2010年8月6日金曜日

サッカーと構造


「ここまでは、いわばサッカーの準備期間と考えていい。テクニックのベースができて、その使い方も覚えた子供たちは、次のステップを踏み出すことが可能になる。それは「サッカーを読む」というトレーニングである。もちろんFCバルセロナ(バルサ)のカンテラ(下部組織)時代にも、テクニックを磨くトレーニングがなかったわけではない。しかしそれはウォームアップの段階や、トレーニングの最後に組み込む程度で、あくまで重きを置いたのは「プレーを読む」、つまり状況判断を磨くことだった。」(『史上最強バルセロナ 世界最高の育成メソッド』 ジョアン・サルバンス著 小学館101新書)

たいがいの植木屋さんは、剪定残材をトラックに積むのに、荷台にコンパネを立て、箱のように囲いを作ることで対処している。そのコンパネを縦に使うか横に使うかはまちまちだが、縦使用は荷重に押されてコンパネが倒れてくるのを防ぐためにロープで巻いたり、その高さのために後からしか積めなくなるという面倒がある。横に使う場合、ゴミの集積状況に応じて、コンパネを上にスライドさせていかせることになり、状況判断を怠ってそのままにしていると、荷の圧迫でもうコンパネがあがらない。律儀な職人さんは、そうあがらなくなるまでよく残材を踏圧したほうがたくさん積み込めるのだ、と無理やり若い人にさとしたりしているが、あげてから踏んでもかわらないだろうに。いつもうんうんうなって苦労してあげさせている。私は馬鹿馬鹿しいので、若者には、早めにあげておけ、というのだが、むしろ若者はそのちょこまかな判断が面倒なので、コンパネをあげるのを怠って作業を続けてしまう。すると、もうあがらない。黙ってそのまま仕事をつづけている。そのままではろくな分量が積み込めずにゴミが溢れてしまうので、自分が荷台にのってこの野郎とばかりにコンパネを引き上げようとすると、バキッっと、腰のほうが折れる音。そのまま残材の上に仰向けに倒れて、身動き不能になってしまった。

このぎっくり腰のおかげで、しかしW杯のテレビ観戦はよくできた。仕事は休めないというので、明日仕事でも、横になって寝ると、起き上がれなくなるので、一週間、椅子に座って寝た。寝れないので、テレビをつけて、深夜や早朝のサッカーを観ることになる。パラグアイやウルグアイの試合をみていると、夏の甲子園みたいで、選手の必死さがよく伝わってきて、面白い。がスペインの試合となると、眠くなってきてしょうがない。弱者がカウンターの一瞬にかけるのは素人目にもわかりやすいし、物語性があって興奮もするが、パスサッカーとなると、とにかく単調で、ハイになる場面が素人目にはつかみにくい。もともと、点取りゲームとはなりにくいサッカーはそうなのかもしれない。私が中学生の頃だったか、東京12チャンネルで、週に一度の夕刻、ヨーロッパのサッカーを一時間ばかり放映していた時期があった。あの緑の柴の上を、ボールがゆったりとあっちへいき、こっちへいき、スタジアムでは、当時もブブセラの音だったのだろうか、眠気を誘うを間延びした笛の音が響いていた。それは不思議な感覚だった。退屈なのだが、言い知れぬ快楽がある。

「サッカーしているのに、どうして戦争があるの?」と、W杯での日本の活躍に、少しづつサッカー小僧的な熱意を示しはじめてきた息子の一希は、そう尋ねてくる。戦争していて、サッカーの試合にでれなくなる場合もあるんだよ、と状況証拠的な解説しかできない自分がいる。サッカーをみていると、どうしてもローマ時代のコロッセウム、パンと見世物、というヨーロッパの歴史を思い起こしてしまう。実際、チームは大金持ちの所有物であったりする。選手が、スタジアムで闘わされる妾にもみえてきてしまう。カメルーン出身のエトーは、財団を作って地元の貧しい子供たちを支援している。メッシも、難病を抱えた子供たちを助ける財団を作っている。日本の中田氏も、団体を作って世界中の貧しい子供たちにサッカーボールを配りながらその地域の活動を助けている。私には、氏がブランド品を身につけた格好で、さっそうと被支援者のもとへ赴く姿は、ほんとうに偉いことなのかと疑問もわくし、マイクロソフト社のビル・ゲイツの、資本構造に寄生した慈善的偽善のようなことを、オーナーにかわってサッカー選手個人が代理しているような構図だな、とも思うのだけれど、個人の活動を構造に還元してもしょうがない。その個々人の純真さがなかったら、構造も変えられないだろうから。

腰が治ってくると、仕事もなくなってきて、今度は休んでいい、となる。ずいぶんと都合のいい話だが、そういう構造にのっかっているのだから、そこでジタバタしてもしょうがない。むしろこの時を有意義に使って、構造から出られる次の領域へ繋げていこうとすることだ。若い人は早まって、早急な判断をくだすかもしれない。中田氏がスペインのシャビ選手を評価していったように、「(周囲をみるための)首を振るタイミングがいいんですよ。疲れてくると、まわりをみなくなったりするんですが…」――そのちょこまかした動きをつづけ判断を怠ることを自制できるのがベテランの技なのかもしれない。私はどうも、もう若い人を気にかける余裕がなくなってきている、というより、どこか見限っている判断をくだしはじめているのかもしれない。

が、子供たちは別だ。バルサのカンテラのコーチだったサルバンス氏は、日本のスカウトができがった人材を探して「補強」しようとしているのに対し、ヨーロッパのスカウトは、公園で草サッカーをしている子供たちをみつけ育てることを目指している、という。できあがった人を変えるのは無理だ、そしてできあがった構造を変えていくには、まだできあがっていない子供たちを育てていくのが、回り道なようで近道なのではないだろうか? つまり、「サッカーしているのになんで戦争がおきるのか?」、そんな子供の疑問に、こちらもが一緒に考えていけるような共存条件を作り、維持していくことではないだろうか? そうでなければ、子供はいつしか自分のような大人になり、大人の自分は相変わらず、のままだろうから。

