2021年7月17日土曜日

『東京自転車節』(青柳拓監督)を観る

 

右青柳監督、左音楽担当秋山さん

寝る前にYouTubeをのぞいたら、この「東京自転車節」の映画予告の動画が流れていた。なんでアプリのAIが私のスマホにこのドキュメンタリーをヒットさせてきたのか訝しかったが、すぐ家から自転車で行ける東中野駅近くのポレポレ座でやっているというので、翌日(先週の日曜のことだが)、さっそく見に行った。

 

私は、去年の盆、コロナ禍の帰省(=規制)にあたって、こんな短歌をこのブログで記していた。(「帰省下に詠む」)

 

《荷を背負い自転車で行く若人のスマホ片手の行く末は何処?》

 

今年28歳になる青柳拓監督は、その若人の行く末を、身を以って模索してみせていた。日本映画大学を卒業し、映画仕事にたずさわりながら、アルバイトとして運転代行を実家の山梨でしていたが、コロナで仕事が皆無になってしまった。そんななか、ウーバーイーツをしながら撮ってみないかとプロデュースされたこと以上に、所持金数百円になってしまったら出稼ぎに行かなければと、東京にいったらコロナに必ずかかるぞと噂されている田舎から、自転車をこいで出てきたのだった。卒業作「ひいくんのあるく町」が2017年全国公開された経歴をもつ。私はその映画をみていないが、どこかで予告をみたのだろう、この「東京自転車節」で「ひいくん」が田舎風景の中に現れたとき、記憶がよみがえった。ゆったりしているがシビアな、独特な時間の流れがただよっている。監督は楽天的で明るい、頼りなげな性格を素直に画中にも落としていくが、認識はシビアであり、浮かべた笑みの裏に、目の前に何が在るのかを洞察していこうとする思考がうごめいている。観賞後に設けられたサイン会で、私も購入したパンフにサインをしてもらったが、この近くに住んでいるからすぐにみに来れたという私に、「ではよく映画をみるんですね?」と尋ねてきて、私が「よく」ということになるのかなあしばらくぶりなような、と真面目に受け止めて考えはじめてしまうと、こちらを覗き込むような視線を笑顔の中でよこしたが、そこにはナイーブな若者の眼差しはなかった。パンフでも、知り合いのライターが、その計算高い一面を親しみをこめて解説している(「都会で聖者になるのは大変か」若木康輔)。

 

ではそんな監督が、ウーバーイーツという自転車配達業の向こうに、どんな現実を見たのか?

 

1945年の東京は焼野原だった」「2020年の東京も焼野原だ」

 

配達中、公園で出会ったおばあさんの戦争の話を聞きながら、画中でてきたテロップの言葉は上のようなものだった。そして、監督自身の声で、今を彩る言葉が叫ばれていく、「自粛要請、不要不急、濃厚接触、夜の街、新しい生活様式……」その声は、次第に、怒りにふるえ、奔放しだす。「…自宅待機も引きこもり、リモートワークも引きこもり、ズーム飲み会も引きこもり、陽性陰性わかりません、家にいるしかありません。拝啓 新型コロナウィルス様、私は元気です」

 

パンフでのインタビューで、青柳監督は、答えている。――<映画の後半はさながら『ダークナイト』や『ジョーカー』のような雰囲気になっていますが、当時の自分は確実に社会に対しての違和感や鬱憤が蓄積されていたんだと思います。自分で言うのもなんですが、自分のあんな素敵な笑顔は久しぶりにみました。まさか狂った先に笑顔があるだなんて思ってもいなかったし、それこそジョーカーのようで、恐ろしい状況だったと思います。これを映画として撮っていてよかったです。映画を撮ってなかったらどうなっていただろうと思うと……ちょっと考えたくないです。>

 

