2013年2月23日土曜日

ピータの死

「しかし、学校や学習塾の勉強でいい成績をあげるだけでは、教養は身につきません。/ 他人の気持ちになって考えることができるという共感力や思いやり、自分と違う考えをする人を認めることができる寛容心、自分よりも才能のある人にやきもちを焼かない人間力を持っている人は、尊敬され、信頼されます。そういう大人になるためには、子どものころから教養を身につけるように努力することがたいせつになります。」(『子どもの教養の育て方』佐藤優・井戸まさえ著 東洋経済)

小鳥のピータがなくなった。急に雪の降るような寒い夜がきたので、暖房の切れる部屋で風邪をひいてしまったのかもしれない。体を膨らませて真ん丸くうずくまっている。以前にも似たような症状になったことがあったが、仕事を休んでいた私の体に張り付いているうちに元気を回復した。しかし今回はもっと弱っているのがわかった。子どもの一希も当初いっしょに風邪をひいて学校を休んでいたのだが、よくなって今日は通学するというその朝、ピータは止まり木に立っていることもままならないようで、すぐに籠からだし、毛皮とタオルのベットを作ってやって、そこに寝かせた。出かけ際、まだ蒲団にこもっている息子に、「きょうピータくんが死んでしまうかもしれないよ。早く起きて、みてやって」と声をかけていく。その日の午後3時ごろ、女房からなくなったとメールで知らされる。ちょっとした錯乱が、私の脳髄におこった。植木職人の私が木から落ち骨折してからの2年近くほどの飼育だったとはいえ、もう家族の一員のような存在だった。はっきりとした欠落感が、私をおそってきた。子どものころ飼っていた犬がなくなっても、こんな感情にはならなかった。いや私に、そんな人間がやってこようとはおもえなかった。私は、成長したのだろうか? どうじに、9歳の一希はどうだろうか? と考えた。また新しいインコを買って、といいはじめるのだろうか?

帰宅すると、女房と一希が涙ぐんでいる。女房がでかけている、暖房のきいていない時刻になくなったので、とても寒かっただろうと、ピータをタオルでくるんで、ヒーターの前に寝かせてあたためていた。ピータくんがいないとつまらないな、と夕食時につぶやいていた一希は、寝付く枕元に、棺桶がわりの箱に小鳥の遊び道具だったワインのコルクと飴玉を包んだ銀紙といっしょにその死骸を寝かせて、蒲団にこもった。しばらくして、しゃくりはじめ、大泣きをはじめる。傍らで寝ていた私は、そのままじっとしていた。私が命拾いした2年ほどまえだったならどうだったろう? あのとき、一希は「パパはパンツが梯子にひっかかって助かったんだよ!」と、屈託もなくところかまわず吹聴していた。なお、死の意味が、欠落するということがどういうことかがわかっていない様子だった。それからのこの2年ほどで、成長したということだろうか? 他の小鳥ではなく、ピータという固有名でないとだめになったんだな……いやそういうことではなく、なぜなら、私自身が、愛するものの欠落に泣く、という人間からはほど遠い育ちできたのではなかったろうか? 欠落をいだくほど愛する、それがどんなことか、私は知らないで、教わらないで、子どもから大人へと、その無感動を育んでいったのではないだろうか? 私が成長したのは、そんな自身の成長を否定し、否定していくための教養を青春期いらい数十年をかけて積み立て、結婚し、子どもをもったからではないだろうか?

ファミリー・ロマンスから脱却すること、その冷めた「物語」批判精神をもつこと、学生の頃の教養は、そう若いものに教えていた。いや、その教えが、高度成長期を両親にもつ私のようなアパシー世代には受けがよかったのだ。それは、人間的な意味を教えない親の価値を否定していた、しかしそのことで、批評家の意図には反して親の非人間性、エコノミック・アニマルに通底する反ヒューマニズムを補完していたのだ。世界から逃走=闘争した若者のおおくは、おそらくそのまま孤立し、人間関係を回復する術を身に付けるまでもなく、そんな教養学術も受けつけなくなっているだろう。私がいわゆる脱近代なる批評文学=思想から、親への批判否定はそのままで親を回復する、そんな発想を新しく持つことができたのは、おそらく偶然の境遇によるだろう。そう、私には、ペットが死んで泣く、それは40歳を半ばにして持つことのできた〝新しい感情″だったのである。

