2015年1月27日火曜日

イスラム国の人質

「人間が戦争を呪うのは当然だ。呪わぬ者は人間ではない。否応なく、いのちを強要される。私は無償の行為とったが、それが至高の人の姿であるにしても多くの人はむしろ平凡を愛しており、小さな家庭の小さな平和を愛しているのだ。かかる人々を強要して体当りをさせる。暴力の極であり、私とて、最大の怒りをもってこれを呪うものである。そして恐らく大部分の兵隊が戦争を呪ったにきまっている。
 けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れる考え方も必要だと思っている。なぜなら彼等は強要せられた、人間ではなく人形として否応いやおうなく強要せられた。だが、その次に始まったのは彼個人の凄絶せいぜつな死との格闘、人間の苦悩で、強要によって起りはしたが、燃焼はそれ自体であり、強要と切り離して、それ自体として見ることも可能だという考えである。否、私はむしろ切り離して、それ自体として見ることが正当で、格闘のあげくの殉国の情熱を最大の讃美をもって敬愛したいと思うのだ。」(坂口安吾著「特攻隊に捧ぐ」http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45201_22667.html)

やはりその二人の人質事件の画像を見て以来、元気がでない。今日は雨だが、午後から仕事だ。書く時間も気力もままならないだろうので、この件をめぐって連絡くれた友人への応答メールから引用する。

後藤さんは、「白痴(ばか)」を助けにいったのですね。奥さんが赤ちゃん孕んでいるというのに。香田さんとは違って、もう四十過ぎで、私と同じ歳ですね。若い人がいったわけではない。自分の決断で、まさにバカを反復(切腹)してみせた。そう以前の絵本とおなじように理解していいのかさえ、混乱してきます。だけどたぶん、国家を超えた倫理のほうを、信じて死にたい、そういう死に場所を探して生きていたのかもしれませんね。とにかく、もう大人です。私は後藤さんの謎を追求してみたいとおもわない。それよりももっと教養的に、中東からの世界情勢を、もっと正鵠に理解しないとな、とおもいます。アルカイダにせよイスラム国にせよ、それはアメリカ(イスラエル)が支援しているアラブまがい世界ですね。その世界での内ゲバみたいなものだ、革マル派と何とか派みたいなものとおもえば日本人にはイメージしやすい、とか佐藤優氏がいっていたようにおもいます。イランは、アラブではなく、ペルシャ帝国を復活させたいんだと。われわれは、まるで古代史を生き始めているようで、単純に勉学的についていけなくなっている。
最近、NAMについての回顧が目立つな、とは怪訝におもっていました。「社会運動」とかいう雑誌でも、柄谷本人が何か連載しているようですね。NAMとそれ以後の理論的仕事が、東欧や中東、そして中国や韓国で評価されているようなことを、柄谷本人がいってきたわけですが、また敢えてそう言うことの意味についての考察はまだ置いておく、とか私は言ってたのですが、そのことの意味が、まさにイスラム国とかの台頭現象がみえて、はっきりしてきているような気がします。柄谷氏の理論的洞察がそれを予見し処方しようとしている、のではなくて、むしろ逆で、そうしたインテリの構え自体をパロディーしているのだとおもいます。そのこと自体が、むしろNAM解散時のずっこけとして見えていた、その極大的な現実化、がイスラム国なんじゃないか? そこは、国家を捨ててきた、単独的な、傭兵たちが集い、資本と国家に対抗している組織で、そこに、香田氏をはじめ(そのときはなおイラクという国家があったわけですが)、ハルナさんだの後藤氏が、また単独的に出向いている。だから、同僚なんだとおもいます。ただ他の国の知識人は、将来的な理論を柄谷氏に読んでいるというのだから、解散のずっこけ体験を理解してもらうのは、難しいだろうな、とおもいます。イスラム国だって、ずっこける、のではないか? むろん、そこにこそ深刻さがあるわけで、つまり、古代史があるわけで、つまり、マルクスの知性は人間の生きのびていく知力として廃れないとはいえ、レーニン的な実践は、単にずっこけにしかならない古代史がやってきている、ということではないか? 柄谷はそこを、知的体系としてではなく、物語っている、だけにしかならない、という本人の意図をこえたところでは、歴史の動きには触れていることになるのかもしれない。と、私自身がでかい話、曖昧な物語推論しかできなくなる、というの が、昨今なんではないか?>

たしか10年ほどまえのイラク戦争のとき、ファルージャというバグダッドの西方に位置する都市でのアメリカ有志連合部隊への抵抗について、その石工たちが中心となった市民組織について、自身のホームページで何か発言した覚えがあるが、さがせなかった。いまそこは、イスラム国の統治下にあるようだ。というか、もともと、その石工職人たちの国際的なネットワークがあっただろうそこは、抵抗の最前線のひとつだった。当時人質として捕まった四人の若者の一人、高遠氏がなお、その都市への支援を中心に、情報を発信しているようだ。

イスラム国が、ドゥルーズをはじめとしたポスト・モダン思想のパロディーであるというような批判認識は、私だけではないようだ。友人のツイッターでもそう認識されている。かつてNAM解散時後、柄谷氏は、アルカイダが一番NAM的だとか言ったといい、最近でも、スガ氏が、いまもっとも批評的なのはイスラム国だと言い放ったそうだときいている。しかしどちらにせよ、イスラム国にせよ、つまり近代の政治とが、プラトンの哲学者政治のパロディー的実現だったともいえるならば、ゆえに、国家もそれを越えようとする知識人の運動もすでに失墜されるべくなっているのではないだろうか? 安部はバカではない、大学でのインテリであることにおいて、かわりなく、そうしたものが主権を操れるのは、近代の政治枠組みによってだろうから。

「家庭の幸福は諸悪のもと」……友人がメールでくれた安吾の言葉のほかに、私はやはり太宰のそんな警句をおもいだす。後藤氏は、特攻隊員のように、国家に殉じようとしているのではないだろうけれど、覚悟には、安吾が洞察してみせる葛藤と決断があっただろう。彼はおそらく、自分の友人たちに、首をさしだしにいったのだ。

2015年1月8日木曜日

サルのホームと原発社会

「それでも、恐怖心を一〇〇%取り除きたいと言うのなら、原発を完全に放棄する以外に方法はありません。それはどんな人でも分かっている。しかし、止めてしまったらどうなるか。恐怖感は消えるでしょうが、文明を発展させてきた長年の努力は水泡に帰してしまう。人類が培ってきた核開発の技術もすべて意味がなくなってしまう。それは人間が猿から別れて発達し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです。」(吉本隆明著『反原発異論』 論創社)

「サルの社会は、個体の欲求を優先します。個体にとっての利益とは、「なるべく栄養価の高いものを食べること」と「安全であること」です。…(略)…弱いものにしてみても、食べ物をめぐって無駄に争うよりは、遠慮したほうが結局は得だという知恵があるのです。/ これは非常に経済的なシステムです。絶対的な序列の中にいるから、効率がいい。サルが群れているのは、集まっていたほうが得だからにすぎません。その証拠に、サルは群れから一度離れれば、その集団に対する愛着を示すことは一切ありません。」(山極寿一著『「サル化」する人間社会』 集英社インターナショナル)

ホーム、ということを、昨年末のブログにつづき、もう少し考えてみたくなった。いや、なお考えていることに気づかされて、この冬休みの際(13日までで子供よりながい)に、もっと突っ込みをいれてみようと。昨年は、算数や高校数学までの復習をやりはじめ、数学理論書の概説書や柄谷氏の「内省と遡行」なども昨日は読んでいた。それがなぜなのか、「ホーム」ということに、どうつながるのか、といまようやく思い至ったのである。

