2010年11月23日火曜日

戦争(死刑)と取り違えの論理


「都市の出現や国家や王、さらには文字の出現に文明の誕生をもとめる文明史観ではもはや二一世紀の人類の未来は切り開きえない状況に追い込まれつつある。さらに、現代文明の危機そのものが、じつは都市や王あるいは高等宗教や文字・金属器の出現に文明の誕生をもとめる文明概念から発しているといっても過言ではないのである。いま問われているのは、文明の価値観の転換であり、新しい文明概念の創造なのである。」(安田善憲著『縄文文明の環境』)
北朝鮮と韓国との間での砲撃事件と、石巻で殺傷事件を犯した当時18歳だった少年に対する死刑判決の報道が、ひきつづいてテレビニュースで流れた。それを見ていた七歳になったばかりの一希が、なんで戦争しているの、なんで死刑にするの? と聞いてくる。子供の「なんで」には答えられないので、韓国では「もう我慢できない」報復すべきだ、という国民の意見の高まりと、自分の子供が殺された親は犯人に死刑という復讐を望む人が多いのだ、という状況説明を付け加える。それでも、子供が怪訝な様子をしているので、人は戦争がしたいのだし、死刑もやったほうがいいとおもっているってことだよ、と率直に言い換えてみせる。「なんで?」と子供はまたきいてくる。「じゃあ、いっちゃんは、」とたとえ話をしてみせる。「いっちゃんが殺されたら、いっちゃんは、パパとママに犯人を殺してもらいたくおもうかい?」一希は首をふる。「殺さなくていいよ。」「じゃあどうする?」「ずっと牢屋にいる、というのはありかなあ……」
戦争も死刑も、何か根本的なところを取り違えた大人(権力者)の、思い込み的な思いやり(復讐)、ということで同じ態度、論理なのかもしれない。北朝鮮への拉致被害者の親の会の言動を見聞きしていても、拉致された当人(子供)がいきなり日本へ連れ戻されたり、親がそれを強烈に願う運動をしていることをどう思うだろうか? と考えてしまう。むしろ困惑するだろう、自分の人生が否定されたような気がするだろう、たとえ無理やり連れ去られたとしても、もう相応な月日がたっている、いや年月になど関係なく、子供は「復讐」など望んでいない。親(国民)の怒りは、もう取り違えなのだ。ならば、我々がまずすべきこと、試みることは、怒りを慎むこと、そして、あくまで親が子を見守るような態度を保とうとすることではないだろうか?
この根本にある取り違えに、最近流布するエコロジーだの、生物多様性だの、森の保全だの、といった言説態度が、有効になりえる論理たりえているのだろうか、と考える。それらはどうみても、経済的に調整させること、つまりあくまで根本はそのままで、利害がなければ人は動かないからそれに乗じることで以前より数値的にましになってくれれば儲けものだ、ということのように覗える。しかしそう考えること事態に取り違えがある、ということだろう。経済(利害)的なやりとりだけが、人の動機ではない、ということを子供たちは訴えているのだから。いやどうも、いわゆる世界史では常識な、世界四大の古代文明でさえ、すでにの取り違え、ということになってきつつあるらしい。100年後の世界史の教科書は、根本から刷新されてくる可能性さえあるようだ。冒頭および、以下の引用を参照。
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「しかしそれだけではなく、縄文人は農耕社会へ突入することを意識的にさけていたようなきらいさえある。富を貯蔵し、貧富の差を生み出し、その富を背景とした権力者が、貧しき人々を搾取するそのような社会に突入することをさけていたように思えるのである。」「一方、日本の縄文文明は、三000年前頃の気候の寒冷化のなか、大陸から稲作という生産様式に立脚した、まったく新しい文明システムを持った人々の渡来の中で終末をむかえた。しかし、その自然=人間循環系の文明原理は、その後の弥生時代から歴史時代に入っても受け継がれてきた。そして、高度経済成長期以前の日本の山村には、いまだ縄文時代以来の伝統が残存していた。トチモチやドングリ団子など縄文時代の人々が作ったのと同じ方法で作る食物まで残存していた。山村の人々の暮らしは、まさに自然と人間が季節を媒介として循環的に営まれた縄文時代の人々の暮らしの延長線上にあった。」(安田喜憲著『縄文文明の環境』 吉川弘文館)

「ラスラップのアマゾン「文明」の根本概念は「家の庭」仮説に象徴されている。「家の庭」仮説とは、古代アマゾン人が社会を建設する際に、アマゾンの自然を大規模に切り開いて開発するのではなく、緩やかに「半」人工化して自然と共生する方法を選んだというものである。半人工化にはさまざまな方法があるようだが、最も単純な方法は、原生林から生活に役に立ちそうな木、あるいは植物を住居の周りに移植して小規模な果樹園、菜園を造園することである。そこで自生の樹木、草木を人工的に栽培して、人間の手を入れて生活に役立つよう改善してゆくのである。この方法は現在のアマゾン先住民の間でも使われているが、自然の生態系を一部切り取って、小規模な人口生態系を創る試みである。一見日本の里山を思わせる発想であるが、ラスラップは、古代アマゾン人はアマゾンの自然を半人工化することで資源として活用し、環境的に永続できる文明社会を構想したと考えた。(実松克義著『アマゾン文明の研究』

2010年10月31日日曜日

自然と理論――『世界史の構造』をめぐって


「この問題は「人間と自然」の関係にかかわっている。ここまでこの側面を捨象してきたのは、「人間と自然」の関係は、人間と人間の交換様式を通してのみ実現されるからだ。「人間と自然」の関係は根本的である。しかし、それを強調することによって「人間と人間の関係」を忘却させるイデオロギーに注意すべきである。一般に、それは、工業社会批判、テクノロジー批判といった文明批判のかたちであらわれる。それは概ね、ロマン主義的な近代文明批判の型を踏襲している。だが、環境破壊をたんに「人間と自然の関係」という観点だけから見ることはできない。なぜなら、環境の破壊=自然の搾取は、人間が人間を搾取する社会において生じるからだ。」(柄谷行人著『世界史の構造』 岩波書店)
久しぶりに、かつて社会運動を一緒にやっていた仲間数人と顔をあわせて話す機会をもった。当時二十歳まえだったような少年も、もう三十歳の青年となる。会社をやめて、中国への旅行から帰ってきたばかりで、またネパールへ旅するという。彼は運動創設者の近著『世界史の構造』など読んでいなかったが、世の情勢に左右されまいとする個人のそんな単独行動(自由)がなかったら、そもそも社会運動など生まれもしなければ必要もないだろう。むしろ、かつての会員らが集まってまた読書会をはじめたというそんな動きのほうが、私には怪訝におもわれる。そこで、その久しぶりの話あいで知ることになった、その著作出版にともなう文学系雑誌での座談会を読んでみて、やはり運動解散後に感じたことを、ここでもう一度確認して書き付けておこうと考えた。すでに何回となく、このテーマパークでも指摘したことなのではあるが。

私の見立てでは、柄谷行人氏がNAM運動後に自分の考えを明確にさせるとっかかりとして使ったのは、その運動プロジェクトとしてあったRAM、というか、その芸術系企画の引率者岡崎乾二郎氏の言説である。柄谷氏は、岡崎氏のNAM原理批判としてあったかもしれぬ「贈与(ハウ)」という観念、柄谷氏が忌み嫌ったムラビトを連想させもする観念を、自分の思想の中で受け入れてみせることで、その概念を批判的に差異(区別)化してみせたのである。言いたい問題点はわかるが、そんなのではだめだ、と。

『文学界』10月号、もうひとかた大澤真幸氏を交えた対談「ありうべき世界同時革命」では、この差異(区別)が衝突することからはじまっている。岡崎氏は、まず「贈与」によって生ずる返礼への「ハウ(呪力)」を、『世界史の構造』の文脈に沿って読み替えてみせるのだが、そこを柄谷氏は「おっしゃる意味がわかりませんが」と切り替えしている。そして、「先ほどの、交換様式Dを最初に想定する意見だとしたら、僕は賛成できない。」と岡崎氏に否定的に釘を刺す。私の判断では、一般的、悟性的理解では、岡崎氏の意見の方が正しい。それが先に(前提として)あるとするから「構造」なのだから。しかし柄谷氏の方が、「専門的用語や概念を正確に理解」しようとはしない、実践的用法として、つまり単なる比喩と開き直って「構造」という言葉を使っているのかもしれない。自分は「門外漢」だとまずは岡崎氏は自分にとみせかけて柄谷氏のそんな言葉への非厳密さに釘を刺してみせたのかもしれないのだが、それが方向(意味)を屈折させて自分のほうに向けられてきたような感じである。しかしそうなると、一般的な理解をまずはしなくてはならない読者としては、柄谷氏の意見は理解困難になるのである。つまりそれ(構造)は、先(無意識)として前提的なのか、後(意識)から作りだしていくものとして考えられているのか? 柄谷氏本人はどうも後者だと言いたいらしいのだが、そんな「構造」というものがあるのだろうか?

この不可解さは、『群像』11月号での対談「世界同時革命――その可能性の中心」でも、島田雅彦氏によってやりとりされている。島田氏はそこで、「抑圧されたものとして回帰」されてくる「構造(無意識)」は、いわば「プログラムされている」ということではないか、と理解しようとする。が柄谷氏は、「違います」と返答する。またむしろ、その「反復(回帰)」が無意識的に再起してくるとする「自然の狡知」という理解、そういう「自然」の概念をもちだしたくない、と付け足す。私の立場(実践)では、この「自然」の区別、その理論的差異はどうでもいいので、<自然が復讐してくる>、と単に互酬的に言っていればよいのだが、柄谷氏はそういう植木職人的、あるいはかつての柄谷氏の江戸研究の用語でいえば陽明学的な自然理解という非厳密さはいやだと言うのである。では、人為的な構造、先にある、のではなく、後から来る、という構造とはどんなものなのか?
*『中央公論』2011.1月号での佐藤優氏との対談「国境を越える革命と宗教」でも、佐藤氏から類比的な突っ込みをなされている。――<柄谷 …だからこそ、構造論的な視点が必要なのではありませんか。前にお話ししたとき、佐藤さんは、右翼の前で、「高天原というのは『統制的理念』である」というと、理解してくれるといっていました。それなら、高天原は交換様式Dだ、といってもいいわけですね。その場合、高天原の意味が変わる。たんに高天原という固有名詞でやっていると、右翼的になる。しかし、本当に目指しているものが交換様式Dだといえば、ほかの者とも連帯できるはずです。佐藤 その考え方ができるのはわかります。そうすると、そこで出てくる数学的なるものは、これもまた変な言葉を使いますけども、リアルなものなのでしょうか。柄谷 それは、まさに普遍論争みたいな話です。佐藤 普遍論争に引きずり込みたいので、こういう問いかけをしたのです。柄谷 簡単にいうと、形而上学というのは、「物があること」と「物の関係があること」の違いを見出したところから始まったと思います。そのとき、二つの世界があるかのように考えられた。物が存在するフィジカルな世界と、関係が存在するイデア界。佐藤 その両者とも、ものごとを観察するという発想から出てきていますよ。柄谷 それはそうですが、われわれは一定の関係をあらかじめ把握していないと、物を観察しても物が見えない。実験は仮説にもとづいておこなわれます。それがないと、実際に物を見ても見えない。佐藤 でも逆に、実際の物を見て、何も悪いことをしていないように私には見えるけれども、国後島にディーゼル発電所をつくるときには賄賂を受け取ったんじゃないかと、検察官の心眼では見えるというふうになるわけです。だから、仮説というのは怖いのです。>

柄谷氏はこの疑問へ、具体的な用法・用例によってイメージ化させているようにみえる。つまり、理論化としてではなく。

<……自然状態というより、たんに「戦争状態」といったほうがいいわけですが。その場合、ホッブズは戦争状態を脱して平和状態を創設するためには、国家を設立するしかないと考えたのですが、彼は明らかにまちがっていた。たとえば、氏族社会には平和状態があった。イロクォイ族の部族連合体が一例です。これは、ホッブズのような「社会契約」でなく、贈与の互酬性による「社会契約」にもとづいていた。>(『文学界』10月号前掲書)

<クラ交易のようなものは、それ自体が交易なのではなく、贈与によって、平和状態、友好的な関係を創りだすためのものですね。そのあとで交易する。だから、このような贈与は「贈与への衝動」というよりも、むしろ、自然状態への恐怖、そこから出たいという衝動、と見るべきだと思います。/ホッブズは、自然状態からの脱出を、全員が一者(レヴァイアサン)に服従するような形態、つまり、国家に見いだした。それが「社会契約」と呼ばれています。しかし、そうでない平和の創出がある。つまり、暴力にもとづくのではないような「社会契約」がある。それは贈与の互酬にもとづくものです。…(略)…つまり、カントのいう「永遠平和」を実現するためには、そのような贈与の互酬性にもとづく社会契約に鍵を見いだすということです。それは、交換様式Aの「高次元での回復」ということになります。>(『群像』11月号前掲書)

上のような言述から言えることは、それが<ヒトの「知恵」>、と呼べるようなものだ、ということだ。この洞察認識前提から、日本国憲法9条による軍備放棄という世界史への贈与実践、という実例、提議案がでてくる。つまり知恵とはある先にある認識が前提とされる意識的な実践だが、それが後知恵とならないためにも、先に提示しておくべきだ、という発想である。だから、自動(自然)的に、次の世界戦争の次に世界同時革命が起こる、というロシア革命時のような期待は批判される。後からくるかもしれない「抑圧されたものの回帰(無意識)」は、意識的に先に「回復」されなくてはならないのである。しかし理論レベルでいえば、この発想は、論理として筋が通っているのだろうか? 私には不透明である。

*憲法9条による軍備放棄ということに関し、私は、それを日本サムライの切腹という贈与儀式の実践として、伝統的に提示した。その提言は、ドストエフスキーの『白痴』』にみられる世界的作者の切腹への共感、あるいは、トムクルーズの『ラスト・サムライ』にみられたインディアン(=縄文人、狩猟採集民的、恥と名誉の倫理)にみられる世界史的類似構造性、ということにも結びつけられた。私は「門外漢」な素人なので、まったく理論的ではないとしても、私の現場では、とくに右翼的な現場では、こちらのほうが説得力をもつだろう。国連重視の柄谷氏の発言自体は、すでに他の運動家でも言っていたことではあったろう。が、氏の発言がある種の説得力を持つとしたら、心情的、信念的、根拠なき運動家の意見とちがって、そんなことをいうのは「なぜ」か、という「ヒトの欲求」に答えられるような文脈、背景をふまえて意味づけられているからだろう。しかしならば、なおさら氏の理論化しようとする「知恵」が、論理的に提示されているのか、提示されることが可能なのか、を問うこと、つまり、その原理の根幹を明確にしようとすることは、必要な原理論作業の一つかもしれない。

悟性重視にみえる岡崎氏は、論理推論的に、原子力や情報テクノロジーのカタストロフに言及する。それは一見、安易な取り込みにみえるけれども、氏の現場と結びついた事例である。その思考が論理に厳密たろうとするのは、氏に実践があるからで、逆に、柄谷氏の理論が非論理な実践性を提示しているのは、氏の立場が理論家である、ということからきているのかもしれない。岡崎氏の批判が正当であるようでも、柄谷氏のほうに説得力が感じられてしまう<ねじれ>にこそ、原理論の難点、盲点、アポリアがあるということだろうか? つまり、あくまでその内容如何ではなく、原理発想の出所において。出所の論理の理論的不明瞭さは、実践上の具体的現場において、当思想家本人の判断や嗜好の恣意性に左右される。あるいは一般会員をしてふりまわされているように感じさせる。ならば、この新しい著作をいくら読書したとて、同じ過ちが繰り返されるだろう。ネットで調べてみると、読書といっても、岡崎氏のように自らの現場からどう読む=使うか、という実践性によってではなく、あくまで哲学・文学史的な教養文脈の延長によって支持者に解説されようとしている。しかし、そんな文脈は、現実のどこにもなく、あるとしたら、かつての大学の体系の中においてだけだろう。
われわれNAM残党は、同じ過ちを繰り返さないためにも、柄谷のことなど知ったことかと、自らの現場の単独(固有)性こそをまずはより自立すべく努めるべきである。それなくして、連帯(連合)などない。