そんな意味文脈で、一希はすでに親をこえて育っている、私にできることは、その成長を抑圧しないことだろう。

2013年2月17日日曜日

暴力(教育)と歴史・「見えること、見えないこと、見たいこと」

「新たに少年サッカーの世界に入ってこられた方は、日本の古いやり方ではなく世界基準の指導方法にしてほしいと思います。長くなさっている方は、20年前、10年前のサッカー界とは違うことを認識してほしいのです。/ ぜひ、子どもの力をひきだすための入り口に立ってください。「なぜできないの?」と「できないのはなぜ?」は一見同じ意味です。でも、前後の言葉をひっくり返しただけで、言われた子どもにとっては180度違うイメージ。叱られた印象になりません。/ 叱ることをやめると、選手へ伝える基本的な情報のひきだしが増えていきます。内容の精度も、表現力も磨かれます。そこさえ確立してしまえば、あとは前進するだけ。子どもたちは毎年変わっていくけれど、経験値がプラスされることでみなさんの指導力はどんどん熟成されていくのです。」(池上正監修 島沢優子著『サッカーで子どもの力をひきだすオトナのおきて10』 KANZEN)

小3の息子の宿題。私はまず勉強や学ぶということを面白くさせること、つづけさせること、が一番だとおもうので、子どもからわからないところをきいてくるまで、何もいわない。同じ食卓で、こちらも勝手に本を読んでいる、そのいっしょにやっていることが大切な布石なのだとおもっている。ところが女房、私がいなくなった間に、せっかく一希が調子よく書いていた作文なども、テニオハがどうの、表現がおかしいなどと重箱の隅をつつくように叱責しはじめる。私は女房をぶんなぐるか部屋を壊してしまいかねないので、蒲団をかぶって歯ぎしりしている。私らの母親世代が、子どもや日本をなんとか貧乏・不安(敗戦)世界から脱出させようと、うるさくママゴンになってきたのは仕方がない。が、そのなれの果てがどうなってしまったかしってしまったわれわれ世代が、性懲りもなく同じ態度で、いや縮小再生産な親子(母子)関係を反復させていることは、いくらなんでもばかげたことだ。母親からさんざん泣かされたあとで、その不安をとりつくろうように、寝る前に本を読んでくれ、パパじゃだめだと哀訴するる一希の声をきいていると、私や私の兄がそうであったように(そして多くの若者たちがそうであったように)、青春時の憂鬱をこじらせて、分裂病(統合失調症)になってしまうのではないかと心配してしまう。不安と安心という矛盾(分裂)心理が同居していないと自己が安定しなくなってしまう、そんなダブルバインドな癖を身に着けさせられている。女房のしつけだが教育だかは、要はそういう身体訓練をしているのである。ただ希望的なのは、なお一希が言い返し反抗をみせていることだ。サッカーの試合でも、もう上級生モードにはいるからコーチも親も外から言わないから、自分たちで考えるように、とパパコーチである私がミーティングで諭しても、それを一番に破るのがコーチの女房なのだが、一希も試合中に「黙ってろ!」とどなりかえす。ヘッドコーチは苦笑いしているそうだ。

日本のサッカー界は、野球界に代表されるような根性主義、中央集権主義、独占主義に批判的なスタンスではじめられたのだから、最近の柔道界で騒がれた暴力問題とは遠い地点にまできているのかな、とおもっていたら、そうでもないらしい。冒頭引用の池上氏の著作にも、まだ「3分の1」や「半分」が「厳しく叱る」方針のままだ、とある。サッカー週刊誌などでは、「旧態依然の指導を断つ牽引車」とならんとする野球界の桑田氏のような人物がサッカー界にも必要だ、という記事もでる。野球だろうがサッカーだろうが、もちろん柔道だろうが、もう列記としたオトナの世界で、しかも世界競争をしていこうというレベルで、指導者の位置を仕事として引き受ける者が、教え子というより一人前の選手をぶんなぐって指導していくことがありうる、ということにびっくりしてしまう。なんともおぞましい世界だ、とおもうが、国民的英雄な長嶋茂雄氏など、その体罰指導の率先者のようなものだったことをおもいおこせば、われわれはまだこんな世界というか世間に暮らしているのだなあと、得も言われぬ感慨。さらに、相変わらぬ女房のこともが重なってきてまうと、この日本社会なるものに暗澹としてしまう。

癖なんだから、すぐに直らないのはしょうがない。私も、パパコーチとして、だいぶ古い習性がでてしまう。しかし、それがだめだということはいやというほど認識してきたので、まだそれを修正していく正解というのもはっきりしているので、それを理念として、絶えず自己反省しながらやっている。子どもとサッカー部にはいって2年。私も、少しづつ成長してきている、と感じている。が、その成長という前提、正解な基準自体を日本社会は受け入れようとしていない。その傾向が潜在的に強い、ということだろう。戦後民主主義的な教育流行の陰で、しぶとく潜伏している大勢は、ふとしたことで明るみにでる。自民党に返った政権は、なんとかその潜勢力を表にださせて、もっとふてぶてしくやりたい、ということのようだ。文芸評論家の斎藤美奈子氏によると、6年前の教育法改正のとき、文部大臣は「『毅然とした態度』をとった教師や学校が『児童の人権』という観点で非難されたら困るだろう。そのやりにくさを払拭するのが目的だ」といい、現阿部総理も、「学校現場の過度な萎縮を招くことのないよう、体罰に関する考え方をより具体的に示す」と発言したそうだ。つまり、容認できる体罰の指導をする、ということか。斎藤氏は、「『体罰』はなべて暴力で「よい体罰と悪い体罰」があるわけじゃない」と指摘し、「人権を制限し、究極の暴力の否定である戦争放棄に異議を唱える人たちに、暴力を一掃することができるだろうか。矛盾としかいいようがない。」と結語する。

