2011年5月23日月曜日

自然、をめぐるノート2

「江戸の大地震後一年目といふ年を迎へ、震災の噂もやゝ薄らぎ、この街道を通る避難者も見えない頃になると、何となくそこいらは嵐の通り過ぎた後のやうになつた。当時の中心地とも言うべき江戸の震災は、たしかに封建社会の空気を一転させた。嘉永六年の黒船騒ぎ以来、続きに続いた一般人心の動揺も、震災後の打撃のために一時取り沈められたやうになつた。尤も、尾張藩主が江戸出府後の結果も明かでなく、すでに下田の港は開かれたとの噂も伝わり、交易を非とする諸藩の抗議には幕府の老中もたゞたゞ手を拱いてゐるとの噂すらある。しかしこの地方としては、一時の混乱も静まりかけ、街道も次第に整理されて、米の値までも安くなつた。」(島崎藤村著『夜明け前』 *旧漢字新字に変更


先のブログで、大川周明のことに触れたが、東京裁判で東条英機の頭を叩いて精神病送りになった右翼思想家、というレッテルくらいしか知らないので、もう少し、著作を借りて読んでみた。


<精神復興は、震災このかた随所に唱えらるゝ題目である。而も予の見る処を以ってすれば、其の提唱せらるゝ復興策は、多く第二義に堕して究極の一事に触れない。修身教科書にある如き教訓を電車の中に今更らしく張出しても恐らく無害なれども無益である。真個に精神を復興せんとすれば、常に復興せられるべき精神其者を、徹底明瞭に理解し把持せねばならぬ。予は予の自証する処によって信ずる、精神復興とは、日本精神の復興であり、而して日本精神の復興の為には、先ず日本精神の本質を、堅確に把持せねばならぬと。かくて今日の予にとりて、何者にも優りて神聖なる一事は、日本精神の長養である。又は其の外に発する処に就て云へば、日本国家の成満である。「日本精神研究」『大川周明集』 筑摩書房>


東北大震災後の現在の状況は、関東大震災後の大川の説くところよりは、冒頭引用した、島崎藤村の『夜明け前』の時代状況、江戸末期の方に近似しているだろうと私は思う。それは今回の大地震が、日本列島の地震の終末期たる関東大震災より、地震の活動期に入ったことを示す安政の大地震に相当するものだろう、という自然条件的な前提ということもあるが、より世界史的な事態にたてば、一つの歴史から次の歴史への転換期に相当するだろう、という社会政治的な認識にもよる。環境エネルギー政策研究所の飯田氏によれば、1980年代以降の原発政策は、「安政の大獄」みたいなものだったと発言しているし、そうなると、菅総理は徳川慶喜か? 2年後にまた浜岡原発が稼動するとなれば、評判なお悪くなるだけなのだが、このままではゴルバチョフはおろか、徳川慶喜にも程遠いが……。しかしそれはともかく、この震災後において、東北魂といいながら、日本人の精神的一体化が叫ばれている状況は、大川の認識と重なる。私自身、このブログでもまずそこを喚起した。が、大川の認識実践は、国家に収斂していくものであり、私のものは、それを無化していく方向である。しかし、その文化的一体性をふまえて、そこに他文化との普遍性(自然災害)の回路を想定するがゆえに、個人主義的な考えとも対立する。が国家という枠組みの外圧に対しては、まずもって個人の強さなくして前国家的な一体性を保守することはできない、と考える。しかしもともと大川は、精神的な一体性の時期を、たとえ神代の時代に求めても、そこに国家の成立をも前提するがゆえに、個人の入り込む余地がない、かにみえる。いわば、国体と国家の間にずれがなく、それが一致していると仮構する。大川の考えが、国家機関説になる北一輝のそれとはちがっていても、国家という装置を肯定するところでともに運動するところがでてくるのかもしれない。しかしまたより精神的、純真的あるがゆえに、軍部に近くなりそのイデオロギーとしてみられた、ということなのか? しかし、大川の超越的な認識自体は、そんな機械的な話しではなさそうだ。橋川文三は、彼にみられる不透明さを、山形県という修験道ある特異な文化的土壌で育ったことに推論したいようだ。


