2018年11月1日木曜日

ハロウィン騒ぎーー江戸の明るさ/暗さ(2)

「ところが、商品経済の浸透を最深部の起動力として、伝統的な村落生活が崩れてゆくと、若者たちの恣意性がつよまり、これまでのそれなりに秩序をもっていた若者たちの「この世の楽しみ」が急速に膨張して伝統的生活秩序をおびやかすことになった。こうした過程で、従来の若者仲間の制限、禁止、青年団や夜学校への改組などがすすめられた。青年団が全国的規模で設立されるのは、明治三十年代のことであるが、若者仲間の改廃は、それよりずっと以前から村落の重要な問題となっていた。たとえば、文政十年に、…略…若者仲間は倹約や村の秩序を乱すもとになっている、と判断されたのである。またたとえば、天保十三年に…略…若者仲間と娘組の活動の基礎であった若者宿・娘宿の禁止として注目してよいだろう。若者制度の動揺と衰退が、近世後期の現象であることは、民俗学者があきらかにしているが、それにはまた婚姻性の根本的な変化が結びついていた。これまでの若者組・娘組に媒介された青年男女の相対的に自由な結婚はすたれ、仲人が重要な役割をはたす「家」と「家」との家父長権に支配された結婚へと転換していった。」(安丸良夫著『日本の近代化と民衆思想』平凡社)

江戸関連の本を読んでいるからか、ニュースで騒いでいる渋谷界隈の有り様が、江戸後期の姿と重なって見えてきた。
むろん、もうかつての夜這い習慣の若者組はおろか、明治からの青年団、現在では、町内会の青年部として形骸的に存続しているような仲間組織、中間団体は、もはやはじめから機能していないかもしれない。が、義務教育としての学校がある。その近代化にあっての若者教育装置が、末期的だということなのだ。
高校受験をむかえている中三の息子がいなかったら、テレビで騒ぐから騒ぐようになるんたよ、と無関心で過ぎていっただろう。息子は中間・期末試験前でもいつもと同じように勉強しないが、私の昭和時代では、この平常さは、不良と呼称される者たちぐらいで、成績の良し悪しはともかく、試験前ぐらいはその義務・強制力に緊張はしていたとおもう。がどうも、息子のみでなく、普通の子たちが世の中に反応していない。なめきっているというか、相手にしていない、というか。その一方で、勉強にしろ、スポーツにしろ、エリートコースに乗った者たちは、その者たちで突き進んでいくようだ。そしてそこでは、婚姻形態までもがその階級性を堅固にしていく向きがある。私の慶應大卒のイトコは、お金持ちと結婚したのだか、その条件は、親戚付き合いはしない、ということだったそうだ。イトコの父親、つまりは私の父の弟だがーーは、ロッテの営業課長だか部長ぐらいまでには出世したらしいが、そのくらいでは駄目ならしい。
植木職人として金持ちの庭の手入れにもいくけれど、婚姻関係が「家」的にガードしているところは、マンション経営など財テクにも知恵しぼり、そこ、わが子の男女関係にルーズというか普通に自由な所は、屋敷も蔦が這いずりまわるようになり、フォークナーの文學世界かポーのアーシャー館の崩壊か、と連想されてくる。
若者たちの騒ぎは、ある意味、実質ある仲間組、いわば中間団体的な連帯への模索であり、あがきだろう。数ヶ月前のニュースで、アイドル追っかけのオタク仲間の間で、入場券の受け渡しによる無賃乗車連携プレーが摘発されたが、法を犯してまで仲間のためにやる、その覚悟強度が、中間団体か否かどうかの境界になろう。しかしその模索とあがきが、家父長制的な国家権力の強化進展へと向かったのが、日本の近世から近代への過程だった、ということだろう。
最後にまた、安丸氏の上著作から引用。

〈商品経済の発展は、伝統社会におけるつつましやかだった人々の欲求を刺激さして膨張させ、奢侈や飲酒や怠惰へと誘惑した。もともとは前近代の村落生活において、人々に健全に人間的諸要素を実現させる形態だった若者仲間やヨバイが、恣意や放縦の手段となった。いうまでもなく、商品経済は人々に伝統な諸関係を打破して上昇する機会をあたえるとともに、没落の「自由」をもあたえるものだった。だから人々は、自分で禁欲して勤労にはげまねばならぬのであるが、民俗的世界の人々はそうした訓練をうけてはいなかった。彼らは、あらたな刺激にあおりたてられ、没落への淵をはいずりまわることになった。没落するまいとすれば、伝統的生活習慣の変革ーーあらたな禁欲的な生活規律の樹立へとむかわざるをえなかった。〉

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