「しかし、学校や学習塾の勉強でいい成績をあげるだけでは、教養は身につきません。/ 他人の気持ちになって考えることができるという共感力や思いやり、自分と違う考えをする人を認めることができる寛容心、自分よりも才能のある人にやきもちを焼かない人間力を持っている人は、尊敬され、信頼されます。そういう大人になるためには、子どものころから教養を身につけるように努力することがたいせつになります。」(『子どもの教養の育て方』佐藤優・井戸まさえ著 東洋経済)
小鳥のピータがなくなった。急に雪の降るような寒い夜がきたので、暖房の切れる部屋で風邪をひいてしまったのかもしれない。体を膨らませて真ん丸くうずくまっている。以前にも似たような症状になったことがあったが、仕事を休んでいた私の体に張り付いているうちに元気を回復した。しかし今回はもっと弱っているのがわかった。子どもの一希も当初いっしょに風邪をひいて学校を休んでいたのだが、よくなって今日は通学するというその朝、ピータは止まり木に立っていることもままならないようで、すぐに籠からだし、毛皮とタオルのベットを作ってやって、そこに寝かせた。出かけ際、まだ蒲団にこもっている息子に、「きょうピータくんが死んでしまうかもしれないよ。早く起きて、みてやって」と声をかけていく。その日の午後3時ごろ、女房からなくなったとメールで知らされる。ちょっとした錯乱が、私の脳髄におこった。植木職人の私が木から落ち骨折してからの2年近くほどの飼育だったとはいえ、もう家族の一員のような存在だった。はっきりとした欠落感が、私をおそってきた。子どものころ飼っていた犬がなくなっても、こんな感情にはならなかった。いや私に、そんな人間がやってこようとはおもえなかった。私は、成長したのだろうか? どうじに、9歳の一希はどうだろうか? と考えた。また新しいインコを買って、といいはじめるのだろうか?
帰宅すると、女房と一希が涙ぐんでいる。女房がでかけている、暖房のきいていない時刻になくなったので、とても寒かっただろうと、ピータをタオルでくるんで、ヒーターの前に寝かせてあたためていた。ピータくんがいないとつまらないな、と夕食時につぶやいていた一希は、寝付く枕元に、棺桶がわりの箱に小鳥の遊び道具だったワインのコルクと飴玉を包んだ銀紙といっしょにその死骸を寝かせて、蒲団にこもった。しばらくして、しゃくりはじめ、大泣きをはじめる。傍らで寝ていた私は、そのままじっとしていた。私が命拾いした2年ほどまえだったならどうだったろう? あのとき、一希は「パパはパンツが梯子にひっかかって助かったんだよ!」と、屈託もなくところかまわず吹聴していた。なお、死の意味が、欠落するということがどういうことかがわかっていない様子だった。それからのこの2年ほどで、成長したということだろうか? 他の小鳥ではなく、ピータという固有名でないとだめになったんだな……いやそういうことではなく、なぜなら、私自身が、愛するものの欠落に泣く、という人間からはほど遠い育ちできたのではなかったろうか? 欠落をいだくほど愛する、それがどんなことか、私は知らないで、教わらないで、子どもから大人へと、その無感動を育んでいったのではないだろうか? 私が成長したのは、そんな自身の成長を否定し、否定していくための教養を青春期いらい数十年をかけて積み立て、結婚し、子どもをもったからではないだろうか?
ファミリー・ロマンスから脱却すること、その冷めた「物語」批判精神をもつこと、学生の頃の教養は、そう若いものに教えていた。いや、その教えが、高度成長期を両親にもつ私のようなアパシー世代には受けがよかったのだ。それは、人間的な意味を教えない親の価値を否定していた、しかしそのことで、批評家の意図には反して親の非人間性、エコノミック・アニマルに通底する反ヒューマニズムを補完していたのだ。世界から逃走=闘争した若者のおおくは、おそらくそのまま孤立し、人間関係を回復する術を身に付けるまでもなく、そんな教養学術も受けつけなくなっているだろう。私がいわゆる脱近代なる批評文学=思想から、親への批判否定はそのままで親を回復する、そんな発想を新しく持つことができたのは、おそらく偶然の境遇によるだろう。そう、私には、ペットが死んで泣く、それは40歳を半ばにして持つことのできた〝新しい感情″だったのである。
そんな意味文脈で、一希はすでに親をこえて育っている、私にできることは、その成長を抑圧しないことだろう。
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