「考えたくない」のは、考えさせられる現実に触れたからだ。この映画は、何かを認識してみせたドキュメンタリーではない。認識の前提、思考の前身になるような現実の塊に突き当たったことを示してくれたものである。監督はこれから、いやでも考えていくだろう。もちろんその考えとは、ウーバーを資本主義社会の絡繰りとして解説する大家ケン・ローチ監督の認識につらなるようなものではありえない。そんな解釈があったって、どうにもならないじゃないか、と監督も若者たちの一人として突き当たっている困惑を、画中で表現している通りだ。ウーバーイーツのような労働形態が、現在の先端的な何かを象徴しているとしても、若い世代は、それしか知らない。物心ついたとき、そこにある現実には、ただもまれるだけだ。そのもまれた身体が、本当のところは何を意味してくるようになるかなど、誰にもわからない。しかし、盲目の中の洞察だけが、解釈をこえた認識をつかませる。そこには、彼らだけがつかんでくる現実の一面が刻まれているはずである。

 

そしてもう若くはない大人たちは、若い者たちと同様、社会や人生への答えなどわからないままであるけれども、もまれてきたことの反復経験が、現実を相対化させる。それしか知らないわけではないからだ。こんな今にだって、違うものがあるのだ、あるはずなのだと。それは、大家としての言動というよりは、見守る者の助言者のような振る舞いになるだろう。

 

パンフではその役割を、青森県立美術学芸員の奥脇嵩大氏がしていることになるのかもしれない(「転がる自転車の先」)。まだ三十半ばと若いが、示唆していることは古い。古いというか、古くなって忘れ去られたものがもう一巡りしてきているのかもしれない。引き合いに出してくる思想が、戦中派の運動家、谷川雁なのだから。というよりも、この映画自体が、「昔」を、「炭坑節」を呼び覚ましてきたのだ。

 

<労働ってシステマチックなものじゃなくて本来もっと人間らしい血の通った作業だと思うから、ウーバーイーツという身近なシステムくらい自分の力で血の通ったものにしたいと思いました。システムによって断絶された社会で、それぞれが「孤独」だということを意識し自覚したけど、それなら「孤独」だからこそ会いたい!繋がりたい!と強く思うようになりました。『東京自転車節』のタイトルに「節」と付けたのは、昔、労働者たちが汗をかいて自分たちを鼓舞するように歌っていた炭坑節のように、自転車配達員での仕事も血の通った人間臭いものしたいという想いから、こういうタイトルにしました。>

 

この映画の音楽は、監督の幼馴染の、地元のアマチュアの人が作ったそうだ。打ち合わせをしたわけではないのに、ウーバーイーツの仕事中での電話でのやりとりから、「月が出た出た月が出た」の「炭坑節」の編曲を思いついたのだと、上映後の、二人のやり取りの中で話されていたこととおもう。「ジョーカー」の現実が、人間の血を噴出させるのではなく、通わせるようなユーモアで包まれる。マクドナルドの店員などが、雨の中での仕事は大変だと、差し入れや声掛けをしてくれていると呟かれていたのを思い出す。映画が、自転車節にはまっている。固定したシステムの最中においても人の血はなお通っており、それはシステムへの潤滑油であると同時に、亀裂にもなりうる連帯の保証でもあるだろう。

 

谷川は、「連帯を求めて孤立を恐れず」と言った。それをもじって、「孤立を求めて連帯を恐れず」といって社会運動をはじめた今を生きる現代思想家もいる。が、今の後者も、要は、連帯こそを求めていたわけだが、あまりに孤立化しはじめた新自由主義下の時代に、その孤立を慰撫するしかないような若者たちを傷つけないために、そうひねくれた物言いをしなくてはならなかったのではないか、とその運動に参加した私は、今思える。だから、「昔」の言葉のほうがストレートで、強いだろうと。しかも、谷川の原典では、それは個人にではなく、メディアに対して言われているのである。「そして今日、連帯を求めて孤立を恐れないメディアたちの会話があるならば、それこそ明日のために死ぬ言葉であろう」と。奥脇氏は、その「メディア(媒体)そのものとなった」のではないかと、この『東京自転車節』を評価する。

 

去年の、帰省下に詠んだ歌は、こう閉められた。

 

《世の中はスマート社会へと瘦せ細るのかAI・ウィルスが人削除して》

 

私たちの漕ぐ社会は、どこへと向かうのだろうか?

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