2012年6月22日金曜日

「愚民」の在り方(2)


大塚 ただぼくは「土人」を「動員」してまで自分の理想とする「良い社会」をつくろうとは思わないのです。「土人」は考えなくてもいい、システムを改変し、考えなくても自然によりマシなほうに行く社会設計してあげるって、本当は一番ナメた話でしょう。まあ、でもたいていの「土人」はそのほうがいいて思うでしょうね、楽だから。だから「近代」をやり直すチャンスをまたスルーすることに絶望を通り越してあきれている。…(略)…
宮台 大塚さんが土人とおっしゃるのは、僕がよくいう「依存体質」にあたります。詳しくいえば「よく分からない大きなものに平気で依存する習慣」「全体性に無関心なまま平気で依存を継続する習性」です。こうした<心の習慣>は短期的にはどうにもなりません。単に、大塚さんがいわれたように、土人としての自画像を見せることができるだけです。(『愚民社会』 大塚英志 宮台真司著 太田出版)

図書館から上記の『愚民社会』を借りて、最近の対談だけ読んでみる。案の定、浅田彰氏の「土人」(私は「野蛮人」と記憶しているのだが…)発言が言及され、その日本人認識の共有前提の上に議論が組み立てられている。ジャーナリズム的、社会表層的には私も二人と現状認識共有できるところが多々あるけれど、その基本的、前提的な認識、人間や自然に対する理解や信頼といった根源的な認識において、やはり違いがあるのだろうな、と感じる。現在も読み続けている渡辺京二氏の言葉に、次のようなものがあるのだが、むしろ私は渡辺氏の理解に共感する。

<つまり人間には、ものごとのイニシャティヴをとる奴ととらぬ奴とがいる。ことに任ずる少数の人間と、人まかせのほうが気楽という大多数とがいる。これは人間の気質にそういう二種類があって、その結果そういう分岐が生じるのではなくて、もともと集団というものに、そういう役割のちがいを生み出す構造が内包されている、と考えたほうがいい。人が交わって存在せねばならぬ領域すなわち社会は、ひとつの文化制度である。国家は人為的制度だが社会はそうでないと説く学説は、観察の一貫性を欠いている。国家はただ抽象のレヴェルの高い制度というにすぎない。人の交わりが処理せねばならぬ業務を生むかぎり、その交わりは制度としてあらわれる。なぜなら、共同ということからあらわれる業務すなわち運営責任は、ひとつの安定的な様式をとらねばならぬからである。つまり、役割の分化のない集団はない。制度とはその役割の分化のことである。何らかの集団があれば、かならず運営の責任を担うものとそれを人まかせにするものとが生まれるのは、人にそもそも集団から免れたい衝動があるからである。/ 人が集団に属するのは、かならずしも好んでのことではない。それでいて集団の運営にイニシャティヴをとるとすれば、それなりの理由がなければならぬ。それが利得であるか支配欲であるか責任感であるか、それはこの場合、問題ではない。いずれにせよ、それにうながされて責任を引受けるものがあれば、他の成員は心労を免れてよい。集団にはそもそもそういう構造があって、一同を抜かりなく見渡しているものと、何となく窓の外を見ているものとの区別が生じるのである。>(「大衆の起源」『民衆という幻像』 ちくま学芸文庫)

渡辺氏は、旅行先での日常的な人間関係から上のような普遍的認識を導き出す。いわば、働き蟻の生態――3割の真面目蟻をどけても、残りの怠け蟻から3割の真面目蟻が出現する――に似た、類的な人間としての構造を予感するのである。たとえば、現場責任者として作業量も質も高い私が仕事を休んでも、現場は成立する。この「成立」のうちには、作業量や質が落ちる、ということも内包されている。しかしだからといって、その”違い”から私をエリートとして定立し、馬鹿を疎外し、選抜者の社会支配を維持しようとする実践前提は間違いなのである。類的人間個人倫理として。私が現場でどれほど馬鹿を馬鹿扱いしても、それでも「社会」は成立すると信頼している。たしかに、その”違い”のために――馬鹿はその違いを認識できず、というか、これ以上馬鹿扱いされたくないのでその差異はないと言い張って自分を慰めようとする卑小なことしかできない――「客ばなれ」が生じて会社に損害がでるかもしれない。(が、誰でも雇うような小さな庶民経営では、そのこと事態が織り込み済みの、寛容というか、諦めた経営者態度になっている。あるいは、馬鹿の方が支配しやすいので、会社は縮小しても経営者の自己は保てるので、そっちのほうがよい。)…しかしそれでも、残る客もいるほど社会には弾力性があるのだ。ましてや、私個人の人生を超えて長期的にみれば、そんな”違い”は何ほどでもない。10年に一人の天才プレーヤー、100年に一人の天才アーティストが出現したとしても、その五十歩百歩な能力差が意味を持つのは、あくまで短期的・微視的な視野においてである。メッシやイチローの記録が千年後にどう評価されるのか? われわれは、当時としては著名だったかもしれぬ者に彫られたミロのヴィーナスとギリシャ古代の他の発掘物たる皿や壺に、その”違い”に、意味を見出すだろうか? ラスコーの壁画から個人差を認識しようとするか? しかしわれわれは、それを差異なくして受け入れているではないか? その類としての信頼。

渡辺氏が面白いのは、その構造に孕まれる時間差を「大衆の起源」と見つめた上で、将来の時間をも観念してみせることだ。

<戦後のわが国の「大衆」についていえば、私は、彼らが民主的参加なり知的自己啓発なりの方向で、社会の運営・管理にあずかることに希望を見出したことは一度もない。私はただ戦後の過程を、「大衆」が個となる方向でのみ理解している。だが、この過程について考えるとき、私の眼の前に現れるのは「大衆」ではなく、私をふくめての日本人である。そして、現代の日本人を考えるとき私の関心は、彼らの特徴とされる個人主義やら、あるいは個人主義の浸透にもかかわらず根強いとされる共同体指向、いいかえれば他者への「あまえ」やらの表層的な社会心理ではなく、自分のなかの個の深まりへのみ向かう。この個の深化こそ、私にとっての「大衆」問題なのである。私はひとりになりたいからこそ共同的なものを求める。日本の「大衆」もまったく同様だと私は信じる。>(前掲書)

