2011年4月20日水曜日

今後への条件――連帯と堕落


「Without the recent earthquake, Japan would no doubt have continued its hollow struggle for great power status, but such a dream is now unthinkable and should be abandoned. 」(柄谷行人著<How Catastrophe Heralds a New Japan >)


4/16(土)の朝日新聞夕刊に、「防護服の投棄相次ぐ」という見出し記事がでている。原発事故現場から半径20キロ圏外に出たところの国道沿いに、原発構内で働く作業員の着るものと同じものが、マスクなどと一緒に散乱してあるのだそうだ。「原発作業員が道路に投げ捨てることはあり得ない」と東電関係者は言っているが、地元では普通ゴミ扱いするわけにもいかないから、東電にもっていってもらっているという。私はこの記事を読んで、脱走者がでているのだと予測する。そしてそこから、現場はだいぶ壮絶なのだろうと考える。


<原発内はとても熱く、湿度は80%ほどもあるんです。15分もいれば汗が吹き出てくる。顔全体を覆うマスクをすると息と熱で雲って前がよく見えない。でもガス切断機でパイプを切ったり溶接したりするので、マスクが曇ったら仕事になりません。だからみんなマスクをはずして作業していました。><それに、手袋を何重にもしていましたが、ビスを抜くといった細かい作業が、それでできるわけがない。手袋を外して、素手でやってました。>(『週刊現代』4/30号)


普段でさえ、上のようなのである、のは、下っ端の土方労働者でも想像がつく。これから梅雨にはいったら、どうなるのだろうか? 学者はまるで他人事のように、建屋の外に外部電源と冷却装置を設置するとかその設計を提出し、なんで早くしないんだ、とか、菅総理みたいなことをいい、管理者もまるで他人事のように工程表なるものを発表している。旧ソ連は、チェルノブイリでの一基の原子炉暴走を防ぐのに、60万以上の労働者を投入したわけだが、現在福島原発にいるのは2千名ほどだそうで、これで四基もの原子炉封じ込め作業ができるのか、素人目でも、その違いから疑問をもつ。そして国家も、会社管理側も、いま以上の支援体制を組みえないがゆえに、作業員のモチベーションは恐怖と不気味さと労働の過酷さに負けて、さらなら員数の流出を引き起こしているのである。旧ソ連は、死の恐怖を乗り越えさせるのに、ナショナリズムを導引し、国家的英雄として勲章したようだ。日本はそれすらできず、あるいはおそらくすでにその時期を失い、現場に残された労働者は、ますます孤立し、国民大衆からも関心されなくなり見殺しにされかねない状況に陥るところにいる、と私には思える。


私としては、現場労働者に訴えたい、身体的にやばいとおもったら、即刻働くのをやめてボイコットしよう、末端の自分たちが、日本だの世界だのの尻拭いをやりつづける必要はない、その結果、日本が吹き飛び、世界が汚染されようと、それでいいのだ、というのが人間の倫理だ。そういう結果になる責任をおまえがとれるのか、とか管理側は言ってきそうだが、俺たちのしでかしたことの責任をとるのがおまえたちの仕事だろ、とつっぱねればいいのである。一般的にも、おそらくもはやナショナリズムで死を克服することが不可能となりつつある世界構造のなかでは、現場という局所的なところでモチベーションを啓発していかなくてはならないだろう。それには、背水の陣でのぞむしかないだろう。


私は、前のブログで、保安員がふと再臨界的爆発はない、ともらしてしまったのではないか、と書いたが、『週刊現代』の記事にも、こう保安員の言葉が紹介されている。……<まあ、『週刊現代』が何度も書いている「再臨界」は、たぶんないでしょう。原子炉には核分裂を抑制する制御棒が挿入されているからです。私の周囲にも再臨界を心配する声はあまりない。でも、「その次の最悪」を防げる保証はどこにもありません。建屋ではなく格納容器そのものが水素爆発で壊れ、放射能物資が広範囲に撒き散らされる――。そのシナリオは、まったく消えていません。>


素人の目では……現場所長が時期早々と判断した窒素注入を、アメリカ側の指示屈従によって強行したわけだが、新聞では、2.5気圧まで高めたいものが、2気圧程度以上にあがらず、おそらくどこかから洩れているのだろう、と報道された。そして、その作業を続行中、ともう何日もたっている……つまり、これは、命がけでおそらくボンペの管を注入したその管を、抜けなくなってしまったのではないか? 先のブログでも現場所長がその方策を嫌悪した理由にもあるとおり、そのままただ抜くと、その隙に空気が中にはりこむ循環構造が発生し、なおさら水素爆発の危険が高まるから、と。引くにも引けない作業に陥ってしまったのではないか? 2号機と3号機にも窒素入れるとかいっていたのに、その予定はどうなっているのか? という見通しは発表されていないようだが……。


相撲界の八百長問題を告発した『週刊現代』は、勢いにのっているのかもしれない。義援金の配分に関しても、国家が介入したことによる顛末への疑義を表明している。私も、帰国子女の宇多田ヒカル氏と同じく、NHKでの総務大臣の発言にピンときたものである。そして案の定、みなの義援金が、福島原発事故という、あきらかな人災(避難民)への手当てにも使われている。ならば、それと同額を、国や東電が支払うべきであるのに。どさくさにまぎれて、ひとの金を流用してお茶を濁しているのだ。


私は、世界へ向けての連帯、と言った。しかし、東電(日本)が、放射能汚染水を海に流したことは、致命的(村八分)なことになるのではないか、と危惧する。海に流すことは、国際法的にも規定されていない、ゆえに韓国の新聞などでは、「法の抜け穴」を使った、と非難している。日本がやったことは、裏社会でしかやってはいけないことを、堂々と表社会でやってしまったということなのだ。これは、俺たちは法を犯す、と堂々と開戦したアメリカの仕出かしたことよりも、人間関係的にはひどいことである。法は犯さないように悪いことをやるのは、まさに裏社会の人間である。しかし、裏社会では、その悪事は秘密にされる。日本は、事後的にばらしてしまった。これは、世界(他者・人間)関係に無頓着な、白痴(ばか)まるだしの失態である。中部大の武田氏も、他人を汚してはいけない、それなら穴を掘って、本土を汚さなくてはならないのだ、と発言しているが、そのとおりである。われわれはここまで、日本中枢にいるお白痴の面倒を見ていなければならないのだろうか?


各新聞の世論調査では、やっぱり原発でもいいんじゃないの? というような結果がでているようだ。私はそれが、情報操作によるとはおもわない。しかしそのうち、いやでもそんな呑気な意識惰性は一掃される、そうしたより根底からのどん詰まりが、われわれの前に見えてくるがゆえに。安吾ふうにいえば、まだわれわれは、「堕落」がたりないのだ。


*原発問題の背景を概括するのに、以下のホームページがいいと思います。<Pace Continua





0 件のコメント: