いて先生をやっていたそうだ。だからというか、一服のときに、子どもの勉強の話になってきた。「今でしょ」と、お笑いの一発芸になっている塾講師のいる東進予備校は、コマーシャルをみていると、他の先生の言うこともちょっとちがうね、いいね、と私が言うと、もともとその予備校は、これまでの詰め込み式の教育に反発する講師たちが集まって作った予備校なのだそうだ。その教育の過程で頭のおかしくなったような子が自分の塾にやってきていたのだという。勉強させるというよりも、もっとそれ以前のことからはじめなくてはならなくなると。学生の頃は、中東や北アフリカの方をひとりでまわってきた経験もしているそうだから、現況批判的な眼識があるのだろう。東進予備校で講師もしている出口汪氏の論理ドリルの話になって、論理というけど、それは言葉のうわっつらのつながりのことじゃなくて、一神教的な宗教のようなものだから、ドリルじゃどうしょうもないところはあるね、と私がいうと相槌をうち、「信仰みたいなものですからね」と返答してくる。そんな彼、すでに子どもはいないが結婚生活をしている彼が、まだ給与も安いだろう植木職の世界に、会社のホームページでの応募を見て、初心からはじめてみる決意をしたということになる。奥さんもまずはたまげて、だいぶ話し合い、了解してもらった、ということだった。
私は町の植木屋が、職安やホームページで勤務者を募集しはじめた、という話を親方の息子からきいたとき、いわばその判断は、地域や私人的な関係を切り捨てより匿名的な一般・抽象関係にはいっていくことを是とする、つまり資本主義的な構造が強いてくる力に押し流されていくほうを選択したのだな、とある意味批判的な問題意識をもたされた。実際、3代目になる息子は、知っている人とやっていると疲れる、とその具体性のある関係から逃げたい、という思いを吐露していた。なりゆきから敷衍すると、よそ者の他人だったら、もっと気遣いなく傍若無人に扱えて楽になるな、ということになる。知らない者のことなど考えなくてすむ、自分のこと、その利害だけを心配していればいい、と居直れるようになる。現時代趨勢の、自己責任という欺瞞に依拠した新自由主義的な資本イデオロギーに暗黙にのっかっていこう、という態度である。しかも、本人は世襲制という非自由主義的な旧体制に安住しているのだから、その自己欺瞞はなおさらだ。しかし、そうしてなんだか変な単独人が職場にはいってきてみると、やはりその趨勢におされた判断はよかったのかな、とも思い直されてくる。いわばネットという新テクノロジーを介して、単独的であったよそ者たちが編集されてくる、という感じだ。その職場でのという具体的結びつきが、より横断的になれば、たとえば他の植木屋や産業でも、批判問題意識をもった人たちが渡り合えるような世界として世の中が再編されてくれば、だいぶ日本の閉鎖的な社会も風通しのいい見晴らしのきく世の中にかわっていくだろうと。
が、肉体労働をしてこなかった人にとって、やはり植木屋さんはきつい。剪定された枝をダンプに積み込む作業をしていても、、その束を三回ほど肩にかついで運んだだけで、息切れがしてくるようだ。そして、頭で批判的な意識を抱いていても、体はやはり言われたことにハイハイ即答して動いてしまう、という日本人の習性が身についてしまっている。いわば会社人間だ。私自身もそうだが、反射的に、せかせかと動かされてしまう。そうすると、その視野の狭くなる動きは、自身のケガや第三者への事故へと現場作業は結びついてしまう。「慣れるまで、急いじゃだめですよ。早くしろ、といわれても、ゆっくりやって怒られているくらいじゃないと」と言い聞かせるようになる。しかも彼は、一つ一つ新聞記者のようにメモをとりながら仕事を覚えようとしている。書いて覚えるのは覚えたことにならないからそれじゃだめなんだけど、とアドバイスしたくもなるが、いまはまだ好きにさせている。が、親方の息子と一緒に仕事をするようになれば、そうした個々人の身体(くせ)を拘束させるような、きつい言葉が一言で飛ぶだろう。その罵声や批判の内には、せっぱつまったところでこそ成立する技術、という職人現場で継承されてきた態度要請というものが詰まってはいるのだが、親方ではなくその息子が無邪気にいうとき、その批判の意味は逆転して、人の自由度を奪う、という字義通りの実践結果しかうまないのである。一挙手一投足、その職の全体性が要請してくる体の動きに個々人をあてはまらせる、そんな社会・人間関係にはもはやいない、というまさに職の全体性を意識しなおせている、年の功ある親方とちがって、若い息子は全体がみえず、その場の効率性だけでしかものが言いえていない。だから、イントネーションがちがうのである。その含蓄を欠いた若造の言葉を、妻をもつ大人の人間が、耐えていけるだろうか? あるいは、その関係をうまく変えて、見晴らしのいいものに作っていくことができるだろうか? 親方と私は、そうやって、関係を作り直してきたものとおもう。親方はだいぶ若造だったインテリの私から、学んできたはずだ。
それは、ユダヤ人の教えにあるような実践だった。最大の復讐は誠実であるということである、というような。あるいは、イロニーの最終形態は真面目である、という哲学の箴言にあるような。つまり、私にとって、怒られ嫌味を言われてもどこふく風とニコニコしていたのは、ソクラテスやイエスのような世の中を変えていく復讐実践だったのである。
彼に、そんな息の長い知的体力があるだろうか? そして私は、どう支援していくべきなのだろうか?