2012年5月15日火曜日

「愚民」の在り方……渡辺京二氏からのノート

ゴールデンウィークに実家に帰って、砕石敷いて駐車場がわりにしている裏の自動車の乗り入れ口を平板とモルタルで整備していると、隣家のおじさんがやってくる。そしてコテを手にして手伝ってくれる。おそらく、地元の進学校をでて上京していったお隣の優等生がなんでこんなことができるかのか、何を東京でしているのか興味をもって近づいてきたのだろう。こちらも自分が何者であるか説明しないと居心地がわるいので、「向こうで植木屋を二十年やっているので、まあプロなんですけどね。」と、まるきりよそ者みたい自己紹介する。おじさんは驚いたが、そのうち砂が一袋100円でこちらは安いが東京は高いだの、生垣作りもするのでホームセンターで買ってきた支柱丸太が600円もして高いねえ、とかお互いうなずきあっているうちに、私は育った地元ではじめて隣人と打ち解けた契機を持てた気がしたのだった。後で鎌を使って雑草取りをしている母は、私が自分の職業を自分からばらしてしまったことを、恐縮したように背中で聞き耳をたてているのがわかる。顔をだした父の話といえば、この連休中に近所で起きた高速バスの事故にふれて、自分も大型の免許を持っている、それは学生を送迎するためだったが、との自慢話。かとおもいきや、事故がなかったのはほんとに幸いだったと脈絡もなく謙虚になる。歳からくる耄碌というよりも、「先生」と呼ばれてきた優越的立場が許していた恣意的な論理ぐせを、隣のおじさんは相手にしない、というより、こういう階層の人はそういうもんだと無言の忍耐で相槌をうって返している。工場勤めだった人だ。家のブロック積みも、川から砂をとってきて、自分で施工したという。近所の多く、私が一緒に野球をしていた友達の父親たちは、そうした町工場の労働者や石屋や農家の人たちだったのである。おそらく子どもの私も、浮いていただろう。いま私は、「人民の中へ」とはいっているかもしれない。しかしそれは、渡辺氏が批判するような左翼知識人というわけからではない。――<民衆をたえず自己のコンプレックスとその倒影としての幻想とのかかわりでしか見れなかった左翼知識人は、こういう部落的共同性への嫌悪を倫理的な悪ないし原罪とみなし、知識人がそういう孤立的な感覚を克服して、民衆の共同性の「やさしさ」と合体することがコミューンの創造につながる、といったふうにストレートに錯覚する。>(「民衆論の回路」『日本コミューン主義の系譜』葦書房)……私は意志的には、むしろプチブルに居直った知識人であろう。が、上のような人民への認識感覚は、内に折り返しておかなくてはならない前提であると考える。ゆえに、自らの上面の観念性に気づかず上辺の居直りしかできそうもないインテリたちには、「下放」を命じたくもなるだろう。
私は、戦前大連で生まれ熊本で在野する渡辺氏の作品を読み知ったのは、前回ブログで引用したものがはじめてである。今回、区立の図書館よりその著作を借りて読むにつき、私の思考を刺激してきたので、その箇所いくつかノートとして書き留めておくことにした。そして次回のブログでは、プチブルジョワインテリへの居直り(ブント)思想家としての、柄谷行人氏の「哲学の起源」問題へと、接続の端緒を随想できたら、と考えている。

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「伝統的風土と反権力の思想のかかわりを考える場合、もっとも注目すべきなのは、この村落共同体、あるいはその亜種としての都市の下町的共同体の住民である。彼らの意識の中核をなしている自然観、人間観、ないしは価値意識は、西欧市民社会を貫徹する論理と決定的に異質だった。だから彼らは、明治新政府が導入した市民社会的諸体系(法や社会制度)を、まったく理解不可能なものとみなし、もしそれとかかわりをもたねばならぬことがあれば、天災のような災厄とあきらめ、出来うることなら、一生それとは無関係に、伝統的な共同体的倫理にしたがって生を終えることを望んだ。/ 彼らのそういう生きかたからすれば、権力の思想と反権力の思想の区別は無意味だった。なぜならそれは、共同体の圏外の住人である特権的エリートの思想分裂であって、共同体内でまどろむような生活が続けられるかぎり、エリートたちの抗争は、彼らの生活に何ら具体的な作用をもたなかったからである。彼らには法とか政治とかの言語を必要としない、いわば自然の言語に属する生活があって、そのなかから追い立てられぬかぎり、政治社会で何ごとが起っていようとも、それは湖底から見た水面のさざなみにすぎなかった。…(略)/ 昭和初期の政治的激動のもつ意味は、このような基底生活民が、その共同体内でのまどろみから揺り立てられて、市民社会の進展する現実と直面させられたことにある。大正中期からはじまった社会の地殻変動は、いわば彼らを包んでいた繭を決定的に破壊したのである。血盟団のテロリストたちの出現は、そのような共同体民の、政治舞台への登場の象徴であった。そしてこのとき彼らが、西欧的革命思想への反対者としてのみでなく、同時に反権力的革命者として現れたことは、革命と風土の関係を考える場合、何よりもまして重要な事実であったように思われる。/ 彼ら右翼的な下層青年たちは、たんに伝統思想の立場から、ヨーロッパ進歩思想を敵視しただけなのではない。彼らはもはや共同体に安住することのできなくなった若者たちであり、彼らを深部で動かしていた衝動は、まぎれもない個への自覚であった。にもかかわらず彼らが、当時支配的であった移入思想としてのデモクラシー、ないし社会主義に同調できなかったのは、そのようなイデオロギーの担い手である都市知識人が、社会的に特権エリートとして存在し、下層青年たちの個への自覚が同時に、共同的なものの再建への熱望であることを、まったく理解しようとしなかったからである。/ 彼らの政治思想的な自覚は、だから本質的は反権力的なものでありながら、権力の国家主義思想のえじきとなるほかはなかった。この悲劇は、日本共同体民の伝統的心性が、反権力の思想回路を設定しそこなったまことに痛恨すべき事例として、今日のわれわれにも示唆的である。戦後市民社会は、明治以来の懸案であった全国民の近代市民的統合を、一見みごとになしとげたように見えながら、深部においては、伝統的な心性がもっともラディカルな革命への衝迫をさそい出すという、矛盾をなおたたえ続けているからである。(渡辺京二著 「風土と反権力」『日本コミューン主義の系譜』 葦書房)

「だがわが国民の庶民たちはもともと、このような分立競合する利害の合理的調整体系としての市民社会的現実に適合的な心的構造をそなえていたわけではけっしてない。「悪事のあらん限りを尽くさざれば一生の損だぞ」というのは、そういう現実に元来は不適合である彼らの悲鳴であった。ながいあいだ共同的小社会の伝統のなかで生きて来た彼らにとって、市民社会のなかで個として漂流しなければならぬというのは恐怖以外の何ものでもなかった。国家を家族として擬制し、天皇を全家族の保護的な家長に比定する天皇制イデオロギーは、このような伝統的な庶民の心性と、結局は彼らがその成員として統合されねばならぬ市民社会的現実とのあいだにおかれた、一種の緩衝装置として機能したということができる。」(「ニ・二六叛乱覚え書」 前掲書)

「しかし彼らの”愛国的”熱狂はなぜ、近代ナショナリズムというよりむしろスパルタ風な古拙なパトリオティズムに似ていたのか。宮武二等卒が「世間に顔出し出来ぬ」という思いで腹を切ったのであることは一点の疑いもない。佐喜が「世間に顔出し出来ぬ」と口に出し、宮武藤吾が同じ思いで腹を切ったとき、彼らを拘束し駆りたてていたものは、近代ナショナリズムなどというのには遠い、部落共同体に対する古風な義務感であったということができる。たとえば村落が洪水なら洪水に見舞われて一村水没の危機に遭遇したとき、川堤に俵を積む義務から逃げるものがあればそれは最悪の卑劣漢である。ほかの悪徳は許されてもこの悪徳は許されない。佐喜の怒りはこのような村落共同体の倫理の表明であったというべきである。すなわち彼ら明治の庶民は村落共同体への義務との類推において国民国家への義務を理解したのであって、彼らの古風なスパルタ的献身の出どころはこのような国家と村落共同体とのいたいけな短絡のうちにあったのである。」(「戦争と基礎民」前掲書)