しかし、この「矛盾」、分裂、ダブルバインド……中国に対して強気にでたいのも、この己の「不安(被潜在・鬱屈)」を解消・解放したいがためだろう。そしてその原因を作ったアメリカ(母)に「安心」を求めてよりかかる。その敗戦という癖。戦後民主主義(人権)という「安心」自体が「不安」と一体化してしか意味(自己安定)をもってこないという病。この精神病にとって、「人権」と「暴力」は同時に必要なのである。「矛盾」を抱え込んでいないと己が安定しないのだ。ならば、斎藤氏の批判視点自体が、病の産物である。

私自身、「厳しく叱る」教育(暴力)に対し、叱られて泣いてたら覚えるどころじゃないなんて、見ればわかるじゃないか、なんでそのわかる(科学)ことに依拠して教育をたてなおさないんだ、とおもう。しかし、この中立的、客観的な技術論自体が、歴史的産物であり、この時期の「矛盾」的位相、どちらもがヘゲモニーを確立できないという空白地帯からうまれてくるのだ。私の反省的な冷静さ自体が、熱狂の効果なのである。だとしたら?

私たちは何を見ているのか? 見えないのか? しかし、いや、見たいものがあるだろう? それがたとえ歴史的な空白地帯によってこそ可能な理想でありユートピアであっても、それをこの時代のわれわれが見た、人間には見えるものなのだ、ということを記述し記憶し、後世に伝えること、伝えようとすることには意義があるのではないだろうか?

2013年1月4日金曜日

初夢をみれないクリーンな喧騒

「……ところが既存のシステムの中では脱原発指向の受け皿がないから、都市中産階層の、より安全でより快適な生活を手に入れたいという指向性が新自由主義的国家主義に吸収されようとしている。会社で働いている夫たちは旧体制、子供の生育環境を心配している妻たちは新自由主義的な方という分裂になっている。でも、両方とも構図としては、非常に自己中心的な日本内部のものに過ぎないのではないでしょうか。」「別の視点から言うと、なぜ北朝鮮は自力で核開発をすることにこれほど固執するのか。ロシア、中国、日本、そして米軍がみな核を持っている。それらに包囲されている北朝鮮が核を持とうとすると周囲の全員が持つなと圧力を加える。私は、軍事用か「平和利用」かを問わず、誰であれ核をもつべきではないと考えますが、この地域の核をなくすための論理は、このような包囲と圧力の論理ではないと思う。これは戦争の論理であり、日本政府がやっていることも潜在的な戦争の一環なのです。東アジアにおける脱原子力は、地域の諸民族が連帯共助して行う反戦運動として行われなければ成功を望むことはできません。その際に、日本国民に問われていることは、自国が行っている潜在的戦争に反対することができるかどうか、です。」(徐京植インタビュー「「以後」にあらわれる「以前」――フクシマと東アジア――」『批評研究 vol.1』 論創社)

コンプレッサがなければ釘うちができない大工さんがでてきているように、ブローがなければ掃除ができない植木屋さんがでてきているかもしれない。と、若い者たちをみていておもう。どちらの機械も、ガソリンや電気で空気を圧縮し、人力とは別の均一なエネルギーを出力させていくものだ。そこにあるのは、手っ取り早く、つまりは効率的に、均一均質なクリーンな空間を出現させる、という発想をもつ。もちろん自然は、つまり木が生え土のある現場は、そんな機械調節の風で隅々まで処理できない。株立ちの刈り込みものの根っこ近辺にはさまった枯葉は、やはり植え込みに体をかがめて小箒などで掃きかかねばとれず、そんな億劫と手間を省くために、人工風で吹かれた落ち葉はエアコンの室外機の裏などに隠される。きれいになればいいだろう、みえなければいいだろう……と書くと、なんだかそんな最近の植木屋さんの掃除も、原発問題にみえてくる。というか、事故後の言論が露呈させてきたことのひとつの典型が、そんな近代的な発想であり、その世俗版の効率主義である。
しかし、元来、植木職人が引き継いできた<庭掃き>とは、きれいになればいいだろう、といった外在的なものではなく、清める、という内在的行為をはらんでいる。むろん、庭を清めるのは、そこが神という世俗を超えた世界へと通じていく場所だからである。<にわ>という古語自体に、そうした神道的意味が受け継がれている。庭掃除とは、だからクリーンな思想によるのではない。その管理方式は、ダスキンとは相容れない思想性を継承しているのである。そんな価値の話、感覚は、若い世代には抜け落ちる。それはとりあえずどうしようもないことだが、それが「しょうがない」ですむ問題かどうかは、何度も問われなくてはならない歴史の反復作業だろうとおもう。