2013年4月21日日曜日
子どもとゴール
「今の子どもが二十歳を迎えるころ、この日本は、世界はどのようになっているでしょうか?/ かつてはいかに速く正確に計算ができ、いかに記憶ができるかが、優秀な人間とされてきました。でも、今やそれらはコンピューターの仕事となり、人間はコンピューターのできない仕事を受け持つようになるのです。その時必要な能力が、自分でものを考え、他者とコミュニケーションを取ることができる力です。グローバル社会においても何よりも大切なのが論理力です。」(『出口汪の日本語論理トレーニング』出口汪著 小学館)
「いま、東京大学が九月入学制に変えようという動きを進めています。これは、東京大学の当事者がどれくらい意識しているかは別として、教育を新・帝国主義の現代に適応させようとする動きなのです。/ これまでの日本の教育システムは、非常に特殊でした。端的に述べると、後進国型の教育システムをとっていました。後進国というのは、なるべく早く外国語のわかる外交官を育て上げて外交交渉をしないといけない。また、なるべく早く税務署長をつくって国の税収を上げないといけない。そのために国家はどうするか。記憶力のいい若者を集めてくるのです。そして促成栽培で、事の本質を理解しなくてもいいからともかく暗記させる。暗記したことを再現できる官僚を養成する。明治以来、東京大学を頂点とする日本の教育システムは、そういう後進型の詰め込み式で、それは戦後になっても変わっていません。その結果、いま日本の官僚が恐ろしく低学歴になっている。」(『人間の叡智』佐藤優著 文春新書)
残念ながら、一希は4年生トレセンからもれてしまった。技術的には第二グループの10人目前後くらいに位置しているかな、とみえていたので、私としてもちょっとショックだった。親バカの目だったのかな、ともおもうが、監督や、すでに自分の息子が上級の代表選手に選ばれていた親からも「大丈夫」と言われていたので、今でもそれがなぜなのか、サッカー経験のない私には、ボールタッチの妙技や微妙さのことはわからないので、理解できない。おそらく、各チームの中心選手で落ちたのは一希だけだろう。モチベーションの高い子たちと一緒に練習することで、もうひとつ上の真剣さをしってもらいたいと考えていた私には、本当に残念だった。
が、私自身が、テストが終わった直後に一希に言ったことはこんなことだった。「おまえ、下が人工芝で気持ちがよかったから、たおれてもすぐに起き上がらなかっただろう。あんなとこをテストコーチにみられたら、二度とおまえのほうをみてくれないよ。一度でバッテンつけられておわりだ。一次テストの試合でも、点をとられて『どんまい!』と仲間に声をかけるのはおかしくないかい? なんで、自分でゴール前に猛然と防ぎにいかなかったんだ? まるでひとごとじゃないか? そんなやる気があるのかどうかわからない選手を、わざわざ代表を選んでいくセンターの練習に参加させるとおもうかい? 元気にやるのと、真剣にやるのとはちがうんだぞ。……」
実際、ちょうど落選の結果がわかった練習日、こんなことがあった。練習途中、校庭の遊具周辺が新しい人工芝に変えられているのを上級生が発見した。おそらく一希はそこによっていく6年生をみて、「新しくかわったんだ」とみなを誘うような声をあげた。私はその様を背中で聞いていて、次にどんなことが起こるか想像していた。するとまだ2年生、この4月からは3年生になる男の子が、自分の友達の名をコーチには気づかれないように低いがしっかりした声でよびつけた。「〇〇、いくな!」それを聞いて、コーチが皆を呼びつけて言う。「△△が面白いこといったから許してやるよ。まだ2年生だぞ。おまら、わかるか?」 友の名を呼んだ彼は、入団テストのある他の区の強豪チームにも入っていた。ボールさばきは、もう上級生なみだ。彼は、いわばサッカーを選択した子だった。だから、下級生の練習が終わったあとも、私から上級生の練習にも参加していいといわれていたので、そのまま居残っていたのである。去年の今ごろ、一希もコーチからそう言われたが、一希は友達と公園へ遊びにいくことを選んだのだった。その選択の差は、技術的な面だけではなく、それを支える精神面にこそあらわれていた。一番最初に校庭の人工芝に近づいた6年生は、テクニックと視野の確保に優秀さがみられる子だが、区代表にあたる6年トレセンにはもれてしまっていた。一希も、落選の判定は、そういうところにあったのかもしれない。
しかしそこで、やはりインテリの私は迷ってしまうのだった。「いくな!」と友の名を呼ぶその選手の様には、もう子どもらしさがないというか、その目的に即した”賢さ”はいいのだろうか、とおもったのだった。練習がおわったあと、あの6年生は、待ってましたとばかりに、人工芝に飛び込んで寝ころび、その感触を味わった(コーチからはあきれられた)。そうした、目的に拘束されない逸脱した、発散した好奇心を、抑えつけていくことが、果たしてよいことなのだろうか? 一希は、なお通学や行楽でも、寄り道がおおく、目的地にはなかなかつかない。大人の私は、怒鳴ってばかりである。そして怒鳴りながらも、迷っている。サッカーがいくら視野を広くとって情報処理をするスポーツだといっても、それはゴールという目的にそくした論理の中に拘束されている。しかし生きるとは、そのゴール自体を自分で見つけ、あるいは作り、そして変えていくものなのではないだろうか? 実際、優秀なサッカー選手が、この世界や現実上で、目的を見出しあるいは創造し、視野を広くもち情報をとってこられる応用力をもてるかどうかは怪しい。しかし親としは、というか私としては、あくまで現実や世界で生きていくための縮約モデルテストとして、子どもにサッカーを、あるいは一希がサッカーを選んでくれたことをまだよしとし、そのサッカーを通して、その論理力、情報処理能力を養ってもらいたいと考えるのである。ならば、サッカー自体が目的と限定されてしまうとき、子どもがそう選択し真剣になってしまうとき、本末転倒が発生するだろう。サッカー・ゴールしかみえなくなってしまえば、多様な世界が消されてしまう。しかも、このブログでも指摘してきたように、サッカーとは、現在の資本論理世界の中で、一番の大衆集約力を持つ領域なのである。それを鵜呑みにすることは、それしか見ない、見えない人間になってしまうとは、資本主義の論理以外を知らない、他の世界を想像できなくなってしまう大人に育ってしまうことである。それは、私がサッカーをやらせる、それを通して子ども(たち)に知ってもらいたい、培ってもらいたい事柄、能力とは正反対のものである。
そういう意味では、順調に受かるより、落選したほうがよかったのかな、と思い直している。一希は自分で納得しないことは、やろうとしない。意味がわからなければ、その練習をするのもぐれてしまう。だから、アホなのか、ともみえてしまう。というか、奥手なのだろうと私はおもっている。だから、急がば回れ、で、あちこちに目移りするスキゾ・キッズのままではすまないよう、週に一度は冒頭引用の出口氏の論理ドリルをやらしている。女房の九九・漢字の暗記訓練で泣かされていない時をみつけて、すでに勉強ぎらいになっている息子にやらせるのは難題だ。
トレセンに落ちた一希が、自身でもショックだったのは、一緒に風呂にはいっているとき、「俺、落ちた」と一言いって落とした涙でわかるけれども、そんなことに頓着しないように、相変わらず元気にやっている。このあいだも、全日本予選の6年生大会に、キーパーとして出場し、猛烈なシュートを何度もあびながら、後ろから大声で指示をだしていた。それでいい、とおもうのは、やはり親バカということなのかもしれないが。
*似たようなことを以前書いたなと思い出しふりかえってみたら、「ユーロ・サッカーから――世界とコーチング」という「http://danpance.blogspot.jp/2012/07/blog-post.htmlのブログがあった。その差異とも銘記するよう参照した。
「いま、東京大学が九月入学制に変えようという動きを進めています。これは、東京大学の当事者がどれくらい意識しているかは別として、教育を新・帝国主義の現代に適応させようとする動きなのです。/ これまでの日本の教育システムは、非常に特殊でした。端的に述べると、後進国型の教育システムをとっていました。後進国というのは、なるべく早く外国語のわかる外交官を育て上げて外交交渉をしないといけない。また、なるべく早く税務署長をつくって国の税収を上げないといけない。そのために国家はどうするか。記憶力のいい若者を集めてくるのです。そして促成栽培で、事の本質を理解しなくてもいいからともかく暗記させる。暗記したことを再現できる官僚を養成する。明治以来、東京大学を頂点とする日本の教育システムは、そういう後進型の詰め込み式で、それは戦後になっても変わっていません。その結果、いま日本の官僚が恐ろしく低学歴になっている。」(『人間の叡智』佐藤優著 文春新書)