「明治の国家指導者たちが国民に対して、一視同仁の愛を垂れる倫理的裁断者としての天皇というイメージをふりまかねばならなかったのは、彼らにこの国で資本制を建設するうえで深刻な不安があったからである。その不安は何よりも、この国の基礎民の共同体的生活伝統から来た。資本制を建設するというのは、それを社会構成レヴェルでみれば市民社会の諸システムを導入するということである。彼らは明治の最初の十年間のにがい経験によって、市民社会的諸体系がこの国の基礎民には、神も仏もない異様な論理につらぬかれたものに見えることを否応なく学んだ。日本国家は天皇という神のみそなわす共同体国家だという神話は、事実において基礎民を市民社会的論理の支配する資本制社会に追放する代償だったのである。/  だが、天皇制イデオロギーという安全弁的回路を設定したのは、結果から見れば明治の支配者たちの危険な冒険であった。彼らはその危険さをまったくさとることがなかったが、逆流は大正中期に始まった。この逆流は右翼ラディカリズムの形態をとってあらわれたけれども、その実体は端的にいって<共同性への飢渇>と規定することができる。この共同性への飢えは直接わが国の共同体民の伝統的心性から発したものというより、市民社会的現実の進展のただなかに、共同体から駆り立てられ漂流する個の、特殊に昂進した欲求とみるほうが正確である。したがってそれは、近世の村落共同体や下町共同体において保たれていたおだやかな生活感覚とは異質な、過激さと幻想性を特徴としていた。このような病的に近い飢渇感は、かつてこの国の伝統にはなかったものとさえいうことができる。この飢渇は天皇制共同体神話とのあいだに、おそるべき共鳴をひき起こした。昂進は相互的であった。その共鳴から相互昂進にいたる過程の結果について多くをいう必要はない。それは周知の昭和前期の騒乱へ行き着いたのである。」(「戦後天皇制は可能か」前掲書)

「日本人の男たちは、戦前にくらべ見ちがえるほど家庭を大切にするようになった。しかし彼らが家庭にあつい思いを寄せるほど、家庭は彼らを裏切る。…(略)…今日の同人誌のしろうと小説の三大テーマは、マイホーム建設などをめぐる金の話と、子どもの進学問題と、女房の浮気である。夫が家庭に幻影を付託する度合いに応じて、妻と子どもは個としてつつき出されるのだといってよい。しかし、家庭が共同的なものへの欲求をささやかなりと擬似的にみたしているあいだは、日本人が天皇を必要としないことだけはたしかだ。家庭と共同体的天皇がけっして両立しないということは、日本人が戦争から学んだもっとも尊い教訓である。/ おそらく日本人の意識には、幕藩封建社会から明治近代社会への移行のときに匹敵するような大きく深刻な変化が進行中なのだ。私にはそれが、共同的なものへの幻想を次第に剥ぎ取られて個に還元されて行く過程のようにみえる。個に還元されてつくしたとき、日本人の共同的なものへの欲求は、つきものが落ちたようにきれいさっぱり消え去るのであろうか。逆のように私には考えられる。そのときこそ、共同的なものへの飢えという、わが近代史の底流となって来た欲求は、まったく別な次元で思想的課題となりうるはずである。なぜなら人間は、それがよいことか悪いことかは知らぬが、かならず他者との関係で飢えるからである。私は個的現存と共同的現存との統一が、人類史の本質的課題だということを承認する点で、若かったときと同じようにマルクスの生徒だと思っている。ただそれが未知の思想的領域であるとする点で、私はもはやマルクスの生徒ではあるまい。ただその未知の領域でもあきらかなことがひとつある。天皇はふたたびこの領域に出没することはない。」(「戦後天皇制は可能か」前掲書)

「われわれはなるほど資本制的商品社会から逃れることはできませんけれど、われわれの生の基底、生の実質は商品の貫通力に侵されぬものとして厳存しています。存在するのはいわゆる個性ではありません。個です。おもしろおかしく商品化される差異が個の実質を形づくっているのではなく、ともに人間でありうる共通の基底的実質が、他をもって代置しえぬ個、すなわち孤としてあるゆえにこそ、世界全体・人間全体との意味的な統合なしには生きられぬ個、そういう個こそわれわれの真の現存であります。人類史とはまさにそのような、陽気な暮らしの次元では充足できず、「天地生存の感」を自己のうちに抱え込まざるをえない個の、永久に完結しない課題のあらわれであったのです。」(『なぜいま人類史か』 葦書房)

「私は人がかくもサルに似ているということに希望を見出します。といことの意味は、人間がこの地球上に突然出現した怪物じみた欠陥動物ではないということが、私に希望を与えるという意味です。文化にせよ制度にせよ言語にせよ、いずれも前人間的な基礎、つまり生命的連続性のうえに立つ現象であることに、深い救いを覚えるという意味です。文化は生物的進化の法則から離脱した現象だといいますが、それは生物進化をネオダーウィニズムの突然変異と自然選択の組み合わせとしてイメージするからそうなるので、進化がダーウィニズムの総合学説的枠組みのなかで起って来たということは、いまだ立証されざる仮説、今日破綻しつつある独断にすぎません。そのようなネオダーウィニズムのイデオロギーさえはずせば、文化は地球的進化の法則から離脱した現象などではまったくないことになります。若き科学史家の米本昌平さんは、「生命は合目的である。生命の合目的性は進化の結果としてある。生命の合目的性は進化による結果合目的性である。」といわれています。この進化とは、ネオダーウィニズム的枠組みに固定され狭隘化された進化ではないことはもちろんのことです。」(前掲書)

「何が一番いいかというと、ごたごたいわなくて付き合っていける関係ですね。お互い黙って隣にいる、それで満足だ、ましてや議論して言質をとったりしなくていい。そういう感じですね。もちろん学問的思想的な議論は別ですが、要するに黙っていることのできる関係というのが、私の場合一つの理想として考えられております。ただそういう了解性というものには、あらゆるマイナス性がくっついているもので、これは私がことさらいう必要もございません。でなければ、明治から大正にかけて、青年たちが大挙して村から出るはずがないのです。そんな天国のような村なら、そのまま村におれば良かったわけであります。そしてまた、人類はすでに共同体から離脱したのです。人間というものを宇宙の中に神話論的に位置づけて、一つの秩序をもった共同的な関係にしばりつけた、そういう期間はもう過ぎ去ったわけであります。とすると、後に残るのは「個」しかない。ところがその「個」の世界というのは、現代においては資本制という形で実現されているわけであって、それ以外の存在形態を考えるのは非常にむずかしい。ここに難問があります。/ 共同体論について、私の結論的なことを申せば次のようになりましょうか。人間は共同体という古き衣を脱ぎすて、もう返れない「個」の世界に移動したのである。しかし、かつての共同的な了解の世界というのは、人間の心の中の一つの憧憬として、ある時には血みどろな情念としてなお存在し続けている。そういうものを、どう人間のあり方として再建していけるのか。それはいわゆる「社会主義」になればいいというものでもない。ただどうしようもなく「個」の社会の中で漂流しながら、人間の共同的な関係というものはどういうものであるか、それはどうしたら創り上げることができるのか、ということをたえず課題として持たねばならないのです。これについて、簡単な処方箋というものはございません。むしろわれわれは「個」の世界でもちこたえねばならないのだし、そのもちこたえるということのなかには、人類史を理論的につかみ直して、共同性の歴史的根據をさぐるという仕事も含まれていると思います。」(前掲書)

2012年4月23日月曜日

二つの方向(人類叡智と現実)

