2011年9月21日水曜日

口先と存在(デモと現実)

「夢の中で息子の声が響いたということは、父親には、こどもの身体に火が燃え移ったことよりも恐ろしいことだった。だからこそ、夢は耐え切れず破れたのだ。父親は目覚めると駆けつけて炎を消しただろう。だが、彼の内側に飛び火して燃えているその恐ろしいものがそれで消えたはずはない。息子の声はなおも父親の胸を抉るものとしてくすぶり続けただろう。ならば、夢から飛び火したそれは、蝋燭から息子に火が移ろうとしていた現実よりもリアルな出来事ではないか。ドストエフスキーの「おかしな男」も言う。「彼らはわたしをからかう、だってそりゃ夢にすぎないじゃないか、と。だが、この夢がわたしに大文字の真理を告げ知らせてくれたのであれば、夢であるかないかなど、どちらだって同じではないか」。ちなみに、ここで「真理」とは「おのれみずからのごとく他を愛せよ」なのである。」(山城むつみ著『ドストエフスキー』 講談社)

子供たちはキラキラしている。日曜日のサッカー練習から帰ってくると、一希は突然声をあげて泣きはじめた。ミニゲーム練習直後のミーティングで、いつのまにかディフェンダーをまかされてしまうチームメイトの男の子から、ずばずばと欠点を指摘されたのだ。いつもおとなしい彼の、突然の口火は、一希をびっくりさせただろう。その前日の試合は、監督からじきじきに、20年来使っているという黄色いキャプテンマークを託されて望んだのだった。しかし低学年とはいえ背も大きく、ひとりひとりが自分の役割とボールへの執着を覚えはじめている新宿のクラブチームとの戦いは、さんざんだった。一勝ニ敗。簡単にドリブル突破ができないことに直面すると、一希の足は呆然としたように鈍くなる。守備にも走らなくなる。そうなれば、常に自陣に追い込まれ、シュートの応酬だ。後半はキーパーにまわさせる。中心選手がいなくなったチームメイトは、なんとかパスをまわしはじめてサッカーらしくなってくるが、前に進んでいかない。シュートの応酬はさらに増える。キーパーとして一希は相当はねかえした。そして自分のいないフィールドで、今まで活躍を抑えられていた他の子どもがなんとかシュートを決める。ベンチコーチを任された父親としては、そうやって一人一人がゴールを決め、一皮向けて成長していく環境を作ってやる。しまいにはベンチに控えさせられて、「俺をださせてくれ!」と訴えはじめた一希を、若いコーチが出場させてやる。やっと切れがもどって決勝点を決める。しかしまた、一希のドリブルがはいると、チームとの連携がその分遅くなり、なおさらドリブルも思い通りにいかなくなると、力を抜いて足が止まる。「交代させるぞ!」私はおもわず叫んでいた。この身体的怒りはどこからくるのだろう? サッカーをやったこともない私が、サッカーコーチや父兄からベンチを任されたのも、自分の子供をえこひいきせず、他の子供たちと公平にみられる「大人」であるからだろう。しかしその公平的な感覚が、どこからくるのか、と内省してみると、それは私にも覗けないおぞましい世界からやってくるようにおもえる。