残念ながら、一希は4年生トレセンからもれてしまった。技術的には第二グループの10人目前後くらいに位置しているかな、とみえていたので、私としてもちょっとショックだった。親バカの目だったのかな、ともおもうが、監督や、すでに自分の息子が上級の代表選手に選ばれていた親からも「大丈夫」と言われていたので、今でもそれがなぜなのか、サッカー経験のない私には、ボールタッチの妙技や微妙さのことはわからないので、理解できない。おそらく、各チームの中心選手で落ちたのは一希だけだろう。モチベーションの高い子たちと一緒に練習することで、もうひとつ上の真剣さをしってもらいたいと考えていた私には、本当に残念だった。
が、私自身が、テストが終わった直後に一希に言ったことはこんなことだった。「おまえ、下が人工芝で気持ちがよかったから、たおれてもすぐに起き上がらなかっただろう。あんなとこをテストコーチにみられたら、二度とおまえのほうをみてくれないよ。一度でバッテンつけられておわりだ。一次テストの試合でも、点をとられて『どんまい!』と仲間に声をかけるのはおかしくないかい? なんで、自分でゴール前に猛然と防ぎにいかなかったんだ? まるでひとごとじゃないか? そんなやる気があるのかどうかわからない選手を、わざわざ代表を選んでいくセンターの練習に参加させるとおもうかい? 元気にやるのと、真剣にやるのとはちがうんだぞ。……」
実際、ちょうど落選の結果がわかった練習日、こんなことがあった。練習途中、校庭の遊具周辺が新しい人工芝に変えられているのを上級生が発見した。おそらく一希はそこによっていく6年生をみて、「新しくかわったんだ」とみなを誘うような声をあげた。私はその様を背中で聞いていて、次にどんなことが起こるか想像していた。するとまだ2年生、この4月からは3年生になる男の子が、自分の友達の名をコーチには気づかれないように低いがしっかりした声でよびつけた。「〇〇、いくな!」それを聞いて、コーチが皆を呼びつけて言う。「△△が面白いこといったから許してやるよ。まだ2年生だぞ。おまら、わかるか?」 友の名を呼んだ彼は、入団テストのある他の区の強豪チームにも入っていた。ボールさばきは、もう上級生なみだ。彼は、いわばサッカーを選択した子だった。だから、下級生の練習が終わったあとも、私から上級生の練習にも参加していいといわれていたので、そのまま居残っていたのである。去年の今ごろ、一希もコーチからそう言われたが、一希は友達と公園へ遊びにいくことを選んだのだった。その選択の差は、技術的な面だけではなく、それを支える精神面にこそあらわれていた。一番最初に校庭の人工芝に近づいた6年生は、テクニックと視野の確保に優秀さがみられる子だが、区代表にあたる6年トレセンにはもれてしまっていた。一希も、落選の判定は、そういうところにあったのかもしれない。
しかしそこで、やはりインテリの私は迷ってしまうのだった。「いくな!」と友の名を呼ぶその選手の様には、もう子どもらしさがないというか、その目的に即した”賢さ”はいいのだろうか、とおもったのだった。練習がおわったあと、あの6年生は、待ってましたとばかりに、人工芝に飛び込んで寝ころび、その感触を味わった(コーチからはあきれられた)。そうした、目的に拘束されない逸脱した、発散した好奇心を、抑えつけていくことが、果たしてよいことなのだろうか? 一希は、なお通学や行楽でも、寄り道がおおく、目的地にはなかなかつかない。大人の私は、怒鳴ってばかりである。そして怒鳴りながらも、迷っている。サッカーがいくら視野を広くとって情報処理をするスポーツだといっても、それはゴールという目的にそくした論理の中に拘束されている。しかし生きるとは、そのゴール自体を自分で見つけ、あるいは作り、そして変えていくものなのではないだろうか? 実際、優秀なサッカー選手が、この世界や現実上で、目的を見出しあるいは創造し、視野を広くもち情報をとってこられる応用力をもてるかどうかは怪しい。しかし親としは、というか私としては、あくまで現実や世界で生きていくための縮約モデルテストとして、子どもにサッカーを、あるいは一希がサッカーを選んでくれたことをまだよしとし、そのサッカーを通して、その論理力、情報処理能力を養ってもらいたいと考えるのである。ならば、サッカー自体が目的と限定されてしまうとき、子どもがそう選択し真剣になってしまうとき、本末転倒が発生するだろう。サッカー・ゴールしかみえなくなってしまえば、多様な世界が消されてしまう。しかも、このブログでも指摘してきたように、サッカーとは、現在の資本論理世界の中で、一番の大衆集約力を持つ領域なのである。それを鵜呑みにすることは、それしか見ない、見えない人間になってしまうとは、資本主義の論理以外を知らない、他の世界を想像できなくなってしまう大人に育ってしまうことである。それは、私がサッカーをやらせる、それを通して子ども(たち)に知ってもらいたい、培ってもらいたい事柄、能力とは正反対のものである。
そういう意味では、順調に受かるより、落選したほうがよかったのかな、と思い直している。一希は自分で納得しないことは、やろうとしない。意味がわからなければ、その練習をするのもぐれてしまう。だから、アホなのか、ともみえてしまう。というか、奥手なのだろうと私はおもっている。だから、急がば回れ、で、あちこちに目移りするスキゾ・キッズのままではすまないよう、週に一度は冒頭引用の出口氏の論理ドリルをやらしている。女房の九九・漢字の暗記訓練で泣かされていない時をみつけて、すでに勉強ぎらいになっている息子にやらせるのは難題だ。
トレセンに落ちた一希が、自身でもショックだったのは、一緒に風呂にはいっているとき、「俺、落ちた」と一言いって落とした涙でわかるけれども、そんなことに頓着しないように、相変わらず元気にやっている。このあいだも、全日本予選の6年生大会に、キーパーとして出場し、猛烈なシュートを何度もあびながら、後ろから大声で指示をだしていた。それでいい、とおもうのは、やはり親バカということなのかもしれないが。
*似たようなことを以前書いたなと思い出しふりかえってみたら、「ユーロ・サッカーから――世界とコーチング」という「http://danpance.blogspot.jp/2012/07/blog-post.htmlのブログがあった。その差異とも銘記するよう参照した。
2013年4月7日日曜日
贈る言葉
「サッカーはまた、ルールがアバウトである一方、一度試合が始まってしまうと、監督や選手がタイムを要求するということはできないため、作戦とか監督・コーチの指示といったものが機能する範囲は、きわめて限られる。逆に言うと、選手が自分の判断だけでゲームを動かす度合が非常に高い。…(略)…つまり野球の試合というのは、監督を頂点とする頭脳集団によって動かされており、選手は与えられた役割の中で「いい仕事」をすることを求められるのだと言って過言ではない。ルール上、そのようになっているのだ。/ このことが、集団で規律正しく動くことを好む日本人の感性に合っていたのだ、という見方は、決して皮相ではないであろう。」「このように、リスクを自分で背負い、チャレンジする勇気が、個々の選手に求められるのがサッカーなのであるが、サッカーの持つこうした特性こそ、行き過ぎた集団主義とマニュアル文化に汚染された日本人が、もっとも苦手とする分野ではないだろうか。日本のサッカーがなかなか強くならない原因は、まさにこの点にあるのだ。」(『野球型vs.サッカー型 豊かさへの球技文化論』 林信吾・葛岡智恭著 平凡社新書)
父親がアル中のため施設に入院したということで、実家のある田舎へ見舞いにいく。精神障害を抱えた人や、薬物依存になってしまっている人、前科者の更生、とう幅広く受け入れている病院だそうだ。「若い女の子が多いな」、「風呂にはいると、入れ墨をしている人も多いよ」、「いい社会勉強だ」と、もうじき80歳に近くなる父は言う。当初は入院措置をとろうとする母や弟には反対していたが、アルコールをたって血色や肉付きもよくなってきているのをみて、ほっとする。近所の知り合いでも、同じくアル中でその病院に入院措置をとった方がいたのだが、途中で自殺をしてしまったそうだ。私は、父も山に隔離されることで気が持たなくなって、そう追いこまれてしまうのではないかと心配だった。いや、それは心配といえるのだろうか? 田舎から、ふるさとから逃げてきて、その精神分析的な対象になるようなおぞましき世界から脱出している自分が……なお自分は、そこに生還できる気がしない。高校生になって間もなく引きこもり始めた私に、仕事のストレスで気のふれた父が「なんで学校にいかないんだ?」と焦点の飛んだ瞳で子供部屋にまで声をかけにきたとき、「あっちへいけ!」と私をして蹴とばさせた世界は、なお実家に生々しい痕跡を残している。あの家で、父は私に、何を教えてきただろう?