「ドストエフスキイが批判者の近代的思考を向こうにまわして民衆の熱狂を擁護したのは、「問題を民衆的精神において解決する」という基本的な立場においてであった。…(略)…彼にとって近東戦争が問題なのは、それが民衆の生活の基部から必然的に生成する幻影とかかわるかぎりにおいてなのである。…(略)…彼は、聖地巡礼がロシア民衆の中に長い伝統を持っており、彼ら巡礼者たちに関する物語が広く民衆の間に流布していることを述べたのち、そのような物語には「ロシア民衆の気持ちからいうと、なにかしら懺悔と浄めの力を持ったものが含まれているのだ」という。彼によれば、農奴解放後の彼らの現実、すなわち「飲酒癖の増加、富農の増加と強化、自分たちを取り囲む赤貧、自分自身の体にしばしば現れる野獣の相」に対する彼らの悲哀が、「より善き神聖なものを求める」渇望を育てていた。…(略)…彼は一見ここで伝統の重さとそれへの随順を説いているようであるが、実はそうではなく、政治思想のもっとも根本的な課題は民衆の意識の底に胎まれている夢想と幻影をどのようにして現世的なものとして実現することができるかということだという前提のもとに、その夢の伝統的な形式を看過すべからざる必須の因子としてとり出してみせているのである。その伝統を賛美するつもりはいささかもないといいながら、随所で彼は事実上賛美に走りがちであり、「多くのことを説明し得る事実」としてどころか、彼の言葉を借りればそれを民衆の「善の探求」の唯一の形式として意味づけている。この場合いわれている「善」とは、せまい意味での倫理的価値ではなく、幸福とか充足とか平安とかをふくむもっと広い意味、要するに「夢」という一語でおきかえるほかないような意味であろうと私は理解する。」(渡辺京二著『ドストエフスキイの政治思想』 洋泉社)

東日本が震源の震災と原発事故を一年にして、それを起点とする言説の潮流は、おおざっぱに相反するニ方向に分岐しだしたようにみえる。原子力発電という近代科学技術の象徴的な頂点のあり方を折り返し点に、脱原発的態度は一致しながらも、それをより近代的なあり方の徹底という方向で乗り越えていく考え方と、前近代的なものの見方・あり方を回復させていくことによって、という方向である。これは、戦前の思想界でなされた、「近代の超克」的議論を連想させる。実際、なんらかの反復的な事態なのだろう。その反復自体を批判していく態度もありえるのだろうが、私は今を生きている者のためにも、様相(衣装)を変えてでもこの反復を整理し理解し、少しでも脳味噌の混乱を慎めていく必要があると考える。「技術」という項目のブログを記述した後に、このような思考整理の文章を書き始めている私自身が、まさに反復潮流をなぞっている。脳力弱いなあ、と自省しながらも、いたしかたないことなのである。
というか、そもそも「近代」の夢とが、この人間個人の、神(伝統・共同体)から自立した自身のコントロールというところにあった、ともいえないだろうか? 自然をコントロールする技術と、自分をコントロールする技術……「できたらいいなあ!」と。ということは、その夢の内には、その内実的な現実とは、それができるほど自分が強くないこと、自立するには弱いということが観念され、ゆえに暗黙には、他の者たちへの依存や共同性が願望されているということになる。ならばその夢が、なにかあるたびに、上のようなニ方向になるのは当然といえる。ただし、近代を徹底する方向でそれを乗り越えてゆく考え方の人なら、もしその実現の暁には、人間は違った夢をみれるだろう、ということが仮説されえる。そうした視点からは、この震災後の民衆の有り様を、相も変らぬ「愚民」と呼びつけ、その在り方を「天皇制」というこの国の規範形式として把握し批判する向きもあるようだ。私はその大塚氏と宮台氏の『愚民論』(太田出版)は読んでいないが、そんな言葉使いをされただけで読む気が失せる。自分も愚民だろうなあ、と思うからである。まだ浅田彰氏の「野蛮人」のほうが気分がいい。
しかしそんな私は、天皇制には反対である。日本国憲法に、その「天皇」という言葉を挿入すべきでない、と考える。まず第一に、テレビでみていると、天皇およびその家族が人間(個人)として可愛そうにみえる。その地位を面白くこなしている皇族もいるだろう。がそれが嫌なとき、降りれるのだろうか? そして第二に、やっぱり人間(個人)は強くなければいかん、とおもうからである。はじめから、つまり憲法的な制度で、あるものを生贄の地位に祭り上げておいて自身の安定を担保としているのはよくない、卑怯だ、と感じるからである。努力してだめだったら仕方がない。いやし方がないうちにも、努力をもって生きていくべきだ、と考える。が、学問が教えているのは、何万年と生きてきた人類は、もう仕方がないとあきらめて、ゆえに権威(共同体)と権力(個人)を分けて治める叡智を培ってきたのだと。しかしヨーロッパ発の近代とは、そんな人類(「野蛮人」)の知恵を捨てて、王様(権威)の首を切りもう一度個人権力に権威をとりもどさせる政治体制を作ることだった、ということである。近代化が中途半端だった日本では、あるいはマッカーサーでさえ、日本の王の首を切らず、人類の叡智に従ってしまった。しかしその結果、神に変わって自然(太陽)をコントロールする人間の科学技術を所持することに耐え切れず、今回のような原発惨事を招いてしまった、ということになるのである。われわれがもっと個人的に強ければ、事故が起きてもおろおろせず、むしろ絶対安全などという神話を信じず対策も実験済みであり、ゆえに初動体制で惨事をふせげただろう……こうも、愚民批判者は考えるかもしれない。それゆえにまず、個人が「天皇制」から脱出する必要がある、と。
ほんとうに「天皇」という権威的象徴がいなくなって、日本という共同性は保てるのだろうか? 個人がばらばらになっても、だいじょうぶなんだろうか? 人類の叡智に反することを現代人がやっても、平気なんだろうか? 権威と権力をわけなくても、われわれはもうだいじょうぶ、それぐらいは強くなっているのだろうか?
自己責任論に立脚する近代主義者・小沢一郎氏は、このように言っているという。

<「小沢先生」「なんだ」「日本の政治家として一番やってはいけないことはなんだと思いますか」「そりゃ、天皇制をいじることだ」
 天皇は国家の権威を持っている。日本では権力は政治的指導者にある。アメリカでは大統領が権威と権力を兼ねる。たとえば政治指導者がスキャンダルを起こしたとしよう。アメリカは権威も権力も傷がつくだろう。しかし、日本の場合は権威には及ばない。それが日本国を維持させている政体である。であるからには、天皇制にまつわる問題はなにがなんでも原理原則を崩してはならない。>(石川知裕『悪党 小沢一郎に仕えて』 朝日新聞出版)

私は、小沢氏が、教養的な理解で、人類叡智に従い、天皇制をいじるな、と言っているのではないだろう、と予測する。人類叡智に反して作られた欧米の近代政治体制の現状認識から、実用的に言っているのでもないだろう、と思う。おそらく、飼い犬の鳴き声でその家が自分に投票するかどうかわかる、と言うぐらいの職業政治家として、肌で感じ取っていることなのだろうと考える。この「肌」を信じるならば、わかる事実とは、われわれがなお愚民の夢のなかにいるということである。小沢氏自身、こういう危機のときこそ強いリーダーシップ、個人が必要なのになお日本の民度がひくい、というような発言をしている。ということは、天皇制を信じる民衆はなお崩せないが、個人として強くなるよう努力すべし、私も啓蒙的に戦う、ということなのだろう。むろんこの「肌」の位相からは、われわれが「野蛮人=愚民=人類叡智」をほんとうに超克しえる存在なのかは不明である。わかるのは、あくまで、今は無理、ということ、そしてゆえに、みんなで頑張ろうという共同性と、強い個人の待望は、その相反するニ方向は、「寄らば大樹の陰」として両立するということである。

2012年4月8日日曜日

二つの成長

「律令制度の整備にともなって、平城京には古代豪族に代わる官人組織による貴族官僚が形成されていった。新しい知識人たちである。後期万葉はこうした官人たちを中心にした無記名歌に占められるようになる。彼らはしきりに自然を詠んだ。しかし、その自然は太古のままの自然ではない。それは彼らの邸内に移し植えて作られた自然の縮図ともいうべきものだった。つまり、第二の自然と呼ぶべきものだろう。彼らはこの第二の自然に好んで花樹を植えたのだった。彼らの美意識の昇華は花樹愛を核に、次第に文学サロンを形作ってゆく。」「「花は桜木、人は武士」も『忠臣蔵』の台詞として波及していったように「判官切腹の場」で、その死の臨場感を盛り上げるのは、舞台いっぱいに飾られたさくらと、散りゆく花吹雪であった。悲劇はさくらに助けられていっそう悲愴感を演劇空間に盛り上げる。…(略)…その桜観に対して、江戸時代のもはや戦闘の要員ではなくすっかり官僚化した侍たちも積極的に否定する理由もなく、むしろ一種の見栄としてさくらの死という桜観を受け入れた。しかし、その死に臨んで芝居のような訳にはいかなかったのは幕末、戊辰の動乱で露呈された通りだった。」(小川和佑著『桜の文学史』 新春新書)

携帯電話の調子がおかしいので、中野駅前のソフトバンクの支店にいってくる。スピーカーの故障ということで、保険に入っていない私は修理よりも機種交換したほうが安上がりなよう。カメラもレンズが傷だらけで写せない。7万円電話機の2年分割払いも去年終っている、ということで、新しいのに買い換えようとするのだが、店頭にはもう携帯電話はほとんど置いておらず、スマートフォンの時代なのだった。現在一月の電話料金は3千円ほどだが、スマートフォンだと最低は8千円はするという。ディスプレイがむき出しなので、土建仕事ではすぐに汚れ破損してしまうだろう。結局は、在庫であったピンクの電話機を買うことになったのだが。しかし、それを手に入れるのに、4時間近くもかかる。以前よりもカウンター数も店員数も減っていたので、手続きに時間がなおかかるのだ。従業員の質も落ちている。ソフトバンクは、店舗数は増えているように街ではみかける。原発事故以降、政治の時流にうまくのって、この新端末のアメリカ企業からのOS使用許可、国内空き電波への参入獲得、新エネルギー市場への布石準備…とうをみると、なにか裏があるのではないかと勘ぐりたくなるくらいだ。新規に市場参入する新参者のときは規制緩和と叫びながら、自分がそこを独占しはじめる勢いにのると、都合のよい規制を強めてくるだろう、というのが、結局は同じ構造、同じ穴のむじなにすぎない資本下の論理である。この徴候は、すでに末端のサービスに現れている。私は、後輩のときは先輩の悪をあげつらいながら、いざ自分が先輩になると同じことを後輩に繰り返して伝統とやらを受け継いでいった運動部の人間模様を思い出す。脱原発の新エネルギー政策があったとしても、そういうイヤなものの支配下としてある。単に、同じ市場(皿)の中での、もうけ(大きさ)の違うパイの奪い合いをしているにすぎない。その皿を差し出す店が変わらないなら、原発反対を叫ぶよりも、大気圏に精製されていない重油ガスを撒き散らしているという飛行機を飛ばすのをやめよう、といったほうがずっと地球には親切で、資本市場をゆさぶるように思える。

30年ぶりに、母校が甲子園にでた。県立の進学校なので、秀でた選手がいるわけでもないから、まずはミスをなくして四つに組むゲームを作っていくことが大事になる。先制点をとってその流れを序盤では作れたが、4回でのピッチャーの2打者つづけての失投が取り返しのつかないミスとなってしまったようだ。2ストライクと追い込んでからの、高めへのボール球が、中途半端な制球となって強打されたのだ。130km以上のスピードはだせるこの投手は、去年2年生の夏、県予選決勝をかけた試合で、7回に5-0くらいで勝っているときに登板をまかせられたが、ストライクはいらず、押し出しのファーボールをだしたりで逆転を許し、先輩たちを敗退させてしまっている。そんな経験からの成長と、今回甲子園で唯一の明治時代の創立校、そして男子校、そのいかにも時代遅れにもバンカラ古風な応援の様をテレビでみるにつけ、私は複雑な心境になった。この高校生が負けずに成長できたのも、一番は<先輩ー後輩>関係に萎縮されない旧制中学時代のバンカラな自由な校風がなお吹いているからだろう。しかし、こんなガラパコスみたいな時間停止でいいのだろうか? 戦後の運動部で強化された<先輩ー後輩>関係は、軍隊経験によって換骨奪胎された「官僚的」なものである。しかし旧制校から伝承されて残存しているそれとは、「封建的」なものである。後者には、形式的な固形化にはさせない、個人の実力を認める尊厳性が確保されている。年下だからといってそれだけでつぶされない。問答無用ではないのだ。
地元の県からはもう1校甲子園にでて、準決勝までいった高校もある。こちらは私立で、おそらくは学校名を売るために、優秀な選手を集めているところだろう。そのチームの左のエースは、中学まで一緒に野球をやっていた友達の息子だ。今でも、私の父親にその友達から年賀状がとどくのは、母子家庭で生活苦だったその家族を父親が色々と面倒をみてやってからなようだ。子供心での記憶が確かなら、その友達の父親は本物の組員で、抗争事件で殺されたのである。そのため、近所から後指をさされていたときく。校庭グランド横でキャッチボールをしていたのを父親が見て、うまいから入れと誘ったのである。本人は、高校を野球推薦で入ってすぐにベンチ入りし甲子園に出たとおもうが、先輩のいじめにたえられずすぐにやめている(中学時代も、先輩から一番いびられた一人だった)。トラックの運ちゃんをやり、いまは社長だという。数年前、同窓会であったが、肺のひとつをガンで切除しているのに、なお煙草をぷかぷかしている。早死にを厭わないというか、それがどうしたと生きてきたのだろう。だから、父親が生きている間に息子がプロにでもなれればなあ、と旧友のことを思ってしまうのだ。次男のほうは、サッカーをやっているようだ。

サッカーを選んだ一希。というか、私が暗黙に選ばせたのだが。上からの命令ではなく、自らの状況判断で生きていけるように。幼稚園までの公園サッカーを一緒にやっていた年下のうまい子がクラブに入ってきて、チームの力が底上げされた。2年生も3月にはいって、脳神経が少し密になってきたのか成長をみせ、動きが多彩になってきた。3月の新宿区+招待チームの大会では、おしくも予選突破はできなかったが、順当に成長していけば、来年の今頃は優勝争いに参入しているだろう。年下の後輩たちとともに。「この子はね、うまいんだよ。だから試合にだしてよ!」と、先輩たち自らがベンチコーチに入る私に言ってきた。「だけど2年生の大会だから、まず試合に出るのは2年生からだ」と私は答えたが、すぐに先輩のひとりがバテてゴール前でディフェンスの役の振りをして休みはじめたので、そのうまい子に交代させることになる。すでに全体のバランスをみてポジションをとれるので、守備的にも機能し、2試合目では早くもハットトリックを決める。一希も4試合めではハットトリックを決め、チーム内では得点王の実力を発揮する。うまく成長していけば……しかしそれが前提としている社会は、イヤなものは、変わるべきものだろう。子供の成長と、社会(経済)の成長は、どのように交錯しているのだろう? 私はどのように解きほぐし、結びつけていけばいいのだろう?

2012年3月9日金曜日

技術の差異

「おそらく、「疎外」は克服されない。「疎外」は、人間の「手」が歩行の手段という「自然」から解放=疎外され、技術が手の代補であり、原発もその技術の連鎖の果てに出現したものである限り、まぬがれることができないものなのだ。原発だけが特権的に危険なわけではなく、プロメテウスが神から盗んで人間に与えたという火が、すでに「危険」なのである。/それゆえ、農業が危険であれば、自動車も飛行機も危険だろう。それらは、結局、リスクの多寡に還元されてしまう。反原発の思想は、そのことを踏まえて出発しなければならない。」(すが秀美著『反原発の思想史』 筑摩書房)

きちんと体系的な知識教養があるわけではない私は、スガ氏の上のことばを注意深くきいた。ここでいう「注意」とは、その解答が教養理解的に正しいかどうかの真偽、そして、その教養理解の枠を越えて、どれくらい思考を策動させてくれるかという検討、ということである。前者のような他愛ない疑義をもさしはさむ必要があると感じるのは、たとえばスガ氏がベンヤミンの「複製技術」にまつわる「アウラ」という概念を端的に誤読しているという芸術家(たち)からの指摘をきかされたときがあるからである。スガ氏は「複製技術」作品にアウラはないと言っているが、ベンヤミンはあるといっているんだよ、とアーティスト系の会合できかされたのである。そういう間違いが、ここでもあるような匂いがする、ということだ。しかし、教養のない私には、その真偽をここで確認することはできない。それゆえ、後者にうつって考え検討してみる。

上引用の理解が正しいとすると、「日本の大転換」でみせた中沢新一氏のような、生態圏には相容れない放射能物質を発生させるウラン(太陽の破片)を用いた原子力技術と他の技術との差異を考慮する理解前提は、欺瞞的、ということになるだろう。スガ氏の中沢氏への批判は、要はその欺瞞によって(つまり確信犯的に)、「ニューエイジ」的な神秘が、超歴史的な連続性が導入され、神道と仏教を混淆した日本文明の生成と似ている脱原発社会の原理がたてられてしまう、というところにあるのだろう。またそこに差異を認めるか否か、という理解態度の違いは、低線量被曝をめぐって、生命はずっと放射能とつきあってきて免疫機構も培われている、とする科学者と、いや生命はようやくのこと宇宙時間的な放射性物質を生態圏から排除してかろうじて自らの循環構造を保って生き延びているのだ、という科学者、との違い、とも平行しているようにみえる。「手」という人間特異的な技術上の問題(差異)だけでなく、生命という免疫技術の進化(歴史)自体の連続と変化(差異化)をみる立場、ということでである。しかしこの科学的な真偽は、私素人ではなくとも、決着がつけられるような問題ではないのではないか、というのがこのブログでの主張であった。「神秘」というなら、どっちも神秘だ。ならば肝心は、その差異のあるなしが、どのように思考の有意義をみせてくれるか、という注意力だろう、ということだ。そこの技術に差異はないとするより根源的な思考と、そこに差異をみる作為(欺瞞)的な思考の両者は、まず何を明確にしようとし、何を実践させようとしているのか?

とりあえず私は、そこの技術に差異を認める言葉のほうに説得力を感じているので、こちらのほうを考えたい。というか、スガ氏が指摘するような問題は、今回はじめてでくわした、知ったようなものなので、なおよく考えられない。私がこの差異ということで想起するのは、「スコップで掘った土と、ユンボで掘った土は違う」といった中上健次氏の言葉である。植木屋として植え穴を掘っていると、この差異には日々直面する。もちろん「スコップ」も道具だけれども、「手」に近い道具である。ユンボとなると、そうは感じない。なにせ掘りすぎる、余分な土がですぎる、土の塊がでかいので、現場の見た目がまさに荒廃した感じになる、低周波の音がうるさい……こうした差異は、技術のあり方として程度の違いで、考慮する必要もないことなのだろうか? しかし私は、親方やそのほかがすぐに「ユンボ」を導入し、人力での作業を忌避し、それが作業効率も悪いというのを尻目に、密かにスコップ作業で仕上げている。実は、人力を前提にしかるべきときにそれを導入することを段取っておいたほうが効率もいい、早く作業はおわる。最近も、わざわざ親方の息子がレンタルしたユンボをほぼまったく使わずに、計画以上に団地まわりの移植作業をおわしてきた。「ユンボ、ユンボ」と口だけ達者なもう一人の作業員を相手にせず、ただひたすら一人で穴をほり、植えてきた。体力も能力もない口先連中、職人などではぜんぜんない。……私がこの例でいいたいのは、同じ人間の技術でも、その延長に理論原理的にはあるとしても、そこには差異がある、ということはこういうことだ、こういうふうに存在していることがありうる、ということである。だから、原発とそれ以外の差異、ということも、ありうる、説得的、と感じている、ということである。

スコップでの土堀りは、腰痛にいい。木にばかりのぼっていると、おそらくその微妙なバランスのとり方が姿勢に負担をかけて、腰にくるようだ。人には尻尾がないからだろう、と今ではおもっている。サルは、尻尾を上手に枝に巻きつけて、木上でエサをとったりしている。尻尾のない人には、もはや無理がたたるのかもしれない。決して重いものをもつから、というわけではない。しかし、「手」が解放されて土の上を直立歩行するようになった人間は、重い脳髄を骨盤で支えなくてはならない。それ(立つ、歩く)だけで、すでに無理な姿勢なのかもしれない。スコップでの穴掘り、足の裏を痛めないように角を丸めたスコップの尻に片足を乗せて土に刺す、蹴る、という人体への余分な負荷は、ぎっくり腰で力が抜けたような状態を、しゃきんとさせてくる。スコップで足を蹴るとき、人体はどうしても垂直的な姿勢になって重力を利用した力の入れようになるからかもしれない。無理(姿勢)を正す筋肉が補強されてくるからだろうか? ……しかし私はこの腰痛(日常)が、骨折という事故(震災・原発災害)よりもより根源的ではないのか、と前回ブログで述べた。それらに差異はない、もっと根本的に問うてみる必要がある、ということも可能(説得文脈をもつ)かもしれないが、そこにある差異から、後者(ユンボ、原発)を嫌悪してもいいのではないのか? いやそれは嫌悪という趣味の問題であって、思想ではない、とスガ氏は言っているのだろうか?……そうした錯綜を、スガ氏の『反原発の思想史』を読みながら、近いうちに整理してみたいとおもっている。日本の事情にも教養の不足しすぎている私には、自分の言葉がどこからきているのか、その見当と検討をしていくためにも、スガ氏の作業は、とても役に立つのではないかと思っている。

2012年2月23日木曜日

腰痛とともに

「本書の一番はじめに、「寝相」について触れました。寝相にも人それぞれに「癖」があり、疲れ方も人それぞれです。寝ているときには、局部的に疲れがたまり無意識のうちにとくに緊張しているところが、ゆるみやすい体勢になろうとする。/このそれぞれの疲れのパターンを野口さんは「偏り疲労」と呼びました。/それぞれの人が集中したり緊張したりするときの、姿勢・動作のバランスのとり方に違いがあるために、疲れ方にも「偏り」が生まれるのです。/腰椎は五つありますが、そのなかにとくに姿勢や動きの焦点になる腰椎があります。/人によってどの腰椎をとくに使うかという「癖」がある。それぞれの腰椎の運動特性が、身体のさまざまな働き――内臓の働き方やさらには心の動きの傾向や特性にもつながっていると見通したわけです。」(片山洋次郎著『骨盤にきく』 文芸春秋)
木から落ちて1年がすぎた、ということになる。まだ痛みがあるので、最近起きたこと、という事実を確認できるのだが、もうだいぶな過去のような気分のうちにいる。しかしそれは、忘れられるような、遠い話になったというわけではない。以前と同じような心持ではもう作業はできない。今年にはいっての東京都は中野区の街路樹剪定で、人がひとり木から落ちて死んだそうだ。役人たちは、安全帯を二つつけさせるだの、昇り降りするときにもつけながらを徹底させるだのと、なおさら事故の確率をあげて統計上は隠蔽させる形式的な対応にてんやわんやになっているんだそうだが、昔のようにヘルメットをかぶらずに男気試し、みたいな環境ではないのだから、過剰な対策は人災を引き寄せるだけだ。立って歩く人はつまずく。そういう確率で、事故をゼロにするなんてのはできやしないのだから、役人(責任者)が努めるのは、安定した作業環境を維持し、事故に騒ぐことではなく、腹を決めることだろう。そして起ったことは起ったこととして、その後のケアをきちんと保証することだ。しかし、原発事故後の労働環境と官僚対応を筆頭に、もはやそんな肝の据わった現実対応はどこかへ追いやられてしまったようだ。ならば、一介の労働者として、どう身をまもっていけばよいのか?
骨折した足の痛みは、今年にはいってとくに消えていっているのが実感できる。寒くなるとうずく、とかもいわれていたが、そんなこともない個人的特性なようで、私の足は全快するだろう。子どもとのサッカーでも、ほぼ差し障りなく一緒にできるようになってきた。だからそれよりも私が気がかりなのは、腰痛のほうである。一昨年だか再発したのがやっとなおってきたとおもったら、またちょっとしたぎっくり腰になって我慢生活を強いられている。骨折した私に代わって、高木の剪定作業をやり遂げてくれた団塊世代の職人さんは、その作業終了後すぐに入院し、腰の手術を受けた。腰痛とは縁のない活気な人だとおもっていたら、そのまま術後も回復がかんばしくなく、1年たった今でも復帰の目処はたっていない。仕事量も以前ほど多くはないので、そのままリストラを勧められているようなものでもある。この慢性的、日常的な事態のほうが、実はどうも深刻なのではないか? 事故はおこる、注意していても、魔がさすことは防ぎきれない。それはしょうがないと諦めもつき、頑張りもやりなおせるが、その底流に常に潜んでいる、持続的、蓄積的な痛みにはどう対処したらよいのか? 大震災のあとで、日常の貴重さを思い知らされたというが、私も、大骨折のあとで、腰痛の深刻さを思い知らされた、というべきか。そしてしかも、この腰痛の在り方が、その人個人の「身体のさまざまな働き――内臓の働き方やさらには心の動きの傾向や特性にもつながっている」というのが冒頭引用著者の言葉である。私の感受性、思考、行動の型が、私の骨盤の型によって規制される、というのである。だから整体的な実践としては、その「体癖」を知って、その部位の腰椎をやわらかくしていく体操が大切、ということになる。
私は野口整体の影響を受けた片山氏のその考え方にリアルさを覚えるが、いかんせん、自分がいったいどんな型の種類にはいるのか、判然としない。当初は腰椎3番に負担がかかるものかな、ともおもったが、腰椎1番や5番の種類にもおもえてくる、というか、どれもぴんとはこない。なかなか診断が素人には難しい、ということか。最近はスポーツでも、4スタンス理論とかいって、一つの教え(投げ方、打ち方)を誰にでもあてはめていくこれまでの指導法と違った、その人個人の筋肉特性の型に応じたやり方を肯定していく方法論がでてきたりしているが、私もその考え方に賛成だ。というか、きちんと洞察力のあるコーチなら、野球ならバットグリップの位置を肩の位置にとかの、正統的なスタンスを押し付けていてもその子にはだめだ、とかの認識が生じるはずである。自然な感じがいい。大リーガーのフォームをみよ。みな個性的ではないか? 無理は、スランプの周期を早め、怪我を誘発するだろう。怪我(事故)は人を落胆させ(ゆえに逆に頑張りを反発させる)。が腰痛は、むしろ人の意識を集中させる。それは高揚ではないが、なにか、人の生活や生き方を少しづつ変えていかせるような、微妙な偏差を私にもたらしくてくる。ならば、日常的な腰痛自体が、骨折後に現象されてきた官僚的な社会振舞いへの地に足着いた抵抗感覚になってくるのではないのか?
今日は雨で、仕事は休みだ。以前は、それは天の恵み、という感じがした。しかしあの大震災・原発事故後、もはやそれが同じ雨ではありえなくなっている。同じ自然現象としてあのときのシュールさをよみがえらせだぶらせてくる、そんな潜在意識を透きこまれたようなのだ。しかも、4年以内に東京直下型70%以上などと脅されている。窓からみえる雨模様が、自分をほっとさせない、奇妙な身構えを実感させてくるのだ。これが日常なのか? これは、日常なのか? 椅子に座った腰の痛みに耳をすましながら、その真贋をさぐっている、そんな私の感じが、パソコンのキーボードを打つ動きとともに今ある。

2012年1月8日日曜日

仮説物語と世俗の夢

「民主主義は熟議を前提とする。しかし日本人は熟議が下手だと言われる。AとBの異なる意見を対立させ討議のはてに第三のCの立場に集約する、弁証法的な合意形成が苦手だと言われる。だから日本では二大政党制もなにもかもが機能しない、民度が低い国だと言われる。けれども、かわりに日本人は「空気を読む」ことに長けている。そして情報技術の扱いにも長けている。それならば、わたしたちはもはや、自分たちに向かない熟議の理想を追い求めるのをやめて、むしろ「空気」を技術的に可視化し、合意形成の基礎に据えるような新しい民主主義を構想したほうがいいのではないか。そして、もしその構想への道すじがルソーによって二世紀半前に引かれていたのだとしたら、そのとき日本は、民主主義が定着しない未熟な国どころか、逆に、民主主義の理念の起源に戻り、あらためてその新しい実装を開発した先駆的な国家として世界から尊敬され注目されることになるのではないか。」(東浩紀著『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』 講談社