2010年10月22日金曜日

野球、サッカー、そしてダンス


桑田 そうですね。ぼくが飛田穂洲の思想を表現するにあたって「絶対服従」という言葉を使ったのには、理由があります。野球は監督の指示に従ってプレーしますから、絶対服従のスポーツではあるのですが、じつは試合で絶対服従がどれだけ生きるかというと、生きないんです。言われたことしかやらない、言われたこと以外をやると怒られるわけですが、じつはそれでは勝てないんです。
 なぜなら野球では、1球1球状況が違って、飛んでくるボールの速さや角度も違えば、風もあり、打順、点差、さまざまな要因で、なにもかもが変わってくる。だから本当は、自分で考えて動ける選手じゃないと、首脳陣からの信頼は得られないんですよ。でも、練習では絶対服従で、自分の言うことをきく選手をつくっているわけだから、試合に勝てるわけがない。勝てないから猛練習をする。また勝てない。これは悪循環ですよね。」(桑田真澄 平田竹男著『野球を学問する』 新潮社)

野球界が抱える問題を根底から考えてみたいと早稲田大学の大学院で研究し、首席で卒業したという元巨人軍の桑田真澄選手。私と同世代の桑田氏によれば、その研究の端緒とは、先輩や指導者からの「いじめ、体罰、無意味な長時間練習」という体験であり、いわば「悪しき精神主義、根性主義」がどうして成立していったのか問うことだったという。私はまず桑田氏のその態度に敬服する。同時に、父親当人は野球などしたこともないのに、ジャイアンツのV9に感化され、長嶋選手にあこがれ、漫画『巨人の星』の一徹親子よろしく、我が子とマンツーマンで野球と取っ組みあう父子関係をもった最後の世代であるかもしれないながら、少年時代には清原選手のように、封建的というよりはより民主的な『ドカベン』を面白くテレビ観賞してきたわれわれ世代だからこそ、問いかけはじめられた疑問なのではないか、とも思う。そう私が振り返るのは、高校での野球生活で、私自身が桑田氏のような疑問に苛まれ、はややる気が崩壊していた、という経験があるからである。高校の頃の私は、昼に起きて登校し、部活の野球だけをやって帰宅し、夜には漠然と芽生えた疑問がなんなのかと、哲学書や文学書などを朝方まで読み続ける、という生活を続けたのである。いや夜学の早稲田文学部にいき、卒業後も夜勤務などをしてしのいでいた私は、27歳ぐらいまで、そんな昼夜逆転の回り道生活をしていたのだ。まがりなりにも疑問をはらすのに、10年近くの歳月がかかったのだ。ただ私に懐疑を抱かせたのは、桑田氏が体験した「絶対服従」的な部活生活ということではなく、あくまで、それと戦後(?)民主主義的な在り方への落差においてであった。つまり、軍隊生活的な中学の野球部から、私はその数年前に甲子園に初出場して世間を騒がせた公立の進学校の野球部にはいったわけだが(山際淳司著『スローカーブを、もう一球』角川文庫、のモデル高校)、そこはすでに、桑田氏がPL学園で自ら勝ち取っていった練習のような、民主的な自主トレだったのである。(…しかしそれは、甲子園出場をなしえた監督のなせる方針だったかもしれない。きくところによると、いまは猛練習だという)――なんだこの生ぬるい練習は、と先輩たちをみておもいながらも、先輩たちは強かった。入部してすぐの関東大会では、横浜のY高をやぶり、東京の創価を破り、そして決勝では、同じ群馬代表の、いまはプロ野球西部ライオンズの監督をしている渡辺投手ひきいる前橋工に1-0でおしくも負けた。その後、打倒渡辺対策のバッティングピッチャーにかりだされた私は、肩を壊したが……。しかし、おそらく桑田氏も、その野球体験はただ封建社会的なものだけだったわけではもはやなかっただろう、とおもう。いわば、われわれは、『巨人の星』と『ドカベン』を、「一身にして二世を経る」(福沢諭吉の言葉、だと思うが…)、ような体験として出くわしたのである。

私はいやだった、封建社会も、民主主義も。その絶対服従も、要領のよさも。世間も、官僚も。

桑田氏の対談相手であり、サッカーJリーグの創設にも携わったという平田氏は、「おそらくサッカー界は、野球の軍国主義的なやり方をすごく否定してきた」のであり、「言ってみれば、野球を反面教師にがんばってきたつもり」なのだという。しかしその過程で捨ててきてしまったものがあり、「絶対服従はいけないが、礼儀正しさとか、丁寧さとか、日本人として守らなければならないものまで捨ててはいけない」、と。

作家の村上龍氏がインタビュアーになるテレビ番組「カンブリア宮殿」で、元サッカー日本代表監督の岡田氏は、リスク(責任)を負って監督から言われたこと以外の個人判断を選手に実践させていく、その苦労のことにふれられていた。日本は文化伝統的に、個人が大人しくなってしまう、という話のなかで。対して村上氏は、松井選手の切り替えしセンタリングを落ち着き払ってシュートを決めた本田選手をほめ、しかし勝敗を決めるのは、そのような個人の才能だったり、経験だったり、ひらめきだったりするんですね、と返答していたようにおもう。私も、あのゴール前であわてずにきちんとボールを「止めて、蹴る」、という基本を実行できた本田選手に新しさを見出したが、しかしそれは、今までだったらあわててはずしてたんですが、と村上氏も伝統(個人のひ弱さ)をふまえて前置きしたように、私はむしろ、今まで(伝統)があったからこそ、あの個人が生まれたのだ、と理解する。城選手の急いたボレーシュートの失敗があったからこそ、本田選手の基本技が新しい伝統として創造されてくるのだ。つまりまた、そのように個人の緊張がなければ、伝統は継承されないのだ、と。

一人親方として仕事をすることが多い植木屋の技術とてそうである。系列にはいって言われた仕事だけをこなしているのならば楽だが、状況の変化に弱くなる、つまり個人でどう動くか、という鍛錬を積むことができていなければ、単に倒産してしまう。かといって、そこに入らなければ、選ばれなければ、信用を得なければ、年を越せる仕事量にありつけない。つまりやはり失業してしまう。この個人と組織集団(系列)の緊張の中でこそ、技術が生き、生きた個人の間にだけそれは継承される。

歴史とは、固有名の連続、持続、ということではないだろうか?