だから逆に、いつまでも東京の両親のもとから仕事場へ通う若い者たちのこともよくわからない。私はまた、職場で一人の従業員となった。一人は酔っぱらってでてきて親方の息子と喧嘩になりやめ、もう一人の若い子は、「あんたにはついていけない」とその息子に言い置いてやめていくことになった。一挙手一投足あげつらわれ個人の尊厳をつぶされ、神経質で陰険な現場のありさまにばかばかしくなり、その師弟関係にストレスがかかっていやになっていく気持ちはわかるが、それを真に受けてしまう自分の感受性が問題ではないのか? やることがあって積極的にやめていくのならともかく、そのままでは、自分も、自分と他人との関係も変えていく試みや技術も知らないままじゃないか? いやそうやって、みなまわりの人は逃げていったのだ、いやなところから。私はいつもとどまっている、取り残されてきた。どこでも。しかしどこに? 私は、逃げてきたのではないだろうか? いつまでもたかの知れた職場に居残っていることこそが野球部仕立ての奴隷根性ではないのか? 私の息子には、そんな根性で苦しんでほしくない。……上手な子は、より強いしっかりした
組織のチームへと地域をこえて移っていく。まるでプロ仕様のように。一希は、残っている。私の判断は、私の退行世界にひきずられているのだろうか?
一希は、トレセンに受かっただろうか? そのサッカー・テストの一問めは、面白い。マーカーまでのドリブル・アップのあとで、コーチは次のような問題をだす。「これからチームごとの競争をします。一人が一度はボールにさわって、マーカーまでいってかえってくること。コーチへの質問はなしだよ。作戦タイムは一分。さあ、スタート!」なりゆきから、競争とはドリブルのリレーであって、作戦とは初対面の子同士で編成されたチーム内での順番を決める、ということだろうとほとんどの子、チームが考えドリブル・リレーを開始したが、一希の所属したオレンジチームだけはちがった。スタート地点にボールを一個をおくと、それをみなで手でタッチし、全員でさっさとマーカーまで走ってかえってきたのだ。私もコーチの話すイントネーションの変化から、これはとんち問題だなと察していたけれど、オレンジチームのアイデア解答は笑えた。一希の話によると、各クラブチームのキャプテンが集まっていたとのことで、だから、自己紹介からはじまってコミュニケーションがとれていたのだそうだ。最後のトレーニング問題は、作戦中、しゃべってはいけない、という条件までついたが。
私は、何を教えられるだろう? 父は、私に何を教えてきただろう? 1対1でやってきた野球をとおして? そこで発せられてきた言葉は、私の心には残っていない、とおもう。いや、反面教師なぐらいだろう。しかし、そんな言葉をこえて、父はやさしかった気がする。黙って私を見守るやさしさだ。そんな包容感が、心というより体の髄に残っているような気がする。
川崎フロンターレの中村憲剛選手は、父から、というより中村家の家訓として、こんな言葉をもらっているそうだ。「感謝、感動、感激を感じる人間になれ」、「感謝、感動、感激を感じてもらえる人間になれ」(『幸せな挑戦―ー今日の一歩、明日への「世界」』 角川oneテーマ21)。
私には、どうも息子に贈れるような言葉はないようだ。しかし、父が無意識のうちにそうしてくれたように、やさしく包まれている、という安心感を息子にあたえられないだろうか? そうありたいと、願っている。
父親がアル中のため施設に入院したということで、実家のある田舎へ見舞いにいく。精神障害を抱えた人や、薬物依存になってしまっている人、前科者の更生、とう幅広く受け入れている病院だそうだ。「若い女の子が多いな」、「風呂にはいると、入れ墨をしている人も多いよ」、「いい社会勉強だ」と、もうじき80歳に近くなる父は言う。当初は入院措置をとろうとする母や弟には反対していたが、アルコールをたって血色や肉付きもよくなってきているのをみて、ほっとする。近所の知り合いでも、同じくアル中でその病院に入院措置をとった方がいたのだが、途中で自殺をしてしまったそうだ。私は、父も山に隔離されることで気が持たなくなって、そう追いこまれてしまうのではないかと心配だった。いや、それは心配といえるのだろうか? 田舎から、ふるさとから逃げてきて、その精神分析的な対象になるようなおぞましき世界から脱出している自分が……なお自分は、そこに生還できる気がしない。高校生になって間もなく引きこもり始めた私に、仕事のストレスで気のふれた父が「なんで学校にいかないんだ?」と焦点の飛んだ瞳で子供部屋にまで声をかけにきたとき、「あっちへいけ!」と私をして蹴とばさせた世界は、なお実家に生々しい痕跡を残している。あの家で、父は私に、何を教えてきただろう?
