2017年1月1日日曜日

初夢から

「われわれには、「教皇はそう言うが、聖書にはかく言う」という形で、憲法をもって絶対の権威に抵抗したという歴史は、ありそうに見えて実は存在しない。「法」は、ミュンツァーを生み出さず、千年至福的エネルギーで市民革命を追求するという衝動を起させない。というのは「法」はいわば合理性の象徴であり、それは非合理性の”制御”とはなり得ても、それ自体が、何か改革さすか、あるいは自らを破滅さすかの”力”とはなり得ないからである。従って「不磨の大典」をあるいは「平和憲法」を守るという意識自体が、その制御装置がある”力”に破られるか、一部破られているか、いまに全部破られそうだという意識ではあっても、一つの新しい合理性への追求に、一つの非合理性が”力”として作用しているから、その”力”には新しい合理性という新しい制御装置が必要だという意識ではない。」(山本七平『「空気」の研究』 文春文庫)

夜半にトイレに行って時計をみると、三時半すぎ、ということはと思い起こした。「さっき見ていたのが、初夢になるのだな」。寝床にもどって、枕元の電灯をつけて何を見ていたのかメモしようとした。目覚めたそのままで意識化しようとしたわけではなく、すでに日常の意識にもどって無意識に忘れようとした一時のあとだったから、判然としない。ただ奇妙な夢だった。その雰囲気は、『マトリックス』か何かのSF的な映画に似ていた。実際、私達は、黒いスーツを着た相当数の男たちに連行されたのだった。

私達とは、夜勤の荷物担ぎのバイトで仲がよくなったペルーの友達らとである。彼ら数人と、中学の頃の部活動で使っていた、河川敷の野球グランドの淵を歩いていた。土手へと向かう草むらにできた道の向こうから、黒服の男たちが一列に並んで、その土手の坂道を降りてこちらにやってくるのが見えた。警察だということが私にはわかった。「テイコウ、という言葉を使うと、日本ではつかまりますか?」と、隣を歩いていたラファエルが私にきいてきた。警察の男たちが私達の所までくると、ひとりが私に何か尋問し、私達はそのまま土手の方へ連行された。途中、私は私を連れる男に、女房が朝のトレーニングに私が出かけているのを知らないから電話をかけると断り、携帯をかけた。朝の6時5分だった。その横を、キケか誰かが、やはり携帯電話をかけて私を追い抜いて歩いてゆく。それをみて、私はまずいとおもった。警察に誤解されるだろう、そして私が電話をかけているのを見て、彼らは私を裏切者と誤解するだろう、という考えがよぎった。この場面の前で、私達はどこかで、もしかしてペルーの一室で、何か密談らしきものをしていた。「フジモリ」、そんな言葉があったような気がする。

いやそもそもそんな場面の前に、私は、学生の頃住んでいた上落合のおんぼろアパートからどこかに引っ越そうと、東京の街を歩いていた、かもしれない。(この夢は実は、その夜すでに見ていた違う夢なのかもしれない。)若いころから何度かみている、東京駅まえのビル街から、池袋のほうへ抜ける道を歩いている。そしてこれも何度か夢でみている、その駅ホームで迷ったすえにその迷う世間知らずさを隠すような気分で、人混みに流されながら、何番線だかのホームの階段をおり、、埼京線のようなものに乗って、しかし今回の夢では、すでに以前の夢で迷ったことがあるとわかっていたので、その意識をもって、すぐに次の駅で降り、意図どおり池袋の高層ビルの前へと出れたのだった(しかしその街の風景は、実際の池袋とはだいぶ違うが、サンシャインと西武百貨店前を重ねたような映像かもしれない)。以前の夢ではこっちへいってだいぶ遠回りして行ったものだったな、と私は思い起こして、高層ビルの周りを迂回するのではなく、その中を通り抜けていくような道を選んだ。

その夢の場面と一続きだったのかは判然としない。が私は、そうやって都会の街を抜けていく近道を選んで、裏街の路地道のようなところに入ったのだった。そこは、ソウルに行ったときの、オンドルのある旅館へ続く路地の雰囲気に似ていた。まるで茶室のように、その露地路のように枯れ木が風情よく斜に傾いた部屋の脇を通ったとき、新しいアパートはここがいいな、とおもう。ちょっと通り過ぎてから思ったので、私はまたその路地道を引き返した。その場面との一続きだったのかはまた判然としないのだが、私は上落合の古いアパートの自室にたたずんでいた。隣部屋との共同トイレにいけるドアを開けると、隣の部屋の扉が開いていて、私はそれを押して中をのぞいた。蒲団が敷かれていて、髪がぼさぼさの年老いた男が寝ていた。ホームレスだということがわかった。私は彼に何かを言ったかもしれないが、そうして自室に戻り、いまのホームレスが、内山隆氏か、飛騨さんに似ているな、と思った。いや「似ている」と思ったのは目覚めてからで、夢の中では、誰かと受け止めることもなかったとおもう。私が目覚めたのは、この古いアパートのトイレを使用としたからか、思い出せないが、私は目覚めて、トイレに行ったのだった。……

私がなんでそんな初夢を見たのかはわからない。最近の夢は、ここまでストーリ性はなかったとおもう。むしろ、目覚めても夢をみていたことさえ覚えていなくて、だから気にもしていない時のほうが多い。それぐらい、いまは健全に近いのだろうと思っている。今度のも、初夢という縁起がなかったら、小便とともに流し忘れていっただろう。しかし逆に、健全であるからこそ個人的な精神分析的範疇を超えて、どけて、より思考的な、つまりは自分がいま何を考え、考えようとしているのか、その材料の扱い方とかが見えやすくなっているのかもしれない。

本年からは、自然災害だけではなく、人為世界の災害世界にも、当事者として日本本国が参与していくようになる気がする。9.11はなお対岸の火事的であったが、今年からは、そうもいかなくなっていくような気がする。庶民の一人として、無事息災を祈願する。

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