2014年11月25日火曜日

ホーム、ということ


「日本では巧い選手がプロになるが、スペインではサッカーを知っている選手であれば巧くなくともプロになる」(『フットボール批評 2014.02』「サッカーを知らない日本人」)

結局、女房は入院し、息子は新宿区のサッカー代表チームへの選出が決まった。朝練習もあるので、朝ごはん作りに弁当、洗濯と忙しくなるが、頭の中での段取り作りは職業がら慣れているので、週末の練習試合に夕刻6時に帰宅でも、七時半には、風呂洗濯炊事朝弁当への仕出しと、すべてを終えて寝床に入っている。試合では私自身が主審もやったりするので、足が棒になってつる寸前、体を横にする必要があるのだ。息子の一希も、代表コーチからサッカー以外の躾けをいわれていることもあるが、いま家庭がどういう事態になっているのか理解しているのだろう、洗濯や風呂焚きを手伝ってくれる。練習量が増えて、5年生になってからの太り気味の体格が直ってくるかとおもいきや、腹が減って余計に食べるぶん、なおさらメタボのようになってしまった。
それでも、新チーム結成当初は、サブプレーヤー扱いだったが、足の速いサイドブレーヤーが腹痛で控えにまわって代わりにでたさい、きっちりと得点を決めゲームメイクのできるセンスをみせたからか、それ以来先発陣として起用されはじめている。ベンチでは、父兄たちから「応援団長」ともよばれていた性格がプレーヤーとしても発揮されて、一希がフィールドに入るとゲームが活気づき泥臭くなる、ゴールへむかってどんな道筋を開拓していけばいいのかが見えてくるようになる。それまでは、運動能力の高いいい子たちのパス回し、きれいなサッカーに終始ししてしまうという印象で、なんだか日本代表のサッカーのひな形をみているような感じだった。そしてこういう傾向は、他のそれなりの実力のあるチームにはみられるものであるようにおもう。

では、なぜなのか?

私がパパコーチとして手伝っているコーチ陣の飲み会でも話がでたことなのだが、やはり基本的な方針として、勝ちを目指すチーム作りか、育成を重視するチーム作りか、という論点の裏にその原因がみえてくるのではないか、と私は推論している。青年時にブラジルへのサッカー留学もしたことのあるコーチの主張は、やる気のある上手な子の先発陣の固定化で戦うべき、というもの。しかし、それでも勝てるわけではないのだから、本当に勝ちたいのなら、現時点でやる気がなさそうでも、またへたくそでも、その子たちを含めて全員の底上げを目指して采配をふるうべきだ、というのが私の意見。もちろん、全員を平等な時間試合にださせてといった、形式的なやり方ではなく、その底上げの中には、あえて今は出さない、あるいは逆に、下手でも乗ってきている練習があるからあえて先発で起用する、とかいった、コーチの洞察とチーム構築に向けた手腕によって、その実践の具体処置がかわるけれど、と。「そうできればいいですけどね。」と、ブラジル帰りのコーチはいう。「まあ野球でもなんでも、いまはエリート教育ですよね。才能のある子を優先させる。だけど、そうやってきて、日本代表のユースチームとか、世界で勝ててますか?」と私。「う~ん、それが勝ててないんだよなあ」……そのコーチがいうのは、サッカーは結局はネイマールなんだという。個人の力なんだという。「だけど、ヨーロッパの有名チームのコーチが日本にきて、小学生年代のサッカーをみていうのは、テクニックがあるけど、戦術的理解がない、と指摘しますよね。ということは……」「いや、戦術は中学生からでも教えられる。」――そう突っ込まれて、サッカーをやってなかった私は考え込み、そこでの話はそのまま尻切れトンボになってしまったのだった。

改めてここで、私がいいたかったことを整理してみると、こういうことだ。

日本人は世界的にみて、テクニックはある、なのになぜ、その日本人からメッシやネイマールのような個人技に秀でた選手が出てこないのか? それは矛盾した事態ではないか? 私の推論では、それは、日本人が、まだサッカーを知らないからだ。私がやっていた野球で、野球を知っているとは、<捕れて(止めて)、投げれる(蹴れる)>といった個人テクニックのレベルにおいて現れ見えてくるのではない。それは、抜け目ない走塁にうかがわれてくるのだ。強いチームとやっていやなのは、ランナーを塁にだすと、もう気を許せなくなるので、そのプレッシャーに耐えられなくなってミスを誘発されてしまう、ということなのだ。プロ野球日本代表チームがかかげる「スモールベースボール」とは、そういうことだろう。サッカーには、その知っていることからくる抜け目なさ、がない。それが、今回のワールドカップでも、代表チームの必死さのなさ、とみえてきてしまう。きれいにやろうとしているようにみえてしまう。しかし、では、この抜け目ない必死さをうみだしているもの、そのメンタルの強さをうみだしているものとはなにか? 私の推論では、それは、<ホーム>という意識・無意識なのだ。それは、国家という抽象的なものではなくて、具体的に誰それのため、という顔のみえる意識、想いである。ヨーロッパのクラブチームでは、強豪でも、小学生年代では、地元の子以外を入部させない。単に、勝てばいい、という方針でやっているのではない。メッシでも、バルサに入れたのは、中学生からだった。いま日本人の小学生の子供が入っているけれど、それはおそらく、母親かだれかがスペインに同居できて、子供のホームシックが防げると了解しているからだろう。小学生年代で、このホーム、心のよりどころをしっかりと身につけさせないと、結局はシビアな試合になればなるほど力を発揮できないで、ミスに負けてしまうチームや選手になってしまう、ということではないだろうか? ヨーロッパには、そうした人間的ノウハウが、歴史的に蓄積されているのではないだろうか? しかしいま日本の子どもたちは、その時点で上手な子ほど、親のいわれるがままに、まるでプロ選手のように、強いチームへと移動・移籍していく。私たちのチームにいた〇〇くんも、いまはそうやって埼玉の強豪チームに自動車で1時間かけて通っているけれど、それでも、地元のサッカー大会に暇があれば友達の応援にかけつけてくれるのは、やはり、淋しいからではないのか? 私のいまのこの考えは、その子のどこか淋しげな様子をみて洞察されてきたものなのである。目先の結果(利益)だけを求めて、移転先をさがす、これは、資本主義の論理そのものだ。が、ヨーロッパは、それではだめだと、その主義思想を生み出した文化国家だけに、知っているのではないか? バルセロナのパスサッカーは、バルセロナに建設中の、ガウディのサグラダ・ファミリアと結びついていないか? 百年過ぎても、その理念、目標、ゴールへ向けてなお建築中なのだ。それは、たとえ負けつづけても、自分たちのポゼッション・サッカーをやめなかった精神と結びついている。それが、今回のブラジル・ワールドカップで負けると、日本は今度はカウンター・サッカーだとなるのだろうか? かつての、全体主義から民主主義へと早変わりしたように。そんな目先の結果追求のために、日本人の、ホームという意識・無意識が、崩れていってしまっているのではないか? そんな子供たちに、日本人に、危機をはねのけていかせる底力が発揮できるだろうか? 若い年代にゆくほど、サッカー日本代表チームがうまくても勝てないひ弱さをみせているのは、そのためではないのか?

