2018年1月2日火曜日

今年からの課題


大晦日と元日を、伊豆で過ごしてきた。
宿泊先の長岡が、北条氏の地盤であり、幽閉されていた頼朝と政子の出会いの地であったことは、地元のパンフをみるまで無知だった。修善寺に行きたいといった女房の一言で急きょたてた予定だった。早起きして、歴史の地を歩いてみたかったが、寝坊してしまった。ホテル裏山の源氏山公園に昇って、初日の出を見るには間に合った。朝靄のなか、伊豆の地形は、地元の群馬の山並みとはちがって、微細に複雑だったが、調和をもっている。修善寺地域にあったジオパーク・ミュージアムで、地球下の三つのプレートの衝突の自然史をおさらいしたが、その自然のカオス的複雑さを、人の文化が調和させてきている、血なまぐさい歴史によって……と感じてきたことにある認識が、奇妙なことのように思えてきた。

初夢は見た。夜半に起きてトイレにゆき、また蒲団に入るまえにカーテンを開けてみると、満月に近い月が、源氏の山にかかっている。携帯の時計をみると、1時半だ。おそらく、先ほど目覚めたときにあった夢が、まさに初夢になるのだろうな、と思う。私は、かつて一緒に働いていた南米からの友達と、セメントか何かを作る作業をしていた。といっても、肉体労働をしているのではなく、その背景にあるらしいコンベアー(子どもの頃の遊び場だった、河川敷の砂利採掘の工場跡地の風景が、重なっている……)が走った大きな工場を、管理しているのか、椅子に座ったペルー人のルイスに、私が何か色々質問している。書き留めなかったので、それ以上のことは、覚えていない。寝付くのに時間がかかったからか、4時半にセットしていた目覚ましの音は、気づかれていない。

夢の雰囲気を伝えるのは難しい。それは、今の私の精神・生理状況を把握するのが難しいのと似ている。年末にかけて、あの相撲界の混乱事件から、ふと、それまで考えていた色々な文脈が一つの束になった。その要約を、トッドの家族人類学や柄谷の世界史の構造を使いながら、自分のやってきた野球部からの問題意識発端から、やったわけだ。いや、NAMの解散以降、息子の生まれた年からなのだから、約14年ほどかかってやっと理解できてきたのが、その短く要約されるものだ。たったこれだけか、という思いというより、そういうもの、そんな程度なんだよな、と、幾度なく繰り返されてきた思考経験から確認する。そしてそうなように、いつもなように、その要約できた束は、またすぐにほどかれてそれぞれの文脈へ、道筋へと走りはじめる、動きはじめるのだ。それはちょうど、色々な波長の光の動きが、プリズムを通して一つに焦点化される一点を持つが、そこを過ぎればまた色々な波長の領域、波線へと拡散されていくようにである。またそういう状況に、今の私はなった、また新ししい振り出しの地点に立たされた、ということだ。しかしそこに、単に思考の形式だけでなく、私の年齢的、そして息子がこれから思春期に入り大人になっていくという家族的状況が付加されている。今年51才になるその年齢は微妙だ。老年ではなく、中年のパワーも失ってきているその最中、落下の加速度が増してきたが、落ち切って安定化するにはまだ遠い……。仕事納めのささやかな宴席には、60過ぎの親方と、70近くになる職人さんと、私。もう終わった人たちの話になる。いや話す事すらない。しかし、私はまだ生理的にも同期できない。実際問題としても、思春期の息子を抱えている。……そうした、生活の状況と、思考の形式的状態があいまって、いま自分が健康なのか否か、不安がないのか否か、充実しているのか否か、というメンタル把握を難しくしているのだ。それがまた、夢の理解を妨げている。

しかし二日目、今日の朝3時、ふとおおざっぱに三つの具体的な課題、考えるべき文脈があることが意識化されてきた。

(1)「川崎事件」から「相撲界の混乱」へ――石井光太氏の『43回の殺意』(双葉社)を読んでいる。それによると、私の見立てよりは、だいぶ古典的な事件という印象を受ける。脱サラして自然にエコに帰る左翼イデオロギーの影響というより(それも間接的にはもちろんあるが)、より先輩―後輩、という、ある意味人類学的な自然により近い領域で理解した方が正当であるようだ。ネット環境などのテクノロジーは、その自然を異化しているというより、補完しているのではないかと見受けられる。まさに、スマホを覗いていた貴の岩をカラオケの端末でぶんなぐった日馬富士とおんなじだ。「そんな暴力はいかん!」とは、モンゴルでは問題にならないだろう。日本でも、戦後途中の言説状況からそれが問題視されるようになった、という特殊文脈はあるけれど、もっと古典的に、根源的に考えてみる必要がある。