岡崎 ……ピナやマースといった固有名が消えたあとも、それが継承できる形式になりえていたかどうか。もしそれが、既成のジャンルには回収されえないようなものであったならば、むしろ、それが固有の形式をもっていたかどうか、本当に表現ジャンルとして(本人なしでも)自律していたかどうかが問われる。亡くなってしまうとはっきりわかりますね。確かにそれは影響を与えただろうけれど、本人たちがもっていた過激さは失われてしまう。回収できる影響しか残らないということがある。>(「ピナ・バウシュ追悼・身体技法の継承と制度化」 浅田彰+岡崎乾二郎+渡邊守章 『表象04』所収)

伝統あるヨーロッパや南米のサッカーチームが強いのは、かの地の子供たちが草サッカーで名前を引き合いにだし、成りきって実演するための固有名を幾人も抱え込んでいる、ということではないだろうか? カズ、ナカヤマ、ナカタ、……この連なりが多くなるほど、逆にいえば、そこに名を残そうとする個人が持続的に発生し、積み重なればなるほど、日本サッカーの伝統が反復創造されてくる、ということではないのだろうか?

2010年9月16日木曜日

政(まつりごと)と果実


「したがって、『人間学』は文化の歴史でもなければ、文化の諸形態の分析でもなく、あらかじめ有無を言わせぬかたちで与えられている文化の実践となる。この実践は人間に対して、自分たちの文化そのものに世界の学校を認めるよう教えるのだ。」(ミシェル・フーコー著『カントの人間学』 王寺賢太訳 新潮社)

カブトムシの幼虫が育ったあとの、糞だらけの培養土をただ捨てるには忍びないと、ベランダ菜園をはじめてみた今年。とりあえずはトマトとナスとシシトウ。この土再利用のアイデアは面白いと自惚れながらも、野菜を育ててみる土にしてはカブトの糞がでかすぎなのではないのか、糞が多すぎで果実の味がおかしくなるのではないか、と心配していたのだが、ちゃんと結実し、食べてみても問題はなかったのでひと安心。ただ普通のミニトマトとシシトウは、次から次へと果実を得ることはできるが、、ちょっと高価なシュガートマトだの、ナスだのは、一度採れると土の栄養が切れるのか、もう終わってしまう。やはり追肥が必要なのかな、と思うのだが、土にはなおたくさんの幼虫カブトの糞が残存している。女房は、有機肥料などと呑気なことをいってないで、液肥を買ってプランターにさしこんでいればいいのよ、と息巻くのだが、金かけてやるようなものじゃない。米のとぎ汁をとっておいてよ、といってもいまなお協力の気配なし。でもまあ、やはり野菜は土作りから、と実感できただけでもやらないよりはやったほうがましだったとおもう。6階に住んでいると、植木鉢には雑草も生えにくい。たまに生えてくるクローバーを、女房が根こそぎ抜いてしまうので、マメ科は窒素を固定化するから養分蓄積にはいいんだから抜くなよ、としかる。が逆に、土の中での微生物も寄生しにくいらしく、さなぎや成虫になってから死んだカブトムシの死骸が、プランターの土の上にいつまでもその原型のまま残存している。金魚の死骸と一緒に。アブラムシやイモムシに葉を食われる心配もそうしなくてもよさそうだが、だからこそ土作りをきちんとやらないとかんのだな、と考える。じゃあ今度ははコンポなんとかという腐葉土作りの入れ物を残材で作って、そこにカブトムシの幼虫の糞交じりの培養土をいれ、ミミズを捕まえてきていれ、ベランダに飛んでくるケヤキの枯れ葉をいれ、残飯をいれ、たまに米のとぎ汁をかけて栄養価たっぷりの土をつくってやろう、それでうまくいったら、次には収穫物から種を採取してそこから育ててみよう、と実践欲が湧いてくるのだった。
とまあ、私が試みる実践などとはこんな程度のことになる。庶民の度素人な自己流趣味だ。それは、世の中を変えることとは関係がないかもしれない。しかし、私がここのベランダに立っているのは、青年時の引きこもり登校拒否からフリーター、植木屋になって三十歳半ばをすぎて結婚し一児の父になるまでの過程があってこそ、である。その試行錯誤自体が、ベランダ菜園という試行錯誤を産出している。その実践は、山に登り、子供と田植えをし、といった観念への渇望を生み出すことにつながっている。この夏の異常な暑さで、ぎっくり腰がなおったとおもったら日射病にやられて、田植えした里山への稲刈りには参加できなかたったが、たまたまこの団地の会が、親睦交流を結んでいる群馬赤城山麓への稲刈り体験を募集している。私の地元群馬県の高校の同期会にいけば州県制の話であり、中学の同期会にいけば市町村合併の話だった。私の軌跡と、身近な実践と、観念と、現状は、からまりあっている。おそらく私にできることは、そのそれぞれの糸を私の身近において編んでいくことなのだろう。
民主党選挙では小沢氏が負け、菅氏が勝った。一般的には、インテリ層が小沢氏支持で、大衆層が菅氏の支持であったと見受けられる。しかし新聞で報道する傾向とは違って、一人一票の得票率では大差はなかった、と私は受けとめる。小沢氏自身、党員・サポーター票が9万対13万という結果だったことに、そう認め、おそらく次の戦略の具体性を思い浮かべてきただろう。選挙前の世論調査という新聞報道自体が世論(特には態度曖昧な国会議員への)操作だとか、アメリカと対等に付き合おうとする小沢派と、対米追従の財政をとろうとする菅および官僚側という対外的闘争が、「政治とカネ」という偽装された内輪問題でごまかされた、という意見もある。その通りだとしても、こうした大きな政(まつりごと)は、なぜかもはや私の身体には反応してこない。むしろ、その世間的には意義ある真剣さだったかもしれぬ祭りは、ゆえに国家の権能を一層神秘化させることになったのではないか、その目に見える一契機だったようにおもえる。つまり、日常的にも、目に見えた動きが、緩慢だった日本(アジア)でも見えてくる。サプライズといわれた選挙後の政府・日銀による市場介入は、そうした国家の神権化の趨勢の成り行きだったのではないか? 小沢氏は介入すべきと選挙ではいっていたが、それに反対ではあった菅氏でも準備するはめになったのは、政治家個人の力量を超えた波に流され始めたからではないのか? 
ベランダのプランターに実るミニトマトは、大きな政とは関係ない実践果実かもしれない。けれども、そのささいな出来を注視する日常・庶民的な注意を忘れることは、実際の実に繋がっているかもしれないより糸を、選挙された国家神秘主義(ファシズム)という魔法の一手で、一挙両断されてしまうかもしれない。

