ホリエモンが、「世間体」とかいう歌をコラボした女性が、ワクチン未接種なのを知って、彼女を「バカ」だとしてその関連を断ち、ネット上からもコラボ動画等を削除したという。ワクチンを受けてない人は自分との関係を自ら削除してくださいと発信しながら。ので、私もチャンネル登録を削除した。この産業技術信仰も、カルトである。
古館伊知郎が、自身のユーチューブで、ワクチンが科学的に妥当なのかは、調べてもわからない、と発言している。古館も、「バカ」なのだろうか?
N党の幹事をしている、つばさの党の黒川は列記とした反ワクチン派だが、堀江は、ならば立花党首との関連を、どう考えるのだろうか。
デモクラシータイムスで、五野井氏がトランプ現象は宗教問題なのだと指摘したが、私も同感だ。中絶問題は、生命尊重と、選択の自由自体の尊さ、という原理的な価値の争いになっている。理想としては全ての命の尊重といきたいけど、現状の女性が置かれた社会では中絶も仕方ないよね、という実際的なグレーゾーンが排除されてしまうかのようだ。
ウクライナの戦争もそうだ。もとウクライナ大使の馬渕は、陰謀論が真実なのだと力説するが、その論法は、2次創作的である。一例をあげれば、9.11で崩壊したワールドトレードセンター跡地での新設ビルの名前はワン・ワールドトレードセンターだ、つまり一つの世界政府設立を企んでいる勢力があるのだと。名付けに関するやばい議事録でも出てくれば別だが、その想像的飛躍は、大塚英志が指摘したサブカル・コミュニティを成立させている熱狂と同質である。島田雅彦が、ディープステイトという用語を使用するのは、小説家としての想像力を使わなくては理解できない社会だと自覚的にである。
五野井氏の発信にあるように、現実の複雑さを単純に処理したくなる切迫さが、世界に充満しているのだろう。
宗教は民衆のアヘンであるという、そのアヘンを吸っていないとやりすごせない社会が全的になってきたのだ。
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