2010年7月23日金曜日

庭から森

ホームページ<ダンス&パンセ>のテーマパークでは、特集《庭から森》と題して、エセーを掲載しました。



そちらをごらんください。

2010年6月26日土曜日

W杯、理想と現実


「例えば野球ではWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)において、日本はアメリカに勝利した。私にとっては、これは想像を絶する結果だった。しかし、サッカーでは、日本人の成長は停滞気味で緩やかである。それが彼らを悩ませている。まだ、バスケットボールの世界でもNBAに肩を並べるほど強くなることは難しいようだが、サッカーでならば、日本人は野球と同じようにできるはずなのだ。(イビチャ・オシム著『考えよ!――なぜ日本人はリスクを冒さないのか?』 角川oneテーマ21)

「ゴールまえで立ってるのよ。もっと守らないとだめでしょ。」と女房、子どものサッカー練習を見ていて一希をそうなじりはじめる。小学生のグループに入りはじめて、6年生をおさえて6試合で5得点と得点王、ゴールの味を覚えたのか、走ることが少なくなる。私が見ていたときもそんな様子だったが、先輩たちもストライカーとして信頼しているのか、「イッキ!」とパスをだしてくる。その横で、ああだこうだと女房が騒いでいるので、私はうんざりしてくるのだが……。まず、自分で考えること、幼児の頃のボールにわあ~っと集まっていくだけの動きとは変わってきたのはその証拠だ。ここにいれば、一番シュートできる確立がたかい、と自分で発見していったのだろう。それは、ゴールする喜びを覚えたからだ。そこから逆算して論理的に演繹しはじめている、ということだ。そういうサッカーには特に必要な論理思考を自己訓練しはじめてきているのに、いきなりああやれこうやれと指図するのは、それこそオシムが日本サッカーに求めた、「考えて走る」力を削いでしまうことになる。そのうち、そんなオフサイド(待ち伏せ)攻撃でもゴールを決められなくなるに決まっている、そのときどうするのか、と自分でまず考えさせることが重要なのだ。ゴールが目標(論理の帰結)なのだから、まずその喜びを知らなければ、そこに展開させていかせるイメージ力がはじまらない。周りの親たちのまえで自分の息子が楽していることに親が耐え切れず子どもをなじり、いい子にさせていかせようとするのは、それこそ日本サッカーが反省し、なんとかこの文化的癖を是正していかせようとしている方針に逆行していくことだろう。
最近の朝日新聞のアンケートでも、日本のサッカーにストライカーがいない、とか、決定力がない、とか見られるものを、自己主張しない、とか、出る杭は打たれる、ような日本の文化的な習性からきている、とみている人たちが多い、と知られる。私もとりあえずはその前提認識を共有するが、だから無理、諦める、という話になるとは思っていない。オシムは、なんで日本のプロ野球が世界一になったのかは「想像を絶する結果」だと述べているが、まさに封建的に愚直な野球界のほうが、サムライ魂が濃厚だからだ、というのが私の見解だった。しかし、それは本当の強さだろうか? 岡田監督自身が、野球部にある、先輩に対する問答無用な緊張感、その厳しさに耐え切れないでサッカー部に転向したとしても、その弱さから少しづつ強くなっていくという民主的な手続きと緩慢さにおいて、本当の強さが培われるものではないのか? と野球部での私は反省した。だから息子には、自分のような「奴隷根性」を身体化させられるのではなく、自分で考え意見を言える強い大人になってほしく、日本ではまだましなサッカーを選んでほしい、ということなのだった。そして、今回のW杯、日本チームを見ていて、そんな強さへの進歩が見られたことが、私にはなによりもうれしかったのだ。そこには、封建的な伝統ではなく、民主的な伝統が作られはじめている。カメルーン戦での解説者の山本氏は、これまでの蓄積がこの結果を生んだことを強調していたが、私も同感だ。サッカー自体は、決して強くはなっていないだろう(まるで優勝したかのような選手とサポーターというか国民の喜びようをみていると、次のパラグアイ戦でそれが証明されてしまいそうだが……)。しかし、これまでのW杯での負けが、サッカーを知っている、という経験知的な領域にフィードバックされているようにおもう。

稲本「役割分担が明確だから、みんな落ち着いていた。見る方は冷や冷やだったでしょうけど」
遠藤「カメルーン戦は、球を奪っても焦って縦にけり返すばかりだった、もっと落ち着いてパスをつなぐことも必要だった。オランダ戦に向けた修正点になる」