まず私は、ホーム、ということを、サルから考えようとしていたことがかつてあったはずだ、とおもいだした。探してみると、それは、柄谷氏の『世界史の構造』への感想文として提示されている。そこでは、エマニュエル・トッド氏の『世界像革命〔家族人類学の挑戦〕』(藤原書店)が引用され、大家族から近代への核家族へとむかうという通念とはちがって、むしろ人類の原初期の方こそが核家族であったこと、そしてその上での引用として京都大学学術出版会の『集団ー―人類社会の進化』から、その人類学的新知見が、類人猿の研究成果からも後押しされている、と指摘した。サルからヒトへの初期段階、なおサルの生活形態を継承していたかもしれない人類は、父ー母ー子を中心とした、核家族的、単雄単雌集団で縄張りを形成していた、という仮説を。だからならば、近代化してこそサル化に再び近づいた我々は、なおサルのままでいるものたちのサル知恵から学ぶべきことがあるのではないか、とサルを肯定評価したのだった。

ところが、この冬休み中に読んだ、冒頭引用した二著者は、サル化に否定的である。吉本氏は、原発開発をやめることは、サルにもどってしまうことだと批判し、逆に山極氏は、そうしたアトム(個人)化がサル社会に近づくことだと批判するのである。資本主義の個人利害優先の進展と、その自然的限界を乗り越えて資源問題を解決していくため、原発技術を基礎的に据えていこうとする社会に対し、行くも退くも「サル」だということだ。もちろん、私がいう「サル」と、山極氏のいう「サル」は意味がちがう。山極氏によれば、私のいう「サル」はゴリラ的であり、研究者はそこを区別し、氏自身の批判する「サル化」のサルとは日本猿のような分類に属するものである。そしてその両サルの違いは、前者(ゴリラ)は核家族的集団であり(現歴史での実際は単雄複雌的)、後者のサルは単に個的な群れであって、集団的なアイデンティティーはない、とされる。ならば、このサル内の区別は、核家族的な近代と、個人=群としての、ドゥルーズ的なかつてのポスト・モダンという概念上の区別ともつながる。むろん後者は、その実践結果としては、資本主義の形式的な戯れ進行を肯定してきたわけだ。吉本氏も、この人類の歴史の進展は不可逆だとして、そのアトム化を、文明論・技術史的に首肯している、ということだろう。しかし、比喩的には「ヒトからサルへ」となるだろう近代を起点とした進化は、本当に不可逆なのだろうか? 原発を開発させた技術の根底には、数学史上の変転、数学基礎論として問われた根底的な問いからの解放として、つまりは、対象の真実を極めるという真剣さからの解放として、そのアイデア体系が無矛盾ならばよしとする形式的な戯れ態度の受容がある。
数学者の岡潔氏は、その数学者の態度変更を批判していたわけだ。高瀬正仁氏は、その岡氏と、カルタンに代表されるような形式主義的態度の数学者を区別し、前者を評価する。前者とは「わかる」という「発見の喜び」があり、その感情が共有されうるが、後者は「理論は簡単な論理の連なりであるから難解ということはありえず、だれにもやすやすと受け入れられる」が、その「論理の連なりが非常に長いため、途中で退屈のあまり放り出してしまいたくなることはある。車の運転を習ったり、コンピューターの使い方に習熟するという感じ」で、「機械操作」だと(『近代数学史の成立』東京図書)。この感じの区別は、山極氏のヒトとサルとの区別と似ているだろう。前者は他者と共感しえる集団性をもつが、後者は個人的な習熟や満足=満腹で終わってしまうと。そしてこの後者の数学が現今にいたるまでの科学技術を支え、我々はそこで唯一その数学態度を有益的として存続証明してみせている原発社会を生きている、ということになるのである。ならば、吉本氏の前提とする不可逆史観は、少なくとも数学基礎論的には、むしろ怪しい、というべきだろう。むろん、我々はもはや何万年と消えない原子力のゴミを抱え込んでいるのだから、実際的には、吉本氏の常識に反論することはできない。可逆だ、その近代の起点に帰ってやり直すこと、今の態度を変えることは可能なのだ、といっても、それはまさに言っているだけにしかならないのである。つまり、我々にできることは、ただ態度を変更することだけなのである。その実現した態度変更が何百年とつづけば、何万年後に原子力のゴミの害がなくなったときに、洗浄されたユートピア社会が実際的に機能してくるだろう、と夢見ることができる、ということか?

少なくとも、たとえ原発社会からもはや脱出することが不可能であっても、私達はやはり、ホームということ、他者と共感しえる喜びのある社会のほうがましだろう、それをめざそう、と思わざるを得ない。志向=思考せざるをえない。津波のなかでの逃げまどいと、放射能からの逃げまどいには、違いがあったろう。前者は助け合いだったり人間の尊厳がみられたが、後者の際には、夫婦の間でさえ考えの違いが問われ露わにされ、つまりは人をアトムとして孤立させて対立させてきたのではないだろうか? この逃走、夫婦喧嘩のなかで、私たちは、もう原発社会はこりごりだ、とおもわなかっただろうか? その感情は、もはや原発社会から抜け出せない、という史的事実とは、別次元にある、違う位相にある態度を要請しないか? 少なくともその根底にある感情は、「恐怖心」ではなく、もういやだ、ということである。そしてフロイトは、それこそが「戦争」に反対しえる不可逆な態度だ、とアインシュタインとのやりとりで表明したことなのだった

数学をはじめからやり直そう、おそらく昨年、私が算数からやり直しはじめたのには、そんな願いがあったからだと、いまわかるのだった。

2015年1月7日水曜日

初夢と老い

「いふまでもなく戦争の為に倒れたものの大部分は血気盛んな若者であるから、その落ちつく先は皆幽界じゃ。目下幽界に入って来る霊魂の数は雲霞の如し、しかも大抵急死を遂げて居るので、何れも皆増悪の念に燃ゆるものばかり、そのものすごい状態は実に想像に余りある。多くの者は自分の死の自覚さへもなく、周囲の状況が変化して居るのを見て、負傷の為に一時頭脳が狂って居るのだ、位に考えてゐる。/が、霊界がこの戦争の為に受くる影響は直接ではない。新たに死んだ人達を救うべく、力量のある者がそれぞれ召集令を受けて幽界の方面に出動することがこちらの仕事ぢゃ。すでに無数の義勇軍は幽界へ向けて進発した。目下はその大部分は霊界の上の二境からのみ選抜されているが、やがて私達の境涯からも出て行くに相違ない。」(『死後の世界――浅野和三郎著作集②――』 潮文社 *旧字は新字に改め。)

