2018年10月28日日曜日

江戸の明るさ/暗さーー「歴史の終わり」をめぐって(3)

「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」(太宰治著『右大臣実朝』)

「長者ニ三代ナシ」と江戸は元禄時代に言われたそうだ。その言葉を名言として受け止めた河内国の酒造業を兼ねた地主の、子孫に残した手記を読み解いて、歴史家の安丸良夫氏は、次のように時代背景を描写する。

〈…民衆自身の主体性において、また一つの民衆運動として、民衆的な諸思想が形成・展開・伝播されたのは、元禄・享保期以後のことであり、それもさしあたっては三都とその周辺からはじまったのである。…略…そして、さらに民衆的な諸思想が農村部でも展開され、日本の民衆がいわば全民族的な規模で思想形成の課題に直面したのは、近世封建社会の危機もようやくふかまった十八世紀末(天明・寛政期)以降であり、とりわけ文化・文政期以来のことであった。…略…したがって私は、天明・寛政期以降を民衆思想史の第二期としたいのであるが、この時代において民衆に思想形成をうながしたのは、どのような諸事情だったろうか。おそらくここでも、商品経済の急速な展開のなかに現実化した没落の危機が、思想形成の決定的な契機だった、といえよう。しかし、没落の危機とはいっても、梅岩の門に集まった富裕な町人たちにとっては、それはまだ油断をすればそうなるかもしれない蓋然性にすぎないのに、尊徳や幽学の直面したのは、現実に惨憺と荒廃した村だった。〉(『日本の近代化と民衆思想』平凡社)

江戸時代のイメージは、ポストモダンの社会を先取りしていたと再解釈されたバブル期の明るいエドから、エコロジー的な技術と思想をもっていた時代へと、ポジティブに受け止められているのが最近だろうか? 高度成長期以前は、封建制に抑圧されていた暗い時代、鬱屈した庶民の社会、といった見方だったようだ。
私には、この落差がまずわからず、いったい実態はどうなのだ? と疑問だった。安丸氏の洞察と考察は、そんな私には示唆的で、説得力がある。

現在の安倍総理から大塚家具騒動まで、そして天皇退位から私のいる植木屋も含めて、戦後の三代目問題の時期にきているようだ。なぜ日本ではそのような傾向になるのかは置いておこう。とにかくも、長い平和な江戸時代は、一枚岩ではなく、三代目で亀裂がはいり、以降は悲惨な一途をたどる。なのになぜ、明るい、とされるのか? しかも、それは後世からの勝手都合な解釈だから、なのでもない。渡辺京二氏の解く「逝きし世の面影」がパースペクティブとして有効であり、子供の誘拐が横行していても、子供の天国であったのも確かな見立てなのだ。この矛盾の実質性を、どう理解したらいいのだろうか?
スーパーボランティアの尾畠さんの出現は、ヒントになった。貯蓄もなく、年金5万で明るく活動している。仇は忘れても恩は忘れない、だの、信念的な言葉を聞いていると、いわば江戸的だ。と、容貌も似ている職場の職人さんが重なってくる。いや、もっと過激か。「宵越しの金は持たぬ」だの「雨と女は職人泣かせ」だの、江戸時代の諺そのものような倫理で生きて来たらしいので、年金も払ってきていない。もう腕上がらず足もよろよろの七十になるが、それでも一線で働き続けなくてはならない。2LDKに夫婦子供3人と母とで寝起きしてきた。女房は糖尿病で目が見えなくなっている。自身も心臓が弱って薬が必要だ。客観的には、悲惨で暗いであろう。が、明るいのだ。近所で手入れしていると、次から次へと声をかけてきて、人気者だということがわかる。(が最近の近所の目は、気の毒というより軽視の感がでてきている。)この心の持ち用は、どうなっているのだろうか?
と、私自身の心を覗いてみれば、想像がつくことに気づくのだった。もうすぐ高校生になる息子と女房の3人で、いまなお川の字になって寝ている。プチブル意識を壊してきた私は気にしてないが、ブルジョア成金育ちの女房は、あがいている。息子の受験につきっきりになるだけでなく、テーブルに肘をつくな、とか、身体のエスタブリッシュメント化を自覚もなく発揮している。父の遺産でなんとかオンボロ団地を脱出しようとしているが、東京の相場ば高く、日雇い年寄りではローンもくめない。

没落が怖いのか? 私は、どうなのだろう? それでも、明るい。アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ?