今ちょうど、決勝トーナメントに進出した韓国がウルグアイに2-1で負けた。対アルゼンチン戦をみてもおもったことだが、技術的に両者にそんな開きがあるようにはみえない、が、サッカーを知っている、というレベルにおいて、質的な差があるのではないかと思えた。野球でならば、それを知っているチームとそうでないチームとの差は、端的には走塁に現れる。リードの仕方ひとつでプレスをかけてくる。隙あらば走ってくる。そうやってミスを誘うのだ。プロともあらば守備側もそれに対応しているとおもわれるが、5月の日本プロ野球交流戦、ヤクルト対ソフトバンクを神宮球場でみていたら、ヤクルトのセカンドがずれていた。盗塁で二塁に進塁したランナーを背負って、バッターは一打席目に本塁打を打っている4番打者。遊撃手の宮本は、芝生の切れ目を越えた深い位置についている。ランナーを牽制するのはセカンドの役割、とはっきりさせるのはいい、が、その二塁手の守備位置が、半歩一塁よりすぎるのだ。せっかくシフトをしいて打者にプレスをかけようとしているのに、それでは半端になってしまう。だから、最初は小さいリードのランナーが、ピッチャーが投げようとするタイミングを見計らってさっと大きくとる。集中の切れる投手はカウントを悪くして、ノーツーから一打席目と同じ放物線を描いた逆転のツーランを打たれてしまう。原因は、セカンドの位置取り半歩不足と、それを見逃さなかったランナーのプレスの技術である。つまりそういうところに、野球を知っているかどうか、という差がみえてくる。韓国のサッカーは(日本をふくめて)、この意識的な微妙さを欠いたマニュアル的な攻撃にみえてしまうのだ。それに比べ、アルゼンチンは臨機応変に多彩であり、ウルグアイは明確だった。この差はどこからでてくるのだろう? 幼少の頃からボールを扱っている条件は変わらないだろうから、いわゆるボールコントロールの技術の差ではない。ではなにか? 私は、伝統(経験知、モデル)のあるなし、だとおもえた。ジダンは子どものころ、団地の空地での草サッカーで、単にゴールを目指してボールを蹴っていたわけではなかった。「俺はトッティだ」とか、フランスのヒーロー選手に皆が振り分けられなりきって、その役割をなぞるようにフォーメーションを組んで遊んでいたのだ。私は、この遊び方の違いが、サッカーを知っている、という微妙な態度技術に刷り込まれていくのだとおもう。スペインのバルセロナの指導方針でも、この実践的な技術を意識的にトレーニングさせているようだ。それに比べ日本の練習は分割的であり、子どもの頃から役割(大人)的にやらせると、女房のように、不平等感に苛まれて、親から文句がくるかもしれない。しかし、このワールドカップで、本田が、遠藤がみせた。子どもたちは、「俺は本田だ! 遠藤だ!」とその役割になりきってボールを蹴り始めるかもしれない。そうした経験が、重要なのではなかろうか? そして実際、中山を尊敬する岡崎の対デンマーク戦三点目は、中山のW杯初ゴールにどこか似ていた。しかし、カメルーン戦後の遠藤が自省するように、あるいはオシム氏が指摘したように、決して質のいいサッカーではなかったろう。本番前テストマッチの対イングランド戦でも、解説者のセルジオ越後氏はなんでここで後にパスをだすのかと、遠藤の選択を疑問視していたが、なお無理だったのだ。世界の強豪相手には、中学生レベルのクリアでしかピンチをしのげないサッカーの程度なのだ。岡田監督の後退した決断は正しかったことになるだろう。おそらくその壁を超えるには、遠藤のマイペースを取りもどす選択(鍛錬)よりも、それで試合の流れを変えられる程度の差ではないのだから、むしろ相手の流れの中にとびこんで、がむしゃらに泳ぎきっていくしかないのではないか? 海外でプレーする選手にはそれがみえているようにおもえる。私は、日本から出ていない遠藤や、日本サッカーのエリートコース出身第一号とされる阿部選手の活躍を面白くおもうけれど、なお理想とするサッカーをやれる現実的条件を勝ち得ているようにはみえない。

だから、国民が終わってもいない大会にはしゃぎすぎるのはどんなものかとおもう。日露戦争に勝った日本が現実を見失って妄想の世界に突き進んでいったように、勝利が歪曲された習性を、似非文化や似非伝統を身に染み込ませることもあるのである。

2010年5月15日土曜日

森と生きる力


「今日の里山の多くは、うっそうと木が生い茂る森になっている。しかし、かつて里山は、うっそうと茂った森林では決してなく、伐採跡地や、草山(萱場、まぐさ場)がいたるところにあった。里山がこれほど豊かな自然の状態になったのは、有史以来ほとんどはじめての出来事だろう。人が自然と関わらなくなるという、いまだかつて体験したことがない時代に、里山は今後どう変化していくのだろうか。」(渡辺一夫著『イタヤカエデはなぜ自ら幹を枯らすのか』 築地書館)


さて森林インストラクターの勉強とはどんなものなのかな、と調べてみると、試験問題集はこっちの財団法人、参考書はあっちの社団法人と、素人目にはなんともおかしな区分けというか、利益分与がなされているのに、改めてうんざりする。造園管理技士(国土交通省)もそうだったが、ここでもこんな公益法人が、といった感じだ。もともと、こんな国家のペーパー試験に合格してみたところで、とても山で生活している人の経験には及ばないのだが、ともすると、民衆は国家資格のある人を信用してしまうかもしれない、というか、そういう誘導がなされてしまう、ということで、その制度自体が必要悪というものかもしれない。すでに経験豊富な無資格者が、それだけで信用がおけないと一目おかれなくなってしまう。行政刷新会議では、まだ対象にはなっていないようだが、ほんとうはなくても困らない資格制度なのではないか? とはいえ、官僚が把握した現実問題と、そこから掲げられた理念が間違っているというわけではないだろう。実践的には、国家官僚の天下り先確保など、下世話なことにしかつながらない制度枠組み下の活動にしかならないだろう、ということだ。しかも手遅れなあと知恵だ。森林ボランティアが、実際には地元民にいっそうのボランタリーなお世話を負担させてしまうのだと指摘する田中敦夫氏がいうように(『日本の森はなぜ危機なのか」平凡社新書)、森林問題の解決にも、「政治的手法から経済的手法に移行する」自覚ある態度が必要なのだろう。もし人が、生活の安定と成長を、つまり幸福をのぞむとするならば。

しかし、民活重視の経済的再生なり活性化が、山なり森なりと人間との健全な関係を回復するのだろうか? むしろその成功は、よりいっそうの息苦しさや逃げ場のなさを、つまり都市問題を拡散させていかせないだろうか? 都市の空気は自由にする、という言葉があるように、山も実は、幸福よりは自由のためにあった空間だったのではないだろうか? 都市の自由が勝者の行き場だったなら、山は敗者のそれであったかもしれない。かつて、サンカと呼ばれた放浪の山の民が、平家や源氏の落人だとかする説はきいたことはないけれど、人目を避けて日本列島の奥深い山を縦断していたという様には、そのような想像をひきおこさせる。明治以降の近代化の過程で、山をめぐる法体系もかわり、戦時中にはそのような住所不定の人々にも赤紙がいって徴兵されたという。もはや逃げる場所もないのだ。そしていまも、山や森は所有と国家の法体系によって囲繞されている。山から都市へと出てきた出稼ぎ労働者が、経済構造の再転換によってはじきだされ、公園の中にブルーシートを張って野宿をする。そしてそこからも追い出されるとしたら、どこにいけばよいのだろうか? 青い住まいが設けられるのは、そこでも芝生の広がりの中ではなく、木の下林の中にである。テントを地面につなげる用具は使い捨てられたビニール傘の取ってであったりするけれども、樹木が林立つし茂れる空間は、雨や日をさえぎってくれるだけではなく、生活に必要とされてくる用具の発明と発見の、つまり知恵を活性化させてくれる偶発的な事物の宝庫だからではないか? そしてそのひらめきの実践が、自由を実証実感させてくるのではないだろうか? 自分が生きていることの、生き生きとした生を。都市の幸福の中で、若い世代が沈潜していった虚脱と無気力、剥奪館とは、この生=自由のことだったのではないか?

