子どもたちがマスクをつけはじめて、一年半ぐらいが、過ぎようとしている。このままいくと、2年、をこしていくのだろう、とおもわれる。その健康的な問題についてはさておき、なんで、我慢できているのか、私には、不思議でしょうがない。
小学生へサッカーの指導をしていた経験から、一般的に、3年生半ばくらいまでは、言うことをきかせるのが難しい。後半になってくると、本能的な反応だけでなく、だいぶ頭で考え動けるようになってくる。といっても、それも指導方針によるのか、強豪チーム、あるいは試合に勝てるチームなどは、2年生くらいから、チームプレー、戦略的な戦い方をみせてくる。弱小チームのコーチとしては、その年齢の子どもたちに、いったい、どうすれば、あんな大人の言うことをきいたサッカーをさせられるのか、いまもって、よくわからない。まあ強いチームには、幼少のころから親と一緒にサッカーをみていたりして、すでにイメージや知見をもっている子が多い、というのもあるとしても、スキゾ的なのが自然にみえる年ごろの子たちにあっては、逆に、奇異にみえてしまう。しかし、強豪チームには、すでに伝統的な雰囲気があるので、そこにはいると、子どもたちでも敏感に、その空気に反応して大人しくなるのかもしれない。
マスクをつけるのも同様ではないか? 生理的には、あつくて、息苦しくて、仕方ないはずである。が、ほぼすべての子が、公園で遊んでいるときもつけている。べつに、大人がみているわけでもないのに。息子のイツキだったら、ぜったいに途中でマスクを放り投げて、遊んでいることだろう。口すっぱくいっても、ききはしないだろう。が、それが普通だ、とおもう親のほうがまれになってきたのか、いまの若い親御さんたちは、とにかく我が子に、マスクをつけさせることに成功している、ということになる。どれほど、ご家庭で、統御していくのだろうか?
テレビのクイズ番組だったか、閑散とした地域のとあるアパートに集まるその数人の大人たちの集団は、なにをそこでしているのでしょうか? というのがあって、答えは、子どもの電話相談なのだった。秘密がもれないように、電話の受けても素性を秘めて業務にあたるのだそうだ。で、コロナ禍にあって、相談内容がかわってきた、と。以前は、学校に行きたくない、だったのが、行きたい、という話にかわった。そして、自分たち子どもがいつもマスクをつけているのに、なんで、つけていない大人たちがいて、おかしいじゃないか、という声も多いのだとか。
では、この子どもの声、大人はちゃんとしていない、の訴えをきいて、街中でマスクをつけていない私は、どう答えるだろうか? サッカーの指導中などは、仕方がないのでつけるようになるだろうが、それでも、私は、ミーティング上で、こんな話をきかせるかもしれない。マスクつけるつけないにも、ほんとうは、意見がいろいろあります。にもかかわらず、あたかもつけること以外の選択はありえないかのごとく素通りして世の中がすすんでいるから、君たちは、マスクをつけていない大人を幾人もみかけて、大人は嘘をついている、とおもうようになってしまう。他の文化国では、そんなささいなことでも、大人どうして意見をぶつけあう光景がみられるそうです。そういうところでは、建前がないから、大人は嘘をついている、なんて、子どもたちもおもわないよね。だって、そもそも、サッカーやりながらマスクして、苦しくない? だまってて、いいの? 大人たちだけでない、なんで、君たちが、自分の本当の意見を、口にしないのだ?
*スマホのヤフーにひっかかってくるニュースをみているだけでも、以前なら、陰暴論として退けられていた話が、科学的な、あるいは事実的な根拠をもった推論として散見されるようになってきた。ウィルス人為説が表にでてきて(例えば夕刊フジ)、新ワクチンに関しても、いろいろな観点から検証があがってきているようだ。大阪大学の研究所によれば、毒がないだろうと新ワクチンでも標的製造されたウィルスの突起部分が、善玉の中和抗体だけでなく、むしろ重症化させる悪玉の抗体も発生させている、ことを発見した、そうだ。ただし、コロナにかかるのではなく、ワクチン接種の場合は、善玉の抗体のほうが量的には多くできるので、打った方がいい、と言っているのだが、量が、問題になるのか? 私は、抗体というのは、自然体系として、体全体がそう変身するのかとおもっていたのだが、突っ込んで調べてみたくなる視点だ。右腕はよくても右の人差し指はだめ、というような話なのか、それとも、バリアが薄いとか濃いとか、十分な量に達する達しない、という話なのか? ただ、この「女性自身」のコメントにもあるとおり、「感染増強抗体」という観点から、ワクチン打ったら人類おわるぞ、と訴えているノーベル賞学者もいるわけで。人工RNAの残留部位問題も、表にでてきたようだ。さらに、つばさの党の党首が、武漢の研究者からの情報として、youtubeではもう削除されるからと、独自のサーバーを創設して、訴えはじめた。最悪の陰暴論が、本当だった、と。この党首自身が、情報操作される標的になったという可能性もあるだろうから、私はすぐには信用しないけれども、GAFAが、相当な検閲をしているようだ、ということは、こんなブログを書いていても、身につまされる経験をしている。「憲法論議」と題したこのブログの一ページが、いったん削除されもしたのである。グーグルからのメール通知によると、ウィルスを流布させているという報告があり、審査の結果確認できたので削除する、他にもあったら、ブログ自体を閉鎖する、とあった。私は、自分が何を書いたのか忘れたし、もうそのページがなくなっていたので、どこかにリンクをはったかな、と思い出そうとしてみた。ウィルスを拡散させているというなら、知らない間に、はったリンクからだろう、と想像したからだ。が、その日の夕刻、再度の審査の結果、問題はないとなったので、復元した、とメールがくる。なんだいこれは? 私は、審査は、ロボットが自動的にやっているのだろうな、と想像していたが、人手をかけているのか? ほんとに検閲なら、プラットフォームをかえるか、ともおもっていたし、またそういう推察もあって、電子出版という発表手段も確保しようとしていたのだ。グーグルのブログは、ハッカーの標的になってもいるだろう。私の以前のパソコンは、おそらく、空き領域をのっとられて、おかしくなって壊れたのだと、推察している。このブロガーから、侵入してくるのではないか、と。
個人が、言論の場を確保するのが容易になった時代から、困難な時代に展開されはじめているのかもしれない。
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