だから逆に、いつまでも東京の両親のもとから仕事場へ通う若い者たちのこともよくわからない。私はまた、職場で一人の従業員となった。一人は酔っぱらってでてきて親方の息子と喧嘩になりやめ、もう一人の若い子は、「あんたにはついていけない」とその息子に言い置いてやめていくことになった。一挙手一投足あげつらわれ個人の尊厳をつぶされ、神経質で陰険な現場のありさまにばかばかしくなり、その師弟関係にストレスがかかっていやになっていく気持ちはわかるが、それを真に受けてしまう自分の感受性が問題ではないのか? やることがあって積極的にやめていくのならともかく、そのままでは、自分も、自分と他人との関係も変えていく試みや技術も知らないままじゃないか? いやそうやって、みなまわりの人は逃げていったのだ、いやなところから。私はいつもとどまっている、取り残されてきた。どこでも。しかしどこに? 私は、逃げてきたのではないだろうか? いつまでもたかの知れた職場に居残っていることこそが野球部仕立ての奴隷根性ではないのか? 私の息子には、そんな根性で苦しんでほしくない。……上手な子は、より強いしっかりした
組織のチームへと地域をこえて移っていく。まるでプロ仕様のように。一希は、残っている。私の判断は、私の退行世界にひきずられているのだろうか?
一希は、トレセンに受かっただろうか? そのサッカー・テストの一問めは、面白い。マーカーまでのドリブル・アップのあとで、コーチは次のような問題をだす。「これからチームごとの競争をします。一人が一度はボールにさわって、マーカーまでいってかえってくること。コーチへの質問はなしだよ。作戦タイムは一分。さあ、スタート!」なりゆきから、競争とはドリブルのリレーであって、作戦とは初対面の子同士で編成されたチーム内での順番を決める、ということだろうとほとんどの子、チームが考えドリブル・リレーを開始したが、一希の所属したオレンジチームだけはちがった。スタート地点にボールを一個をおくと、それをみなで手でタッチし、全員でさっさとマーカーまで走ってかえってきたのだ。私もコーチの話すイントネーションの変化から、これはとんち問題だなと察していたけれど、オレンジチームのアイデア解答は笑えた。一希の話によると、各クラブチームのキャプテンが集まっていたとのことで、だから、自己紹介からはじまってコミュニケーションがとれていたのだそうだ。最後のトレーニング問題は、作戦中、しゃべってはいけない、という条件までついたが。
私は、何を教えられるだろう? 父は、私に何を教えてきただろう? 1対1でやってきた野球をとおして? そこで発せられてきた言葉は、私の心には残っていない、とおもう。いや、反面教師なぐらいだろう。しかし、そんな言葉をこえて、父はやさしかった気がする。黙って私を見守るやさしさだ。そんな包容感が、心というより体の髄に残っているような気がする。
川崎フロンターレの中村憲剛選手は、父から、というより中村家の家訓として、こんな言葉をもらっているそうだ。「感謝、感動、感激を感じる人間になれ」、「感謝、感動、感激を感じてもらえる人間になれ」(『幸せな挑戦―ー今日の一歩、明日への「世界」』 角川oneテーマ21)。
私には、どうも息子に贈れるような言葉はないようだ。しかし、父が無意識のうちにそうしてくれたように、やさしく包まれている、という安心感を息子にあたえられないだろうか? そうありたいと、願っている。
2013年2月23日土曜日
ピータの死
「しかし、学校や学習塾の勉強でいい成績をあげるだけでは、教養は身につきません。/ 他人の気持ちになって考えることができるという共感力や思いやり、自分と違う考えをする人を認めることができる寛容心、自分よりも才能のある人にやきもちを焼かない人間力を持っている人は、尊敬され、信頼されます。そういう大人になるためには、子どものころから教養を身につけるように努力することがたいせつになります。」(『子どもの教養の育て方』佐藤優・井戸まさえ著 東洋経済)
小鳥のピータがなくなった。急に雪の降るような寒い夜がきたので、暖房の切れる部屋で風邪をひいてしまったのかもしれない。体を膨らませて真ん丸くうずくまっている。以前にも似たような症状になったことがあったが、仕事を休んでいた私の体に張り付いているうちに元気を回復した。しかし今回はもっと弱っているのがわかった。子どもの一希も当初いっしょに風邪をひいて学校を休んでいたのだが、よくなって今日は通学するというその朝、ピータは止まり木に立っていることもままならないようで、すぐに籠からだし、毛皮とタオルのベットを作ってやって、そこに寝かせた。出かけ際、まだ蒲団にこもっている息子に、「きょうピータくんが死んでしまうかもしれないよ。早く起きて、みてやって」と声をかけていく。その日の午後3時ごろ、女房からなくなったとメールで知らされる。ちょっとした錯乱が、私の脳髄におこった。植木職人の私が木から落ち骨折してからの2年近くほどの飼育だったとはいえ、もう家族の一員のような存在だった。はっきりとした欠落感が、私をおそってきた。子どものころ飼っていた犬がなくなっても、こんな感情にはならなかった。いや私に、そんな人間がやってこようとはおもえなかった。私は、成長したのだろうか? どうじに、9歳の一希はどうだろうか? と考えた。また新しいインコを買って、といいはじめるのだろうか?
帰宅すると、女房と一希が涙ぐんでいる。女房がでかけている、暖房のきいていない時刻になくなったので、とても寒かっただろうと、ピータをタオルでくるんで、ヒーターの前に寝かせてあたためていた。ピータくんがいないとつまらないな、と夕食時につぶやいていた一希は、寝付く枕元に、棺桶がわりの箱に小鳥の遊び道具だったワインのコルクと飴玉を包んだ銀紙といっしょにその死骸を寝かせて、蒲団にこもった。しばらくして、しゃくりはじめ、大泣きをはじめる。傍らで寝ていた私は、そのままじっとしていた。私が命拾いした2年ほどまえだったならどうだったろう? あのとき、一希は「パパはパンツが梯子にひっかかって助かったんだよ!」と、屈託もなくところかまわず吹聴していた。なお、死の意味が、欠落するということがどういうことかがわかっていない様子だった。それからのこの2年ほどで、成長したということだろうか? 他の小鳥ではなく、ピータという固有名でないとだめになったんだな……いやそういうことではなく、なぜなら、私自身が、愛するものの欠落に泣く、という人間からはほど遠い育ちできたのではなかったろうか? 欠落をいだくほど愛する、それがどんなことか、私は知らないで、教わらないで、子どもから大人へと、その無感動を育んでいったのではないだろうか? 私が成長したのは、そんな自身の成長を否定し、否定していくための教養を青春期いらい数十年をかけて積み立て、結婚し、子どもをもったからではないだろうか?