<上原さんは、森での遊びが偶発的な状況の連続であること、それに即して子どもたちが遊びを生み出すこと、その中では子ども同士が相互に働きかける機会がとても多いことを主な理由として説明してくれた。
 たとえば、幼い身に余る大きい落ち枝を扱おうとしたら、自分だけでは持てないので、誰かに手伝ってもらわなければならない。何をしたいのか、その意図を相手に理解してもらわなければならない。それが発話も他者への働きかけも促すことになる。そう説明されると、なるほど、と膝を打つように納得できた。森は、いつもの園のいつもの遊具、というほぼ固定された環境と比べると、突発的・偶発的な機会が爆発的に多い。というよりも、その連続と言っていい。自分が森ですごす場面を思いおこしてみて、上原さんの話は十分想像がついたからだ。>(浜田久美子著『森の力――育む、癒す、地域をつくる』 岩波新書)

私が息子の一希を、田舎に連れ出して田植えをさせ、山に登らせるのは、子ども(人間)が本来的に持っているだろう、この生=自由の発動を維持反復させていかせるため、触れ始めたカードゲームや携帯ゲームのような遊びで抑制された都会っ子になることを防ぐため、そしてなによりも、サバイバルな感覚を植えつけておきたいからだ。子どもの頃、そのように山で育ったからといって、そのまま大人につながっていくような社会ではもはやないだろう。しかし、子供の頃、それが痕跡されていれば、苦境の中で、生きる力を自らの内に発見していく契機にはなるだろうと願っている。国家や資本が重箱の隅をほじくるように山の端まで掌握している世界で、縦横無尽な生きる力こそが、必要な出発点になってくるだろうと。

2010年4月12日月曜日

文学から庭、そして森へのパラダイム

「小熊 おっしゃる通り、豊かな経済大国日本が貧しい従軍慰安婦を搾取しているという言い方に対して、それより俺たちプレカリアートのほうが恵まれていない、という言い方が出てきちゃったということに対しては、やっぱりマジョリティーは恵まれているから問題がないんだという形で処置してきた問題というのが、ここに来て噴き出してきてしまったというときに、今現在どういう語り方をするかというのは、非常に難しい問題になってますね。…(略)…しかも、その出方というのが、昔だったら、「貧乏で汚い朝鮮人帰れ」みたいな言い方だったかもしれないのが、現在は、「在日は日本の行政から与えられた特権を持っているから」という言い方になってきているというのは、非常に興味深いですね。つまり、われわれの側のほうが恵まれてないと。

高橋 だから、貧しい、少数派の日本人が豊かなマイノリティーを攻撃するという構図になってきたわけですね。誰もそんな立場を見たことがなかったので、絶句してしまう。

小熊 まあ、実際に豊かなのかどうかは別問題として、でも、やっぱりナチスが出てきたときってそうですからね。超インフレ下の当時のドイツで、ユダヤ人は金持ちでけしからんという言い方をしてね。…(略)…豊かさの中の精神的貧しさという言い方が、何年か前まではいちばんいい表現形態だったんでしょうけれども、もうその言い方は今現在は不適切になってしまった。ただ、単純に『蟹工船』の時代に戻ったのかということになると、貧乏だけで語られるものではないと思います。とりあえず食えることは食えているが、剥奪感が大きいということですから。」(『文学界』2010.5月号 小熊英二×高橋源一郎「1968から2010へ」)

これら研究者と作家の対談からも、私がこれまでのテーマパークで提出してきた問題が共有されていることがわかる。この現状認識から、では次にどうするか、「新しいパラダイムをどう提示していくか」、という問題提起で両者の対談は締めくくられるのだが、同月の『群像』という文芸誌でも、学者兼批評家の蓮見重彦氏と作家の阿部和重氏の対談で、認識から小説の形式(フォルム)という切り口から言及されていた。小説家とは、その認識内容(素材)の事実性以上に、それをどう扱うかの形式にこそ現実性を残余させてしまうものなのだと。つまり政治的な言い回しでは、それをそうさせていく枠組み(パラダイム)、制度の方から、という話になるだろうか? このテーマパークの前回からの言葉で言えば、個人よりもまず共同体の形成をという内田氏の提言や、その共同体運動への国連という自然史的制度の意義といった柄谷氏の言述ということになるだろう。あるいは建築界でも、最近は建築家という個人の力量よりも、地域としての建築を作っていくという、認識のシフト転換をめざす雑誌特集も組まれているようだ。では、文学あがりの植木屋さんである私は、どうだろうか? と自問してみる。

<――近ごろのお母さんお父さんは自分の子さえ良ければいいというのが増えています。運動会なんかでも自分の子だけビデオで撮ってる人が多くて。

 これは生物はみんなそうやけど、自分の子が良く育つには、いい群れの中でなければ育たないんです。まわりの子が良くならなくて自分の子だけ良く育つということはあらへん。…(略)…最近、樹木医というのがおってね、古い木を診断して、あれこれやって治す、もたせるということやって、古い木を大切にするのもええことなんやけど、あれで本当に木が丈夫になるとは私には思えない。延命治療のようなことをやっても、やはり木には寿命があるのです。どうせ古い木は枯れる。だから森林を永続させるには若木を植え育てないといけないわけですね。人間もそう。その努力が足りないんじゃないかな。子どもは大人みたいに票を持ってないし、ゲートボール場つくってくれと集団で陳情したりしないしねぇ。それは大人がしてやるべきことやと思いますよ。それもきれいなととのった公園じゃなく、広い荒地の方が子供も遊びやすいのだから。(『森の人 四出井綱英の九十年』森まゆみ著 晶文社)>