2010年8月6日金曜日

サッカーと構造


「ここまでは、いわばサッカーの準備期間と考えていい。テクニックのベースができて、その使い方も覚えた子供たちは、次のステップを踏み出すことが可能になる。それは「サッカーを読む」というトレーニングである。もちろんFCバルセロナ(バルサ)のカンテラ(下部組織)時代にも、テクニックを磨くトレーニングがなかったわけではない。しかしそれはウォームアップの段階や、トレーニングの最後に組み込む程度で、あくまで重きを置いたのは「プレーを読む」、つまり状況判断を磨くことだった。」(『史上最強バルセロナ 世界最高の育成メソッド』 ジョアン・サルバンス著 小学館101新書)

たいがいの植木屋さんは、剪定残材をトラックに積むのに、荷台にコンパネを立て、箱のように囲いを作ることで対処している。そのコンパネを縦に使うか横に使うかはまちまちだが、縦使用は荷重に押されてコンパネが倒れてくるのを防ぐためにロープで巻いたり、その高さのために後からしか積めなくなるという面倒がある。横に使う場合、ゴミの集積状況に応じて、コンパネを上にスライドさせていかせることになり、状況判断を怠ってそのままにしていると、荷の圧迫でもうコンパネがあがらない。律儀な職人さんは、そうあがらなくなるまでよく残材を踏圧したほうがたくさん積み込めるのだ、と無理やり若い人にさとしたりしているが、あげてから踏んでもかわらないだろうに。いつもうんうんうなって苦労してあげさせている。私は馬鹿馬鹿しいので、若者には、早めにあげておけ、というのだが、むしろ若者はそのちょこまかな判断が面倒なので、コンパネをあげるのを怠って作業を続けてしまう。すると、もうあがらない。黙ってそのまま仕事をつづけている。そのままではろくな分量が積み込めずにゴミが溢れてしまうので、自分が荷台にのってこの野郎とばかりにコンパネを引き上げようとすると、バキッっと、腰のほうが折れる音。そのまま残材の上に仰向けに倒れて、身動き不能になってしまった。

このぎっくり腰のおかげで、しかしW杯のテレビ観戦はよくできた。仕事は休めないというので、明日仕事でも、横になって寝ると、起き上がれなくなるので、一週間、椅子に座って寝た。寝れないので、テレビをつけて、深夜や早朝のサッカーを観ることになる。パラグアイやウルグアイの試合をみていると、夏の甲子園みたいで、選手の必死さがよく伝わってきて、面白い。がスペインの試合となると、眠くなってきてしょうがない。弱者がカウンターの一瞬にかけるのは素人目にもわかりやすいし、物語性があって興奮もするが、パスサッカーとなると、とにかく単調で、ハイになる場面が素人目にはつかみにくい。もともと、点取りゲームとはなりにくいサッカーはそうなのかもしれない。私が中学生の頃だったか、東京12チャンネルで、週に一度の夕刻、ヨーロッパのサッカーを一時間ばかり放映していた時期があった。あの緑の柴の上を、ボールがゆったりとあっちへいき、こっちへいき、スタジアムでは、当時もブブセラの音だったのだろうか、眠気を誘うを間延びした笛の音が響いていた。それは不思議な感覚だった。退屈なのだが、言い知れぬ快楽がある。