ヨーロッパでの魔法使いが、箒にのって空を飛ぶのは、その問いが、日本にかぎらない、洋の東西を問わないことを示しているだろう。やればいいだろう、というような世俗の価値とは違う、それを超えた価値とつながっていなければ人間の生はもちこたえられない……そのことは新興宗教に走ってしまう個々人の問題だけではなくて、その目先の効率性や清潔さのために、つまりクリーンな考えのために、人類の文明は滅んだことがあるのではないか、エジプトが砂漠になったのも……とこう書くと、まさに若い世代がはまった終末神話と類比的になってしまうのだが、ブローを嫌い、性懲りもなく棕櫚箒で庭土をみがいている、土俵を作っているような掃除をしながら、この手の動きに、リズムに、文明を守っていく反省と知恵の何万年まえからの模倣を透視しているような気になってくる。

きれいはきたない、きたないはきれい、というシェークスピアのマクベスを引用して、赤軍派の内ゲバ闘争を暗に批判しながら人間が抱え込む形式的現実を洞察提示したのは柄谷氏だったが、その今では経験実証的にも理論的にも自明的なそんな正解が、世の中ではまったく無視されて動いていくものだなあ、と周りを見回しておもう。それは、衆院選後の嘉田氏と小沢氏をめぐる内輪もめから女房との夫婦喧嘩まで、まったく人間の、人類の英知が受け継がれていない。クリーンという世俗のイメージに負けた嘉田氏は原発的なクリーン思想をまったく卒業していないことが明白なように(ある種の左翼的グループの抱擁限界、きたなくなれないこと――)、目前の不安にかられて漢字だローマ字だと性急に子供に詰め込む教育に便乗しさわいで、独りで静かに集中するという形式、それさえ体得していればどんな内容でも代入可能になるだろうような身体と脳のあり方を無視していく母親たち。

そんな世俗の喧騒に巻き込まれてか、今年はおぞましき初夢さえみることがなかった。われわれの狂気は、どこに住処をみだすことができるのだろうか?

2012年12月16日日曜日

高速道トンネル天井落下事故から

高度成長期に建てられてから40年ほどがたち、劣化してきたのだろう、このトンネルの型が古かった、とかを事故原因としてきいていると、マークⅠという旧式欠陥のまま運転してきたことが大惨事のもととなった福島第一原発事故のことをおもいおこしてしまう。というか、その経済成長期の発想で作られてきた制度から現物までもが、ガラガラと音をたてて崩れ始めた、しかも日常生活のすぐ隣で、という進行事態の象徴なのではないかと感じてしまう。この崩壊過程のなかで、今日東京都知事と衆院の選挙があるという。そして、「取り戻そう、日本」を標語にする自民党の単独勝利が予想されている。あの元気だった成長期への懐かしい思いからなのか? 復古など、不可能であると誰もが感ずいているはずだというのに。何を期待して、というのだろう?

この瓦解しはじめた古い本体を、修復するにしろ解体するにしろ、それにはとりあえず金がかかる。金がかかるとはどういうことだろうか?
たとえば、定期点検の検査でさえ、この予算で入札すれば、すぐに何人手間で何日かかる作業かが自動計算される。赤字にならないために、打音検査などはしょれるところははしょる。いやこれは国民の生命のかかった必要不可欠な大事な作業なのだ、省くな、となれば、その負荷を担うのは、単に末端の労働者である。サービス残業でやるのか? やらなきゃ首だと脅されながら? 原発の労働者のことを考えてみればいい。そんな強制などとてもできることではない。私の仕事の公園管理などもうだ。手入れの行き届かない高木は、そろそろ大枝を枯らしはじめている。しかし予算が片手間なら、作業も片手間のことしかできないのである。県道ひとつ隔てて東京都と埼玉県にまたがる森林公園の、埼玉県側の樹上をみあげてみると、人の胴体ほどの太さの枝が中折れてぶらさがり、山桜の立ち枯れの森となっていたりする。その下を、ジョキングや犬の散歩に人々がゆきかっている。現場のことを知っている人は、自分の子供をこんな公園で遊ばせはしないだろう。北風が吹けば、落ちてくる。サービスでできることでもなければ、素人でできることでもない。景気のいいときに乱開発された高層ビルの解体理論はあるだろう。が、金がなければ、その理論は机上のものだ。高速道路にしても、そのうちあちこちで寿命をむかえてくるので、とても予算と人手がまにあわなくなるのでは、と専門家がテレビで発言していた。さもありなん事態である。火事や津波で破壊されることを前提に建てられていた昔の発想のほうが、どれだけ利巧であったことだろう。

しかし、全体では片手間になるといっても、その予算のなかでも、やることはやらねばならない。そうでなければ、単に税金泥棒だ。ところが如何せん、そんな末端作業をやる人たちのなかには、真面目でないものも多い。むろん、ここでいう真面目とは、資本主義的な時間制約のもとで、という意味になるけれども、それさえ誤魔化すのなら、詐欺のようなものになる。私の職場でも、二日酔い、遅刻、さぼり、が多い30代の者が親方から首を宣告されている。「人を減らすぶん、仕事も減らせばいい。また若いものを育てていこう」と、親方は苦渋の選択、腹をくくったようだ。私としては、今さらわかったのか、という感じなのだが、私がノロウィルスにやられて仕事を休んでいるときの成り行きで、カンネンしたらしい。もちろん、首を切るとは、そのものが失業すること、貧困に陥ることである。現在世論では、自由競争的に人を救済しない論と、自由競争自体のシステムを修正して貧困の深刻化にセフティーネットを張ろう、という理論が拮抗しているのかもしれない。その酔っ払いとの仕事で危うく命を落としそうになった自分は、どちらということになるのだろう? 彼は、もともと気の弱い彼は独身ゆえになおさら精神をもちこたえられずに自暴自棄になり、なおさらひどくなっている。私は、身の危険を感じながら、毎日仕事をしなくてはならない。私の本能は、こいつから逃げろ、こんな奴がいる職場から逃げろ、と言っている。しかしここにきて、そいつといつもペアで仕事をすることになる私に、親方のほうから首にしたいと相談してきた。「何かおこされるまえに、きっておきたいんだ」と本能と社会が結びついている親方は言う。私はそれを首肯した。最近も仕事帰りにタクシーに後から突っ込んでいって事故を起こしたのを示談でもみ消している、とちくりながら。首にしたらしたで、私は警戒していなくてはならない。弱い奴は、見かけの暴力的なものにはむかわず、やさしそうなところ、さらにその弱いところをねらってくる。彼は、そんな古典的な犯罪者性格だ。一昔まえなら、下町の長屋倫理で、「酒さえ飲まなければいい人なのに」と庇護されたことだろうに。しかし私は女房にいわねばならない。「子どもが殺されるばあいもあるから、一人のときはぜったいにドアをあけさせるな。チェーンをかけておく癖をつけさせておけ。」と。彼を救うことは、私の身の危険、身内の殺人をも覚悟想定しなくてならないこと。私にとって、私の現場にとって、貧困対策とは、そういうことだ。

そういう現場が、現場の人たちが、日本の天井と地下を支えているのである。支えてきたのである。その支えが、ガラガラと音をたてて崩れ始める。いや崩れているのは構造物だけで、支柱となってきた現場の人間は、その崩壊とも無縁なところに実はいるのかもしれない。私が、そのガラガラという音をきくのも、私が中流階級の意識で育てられてきたインテリ大衆であるからかもしれない。

*ホームページより最新アップ『パパ、せんそうって、わかる?』

2012年12月2日日曜日

戦争を準備する

「一九四一年九月六日の御前会議の際、天皇を説得するときに、軍令部総長がいった言葉を思い出してください(略)。しばしの間の平和の後、手も足も出なくなるよりは、七割から八割は勝利の可能性のある緒戦の大勝に賭けたほうがよいと軍令部総長は述べていました。緒戦というのは、最初の戦い、速戦即決の最初の部分の戦いという意味です。今から考えれば日米の国力差からして非合理的に見えるこの考え方に、どうして当時の政府の政策決定にあたっていた人々は、すっかり囚われてしまったのでしょうか。/ この点を考えるには、軍部が、三七年七月から始まっていた日中戦争の長い戦いの期間を利用して、こっそりと太平洋戦争、つまり、英米を相手とする戦争のためにしっかりと資金を貯め、軍需品を確保していた実態を見なければなりません。同年九月、近衛内閣は帝国議会に、特別会計で「臨時軍事費」を計上します。特別会計というのは、戦争が始まりました、と政府が認定してから(これを開戦日といいます)戦争が終るまで(これは普通、講和条約の締結日で区切ります)を一会計年度とする会計制度です。」(加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 朝日出版社)

上引用にもあるように、戦争とは、そう突発的に起きるものではないらしい。何年もかけて、準備しておく。勝てる、という見込みがたったときに、しかけるもののようだ。それゆえ、冷戦期にソ連を仮想敵として準備していた日本は、中国相手にはしてきてないので、すぐにの開戦にはならないはずだ、という意見も最近の情勢下でいわれてもいる。中東方面では、なにかと突発じみた戦争が起きているようにおもえるけれども、それは仮想敵が持続しているからだろう。どれもみな隣人どうしでだ。というか、考えてれば、常に戦争は隣人同士でおこなわれてきたのではないだろうか? 大陸間弾道ミサイルが開発・所持されないかぎり、遠隔疎遠な地域との戦争は物理的に無理である。そして、内面的にも無理があるのではないだろか? 庶民にとって、なおさらなんで戦争なんかするのか、その動機付けの維持が難しくなる。……と、考えてみれば、戦争を忌避する庶民にとって、戦争を準備する、ということが、いわゆる軍資金や装備を補充する、という物理的な話ではないことが想定できてくるのではないだろうか?
なんで戦争はいやなのだろうか? 古代からある時期までの戦争にあって、まだ自分の名前を敵前で名乗り、自らの名誉と自尊心、そして人間の尊厳的価値を再生産させていくような儀式制度としての面が濃厚であったような時代にあっては、死は、戦争をいやがる理由ではなかっただろう。明治時代はなお西郷さんの戦争までは、生き延びてきた息子に母親が自害を迫る、という気風があったそうだ。しかし無名戦士が普通となった近代戦争下では、表向きは徴兵されていく息子を万歳で見送っても、内面は空々しくぼろぼろだっただろう。だからなおさら戦後、その死を無意味とさせたくない、と取り返しの衝動を維持しなくてはならなくなる。すでにその意味がその時点で充実しているならば、それは私的に抱懐され伝えられることで安定を保つはずである。個人の尊厳が蹂躙されてきた無名の戦争であるがゆえに、その意味の回復=補充が絶えず必要とされることなのだろう。ということは、実はわれわれはなお、古代の精神的構造を形をかえたままひきずっている、ということだろう。つまり、戦争の形はかわっても、その内実にあるものは、変わらない。戦争には、変わらないものがある、ということだ。ということは、戦争をいやだ、という感覚もまた、古代からあった、変わらないものに属しているのではないだろうか? そして、それが「死」ではないとしたら?
戦争を回避するために、戦争を準備していなくてはならない、と私は前回ブログで言った。その準備とは、むろん軍備ということではない。むしろ、ではいま自衛隊もなく、それで戦争が起こりそうだ、さあ戦争に備えなくては、となったら、私たちはにわか軍備にいそしむだろうか? 今からそんなことは無理なのだから、他の対処を考えないだろうか? 考えること、準備することとは、そういうことだ。政府レベルと、個人レベルでは、その具体的対処は違うだろう。何も持っていない者が、戦争を回避するために準備することとは? 一人では実際上の回避にはならないだろうが、それが回避に(論理的に)通じた準備であるかぎり、一人一人が増えてくれば、人間関係(構造)上戦争が不可避であったとしても、その表現が回避され違った表現として現れてくるだろう、ということは、また論理的に言いえることである。
私はその論理を、ラカン経由のフロイト―カントの系譜線に見ていることになるのだが、その人間仮説は、あくまで仮説で、それを保証してくれるものがあるわけはなく、その理論への信仰、つまりその論理がリアルである、とする私の信仰は、単に私の生活実感からくるほかはないものなのだ。

*このブログに関連して、現在WEB絵本『パパ、せんそうって、わかる?』を創作中。

2012年11月2日金曜日

論理と外交と人間と

「イギリスがインド帝国を征服したとき、これはイギリス本国とインドとの対等合併である、インドはイギリスの植民地でなく、イギリス本国とインド人との間には、全く差別はないなんていうことは言わない。言うわけがない。アメリカの白人が、黒人奴隷に対して、われわれは対等である、何の差別もないなんていうことは絶対に言わない。/ そんなこと、あり得るはずがない。だから、そうは言わないのだ。もし、かくのごとく言うことがあるとすれば、それは実現する決意のあるときだけである。ゆえにそれは、植民地なり奴隷なりの解放宣言になる。/ 論理的にはこのとおりであるが、論理音痴の日本人には、どうにも見えてこない。一方においては解放宣言を発しておきながら、他方においては、平然として解放宣言を無視している。ともかくも論理が身についている彼らにとっては何とも腹立たしいかぎりである。/ ここに気づかず、日本人は何回でも論理無視、論理蹂躙を繰り返す。そして、それが善意だと思い込んでいる。これでは、不信は累積されるばかりではないか。その結果、欧米植民帝国主義諸国におけるよりも、はるかに小さい差別でさえも、この不信あるゆえに、拡大鏡にかけられ、途方もなく大きなものに見えてくる。論理を知らないことによる日本人の損失が量り知れないことをお分かりいただけたであろう。」(小室直樹著『数学嫌いな人のための数学』 東洋経済)

朝日新聞によると(10月21朝刊)、すべての役職から引退するつもりであった中国の胡総書記が、軍事委主席の続投を決めたのは、ウロジオ・ストクでのAPEC会場で、野田総理との立ち話に応じて「日本による『島の購入』に断乎反対する。誤った決定をすべきでない」と迫った翌日に野田政権が国有化を決めたからであるという。「絶対に許さない」と。私はこの記事を読んだとき、愕然とした。おそらく野田総理および外務官僚などは、本当に東京都(石原)が島を購入するよりも国が管理したほうが騒ぎも大きくならず他人(中国)のためにもなるだろう、と、善意の心をもって対応したのであろう。自分たちが、いわゆる日本人の習性で――冒頭引用の小室氏の指摘にもあるように――実際を無視した独りよがりな思い込みに陥ってしまったのはしょうがない。が、野田氏は、こちらの善意が相手にはどうも全く通じないらしいぞ、ということは胡総書記の顔を見てわかったはずである。いや気づきもしなかったのか、ということ、あるいは、気づいてもそこで踏みとどまらず官僚の政策にのってながされてしまったということ、そのことに致命的な人間関係(外交)の欠如・欠落を見せつけられるのである。こんなロボットのような人が総理に居座っていることの恐ろしさ。もしそこで野田氏が、官僚の計画を一時停止させ、あとから電話でもいいから、なんで人騒がせで挑発的な都(石原)よりも、冷静的に対処しようとしている国(野田)が管理することのほうは問題なのか、その論理と心情の解明を求める質問でもしていたなら、胡総書記は、野田氏を盟友に値するかもしれない人間であると認めたのではないか? 少なくとも、日本が段どった立ち話に応じてやったことは、自分が組織の一員としてというよりも一人の人間として降りてきた礼儀を示している。しかし野田は、裏切ったのだ。「絶対に許さない」とは、一国の頭首としての怒りというよりは、一個人として、一人の人間としての怒りである。そして、よくいわれるように、中国は「ほう」という人間関係が大切である。小室氏の言葉をまた引用しよう。……<これが、中国人と深い人間関係を結ぶコツ。人間関係の深さに応じて、相手はこちらの要求をきいてくれるようになっていく。深い人間関係には大きな要求。浅い人間関係には小さな要求。人間関係がなければ、要求は少しも通らない。ここのところを理解していないから、日本企業が、「賄賂をタダ取りされた」などと大騒ぎする事件が頻発するのである。/ これが中国における型だから、いくらお金を贈ったからとて、それによって必要な人間関係が樹立されなければ、そのお金は触媒として機能しなかったことにならざるを得ない。つまり、無駄なのである。人間関係が形成されていないから、いくら要求しても少しも通らない。>(『小室直樹の中国原論』 徳間書店)

都知事を辞任した石原氏は、作家から政治家にデビューするまえ、文芸批評家の小林秀雄との対談で、「政治にでる」と表明すると、小林氏から次のように質問されている。――「あなたのために命をさしだしてくれる人を何人もっていますか?」と。石原氏は、3・4人いる、と答えていたとおもう。それに小林氏は、「ならやりなさい。」と。私は、石原氏が、本当にそうした<人間関係>を知っているか、そこにいたことがあるか、は疑わしいとおもっている。それは単純に、初期の『太陽の季節』や『処刑の部屋』などの作品からの印象でもある。おそらく、そうありたいというキザな思い込みであろう。小林氏は、その作品から政治家としての資質に懐疑的であったので問いただす意味でそういう質問がでてきたのではないか、と今さらにおもう。しかし、小林氏の洞察や、石原氏が願望している人間関係にこそ外交の根幹がある、人間関係の原型がある、と基本認識するのは現代でもなお確かなのだ、と私はおもう。いやむしろ、暴力団に対する取締りといやがらせがせり出してきているご時世の向こうには、「命」をやりとりできる根源的な人間関係が問われる局面があちこちにでてくるのではないか、と私は予想している。

2012年9月30日日曜日

「安全神話」と「平和神話」

「第一に、日清戦争のころの中国は、もともと大国である上に、アヘン戦争以後の軍近代化を経て、日本には大変な脅威でした。つぎに、日清戦争の直接の原因は、朝鮮王朝における、日本側に立って開国しよとする派と、清朝側にたって鎖国を維持する派の対立です。つぎに、台湾は、日清戦争のあと、清朝が賠償として日本に与えたものです。それらに加えて、この時期、ハワイ王国を滅ぼし、太平洋を越えて東アジアに登場した米国を見落としてはなりません。米国は日本と手を結んでいました。たとえば、日露戦争後には、日本が朝鮮を領有し米国がフィリピンを領有するという秘密協定がなされたのです。/ 以上の点で、現在の東アジアの地政学構造が反復的であることは明らかです。われわれは今、東アジアにおいて、日清戦争の前夜に近い状況にあります。日本では、中国、北朝鮮、韓国との対立を煽り立てるメディアの風潮が強いですが、現在の状況が明治二〇年代に類似することを知っておくべきです。それは、日米が対立し、中国が植民地化され分裂していた第二次大戦前の状況とはまるで違います。…」(柄谷行人著「秋幸または幸徳秋水」『文学界』10月号)

今回の尖閣諸島をめぐるニュースをみていて、以前の前原外相時、中国の漁船長を逮捕したときの様子とはちょっと違うな、このまま紛争・戦争になってしまうのかな、と心配になってきたのは少数者ではないだろう。一般メディアをみていると、つけあがらせるなやっちまえ、というような風潮だが、私には、大多数の本心は、戦争だけはやめてくれよ、なのではないかと想像する。千隻の漁船団や反日デモを統制できている中国政府らしいが、すぐさま首席が中国発の空母の除幕式だかに登壇したり、正常化40周年式典のキャンセルの陰で招待していた政治家や財界人を成田空港で待機させていたのは「天津上空での軍事演習」のためと説明してきている等の記事(毎日・9/27・夕)をみていると、俺たちがやるとしたら素人集団をだしにしてではなく、戦闘機を使ってやるぞ、とメッセージを伝えてきているのかとも勘ぐってしまう。他の人はどう考えているのかな、とネットで閲覧してみた。

おおまかには、これまでの慣習をやぶってしかけたのは日本の方からだ、ということになるようだ。前原外相のときもそうだったが、アメリカに陰でそそのかされて強気になり、「粛々と」相手の手の内で踊らされている。田中宇氏や、植草一秀氏がそういう前提だ。田中氏によれば、国境近辺の領土帰属の件を敢えて曖昧にしておくことで、事あるごとにそこで問題を起こし介入する・調停する、そのことで権益保持を図っておく、というのは国際協定上よくあるしかけで、アメリカとの同盟にそういう仕掛けがすでに内臓されていたのだとなる。佐藤優氏の外交文書調査によると、「中国漁船を取り締まることができない」日中の協定もあるという(毎日・9/26・朝)。9/25日の毎日・朝刊では、台湾の漁業組合理事長が、接続水域での操業支障はないという台日協議(口約束)を日本は破って追い出しわれわれはだまされた、と訴えている。……

しかし、そうした政治状況を発生させている世界史的構造が反復されているのだと説くのが、冒頭引用の柄谷氏の認識である。その認識自体は最近になって主張されはじめたわけではないが、8月始めの中上健次氏をめぐる講演での上の再説は事前的にタイムリーになっているのでびっくりする。その文章をふまえて、文芸評論家として柄谷氏から認めれデビューした山崎行太郎氏は、ゆえに(構造的に)、戦争は不可避なのだから、日本は核武装も辞さず戦争の準備をし、そのことで戦争を回避するよう意志をもつべきだ、と発言している((9/19のブログ等)。私は、日本が核を、つまりはウラン燃料の原子力発電所をそのまま所持しつづけるのならば、現今のイランのようにあらぬ疑いをかけられて国際社会から孤立してしまう道にはいるのではないか、という田中宇氏の意見に傾くが、不可避な戦争に準備せよ、という山崎氏の態度には賛成である。その準備がないと、その発生を最小限にとどめえない。まさかまた「想定外」でした、などという、「安全神話」ならぬ「平和神話」に安住しないために。もはや、私たちにはそんな態度は許されないのではないだろうか?
では、どうするというのだ? そういう具体的な点で、副島氏は自分の対策を呈示している(重たい掲示板N.1089・ 9/19)。実際の政治でそこまで相手にゆずる、というのは難しそうだが、戦争を回避するとはこういうことだ、という見通しを素人目にもわかるようみせてくれている。

柄谷氏は、先の講演で、――<一般に、戦争状態において、国家は革命運動に対して過敏になります。実際、日本軍がロシアに革命を起こるのを期待し、そのために革命運動を支援する工作をしたことは有名です。しかし、それは、逆にいえば、日本のなかで革命運動が起こるのを極度に恐れることになる。たとえば、幸徳秋水のように戦争中に非戦論を唱えるようなことは、危険な利敵行為になるわけです。>と述べている。柄谷氏は、かつて、すでに都知事であった石原慎太郎氏との対談で、自衛権は憲法(9条)を超えた国際法的な自然権なのだ、と発言していた。それに「そうだ」と相槌をうっていた石原氏の方策で火に油を注がれた今回の国境問題……私たちが、戦後の「平和神話」をこえてゆくような行動を組み立てられるだろうか?