庭木の手入れにしても、その技術が、「木を切ってはならない、かつ切らなくてはならない」という自然と人間との二律背反的な現実への解法として読みえるとしても、あるいは、「にわ」という語意が、漁場や山という、自然と人間の境域に対する、日和(天気)見という切迫した空間の営みからきているとしても、その世界への切り口、考え方は、あまりにミクロ、つまり狭すぎる。四出井氏のように、造園的観点だけではなく、いやそれ以上に森林生態的観点が必要だ、というのが最近の私の考えである。どうせ勉強がだぶるのならと、仕事に必要な国土交通省の造園管理の資格よりも、ボランティアでしかいかせないような、農水省と環境省推奨の森林インストラクターの国家資格試験の勉強も開始している。植木への関心にしても、その庭木としの美醜という感性的視点からよりも、どう食えるか使えるかという、実用経済的な、そしてこれまでの山での具体的な知恵、に移行している。それはまた、経済的に豊かになったから里山(田園)で余暇と余生を、といった余裕ある態度によってではなく、土建業衰退の歴史のなかで反復させるサバイバルになってくる、はずだ。つまり将来の生活(仕事)は、ボランティアをとおってくる。そしてそれが、近代化や高度成長期で失われた「剥奪感」、心の充溢を再構築してこないだろうか? 家族や共同体とともに? ……とりあえずそうしたことが、いまの私のパラダイムへむけた実践活動である。

2010年3月10日水曜日

トヨタの合理性と人類の自然性


「韓国ドラマを観ていて、ときどき「あれっ、どこかで観た場面だな」と思うことがある。それは、現実にあった何かの現象だったり、他のドラマや映画のシーンだったりする場合もあるのだが、北朝鮮で見た映画やドラマとダブるときも少なくない。同じ民族だから、生活様式や習慣で相通じるところがあるのは当然だが、思想や理念においても、似た場面が出てくるとつい驚いてしまう。たとえば、『太王四神記』や『朱蒙』で主人公が臣下との間につくる人間関係は、北朝鮮の金日成の活動を描いた『革命映画』における指導者と部下との関係とまったく同じといってよかった。たとえば、戦争で勝つためには、兵士のなかで多少の犠牲者が出るのはやむを得ないといって無謀な戦いを挑もうとする指揮官に対し、タムドクは兵士一人ひとりの命を大切にしなければならないことを厳しく諭す。また、朱蒙は行軍途中、兵士たちの前で部下と親しげにシルム(相撲)を取って士気を高め、偶然そこにいた敵までも感動させてしまう。このように指導者がいつも部下を大切にし、苦労を共にする場面は、北朝鮮の映画やドラマ……」(蓮池薫著『私が見た、「韓国歴史ドラマ」の舞台と今』講談社)


冒頭引用のような蓮池氏の感想を、私も韓国歴史ドラマをみて思ったものである。むろん、私はそのドラマと、北朝鮮の社会とを連想比較するのではなく、自分が仕事としてやっている職人世界の社会に見られる様とを重ねてしまうのである。では、そのような社会から、トヨタのアメリカでのリコール問題に発する社長自らのアメリカ議会での公聴会に連なる模様を眺めていると、そのトヨタが従い従おうとしている合理性が、人間的に片手おちの疑わしいものに思えてくる。あのJapan as No.1のバブル時代のとき、トヨタの吹聴するカンバン方式なるものが世界的にも参照されはじめていた。郵政民営化にともなって、民間の合理性を取り入れて不合理に肥大した組織人員を矯正するのだと、トヨタの管理者が派遣されたりもした。そしてそこでは、勤務者の座る机から出入り口までの歩き方までが統制され、無駄なく最短コースでゆくのだと、床にテープをはりはじめた、とかの記事が紹介されもした。要するにこれは、アメリカでテーラーシステムとしてはじまった流れ機械化作業を、愚直なまでに下請けや末端の労働者へと推し進めたものにみえる。まったく日本人はまじめな優等生である、ということか? しかしおそらく、その公式(――外からみたら、それは学ぶべき公式にみえてしまう……)を自ら作った本場のアメリカでは、古風な職人意識や人間関係が残っていて、あるいはそんなに糞真面にやってなくて、その両者の齟齬が、公式の根拠(安全安心)は不在であるというゲーデルの数学的証明のように、今回露呈してしまったのではないか? 「いつあなたはその問題を知ったのか?」と公聴会で議員から豊田社長は問われ、「12月末ごろに、アメリカの運輸局の人が来たいう報告はあったのでしっていたが、その内容は知らなかった」と発言し、議員は「それは組織が縦割りだからなのではないのか?」と問い返した。この「縦割り」と翻訳されてきた言葉の意味がよくわからないのだが、会社組織自体が部分に分割された流れ作業、と解すれば、たしかに全体を判断する視点を欠いた官僚的な(無)責任組織、となってくる。どうして、豊田社長は、「何しにきたんだ?」と部下に質問しなかったのだろうか? 自分の所にきたのではないので、我関せず、現場(その部署、部分)に任せよう、という判断だったのだろうか? あるいは現場の当事者は、どうしてそんな重大事を、トップに知らせようとしなかったのだろう? 彼が、重大ではない、と認識することは、これぐらいの組織であるなら、そんな無能な人は出世していないだろうからありえない。政治家の秘書のように、自分が罪をふっかぶるようにボスには知らせない、というような事柄でもあるまい。あるいは自分の不埒がばれて困る、というような事柄でもないだろう、それは技術的な問題であって、管理者の一人(責任者)だけが問題とされてくるわけでもないだろうから。この事件が、日米の政治的なかけひきで、相当にでっちあげられた問題なのかもしれない(だとしたら、トヨタ管理者側にスパイがいるのだろう)。しかしだとしても、その過程で浮きあがってきたのは、流れ(分割)作業に象徴されるような官僚的な合理性の脆弱さである。つまりそれは、外から社会や産業のあり方を公式として学んだ日本人においては、民間企業においてもなおよりその公式(縦割り官僚組織)の根拠のもろさが、まるで数学の例題のごとく露見してくるのだ。公式の本場では、実際には、官僚よりも議員(政治家・人格)のほうが強いらしいのに。

端的に、歩き方まで管理するのは卑しいことである。有能な職人は、自然そうなり、そうするけれども、他人になど強制しない。馬鹿は馬鹿でいることが、むしろ組織としては多様な適応力をもってくると、全体的な認識判断を、自ら行なう部分作業において意識化できる、生活の連綿さを生きてきているからである。ゆえに職人集団が実践するのは、分割作業ではなく、人それぞれの能力に応じた分担作業である。しかしそれはそのように平等(親切)的ではあるが、近代的な意味では、平等ではない。普通の人には登れない木に登り枝を下ろす、危険作業を引き受ける職人や、人心を掌握して判断が的確な頭(かしら)はまわりから尊敬されるだろう。「後片付けはわたしたちがやるから」と、木の下で枝処理をしている手元の人たちは、無事生還できたことにほっとしている職人にいってくれるだろう。しかしもしそれが、まだ勤務時間中だからおまえも片付けを手伝えと、労働者としては平等(当たり前)のようなことを言われたら、その人の尊厳は傷つけられるだろう。しかしまた、俺は偉いんだ、と謙虚さがないと知られれば、周りの人たちは手伝わなくなるだろう。縄文時代ぐらいまでの狩猟民の世界では、そうして人心を失った狩猟者は、それでも自らの尊厳と名誉を守るために、一人で敵にむかい殺されていったのだそうだ。だから、インディアンをはじめ、その世界の髪型は、取られた首が持ちやすいようにと上で編んであるのだという。武士のチョンマゲもその名残だろうといわれている。私が「韓国歴史ドラマ」に覚える共感には、そんな古くからの人間社会の倫理が反映されている、ということになるのかもしれない。……「狩人としての始祖王の表象は、実に古代日本に限られていない。ことに注目すべきは、高句麗、百済両国の始祖である朱蒙はすぐれた狩人であり、かつ朱蒙という名自体が「善射者」を意味していた。そして興味深いことに、朱蒙の後裔たる高句麗、百済の王たちは、しばしば狩猟をおこなったのに反し、朱蒙系ではない新羅の王たちが、狩猟したことは、ほとんど記録されていないのである。ここで日本の場合も、『日本書紀』によると、天皇の狩猟は、ことにいわゆる応神王朝の天皇たち(応神、履中、允恭、雄略)に集中していることが注目される。これは、いわゆる応神王朝と、高句麗、百済系の王権との関連を示唆するものかも知れない。また、これら王者の狩猟活動に、後にはたんなる娯楽になってしまったであろうが、元来は、狩人としての始祖王の行為の儀礼的反復という性格をもっていたのであろう。」(「日本の狩猟・漁撈の系統」『狩猟と漁労 日本文化の源流をさぐる』所収 雄山閣出版)

この倫理、というか古代の人間観の巻き返しは、世俗的には、郵政改革をめぐってみえてきたドタバタ劇のようなものとして、表象されるのかもしれない。そこでは、近代的な個人・合理主義を貫徹させようとする小泉グループと、それに反対を唱えたことでいったんは下野したが、政権交代によって返り咲いた反動的な人たち、という往還運動として立ち現れた。しかしこの反復現象は、たとえば佐藤優氏が、「復古」として呼称するような、歴史的な時間軸によって捉えられるだけではない、というのが、ポストモダンと称される思想を通した昨今の基調的な考え方であろうか? つまり、その反復を、むしろ空間的な、普遍的な構造として把握してみ、それを現在から未来への指針として考察していく、という考え方である。新しい人類学を提唱する中沢新一氏の言い方でいえば……「しかし、洞窟的実践の背後には、男性結社性が隠されています。そこは戦争機械の温床でもあるからです。それが政治権力を掌握していくとき、日常生活者の世界は根底から破壊されていくことになります。…(略)…私たちの思考のあらゆる領域に、「洞窟的=映画的」なものと「テラス的=テレビ的」なものとの、緊張をはらんだ関係は潜在しています。それを生み出すおおもとが、ホモサピエンスである私たちの「心」のトポロジー構造の中に実在しているからです。私たちに求められているのは、この二つの構造の間に、今日のテクノロジーとそれがもたらしつつある社会形態にふさわしい、真に新しい絶妙なバランスを再構築することではないでしょうか。」(中沢新一著『狩猟と編み籠 対称性人類学Ⅱ』講談社)――そして、この反復劇を、「心」の問題(位相)ではなく、あくまで唯物論的な装置(制度)の問題として捉えてみせるのが、柄谷行人氏の「世界共和国へ」という提言になるだろうか? ……「各地のさまざまな運動は自然発生的にグローバルなつながりをもつようになっている。しかし、それはいつも諸国家によって分断される恐れがある。だからといって、「インターナショナル」のような組織を形成することはできないし、そうする意味はまったくない。つまり、国連と別の国際組織を創る必要はない。そのような組織ができても、国家を抑える力をもたない。われわれがなすべきなのは、世界各地のさまざまな運動を、国連を軸にして結合することである。国連はたんなる人間の思いつきではない。人間的自然(人間性)がもたらした遺産である。」(「atプラス」03号太田出版)――で、この雑誌の特集「生きるためのアート」冒頭には、内田樹氏へのインタビューがあり、氏の作る「麻雀連盟」という共同体の話がでてくる。そして、「資本主義についてマルクスが告げたのは「資本主義を倒せ」ではなく、「共同体を作れ」なんです。」との発言で締めくくられている。資本主義的な自由の蹂躙から、国家権力支配への反動という世俗的情勢に対し、いかにそれらとは別個の「結社(共同体)」をつくっていくべきか、が実践的な問題として集約されてきているのだ。ならば、これらの思潮から導きだされる結論の例とは、「麻雀連盟」のような同好会も国家につぶされないために、国連に参加し、その後ろ盾をもらって連帯の力をつけるべし! ということなのだろうか?