一希はいわば、自分の足元しかみえないいまの身体的くせと、他の子供の身体との連携をどうするかでとまどっている。すぐボールのまわりで団子になる(他の子のボールを横取りしにいく)その様を、後でみていたおとなしい子に指摘されたのだ。泣きじゃくる一希にむけて、私はいう。「弱い子は、よくみえているんだよ。口先でいっても、人の心は動かないよ。人をなめていはいけない。いっちゃんはキャプテンに選ばれたんだよ。」……しかし実は、私はこの言葉を女房に向けて投げていた。二人の性格に似ているところがあるからかもしれない。口先がうまく都合がいいというか……。私は、女房と市民活動への関わりの自己欺瞞を指摘していたのである。いまおまえが、子供の給食の放射能がどうの、東北支援がどうの、公園の草っパラや生活クラブでの活動がどうの、といっても、ではおまえの当初の反応、初動体制はどうだったか? 私がフクシマ原発は爆発するかもしれないと、団地トイレの自然換気口をハンカチと新聞紙で目張りしているのをバカにし、しかも4月に入るやそのハンカチを私への嫌がらせのように登校する子供にもたせ、家での団欒で子供がプールの水を抜く前にみんなでヤゴ捕りやったというのを聞いてびっくりして女房に確かめると「だからなに? 心配なら自分で抗議にいけ」と無関心。が、だいぶあとで、関わる市民グループの間でも問題化したのか、なんだかおまえが一番口だけ達者係りなようだ。しかし、他の人たちはみえているんだぞ、それがどんな動機からきているのかを。親方の息子は、女房を評そうとして口をにごらせたことがあった、私は推論した、言いたかったのは、「お嬢さんなんですね」、ということだったろう。おまえが生活クラブにいるのも、その階層にいることでなにか回復させたい自己があるからなのだ。自分が水俣病をおこしたチッソの役員の娘であり、通産官僚族の親類世界にいたことがまず自らの身体反応を作っているのだ。おまえが事故当初、東電びいきな判断をしていたのは、自分のそんな子供時代の何かが壊されるからなのだ、そしてその破損を修復するために、市民左翼的な階層に参加しえている、根源的な反応(身体のくせ)をごまかすために、原発事故の事象を利用して騒いでいる……そのことを、「お嬢さん」ではない参加者たちは見抜いている。人をなめてはいけない。しかしまた、現に大学での「お嬢さん」階層に属しているエリート旦那の奥さんがたは、おまえがそこにいることに違和を抱いているだろう。おまえの自意識がどうであれ、もはやおまえは末端の労働者の女房なのだ。そう存在してしまうことと、自分がありたいこととの意識とのズレを自覚できないとき、人はイデオロギー(口先)に染まる(陥る)のである。――「運動の指導者になりたい人たちはたくさんいます。この人たちはテーマは何でもよいのです。人をたくさん集めて何かをする大衆運動が好きなのです。これは、集団行動するサルの習性ですから、人がこのようにするのは当然で、非難すべきことではありません。」(槌田敦著『エコロジー神話の功罪――サルとして感じ、人として歩め』 星雲社)

泣きじゃくる子供と、熱中症で熱があるとその子を抱える母をあとにして、私ひとりで、9/19日の「さよなら原発」のデモにいってくる。人よりも、私には、のぼりの旗がめだった。そのためか、ここは、時代劇によくみる、戦国時代の戦場というか、その歴史に従属している空間であるようにみえてきた。私がここにいることは、何事であろうか? どういうことであろうか? 「福島県の子供たちは、熱中症にもなれないんだぞ。自分のことばかりではなく、パスをだすんだ。」そう子供にいうことで女房に言い聞かせて家をでた私は、のぼりで埋まる空間に埋まっていた。「自分を愛するように隣人を愛せ」……あの怒声、身体の反応、他の子供たちとの公平の感覚は、どこからきたのだろう? 私はその試合中、私が少年野球をしていたときの父との関係を思い出した。監督をしていた私の父親も、むしろ息子には厳格だったほうだろう。ならば、父はなぜそうなのか? 私はこの怒り、不公平感を、三人兄弟のなかで、女の子代わりになっていた私への母のえこひいき――こっそりお菓子をくれるとかの――に原因をさぐっていた。ならばその怒りとは、「私を男としてあつかえ!」ということなのだろうか? 「女(娘)として支配しようとするな!」ということなのだろうか? 女房(娘)とその母との関係は、まさに長女と母とのすさまじき関係であり、あったようである。会えば喧嘩する。その娘を、私よりも10歳以上も年上のその女を、私は「妹」と感じていた。そう暗示したいつかの発言を、女房は理解したと暗示してきたことがあった。つまりわれわれは、親子という縦割りの関係を出た者どうしの、「兄ー妹」という、連帯的な同志関係の感性として築かれたのである。女房の気性の振幅は、だから私が「男=支配」から降りたところからきているのかもしれず(つまり私を「女」として認めろ! あるいは老いへのあがき…)、逆に、それでいて、私が「男=支配」として出現することがあることからの嫌がらせ(こちらに気づかせるためのあてこすり)、ということなのかもしれない。……となれば、身体からの怒りとは、公平を要求する女たちからの怒りなのかもしれない。それが、父という審級を貫いてやってくる。「自分を愛するように隣人を愛せ」。……腰を痛めて原宿駅で脱落した私は、家に帰って寝転びながら、図書館から借りて読みかけの、冒頭引用の山城氏の『ドストエフスキー』を読んだ。そのイエスの「愛」の言葉が、「復活」という現実に結びついているという論理に目が覚めて。この3.11の大災害で、わが子を失った父親の嘆きのなかに、わが子の「復活」が現実でありうることを知って。