2014年10月21日火曜日

女房の病気

「この事件で、当然のこながら、私の自宅がガサ入れ(家宅捜索)された。家には、妻と子供がいた。妻は、早稲田大学在学中に知り合った民青の女性で、秋田県横手出身のお嬢さんであった。要するに、私は、マドンナ系の女と結婚していたわけである。良家の子女として育ってきた、このマドンナには、夫が恐喝や詐欺の容疑を受けて家宅捜索されるなんて、許しがたいことだったのだ。彼女は、私の母親にかみついた。
「なぜ私たち家族にこんな迷惑をかけるようなことをするんですか」
「それが学の仕事や。パクられて、どうふるまうか、みんな見ている。どういう男か試されているんや。支えてやらにゃならん」
「家族を守れないで、何が男ですか」
 妻と母親は、まったくかみあわなかった。
 この妻の対応こそが市民社会の「つれなさ」を示すものであった。
「清く、正しく、美しく」を押し通して、私のような者を見捨てていく薄情な市民社会の心性、「濁って、まちがいだらけで、汚く」見えるけれど、情の濃やかな共同体の心性――そのどちらを取るか、という選択を私は迫られることになったのである。
 私はいったん、市民社会のほうを取って、そこから社会を変革することで、共同体を救い出そうとした。しかし、それができない相談だったことを悟ったのである。どちらかを取らなければならない。私は、市民社会を捨てて、共同体を取った。このあと、寺村建産倒産後に、妻とは離婚し、裏社会に潜ることになったのである。(宮崎学著『突破者外伝』 祥伝社)

女房の病気が再発した。潰瘍性大腸炎とかいう、難病指定の病気だ。だからこの病気の場合、「再発」というのではなく、「再燃」というのだそうだ。かつて安倍総理がこの病気になって、辞任することになった。下血とウンチがとまらなくなるような症状らしい。薬で抑え込むことができるようだが、治すことは無理だということだ。女房がその病気を発症させたのが安倍がやめるちょっと前だったので、今回も、そのうち安倍総理が「再燃」して、辞任するようになるのではないか、と勘繰ったりしている。同時に、私の身の回りに、どんな事態が呼び寄せられているのか、と。
そう憂慮していたところで、今度は私がスズメバチにさされた。もはや家主のいなくなった家の庭の手入れで、二階屋根にまでのびひろがったツタを下からひっぱってとっていたときだ。そのツタに巣を作っていたのだ。おそらく、ひと抜き目で地面に落としていたのだが、ツタがかぶさって、ハチのほうもそうすぐには脱出できなかったのだろう。ツタを引っ張ると頭上からの落葉がひどいので、私はヘルメットをとりにもどった。フェンスと家の壁との狭い隙間に再びもぐりこんだとき、地鳴りのような音がきこえる。水道管が破裂しているのか、地下鉄の音がここまで聞こえるのかな、とか疑心暗鬼になりながらも作業をつづけて、突如、それは来た。おそらく、心のどこかではスズメバチかもしれない、とこの季節の用心としておもっていたのだろう、姿を一匹もみずとも、わあ~っと幽霊かなにかに襲われるような感覚に、「ぎゃあ!」とか悲鳴をあげて咄嗟にフェンスをベリーロールで飛び越え道路に転がり落ちるようして走る。目の前を一匹おそってくるので、やっぱりそうか、とおもいながらも、すぐ後ろを追いかけてきているような気配がするので、振り返りもせずに、そのまま20メートル近くをダッシュ。足をとめたところで、目の上、眉毛のへんが熱いことにきづく。一発さされたな、だけどそれだけですんだか、と安堵しながら、作業していた場所へもどってみると、屋根の上にいた職人さんのほうへ、積乱雲がもくもくと高くなっていくように、スズメバチの群れが飛び交っているのだった。危うく、巣をヘディングするところだったかとおもうと、ぞっとする。結局その日、親方も二発、もう一人の職人さんも一発、さされたのだった。

そのもう一人の職人さん、団塊世代の生まれで、私が木から落ちて入院している間に、腰痛の悪化で仕事をやめたような形になっていたのだった。仕事が暇にもなってきたので、親方が、ではこのさいに、と手術を受けさせたら、他の体調もふくめ、悪化してしまったのだった。またもともと、団塊世代より少し若い親方と職人さんには、いろいろ確執もあったかもしれない。が、とりあえず体調の安定した職人さんが、シルバー人材で働きだしたことを知って、親方が声をかけたのだ。おそらく、これまで30年以上と一緒に仕事をして、番頭としてただひとり育ててきた職人を、そのまま暗黙に首を切ったようなつれないままの関係で自身の生涯が終わってしまうことに、死んでも死にきれない、というおもいだったのかもしれない。また、2児の父親になった自身の息子に、金銭的な合理的な理由だけではなく、不合理でも人間的な関係こそを重視するのが職人の世界の筋なのだ、ということを教育してみせたかったのかもしれない。もちろん、そうは昔のように忙しくなく、かといって若い衆が自分の息子との関係で根付いてもくれないので、自分の付き合いで育てた老体が週四日で働いてくれる程度が、いまの経営規模ではちょうどいい、とかも折込済みの暗黙判断だったかもしれない。

その団塊世代の職人さんのほうには、1児の父になる息子がいる。以前は、親方の息子とともに、またお互いが中卒でこの世界に入って来た者同士として、働いていた。結婚をさかいに、女房のほうの実家近くの植木屋へ転職したのである。がいまは、その生産中心の植木屋から、高木専門の空師のもとについて一緒に仕事をしているという。植木生産の現場は、ゼネコンの現場への搬出などが多く、朝が早いなど労働条件が過酷で、ひとり、またひとりとやめていって、女房の父親のツテではいった自分だけが残っていたのだが、とうとうやめることになったのだという。しかし、空師仕事とは……親は、自分の息子がそんな日々の危険と向いあう仕事についていることに、どうおもうのだろう? 気が気でないのでは……。だけど、腹はすわっているはずだ、腹をくくっているはずだ、すでに、自分もそうなのだから。そうあってきたのだから。

植木職人の世界にいるとはそういうことであり、そういうところから、女房の子ども教育を牽制し、サッカーをめぐっての、世の中をめぐっての発言をしている、夫婦喧嘩をしている、そのことが、良家のお嬢さんたる女房にわかっているだろうか? 自分がどこにいるのか、誰と結婚しているのか、そのことがわからないで「清く、正しく、美しい」文句を並べることなど、単にイデイロギーにしかならず、論理(筋)にはならないのである。

2014年9月25日木曜日

三つの著作から―――<山城むつみ『小林秀雄とその戦争の時』(新潮社)、柄谷行人『帝国の構造』(青土社)、すが秀実『天皇制の隠語』(航思社)>

最近ようやく、注目する批評家の三著作を読み終えた。山城むつみ氏の『小林秀雄とその戦争の時』(新潮社)、柄谷行人氏の『帝国の構造』(青土社)、すが秀美氏の『天皇制の隠語』(航思社)である。三者三様ともいえるが、前二者の在り方をすが氏が批判的に相対化して時代言説の布置に位置付ける、という構図にもみえる。しかしそれらの関係を私なりの言葉で整理するのにはなにか困難を覚えている。今日は、雨ということで(降っていないのだが…)仕事も休みなので、時間があり、試みてみよう。ただそのまえに、この読書前に友人にあてたメールを引用することで、自分の問題意識がどこにあるのか、忘れないようにしておこう。読書世界のパズルに巻き込まれると、なんで読書などするのか、という動機自体を見失って、いわば象牙の塔にこもってしまう、バーチャルな世界と現実とを混同してしまうことになりかねないので。

