2023年4月15日土曜日

会合

 


 正岐は兄の慎吾のあとを追って、階段をのぼっていったのだ。

四車線の大通りにも、その歩道にも、大都会の活気があって、思いつめて目を怒らしたような慎吾や、気後れし、おどおどしたような正岐がふいに路地道に入っても、怪しいとおもう通行人はいなかっただろう。ハイカラな看板やいかついビルの厚みが、どこか人離れした雰囲気を靄のように広げて、頻りに行き交う自動車のエンジン音も蜃気楼のように立ち上がっては消えを繰り返し、街の空気には浮ついた感覚がつきまとう。何かを、誰かを注視し気にかけるような落ち着きはやってこない。

が、ひとつ路地道に入れば、高い建物に陽をさえぎられて薄暗く、いっきに瞳孔が広がり、目の焦点がひとつに絞られてゆくような錯覚におそわれる。突然、正岐は自分が問われてくるような気がした。慎吾は、行きなれているのか、下を向いたまま、ためらいもなく、古びたビルに入り、エレベーターではなく、その乗り口の脇に空いた階段の踊り場の方へ足を運んで行った。表通りの賑やかさとは打って変わった、その暗さと静けさは、踏み段にかける足の一歩一歩を、地につけていくような重さに変えた。重い足取りは、剥げかけた灰色の壁が作る年季のいった斑模様を背景にして、なおさらと正岐を自省的にさせた。

父が、言ってきたのだった。兄の様子がおかしい、と。正岐は、父から兄のアパートの住所をおそわって、尋ねてみることにしたのだ。兄の慎吾は、大学は文学部だったが、銀行へと就職し、そこから外資系の会社へと転職をしているはずだった。慎吾はちょうど、でかけるところだった。せっぱつまったような目で、これからメンバーたちの開く集会に行くところだという。教会のこと? と正岐がきくと、それとは違う、まだ立ち上げたばかりだから、俺といっしょならおまえも参加してもかまわないだろう、いやおまえも行ってああいう話をきいておいたほうがいいかもしれない、と付け足した。そしてふと我に返ったように、「俺はプロテスタントはやめたよ。だって牧師さんとか信者さんは、俺がワンコインしか献金しないと、露骨に嫌な顔をするんだぜ。カトリックはそんなことがないんだ。みんなおおらかなんだ。」そしてまたふいに、思いつめたように下を向いた。歩き出す。ぶつぶつと、ひとりごとを呟きはじめる。「俺のことなんて……どうだっていいんだ。社会を変えることをやらなくちゃ……」

正岐は、心配にもなり、ついていくことにしたのだ。グレーの背広姿の慎吾だったが、会社に行っているようには見えなかった。日曜日なのにそんな服装であること自体が、おかしい気がした。不安を安らげるためなのか、慎吾がキリストの教会へと通っていることはだいぶ以前に聞いていた。ならばそれとは違う、何か新興の宗教にかかわりはじめたのだろうか……慎吾は、幾度か電車を乗り換えて、都内へと入っていった。皇居にも近い、大木になった街路樹の並んだ街の駅で降りた。先に歩く慎吾の背中は、物思いにふけっていた。階段をのぼってゆくその後ろ姿も、言いたい事柄が渦を巻いて混濁しながらも、じっと口を閉ざしているようだった。

慎吾は錆て剥がれたところもある鉄製のクリーム色の扉の取手に手をかけると、鍵がかかっているかを確かめるようなこともせず、そのまま引っ張って開けた。

「風向きを変える必要がある」、島原史郎が、ちょうど口をきったところだった。カーテンがあるわけでもない南側の窓から、日光が差し込んで、部屋の中が広く見えた。日の指す窓側とは反対の壁際に細長いテーブルがいくつか押し付けられていて、中古のような折りたたみのパイプ椅子が、部屋に空いた中央辺りに適当に散らばっていて、数人の男たちが座ったり、立っていた。入口とは真向いになる突き当りの壁に、大き目のホワイトボードがよりかかっている。正岐が入った左手側には、湯飲み茶わんなどの食器をしまうらしい、人の背丈くらいの古びた戸棚がうかがえた。広くもないその一室は、他に家具らしいものもないので、だだっ広く感じられる。会社の事務所にも、会議室にもみえない、まだ引っ越し途中の部屋のようだった。

