岡小学校の校庭=サッカー場 |
「要するに当時の指導者は子どもが育んだ発想を潰さなかった。頭ごなしに叱り付けたら可能性は縮まってしまう。そういう知恵みたいなものや発想の柔軟性みたいなものはこのとき身に付けた。…(略)…指導者は子どもに考えさせることを覚えさせれば、あとは子ども自身が好きなものを見付けてやっていく。サッカーは一がわかれば、二、三、四ってわかっていく。でも最初の一がわからないと何もわからない。だけどその一を教えるのは難しい。当時の指導者たちが凄かったところは、それを何もないところから見出したところ。あの方たちは物事の本質や人間というものが本当によく見えていた。そんな部分はいまの自分の中にも生きていると思う。」(梅田明宏著『礎・清水FCと堀田哲爾が刻んだ日本サッカー五〇年史』 現代書館)
静岡は旧清水市を中心とした草サッカー大会への四泊五日の応援から帰って来た。息子の所属する新宿内藤チームの成績は、256参加チーム中39位というものだったらしい。結果よりも、親としては、一人ひとりが自分の持っている力を全部だしきって、チームとしては持っている以上の120%の力を発揮する子供たちの姿がみたい、「火事場の糞力」みたいな、とは、娘を送り出している父兄の一人と確認しあったことだった。が、なんかそうした頑張りには遠く、「ここまで来て、なにも変わらずに東京まで帰っていく可能性もありますよね」、とも話した方での成り行きだったような。実力相応というよりも、勝ちあがっていった最後2試合はPK戦。運よくここまでいったな、とりあえず、歴代の代表とくらべても3位、と結果は恥ずかしくはない。が、その中身だ。「イツキがベンチからまだまだだぞ!、 と声張り上げても、試合に出てる選手が誰も答えない。人をあげつらうような口ばかり達者で、頭でっかちで、簡単に見切ってあきらめてしまう、そういうのずる賢いっていうんですよ。」と娘を送り出している父兄は言う。「勝ち負けの結果よりも、一生懸命頑張れるチームになってほしいですよね。」と。
日本ではサッカー王国と呼ばれた現静岡市内の清水区にまで長い応援にでかけてみようと思った理由のひとつは、上記引用にもあるサッカー地区の歴史を、肌で感じることができるかな、それで何か見えることがあるかな、という動機だった。見えてきた、といってもいいのかもしれない。おそらくそれは、小学校単位でのクラブチームに残っているのだろう、指導者の姿だった。新宿が宿舎に到着してすぐの練習試合会場及び相手チームの、岡小サッカースポーツ少年団、そして最初の公式ミニカップリーグ戦の会場となったチームの飯田東小のクラブ、両者はいい結果を残しているわけではないけれども、引用した風間氏の指摘した精神が継承されているように見えた。岡小の少し高いだみ声をひびかせながらのコーチ、主審をする自分のもとにいま教えたい選手にビブスを着せて、フィールド中央から全体をみせながら語りかけるような愛情に満ちた姿、飯田小の試合前アップ練習では、コーチが自らキーパーをしながら、放たれたシュートをはじきながらその一球一球を語っていく様子……結果を残していくチームのほとんどは、スクールあがりのクラブチームだ。優勝した新座片山は、ちがうかもしれない。同じ宿舎になった一希は、その名物監督・鬼コーチを間近に見て、「見るからにこわかった」と言っている。食事も、他のチームの子らがふざけあいながらのなかで、一丸と黙々と食べていたそうだ。そこには、子供のひとりひとりの存在を肯定してくれる確固さとしての愛情がある。
新宿の代表チームに欠けているのは、まず技術以前に、それを身に付けていく前提として必要なその愛情、信念、自信だ。自分のやっているプレーに、自信がもててない、これでいいのかな、と不安のなかでやっている。私には、こうした症状は、応援にくるのがほぼすべて母親で、父親の影が薄い、そうした環境要因的なメンタリティーに起因しているようにみえる。それは以前から感じていたものなので、今大会は黙って観戦しているだけでなく、東京ではリーグ優勝を争うチームコーチ然として、声をだそうとおもっていた。女性のヒステリックな悲鳴ではなく、男性の声・トーンを耳にするだけで落ちついてくるだろうと。背番号10がゴール間近でシュートをはずす。メンタル的な問題ではない。ラストパスの角度や相手の体の入れ方からして難易度が高いのだ。が、次の瞬間、「俺はだめだな」というように肩を落とす仕草がみえる。「OKだ! それを続けろ! 次入るぞ!」と声をだす。すると、最終ラインに残っていたキャプテン、チームメイトをあげつらって不平不満ばかり口にだして若い監督からもしぼられているキャプテンがこちらに顔を向けて反応し、つぶやくように繰り返す。「つぎ、はいるぞ。」……10番は、父兄との懇親会のとき、「自分は決定力がないので、それをつけたい」と言っていた。試合中でも、母親があいつがあすこではずすから、とよくこぼしていた。母親のそんな愚痴をきいてすりこまれてしまったのだろう。そしてチーム全体がそんなふうに。だから、その結果のでなかった自分たちのプレーを、いい悪いではなく、ただ肯定していく声の抑揚に、キャプテンはたまげたのだ。そういうチームでも、それなりの賢さと技術があれば、それなりの結果は残せる。しかし、その先に進めるだろうか? なんとなくついていく自己愛的な技術ではなく、殻を破っていくような飛躍していく成長。その頑張りを続けていくためには、心がしっかりしていなくては、結局自分のそのときの限度に直面したとき、これは無理だなと賢く立ち回って、くじけてしまう、ということになっていることにも気付けない。
いま手倉森監督がひきいるオリンピック世代の日本代表、すごく大人しく、黙々と練習する真面目な選手がほとんどだそうだ。だから、監督は敢えて、ユース出ではなく、大学クラブ活動出の遠藤選手をキャプテンに据えたのだそうだ。それだけでは、チーム力が発揮されないだろうと。少年チームにも、似たような症状がつづいていないだろうか? スクールクラブの若いコーチは、なにか若手官僚のようにみえる。情熱的だが、考えている幅が小さくみえる。黙々と真面目に技術習得に集中する環境に欠けているのは、人に共感する、他人と力を広げていく作用だ。その感化する力を、テストの結果だけをめざしていたわけではなかったかつての熱血教師、堀田氏のような存在の雰囲気が、なお清水地区に残っているように感じられた。むろん、人格の大きさが、人々に影響を与えてしまうような世間的社会は、とくに政治の世界では、むしろ排除されてきた不可逆な歴史かもしれない。しかし、肯定的な感化作用を根底で欠如させた合理的な社会には、割り切った人間関係があるだけで、それしか知らず育った子供たちが、この不合理に満ちた世界で、やっていけるのだろうか?
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