「サッカーしているのに、どうして戦争があるの?」と、W杯での日本の活躍に、少しづつサッカー小僧的な熱意を示しはじめてきた息子の一希は、そう尋ねてくる。戦争していて、サッカーの試合にでれなくなる場合もあるんだよ、と状況証拠的な解説しかできない自分がいる。サッカーをみていると、どうしてもローマ時代のコロッセウム、パンと見世物、というヨーロッパの歴史を思い起こしてしまう。実際、チームは大金持ちの所有物であったりする。選手が、スタジアムで闘わされる妾にもみえてきてしまう。カメルーン出身のエトーは、財団を作って地元の貧しい子供たちを支援している。メッシも、難病を抱えた子供たちを助ける財団を作っている。日本の中田氏も、団体を作って世界中の貧しい子供たちにサッカーボールを配りながらその地域の活動を助けている。私には、氏がブランド品を身につけた格好で、さっそうと被支援者のもとへ赴く姿は、ほんとうに偉いことなのかと疑問もわくし、マイクロソフト社のビル・ゲイツの、資本構造に寄生した慈善的偽善のようなことを、オーナーにかわってサッカー選手個人が代理しているような構図だな、とも思うのだけれど、個人の活動を構造に還元してもしょうがない。その個々人の純真さがなかったら、構造も変えられないだろうから。

腰が治ってくると、仕事もなくなってきて、今度は休んでいい、となる。ずいぶんと都合のいい話だが、そういう構造にのっかっているのだから、そこでジタバタしてもしょうがない。むしろこの時を有意義に使って、構造から出られる次の領域へ繋げていこうとすることだ。若い人は早まって、早急な判断をくだすかもしれない。中田氏がスペインのシャビ選手を評価していったように、「(周囲をみるための)首を振るタイミングがいいんですよ。疲れてくると、まわりをみなくなったりするんですが…」――そのちょこまかした動きをつづけ判断を怠ることを自制できるのがベテランの技なのかもしれない。私はどうも、もう若い人を気にかける余裕がなくなってきている、というより、どこか見限っている判断をくだしはじめているのかもしれない。

が、子供たちは別だ。バルサのカンテラのコーチだったサルバンス氏は、日本のスカウトができがった人材を探して「補強」しようとしているのに対し、ヨーロッパのスカウトは、公園で草サッカーをしている子供たちをみつけ育てることを目指している、という。できあがった人を変えるのは無理だ、そしてできあがった構造を変えていくには、まだできあがっていない子供たちを育てていくのが、回り道なようで近道なのではないだろうか? つまり、「サッカーしているのになんで戦争がおきるのか?」、そんな子供の疑問に、こちらもが一緒に考えていけるような共存条件を作り、維持していくことではないだろうか? そうでなければ、子供はいつしか自分のような大人になり、大人の自分は相変わらず、のままだろうから。

2010年7月23日金曜日

庭から森

ホームページ<ダンス&パンセ>のテーマパークでは、特集《庭から森》と題して、エセーを掲載しました。



そちらをごらんください。

2010年6月26日土曜日

W杯、理想と現実


「例えば野球ではWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)において、日本はアメリカに勝利した。私にとっては、これは想像を絶する結果だった。しかし、サッカーでは、日本人の成長は停滞気味で緩やかである。それが彼らを悩ませている。まだ、バスケットボールの世界でもNBAに肩を並べるほど強くなることは難しいようだが、サッカーでならば、日本人は野球と同じようにできるはずなのだ。(イビチャ・オシム著『考えよ!――なぜ日本人はリスクを冒さないのか?』 角川oneテーマ21)

「ゴールまえで立ってるのよ。もっと守らないとだめでしょ。」と女房、子どものサッカー練習を見ていて一希をそうなじりはじめる。小学生のグループに入りはじめて、6年生をおさえて6試合で5得点と得点王、ゴールの味を覚えたのか、走ることが少なくなる。私が見ていたときもそんな様子だったが、先輩たちもストライカーとして信頼しているのか、「イッキ!」とパスをだしてくる。その横で、ああだこうだと女房が騒いでいるので、私はうんざりしてくるのだが……。まず、自分で考えること、幼児の頃のボールにわあ~っと集まっていくだけの動きとは変わってきたのはその証拠だ。ここにいれば、一番シュートできる確立がたかい、と自分で発見していったのだろう。それは、ゴールする喜びを覚えたからだ。そこから逆算して論理的に演繹しはじめている、ということだ。そういうサッカーには特に必要な論理思考を自己訓練しはじめてきているのに、いきなりああやれこうやれと指図するのは、それこそオシムが日本サッカーに求めた、「考えて走る」力を削いでしまうことになる。そのうち、そんなオフサイド(待ち伏せ)攻撃でもゴールを決められなくなるに決まっている、そのときどうするのか、と自分でまず考えさせることが重要なのだ。ゴールが目標(論理の帰結)なのだから、まずその喜びを知らなければ、そこに展開させていかせるイメージ力がはじまらない。周りの親たちのまえで自分の息子が楽していることに親が耐え切れず子どもをなじり、いい子にさせていかせようとするのは、それこそ日本サッカーが反省し、なんとかこの文化的癖を是正していかせようとしている方針に逆行していくことだろう。
最近の朝日新聞のアンケートでも、日本のサッカーにストライカーがいない、とか、決定力がない、とか見られるものを、自己主張しない、とか、出る杭は打たれる、ような日本の文化的な習性からきている、とみている人たちが多い、と知られる。私もとりあえずはその前提認識を共有するが、だから無理、諦める、という話になるとは思っていない。オシムは、なんで日本のプロ野球が世界一になったのかは「想像を絶する結果」だと述べているが、まさに封建的に愚直な野球界のほうが、サムライ魂が濃厚だからだ、というのが私の見解だった。しかし、それは本当の強さだろうか? 岡田監督自身が、野球部にある、先輩に対する問答無用な緊張感、その厳しさに耐え切れないでサッカー部に転向したとしても、その弱さから少しづつ強くなっていくという民主的な手続きと緩慢さにおいて、本当の強さが培われるものではないのか? と野球部での私は反省した。だから息子には、自分のような「奴隷根性」を身体化させられるのではなく、自分で考え意見を言える強い大人になってほしく、日本ではまだましなサッカーを選んでほしい、ということなのだった。そして、今回のW杯、日本チームを見ていて、そんな強さへの進歩が見られたことが、私にはなによりもうれしかったのだ。そこには、封建的な伝統ではなく、民主的な伝統が作られはじめている。カメルーン戦での解説者の山本氏は、これまでの蓄積がこの結果を生んだことを強調していたが、私も同感だ。サッカー自体は、決して強くはなっていないだろう(まるで優勝したかのような選手とサポーターというか国民の喜びようをみていると、次のパラグアイ戦でそれが証明されてしまいそうだが……)。しかし、これまでのW杯での負けが、サッカーを知っている、という経験知的な領域にフィードバックされているようにおもう。