島原は、二人が部屋に入ってきたことも意に介さないように、そのまま話を続けていく。「……バブルがはじけても、自殺者が増えただけだ。実質を超えた信用の膨大、架空のマネーの全額返済は物理的に不可能だ。だから、資本主義の法則に、収奪と再配の塩梅を決めることのできる国家の法則が介入する。郵政を民営化し、年金や国民の貯蓄で外資株を買い付けるように法律を変えて、金を回して救うところと切り捨てるところを振り分ける。切り捨てられて地獄に落ちていく者を、まだ世間は見殺しにしているままだ。」

そこまで話して島原は、ようやくのこと慎吾の方へ顔を向けた。「よく来たな。ということは、覚悟ができたってことか?」そんな向けられた問いに、慎吾は島原をじっと見返したままで、答えなかった。間が一つあって、「まあいいだろう」と島原は言うと、一緒にはいってきた正岐に気付いたように、「誰だ、そいつは?」と顎をしゃくった。

「弟だ。社会勉強のために、連れてきた。」 慎吾ははっきりとした口調で言った。どこか口答えさせない気迫のこもったトーンに、島原はもうひとつ間を置くと、「まあいいよ。」ともらし、「よく考えるんだな。」と、念を押すように付け加えた。そしてまた集まっている者たちの方へ顔を向けて、話をつづける。

「だからこの体たらくな風向きを変える必要がある。フランシス・フクヤマは、ソ連と社会主義圏の崩壊に、歴史の終わりを説いたが、宣言できたわけじゃない。資本と国家の統制がほどよく民主主義的におさまって永遠に落ち着いていく、もう勝負はありえない、と認識したわけじゃない。戦争が、サッカーのワールドカップに引きこもっただけだ、と言ったにすぎない。人間は、復活する。」

 島原がそう言い切るように言ったところで、パイプ椅子に股を広げて座っていた大柄な中年男性が、言葉をはさんだ。

「人間が、いると? 資本と国家とネーションの三位一体の世界に、人間が入り込む余地なんてないでしょう。唯物論には、神もいなければ、人間もいないのでは?」と、論争的な意見を口にだしながら、鷹揚とした笑顔を浮かべた。

「肥田さんよ、別に借金を抱えているわけじゃないよな?」指さされて島原に言われた男は「えっ?」とのけ反るような驚きを示した。「ならばなぜおまえは、憂欝になるんだ? 死にたいなんて、ほざく? ほんとにそんな交換制度の理論で、借金取りに追われているわけでもないおまえの死の衝迫が解消されるというのか? おまえの抱えた問題が、解けるというのか?」

 口ごもった肥田さんと呼ばれた男に助け舟をだすように、その斜め後ろに座っていた、薄い長めの黒いコートのようなものを羽織った長髪の青年が、間にはいった。

「だ、だ、だけど…」と、その青年は口ごもりを払いのけるように言葉を継ぐ。「社会が変わってくれないことには僕なんかどうにもならないし、来るべき社会は、人の意志なんかじゃどうにもならないんだから、社会に不満を述べるくらいはいんじゃないんですか?」

 島原はどこかしどろもどろに聞こえる意見に「あっは」と一度笑ってから、「矢津らしい突っ込みはわかるが、社会に不満を述べていれば気がすむのか? ひとりや仲間内でつぶやきあって、自分たちに都合のいい社会がやってくるのを待っていると?」