(2)息子の進学の問題――親方の孫も、私のイツキと同級生で、今年中三になって受験期にはいる。孫は、まったく勉強ができず、進学する気がないらしい。去年親方の長女と草野球の納会で会ったときの話からすると、母ちゃんも進学などせんでいい植木屋に入れば、と投げやりに考えているようだ。が、じいちゃん、ばあちゃんはそれではすまない。中卒で植木屋になった息子と、おなじ道、おなじようになってほしくはないようだ。ゆえに、熟の講師をやめて、ラオスに青年協力隊で支援活動にいっていた次女を呼び戻し、孫の家庭教師につかせる段取りをとっている。なぜそう思うのかは、推定にしかならないが、中卒でだと世間・視野が狭いままなので、他人のことまで想像力がいかず、地縁・血縁で従業員が成立するわけでもなくなったこの時勢では、もうそれではだめだ、と息子をとおして自覚されてきたからだろう。今のままでは、会社自体あぶない。大塚家具の長女も、父親の路線と対立して今風な売れ線に変更したけれど、赤字になって身内の支援も難しくなったと最近の新聞に出ていた。で、そんな会社にいる私はどうするのか? やはり勉強しない息子に、どう接すればいいのか? 女房の母親の葬儀のさい、工作機械の会社経営している女房の妹の旦那から、「うちに来てくれればすぐに幹部だ」とか言われたけれど、それはないだろう(実はこの発言も、会社を継ぐ気の薄い、大学出て銀行勤めをはじめた3代目の息子が関連している)。ないだろう、と判断するその延長で、義理堅く、今の会社にいるということはどういうことなのか? 老人の仲間に入って衰弱していく、ということなのか? 私がやめる、ということは、親方を切る、ということなのか? 息子とやる、ということは、会社(氏族)を立て直すことに中年最後の力をふりしぼって忠誠を尽くす、ということなのか? いや私がいるからその家族は寄りかかざるをえないので、いなくなれば、もっと真剣に対処しだすのか? 勉強しない息子が植木屋に入ってくることは、そういう状況下で、何を意味するのか? 「いつ会社つぶれるかわからないからな?」と、源氏山を降りながら女房にいうと、「開業してもいいわよ」と言う。……むろん私は、そうした具体的なことどもを、源頼朝家と北条氏との封建的関係で類比・類推的に考えているのである。

(3)野球とアメフトの問題――去年は将棋ブームの影響で、もとNAM会員でもあった、もと早稲田の古本屋の店主と、将棋をけっこうやった。まだ勝ったことがないのだが、その最中の世間話で、アメフトの話になった。たぶん、息子のサッカーの話から、野球になって、そして攻守が明確に切り替わることで同じなアメリカン・フットボールの話にうつっていったのだろう。アメフトは攻撃と守備でメンバーが総入れ替えになるみたいだから、相当な人数でやっているはずだ、でもじゃあどうやって、試合中に選手交代するんだい? とか質問されて私にもわからないので、さっそくその場でネット検索してみたのだ。すると、野球は3アウト制だが、いわばアメフトは4アウト制みたいなものなのだ、と書いてある。そう去年12月、初めて知って、要するにこれは、機会均等、ということだな、サッカーでいえば、ボール支配率を50%づつに近づけるために、10以上パスを回しても得点できなかったら相手ボールのキックオフになる、とか、5分ごとに交代で開始するとか、いうようなルールを作ってやる、ということだな。で、そうなったら、何かおかしくないか? 本当に、それを平等だと人は認めるのだろうか? たしかに、そんなことで、文句をいう野球チームはいない。面白く、公平なルールだと思っている。が、ルールの外に出てみてみると、やはり何か変だ。サッカーも、ボール支配率50%目指す条件下ゲームに、なれればみな納得しだすのだろうか? それに慣れてくるとは、どういうことだろうか? 政治的にみれば、いまやアメリカ自身が、万人に開かれた機会均等、チャンス平等な理念、ルールを、アメリカの夢を崩しはじめている。やり過ぎだ、と大統領が言い始めている。俺たちにもっとずっと攻撃させろ、と。ボールを支配しているのは俺たちなのに、なんで不利益に甘んじて相手にボールを渡してやらねばならんのか、俺たちはなおボールを持っている、と。いわば、アメリカの民主主義の問題だ。が、それは、人の自然な感じで、何かおかしい、というか、何かおかしい、と感じることが、人の自然だとしたら、この自然に対処するために工夫されたルール、方法は、どこがおかしいのだろうか? 相手をとっちめてやるという暴力、それを回避させていく術、知恵。たしかにそれは面白いゲームだった。が、今の状況は、そのおかしさを露呈させてきている。しかしどこがおかしいのか? 変更方は? それともまったく新しき方法で? しかしまずは、どこがおかしいか、とくに私の場合は、野球を例に分析してみることだ。

     *****     *****     *****

(1)は、暴力、(2)は、それへの封建的対応の是非、(3)は民主的対応の是非、とかに要約できるだろう。そしてそられは、暴力という自然への向き合い方の問題、と定式化できる。あるいは、情念と知性、とか。しかしそこまで形式化すると、逆にわからなくなる。なにせそれは、私の生活の問題、どう生活していくのか、ということと切り離せないのだから。そして生活の些事に埋没していると、これまた逆にわからなくなる。

しかし今年は、また、わからない、という振り出しの地点からはじまる。

0 件のコメント: