2020年5月16日土曜日

新型ウィルスをめぐる(8)

前回ブログへの追記。

なんで、事実を見ようとせず、安心に閉じこもる制度化された日本人の集合的な無意識、習性がだめなのか? 

たとえば、ガンの告知を受けず死んでいった身内は、余計な葛藤で苦しまないし、どっちみち死ぬのだから、真実を知らせないのは、思いやりとしていいではないか、というのが日本大衆だとしよう。

その心性に対し、戦後民主主義は、真実を知らされないで被ったとされる戦争の悲惨さへの反動からか、政治理念的に、事実隠蔽の方針に楯突く。今の国会論議でも、いわゆるリベラルといわれる野党議員がそう食いついている。

が、そうした性急な理念態度は、むしろ、日本人の習性を、なお隠蔽してしまう。たとえば、戦時中の戦況も、見出し記事にごまかされず、以前の記事を頭にいれて細かいところまで読んでいれば、実は、嘘をついているわけではなかった、本当の状況は推察できた、と佐藤優氏は指摘している。いわば「論理国語」能力があれば読み取れるようになっていた、と。これは、非常事態宣言解除という目的に向けての、事実は誤魔化せないので、どんなデータを採用しどう発表するかの、イメージ操作に頭を使っている、国政、都政の現在のさまにもあてはまるだろう。この点は、もと都知事の、舛添氏も指摘している。(新型コロナウイルス 緊急事態宣言は 必要だったのか? 解除の条件は?:

つまりは、事実を知らせる、知らせなくてはならないという近代的理念に対する同意はかつてもあったのであって、にもかかわらず、国民は事実を知りたくなかった、というのが本当に近い状況なのだから、だから、そこに民主主義理念を上塗りしても、本当の焦点は、ぼかされてしまうだろう。

私が、事実をみたくない日本大衆に対置させたいのは、理念ではなく、自然である。水は100℃で沸騰する、というような、自然の現実、法則的なものだ。

たとえば、事件や交通事故で、自分の子供や身内を失った、奪われた親たちは、どうするだろうか? 真実を知りたい、何があったのか本当のことを知りたい、と追求しだすではないか。私は、それが、人間の真実、本能の論理性、自然な法則だとおもう。日本人の大半が、そうした当時者意識が弱く、自身の事に関わってくることでも他人事なままなのは、島国として守られてきて、まったくの他者から絶滅させられる、という経験がほぼなかったから、としかいいようがない。しかし、歴史的に、世界という他なる者たちと堺を接した大陸的な倫理の形成が弱かろうと、現に、亡くなった子供や身内、あるいは仲間たちのために、あきらめずに真実を追求し続けている日本人たちがいる。

私は、理念も大切だが、そうした身近な現実を、まともに身に受けるべきだ、とかんがえる。なぜなら、自然から遠い制度は、不自然ということであって、人間関係という自然のなかで、長持ちなどしないからである。ボタンがシャクヤクにもどってしまうような現実、自然の法則だ。島国という特殊自然条件にあっても、もっとミクロなレベル、人間個人がもった本能に近い自然の方が強い。その自然に則さない人為制度、文化は軟弱地盤だ。

中国では、いまやSFなみの監視管理社会になっているといわれる。しかしそこまでしなくてはならないのは、それだけ個人の本能論理が強烈だからだろう。日本では、監視カメラなどいらない。江戸時代みたいに、お触れのタテカンひとつで、ほぼみな自粛してしまう。戦時中の隣組みたいな自警監視団さえ発生する。自然も弱いが、文明としても弱い、ということなのだ。

*中国で当初、「ホロコースト」のようなことがあったのではないか、と私は言及した。いまだに、その真偽を判断しうる情報には、私は接していない。中国の作家、実際に「アウシュビッツ」という言葉で中国のコロナ状況を捉えて報告しているが、事実に即して、というより、詩的比喩のような用法にみうけられる。発生源と思われる中国は、ウィルス性質のことが不明すぎるのだから、いきなりな強権危機管理を敷いたことは確かだろうが、どれくらいだったのだろう?

今回の、新型ウィルスに対する国政の無策であっても、日本人の被害は少ないので、「ジャパン・ミラクル」とか欧米の識者にいわれているそうだ。死にものぐるいにやった結果手にしたのは「奇跡」とよべるが、そうでないのだから、「ミステリー」の類いだろう。「自粛がんばったね」と、みんなではげましあっているが、ぜんぜんそんなことではないのは、舛添氏が指摘している通りだ。コロナ・ピークは、本当は3月半ばくらいにあって、非常事態宣言がだされた頃は、下火になっていたんではないか、とは、「論理国語」が普通にできれば、推論のひとつとして導きだされてくるのである。

本当に、このままコロナ死者数が数百人程度(現在700人位)ですんでおわったら、これは3.11の年の年間インフルエンザ死者数(500人位)と同じくらいの低水準で、去年は三千人をこえるくらいでほぼみな冬場だけでの数だ。なんで、飲食店等が倒産にまでおいこまれたのか、まさにミステリー、になるだろう。しかしそれでも、世界は激烈な危機状況に入っていくというのだから、この日本と世界との落差はさらに不可解であり、私たち日本人の大半が、まったく真実への見当もつかず世界の激動にのまれていくことは、やっぱり、よりマシな、幸せなことなのだろうか?

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