 矢津と呼ばれた青年が黙ったままなのを確かめると、島原はつづけた。

「革命で立ち上がったソ連邦は、父殺しを完遂することなく自壊していった。冷戦の終わりを、アメリカがとどめを刺したわけじゃない。民衆が、皇帝の代わりに就いたエリートの息の根を止めたわけでもない。頭でっかちになった父は、自力では解けない問題を抱え込んでお陀仏に果てた。世界は、違う終わり方をした。だから、終わりきらなかった歴史を、もう一度喚起させる必要がある。サッカーに引きこもった男たちを、世界の表舞台へ引きずり、狩り出す必要がある。真剣まがいの勝負ではなく、本当の真剣勝負をさせるためにだ。革命社会からバトンタッチし、金融操作にうつつを抜かした、頭でっかちだと気づいてもいない無邪気なエリート世界に、まずは歴史を再導入する。」

「つまりそれ、」と、日の当たる窓際のほうではなく、日が差さない部屋の隅の方へ立っていたので気づきにくかった女性が、口をはさんだ。「反米愛国ってことじゃないの?」背筋をすっと伸ばした中年の女性だった。

「なんで愛国になるんだ?」と島原が問いただした。すると、女性の隣でやはり椅子に座らず、手持無沙汰なように突っ立っていた青年が、「やはりそうなるんじゃないですかね?」と割って入った。

「そのエリートって、まあアメリカ社会のことになりますよね。それに真剣勝負、つまり本当に命を賭けた戦争をのぞむって話でしょ。ならばナショナリズムになるのは必須ですね。」

 茶色に染めた髪を肩の上の辺りまで伸ばした中年の女性は、自分の話をさえぎった青年に不満を述べるのではなく、むしろほっとしたような明るい笑顔を浮かべた。「そうよね、槇原、そうなるよね。」

槇原と呼ばれたジーパンの青年が、それにまた言葉を足そうとすると、島原がさえぎった。

「戦争をするのは俺たちじゃない。国家どうしだ。俺たちは、そうさせるように動く、日本でなら、空気を変える、ということだ。」

 槇原は、「わからないですね。」と言う。「民衆の蜂起を期待して先走った暴力で孤立的に終わるか、前衛の革命が結局はナショナリズムになるか、って落ちにしかならないでしょ。」

「いつの時代の話をしているんだ?」と島原が槇原に問うた。「いまどき、そんな革命だの暴力だのに体張る必要なんかあるのか? ネットの情報操作で十分だ。空気を変えればいんだぜ? そして国どうしでつぶしあってもらう。世界も、自然環境も、ぼろぼろになっていくのは目に見えているじゃねえか。真剣勝負だ。そこでは、死の衝迫も生命力も、いっしょだ、同じことだ。」

「つまりそれ、」とまた女性が口をはさんだ。「赤ちゃんを産むってことなんじゃないの?」

 一瞬その場に間ができてから、島原がまた問いただした。「山田、なんでそうなるんだ?」

 山田と呼び捨てられた女性は、困ったように槇原の方を見た。視線を受けて戸惑ったように、槇原はしどろもどろに言った。「た、たしかに、お産は、真剣勝負ですね。死ぬか生きるか……」

「でしょ?」とその助け舟に、山田はまた嬉しそうに相槌を打った。

 槇原はその相槌に自信をもったように、言葉を付け足す。「赤ちゃんはビービー泣いて、ノイジーですし、世界を異質に開きますよね。戦争中でも交接があって団塊世代のベビブームにつながっていったのだから、死の谷を行くなかでの希望の原理になるかもしれないですよね。」

「いやだからそれも、」と、黙ってきいていた肥田が、言葉をはさんだ。「意識的にできるのはそういう贈与交換的な実践かもしれないとしても、結局は資本と国家とネーション的な三位一体の世界に取り込まれた話にしかならないんだから、絶望なんだよ。」と、正岐と慎吾が聞き始めた話の振出しに戻るような意見を述べた。他にも椅子に座っていた男たちがいたが、黙ったままだった。

「おまえら、」と少しの沈黙を破るように、島原が言った。「日本思想界のドンの話を真に受けることしか知らないのか? 制度になるようなでかい交換の力しか世の中にはないと思っているのか? 人間にとって、一番大切な交換は、なんだ?」