ファミリー・ロマンスから脱却すること、その冷めた「物語」批判精神をもつこと、学生の頃の教養は、そう若いものに教えていた。いや、その教えが、高度成長期を両親にもつ私のようなアパシー世代には受けがよかったのだ。それは、人間的な意味を教えない親の価値を否定していた、しかしそのことで、批評家の意図には反して親の非人間性、エコノミック・アニマルに通底する反ヒューマニズムを補完していたのだ。世界から逃走=闘争した若者のおおくは、おそらくそのまま孤立し、人間関係を回復する術を身に付けるまでもなく、そんな教養学術も受けつけなくなっているだろう。私がいわゆる脱近代なる批評文学=思想から、親への批判否定はそのままで親を回復する、そんな発想を新しく持つことができたのは、おそらく偶然の境遇によるだろう。そう、私には、ペットが死んで泣く、それは40歳を半ばにして持つことのできた〝新しい感情″だったのである。
そんな意味文脈で、一希はすでに親をこえて育っている、私にできることは、その成長を抑圧しないことだろう。
小鳥のピータがなくなった。急に雪の降るような寒い夜がきたので、暖房の切れる部屋で風邪をひいてしまったのかもしれない。体を膨らませて真ん丸くうずくまっている。以前にも似たような症状になったことがあったが、仕事を休んでいた私の体に張り付いているうちに元気を回復した。しかし今回はもっと弱っているのがわかった。子どもの一希も当初いっしょに風邪をひいて学校を休んでいたのだが、よくなって今日は通学するというその朝、ピータは止まり木に立っていることもままならないようで、すぐに籠からだし、毛皮とタオルのベットを作ってやって、そこに寝かせた。出かけ際、まだ蒲団にこもっている息子に、「きょうピータくんが死んでしまうかもしれないよ。早く起きて、みてやって」と声をかけていく。その日の午後3時ごろ、女房からなくなったとメールで知らされる。ちょっとした錯乱が、私の脳髄におこった。植木職人の私が木から落ち骨折してからの2年近くほどの飼育だったとはいえ、もう家族の一員のような存在だった。はっきりとした欠落感が、私をおそってきた。子どものころ飼っていた犬がなくなっても、こんな感情にはならなかった。いや私に、そんな人間がやってこようとはおもえなかった。私は、成長したのだろうか? どうじに、9歳の一希はどうだろうか? と考えた。また新しいインコを買って、といいはじめるのだろうか?
帰宅すると、女房と一希が涙ぐんでいる。女房がでかけている、暖房のきいていない時刻になくなったので、とても寒かっただろうと、ピータをタオルでくるんで、ヒーターの前に寝かせてあたためていた。ピータくんがいないとつまらないな、と夕食時につぶやいていた一希は、寝付く枕元に、棺桶がわりの箱に小鳥の遊び道具だったワインのコルクと飴玉を包んだ銀紙といっしょにその死骸を寝かせて、蒲団にこもった。しばらくして、しゃくりはじめ、大泣きをはじめる。傍らで寝ていた私は、そのままじっとしていた。私が命拾いした2年ほどまえだったならどうだったろう? あのとき、一希は「パパはパンツが梯子にひっかかって助かったんだよ!」と、屈託もなくところかまわず吹聴していた。なお、死の意味が、欠落するということがどういうことかがわかっていない様子だった。それからのこの2年ほどで、成長したということだろうか? 他の小鳥ではなく、ピータという固有名でないとだめになったんだな……いやそういうことではなく、なぜなら、私自身が、愛するものの欠落に泣く、という人間からはほど遠い育ちできたのではなかったろうか? 欠落をいだくほど愛する、それがどんなことか、私は知らないで、教わらないで、子どもから大人へと、その無感動を育んでいったのではないだろうか? 私が成長したのは、そんな自身の成長を否定し、否定していくための教養を青春期いらい数十年をかけて積み立て、結婚し、子どもをもったからではないだろうか?
ファミリー・ロマンスから脱却すること、その冷めた「物語」批判精神をもつこと、学生の頃の教養は、そう若いものに教えていた。いや、その教えが、高度成長期を両親にもつ私のようなアパシー世代には受けがよかったのだ。それは、人間的な意味を教えない親の価値を否定していた、しかしそのことで、批評家の意図には反して親の非人間性、エコノミック・アニマルに通底する反ヒューマニズムを補完していたのだ。世界から逃走=闘争した若者のおおくは、おそらくそのまま孤立し、人間関係を回復する術を身に付けるまでもなく、そんな教養学術も受けつけなくなっているだろう。私がいわゆる脱近代なる批評文学=思想から、親への批判否定はそのままで親を回復する、そんな発想を新しく持つことができたのは、おそらく偶然の境遇によるだろう。そう、私には、ペットが死んで泣く、それは40歳を半ばにして持つことのできた〝新しい感情″だったのである。
そんな意味文脈で、一希はすでに親をこえて育っている、私にできることは、その成長を抑圧しないことだろう。
2013年2月17日日曜日
暴力(教育)と歴史・「見えること、見えないこと、見たいこと」
「新たに少年サッカーの世界に入ってこられた方は、日本の古いやり方ではなく世界基準の指導方法にしてほしいと思います。長くなさっている方は、20年前、10年前のサッカー界とは違うことを認識してほしいのです。/ ぜひ、子どもの力をひきだすための入り口に立ってください。「なぜできないの?」と「できないのはなぜ?」は一見同じ意味です。でも、前後の言葉をひっくり返しただけで、言われた子どもにとっては180度違うイメージ。叱られた印象になりません。/ 叱ることをやめると、選手へ伝える基本的な情報のひきだしが増えていきます。内容の精度も、表現力も磨かれます。そこさえ確立してしまえば、あとは前進するだけ。子どもたちは毎年変わっていくけれど、経験値がプラスされることでみなさんの指導力はどんどん熟成されていくのです。」(池上正監修 島沢優子著『サッカーで子どもの力をひきだすオトナのおきて10』 KANZEN)
小3の息子の宿題。私はまず勉強や学ぶということを面白くさせること、つづけさせること、が一番だとおもうので、子どもからわからないところをきいてくるまで、何もいわない。同じ食卓で、こちらも勝手に本を読んでいる、そのいっしょにやっていることが大切な布石なのだとおもっている。ところが女房、私がいなくなった間に、せっかく一希が調子よく書いていた作文なども、テニオハがどうの、表現がおかしいなどと重箱の隅をつつくように叱責しはじめる。私は女房をぶんなぐるか部屋を壊してしまいかねないので、蒲団をかぶって歯ぎしりしている。私らの母親世代が、子どもや日本をなんとか貧乏・不安(敗戦)世界から脱出させようと、うるさくママゴンになってきたのは仕方がない。が、そのなれの果てがどうなってしまったかしってしまったわれわれ世代が、性懲りもなく同じ態度で、いや縮小再生産な親子(母子)関係を反復させていることは、いくらなんでもばかげたことだ。母親からさんざん泣かされたあとで、その不安をとりつくろうように、寝る前に本を読んでくれ、パパじゃだめだと哀訴するる一希の声をきいていると、私や私の兄がそうであったように(そして多くの若者たちがそうであったように)、青春時の憂鬱をこじらせて、分裂病(統合失調症)になってしまうのではないかと心配してしまう。不安と安心という矛盾(分裂)心理が同居していないと自己が安定しなくなってしまう、そんなダブルバインドな癖を身に着けさせられている。女房のしつけだが教育だかは、要はそういう身体訓練をしているのである。ただ希望的なのは、なお一希が言い返し反抗をみせていることだ。サッカーの試合でも、もう上級生モードにはいるからコーチも親も外から言わないから、自分たちで考えるように、とパパコーチである私がミーティングで諭しても、それを一番に破るのがコーチの女房なのだが、一希も試合中に「黙ってろ!」とどなりかえす。ヘッドコーチは苦笑いしているそうだ。
