2016年3月21日月曜日

犯罪に――秋葉原事件と川崎事件、内山節氏の著作から

「二〇〇八年夏、東京の秋葉原で無差別殺人が起きている。…(略)…おそらくこのとき青年は、自分の意識のなかでは、自由を手にしていたことだろう。自分は何でもできる自由を手に入れた。人を殺す自由も手に入れた。しかしそれは他者から承認を受けることのない自由だった。自分の世界だけで自己展開する自由。だから孤独な自由。…(略)…この現実を承認しさえすれば、青年は自由を手にすることができたのである。ネットのなかにもう一人の自分をつくりだすこともできただろう。映画をみたり、音楽を聴いたり、今日の夕食を考えたり、旅行計画をたててみたり。そうだ、自由人になることはできたのだ。たとえ収入は少なくても、少々の工夫によってそれらのいくらかは実現することができたはずだ。
 青年の悲劇はそのことのなかに、うんざりした自由をみてしまったことだ。もしも彼女がいたらこんなことはしなかったと青年は語っていたと報道されている。彼女がいるということは、制約されるということだ。自由のひとつを失うということだ。時間は自分だけのものではなくなるだろう。お金の使い方も制約されることだろう、だがそのことが、自分を包んでいるうんざりした自由、孤独な自由を払いのけてくれるかもしれないと期待していた。
 結局、自分に制約を加える人は誰も現れなかった。だから青年は孤独だった。といっても自分に制約を加えるものが何もなかったわけではない。自分がおかれている境遇という制約。そして社会システムという制約である。つまり派遣社員的現実から抜けだすことができないという現実であり、制約である。
 重ねていうが、この現実を承認しつづけさえすれば、青年は自由を手にすることができたのである。…」(内山節著『怯えの時代』 新潮社)

ここ最近、上引用の内山氏の著作を、図書館にあるだけのものをずっと読んでいた。たしか新聞で、私の地元の群馬県は上野村から面白い考察をしているのに興味をもち、また私自身が、山に住みたいな、どこかないかな、と探しているようなところがあったからだろう。が、とくに初期の哲学的な論考を読みながら、だいぶ自分が考えてきていることが相対的に意識化されてきた。内山氏は、上野村での滞在を通して色々勉強してきたが、それは農作業や山の歩き方といったことだけでなく、それを成立させてきた社会(人間関係)に触れることで、思想的に学んできたのだと言っている(『自然・労働・協働社会の理論――新しい関係論をめざして――』(農文協))。私も、東京都は新宿の職人街的なところで植木職人になることを通して、その植木屋技術だけではなく、それを成立させている社会背景的なものの重視を、このブログ等で考察してきた。つまり、プチブル出である私は、20年以上の職歴でも、すでにもはや、職人にはなれない=職人社会には入れない=その無意識を自身に内に社会化することはできないのだと。だから、内山氏は、その上野村からの考察から、「仕事」と「稼ぎ」の違い、そこからまた「使用価値」と「交換(貨幣)価値」との違いと延長的に把握して、前者的な関係の復興を前提的な、思想的な志向として提出できるけれども、私にはそうすぐにはできないのである。今でも、植木職の技術は、資本生産下の技術というよりは、狭い共同社会での「使用価値」な面、いわば「技能」的な在り方を残している。が、私にとっては、「使用価値」的な「仕事」もまた「稼ぎ」としての「交換(貨幣)価値」にしか主体的にはなりえず(――親方や年上の職人さんには「仕事」として受容意識されられても……)、むしろ、ここでブログを書いたり雨の日に読書をしているほうが、よっぽど無償な「仕事」としての感じを実感できるのだ。それが、なおなんら「使用価値」を、つまりは共同社会を生産していないとしても。実際、私は、雨で仕事が休日になったとき、登校の準備をする息子から、「今日は仕事にいかないの?」と聞かれれば、「今日は家で仕事する」と答えてしまう。そういう意味では、私の気分は、内山氏が近代思想として批判する、「ワーク」と「レイバー」とギリシャ哲学期に遡って仕事を区別し前者を評価してみせた、ハンナ・アーレントのインテリ思想に近くなってしまうだろう。思想以前の、この「気分」は、どこからくるのか? さらに、内山氏は、上の秋葉原事件には他人事のような対象的な考察ですませるが、その「孤独」の最中にいるだろう、あるいは共有しているだろう私には、もっと突っ込んだ考察をしたくなるほどくらいな深刻さを備えている。