 島原は、そう問うて、一同を見回した。まだ夏には早い時期だったが、閉めきった窓のためにか、議論がすすむうちには、熱くなる。島原ははじめから、Tシャツ姿だった。ズボンは、迷彩色に似たグリーンのカーゴパンツなのだろうか。ベルトではなく、腰回りをズボンについた紐で結んでいた。シャツには、何かの漫画の絵がプリントしてある。

「俺が教えて進ぜよう。それは、唾液の交換だ。」 一瞬の間があって、こらえたような笑いが集会の中に広がった。

「だからそれ、赤ちゃんてことじゃないんですか?」 槇原が笑いながら質問する。

「違うだろ、」と島原は答える。「それは、精液の交換だ。つまりは、Cだな? 俺が言っているのは、ABCのなり染めのうち、初心さを失わないAの話なんだよ。まあDまでいって、来るべき赤ちゃんが到来する、と認めてやってもいいけどな。しかし大切なのは、あくまで、Aだ。」

「だからそれは贈与でしょ。」と肥田が言う。島原が反論する。

「贈与というのは、氏族社会がどうのと、大きな物語の、制度上の話だ。氏族とは、はやりの家族人類学者によれば、民間の軍事会社のことにすぎない。」

 島原は説明する。肥田は食い下がるように言う。「そうだとしても、それを高次元で反復することが必要なんじゃ…」

 島原はさえぎる。「高次元って、なんなんだよ? ABCD、ってアルファベットにメタレベルってかい? まさに世界の独占企業の発想だな。だからノーベル賞に値するんだろうね。極東にまで伝播したABC哲学の成れの果ての白骨化だ。頭でっかちな、形而上学的な空回りなんだよ。俺が言ってるABCは、まさに男女の、肉体をもった人間関係のABCであり、Dである。人間ならざるものたち、微生物やウィルスを取り込んだ身内にこそある多世界との重なりこそが、俺たち人間を発生させる自然的条件の基盤だ。病気もうつるかもしれない。がそれを乗り越える抗体の発生は、超人思想を産まない、あくまで、強じんな体を作っていくだけだ。」

 槇原は、「ディープ・キスが必要ってことですね?」と真顔になってきき、隣で座る山田を見た。「ふざけんなよ。」と山田は槇原をにらんだ。

 島原は冗談のような話を打ち切るように言う。「それは喩えだよ。こうやって話しているだけでも、すでに他人の持っている微生物やウィルスを交換しあっている。感染しあっている。それぞれが、腸内やあちこちの体内で、それぞれの生態系をもっている。その多様さは、固有のものだ。セックスで赤ちゃん作るのが大切だからと、その生産主義が試験管ベイビーやクローンの技術にたどりつくのじゃないか。赤ん坊ができればいいのか? その人間の世代交代が歴史だというのか? もっと、内省させる。生と、死を、考えさせる。……ここからは、時枝に話をしてもらう。」と、島原は、窓のある方の部屋の壁際の隅に、パイプ椅子を運んで座っていた男の方を向いた。日差しの向こうの影に入っていたので、ドア近くに立ち尽くしていた正岐の所からはほぼ正面にあたるのに、目立たず、そこに人がいたことに気付かないでいた。薄いスポーツ風の紺のジャケットに、同じ色の紺のスラックスを穿いて足を組んでいた男は、椅子の背もたれに体をあずけ、青いシャツの前で腕組みをしながら、慎吾と正岐の方を向いていた。が、こちらを見ているのかはわからない。

