2021年7月2日金曜日

『NAM総括 運動の未来のために』(吉永剛志著 航思社)を読む(1)

 


吉永さんとは、面識があったような、とおぼろげな映像が脳裏に浮かんでくる。ひとりではなく、もう一人の誰か、二人でいっしょにいて、こちらと挨拶をかわしたさいの立ち姿だ。宮地さんとふたりで全国集会に向かった、と本書にあるから、隣にいたのは宮地さんなのかもしれない。お顔は、まったくおもいだせないのだが、その会ったことがあるはずだという記憶を確認しようと、NAM事務員のころ使っていたノートパソコン、パソコン用の手提カバンにはいっている、そのカバンの表側についた物入から、数枚の紙きれをとりだした。20026月の全国集会あとの、評議員や事務員が参加した会議の場で、各自が住所と氏名を記入した用紙のコピーがとられ配布されたものが、そこに残ったままのはずだったからだ。柄谷行人らの自筆サインにまじって、吉永さんの署名もある。ならば、もっと記憶にあっていいのにとおもうのだが、そこで何が話し合われたかさえほぼ皆無な記憶だ。

 

NAMで私が関わったことどもの記憶も、20年近くがたって、きっかけがあたえられなければ、思い出すのも難しい。手元にのこしてあるパソコンから、当時のメールを再読することもできるし、事務員のさい、京都での事務局長だった杉原さんが、記録に残っていたメールや会員名簿などのはいったファイルを作って、新東京事務局に送ってくれていたものも保存されているはずだから、パスワードをおもいだせれば、私が参加する以前のNAMの当初から解散までの顛末が反映されたMLリストが閲覧できるはずである。しかしもちろん、そんなモチベーションはない。が、それがないのは、もう終わったからではなく、私のなかでは終わってないので、振り返る必要が邪魔になるからである。そういう意味では、いまなお反芻している記憶はあるのだ。

 

たとえばその全国集会あとの会議での、たしか休み時間だったとおもう。ラウンジのソファで、会計係であった当時まだ20代前半だったであろう関口君と休んでいると、柄谷がやってきた。たぶん、会議でも、NAM会員の年会費の件が話し合われたのかもしれないのだが、いきなりこう切り出したのだ。

「会費を無料ではだめなのか?」(言葉は正確ではない。)

私は一瞬きょとんとしたが、関口君がすぐに、「それは無理です。」と返答した。ちょうど私たちが、倉数さんが事務局長になった新事務体制が直面したのが、会員更新に伴う年会費徴収手続きだったからだ。たしか、財政の帳簿みたいのをみて、私が、このままの推移だと、予算がなくなって、サーバー代金など払えなくなるのじゃないか? と事務所メールで問題提起したのではないかとおもう。それに対し、たしか倉数さんは、そうですね、だから1万円にしたら、とか返信したような。さらに、現在はコンサルタント会社の社長をやっているという生井さんは、いや10万円でも高くない、とか言い出して。記憶間違いになっているかもしれないが、そこらへんから、いったいどういう感覚の人たちなんだ、と私が突っ込みメールを書きはじめ(あとで倉数さんから直接、人格破壊だ、とかの批判をいただくことになったが…)、そもそも事務が決める話ではないのだから、財政のシユミレーションを作って評議会に問題提起したらどうなんだ、という話になったとおもう。(本書によると、二千円から三千円の値上げになっている。)しかもそこに、近いうち導入するかもしれない地域通貨Qとの組み合わせと、どう事務作業を簡略化するかの話が付け加わっていったような。そういう背景の中で、柄谷の、「無料」という提案が、私的な場面でだとはいえ、投げ出されたのだったとおもう。だから、もしかして、円では無料で、すべてQでの年会費でいいのではないか、という含意だったのかもしれないのだが、記憶ではわからない。

 

しかし私がここでそんなエピソードを引き出したのは、埋もれた一場面を紹介したかったからでなく、NAMの解散にいたる、いわゆる左翼運動の「生々しさ」の伏線として喚起されてくるからである。Q組織のどさくさがNAMに波及して、もう表のメールでは何が起こっているのかさっぱりわからなくなりはじめた頃だったろう、旧事務員としてなおオブザーバー役で評議会などのセンターメールを閲覧できた私の見れる何かのメールリストに、「スターリン主義者」だの、「こんな奴に乗っ取られたNAMはもう終わりだ」(言葉は正確ではない)、と、抜粋された文章が、誰かから、どこかから、転送されてきたのだ。私は直観的に、「スターリン主義者」の「こんな奴」とは、私のことだろうと推察した。そして即座に、「これが私のことであるのは明白です。以後慎みます。」とオブザーバーであることを超えて返信した。あとから考えて、摂津さんのことかな、とおもいもしたが、むしろ、私が見ることのできるところにわざわざ転送したのが、摂津さんだったろうとおもわれた。私の勘違いではなさそうなのは、あとで、なお芸術系のプロジェクトで残っていた岡崎乾二郎さんらとの会合で、田口くんからその柄谷の口真似で揶揄されもしたからである(半分は、冗談でだが)。