日本のサッカー界は、野球界に代表されるような根性主義、中央集権主義、独占主義に批判的なスタンスではじめられたのだから、最近の柔道界で騒がれた暴力問題とは遠い地点にまできているのかな、とおもっていたら、そうでもないらしい。冒頭引用の池上氏の著作にも、まだ「3分の1」や「半分」が「厳しく叱る」方針のままだ、とある。サッカー週刊誌などでは、「旧態依然の指導を断つ牽引車」とならんとする野球界の桑田氏のような人物がサッカー界にも必要だ、という記事もでる。野球だろうがサッカーだろうが、もちろん柔道だろうが、もう列記としたオトナの世界で、しかも世界競争をしていこうというレベルで、指導者の位置を仕事として引き受ける者が、教え子というより一人前の選手をぶんなぐって指導していくことがありうる、ということにびっくりしてしまう。なんともおぞましい世界だ、とおもうが、国民的英雄な長嶋茂雄氏など、その体罰指導の率先者のようなものだったことをおもいおこせば、われわれはまだこんな世界というか世間に暮らしているのだなあと、得も言われぬ感慨。さらに、相変わらぬ女房のこともが重なってきてまうと、この日本社会なるものに暗澹としてしまう。
癖なんだから、すぐに直らないのはしょうがない。私も、パパコーチとして、だいぶ古い習性がでてしまう。しかし、それがだめだということはいやというほど認識してきたので、まだそれを修正していく正解というのもはっきりしているので、それを理念として、絶えず自己反省しながらやっている。子どもとサッカー部にはいって2年。私も、少しづつ成長してきている、と感じている。が、その成長という前提、正解な基準自体を日本社会は受け入れようとしていない。その傾向が潜在的に強い、ということだろう。戦後民主主義的な教育流行の陰で、しぶとく潜伏している大勢は、ふとしたことで明るみにでる。自民党に返った政権は、なんとかその潜勢力を表にださせて、もっとふてぶてしくやりたい、ということのようだ。文芸評論家の斎藤美奈子氏によると、6年前の教育法改正のとき、文部大臣は「『毅然とした態度』をとった教師や学校が『児童の人権』という観点で非難されたら困るだろう。そのやりにくさを払拭するのが目的だ」といい、現阿部総理も、「学校現場の過度な萎縮を招くことのないよう、体罰に関する考え方をより具体的に示す」と発言したそうだ。つまり、容認できる体罰の指導をする、ということか。斎藤氏は、「『体罰』はなべて暴力で「よい体罰と悪い体罰」があるわけじゃない」と指摘し、「人権を制限し、究極の暴力の否定である戦争放棄に異議を唱える人たちに、暴力を一掃することができるだろうか。矛盾としかいいようがない。」と結語する。
しかし、この「矛盾」、分裂、ダブルバインド……中国に対して強気にでたいのも、この己の「不安(被潜在・鬱屈)」を解消・解放したいがためだろう。そしてその原因を作ったアメリカ(母)に「安心」を求めてよりかかる。その敗戦という癖。戦後民主主義(人権)という「安心」自体が「不安」と一体化してしか意味(自己安定)をもってこないという病。この精神病にとって、「人権」と「暴力」は同時に必要なのである。「矛盾」を抱え込んでいないと己が安定しないのだ。ならば、斎藤氏の批判視点自体が、病の産物である。
私自身、「厳しく叱る」教育(暴力)に対し、叱られて泣いてたら覚えるどころじゃないなんて、見ればわかるじゃないか、なんでそのわかる(科学)ことに依拠して教育をたてなおさないんだ、とおもう。しかし、この中立的、客観的な技術論自体が、歴史的産物であり、この時期の「矛盾」的位相、どちらもがヘゲモニーを確立できないという空白地帯からうまれてくるのだ。私の反省的な冷静さ自体が、熱狂の効果なのである。だとしたら?
私たちは何を見ているのか? 見えないのか? しかし、いや、見たいものがあるだろう? それがたとえ歴史的な空白地帯によってこそ可能な理想でありユートピアであっても、それをこの時代のわれわれが見た、人間には見えるものなのだ、ということを記述し記憶し、後世に伝えること、伝えようとすることには意義があるのではないだろうか?
小3の息子の宿題。私はまず勉強や学ぶということを面白くさせること、つづけさせること、が一番だとおもうので、子どもからわからないところをきいてくるまで、何もいわない。同じ食卓で、こちらも勝手に本を読んでいる、そのいっしょにやっていることが大切な布石なのだとおもっている。ところが女房、私がいなくなった間に、せっかく一希が調子よく書いていた作文なども、テニオハがどうの、表現がおかしいなどと重箱の隅をつつくように叱責しはじめる。私は女房をぶんなぐるか部屋を壊してしまいかねないので、蒲団をかぶって歯ぎしりしている。私らの母親世代が、子どもや日本をなんとか貧乏・不安(敗戦)世界から脱出させようと、うるさくママゴンになってきたのは仕方がない。が、そのなれの果てがどうなってしまったかしってしまったわれわれ世代が、性懲りもなく同じ態度で、いや縮小再生産な親子(母子)関係を反復させていることは、いくらなんでもばかげたことだ。母親からさんざん泣かされたあとで、その不安をとりつくろうように、寝る前に本を読んでくれ、パパじゃだめだと哀訴するる一希の声をきいていると、私や私の兄がそうであったように(そして多くの若者たちがそうであったように)、青春時の憂鬱をこじらせて、分裂病(統合失調症)になってしまうのではないかと心配してしまう。不安と安心という矛盾(分裂)心理が同居していないと自己が安定しなくなってしまう、そんなダブルバインドな癖を身に着けさせられている。女房のしつけだが教育だかは、要はそういう身体訓練をしているのである。ただ希望的なのは、なお一希が言い返し反抗をみせていることだ。サッカーの試合でも、もう上級生モードにはいるからコーチも親も外から言わないから、自分たちで考えるように、とパパコーチである私がミーティングで諭しても、それを一番に破るのがコーチの女房なのだが、一希も試合中に「黙ってろ!」とどなりかえす。ヘッドコーチは苦笑いしているそうだ。
日本のサッカー界は、野球界に代表されるような根性主義、中央集権主義、独占主義に批判的なスタンスではじめられたのだから、最近の柔道界で騒がれた暴力問題とは遠い地点にまできているのかな、とおもっていたら、そうでもないらしい。冒頭引用の池上氏の著作にも、まだ「3分の1」や「半分」が「厳しく叱る」方針のままだ、とある。サッカー週刊誌などでは、「旧態依然の指導を断つ牽引車」とならんとする野球界の桑田氏のような人物がサッカー界にも必要だ、という記事もでる。野球だろうがサッカーだろうが、もちろん柔道だろうが、もう列記としたオトナの世界で、しかも世界競争をしていこうというレベルで、指導者の位置を仕事として引き受ける者が、教え子というより一人前の選手をぶんなぐって指導していくことがありうる、ということにびっくりしてしまう。なんともおぞましい世界だ、とおもうが、国民的英雄な長嶋茂雄氏など、その体罰指導の率先者のようなものだったことをおもいおこせば、われわれはまだこんな世界というか世間に暮らしているのだなあと、得も言われぬ感慨。さらに、相変わらぬ女房のこともが重なってきてまうと、この日本社会なるものに暗澹としてしまう。