<『ヨブ記』にあるのは《邪悪で不正な人々が安逸を貪っているすぐ傍らで、善良で正しく生きようとしている人に災厄が降りかかるというような不公平がこの世に存在するのはなぜなのか》という、この問い以外はすべて神学的なおしゃべりにすぎなくなってしまうような人生の難問だが、『カラマーゾフの兄弟』はこの問いの全重量を《何の罪もないこのこどもに災難が襲いかかるのはなぜか》という一点で支えようとしている。…(略)…《ほかでもないこのイリューシャにこのような不幸が降りかかってこの子が死なねばならないのはなぜなのか》。これはヨブの《なぜ》である。むろん、そこに理由などない。ただの確率的問題があるだけだ。しかし、そんなことは分かっているのだ。分かっていても《なぜ》は消えないのだ。否応なく確率的位相に放り込まれ、それにほんとうに苦しんでいる人は、世界の基底に確率性を見出す洞察で満足したりはしない。…(略)…それは《私のこどもが私のこどもであるのはなぜなのか》と問うことに等しい。親子の愛が問題なのではない。モラルではなくて「存在」が問題なのだ。…(略)…「ぼくは死んだら、いい子をもらってよ、ほかの子を……あの子たちの中からいちばんいい子を自分で選んで、イリューシャと呼んでさ、ぼくのかわりに愛してあげてよ…」(略)…「ほかの子」にはどの子がなってもいい。…(略)…十二人ほどのこどもたちのうちどの子でもかまわないのだ。彼らは今、追善供養のプリンを食べるためにスネギリョフの家に戻ろうとしている。「こどもたち」というルーレットは、アリョーシャを中心に水平に回転している。盛んにはじけ飛んでいる玉もやがては静止するだろう。どの子の上で玉は止まるのか。繰り返すが、どの子でもありうる。しかし、だから賭けるのがルーレットではないか。カルタショフ少年に賭けよう。こどもたちは、ヤシの木のまわりを高速度で回転したトラたちのように、すでに個体性を失ってバターのように流動しているが、それでもカルタショフ「らしい」ひとりの特異性(単数性)は聞き分けられるのだ。ちょうど新生児室の赤ん坊たちはどれも似たりよったりで個体性をほとんど持たず識別不能だが、笑顔ひとつ、泣き方ひとつ、しぐさひとつ、しかめている顔ひとつとってもどれひとつ同じものはなく、それぞれ異なる単数の出来事が不断に感受できるように。カルタショフ「らしい」その「ひとり」が、スネギリョフにおけるイリューシャという固有名のアクシスを寸断し「わが子」という絆を断ち切って介入するならば、そしてスネギリョフとイリューシャとの親子関係を任意の「こども」との関係として全く新しく再組織するような「邂逅」を来たしさえするならば、その場合には、死後に「別の世界」で蘇生などしなくても、「この世界」の中の非ユークリッド的な地点でイリューシャの「復活」は起こるだろう。逆に、たとえこどもたちとスネギリョフが死後のいつか、ふたたび生を受けて死からよみがえり、もう一度、イリューシャと会ってうきうきと語り合えるとしても、平行線が交わるような非ユークリッド的「邂逅」が「この世界」において起っていなかったのなら、死後の世界でのそんな蘇生があっても何の意味もない。こどもには「別の世界」は問題にならない。「この世界」だけが問題だ。こどもが生きている、どんな目的もどんな終わりもない世界が「この世界」なのだ。残忍でありうる力によって善良な彼らは、その善良でありうる力によって残忍さにまみれながらもこのエンドなき世界を、疲れを知らずに動きまわっている。不定冠詞のこども(a child)の場所は定冠詞の世界(the world)だけなのだ。>(前掲書)

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