内山氏が、日本の農山村からの考察を言語・理論化しはじめたのは、1980年代後半頃からだが、もしそのとき氏の著作を読んでも、私は理解できず受け入れられなかっただろう。その頃、私が高校生から大学生にかけて読み始めたのは「単独者」を説き始めた柄谷行人氏だった。今は、柄谷氏が、内山氏に近いことを言いはじめているわけだから、現代社会や世界に対する実践的な問題把握と提出は、内山氏の方が早かったということになる。が、この「孤独」を通しているか否かは、理論や思想を究めていく上での決定的な差異になってくるのかもしれない。

とりあえずこの違い、農山村と職人社会の隣にいるという同質的立場からの違いを、理論的な根本において指摘することはできる。内山氏は、「貨幣」の「定着」(量)が、合理的な思考態度をうみ、共同体を「使用価値」から「交換価値」への社会に転換させたのだという。しかし、「使用価値」(共同体)から、「交換価値」はうまれない。後者は価値体系の違うシステム間を前提するのだから。もちろん、「貨幣」の”成立”自体がそうであろう。それは、他者との間に追いやられた孤独(単独)な者の普遍的道具である。内山氏は、その「成立(起源)」自体を重視しないで、暗黙に当然とみなすことで、それが「定着」してからのこと、つまりはある程度の共同体間での「交換」がなされ、「量」的な規模に達した社会=共同体を前提に思考を開始するのである。それは、他者(孤独者)が抑圧・排除されてからの社会である。近代という合理社会が成立する以前に、つまりはなお「量」的には少数者であった時点=歴史においても、近代に噴出してきた問題はあったであろう。いや、反復されているだろう。「使用価値」とは、内山氏のいう「自然と人間との交換」(柄谷理論ならば互酬交換Aにあたるだろう)――においてあり、その価値を共有した「人間と人間との交換」(「中間団体」と最近の柄谷氏ならいうだろう――)の回復を重視する。が、内山氏のとくもう一つの「自然と自然との交換」こそにカラクリ(起源)があり、前者の交換の変化は、生態系破壊といった後者「自然と自然との交換」の変容の元凶というよりは、すでにその自然内部での差異が、元凶を反復させる、というべきだろう。「使用価値」とがその自然風土と結びついているとするなら、自然の中にある熱帯とモンスーンなどの差異は、すでにして、その価値体系(文化)の違いを潜在させている、いわば、交換価値の発生を、貨幣の発生を。そのとき、「量」がなければ問題はないのか? そのときでさえ、文化からはじき出される個人や集団はいなかったのだろうか? 人類でさえが、森から追い出された種族だともいわれるのに。孤独は、近代社会だけに特有な病なのか? 私は、単なる間違いなのか?

おそらく、間違いなのだろう。しかし、それはパイオニア、起源を作るものとしての間違いかもしれないではないか? 「新しい関係」をつくろうと脱サラし、離島の漁師として生計をたてようと移住するが、うまくいかずに女房と子供だけが都会(「川崎市」)に帰ってくる、自然な感情豊富な子供は珍しがられて人気者になるけれども、その立ち位置こそが「うんざりした自由」に振り回された不良たちの餌食になる。どちらも、孤独者だ、間違っている、犯罪者たちだ。しかし、知識人のローカリズムな目的思想をもった社会運動とはほど遠い、こうした者たちこそが、人類の、自然の中の差異としての「新しい関係」を、意図せずして培っていってしまうのだとしたら? そんなことはあるまい? わからないではないか? まだ「量」がたりないのかもしれない。しかし、そんな意図しない犯罪の集積において新しい「使用価値」を産出する社会が生まれても、それが「定着」してから後どりするのはやめてくれ。フグを食って死んでいった馬鹿者の反復・集積において文化が生まれたのだと説く安吾のような認識。「それは他者から承認を受けることのない自由」? ほんとうか? それこそわからないではないか? 獄中の犯罪者に求婚する女性はいる。フグをおいいしと食べ始める庶民が出たように。自由とは、「命がけの飛躍」で手に入れる信仰ではないのか?

しかし、内山氏の考察は、私からすれば、だいぶ先取りされた論考だった。フランスの労働者のアソシエーションの現状や、それを意欲的に引き継ぐアラブ移民労働者たちの「世界革命」の気運など、ソ連崩壊時に私が読んでも上の空だったであろう。今だから、受け止めることができる、が、もう50歳に近いのだ。

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