癖なんだから、すぐに直らないのはしょうがない。私も、パパコーチとして、だいぶ古い習性がでてしまう。しかし、それがだめだということはいやというほど認識してきたので、まだそれを修正していく正解というのもはっきりしているので、それを理念として、絶えず自己反省しながらやっている。子どもとサッカー部にはいって2年。私も、少しづつ成長してきている、と感じている。が、その成長という前提、正解な基準自体を日本社会は受け入れようとしていない。その傾向が潜在的に強い、ということだろう。戦後民主主義的な教育流行の陰で、しぶとく潜伏している大勢は、ふとしたことで明るみにでる。自民党に返った政権は、なんとかその潜勢力を表にださせて、もっとふてぶてしくやりたい、ということのようだ。文芸評論家の斎藤美奈子氏によると、6年前の教育法改正のとき、文部大臣は「『毅然とした態度』をとった教師や学校が『児童の人権』という観点で非難されたら困るだろう。そのやりにくさを払拭するのが目的だ」といい、現阿部総理も、「学校現場の過度な萎縮を招くことのないよう、体罰に関する考え方をより具体的に示す」と発言したそうだ。つまり、容認できる体罰の指導をする、ということか。斎藤氏は、「『体罰』はなべて暴力で「よい体罰と悪い体罰」があるわけじゃない」と指摘し、「人権を制限し、究極の暴力の否定である戦争放棄に異議を唱える人たちに、暴力を一掃することができるだろうか。矛盾としかいいようがない。」と結語する。
しかし、この「矛盾」、分裂、ダブルバインド……中国に対して強気にでたいのも、この己の「不安(被潜在・鬱屈)」を解消・解放したいがためだろう。そしてその原因を作ったアメリカ(母)に「安心」を求めてよりかかる。その敗戦という癖。戦後民主主義(人権)という「安心」自体が「不安」と一体化してしか意味(自己安定)をもってこないという病。この精神病にとって、「人権」と「暴力」は同時に必要なのである。「矛盾」を抱え込んでいないと己が安定しないのだ。ならば、斎藤氏の批判視点自体が、病の産物である。
私自身、「厳しく叱る」教育(暴力)に対し、叱られて泣いてたら覚えるどころじゃないなんて、見ればわかるじゃないか、なんでそのわかる(科学)ことに依拠して教育をたてなおさないんだ、とおもう。しかし、この中立的、客観的な技術論自体が、歴史的産物であり、この時期の「矛盾」的位相、どちらもがヘゲモニーを確立できないという空白地帯からうまれてくるのだ。私の反省的な冷静さ自体が、熱狂の効果なのである。だとしたら?
私たちは何を見ているのか? 見えないのか? しかし、いや、見たいものがあるだろう? それがたとえ歴史的な空白地帯によってこそ可能な理想でありユートピアであっても、それをこの時代のわれわれが見た、人間には見えるものなのだ、ということを記述し記憶し、後世に伝えること、伝えようとすることには意義があるのではないだろうか?
2013年1月4日金曜日
初夢をみれないクリーンな喧騒
コンプレッサがなければ釘うちができない大工さんがでてきているように、ブローがなければ掃除ができない植木屋さんがでてきているかもしれない。と、若い者たちをみていておもう。どちらの機械も、ガソリンや電気で空気を圧縮し、人力とは別の均一なエネルギーを出力させていくものだ。そこにあるのは、手っ取り早く、つまりは効率的に、均一均質なクリーンな空間を出現させる、という発想をもつ。もちろん自然は、つまり木が生え土のある現場は、そんな機械調節の風で隅々まで処理できない。株立ちの刈り込みものの根っこ近辺にはさまった枯葉は、やはり植え込みに体をかがめて小箒などで掃きかかねばとれず、そんな億劫と手間を省くために、人工風で吹かれた落ち葉はエアコンの室外機の裏などに隠される。きれいになればいいだろう、みえなければいいだろう……と書くと、なんだかそんな最近の植木屋さんの掃除も、原発問題にみえてくる。というか、事故後の言論が露呈させてきたことのひとつの典型が、そんな近代的な発想であり、その世俗版の効率主義である。
しかし、元来、植木職人が引き継いできた<庭掃き>とは、きれいになればいいだろう、といった外在的なものではなく、清める、という内在的行為をはらんでいる。むろん、庭を清めるのは、そこが神という世俗を超えた世界へと通じていく場所だからである。<にわ>という古語自体に、そうした神道的意味が受け継がれている。庭掃除とは、だからクリーンな思想によるのではない。その管理方式は、ダスキンとは相容れない思想性を継承しているのである。そんな価値の話、感覚は、若い世代には抜け落ちる。それはとりあえずどうしようもないことだが、それが「しょうがない」ですむ問題かどうかは、何度も問われなくてはならない歴史の反復作業だろうとおもう。
ヨーロッパでの魔法使いが、箒にのって空を飛ぶのは、その問いが、日本にかぎらない、洋の東西を問わないことを示しているだろう。やればいいだろう、というような世俗の価値とは違う、それを超えた価値とつながっていなければ人間の生はもちこたえられない……そのことは新興宗教に走ってしまう個々人の問題だけではなくて、その目先の効率性や清潔さのために、つまりクリーンな考えのために、人類の文明は滅んだことがあるのではないか、エジプトが砂漠になったのも……とこう書くと、まさに若い世代がはまった終末神話と類比的になってしまうのだが、ブローを嫌い、性懲りもなく棕櫚箒で庭土をみがいている、土俵を作っているような掃除をしながら、この手の動きに、リズムに、文明を守っていく反省と知恵の何万年まえからの模倣を透視しているような気になってくる。
きれいはきたない、きたないはきれい、というシェークスピアのマクベスを引用して、赤軍派の内ゲバ闘争を暗に批判しながら人間が抱え込む形式的現実を洞察提示したのは柄谷氏だったが、その今では経験実証的にも理論的にも自明的なそんな正解が、世の中ではまったく無視されて動いていくものだなあ、と周りを見回しておもう。それは、衆院選後の嘉田氏と小沢氏をめぐる内輪もめから女房との夫婦喧嘩まで、まったく人間の、人類の英知が受け継がれていない。クリーンという世俗のイメージに負けた嘉田氏は原発的なクリーン思想をまったく卒業していないことが明白なように(ある種の左翼的グループの抱擁限界、きたなくなれないこと――)、目前の不安にかられて漢字だローマ字だと性急に子供に詰め込む教育に便乗しさわいで、独りで静かに集中するという形式、それさえ体得していればどんな内容でも代入可能になるだろうような身体と脳のあり方を無視していく母親たち。
そんな世俗の喧騒に巻き込まれてか、今年はおぞましき初夢さえみることがなかった。われわれの狂気は、どこに住処をみだすことができるのだろうか?
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