<今日の宗教学者は、概ね宗教の起源を呪物崇拝・自然崇拝・トテム崇拝などに求めて居る。此等のものが現に未開人の宗教的崇拝の対象であり、同時に太古の吾々の先祖が逸早く撰び出した神々であつたらうことには私も異存がない。併し人間が此等のものに於て最初に『神』を認めたとすることは、私の到底納得出来ぬところである。…(略)…呪物崇拝が行はれるためには、人間が「自己以上の存在者」又は「存上者」といふ観念を有つて居なければならぬ。…(略)…之を存上者といふ観念に就て考へて見るに、人間が最初に木片や石ころなどによって此の観念を誘発されたとは、何としても信ぜられない。むしろ、日月星辰、乃至は高山大川などの与へる印象が、人間をして自分以上の存在者を認識させるよすがとなり得るであらう。併し人間の心は、日月星辰を仰ぎ、高山大川を望んで、その恩寵や威力を感ずる前に、存上者の観念を誘発すべき一層直接な、且一層有力な印象を、その親によって与へられる。人間の意識のうちにある根本的観念の起源を知るためには、すでに成長した人間に就てでなく、幼い小児に就て之を探し求めなければならぬ。然るに小児は、光と熱を給う太陽の恩恵を感じ、大地を肥やす河川の恩沢を感じ、又は疾風迅雷の威力を恐れる以前に、遥かに直接且深刻に父母の恩恵を感じ、その威厳に畏れる。人間は相当の年齢に達するまでは、殆ど如何なる自然現象に対しても深い注意を払ふものでない。それ故に「神」即ち存上者の観念を最初に人間に与へるのは、呪物でも自然でもなく、乃至は目に見えぬ精霊でもなく、実に父母そのものに外ならない。吾々の生れ出てくるや、母が吾々にとりて唯一の存上者である。吾々の存在は唯だ母だけに頼って居る。稍や長じて吾々は母並に全家族が、父によって庇護されて居ることを知り、更に父に於て存上者を認める。この父母に対する自然的感情が純化されて敬となるのである。故に敬の特質はその宗教的なることに存する。>(大川周明著「安楽の門」前掲書)


いわばこれは、エディプス的認識といえばいいのだろうか? だから、とくに神、超越的認識が母(あるいはその背後に隠れた父)からくる、とするところから、大川個人の幼少期の謎、父に対する言及をいっさい拒否している態度の特異性が問題とされたりする。が、大きく一般化すれば、ファミリーロマンス期のフロイトである。が、分裂病者、医者にとっての他者の出現は、その説ではすまない認識の深化を要請した。私の体験でも、超越的感覚、を知る、ということは、ドストエフスキーの『罪と罰』でのラスコーリニコフのみるネヴァ川の光景、いわばゴッホ的体験からくるので、家族、という擬似自然に収斂していくものではない。それは、そうした自然的自明性を崩壊させてくる感覚である。が、自身精神病に入るような大川にも、実はそうした感覚があったのではないか、と推論される。


<日本歴史では神武天皇以前を神代と呼んで居る。神代といふのは、日本人の生活の一切の部門が悉く神々によつて支配され、神々を離れて生活し得なかつた時代のことである。併し乍ら之は単なる日本の上代だけのことでない。あらゆる民族が一度は神代即ち宗教時代を経過して来た。この宗教時代には、今日吾々が道徳・法律・政治・経済・学問・芸術などと呼ぶ人間生活の特殊の部門が、尚未だ混沌未分の状態にあり、生活全体が神々の支配の下に行はれて居た。然るに時代を経るに従つて、人間生活に於て神々が支配する領域が次第に狭くなつて来た。それは最初神々の支配の支配の下にあつた人間生活の諸部門が、つぎつぎに神々から離れて独立した往つたからである。学問や芸術は言ふに及ばず、…(略)…そして宗教そのものさへ神々を離れて成立つことが、釈尊の仏教によって立証されたのである。従つて仏教は神を説かないから宗教でないの、或は例外の宗教であるのといふ西欧学者の所論は、千古の宗教的天才ともいふべきジョルダノ・ブルーノを瀆神者として残酷極まる火刑に処したり、神に酔へる哲学者スピノーザに無神論者の烙印を捺したりした旧基督教精神の名残とも言ふべきであらう。きゃうな西欧学会の雰囲気の中で、シュライエルマッヘルが「神なくして宗教なし。」とする通説を真向から否定して、設ひ神の観念有たなくとも、宇宙を「一」にして「全」なるものと直観して居る人は、最も善く教育された「多神教信者よりも遙に多く宗教的であり、スピノーザは敬虔なるカトリック信者よりも一層秀でた宗教者であるとしたことは、まさに「群鳥喧しき時、鶴一声」の感に堪えない。>(大川周明著「安楽の門」)