 

柄谷は、Q組織では、実務をになった事務労働側についたわけだ。がNAMでは、事務側を批判する権威側の立場にたった。そしてその事務を仕切って影響をふるっているかのようにみえた私をやり玉にあげるシーンがでてきたわけだ。全国集会での会議をこえて、私と、会計の関口君のところにやってきたのは、そのときすでに、そういう認識の下地があったということだろう。常識的に考えて、社会的立場としても日雇いのような植木職人にすぎない私が、NAMを仕切るとか乗っ取れるとかありうるはずもないはずだが、そう思いこむのには、ジャーナリズム世界で著名な活躍をしている者の被害妄想なんだろうな、と私は思う。そう思わせる伏線については、あとで言おう。(というか、すでに似たようなことは、摂津さんが主宰したHPかどこかで提出してきている記憶があるが…)

 

ここにある事態を一般化して、吉永さんの言葉で引用付言してみれば、

 

NAMはヴァーチャルだから、現実の社会的諸関係から脱しようとする自律した個人の集まりとされた。しかしそれが集まってプロジェクトを作るとなると、それではすまない。誰もがアドヴァイスやコンサルティングや社外取締役的な立場に収まって発言するだけであれば、それは気持ちがいいだろうが、そうはいかない。どうしても、使う、使われるの非対称な関係が発生する。現実の場であるので、使われる側は定常的な実務が、使う側はリアルな責任が発生する。…(略)

 QとNAMの対立のきっかけも私見では以上のことが原因だ。しかしこれは一般にそういうもので、これに処するにはもはや理論や組織技術、政治技術ではなく、人の器・度量しかないのかもしれない。理論的あるいは経験的に豊かな人に教示を請いたい。私にはここまでの認識が今のところ限界だ。>(p273~274)

 

しかし私の認識では、吉永さんが本著作の最後で希望的にとりあげた岡崎さんが主宰していた、芸術系プロジェクトも、結局はそこで自然消滅になったのだ。岡崎さんは、柄谷はニコニコしていなければならない、とか言っていたし、岡崎さんは、おおらかな人である。私は、だからそれは、「人の器・度量」が問題なのではない、と認識する。「使う、使われる」という用語は漠然すぎて、私のこの件での感覚ではもっと狭く、ヒエラルキーという用語をしたくなるような構造がはらむ問題だ。広い用語でなら、知識人と大衆とかといったほうが近くなる。インテリ同士でプロジェクトをくむ、たとえばこの吉永さんの著作を編集していくような作業ならばまだ成立しても、どんな相手なのだかはっきりしない匿名的な人たちを集めた組織で、フェアな関係を目指してことをなそうとしたら、認識差や動機の温度差が生じてくるのは不可避であろう。Q組織でどたばたがはじまったと伝え聞いたとき、私はそれはNAMに波及し、いずれはRAM(芸術系プロジェクト)にも来るだろうと認識していた。金太郎飴みたいに、どこを切っても同じにみえたのである。そしてなんでかは知らないが、私は知識人と大衆を媒介するような位置にいるようだったので、私が手をひけば、両者がバラバラになって、もとの理念としての組織形態は解散する方向にぶれていくことになるのは論理必然だろう、と洞察していた。そういう意味でなら、柄谷が「こんな奴に乗っとられたNAMは終わりだ」との認識は正解なのだろうが、それは、私のあずかり知るところではない。

 

柄谷は要するに、NAMでは最後、大衆を切り捨てて「前衛」でやり直すと言ったわけだ。あのメールでの謝罪後、沈黙を決めこんだ私は、若い関口くんに、いまごろ柄谷はNAMを解散して新しいNAMの合作をしているとおもうよ、と言い、関口君は「そんなことはありえない」とびっくりした返答をしたことがあったが、吉永さんの著作で、浅輪さんを担いではっきりとそう動こうとしていた、とあると確認できる。が、この著作では触れられていないが、新代表の田中さんは田中さんで、柄谷を切って、NAMに集まった人たちと再結集した運動組織をたちあげる合作もしていたはずだ。そういう証拠をたまたま東京の事務所で私がみつけた、というような文もどこかに書いた覚えがある。

 

しかし以上のような問題点も、吉永さんの大枠の問題、<「権力を特定の人間に集中させない」「中心があって中心がない」という組織を作ることの圧倒的な困難>、ということに帰着するだろう。が、私が言っているのは、それにも、前提がある、ということだ。「前衛」的に、意があらかじめある程度は通じ合えるインテリの間でだけでなら、それは可能ではあるだろう。それが「困難」になるのは、匿名的な大衆なり民衆を巻き込んだ組織でありたいのならば、ということだ。そして私自身は、その「困難」を回避した「前衛」になど、興味がない、ということだ。

 

NAM内でのメールでも私は言っていたとおもうが、『原理』がめざす組織は、要はフリーメーソンみたいなものでは、というのが、私の解答だった。ただ、秘密結社ではないメーソン、貧乏人でもはいれるロータリークラブ、といったイメージ。ボスのいないイタリアのマフィア組織、といってもいい。ネット組織上の前例では、「副島隆彦の学問道場」などがうかがえるが、中心がある、ということになるのだろう。