私の考えでは、このおかしな総合的な結論は、理論的には正当だが、実際的には諸理論の位相を混同している、ということになる。たしかに、たとえば戦陣中などでは、草野球でさえ国家の統制下におかれたことを考えれば、麻雀同好会もどうなるかわからない緊急事態は考えられるし、そうしたことも柄谷氏の論理には包容されていると思う。が、では本当に具体的な実際として想定してみると、奇妙なおかしさが伴うのは、やはりあくまで氏のいう「われわれ」が、中沢氏のいう「男性結社」的なエリート(秘境)の位相に傾いているからだろう。たしか内田氏自身は、柄谷氏を全面否定する言表をしていたとおもう。つまりあくまで、念頭にあるのが、メジャーな運動なのだ。しかしたとえば部落団体にせよ、女性団体にせよ、在日を中心とした外国人の団体にせよ、それらは「人権」という問題に収斂したうえで、国連にすでに参加し協同で取り組みにあたっているところもあるとおもう。それは、私が参加しているイミグレーションネットワークのMLからも想像できる。ならば、柄谷氏の提言など、いわずもがなな話だろう。まして、氏は自分が言っていることは既定の運動を新しく意味づけなおしていることなのだ、という発言もしているが、当事者たちの「意味」、つまり自分を支えてくれている意味とは、世界史的な意義などという、エリート意識なたいそれたものではないだろう。そんな意味づけは、大きなお世話にしかならないだろう。柄谷氏の構造分析(『世界史の構造』とかと題される本を準備中だそうだが……)は、あくまで念頭においておくだけで、実践的には忘れてしまってかまわない位相、つまり理念的な統制性の話しなのだ。庶民がまともに受けても意味がない。たとえば、派遣切りにあって、秋葉原にレンタカーで突っ込んでいくような青年が、自分を支えるためにアキバ同好会なる「結社(共同体)」をつくったとしよう。それは社会運動的には、部落や女性や外国人といったマイナー問題としてはメジャーな運動でもないので、国連が相手にするまでもない大衆運動にすぎない、と目されるだろう。が、その気味の悪さのためなのか、実際に町内会からは排除されていくし、より大きな弾圧も想定しえないわけではない。そうしたときは、世界的に普及しているアニメ趣味などから、国際的な連携と、それを「労働」問題というより大きな枠組みで収斂させて、国連にも通じていく文脈が形成されるかもしれない。つまりそういうふうには、柄谷氏の理論は論理の道筋を提示してはいるのだ。が、問題なのは、中沢氏の照射するような、「心」の位相ではないのだろうか? 秋葉原に突っ込んでいった若者がみせるのはまずそのレベルの“意味”のことだ。たとえそれが低レベルの話だとしても、類としての人間は、その自然のなかで生きているのである。私はやはり、最期まで馬鹿者たちへ愛着を注いだ中上建次氏の言葉のほうを重用する。――「……謂わばわたしはその間、猛烈な勢いで全力疾走して古代と現代と、神人と人間と、熊野と大和・京都、縄文と弥生、アイヌ文化と古朝鮮を経巡ったのである。元気はいや増しに増さざるを得ない。」(『君は弥生人か縄文人か』梅原猛+中上建次著 朝日出版社)しかし、今また改めて似たような問題が反復されてきているときに、中上氏のいう「元気」が増すことができるのだろうか? というか、それがありうるということ、あったということが、念頭においておくべき統制的な「理念」となりうるのである。

2010年2月12日金曜日

土建業と犯罪事件から


「すなわち、沖縄本島側の文化は九州の縄文につながるが、先島諸島の下田原式土器(約三○○○年前)は南方起源のものと考えられている。両地域のつながりが強くなるのは歴史時代になってからだといわれている。もっとも、大陸側をまわれば沖縄と先島はつながらないわけではない。しかし、山立て航海の障壁は縄文時代には歴然と存在したのである。」(小山修三著『縄文学への道』 日本放送出版会)