正月に実家に帰って、久しぶりに父親の姿をみてショックだったのは、もう半分はあっちの世界に入っているな、と感じられてきたことだった。身動きが緩慢で、ぼけっとしている状態が多い。なんとか残存している細胞で、この世を見ている、といった様子だ。そのうち、家族の名前や顔もおもいだす力がなくなってしまうのでは、とおもわれた。私自身、昨年は、自身の体力の衰弱を思い知らされた年だった。もう、子供のサッカーコーチでも、ゲームの中に入れないどころか、キーパーさえおぼつかない。持久力は回復してきているのだが、息があがらなくても、筋肉がついていっていない。無理してやって、たとえその練習中は無事のりきれても、夜寝床に入ると、突然両足がつりだして、にっちもさっちもいかなくなってしまう。そんなやばいという恐怖感を何度か味わうと、もう怖くて参加できなくなるのだった。まだなお40代の私でさえこんななのだから、60歳を過ぎた親方や団塊世代の職人さんはどうなんだろう、と考える。弱音は吐かない人たちだ。たまに仕事にでてくるような親方でさえ去年、神社の椎の木をチェンソーで伐採するにあたっては、枝おろしは私がやったけれど、最後は自分で仕上げていった。怪訝におもっていたのだが、年末の仕事納めの飲み会の席で、神社の木を切ると縁起がわるいことが起きるといわれているから俺がやったんだ、死ぬのなら、まだ俺の方がいいだろう、しかし、こうやってまだ生きているところをみると、まだ呼ばれてないんだな、やることがあるんだろう。俺は、そういう仕事を金のために引き受けてきた。困った客がいて、その人がきちんとそれにみあった額を用意してくれるのなら、やってやる。何もおきやしねえよ。手入れしているでかく育った樹を切る場合は祝詞をあげて、実生で生えてきたやっかいな雑木は平気で抜いていく。それで、何か起きたか? おかしくないか? みんな同じじゃないか。……これは、神を信じているということなのか? 無神論なのか? しかし、職人の仕事で身につけられる超越的感覚とはこのようなものである。私自身、いつしかそんな考えが身についている。経験を積む老年期に近づくにつれ、死ぬかもという危険にともなう恐怖感は遠のいていく。慣れてきたのではない。体力の衰弱が、細胞のたくさんの死が、そう身体をこわばらせることを面倒というか、厭うのである。これは、死を身近に親しむようになった、哲学なのだろうか?

「しかしならば」、と私は正月の寝床で考えた。自分が青年期に経験してきた、あの死の想い、自殺という想念の現実はなんであったのだろうか? あれは、こんな静かなものではなかった。激しいものだった。私は、考えをすすめる。老いは、死に近づくのではなく、死を忘れさせようとしているのではないだろうか? 赤ん坊だろうが、死をまだ知らない子供だろうが、元気な人だろうが、それはすぐ自分の横に、いつでもくっついている。いつそっちの世界にいくのか、誰もしらない、そんな世界がすぐ隣に横たわっている。……そう考えにいたったとき、私は、今年はどうも記憶に残しておく必要もない初夢でおわったのだな、となおさら頭の向こうにおいやっていた今年の初夢を、夜半に起きてトイレにいくさい思い出そうとしてなかなかおもいだせなかったその断片に思い当った。私は、小石の堆積した川辺で、かつて少年期の野球友達や、いま息子と一緒に教えている子供たちと、サッカーをしていた。別にサッカーボールがあるわけではなく、ポジションについているわけでもなく、ただ集まっているだけなのだが、私はそれをサッカーと認識していた。思い出せたただそれだけの夢の跡。が、それは川べりだった。トイレで小便をしながら、私は、その川が氾濫し、洪水になるつづきが、なぜ夢の中ではおきなかったのか、その続きをみれなかったのか、と考えなかったろうか? 私は、現実的には、その妄想を小便として水に流せる健全さを保っている。が、夢の中では、青年期の頃みた夢の表象の反復が、川として、水として、相変わらず潜伏・潜在していたのだった。私の、この老いにおける健全さが、忘れさせてくれているだけだ。あの死は、のっぺりと横たわっている死の世界は、私のなかに、隣に、いつでも準備されてある。……

死への想像は、人を宗教的な、すなわち守銭奴的な経済活動へと熱狂させもするだろう。そうしたことすべてを、老いによる衰弱は、細胞の死の群れが、忘れさせていく、かかずらわないようにしむけていく……つまりは、それに抵抗する実践をもしりぞけ、静かな哲学に埋没させるように。そこには、何か自然の、身体の智慧があるのかもしれない。が、その、老いと死は別物だとは、考えてみれば歴然とした区別ではないか? さらに、、その区別を混同して、何もしないできないと自然な境地へと身を任せることは、人間の倫理として、果たしていいことなのかどうか?

偉大な思想家は、60歳をすぎた死を前にするようになって、突然的にそれまでの理論を切断し、決定的な差異を導入し転回する、という意見がある。人間の精神を問題にした、フロイトがその一人であるといわれる。そのとき、彼が根底に導入したのが、タナトゥスという死の衝動だった。その激しさは、むしろ若いうちにこそ、くる。「目覚めろ!」と、私の青年期が、老年の近づいた中年の私に叱咤しているようだ。むろんそれは、初夢からくるのではなくて、それを分析している考える自分からくるのである。

2014年12月16日火曜日

選挙結果からおもうこと

「微積分は,時間と運動と変化にかんするゼノンのパラドックスとともに始まった。なかでも有名なのは「アキレスと亀」という名で知られているパラドックスだ。偉大な戦士アキレスとちっぽけな亀がかけっこをすることになった。亀はハンデをもらい、いくらか前方からスタートする。アキレスが亀のスタート地点に着くまでに、亀はのろのろとほんの少し先へ進んでいる。アキレスがそこに着くまでに、亀はもう少しだけ先に進んでいる。アキレスがそこに着くまでに、亀はもう少しだけ先に進んでいるので、やはりアキレスをリードしている。このように、いくら俊足のアキレスでものろまの亀には決して追いつかない。常識はこれに反しているので、ゼノンは常識のほうがまちがっていると結論した。変化は幻想にすぎない、信ずるべきは自分の頭脳であり、他のものを信じてはならない、と。
 ほとんどの数学者はこれについて、ゼノンは無限級数について混乱していたんだよ、と言うだろう。今では誰もが微積分を知っているので、もはやゼノンに出番はないように思われる。それでもぼくは、彼が何に頭を悩ませていたのか、なんとなくわかるような気がするのだ。ジョフとやりとりした古い手紙を順番に読んでいると、過去が現在に追いついてくる、歳月が背後から駆け足で迫ってくるという痛烈な感覚に襲われる。ジョフとぼくは亀のようにのろのろ動く現在にいて、早足の時間から追いかけられているのだ。」(『ふたりの微積分』 スティーヴン・ストロガック著・南條郁子訳 岩波書店)

なんとも微妙な結果なようにみえる。今回の選挙結果のことである。300を優に超えると騒がれた自民党は、以前より3議席減らして快勝と豪語でき、同時に民主も議席は増やしたが党首落選、共産党が躍進と湛えられる。アベノミクスがどうのこうのというよりも、安倍政権への批判は、その右翼的な、翼賛体制的なものへの現実化路線が危惧されてくるから、というのが左翼的な立場のひとたちの主張だったことをおもえば、結果はその思想立場の分裂そのままの反映として、わかりやすいものだ。しかし、アメリカの言う事もきかずに平気で靖国参拝して、つまりヒトラーの墓参りをしたようなものなのだから、そういう人が国際社会で「積極的平和」を訴えても、口先だけのこととして相手にされないのは当たり前だから、安倍の経済政策など国際的に孤立するか利用されるだけが落ちというのも政治的に明白なのだから、アベと名付けられる政治経済策への批判自体が、現実的になってくるともおもわれない。おそらく、失脚させられる、とする知見のほうが当たってくるだろうと私も予測する。が、そんな人の政権を、国民がまたもや支持してしまったような結果になってしまった、というところに、だから微妙なものがかかわってくることになる。(だからそう簡単には、諸外国勢力もつぶせはしないだろう。)以上の当為からして、国民は、安倍の経済策や政治を支持してしまうことにならないからだ。それは、世界では意味をもてないのである。ならば、何が支持された結果になるのか? 強いて言えば、自民党を支持した、その昔からの支持層が反復された、ということにはなるかもしれない。それは自民党の選挙戦略、無党派層を取り込むとかではなく、地元の基盤を固める路線として意識されたものでもあったろう。だから論理的に整合していえば、安倍の顔が象徴するような自民党がもう一度反復された、というようなことになろう。どんな顔か? 単純に、それは二世だの三世だのの、世間知らずであるがゆえに純粋に血統物語を体現しているような面相、ということだろう。群馬で「ユウコちゃん」が圧勝したようなのが、国民の指示内容なのだ。その支持者は、自分が外の世界からだまされていることを承知しているはずである。むしろそれゆえに、その不安ゆえに、なおさら強固に支持して自我を持ちこたえさすのだろう。それは、オレオレ詐欺の被害者に似ている。だまされたくもあるのだから。そんなじいさんばあさんに、真実を語る左翼言説が、実践的になりうるだろうか? なりうるわけがないだろう、というのが今回の結果である。私も、ファシズムを防げ、みたいなのは、お互いの仲間内では確認事項としていいとしても、それをそのままだしてすましていられるナイーブさ自体が、2世3世と同じだろうとおもわれた。そんな左右の絡み合いが、結果の微妙さ、真偽不確かさをうみだしている。安倍(日本)のファシズムは、世界が防ぐだろう。まえみたいに。しかしそんな以前の結果を期待して、共産党に入れたわけではないだろう。日本人が日本からファシズム反対しても、世界では意味をもてないのは、安倍を支持する人の側と同じである。逆に言えば、支持者・非支持者の意図に反して、世界を、つまりは詐欺にあってもいいよ、ということを意味=支持させられてしまう。インテリの普遍的立場として、そのネットワークの確認として、不変的なことを反復する必要もあるのかもしれないが、それは「ことば」(=思想)ではないだろう。人の心に届かないのだから。人を、動かせないのだから。

では、どんなことばなら届くのか? 少なくとも、警察や銀行の窓口では、じいさんばあさんが詐欺にあわないように、いろいろノウハウが積み立てられてはいるだろう。もちろん、じいさんばあさん相手だけの話ではない。若い人にだって、どうその心に言葉をとどけられるのか、実践的には難しいだろう。徴兵されるぞ、という言葉が真実だとしても、ゆえにだからこそ、反発したくなるだろう。

サッカー界でも、世界で勝てない事態から、Jリーグのなかに、マンUやバイエルンをまねて、常勝するチームを作って軸をもたせたほうがいいのではないか、という意見がでている。前回のブログの続きでいえば、息子のサッカーチームのコーチ会でも、ブラジル帰りのコーチはその話に言及していた。しかし日本では、そういう方針の意図に反して、かつてのV9時代の読売巨人軍の茶番劇的な反復になってしまうだろう。つまり、世界的な意味をもてないのである。その自覚ゆえに、<それ>を追い出して、Jリーグがはじまったのではなかったか? 今負けていることに、何が不安なのだろう? 子供たちは、そうやって勝っていくことを、本当に望んでいるだろうか? 私のみるかぎり、彼らは、やはり仲間とともに勝ち、負けたいのである。だから、詐欺にあうことも辞さないのだ。仲間が死んで、自分が生き残れば、負い目をおうのである。そして、それが人間の存在条件にあるとしたら? というのが、ハイデガーからアガンベンにいくような洞察の哲学が証明してみせていることではないか? 自民党を支持した国民をアホだとみくびるものは、実は、自分が人間から見捨てられているのである。自分が支持者でもあってしまうことを、忘れていられるのである。

2014年11月25日火曜日

ホーム、ということ


「日本では巧い選手がプロになるが、スペインではサッカーを知っている選手であれば巧くなくともプロになる」(『フットボール批評 2014.02』「サッカーを知らない日本人」)

結局、女房は入院し、息子は新宿区のサッカー代表チームへの選出が決まった。朝練習もあるので、朝ごはん作りに弁当、洗濯と忙しくなるが、頭の中での段取り作りは職業がら慣れているので、週末の練習試合に夕刻6時に帰宅でも、七時半には、風呂洗濯炊事朝弁当への仕出しと、すべてを終えて寝床に入っている。試合では私自身が主審もやったりするので、足が棒になってつる寸前、体を横にする必要があるのだ。息子の一希も、代表コーチからサッカー以外の躾けをいわれていることもあるが、いま家庭がどういう事態になっているのか理解しているのだろう、洗濯や風呂焚きを手伝ってくれる。練習量が増えて、5年生になってからの太り気味の体格が直ってくるかとおもいきや、腹が減って余計に食べるぶん、なおさらメタボのようになってしまった。
それでも、新チーム結成当初は、サブプレーヤー扱いだったが、足の速いサイドブレーヤーが腹痛で控えにまわって代わりにでたさい、きっちりと得点を決めゲームメイクのできるセンスをみせたからか、それ以来先発陣として起用されはじめている。ベンチでは、父兄たちから「応援団長」ともよばれていた性格がプレーヤーとしても発揮されて、一希がフィールドに入るとゲームが活気づき泥臭くなる、ゴールへむかってどんな道筋を開拓していけばいいのかが見えてくるようになる。それまでは、運動能力の高いいい子たちのパス回し、きれいなサッカーに終始ししてしまうという印象で、なんだか日本代表のサッカーのひな形をみているような感じだった。そしてこういう傾向は、他のそれなりの実力のあるチームにはみられるものであるようにおもう。

では、なぜなのか?

私がパパコーチとして手伝っているコーチ陣の飲み会でも話がでたことなのだが、やはり基本的な方針として、勝ちを目指すチーム作りか、育成を重視するチーム作りか、という論点の裏にその原因がみえてくるのではないか、と私は推論している。青年時にブラジルへのサッカー留学もしたことのあるコーチの主張は、やる気のある上手な子の先発陣の固定化で戦うべき、というもの。しかし、それでも勝てるわけではないのだから、本当に勝ちたいのなら、現時点でやる気がなさそうでも、またへたくそでも、その子たちを含めて全員の底上げを目指して采配をふるうべきだ、というのが私の意見。もちろん、全員を平等な時間試合にださせてといった、形式的なやり方ではなく、その底上げの中には、あえて今は出さない、あるいは逆に、下手でも乗ってきている練習があるからあえて先発で起用する、とかいった、コーチの洞察とチーム構築に向けた手腕によって、その実践の具体処置がかわるけれど、と。「そうできればいいですけどね。」と、ブラジル帰りのコーチはいう。「まあ野球でもなんでも、いまはエリート教育ですよね。才能のある子を優先させる。だけど、そうやってきて、日本代表のユースチームとか、世界で勝ててますか?」と私。「う~ん、それが勝ててないんだよなあ」……そのコーチがいうのは、サッカーは結局はネイマールなんだという。個人の力なんだという。「だけど、ヨーロッパの有名チームのコーチが日本にきて、小学生年代のサッカーをみていうのは、テクニックがあるけど、戦術的理解がない、と指摘しますよね。ということは……」「いや、戦術は中学生からでも教えられる。」――そう突っ込まれて、サッカーをやってなかった私は考え込み、そこでの話はそのまま尻切れトンボになってしまったのだった。

改めてここで、私がいいたかったことを整理してみると、こういうことだ。

日本人は世界的にみて、テクニックはある、なのになぜ、その日本人からメッシやネイマールのような個人技に秀でた選手が出てこないのか? それは矛盾した事態ではないか? 私の推論では、それは、日本人が、まだサッカーを知らないからだ。私がやっていた野球で、野球を知っているとは、<捕れて(止めて)、投げれる(蹴れる)>といった個人テクニックのレベルにおいて現れ見えてくるのではない。それは、抜け目ない走塁にうかがわれてくるのだ。強いチームとやっていやなのは、ランナーを塁にだすと、もう気を許せなくなるので、そのプレッシャーに耐えられなくなってミスを誘発されてしまう、ということなのだ。プロ野球日本代表チームがかかげる「スモールベースボール」とは、そういうことだろう。サッカーには、その知っていることからくる抜け目なさ、がない。それが、今回のワールドカップでも、代表チームの必死さのなさ、とみえてきてしまう。きれいにやろうとしているようにみえてしまう。しかし、では、この抜け目ない必死さをうみだしているもの、そのメンタルの強さをうみだしているものとはなにか? 私の推論では、それは、<ホーム>という意識・無意識なのだ。それは、国家という抽象的なものではなくて、具体的に誰それのため、という顔のみえる意識、想いである。ヨーロッパのクラブチームでは、強豪でも、小学生年代では、地元の子以外を入部させない。単に、勝てばいい、という方針でやっているのではない。メッシでも、バルサに入れたのは、中学生からだった。いま日本人の小学生の子供が入っているけれど、それはおそらく、母親かだれかがスペインに同居できて、子供のホームシックが防げると了解しているからだろう。小学生年代で、このホーム、心のよりどころをしっかりと身につけさせないと、結局はシビアな試合になればなるほど力を発揮できないで、ミスに負けてしまうチームや選手になってしまう、ということではないだろうか? ヨーロッパには、そうした人間的ノウハウが、歴史的に蓄積されているのではないだろうか? しかしいま日本の子どもたちは、その時点で上手な子ほど、親のいわれるがままに、まるでプロ選手のように、強いチームへと移動・移籍していく。私たちのチームにいた〇〇くんも、いまはそうやって埼玉の強豪チームに自動車で1時間かけて通っているけれど、それでも、地元のサッカー大会に暇があれば友達の応援にかけつけてくれるのは、やはり、淋しいからではないのか? 私のいまのこの考えは、その子のどこか淋しげな様子をみて洞察されてきたものなのである。目先の結果(利益)だけを求めて、移転先をさがす、これは、資本主義の論理そのものだ。が、ヨーロッパは、それではだめだと、その主義思想を生み出した文化国家だけに、知っているのではないか? バルセロナのパスサッカーは、バルセロナに建設中の、ガウディのサグラダ・ファミリアと結びついていないか? 百年過ぎても、その理念、目標、ゴールへ向けてなお建築中なのだ。それは、たとえ負けつづけても、自分たちのポゼッション・サッカーをやめなかった精神と結びついている。それが、今回のブラジル・ワールドカップで負けると、日本は今度はカウンター・サッカーだとなるのだろうか? かつての、全体主義から民主主義へと早変わりしたように。そんな目先の結果追求のために、日本人の、ホームという意識・無意識が、崩れていってしまっているのではないか? そんな子供たちに、日本人に、危機をはねのけていかせる底力が発揮できるだろうか? 若い年代にゆくほど、サッカー日本代表チームがうまくても勝てないひ弱さをみせているのは、そのためではないのか?

2014年10月21日火曜日

女房の病気

「この事件で、当然のこながら、私の自宅がガサ入れ(家宅捜索)された。家には、妻と子供がいた。妻は、早稲田大学在学中に知り合った民青の女性で、秋田県横手出身のお嬢さんであった。要するに、私は、マドンナ系の女と結婚していたわけである。良家の子女として育ってきた、このマドンナには、夫が恐喝や詐欺の容疑を受けて家宅捜索されるなんて、許しがたいことだったのだ。彼女は、私の母親にかみついた。
「なぜ私たち家族にこんな迷惑をかけるようなことをするんですか」
「それが学の仕事や。パクられて、どうふるまうか、みんな見ている。どういう男か試されているんや。支えてやらにゃならん」
「家族を守れないで、何が男ですか」
 妻と母親は、まったくかみあわなかった。
 この妻の対応こそが市民社会の「つれなさ」を示すものであった。
「清く、正しく、美しく」を押し通して、私のような者を見捨てていく薄情な市民社会の心性、「濁って、まちがいだらけで、汚く」見えるけれど、情の濃やかな共同体の心性――そのどちらを取るか、という選択を私は迫られることになったのである。
 私はいったん、市民社会のほうを取って、そこから社会を変革することで、共同体を救い出そうとした。しかし、それができない相談だったことを悟ったのである。どちらかを取らなければならない。私は、市民社会を捨てて、共同体を取った。このあと、寺村建産倒産後に、妻とは離婚し、裏社会に潜ることになったのである。(宮崎学著『突破者外伝』 祥伝社)

女房の病気が再発した。潰瘍性大腸炎とかいう、難病指定の病気だ。だからこの病気の場合、「再発」というのではなく、「再燃」というのだそうだ。かつて安倍総理がこの病気になって、辞任することになった。下血とウンチがとまらなくなるような症状らしい。薬で抑え込むことができるようだが、治すことは無理だということだ。女房がその病気を発症させたのが安倍がやめるちょっと前だったので、今回も、そのうち安倍総理が「再燃」して、辞任するようになるのではないか、と勘繰ったりしている。同時に、私の身の回りに、どんな事態が呼び寄せられているのか、と。
そう憂慮していたところで、今度は私がスズメバチにさされた。もはや家主のいなくなった家の庭の手入れで、二階屋根にまでのびひろがったツタを下からひっぱってとっていたときだ。そのツタに巣を作っていたのだ。おそらく、ひと抜き目で地面に落としていたのだが、ツタがかぶさって、ハチのほうもそうすぐには脱出できなかったのだろう。ツタを引っ張ると頭上からの落葉がひどいので、私はヘルメットをとりにもどった。フェンスと家の壁との狭い隙間に再びもぐりこんだとき、地鳴りのような音がきこえる。水道管が破裂しているのか、地下鉄の音がここまで聞こえるのかな、とか疑心暗鬼になりながらも作業をつづけて、突如、それは来た。おそらく、心のどこかではスズメバチかもしれない、とこの季節の用心としておもっていたのだろう、姿を一匹もみずとも、わあ~っと幽霊かなにかに襲われるような感覚に、「ぎゃあ!」とか悲鳴をあげて咄嗟にフェンスをベリーロールで飛び越え道路に転がり落ちるようして走る。目の前を一匹おそってくるので、やっぱりそうか、とおもいながらも、すぐ後ろを追いかけてきているような気配がするので、振り返りもせずに、そのまま20メートル近くをダッシュ。足をとめたところで、目の上、眉毛のへんが熱いことにきづく。一発さされたな、だけどそれだけですんだか、と安堵しながら、作業していた場所へもどってみると、屋根の上にいた職人さんのほうへ、積乱雲がもくもくと高くなっていくように、スズメバチの群れが飛び交っているのだった。危うく、巣をヘディングするところだったかとおもうと、ぞっとする。結局その日、親方も二発、もう一人の職人さんも一発、さされたのだった。

そのもう一人の職人さん、団塊世代の生まれで、私が木から落ちて入院している間に、腰痛の悪化で仕事をやめたような形になっていたのだった。仕事が暇にもなってきたので、親方が、ではこのさいに、と手術を受けさせたら、他の体調もふくめ、悪化してしまったのだった。またもともと、団塊世代より少し若い親方と職人さんには、いろいろ確執もあったかもしれない。が、とりあえず体調の安定した職人さんが、シルバー人材で働きだしたことを知って、親方が声をかけたのだ。おそらく、これまで30年以上と一緒に仕事をして、番頭としてただひとり育ててきた職人を、そのまま暗黙に首を切ったようなつれないままの関係で自身の生涯が終わってしまうことに、死んでも死にきれない、というおもいだったのかもしれない。また、2児の父親になった自身の息子に、金銭的な合理的な理由だけではなく、不合理でも人間的な関係こそを重視するのが職人の世界の筋なのだ、ということを教育してみせたかったのかもしれない。もちろん、そうは昔のように忙しくなく、かといって若い衆が自分の息子との関係で根付いてもくれないので、自分の付き合いで育てた老体が週四日で働いてくれる程度が、いまの経営規模ではちょうどいい、とかも折込済みの暗黙判断だったかもしれない。

その団塊世代の職人さんのほうには、1児の父になる息子がいる。以前は、親方の息子とともに、またお互いが中卒でこの世界に入って来た者同士として、働いていた。結婚をさかいに、女房のほうの実家近くの植木屋へ転職したのである。がいまは、その生産中心の植木屋から、高木専門の空師のもとについて一緒に仕事をしているという。植木生産の現場は、ゼネコンの現場への搬出などが多く、朝が早いなど労働条件が過酷で、ひとり、またひとりとやめていって、女房の父親のツテではいった自分だけが残っていたのだが、とうとうやめることになったのだという。しかし、空師仕事とは……親は、自分の息子がそんな日々の危険と向いあう仕事についていることに、どうおもうのだろう? 気が気でないのでは……。だけど、腹はすわっているはずだ、腹をくくっているはずだ、すでに、自分もそうなのだから。そうあってきたのだから。

植木職人の世界にいるとはそういうことであり、そういうところから、女房の子ども教育を牽制し、サッカーをめぐっての、世の中をめぐっての発言をしている、夫婦喧嘩をしている、そのことが、良家のお嬢さんたる女房にわかっているだろうか? 自分がどこにいるのか、誰と結婚しているのか、そのことがわからないで「清く、正しく、美しい」文句を並べることなど、単にイデイロギーにしかならず、論理(筋)にはならないのである。

2014年9月25日木曜日

三つの著作から―――<山城むつみ『小林秀雄とその戦争の時』(新潮社)、柄谷行人『帝国の構造』(青土社)、すが秀実『天皇制の隠語』(航思社)>

最近ようやく、注目する批評家の三著作を読み終えた。山城むつみ氏の『小林秀雄とその戦争の時』(新潮社)、柄谷行人氏の『帝国の構造』(青土社)、すが秀美氏の『天皇制の隠語』(航思社)である。三者三様ともいえるが、前二者の在り方をすが氏が批判的に相対化して時代言説の布置に位置付ける、という構図にもみえる。しかしそれらの関係を私なりの言葉で整理するのにはなにか困難を覚えている。今日は、雨ということで(降っていないのだが…)仕事も休みなので、時間があり、試みてみよう。ただそのまえに、この読書前に友人にあてたメールを引用することで、自分の問題意識がどこにあるのか、忘れないようにしておこう。読書世界のパズルに巻き込まれると、なんで読書などするのか、という動機自体を見失って、いわば象牙の塔にこもってしまう、バーチャルな世界と現実とを混同してしまうことになりかねないので。

――メール引用――

<ちょうどいま、山城氏の近著『小林秀雄とその戦争の時  「ドストエフスキーの文学」の空白』を読み終えて、これから柄谷氏の『帝国の構造』を読もうかな、というところです。
山城氏の叙述や視点は、やはり私には身につまされます。が、時事的に、柄谷氏の『帝国』と同時に読みたく、あるいは書評することで、現在の頭の混乱を整理したくなりました。

なんといっても、「イスラム国」と名乗る現実がでてき、その言葉がマスメディアにもでてくると、そういう構造認識は20年以上もまえからあったとはいえ、自分が何時代に居始めたのか、混乱してきます。そしてその地では、この地で異常といえる残虐さが日常になっていることを、メディアを通して知る 、そのことの媒介的、まだ距離のある混乱と、山城氏のいう、その地での異常がこの地での日常と同列的だとする緻密な論証の助けをかりて、この地もが、その地のような異常が日常となってくるまえに、つまり本当の混乱が、直の思考不能(空白)がくるまえに、考えておきたい、混乱を整理しておきたい……お昼のワイドショーでは、団地で少年たちのたまり場になっていた家庭での少女殺人事件が異常ともてはやされていますが、私も夏休みまえだったか、またもや漢字を覚えない一希に女房が偏執的な暴力をふるうものだから、割って入って首しめていまたが、途中でふとばかばかしくなって、というかそういう観念に襲われてやめましたが、そういうこの地での日常での異常と、その地での異常的な日常が 、同じであるとはわかってしまう……私が殺さなかったのは、殺してしまった場合のと同じ「一つの眼差し」によるといえば、まさに山城氏の、あるいは小林秀雄のドストエフスキー(ラスコーリニコフ)論考になってき、「イスラム国」よりもまえに「大東亜」と騒がした時代をわれわれが通過して9条があるなら、ととれば、山城氏の微分的な著作と、柄谷氏の積分的な著作は重なってくるだろうと。

いったいどうなるのでしょうね? 夫婦喧嘩は子供の勉強をめぐってしかおきないのですが(そしておそらく、これは一般性をもってくると、サッカー部の父兄をみてても推察されてくるのですが)、そんなことで殺人事件などおきたら、ほんとにばかばかしいのですが、このばかばかしい一 点に、何か諸関係の問題が集約しているところがあるのだとおもいます。喧嘩するたびに認識が深まって互いの理解がよくなって落ち着くのならいいのでしょうが、そうはならないことが予測できる。差別的にいえば、相手側が女だからということになる。結果が、つまり子供の成績や就職といった結果だけが、喧嘩を消滅させる。私が一希はもう新宿代表に内定している、みたいな情報をもらしたことで、女房は態度急変する。現体制からの子供の将来が不安だから、現にある勉強にしがみついているような。私は、自分がろくに受験勉強もせずに、早稲田に受かったときの母親の表情を思い出します。女房はその母親をまえに、帰省中、おもわせぶりなように一希に漢字勉強させ、できないとひっぱたきはじめる のですが、今のやさしくなった老人をみて、勘違いして、私の家庭体制(価値観の出自)に抵抗した気になるようです。まさに、そのように私も勉強させられ、その母への対抗として今の私の軌跡があるのに。私がばかばかしくなるのは、すでにかつて、母(女房)に勝ってしまっている(母殺しをする小説を書いたことがある)、家を出て違うところへいってしまっている、そういう自己認識があるからかもしれません。

ながくなってしまいましたが、私生活も時代も何かが具体的に反復しはじめたようです。しかし反復の認識や知識があっても、どうしょもなかった、というのが、小林のいう「歴史の必然」ということなのですね。>

*****     *****     *****     *****

現今の市民社会運動の限界的な陥没(いかがわしさ)を、今なお暗黙に日本の思想界に支配的な批評家・小林秀雄の言説の変遷を参照にして緻密に推理論証してみせるスガ氏は、柄谷氏の思考の枠組みにも、かつて小林秀雄が依拠したいわゆる「講座派」的な軸が挿入されていると指摘するわけだから、山城氏が肯定的に、小林(柄谷)氏と社会(戦争)との関わりをこれまた緻密に読解してみせるその論証とは、対立的な趣向になるだろう。山城氏自身は、いわゆる現今の、たとえば護憲(9条守れ)のような市民社会運動に、そのままで首肯しているどころではないとは明確なのだが、その明察さは、氏が小林(柄谷)氏の論考を、より内向的に徹底的に読み込むことからきている。となると、この山城氏の内部における差異は、スガ氏が小林氏と柄谷氏の間に見て取ろうとする、あるいは期待する「切断」線と似てくるような気がする。

<より端的に言えば、小林は社会理論としての唯物史観は認めながらも、それが自意識の「内面論理」たりえないことに批判を向けているわけである。ここから、一見トリッキーと見なされた「マルクスの悟達」(一九三一)という視点が出てくることは見やすい。マルクスは、あえて「内面論理」の問題を切り捨てて、人間の「生き生きした社会関係」についての歴史理論を構築することにのみ専念した。これが「悟達」なのである。小林がマルクスに満足せず、ベルクソンに親近した理由も、ここにある。
 しかし、この程度のことであったら、何も今さら問題にするには及ばない。それは、せいぜい社会理論に対して私的な内面を対置するということに過ぎないからである。問題は、一見するとありふれた二項対立に過ぎないことが、小林にあっては、徐々に解消され、リンクしていくということである。>(前掲書「2 小林秀雄における講座派的文学史の誕生」)

そして柄谷氏には、氏の論理に内在する講座派と労農派との複線を認めたうえで、こう言葉を投げる。

<言うまでもなく、「新しい社会運動」の限界は、それが新自由主義の「政治」に抗する政治性を提示できないところにある。そのことも安倍政権の誕生以降、明らかになりつつある。市民社会論に寄り添いながらも、それを切断してきた柄谷の「政治哲学」は、『哲学の起源』以降、どのような展開を見せるのだろうか。>(同書「市民社会とイソノミア」)

このように予期される「切断」とは、宇野理論の「逆説的」な読みによる反復と捉えられているものだろう。科学(マルクス)が「革命の必然」を論証できないと宇野経済学(科学=社会理論)が言うのなら、その社会科学が依拠し、しようとしている市民社会への根拠づけからの解放(「切断」)である。無根拠な切断の理由(根拠)を、科学(理論)から与えられて解放されるというのだから、またずいぶんとエリート的だな、と私などはおもうのだが、この理論づけ(思考過程、密度)がないと、恐らくはロマン主義の機会原因論的な動機に近傍してしまうのだろう。だからあくまで、この無根拠な、市民社会からの乖離を科学的に気にする必要もない、単独的な運動(実践)への飛躍ということなのだ。
ならば、スガ氏の上引用の一文は、次のように言いかえられるだろうか? ――<問題は、一見するとありふれた二項対立に過ぎないことが、柄谷にあっては、切断され、リンクしていくということである。>

私の上のような読みの文脈にあっては、ゆえに山城氏の小林秀雄読解は、この「切断」と「リンク(接続)」を、より丁寧に顕微していっていることにある。そして、その山城氏の読みは、あきらかに初期柄谷氏の、いわば「切断」線にこだわった氏の思考力を自家薬籠中のものにして手離さず、さらに徹底化していることにあるとおもわれる。同書の武田泰淳論なども、柄谷氏がかつて論じた視点をより緻密に説明してくれているようなところがある。柄谷氏の直観的な言い方が、山城氏によって補足追求されるといった関係だ。となれば、スガ氏の小林秀雄に対する論究は、その小林の言表を、柄谷氏の切断線方向で敷衍化していった山城氏の論究と接続されていることになる。つまり、媒介する柄谷行人という思考の在り方自体が、二人の関係を切断しかつ「リンク」させていることになる。それが、スガ―柄谷―山城、という三者三様の関係の中身ということになるだろうか? 図式的に言いかえるとこうなる、<スガ=社会(運動の在り方)批判>――<柄谷=社会/内面>――<山城=内面(運動への動機)批判>

では、もっと具体的に、その関係間の切断と接続とはなにか?

山城氏にとっての「社会」とは、この著作では、「そこ」という言葉になる。いわば、まずは日本海の向こう、大陸における対岸の火事的な戦争の有様、異常時のことである。切断とは、そう他人事と世間では受容されてしまう「そこ」との関係、いわば通念的な社会関係からの切断である。むろん、この関係自体は、実はもっと一般的な話であって、別段戦争のようなわかりやすい異常でなくともいい、というか、むしろ日常的な「ここ」においてある関係が、小林の戦争体験によって露見されたということである。山城氏は、その通念的な「そこ」と「ここ」との社会関係を、次のように内的にえぐってみせる。

<……なぜなら、「そこ」にいた旅行者、小林秀雄の目を瞠らせた真に「恐ろしい」ものはその「ど強い」現実そのものではなかったからである。
 戦時下の検閲が戦後に解除され「ど強い」現実が赤裸々に見えるようになっても、それを包んでいた恐ろしい「空気」が見えるわけではない。おそらく、その「空気」は、当時、かりに検閲がなかったとしても、つまり「ど強い」現実がかりに報道に露出していたとしても、「ここ」にいるかぎり、見えなかっただろう。それはそこの「ここ」が「ここ」しかない「ここ」だからだ。「そこ」があっても、それは「ここ」と同一平面上に位置づけられているため、「ここ」の間尺にあった「そこ」でしかないので、結局は「ここ」しかないのだ。そのような「ここ」にいるかぎり、真に「恐ろしい」ものは、検閲されていなくても見えない。言ってみれば、内務省の検閲以前に、たんに、そのような「ここ」にいるというただそれだけのことで生じてしまっている検閲があるのだ。>

だから切断とは、その見えない検閲、通念的な社会関係への認識的な切断、ということになる。見えないものを見る視差の握持である。そしてその視差が、次のような内省を強いる。

<連中は何と異常で「無惨」な行為に走ったことかという視線で彼らを見ているとき、自分はそうはならないということが暗に前提されてしまっている。しかし、そう考えていられるのは、僕らがあくまで「ここ」にいて「ここ」の日常感覚が「そこ」においても延長し、「ここ」のモラルが「そこ」でも連続的に保持し得ると信じ切っているからにすぎない。もし「そこ」が「ここ」の座標を延長した空間にはないのだとしたら、――もし「そこ」が「ここ」とは連続していない、断層のある、別の空間に属しているのだとしたら、――そう信じ切っている僕らが何かの拍子で「そこ」に置かれたとき、強姦・虐殺・放火に走らないという保証はどこにもない。>

つまり社会関係への認識が、犯罪や戦争への加担、巻き込まれを防いでくれるわけではない。おそらく山城氏が、小林のいう「マルクスの悟達」という言葉を引用するなら、事態を防げないがゆえにその実践から解放されて(切断して)社会科学の純化に精を出すというスガ氏のような意味においてでなく、またその真逆で純粋に自分勝手にすればいい、というのでもなく、不純でも生きざる負えない、という文字通りな達観という話においてだろう。だからここから、「反省」などしないで「黙って処す」国民(=小林)議論の是非の視点が発生する。また、この不純さ、切断によって自己に抱え込んだ社会とのかい離を、飛躍(実践)として架橋するかもしれない散(雑)文思想への注目が発生する。


<小林の「見え過ぎる眼」(「徒然草」)は、ひょっとすると、すでに一九三八年、「満蘇国境」にあって戦争の結末を予め知っていたのかもしれない。だが、見え過ぎる程度の眼、予め知っている程度の知が一体、何なのか。たしかに、事後という地平は、事前にはどうしても見えなかったものを易々と見ることを可能にしてくれる。その「利巧」さが、あのときああしていれば、ああもあり得た、こうもあり得たと「反省」を促してやまないのでもある。しかし、「反省」を可能にするこの明視そのものによって見えなくする死角がある。と言って、事前の光学に戻ればそれが見えるようになるわけでもない。事前の視野にはもちろん、事後からの遠近法によってさえ見通すことのできない絶対的な死角がある。事前と事後との間には時間の結び目が断たれる瞬間が必ずあり、誰もがその死角を、見るまえに跳ぶのだ。「何か知らない一線」を踏み越えるのである。予め知っていたことが、かりにすべてそのままに起こったとしても、そこに生じた諸結果の中に立たされれば、予め知っていたとおりのそのままの諸結果が、全く思いもよらぬこととして経験されるほかない。その落差が、無意識というものの実体であり、人間が生きて何かを為す、やってしまうということの意味だ。悲劇はとは、永遠回帰とは、反復する同じもののこの差異の肯定ではないのか。>

やってしまって認識したドストエフスキーは、ロシアを舞台にした小説を書くという実践を反復した。人が「黙って処す」のは、たんに迎合するときだけではない、むしろ苦渋の選択を強いられているときだろう。ドストエフスキーは、この無言の民衆に言葉をあたえようとした(佐藤優氏と沖縄との関係はこれに似ているかもしれない)。山城氏は、そう小林のドストエフスキーを読むがゆえに、さらにこう氏の言葉を抽出するのである。

<つまり、かつてと同様、今もなお、文学者は、いや俺は、「自分」の心の裡に棲んでいる「黙ってゐるもう一人の微妙な現代日本人なるものに」に正確な言葉を与えていない、それを「日本人の思想の創作」として提出していない、「私は、敗戦の悲しみの中でそれを感じて苦しかった」、「私の心は依然として乱れてゐる」と。「文学と自分」の批評家が問題にしているのは、僕らは、国民という、国家の政治単位としてではなく、個として、「戦争放棄の宣言」を定義するような「経験」(森有正)を自分のうちに確実に育てているか、文学者はそれを「日本人の思想の創作」として言語に結晶化させているかということなのだ。「凡ての大思想は、その深い根拠を個人の心の中に持つという事が信じられなければ、それは文学者たる事を信じていない事である」。小林は、一個の文学者として、「戦争放棄の宣言」そのものをではなく、その「深い根拠」の方を自分の「心」に問い、それに匹敵する実質を自分は果たして「日本人の思想の創作」として析出させているのかと自分自身を徹底的に問いつめたのだ。「苦しかった」のは、そして「自分の名状し難い心情を語る言葉に窮した」のは、そのためである。それは、裏を返して言えば、小林は敗戦以後ずっと、より具体的に言えば、日本国憲法公布の日付で『ドストエフスキーの文学』の再開を宣言して以来ずっと、「戦争放棄の宣言」に匹敵する実質を「日本人の思想の創作」として産み落とそうと苦しんで来たということである。たとえば、すでに見た「「罪と罰」について」がそれである。だが、その緻密かつ周到な読解も、最後には作品読解という位相を超えて出てしまっていた。苦しみはまだ続くのである。>

社会を切断してみせた自己は、その認識(悟達)を握持するがゆえに、社会へと自らの内的動機によって接続を模索する。山城氏が見つめているのは、見かけの「リンク」ではなく、あくまで内省的な動機の力なのだ。

*****     *****     *****     *****

山城氏は、この社会を切断した自己から社会への折り返し地点における小林秀雄の引用文を引き合いにだすに際し、前置きとして小林がこのように考えただろう、と推定している。――<「日本は単に文明の遅れた国ではない。長い間西洋と隔絶して、独特の智慧を育てて来た国である」と「日本人或は東洋人独特の智慧」について考えただろう。>
私の以上の文脈において、その「東洋人独特の智慧」として、柄谷氏の『帝国の構造』を導入してみせるのは、行き過ぎだろうか? むろん、柄谷氏の論考においては、亜周辺としての日本と、中心(帝国)としての中国(東洋)の智慧(原理)は理論的に区別されているわけだが、われわれ日本人が、西洋の「神」概念より、中国の「天」の観念にむしろ親しみがあるのは経験的事象・事実なのではないだろうか?(私も、そうした私観を無邪気にブログで書いたおぼえがある。) たとえ、中国の民衆のように革命を起こすわけではないにしても。スガ氏の見立てならば、どちらにせよ、それは言説的に小林秀雄の論理枠組みの反復であり、「日本回帰」の事象と同等な論理必然、カラクリ、ということになるのかもしれない。実際、柄谷氏が柳田国男を引き合いにだしはじめたのだから、なおさらそのスガ氏の見立てを実証しているともいえる。しかしこの『帝国の構造』が、社会を切断した自己からの飛躍的な社会架橋としての実践だとしたらどうだろう。これは「大きな物語」というよりは、おおざっぱな、<雑なる小説>だとしたら? かつて蓮實重彦氏は、柄谷氏を「小説家」だと『闘争のエチカ』として論じてみせた。最近の柄谷氏の言動は、たとえそれが小林以来の批評的布置の反復だとしても、やはりどこか生き生きとした闘争の身振りを、読者に感じさせないだろうか。
私は山城氏のように、「反復する同じもののこの差異の肯定」として、柄谷氏を考えてみたくなるのである。たとえそれが、道化(茶番)してるような身振りにうつろうともである。

黙って処している国民の一人として、苦渋に生きている者として、私は柄谷氏の以下のような文、帝国の原理の下地になるような指摘から考えたくなる。

<「無為」とは、「為」を否定することです。「為」は、いわば力による強制を意味します。どのような力か。一つは呪力による強制であり、いいかえれば、氏族社会の伝統である互酬原理です。もう一つは武力による強制です。これは、氏族社会の崩壊とともに露出したものです。老子1がいう「無為」は、それらのいずれをも斥けるものです。この意味での「無為」は、道家(老荘)だけでなく、儒家にも法家にも共通する態度です。無為とは呪力と武力に頼らないことです。「思想」の力が成り立つのは、そこにおいてです。また、そのかぎりで、思想家が力をもったのです。>

かつて若かりし頃の柄谷氏は、正月のお年玉のやりとりへの違和感を表明し、精神科医が金をとることを評価していた。私も、日常的に、そうした互酬原理に従えない性質なので、人間関係的にはつきあい友達は一人もできない。しかも柄谷氏を読んで意識化してからは、まさに意識的に確認しながら日常を生きることになるので、もらってもお返しをしないということに引け目をかじずに、抜け抜けと明るく超然としている。そんな奴が互酬倫理が厳然と残存する職人世界で20年以上も生き延びているのだから、たいしたものではないか? 今さらになって、商品関係的な冷たい関係よりも、互酬的な温かみのある人間関係のほうがいいのだ、それを高次元で回復するのだ、といわれても、そうは問屋がおろさないのである。
私は、あくまで私の動機において、社会と接続する必要があるのである。