ここでいう「直観」とが、ファミリーロマンスに収斂していかせることを忌避する、ゆえに日本(アジア)人は天皇の赤子論的な右翼言説にも絡め取られない、超越的感覚である、と私は推定する。といっても、スピノザからドイツロマン主義が生れてくるともいわれているようなので、思想史的には単にそういっても説得的ではないのかもしれない。教養不足で言い方がたてられないが、私の理解では、スピノザ的な神の一神教的な厳格化、から汎神論とされる考え、と多神教的な実際生活上の知恵、は両立する。が、この二つを論理的に整合しようとすると、いわゆる三位一体論的な概念組み立てが必要になってくるのかも、という気がする。が、私にはそう理論化する必要もないので、素人趣味のままなのだが。


震災後の情勢は、日本精神を説く一体化、ファシズム的な事態を反復させてくるだろうか? 幕末のあとにはヨーロッパモデルの復古明治が、敗戦後にはアメリカモデルの民主主義があったわけだけど、今回はそうしたものがありそうもない。自然エネルギーのヨーロッパ「緑の党」モデル、というのは人々の精神的支柱になっていくには小さすぎるだろう。ソ連解体後、ロシアではルーブルにかわってマルボローが通貨となり、マフィアが横行し、KGB出身のプーチンの出番となったわけだ。アメリカが日本に求めるTTP政策をめぐって、黒船だ、開国だ、とかとも言われている。少なくとも、日本人は、自分たちの貯蓄を諸外国のお金持ちに流用されないよう気をつけなくてはならない、のが政治の根幹だとおもう。そうでないと、被災者にまわすお金さえ、掬い上げられてしまう。東電や政府批判以上に、世界情勢と外交への目配りと注意が重要になってくるだろう。


*  いつもいっている床屋の老夫婦の話。メイが福島第一原発に勤務していた。その話しによると、地震・津波発生あと、所長が一同をあつめて、津波で家族が心配な人は帰宅していい、と解散させたそうだ。そのとき、爆発する、という危険可能性を現場は認識していたそうだ。そして残ったのが、いわゆるフクシマ50で、ほぼみな下請け労働者だったという。労災もでない、というのが前提認識だったそう。報道では、この50人になったのは、爆発後みたいだが、床屋さんの話しでは、その前ということになる。というのは、メイは、10km圏内に新築したばかりの家に退避していたが、東北電力に勤めていた、老夫婦にとってはもうひとりのメイにあたる親戚から、爆発したらそんなところにいてはだめだから、と電話でいわれ、新潟まで逃げた、そうだから。飼い犬だけもって着の身着のまま出発したが、自動車のバッテリーがあがって立ち往生、渋滞しはじめた避難する住民たちが車をとめて、ブースターでつなぎ、電気を起こしてくれたという。メイには現場にもどるよう指示が届いたが、もういやだ、トラックの運転手でもなんでもする、と覚悟してたが、結局は違う部署にまわされて、栃木にいったという。……こんな床屋談議からも、福島第一の初動作業への疑問がでる。ロシアの専門家は、福島第二原発では抑えられたのにそれができなかったのは、人災だからだ、という主張が強いそうだ(宮崎学のHP)。たしかに同じような地震津波の被害のはずなのに、なんで第一ではベントが失敗(あるいは武藤副社長と現場所長との、するしないの激論が発生)し、第二ではうまくいったのか? 微妙な被害の違いによって、作業の可・不可が左右されるのはわかるが。原発の新旧の違いか? 佐藤優氏によれば、ロシアはとにかく人災にして、自国の原発推進をしたいのだそうだが。……現場所長が記憶を呼び起こして事態を整理できるまでには、作家が思いを意識・言語化するのと同様、だいぶ時間がかかるだろう。またそれが、正確だという保証もない。

* なお、宮崎学HPによれば、現場にいる東電の友人の話しとして、地元では4号機が一番あぶない、のが共通認識だそうだ。そして学者の中には、4号機の貯蔵プールの使用済み燃料が核反応を引き起こしていた、と説く人もいる。ただ副島氏によれば、こんどはまた何号機が危ない、と言い出して、危機をあおって日本人を統制してくるだろう、と予測しているが……。

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