――メール引用――

<ちょうどいま、山城氏の近著『小林秀雄とその戦争の時  「ドストエフスキーの文学」の空白』を読み終えて、これから柄谷氏の『帝国の構造』を読もうかな、というところです。
山城氏の叙述や視点は、やはり私には身につまされます。が、時事的に、柄谷氏の『帝国』と同時に読みたく、あるいは書評することで、現在の頭の混乱を整理したくなりました。

なんといっても、「イスラム国」と名乗る現実がでてき、その言葉がマスメディアにもでてくると、そういう構造認識は20年以上もまえからあったとはいえ、自分が何時代に居始めたのか、混乱してきます。そしてその地では、この地で異常といえる残虐さが日常になっていることを、メディアを通して知る 、そのことの媒介的、まだ距離のある混乱と、山城氏のいう、その地での異常がこの地での日常と同列的だとする緻密な論証の助けをかりて、この地もが、その地のような異常が日常となってくるまえに、つまり本当の混乱が、直の思考不能(空白)がくるまえに、考えておきたい、混乱を整理しておきたい……お昼のワイドショーでは、団地で少年たちのたまり場になっていた家庭での少女殺人事件が異常ともてはやされていますが、私も夏休みまえだったか、またもや漢字を覚えない一希に女房が偏執的な暴力をふるうものだから、割って入って首しめていまたが、途中でふとばかばかしくなって、というかそういう観念に襲われてやめましたが、そういうこの地での日常での異常と、その地での異常的な日常が 、同じであるとはわかってしまう……私が殺さなかったのは、殺してしまった場合のと同じ「一つの眼差し」によるといえば、まさに山城氏の、あるいは小林秀雄のドストエフスキー(ラスコーリニコフ)論考になってき、「イスラム国」よりもまえに「大東亜」と騒がした時代をわれわれが通過して9条があるなら、ととれば、山城氏の微分的な著作と、柄谷氏の積分的な著作は重なってくるだろうと。

いったいどうなるのでしょうね? 夫婦喧嘩は子供の勉強をめぐってしかおきないのですが(そしておそらく、これは一般性をもってくると、サッカー部の父兄をみてても推察されてくるのですが)、そんなことで殺人事件などおきたら、ほんとにばかばかしいのですが、このばかばかしい一 点に、何か諸関係の問題が集約しているところがあるのだとおもいます。喧嘩するたびに認識が深まって互いの理解がよくなって落ち着くのならいいのでしょうが、そうはならないことが予測できる。差別的にいえば、相手側が女だからということになる。結果が、つまり子供の成績や就職といった結果だけが、喧嘩を消滅させる。私が一希はもう新宿代表に内定している、みたいな情報をもらしたことで、女房は態度急変する。現体制からの子供の将来が不安だから、現にある勉強にしがみついているような。私は、自分がろくに受験勉強もせずに、早稲田に受かったときの母親の表情を思い出します。女房はその母親をまえに、帰省中、おもわせぶりなように一希に漢字勉強させ、できないとひっぱたきはじめる のですが、今のやさしくなった老人をみて、勘違いして、私の家庭体制(価値観の出自)に抵抗した気になるようです。まさに、そのように私も勉強させられ、その母への対抗として今の私の軌跡があるのに。私がばかばかしくなるのは、すでにかつて、母(女房)に勝ってしまっている(母殺しをする小説を書いたことがある)、家を出て違うところへいってしまっている、そういう自己認識があるからかもしれません。

ながくなってしまいましたが、私生活も時代も何かが具体的に反復しはじめたようです。しかし反復の認識や知識があっても、どうしょもなかった、というのが、小林のいう「歴史の必然」ということなのですね。>

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現今の市民社会運動の限界的な陥没(いかがわしさ)を、今なお暗黙に日本の思想界に支配的な批評家・小林秀雄の言説の変遷を参照にして緻密に推理論証してみせるスガ氏は、柄谷氏の思考の枠組みにも、かつて小林秀雄が依拠したいわゆる「講座派」的な軸が挿入されていると指摘するわけだから、山城氏が肯定的に、小林(柄谷)氏と社会(戦争)との関わりをこれまた緻密に読解してみせるその論証とは、対立的な趣向になるだろう。山城氏自身は、いわゆる現今の、たとえば護憲(9条守れ)のような市民社会運動に、そのままで首肯しているどころではないとは明確なのだが、その明察さは、氏が小林(柄谷)氏の論考を、より内向的に徹底的に読み込むことからきている。となると、この山城氏の内部における差異は、スガ氏が小林氏と柄谷氏の間に見て取ろうとする、あるいは期待する「切断」線と似てくるような気がする。

<より端的に言えば、小林は社会理論としての唯物史観は認めながらも、それが自意識の「内面論理」たりえないことに批判を向けているわけである。ここから、一見トリッキーと見なされた「マルクスの悟達」(一九三一)という視点が出てくることは見やすい。マルクスは、あえて「内面論理」の問題を切り捨てて、人間の「生き生きした社会関係」についての歴史理論を構築することにのみ専念した。これが「悟達」なのである。小林がマルクスに満足せず、ベルクソンに親近した理由も、ここにある。
 しかし、この程度のことであったら、何も今さら問題にするには及ばない。それは、せいぜい社会理論に対して私的な内面を対置するということに過ぎないからである。問題は、一見するとありふれた二項対立に過ぎないことが、小林にあっては、徐々に解消され、リンクしていくということである。>(前掲書「2 小林秀雄における講座派的文学史の誕生」)

そして柄谷氏には、氏の論理に内在する講座派と労農派との複線を認めたうえで、こう言葉を投げる。

<言うまでもなく、「新しい社会運動」の限界は、それが新自由主義の「政治」に抗する政治性を提示できないところにある。そのことも安倍政権の誕生以降、明らかになりつつある。市民社会論に寄り添いながらも、それを切断してきた柄谷の「政治哲学」は、『哲学の起源』以降、どのような展開を見せるのだろうか。>(同書「市民社会とイソノミア」)

このように予期される「切断」とは、宇野理論の「逆説的」な読みによる反復と捉えられているものだろう。科学(マルクス)が「革命の必然」を論証できないと宇野経済学(科学=社会理論)が言うのなら、その社会科学が依拠し、しようとしている市民社会への根拠づけからの解放(「切断」)である。無根拠な切断の理由(根拠)を、科学(理論)から与えられて解放されるというのだから、またずいぶんとエリート的だな、と私などはおもうのだが、この理論づけ(思考過程、密度)がないと、恐らくはロマン主義の機会原因論的な動機に近傍してしまうのだろう。だからあくまで、この無根拠な、市民社会からの乖離を科学的に気にする必要もない、単独的な運動(実践)への飛躍ということなのだ。
ならば、スガ氏の上引用の一文は、次のように言いかえられるだろうか? ――<問題は、一見するとありふれた二項対立に過ぎないことが、柄谷にあっては、切断され、リンクしていくということである。>

私の上のような読みの文脈にあっては、ゆえに山城氏の小林秀雄読解は、この「切断」と「リンク(接続)」を、より丁寧に顕微していっていることにある。そして、その山城氏の読みは、あきらかに初期柄谷氏の、いわば「切断」線にこだわった氏の思考力を自家薬籠中のものにして手離さず、さらに徹底化していることにあるとおもわれる。同書の武田泰淳論なども、柄谷氏がかつて論じた視点をより緻密に説明してくれているようなところがある。柄谷氏の直観的な言い方が、山城氏によって補足追求されるといった関係だ。となれば、スガ氏の小林秀雄に対する論究は、その小林の言表を、柄谷氏の切断線方向で敷衍化していった山城氏の論究と接続されていることになる。つまり、媒介する柄谷行人という思考の在り方自体が、二人の関係を切断しかつ「リンク」させていることになる。それが、スガ―柄谷―山城、という三者三様の関係の中身ということになるだろうか? 図式的に言いかえるとこうなる、<スガ=社会(運動の在り方)批判>――<柄谷=社会/内面>――<山城=内面(運動への動機)批判>

では、もっと具体的に、その関係間の切断と接続とはなにか?

山城氏にとっての「社会」とは、この著作では、「そこ」という言葉になる。いわば、まずは日本海の向こう、大陸における対岸の火事的な戦争の有様、異常時のことである。切断とは、そう他人事と世間では受容されてしまう「そこ」との関係、いわば通念的な社会関係からの切断である。むろん、この関係自体は、実はもっと一般的な話であって、別段戦争のようなわかりやすい異常でなくともいい、というか、むしろ日常的な「ここ」においてある関係が、小林の戦争体験によって露見されたということである。山城氏は、その通念的な「そこ」と「ここ」との社会関係を、次のように内的にえぐってみせる。

<……なぜなら、「そこ」にいた旅行者、小林秀雄の目を瞠らせた真に「恐ろしい」ものはその「ど強い」現実そのものではなかったからである。
 戦時下の検閲が戦後に解除され「ど強い」現実が赤裸々に見えるようになっても、それを包んでいた恐ろしい「空気」が見えるわけではない。おそらく、その「空気」は、当時、かりに検閲がなかったとしても、つまり「ど強い」現実がかりに報道に露出していたとしても、「ここ」にいるかぎり、見えなかっただろう。それはそこの「ここ」が「ここ」しかない「ここ」だからだ。「そこ」があっても、それは「ここ」と同一平面上に位置づけられているため、「ここ」の間尺にあった「そこ」でしかないので、結局は「ここ」しかないのだ。そのような「ここ」にいるかぎり、真に「恐ろしい」ものは、検閲されていなくても見えない。言ってみれば、内務省の検閲以前に、たんに、そのような「ここ」にいるというただそれだけのことで生じてしまっている検閲があるのだ。>

だから切断とは、その見えない検閲、通念的な社会関係への認識的な切断、ということになる。見えないものを見る視差の握持である。そしてその視差が、次のような内省を強いる。

<連中は何と異常で「無惨」な行為に走ったことかという視線で彼らを見ているとき、自分はそうはならないということが暗に前提されてしまっている。しかし、そう考えていられるのは、僕らがあくまで「ここ」にいて「ここ」の日常感覚が「そこ」においても延長し、「ここ」のモラルが「そこ」でも連続的に保持し得ると信じ切っているからにすぎない。もし「そこ」が「ここ」の座標を延長した空間にはないのだとしたら、――もし「そこ」が「ここ」とは連続していない、断層のある、別の空間に属しているのだとしたら、――そう信じ切っている僕らが何かの拍子で「そこ」に置かれたとき、強姦・虐殺・放火に走らないという保証はどこにもない。>

つまり社会関係への認識が、犯罪や戦争への加担、巻き込まれを防いでくれるわけではない。おそらく山城氏が、小林のいう「マルクスの悟達」という言葉を引用するなら、事態を防げないがゆえにその実践から解放されて(切断して)社会科学の純化に精を出すというスガ氏のような意味においてでなく、またその真逆で純粋に自分勝手にすればいい、というのでもなく、不純でも生きざる負えない、という文字通りな達観という話においてだろう。だからここから、「反省」などしないで「黙って処す」国民(=小林)議論の是非の視点が発生する。また、この不純さ、切断によって自己に抱え込んだ社会とのかい離を、飛躍(実践)として架橋するかもしれない散(雑)文思想への注目が発生する。


<小林の「見え過ぎる眼」(「徒然草」)は、ひょっとすると、すでに一九三八年、「満蘇国境」にあって戦争の結末を予め知っていたのかもしれない。だが、見え過ぎる程度の眼、予め知っている程度の知が一体、何なのか。たしかに、事後という地平は、事前にはどうしても見えなかったものを易々と見ることを可能にしてくれる。その「利巧」さが、あのときああしていれば、ああもあり得た、こうもあり得たと「反省」を促してやまないのでもある。しかし、「反省」を可能にするこの明視そのものによって見えなくする死角がある。と言って、事前の光学に戻ればそれが見えるようになるわけでもない。事前の視野にはもちろん、事後からの遠近法によってさえ見通すことのできない絶対的な死角がある。事前と事後との間には時間の結び目が断たれる瞬間が必ずあり、誰もがその死角を、見るまえに跳ぶのだ。「何か知らない一線」を踏み越えるのである。予め知っていたことが、かりにすべてそのままに起こったとしても、そこに生じた諸結果の中に立たされれば、予め知っていたとおりのそのままの諸結果が、全く思いもよらぬこととして経験されるほかない。その落差が、無意識というものの実体であり、人間が生きて何かを為す、やってしまうということの意味だ。悲劇はとは、永遠回帰とは、反復する同じもののこの差異の肯定ではないのか。>

やってしまって認識したドストエフスキーは、ロシアを舞台にした小説を書くという実践を反復した。人が「黙って処す」のは、たんに迎合するときだけではない、むしろ苦渋の選択を強いられているときだろう。ドストエフスキーは、この無言の民衆に言葉をあたえようとした(佐藤優氏と沖縄との関係はこれに似ているかもしれない)。山城氏は、そう小林のドストエフスキーを読むがゆえに、さらにこう氏の言葉を抽出するのである。

<つまり、かつてと同様、今もなお、文学者は、いや俺は、「自分」の心の裡に棲んでいる「黙ってゐるもう一人の微妙な現代日本人なるものに」に正確な言葉を与えていない、それを「日本人の思想の創作」として提出していない、「私は、敗戦の悲しみの中でそれを感じて苦しかった」、「私の心は依然として乱れてゐる」と。「文学と自分」の批評家が問題にしているのは、僕らは、国民という、国家の政治単位としてではなく、個として、「戦争放棄の宣言」を定義するような「経験」(森有正)を自分のうちに確実に育てているか、文学者はそれを「日本人の思想の創作」として言語に結晶化させているかということなのだ。「凡ての大思想は、その深い根拠を個人の心の中に持つという事が信じられなければ、それは文学者たる事を信じていない事である」。小林は、一個の文学者として、「戦争放棄の宣言」そのものをではなく、その「深い根拠」の方を自分の「心」に問い、それに匹敵する実質を自分は果たして「日本人の思想の創作」として析出させているのかと自分自身を徹底的に問いつめたのだ。「苦しかった」のは、そして「自分の名状し難い心情を語る言葉に窮した」のは、そのためである。それは、裏を返して言えば、小林は敗戦以後ずっと、より具体的に言えば、日本国憲法公布の日付で『ドストエフスキーの文学』の再開を宣言して以来ずっと、「戦争放棄の宣言」に匹敵する実質を「日本人の思想の創作」として産み落とそうと苦しんで来たということである。たとえば、すでに見た「「罪と罰」について」がそれである。だが、その緻密かつ周到な読解も、最後には作品読解という位相を超えて出てしまっていた。苦しみはまだ続くのである。>

社会を切断してみせた自己は、その認識(悟達)を握持するがゆえに、社会へと自らの内的動機によって接続を模索する。山城氏が見つめているのは、見かけの「リンク」ではなく、あくまで内省的な動機の力なのだ。

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山城氏は、この社会を切断した自己から社会への折り返し地点における小林秀雄の引用文を引き合いにだすに際し、前置きとして小林がこのように考えただろう、と推定している。――<「日本は単に文明の遅れた国ではない。長い間西洋と隔絶して、独特の智慧を育てて来た国である」と「日本人或は東洋人独特の智慧」について考えただろう。>
私の以上の文脈において、その「東洋人独特の智慧」として、柄谷氏の『帝国の構造』を導入してみせるのは、行き過ぎだろうか? むろん、柄谷氏の論考においては、亜周辺としての日本と、中心(帝国)としての中国(東洋)の智慧(原理)は理論的に区別されているわけだが、われわれ日本人が、西洋の「神」概念より、中国の「天」の観念にむしろ親しみがあるのは経験的事象・事実なのではないだろうか?(私も、そうした私観を無邪気にブログで書いたおぼえがある。) たとえ、中国の民衆のように革命を起こすわけではないにしても。スガ氏の見立てならば、どちらにせよ、それは言説的に小林秀雄の論理枠組みの反復であり、「日本回帰」の事象と同等な論理必然、カラクリ、ということになるのかもしれない。実際、柄谷氏が柳田国男を引き合いにだしはじめたのだから、なおさらそのスガ氏の見立てを実証しているともいえる。しかしこの『帝国の構造』が、社会を切断した自己からの飛躍的な社会架橋としての実践だとしたらどうだろう。これは「大きな物語」というよりは、おおざっぱな、<雑なる小説>だとしたら? かつて蓮實重彦氏は、柄谷氏を「小説家」だと『闘争のエチカ』として論じてみせた。最近の柄谷氏の言動は、たとえそれが小林以来の批評的布置の反復だとしても、やはりどこか生き生きとした闘争の身振りを、読者に感じさせないだろうか。
私は山城氏のように、「反復する同じもののこの差異の肯定」として、柄谷氏を考えてみたくなるのである。たとえそれが、道化(茶番)してるような身振りにうつろうともである。

黙って処している国民の一人として、苦渋に生きている者として、私は柄谷氏の以下のような文、帝国の原理の下地になるような指摘から考えたくなる。

<「無為」とは、「為」を否定することです。「為」は、いわば力による強制を意味します。どのような力か。一つは呪力による強制であり、いいかえれば、氏族社会の伝統である互酬原理です。もう一つは武力による強制です。これは、氏族社会の崩壊とともに露出したものです。老子1がいう「無為」は、それらのいずれをも斥けるものです。この意味での「無為」は、道家(老荘)だけでなく、儒家にも法家にも共通する態度です。無為とは呪力と武力に頼らないことです。「思想」の力が成り立つのは、そこにおいてです。また、そのかぎりで、思想家が力をもったのです。>

かつて若かりし頃の柄谷氏は、正月のお年玉のやりとりへの違和感を表明し、精神科医が金をとることを評価していた。私も、日常的に、そうした互酬原理に従えない性質なので、人間関係的にはつきあい友達は一人もできない。しかも柄谷氏を読んで意識化してからは、まさに意識的に確認しながら日常を生きることになるので、もらってもお返しをしないということに引け目をかじずに、抜け抜けと明るく超然としている。そんな奴が互酬倫理が厳然と残存する職人世界で20年以上も生き延びているのだから、たいしたものではないか? 今さらになって、商品関係的な冷たい関係よりも、互酬的な温かみのある人間関係のほうがいいのだ、それを高次元で回復するのだ、といわれても、そうは問屋がおろさないのである。
私は、あくまで私の動機において、社会と接続する必要があるのである。

2014年9月1日月曜日

息子の事故

「バルセロナってクラブは、”学校の寄宿舎”みたいなもんだってことがわかってきた。選手たちはみんなファンタスティックだし、あいつらには何の問題もない。バルサにはアヤックスやインテルでも同僚だったマクスウェルがいや。だが、どいつもこいつも、スーパースターとしての振る舞いをまったくしていない。それも奇妙じゃないか。リオネル・メッシ、シャビ、アンドレ・イニエスタ、そして他の選手たち誰もが、まるで小学生みたいなんだぜ。世界のトップスターたちが、ここではへいこら頭を下げている。俺にはまるで理解できなかったよ。イタリアでは監督が「ジャンプしろ」と言ったら、選手は「なぜジャンプするんですか?」と質問したよ。だが、ここでは誰もがこっくりとうなずいてジャンプする。まるで調教された子犬と一緒だぜ。なんて居心地悪い場所だ。それでも俺は自分に言い聞かせたぜ。「この状況を受け入れないといけない。先入観をもつな!」と。何とか適応しようと努力し始めたんだよ。そしたら俺は飼い慣らされた子羊みたいになっちまったぜ。あり得ねえだろ。親友で代理人でもあるミーノ・ライオラは、「ズラタンに何が起こった? ズラタンじゃないみたいだな」と言ったよ。」(ズラタン・イブラヒモビッチ著『I AM ZLATAN IBRAHIMOVIC 沖山ナオミ訳 東邦出版)

夏休みの最後の日、息子の一希は自転車事故を起こして救急車で運ばれる。下り坂の途中で人をよけようとして、電柱に激突、後頭部を打つ。仕事途中にきた女房からのメールによると、図書館へむかっているときにだそうだ。脳検査では異常はないが、様子見のためそのまま入院。傷口をホッチキスでとめてあるそうだ。仕事を終えて家についてみると、子供の事故の連絡にあわてて外へでていったような空気がある。勉強机にもなる食卓の上には、夏休みの宿題の読書感想文の、女房の添削した赤鉛筆で直された原稿用紙が広げられたままだ。図書館には、この二日前に、私と一希はいっていて、そのとき息子も何冊か借りたはずだ。ということはつまり、読書感想文の添削最中に喧嘩がはじまり、「それなら違うのを借りてやりなおす!」とでも一希はいって、逃げるように出ていったのだろう……そう、私は推論した。
病院に出向くと、ベッドで寝ていた一希は顔をあげた。ショックで深刻そうな表情をしていた。ベットわきで、女房が看護婦から説明を受けている。女房は、子供の無茶な運転やノーヘルメットが事故とケガの原因である前に、自分が因果をつくっていることを、自覚しているのだろうか? 私は、そんなことを問い詰める気にはなれなかった。3.11以降、学校の勉強をしつこく迫るその態度、それでいて、原発反対だの政府がなんだのと、御託を並べる情勢にはうんざりだった。自然の大きさのまえに、そんな勉強の強要や屁理屈に固着していることが信じがたい。もっと、おおらかでいろ、そう、自然は教えてきているのではないか?

私は、自分があの頃、枝おろし最中に木から落ちて、この同じ病院に入院していたときのことを考えた。なんで神は、息子に事故をおこさせたのか? 私にか、私たちにか、何を知らせようとしているのか? これから、どうしてほしいというのか? どうすべきだというのか? それを読解する、なにか他の兆候が起きていないか? いつしか、そんなふうに、私は考えていた。

2014年8月9日土曜日

弱いまま勝つ

「馬庭念流を百姓剣法と云うのは、半分は当っているが、半分は当らない。むしろ源氏の剣法だ。諸国の源氏が野良を耕しながら武をみがき、時の至るを待っていたころの姿がそっくりこうだったに相違ない。違っている一事といえば、馬庭ではもう時の至るを待っていないだけだ。それだけに、畑に同化するように、剣にも同化し、それを実用の武技としてでなく天命的な生活として同化しきった安らぎがある。一撃必殺を狙う怖るべき実用剣を平和な日々の心からの友としているだけなのだ。全身にみなぎりたつ殺気はあるが、それはまたこの上もなく無邪気なものでもある。終戦後は村の定めも実行されなくなって、寒稽古にでる若者の姿が甚しく少くなってしまった。
「みんなスケートやスキーを面白がりまして、そっちへ行きたがりますな」
四天王はこれも天然自然の理だというような素直な笑顔で云った。馬庭の剣客は剣を握って立つとき以外は温和でただ天命に服している百姓以外の何者でもない。まったく夢の村である。現代に存することが奇蹟的な村だ。この村の伝統の絶えざらんことを心から祈らずにいられない。(坂口安吾著 「安吾武者修行 馬庭念流訪問記」)

「弱いまま勝つ」、というようなタイトルの、高校野球もののテレビドラマを最近までやっていて、子供が録画してよくみていた。その一希のなかなか勝てないサッカーチームの現状を評して、コーチをしている俺が悪いからだと女房はなじってくるし、息子も負け癖がついてひねくれてくるので、「そのうちわかる、弱いまま勝ってやる、俺がそれを証明してやる」――と言いかえしていたのが一月ほどまえ。そしてどうにか、この夏のフットサルの地域大会で準優勝して、その証明を果たすことができた。まさに、普段の中心選手も欠いた弱いままの勝利だった。他のチームのコーチからも、「サッカーが必ずしも技量だけではない、ということが体現されているような試合」と評価された。ひとりひとりが、暑さにまけず、最大のモチベーションでのぞんでくれた。コーチの一番の難仕事は、技術の教え以前に、まずは子供から信頼を得ること、そしてその心をつかんだら、こっちからこっちへと、まだ子供たちにとって未知の世界へともってくる腕力である、と私はおもっている。はじめて準優勝のカップを手にして、子供たちは、やれば新しくみえてくるものがある、という感覚を覚えただろうか?
 しかし目指しているのは、ミニゲームではなく、あくまでサッカーだ。小さいコートでの、反射神経中心の試合なら、ハアハアいう我慢でなんとかなるところがある。が、大きなフルコートでは、それだけでは無理になる。違った我慢が必要になる。慎重にやること、ミスを小さくするような丁寧さ、判断することの持続、つまりは、肉体的だけではなく、神経・精神的な静かな我慢を身につけなくてはならない。そのための練習方法、アイデアはあるけれど、果たして、子供たちは練習にきてくれるのだろうか? くるようになるだろうか?

2014年7月20日日曜日

ザック・ジャパンと育成問題

「余談ではありますが、私は近年の日本の育成現場で流行っている「教え過ぎない指導」、「ボトムアップ理論」には少し危機感を覚えます。おそらく、こうした指導や理論は「指導者が常に指示を出して選手を機械的に動かすのを避けましょう」という意味なのでしょうが、私は指導者が選手にサッカーのプレーの仕方を教えなければ選手がサッカーを学ぶことはできないと考えています。」
「私的な意見ですが、日本サッカーの育成年代においては戦術指導への理解と戦術指導のできる指導者がもっともっと増えていくべきだと思っています。スペインでは育成年代から当たり前のように戦術指導が行われ、それが大人になった時のパフォーマンスにつながっています。これは私がスペインで6年間指導をして得た結論の1つです。」(坪井健太郎著『サッカーの新しい教科書』 KANZEN])

ネットなどの記事によると、元サッカー日本代表監督のザック氏は、アジア杯で優勝したあたりからだったか、途中で自分のやり方を選手に指導するのではなく、選手に任せる方向に方針を変えたという。ブラジルW杯後のインタビューなどを考慮すると、私見では、おそらくザック氏は日本人の人柄や文化に惚れてしまったのだろう。誠実で真面目なこの選手たちをまえに、口うるさく言うことから降りてしまったのだろう。しかし、本心は、彼らの能力や真剣さでは世界では勝てない、という認識はあったのだろう。だから、いきなり本番の試合で方針をかえた、自分の色をだした。結局本試合で長い起用をされたフォワードは経験豊富な大久保であって柿谷でなく、終了間際にはパワープレーの指示をだす。「勇気」をもっていつものプレーができる(た)か否か、という視点からザック氏はW杯予選リーグ落ちを評価したが、一番に「勇気」を欠いて普段とは違う方針に転換したのは監督本人だったようにみえる。あるいは、たしかに、相手のドロクバより先に大久保の選手交代がなされていたら、とか、偶然的にも日本が初戦に勝って決勝トーナメントへ進出できた可能性もまるきりなかったわけではないようにもみえる。が、大会全体からみたら、やはり日本の実力は、世界大会レベルで互角に戦えるレベルにはないと、まずは球際での真剣さレベルでそう思わざるを得ない。だから、私たち第三者がとる態度とは、勝った負けたの結果からではなく、勝っても負けても存在してしまうだろうその問題点を認識分析し、それを克服していくよう持続的な方針を理念として握持しておくことだろう。そういう評価の視点からして、ザック・ジャパンのW杯での惨敗は、育成年代でのサッカー指導の問題点、矛盾点をあぶりだしてくれたのではないかとおもう。

要は、ヨーロッパ人のザック氏は、日本にきてプレイヤーズ・ファーストという方針で普段の練習・試合に臨んだ。が、ぶっつけ本番で、監督の戦術的な色をだしたのだ。このブログでも、選手(子供)優先のサッカーというヨーロッパからの指導方針と、その日本少年サッカーをヨーロッパのコーチがみていう、「日本の子どもたちはテクニックはすぐれているが、戦術的理解がない」という評価とは、矛盾しているのではないか、と指摘してきた。自由にやるのと、作戦を理解してやるのと。この矛盾点を、日本のサッカー協会は理論的に解決していない、そのことが、育成の現場でも、各コーチの指導法のちぐはぐさやパパコーチ同志の確執として現れてくる、と。私自身はこの矛盾を、自由とが、算数の問題を解く自由と理解すれば、それは矛盾ではなく、本来的な思考態度として引き受けていく前提なのだ、と理解した。靴紐のリボン結びという例題を比喩に使いながら。そういう見方をしていた、哲学教養が前提にある私には、上の坪井氏の提言や、W杯の分析での指摘は首肯しうるものである。しかし、坪井氏の提言をそのまま日本に輸入するような発想だと、つまりは、例題からただパターンを暗記・習得していくだけの、明治以降の遅れた近代化の日本の態度のままだと、結局は、同じことになってしまうだろうと、危惧する。

<日本人選手は「ボール扱い」に関しては世界でも有数のレベルにありますが、これはボール扱いに関して非常に高いレベルでの自動化がなされているということなのです。
 さらに日本のサッカーがレベルアップするためには、戦術の経験値と戦術メモリーの蓄積を図り、戦術的にも自動化を図ることが必要です。>(同上)

W杯でのドイツの優勝が意味するものとは、この戦術の「自動化」である。社会学的にいえば、それはサッカーのエリート化、「官僚化」を意味する。徹底的にパターン・定石を暗記しておくこと。そのバリエーションのデータ化とそれに対応するオートマティック(組織・集団的)な対応の暗記・訓練化こそが、現在と今後の世界の潮流になっていくだろうと。坪井氏は、そう純粋にサッカー分野でのことを考えているので、この事態にまつわる文脈、とくには日本というアジアあるいは世界の途上国の中でいち早く近代化をなしとげた教育システムにまつわる社会問題上の諸文脈については、無意識であろう。ボール・コントロールといったテクニックのレベルであれ、戦術上のことであれ、それが「自動化」(暗記反復化)される発想を伴ったとき、遅れてそれを学ぶ側には、その動機自体は学ばれない。ゆえにまた、自分の本来性といったものに拘らないで変化できる、できた日本の文化的土壌でこそ、ためらいもなく暗記教育にまい進し、遅れた近代化を見かけ上はなしとげることができた、というのが人文的な一般的教養であろう。そして日本ではとくに、その暗記主義、人間の自動化=兵士化を、世界と戦うという現実的政策として、エリートだけでなく、全国民的に総動員しなければならなかった。日本の運動部や会社の新人教育に、上官―下士官と相似の、先輩(上司)―後輩(部下)的な不合理で暴力的な上下関係が導入というより普及してしまっているのは、そのためである。疑似封建制が、社会のあらゆるレベルではびこってしまったのは、軍隊教育を経た戦後になってこそなのである。(読売巨人軍の桑田選手が、引退後早稲田大学の大学院でテーマとして追求したのも、この運動部における暴力の社会・歴史的な考察である。)だから、もし、サッカーの指導もが、個人テクニックをこえて、チーム・集団的な戦術の暗記、監督の作戦理解、といった位相に移行すると、おそらく、この暴力主義が復古精神的に、日本の地として、露呈してくる、そちらにバイアスがかかっていくだろう、と予想されてしまうのだ。「プレイヤーズ・ファースト」を日本のサッカー連盟として普及させていこうとしている池上正氏は、その方向へ転換するきっかけは、自分が選手に対してしてしまった暴力からだったという。それは、曲がった棒をもとにもどすというアルチュセール的なイデイオロギー対応として正当である。もし日本が、より一層の暗記エリート主義にまい進しようとするならば、近代化過程での特殊文脈としての地にからめとられてしまうだろう。現に、子供への育成現場で、その兆候は表れ増加傾向にあるのではないかと推察される。しかし、暗記しても、そうする動機、モチベーションは獲得されえない。ヨーロッパのサッカーが、たえずフィールド上に真理を、ゴール(ゴッド)へむけての真実を追求していくその科学的な合理精神として進化発展してくのは、まったくの不合理な、キリスト教的な情熱、と呼べるものから出来しているのであろう。結局は、どんなに暗記がうまくいっても、0点におさめられることが理論的な結論であって、ゴールは、つまりは神への信仰は獲得されないのである。

しかも、日本の、日本人の底力として発揮されるかもしれぬ情熱、モチベーションは、近代化の過程での追い付き・追い越せ的な情熱、戦国時代の武将群像によって象徴化される男の通俗的な歴史ロマンにあるだけではない。渡辺京二氏が『逝きし世の面影』で前景化してみせてくれたように、何よりも子供優先の社会であり、庶民文化であった。むしろ、近代においてはじめてなように「子供の発見」をしなくてならなかったヨーロッパと違って、日本の庶民社会の間では、近代的に子供の自由を認めてやれた前近代的な社会だったのである。だから、具体的にサッカーの育成現場でも、パパコーチの近代的な父系的厳しさと、前近代的な双系的(父系と母系の特徴が並列同居的)な甘えが、指導作法として混然としてしまう。私なども実際、「曖昧な日本の私」(大江健三郎のノーベル賞受賞講演タイトル)になってしまう。しかしそれでも、「暴力」にバイアスがかかるぐらいなら、何もしないでほったらかしにしていたほうがマシであろう、とおもう。

だから、理論的な実際は、以上のことを考慮したうえでの、各コーチ自身の内省と各子供への洞察と、それの実践へ向けての手腕ということになる。その個人の力自体が難しいのだ。たとえ、一般的に、理論的な解がわかっていたとしても。アトレチコ・マドリードの監督の戦術を問題とするだけではなく、あのきかん棒な選手たちにどうやってその方針を浸透させてモチベーションをあげていったのか、その監督個人のノウハウこそが問題で重要なのだ、とする指摘もあるように。「プレイヤーズ・ファースト」を実践する池上氏でも、子供に勝手なことをさせているわけではなくて、その現場での洞察に従った、しかも各子供ひとりひとりへの洞察にしたがった、臨機応変な実践力で対応しているのだろう。それは、ハウツー的に、パターンとして学べるようなものではないであろう。

<サッカーをする本当の楽しさは、真剣にプレーして、負けると悔しくて、もっと練習してうまくなりたい! と感じることです。練習中に仲間とふざけ合っている楽しさは、サッカーを楽しんでいることではありません。一生懸命取り組んでいるのなら、ぜひ見守ってあげてください。>(池上正著『少年サッカーは9割親で決まる』 KANZEN)

私は、日本のサッカー現場における(サッカーにかぎらないが)、育成の方針は、やはり上記の池上氏の考えが大枠でいいとおもう。しかし、指導する具体的な内容において、若いコーチたちが勇気果敢に現地へもぐりこんで内側からつかんできた情報をいかしていく、フィードバックしていく更新転換の体制を、日本のサッカー協会はとっていくべきであろうとおもう。

*ほか、サッカー育成問題に関わるブログ
2012.7 「ユーロ・サッカーから――世界とコーチング
2013.5 「サッカーと戦争(ロジックとロジスティック)」/「数と形(サッカーと政治)
2013.8 「夏休みの宿題にみる戦争(サッカー)の論理
2013.12 「少年サッカークラブの育成から
2014.2 「サッカー<プレイヤーズ・ファースト>の自由」

2014年6月25日水曜日

W杯と9条 ――ゴミ拾いと居合い抜き

「当事者がどこまで自覚しているかは別にして、客観的に見た場合、沖縄県は、信頼もできず力もない東京の中央政府に対する交渉に見切りをつけている。そして、米政府に直接働きかけることによって、突破口を開こうとしている。危機的な状況になると沖縄と沖縄人には、セジ(霊力)が降りてくる。セジを霊力と訳したのは久米島出身の沖縄学者・仲原善忠だ。船にセジがつけば、航海の安全が保障される宝船になる。セジは人にもつく。沖縄県が優れた外交能力を発揮しているのも、目に見えない沖縄と沖縄人を守るセジによるものと筆者は考えている。」(佐藤優著『宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源』 角川書店)

日本代表最後の戦い、残念に終わった。前半はとにかくなりふりかまわぬ必死さがプレーに感じられて、なんでこの真剣さを最初からださなかったのだ、Jリーグの練習の時から、とおもった。結局3試合、今回は攻撃サッカーをするぞ、と勢いよく敵地に飛び込んで行って、相手チームの真剣な、大人の強さにあしらわれて帰ってくることになった。しかし、ほとんど大人対中学生くらいのメンタルと頭脳の差があったと私には見えたが、そこまでくるのにも20年かかっていて、ここでの口惜しさと内省を、とくには次のある若い選手がまた一歩前進させてくれたら、と願ってやまない。またそれは、われわれサポーターもが成熟していく必要があることを同時に意味してくることだろう。