彼が、時枝兆輝だった。

 島原から名前を呼ばれた時枝は、組んでいた腕をほどいた。「まだわかっているわけではないが」、と広げた腕の右手の人差し指をたてた。魔法使いの指のように、それはやけに長く感じられた。枝先に止まった蜻蛉の目の前で、子供たちがそうするように、垂直に伸ばした指をゆっくりと回しながら、語りだす。その落ち着いた声も、催眠術でもかけるように、腑の底に落ちてきた。「わたしたちの意識より先に、彼らが反応している。その反応は一様ではない。彼らのそれぞれの世界が、反響しあって、その重複による重力的効果が、わたしたちに意識されるにすぎない。バタフライ効果と言われる仮説があるが、何も宇宙の果てや地球の裏側の世界での出来事の波及がわたしたちにやってくるというわけではない。わたしたち自身が、身体内部での多世界の波紋であって、バタフライ効果そのものだ。わたしたちがしなくてはならない内省と遡行は、そうした次元にかかわる。」そこで、回っていた指の動きが止まった。同時に、ゆっくりと、花が自然に開くように、グーに結ばれていた左手が開いた。「唯物論は、あくまで人に観測されて物質化された世界での構築物をあつかっているにすぎない。アインシュタインは、量子力学における観測問題を受けて、ならば人が月を見ていない時は月は存在していないのか、と問いかけた。その後の量子観測は、まさにそうだということを実験証明した。だから、量子コンピューターなどは、もう量子を見ること、観測することを敢えてしないようにして、まだ物質構築される以前の情報の確率的な複数世界を生け捕りにしようとする。が、その方策自体が、相も変わらない人間理性の横暴である。なぜなら、人は月を見たり見なかったりするかもしれないが、その身内に住むウィルスや微生物は、そもそも月を観測していないからだ。だから彼らは、まだ物質として存在していない月の波動情報をそのままとしてキャッチしている。だから、わたしたちは体の中では、月を見ずとも、その存在を前提できている。月の満ち欠けに連動する女性の生理のことを思えばいい。あるいは、海の干満。それが引力や重力によるとする理解こそが、本末転倒だ。重力自体が、彼らの世界の重なり効果なのだ。そこにおいては、生命と物質の区別はない。みな無に帰している他なるものたちの交流だからだ。」

「多世界を認めるとしても、」と槇原もまた右の人差し指をあげて、時枝を指さしてさえぎる。「その重なりが重力を発生させているなんて、科学的に証明されていることではないですよね?」

「もちろん。」と時枝は応じる。槇原が指して来た指の方向をキャッチでもするみたいに、開いていた左手を閉じた。「観測したらわからなくなる、と科学が証明しているのだから、そもそも、人にわかることではない。重力という単位自体が人間にとっての観測結果であって、仮構にすぎない。しかし観測前のものとして想定されてくる世界は、物自体として、人を統制していく理念と仮構されているわけではない。相互作用があることは、推定できるのだから。現にそう交流して生きていることを、わたしたちは知っている。」

「アニミズムですねそれは。」と槇原が人差し指を鍵のように曲げて答えた。「そもそも、量子論は、ホーリズムと親近性がありますからね。万物に霊が宿るスピリチュアリズムでしょ。」

「スピリチュアリズムとは、」と肥田が加えた。「資本による交換Cが趨勢の社会産物にすぎない。」

 時枝は、今度は閉じた左手の人差し指を伸ばして、伸ばしていた右手の人差し指をしまった。そして伸ばした長い指でリズムでもとるように、上下にチクタクと振った。

「人の社会に生きているのだから、そう言ってもいい。がなんでそう解釈する必要がある? 人が緊張関係で熱くなるのはどうしてだ? 腕力や言葉のやり取り以前に、赤ん坊がある人を前に突然と泣き出すのはなぜだ? それも、霊の力によるのか? それとも、物理作用で熱が発生すると理解するのか? わたしたちはわざわざ、そんなことは考えない。」

「か、考えないほうが、いいですよね?」と矢津が相槌を打ち、「禅問答みたいだな。」と肥田がもらし、「龍樹の『中論』が量子論を一番言えてる哲学だという話もありますからね。」と槇原が応じる。その間、島原は椅子に座ったまま、腕を搔いていた。