 

<NAMは「NAM原理」の承認(「契約」といわれた)に基づく個人の自由連合だったわけだが、その妥協を許さない最大限綱領たる「NAM原理」から「外」に出ることで、現実の文脈との妥協を伴いながらの闘争が可能となる。例えば「NAM原理」では、「議会による国家権力の獲得とその行使を志向しない」とされているが、議会制民主主義へのはたらきかけを目的とするプロジェクトも充分可能だ。わりと柔軟だったのである。>(P272から273)

 

私が重きをおいているのは、吉永さんの上のような注釈の部分になるのだろう。「中心があって中心がない」というよりも、「在野」があって、その関係の濃密度なところが、中心的に働く、そのように見えてくる、という感じだ。だから、吉永さんは、「現場」というと、活動家の現場のこと、つまり対抗運動の「中心」としてなりうるものを掲揚しているが、私の「現場」は、あくまでそこらの資本主義下の労働現場そのものみたいなものだ。そこで、矛盾がでてくるのだから、そこで闘うという大衆の当たり前が前提ではないのか、と。

 

もう少し比喩をつかえば、国家官僚の佐藤優がNAM会員であったとしても、それは会員本来の姿でもありうるのだ。私は佐藤優にはむしろ批判的であるけれども、いまはともかく、外交官だった当時、彼は柄谷の著作や認識思考を使用・利用しながら活動していたという。解散後、柄谷は佐藤とも何度か対談している。彼がNAMの会員であっても、驚くには値しない、というのが私の理解だ。彼はキリスト教徒であるが、NAMには、仏教徒のお坊さんだって入会していた。それらがどういうことなのか、そっちの在野の意味をくみ取って考えるほうが、私には大切なことであり、その現実受容がなければ、頓珍漢になるのではないか? 吉永さんは、「中心」のモデルとして、湯本さんをとりあげているようにみえる。岡崎さんの芸術系の会合での報告によれば、湯本さんは、その後イタリアの修道院にはいってしまった、あるいははいろうかと言っている、みたいなのがあった。私には、チンプンカンプンな世界の出来事だ。湯本さんとも、たしかTQCのイベントでか面識があって、こちらの記憶は、その顔がはっきりしている。たしか、背が高くて、上から私をみおろしていた。その静かだが鋭い眼光は、私を吟味するようだった。

 

この吉永さんの、この著作を紹介するブログに、編集にたずさわった若い研究者の考察が紹介されている。そこでは、東浩紀のツイッターからの文句が冒頭引用されて、その「ゲンロン」での、「批評空間」でなされた以後の批評・文学史のことが言及されてもいる。私自身のブログでも言及したことがあるが、その東の現代文学・思想・批評史には、佐藤優の名はない。しかし好き嫌いはともかく、中上健次の後釜は、佐藤なんだ、というのが私の理解の仕方である。もう、基準の違う見方をしなくてはならない。というか、そもそも、NAMを、その「原理」を、そう取り込める広さであらかじめ読んでいた、ということでもあるのだろう。

 

柄谷本人はどうだか、知らない。

長くなってしまったので、いったんここでこのブログを閉めるが、以上のようなことは、すでにどこかで、摂津さんの主催したHPなどで言及してきたことである。まだ、以前への言及を繰り返さないと話を作れないところもあるが、次回は、その東の最近の『ゲンロン11』での特集などをふまえて、新しい装いで言語化できたら、とおもう。ちなみに、その「ゲンロン11」は、蛭田さんから、先月、借りてきたものである。そういうふうに、なお、人間関係はつづいている。フェイスブックでつながっている、もとNAM会員も結構いるし、京都の後藤さんとも、年賀状のやりとりをしている。結婚し、お子さんもできたと手紙をもらっている。吉永さんも、パパになったとか。私の息子は、高校3年生になる。

 

NAMの原理は、遺伝子だったはずだ。ならば、解散など、ありえないというべきである。私はおもうんだが、少なくとも、私くらいの世代で参加した人は、いま交流がなくとも、心が、通じてないですか?

2 件のコメント:

unknown さんのコメント...

「会費を無料ではだめなのか?」という問いは大いなる問いです。いずれ応答することになるでしょう。NAMのある課題は、NAMの会員はQの会員であることが必須であるにもかかわらず、NAMとQにおいて会員登録の条件に違いがあったことです。とはいっても、複数のNAM会員は、Qの会員であることはなかったです。

ダンス&パンセ さんのコメント...

今なお、私にとっても、「大いなる問い」です。受け止めている意味は違うとおもいますが、それ無料がありうると確か数日後気づけたので、のちに「スターリン主義者」との批判を受けたときも、要は事務発想の独裁と言いたいのだろうと理解できた。事務的には無理でも、経営者の決断ではありうると。だから、確か10万円だかの値を付けた生井さんが、いまコンサルタントをやっているというのも、私はさすがと思って言及しているのです。