2018年10月5日金曜日

「歴史の終わり」をめぐって(2)


「また、近年のフェミニズム運動の例を取り上げてもいい。フェミニズムの主張によれば、これまでの歴史の大半は「父系制社会」間の紛争の歴史であったが、もっと和気あいあいとして、慈愛に満ち、平和を好む「母系制」はそれにとって代わる有力な選択肢であるという。母系制社会の実際例が存在しないため、この主張を経験的な事例をふまえて証明することはできない。とはいえ、人間の人格のうちの女性的な面は、解放され得るはずだとするフェミニズム運動家の理解が正しければ、将来において母系制社会が存在する可能性は除外できない。そしてもしそれが実現すれば、いまの時点でわれわれはまだ歴史の終わりに達していなかったことになるのだ。」(『歴史の終わり(下)』フランシス・フクヤマ著・渡部昇一訳 三笠書房)

男たち(父系社会)の「気概」をめぐる戦争がなくなり、サッカー・ワールドカップのような平和的代行でその用がすまされるようになったのは、まさにその社会が完結(歴史の到達)にいたったからだ、というのがフクヤマの論たてだった。しかしそれはあくまで仮設で、「女性的な面」が前面に出てくるような実際が生起してくれば、その限りではない、という留保というか、前提条件があったわけだ。しかし、「女性の識字率」と「出産率」を、歴史の動向(関数)の主要な変数とみなすトッドの家族人類学によれば、むしろ歴史の価値実現としての到達点(目標)たるリベラルな民主主義とは、父系社会的な文明発祥地(ユーラシア中心部あたりに仮設される)での家族形態、共同体家族といったものが、なお伝播されきっていない周辺的な地域での産物なのである。つまりトッドの見立てによれば、共同体家族の現代的衣装である「共産主義」(父系的絶対制)の崩壊とは、歴史の終焉というよりは、挫折なのである。文明化が失敗し、なお野蛮な、文明前の未開的家族形態、いわば核家族的な価値が残存・延命していることを意味するのである。しかもその価値内には、「女性的な面」の重視がある。核家族的な系譜では、父(長男)に家系されていくわけではなく、むしろ末っ子や娘が両親と暮らし続けるという、ある意味無理ない自然性をみせる。そして文明中心地に近いロシアや中国、中東などでも、むろんその原初の核(価値)は残っていると想定されるので、その地において女性が自らを表象する識字能力を獲得し出産を自己制限できるようになったとき、その識字・出産率がある閾値を越えてくるとき、民主主義的な方へ、つまりは未開的な核家族的価値が露呈してくる、と統計的に見立てるのだ。
ヨーロッパ、および日本に顕著な封建制とは、共同体家族的なほど絶対的な父系・父権制ではないが、その伝播途中の中間形態的なものだ、ということになる。イギリス(アメリカ)やフィリピンが、伝播しきれなかった残余、周縁地帯になる。しかしヨーロッパは、あくまでユーラシアと陸続きである。日本でその父系原理が強度をもって伝播されはじめたのは、鎌倉武家政権時代、つまりはモンゴル帝国の影響が考慮されるが、ヨーロッパはその一部が征服され、日本には神風が吹いた。フーコーをはじめとした、いわゆる西洋の文脈でのポスト・モダニストと称されもする思想家たちの試みは、ファシズムへの反省から、父権的な共同体原理を脱構築することにむけられたが、日本では、その文明化が不十分でありそれ以前の地のより強い残存が、むしろ「未完のファシズム」として日本人自身を悲惨に陥れたとして、未開批判の文脈が説得力をもった(宮台の「田吾作」批判など)。
が、共産主義体制の自壊は、西洋による西洋批判の文脈を頓挫させ、未開礼賛(=民主主義礼賛、「歴史は終わった、西洋の、男たちの勝利!」)の風潮を前景化させた。そうした風潮が、プレ・モダンとしての江戸批判を、むしろポスト・モダンな江戸として評価する逆転を後押しする。さらにこの言説文脈と、事実上、第三次大戦にはなっていないという世界の平和的延命が、日本人が日本を批判するという日本の文脈を失効させている。日本がなお未開(プレモダン)だという批判文脈とは、大きくは天皇制批判ということになるが、いまやそんな声は端っ子においやられて気違いとみなされるだけのような雰囲気だ。
そもそもこの変化は、日本の土壌批判に徹してきた柄谷行人が、その土壌を「双系制」(核家族的一変種)と人類学的に捉え直したことが兆候的な転換点だっただろう。それ以来、柄谷自身が「世界史」的な文脈で語りはじめ、その大きな文脈において、憲法9条を江戸の平和へと結びつけるのだ。
最近の流行著書では、國分功一郎が、次のように述べている。