とくに最終試合のコロンビア戦、とくに後半に司令塔の10番がでてきてから、私はまだ20代前半のころ、日本バブルがはじけた直後の1990年代初頭から、夜勤の荷物担ぎのバイトを日系を中心とした南米からの男たちと一緒にしていたころのことをおもいだした。ああいう抜けめなさ。普段は怠けているようでいて、というかほんとに仕事はしたくないので、適当にやりすごしながらも、ここで踏ん張れば楽ができる、というポイントを見出すや彼ら全員がドバっと示し合わせていたかのように集中力を発揮する。そのカウンターの一点からみれば、日本人の勤勉さや忍耐などだらだらやっているようなもので、効率がわるい。その賢さとテレパシーがあるかのごとき集団性が、私にいまもって強く印象づけられている国際体験、カルチャーショックだった。このチームプレーは、歌舞伎町や六本木などでの遊びの場でも発揮される。とくに、日本の女の子にちょっかいだそうとするときに。

そんな光景をみてきた私からすると、試合後にゴミ拾いする日本のサポーターのニュースは、外国のメディアも肯定的に報道していたとはいえ、嘘だろう、本当は「よくやるよ」と軽蔑していたはずだ、となる。俺たちは真似しないけど、偉いことは認めてやるよ。だから、今後もたのむね、と。で、たとえばそう日本人があからさまにいわれたとして、果たしてかの善きサポーターは黙々とゴミ拾いを続けられるだろうか? その覚悟があってやっているのだろうか? むしろ、善意でやっているのにそんな仕打ちとは、と逆上気味になるか、泣き寝入り的に引き下がるのではないだろうか? 自分のゴミを拾って帰るのはいい(あたりまえだが)、しかしそれ以上のことをすることには、自分の行為を世界基準で客観視し、それでもやると主体的に折り返す、習慣的ではない思想的な営みとして引き受けていかなくてはならないのである。だからおそらく、外国の集団がゴミ拾いしたら、それが貧しい人たちの仕事を奪う搾取行為だ、とうの左翼言説からの批判をも織り込んだ、闘争的な、だから組織的に持続可能な体制的なものになる気がする。少なくとも、そんな覚悟なくして、善意の押し売りみたいなことはやってはいけない、というのが私の労働現場からえた国際感覚である。弱い奴は、用心して、大人しくしていろ。それができるのが、大人だ。そう仕掛けてくる相手に、前回ブログの冒頭で引用した、荷物担ぎのユダヤの思想家ホッファーのように、こちらも知恵を返してやり返してやれること、それが、相手から「ばかではない」と認められ、フェアな”友達”になれる条件である。そして、ほんとうに弱いことを自覚して大人しくしている、立場の弱い日本の中高年の労働者たちに、彼らはほんとうにやさしくするのである。中途半端な賢しらは、売られた喧嘩は買うよ、に始末する。ブラジルでゴミ拾い、とは、喧嘩を売っているようなものであろう。

選手でも、サポーターでもみえたその日本人の弱さ。そのことがまずわれわれに自覚されてきた大会だった、と私は分析する。いや、攻撃するぞ、とかいってそうさせてもらえなかったザマなのだ。そうしなくてはならない。そしてそのことに、卑下する必要はまったくない。その自覚と内省があって、はじめて将来にむけた、いや今からはじまる、日本サッカーの戦い方が見えてくるのではないか、とおもうからだ。少なくとも、私には見えたような気がしたのである。
真面目で勤勉であり忍耐強い、という弱さ。人間的な喜怒哀楽・浮き沈みというよりも、機械的な一定さ安定さの中での方が自分たちの力を発揮させられる、という弱さ。オランダやドイツのように豪快に緻密に攻め切れるわけでもなく、イタリアや南米の中堅チームのように自陣に引いてカウンターを狙い一点を守りきれる賢さもない。しかしこれは、自分たちの弱さに徹していないからではないか? コロンビア戦、本田は一人で不器用なドリブルをゴリゴリ仕掛けてボールを奪われ失点する。単純に、奪われ方がまずすぎる。同時に、攻撃的なサッカーを標語してきただけに、カウンターに対するケアが育成されていない。オシムが助言していたように、そもそもセンターバックの足がおそすぎる。かといって高さも中途半端。そうしたことすべて、自分たちを過信し買い被っていたからだ、と自覚しよう。だからでは、自分たちの弱さに徹するとはどういうことだ?

私は、居合い抜きのイメージを提供しようとおもう。日本の武士、サムライの得意技といったら、これだろう? カンフー激のように格好良く刀を振り回すのではなく、ただにらみ合い、ひたすら戦わないでにらみ合い、相手がしびれを切らして動きをみせた隙に一撃を与えて終える。イチローの打法もある意味では居合い抜きだ。ホームランをかっとばす技術ではない。自分の小ささを自覚したところからくる弱者の一撃打法、内野案打戦法だ。で、それがサッカーではどうなる? スペインのポゼッションサッカーからゴールを目指す攻撃性を抜いたものだ。……ん? つまり、自陣に引いてカウンター狙いで守るサッカーではなく、敵陣に引いてゴールを狙わないパス回しサッカーだ。そして、ひたすら相手がへばり、足がつるのを待つ。そうなった最後の5分間で勝負する。勝をとれなかったらしょうがない、俺たちは世界で勝ちきれる柄ではないのだ、と自覚している。その自覚の先にだけ、運が良ければ、W杯優勝もあるだろう、と割り切っている。単調な、機械的な動きを忍耐強く、勤勉にこなしつづけ、その退屈さに付き合える外国チームは少ないだろう。しかし、すでに、日本代表のU-17は世界大会でこの退屈さとポゼッションゲームの模範例を示していたではないか? いや、ザッケローニの戦術もまた、ギリシア戦、フランスの新聞によれば眠くなる試合運びをさせる「催眠術師」だとのことだった。この、スペインサッカーとは似て非なるものこそ、日本の戦い方として、われわれに合った世界性を持つのではないだろうか?

おもえば、本来、日本の柔道とはそういうものだった。相手と組み、動かない。相手が耐えきれず反撃にきたときに、その力を利用して投げる技だった。が、それではいつになっても勝負をつける戦いがはじまらず、退屈なので、オリンピック用にルールが変更され、早く戦え、と急かされるようになっているのだった。いや、オリンピックだけではない。日本の憲法もそうだ。9条を抱えて、専守防衛というわれわれに合ったやり方で無理なくここまできたのに、世界で戦え、戦えるように、と、弱さを自覚・内省することなく、中途半端な賢しらで、原則の解釈だけを変更して打って出ようとしている。そんなに世界のゴミ拾いがしたいのか? じゃあやって、たのむよ。俺たちは、後方支援でいいからさ、と、私には一緒に仕事をしたコロンビアやペルー、チリやアルゼンチンからの労働者たちの声が聞こえてくる。われわれの弱さを自覚しろ、ウルグアイやコスタリカのサッカーのように。集団的自衛権だって? 自分のゴミだけを拾うことしか、われわれの度量ではできないのだ。そしてその弱さを自覚することにこそ、、世界の人々との連帯や、心からの共有が芽生えてくるものなのである、というのが、私が労働現場から得た教訓である。