震災前に書かれた文章集の著書に付けられた帯でも上のように引用された東氏は、さらにまえがきで次のようにも述べている。――<もしもいま(*引用者註;震災後のこと)、存分に手を加えるとすれば、筆者はおそらくは、本書を日本論に変えてしまうことだろう。一般意志2.0の実現が、単にルソーのテクストから導けるというだけでなく、また単にこの国の風土に合致しているというだけでもなく、日本がこれから新しい国に生まれ変わるためにこそ必要とされるのだと、そのように軸足を変えてしまうことだろう。」……先のブログでも引用を集めた水野和夫氏もその『終わりなき危機――』で、「日本」こそが「最も恵まれたポジションにいる」と前置きしている。私はこのどこかロマン派的な前提に懐疑と留保を覚えるけれども、明確にしえる文脈が仮説されえるかぎり、その方向で想像力を行き着くところまで押し広げたほうがいいと考えるので、二人の試みについてゆくことは面白かった。また東氏の立場とは、前々回のブログ宇野常寛氏の『リトル・ピープルの時代』の認識前提に重ねていったのと同様、私はおそらく超越的な視点を仮説しているということになるだろうので、東氏とも根底的なところで異議をもつ。が、そこをカッコにいれてみると、また東氏自身がそうした立場への批判を抑えているとおもわれるが、氏の唯物論的な理論、というよりは(むしろそうではなく、というべく)、具体化へと向けられた方策を、とても面白く拝読した。この面白さからみれば、最後に<超越>者的な選民に期待を寄せる、私の立場に近いだろう水野氏の「大きな物語」よりも、東氏の世俗的な知恵のほうが、好ましく感じられるのである。というか、私が認識的には超越者的なモノを理念的に仮構することになるとしても、実践的には、大衆と心中するほうがましだろう、と考えるからだ。それはなにも東氏が著作の最後のほうでローティの「アイロニー」をだしているような高尚な思想性によるのではなく、たとえば、もし雪山でまだ七歳の息子と二人で遭難し、前に進むことをぐずる息子を置いて体力ある私一人で下山すれば助かると認識しえるとき、果たしてその超越(大人)的な認識に従って行動することがいいのか、自分にできるだろうか、と考えてみた場合の結論のようなものである。おそらく私は、たとえ二人で行き倒れても、死ぬまでなんとか二人で打開できる方策をさぐっていくだろう。というか、実際には、それこそが理念的、より大きな我慢を強いるものであることは、幼い子供ふたりで街中を歩いてみればわかるだろう。幾度ぐずって立ち止まり、寄り道を好む子どもを置いて先に行ってしまうことだろう!

水野氏の「海から陸へ」という歴史転換という経済史的に大きな物語は、最近でもNHKで「シルクロードの復活」というような特集番組や、副島隆彦氏のような政治学者も説いていたことである。ただ水野氏の重点は、そこで資本主義が行き詰まってしまうのでゆえに今からなんとかしなければ、という話である。一方東氏は、そうした時間軸的な転換を前提とするより、停滞した時間としての空間的常態を認識の枠組みとして捉えることから始めているようだ。この二人の話の前提をまえに、震災・原発事故を見てきた私としては、おもわず次のような想像してもしょうがない想定外的な事態を仮想してしまう。温暖化で南極の氷が解けて新大陸が出現し、ゴールドラッシュ的な移民的新しい歴史がはじまってしまったとしたらどうなるであろう? しかも、あらわになった南極大陸から人類の文明遺跡までもが発掘され、アフリカのサルからヒトへが北へ向っただけでなく海を越えて南へも直接向かっていたことがわかってくるような、人類史を塗り替えるようなことが起きたらどうだろう? インターネット世界は、電気を前提する。その配線や人工衛星を。それが世界のあちこちで寸断・破断・墜落するような災害が発生したらどうだろう? 大事な政治的な決め事まで発電していないと決められないインフラ社会に住むようなことになったら、たしかにクリックしていれば政治参加していることになるのだから、これほど楽なことはないけれど、この怠け癖が危機時の対応を遅らせてしまうのではないか?

というか、東氏の知恵に意義があるのは、それが「夢」だからであろう。「みんなの意見は案外ただしい」という統計的正しさが保証されるのは、そうした数学的な現実が本当の現実として実現されるのは、柄谷氏が新聞書評でも述べていたように、参加者各々が自由な条件にいるときであるという、実現不可能な社会の理想の下においてなのだ。東氏のデータベース(各人の履歴蓄積)としての一般意志2.0が、フロイトが理念(超越)的に仮説した「無意識」と重なるとするのは、正確ではない。形式的に同型な階層としてあるとされるだけであって、データベースと世界(国民)大衆の無意識がぴたりと重なり合うという保証はどこにもないのである。それは、そうしたテクノロジーを信仰する者たちのあいだにだけ存在するだけである。信じられない者たちの間では、そのデータベース自体が疑わしい、依拠することもできない<似非無意識>と想定されてしまうであろう。しかし、フロイトの無意識と同型的であるだけに、それは「否定」できない形として、やっかいな下手物としてわれわれの前にたちふさがってくるとされるのが理論的な実状である、と私は理解する。つまり、東氏の設計する一般意志2.0という無意識は、抑圧された夢、というよりは、理想化された夢である。つまり、精神分析的というより、世俗でいう夢の語意に近いだろう。しかしだからこそ、この震災後において、われわれ読者をして鬱屈させるよりか、どこか楽観的な解放感をもって読める、苦々しい日常を一時でも忘れさせてくれる爽快さ、突き詰めた想像を味あわせてくれるのだ。これは東氏の意図したことではないかもしれないけれど。

しかし私は、やはりこの世俗的な夢のほうが、たとえば、昨年柄谷氏が文芸誌で連載していた「哲学の起源」と題した「大きな物語」よりも、より思考を刺激するのでないかと考える。教養のない私ゆえに、そのギリシア以前の哲学的前提状況を、比喩として現在と重ね合わせる読みしかできないとしても、つまりその真偽(仮説)は検討しようもないが、その構えは、デモにもいかない大衆への脅迫的なエリート意識、悪意に裏付けられている、と感ずる。とくにNAM実践での挫折経験のあとでは、『世界史の構造』の文明史論的枠組み、そしてその派生たるようなギリシア文明論的な「大きな物語」は、眉唾物的な発想として警戒感が強くなる。参考には十分するが、発想自体がいいのか、前作まではともかく、ひきつづく作品と、そして水野氏にも現れた「大きな物語」、大きな流れでのレトリックを、罠にははまるまいとする思いで私は受け入れる。この警戒は、身体的にいかんともしがたいトラウマになっているのかもしれない。しかし逆に、その物語を本当なものとして受け入れるのであれば、「金融空間」にいる現在の流れは変えられないまでも、数十年後の資本主義的行き詰まりを焦点として捉えて、どうそこへ向けて現生活を組織していけばいいだろうか、という実践思考になるのだろうか。つまり私たちが必要としている実践とは、仮説的な時間軸から暫定的な目的地点へむけて、現在をどう待機的に編成していったらよいのか、ということになるだろう。一方、東氏の「一般意志」という現常態から発する実践とは、すでに今から発想され設計されうるもので、その実現(実装)の持続をアップデートとして更新していけたらいい、ということになるだろう。

唯物論的な理論、か、世俗的な知恵、か。いやこの二つの態度は、両立可能なのか? それとも、全く不要なものなのか? 少なくとも、この二つの相対した態度が、われわれが望むと望まずとも、震災事故後には、後戻りできない地点から考えられていることだけは確かだと、私は認識する。