 時枝はチクタク動かしていた指を止めた。すると右手の人差し指も立てて、その伸びた両の指を、皆の方へと向けた。「科学が真理を追究するように、わたしたちもこうして、真理をめぐって議論している。ではそのそもそもの衝迫はどこからくるのか? 我が子を事故なり事件で亡くした母親は、なんでそうなったのか真実が知りたいと迫る。その衝迫はやみがたく、果てしない。どんな解釈を提示されようと、納得することはない。まだ真実がない、とわが身をすり減らしてでも真理を追究する。ならば答えは、真理をめぐる解釈、真実ではない。その衝迫がどうして起きたか、ということだ。楽園喪失したからか? 失われたものを、回復したいということなのか? 亡くなった我が子を、取り返したいということなのか? しかしそれは不可能だ。失ったのが、我が子だったのならば。しかしその衝迫は、あくまで衝迫なのだから、なだめることはできる。どうやって? 我が子が亡くなってはいない世界を作ることによってだ。社会を変えるということは、この可能なる世界を回復することに他ならない。」

「そんなこと、できるの?」と山田が口をはさんだ。「死んだ赤ちゃんがよみがえってくるなんて、逆に恐いわよね。」

「生きてても死んでても、同じなんだよ。そう言ったろう?」島原が、割って入った。「たとえばこう」と、島原はまた左腕を右手でボリボリと掻いた。「こうやって痒いからとひっかいて、いったい何匹のウィルスやら微生物が俺の体から亡くなっているのかわかりはしない。こんな程度で俺の意識は悲しむことはないが、バタフライ効果なるものはあるだろう。失われた世界は、確実にこの俺に、つまり俺の固有世界に影響を与えて変革を迫っていることは、推定できる。科学では、そんなことは証明できない。が科学の知見から、推定できる。そしてひっかきだされたウィルスや微生物とともに、彼らと共にあった俺の固有世界は失われている。が、その死の中にあっても、俺は生きている。生きているという感じ自体が、新しい可能なる世界へ向けてのバタフライ効果だ。ということは、生も死も、過去も未来も、可能性も現実も共存していることになる。」

「ぜんぜんわかんない。」と山田がせまる。「だってそれ、ぜんぜん慰めになんてならないじゃん。」と隣に立つ槇原の方を見た。「赤ちゃん亡くしたお母さん、なだめてやるんだって、さっき言ってたわよね?」

「言ってた言ってた。」と槇原がうなずいた。

「だから真剣勝負を喚起する必要があると言うんだよ。」と島原は躍起になったようにつづけた。「これを単なるお話と聞いている状態だから、慰めにもなだめにもならないんだよ。戦場で戦う兵士は、自分が死ぬことともに生きていることを突き付けられている。そこでは、そう自分をなだめる以外にない。しかしウィルスや微生物にとっては、その真剣勝負は日常茶判事だ。危機に陥った母親は、真理とは何かと衝迫にかられる。しかし、今の科学はどうだ? 科学者はどうだ? 真理なんてそっちのけで、使えりゃいいと産業技術者になり果てている。そんな体たらくだから、失われてゆくものたちへの共感もない。慰めにならないのじゃなくて、慰めがいらない、その必要性に気付けない、ということだ。だから、気づかせる。風向きを変える。空気を入れ替える。そのために、」とそこで島原は時枝の方を振り向いた。「王殺しを、復権させる。」

「王って、王様のこと?」と山田が言うと、「しょ、将棋の駒ですよね」と矢津が言い換え、「天皇のことか?」と槇原が敷衍し、「大逆事件でも起こすと?」と肥田が総括した。

「だから、」と島原が口をとがらせて、また皆の方を向いた。「もうそんなおおげさなことはいらないんだって。メディアに騒いでもらえばいんだから。」とそこで、奇妙な間を置いた。それからやおら、慎吾の方へ顔を向けた。「といっても、少なくとも、やることはある。命がけの飛躍をな。息子の前で首吊りする父親の自壊を繰り返えさすのではなく、自らの手を汚す、古典的な実践をな。」そして、慎吾をにらんだ。「戦争は、それからだ。わかるな?」

 慎吾は、部屋に入って少し進んだところで突っ立ったままだった。面持ちは真剣だったが、皆の話を聞いていたのかどうか、斜め後ろからその横顔をうかがうだけでは、正岐にはわからなかった。

「もちろんわかってるさ。」と慎吾は語気を強めて言い返した。「俺は、やる時はやるよ。」

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