仕事と遊びの区別をつけない、だったか、区別がつかない、だったかは忘れたけれど、人類学者の中沢新一氏が、「仕事術」とかいうどこかの新聞特集記事で、日本人の特性としてそう述べていた。その区別のないところに、日本人の古代文化からの習性の残存がうかがえるのだというような。それは、「労働条件(時間)」のことなど意に介せず、仕事中毒と呼ばれてしまうくらい熱心に仕事をする人の在り方を念頭において、それへの近代的な批判評価を反転させていく、積極的な介入の見方、だったかもしれない。だとすれば彼ら労働者は、その区別「を」つけない意識的な人たち、ということかもしれない。がそのへん、私が土建業という仕事柄、常に念頭においてしまうのは、その区別「が」つかない、遊び熱心なほうの、いわば無意識的な人たちである。たまに解体現場などで、迷彩服のような作業着で、ケラケラ笑いながらやっている若い衆たちがいる。どこかの右翼団体系列の下っ端なんだろうか? 街路樹の剪定作業現場でも、ダンプの荷台に仲良く三人が並んで腰掛けて、足をぶらぶらさせながら談笑し、そのまま大通りを移動していくのをみかけたことがある。「あれでとおるんだ、いいなあ」とは、わが社の馬鹿者だが、「あんなんになってほしくねえな」とは、その仕事してるんだか遊んでるんだかわからない現場の若者たちをみて、私が入りたてのころ、親方がもらした言葉であるのだけど。現場監督や責任者がそんなんだと大変になる。平然と、夕刻の5時直前に大仕事をやろうといいだす。その時刻まで、段取りがあわず仕事が暇なようにぶらぶらさせていたのにである。ならばなんではじめから今日それをこなすような段取りをつけててきぱきこなしていかせなかったのか?「おもしろくなくちゃ、仕事なんかやってられねえだろ?」こっちはだからこそ、さっさとやって帰りたいんだが……。が、要領を考えない、いやそれが遊ぶほうへ逆転している馬鹿者たちには、そんなダラダラした残業時間が貴重な仲間との時間なようなのだ。そしてほんとうに、そういう価値に無意識に生きている者たちは、そんな「仲間」のために人生や命をもさしだすのだ。そういう世界というか社会に今もって生きているのである。
一昨日だかのニュースでも、宮城県の石巻市で、18歳の若者が、年下の仲間を連れて、元恋人の家に押し入り彼女の家族や友人を殺す、という事件がおきている。テレビのニュースで、その若者の携帯ブログが映されていたが、そこには天皇マークの中に「大和魂」という文字の入ったロゴがトップに貼り付けられていた。現場へ向う途中のダンプのなかで、その事件を切り出してみると、運転していた団塊世代の職人さんが、被害者の苗字と同じ知り合いが石巻市にいるという。「親類だったら、土建屋だとおもうよ。」と言う。実際今日の新聞をみてみると、首謀者は「解体工」、被害者の若者は「建設作業員」とある。とはいえ、私がこの事件のことを切り出したのは、助手席側に座る二十歳の若者とその仲間たちが、似たような情念と人間関係の世界にいるような気がしたので、反応を確かめようとおもったからなのだった。つい先日も、その若者は、自分の友人と知り合いの女性を結びつけるための仲介者となり、表裏を使い分ける巧みな口さばきをみせていた。でその石巻市の事件から男女のもつれ話になり、口達者という確認のあとで、オレオレ詐欺の新種の手口のことをその若者が切り出し、「おまえやってたろう?」と私が突っ込むと、「いや、ちょっと……」と口をすべらしたのだった。

『沖縄の未来』(芙蓉書房出版)という大田昌秀氏との討論のなかで、佐藤優氏はこの土建業ということに関連し、こう述べている。――「……ところがエリートというのは別の陣営にもいるんです。今日の新聞にも書きましたけれども、土建エリート、建設業、これは実際に金を持ってきて、それを配分して人々の胃袋を満たすことができるわけです。ところがこの構造が続かないというのは十数年前から明らかになっているんです。小泉改革が出てきたのも土建政治と決別しないとならないと、この構造的な要請なんです。」「ですから土建政治、基地依存型の政治から抜け出すことを、これは人が考えてくれないです。自分たちで考えない。そのために今、大田さんが言っていることをどうやって保守陣営の中に仲間をつくって、どうやって土建屋に仲間つくって、沖縄の利権構造をつくるかということです。」「この土建業の転換というのは現実的に考えると土建業者を基盤とする政治家からやっていくことしかできないんです。」……「農業」へと転換できないかと示唆する大田氏は、沖縄(琉球民族)を日本(大和民族)から分離してみるアメリカの見方、「北緯30度の境界線」という見方が、言語学的、生物学的にも指摘されていることをふまえた上で、次のように軍事的観点を強調する。――「……すなわち、日本人の中には朝鮮半島が三十八度線を境に二分されてしまって可哀想だ。しかるに日本は、ドイツや朝鮮半島のように二つの異なった国に分断されずにすんで、幸いだったという人たちがいる。しかし、彼にいわせると、朝鮮半島を南北に二分する線引きをなしたのは、当の日本人に他ならない、というのです。要するに、この三十八度戦自体、戦時中に日本軍部が配下部隊の防衛範囲を定めるために区分したもので、それが、戦後に日本軍を武装解除するために連合軍が「暫定的な境界線」と定めて、三十八度線以北は共産主義の朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)と、以南は民主主義の大韓民国(南朝鮮)に分割して、今日に至っているというわけです。
 そこで私は朝鮮半島の事例にならい、軍事的側面から北緯三十度線についてチェックしてみました。すると、何とさる太平洋戦争では、北緯三十度線以北は「天皇のおわします日本固有の皇土」で、以南はそうではない新付の領域と位置付けられていることが分かりました。すなわち北緯三十度線以北の皇土防衛の担当部隊は「本土防衛軍」と称されていたのに対し、それ以南の防衛部隊は、「南西諸島守備軍」、すなわち「沖縄守備軍」として明確に区分されていたことが判明したのです。
 このような背景もあって、沖縄を占領した歴代の米軍司令官らは、しばしば、「沖縄人は、日本人ではない」と公言するしまつでした。……」

しかし、古代文化的、その精神的価値側面からみると、冒頭引用の小山修三氏の『縄文学への道』から示唆されるように、そう区分できるものでもない、ということになる。このテーマパークの「金魚すくいと義」で紹介した副島隆彦氏も、「沖縄とか、東北の田舎に行けば、まだ、義の思想が、生き残っているかもしれない。」と述べてもいる。いわば、それはあの仕事と遊びの区別がつかない、近代的な見方からすれば、わけのわからないいい加減な世界というか社会の価値である。そしてそれが、オレオレ詐欺のような事件をおこす文化的な伏線にもなっているのかもしれないのである。ならば、たとえば建設業から農業への転換とは、どういうことだろうか? 農作業というものが、コンベアーの流れ作業とは違うが、勤勉でないとできない、というイメージがある。私は実際に農作業をやったことがないのでわからないが、農業に伴う灌漑工事という、土木事業自体が、中央集権的な権力の統制なくして成立しないものでもあるのだから、両者に親近性があるともいえるのかもしれない。が、その権力規制の末端において、それを裏切る犯罪的な価値が社会や世界観としてなお残存しているようなのである。おそらく、こうした価値継承の潜在構造をもみすえないかぎり、世のいわゆる経済的な構造転換なるものも、うまくいかないのではないか、と推論される。