稲本「役割分担が明確だから、みんな落ち着いていた。見る方は冷や冷やだったでしょうけど」
遠藤「カメルーン戦は、球を奪っても焦って縦にけり返すばかりだった、もっと落ち着いてパスをつなぐことも必要だった。オランダ戦に向けた修正点になる」

今ちょうど、決勝トーナメントに進出した韓国がウルグアイに2-1で負けた。対アルゼンチン戦をみてもおもったことだが、技術的に両者にそんな開きがあるようにはみえない、が、サッカーを知っている、というレベルにおいて、質的な差があるのではないかと思えた。野球でならば、それを知っているチームとそうでないチームとの差は、端的には走塁に現れる。リードの仕方ひとつでプレスをかけてくる。隙あらば走ってくる。そうやってミスを誘うのだ。プロともあらば守備側もそれに対応しているとおもわれるが、5月の日本プロ野球交流戦、ヤクルト対ソフトバンクを神宮球場でみていたら、ヤクルトのセカンドがずれていた。盗塁で二塁に進塁したランナーを背負って、バッターは一打席目に本塁打を打っている4番打者。遊撃手の宮本は、芝生の切れ目を越えた深い位置についている。ランナーを牽制するのはセカンドの役割、とはっきりさせるのはいい、が、その二塁手の守備位置が、半歩一塁よりすぎるのだ。せっかくシフトをしいて打者にプレスをかけようとしているのに、それでは半端になってしまう。だから、最初は小さいリードのランナーが、ピッチャーが投げようとするタイミングを見計らってさっと大きくとる。集中の切れる投手はカウントを悪くして、ノーツーから一打席目と同じ放物線を描いた逆転のツーランを打たれてしまう。原因は、セカンドの位置取り半歩不足と、それを見逃さなかったランナーのプレスの技術である。つまりそういうところに、野球を知っているかどうか、という差がみえてくる。韓国のサッカーは(日本をふくめて)、この意識的な微妙さを欠いたマニュアル的な攻撃にみえてしまうのだ。それに比べ、アルゼンチンは臨機応変に多彩であり、ウルグアイは明確だった。この差はどこからでてくるのだろう? 幼少の頃からボールを扱っている条件は変わらないだろうから、いわゆるボールコントロールの技術の差ではない。ではなにか? 私は、伝統(経験知、モデル)のあるなし、だとおもえた。ジダンは子どものころ、団地の空地での草サッカーで、単にゴールを目指してボールを蹴っていたわけではなかった。「俺はトッティだ」とか、フランスのヒーロー選手に皆が振り分けられなりきって、その役割をなぞるようにフォーメーションを組んで遊んでいたのだ。私は、この遊び方の違いが、サッカーを知っている、という微妙な態度技術に刷り込まれていくのだとおもう。スペインのバルセロナの指導方針でも、この実践的な技術を意識的にトレーニングさせているようだ。それに比べ日本の練習は分割的であり、子どもの頃から役割(大人)的にやらせると、女房のように、不平等感に苛まれて、親から文句がくるかもしれない。しかし、このワールドカップで、本田が、遠藤がみせた。子どもたちは、「俺は本田だ! 遠藤だ!」とその役割になりきってボールを蹴り始めるかもしれない。そうした経験が、重要なのではなかろうか? そして実際、中山を尊敬する岡崎の対デンマーク戦三点目は、中山のW杯初ゴールにどこか似ていた。しかし、カメルーン戦後の遠藤が自省するように、あるいはオシム氏が指摘したように、決して質のいいサッカーではなかったろう。本番前テストマッチの対イングランド戦でも、解説者のセルジオ越後氏はなんでここで後にパスをだすのかと、遠藤の選択を疑問視していたが、なお無理だったのだ。世界の強豪相手には、中学生レベルのクリアでしかピンチをしのげないサッカーの程度なのだ。岡田監督の後退した決断は正しかったことになるだろう。おそらくその壁を超えるには、遠藤のマイペースを取りもどす選択(鍛錬)よりも、それで試合の流れを変えられる程度の差ではないのだから、むしろ相手の流れの中にとびこんで、がむしゃらに泳ぎきっていくしかないのではないか? 海外でプレーする選手にはそれがみえているようにおもえる。私は、日本から出ていない遠藤や、日本サッカーのエリートコース出身第一号とされる阿部選手の活躍を面白くおもうけれど、なお理想とするサッカーをやれる現実的条件を勝ち得ているようにはみえない。

だから、国民が終わってもいない大会にはしゃぎすぎるのはどんなものかとおもう。日露戦争に勝った日本が現実を見失って妄想の世界に突き進んでいったように、勝利が歪曲された習性を、似非文化や似非伝統を身に染み込ませることもあるのである。