〈…そのとき、インド=ヨーロッパ語には属さない日本語にも中動態として分類されるべき要素が存在し、しかもそれのたどった経緯がインド=ヨーロッパ諸語の場合と同じであったという事実は、現在の人類が手にしている文明ーー新石器文明とでも呼べばよかろうかーーの何らかの核のようなものをほんの少しでも思い描いてみるのに役に立つかもしれない。〉(『中動態の世界』医学書院)

要は、日本の文脈以上に、深い文脈、ディープ・ヒストリーというかビッグ・ヒストリーというのか、いわば人類上の文脈で考察されることが誘導されている。かつてなら、「中動態の世界」とは、「天皇制だ!」と一喝されてしまったかもしれない。が、もっと丁寧に読もう、現実をみよう…私も賛成だ。が、そのことで、日本の文脈が、失われてよいのだろうか?

以上の問題意識をもって、もう一度江戸の世界、パックス・トクガワーナ下での富士講をめぐる庶民の姿勢を再考する。

2018年9月25日火曜日

父の介護から


「…アラブの話である以上、戦争状態が長く続いていた国々だということぐらいは小学生だって知っている。もし知らなかったら、一般常識として会議は紛糾するものだ、ぐらいはわかるだろう。知識として知らなかったとしても体験でわかるはずだ。
 要は、一般常識と体験からイメージするのである。…(略)…原理はそういうことだ。一般常識や体験から類推し、イメージを膨らませることは可能なのである。
そもそもイメージとは、わかりにくいものを即座に理解するためには不可欠なものなのだ。
 もしも、なかなかうまくできないというのであれば、ひとつトレーニング方法をご紹介しよう。
それは喩え話だ。あるもの、ある事象を他人にわかるように一言で喩えることがイメージの訓練となる。自分の仕事の分野の専門知識や専門用語を、一般的な言葉、日常会話で言い換える。
そうすれば、発想は飛躍的に上がってくるだろう。…(略)…数学的思考がどういうものであるか、しっかり理解し、その上で、立体的なイメージが構築できれば、すべてのことがクリアになってくるだろう。
数学的思考はあらゆることを可能にする思考なのである。(苫米地英人著『すべてを可能にする数学脳のつくり方』 ビジネス社)


週末の連休が続いたので、認知および腰椎骨折のため入院していた、父の見舞いおよび介護のために実家へと通った。その間、女房の父親が介護施設で亡くなった。去年の秋には、母親の方が亡くなっていた。私の母の方は、自宅での父の世話から解放されたが、自身の疼痛が激しくなり、歩くのもままならない。退院したら施設からたまには帰宅するだろう父のために、庭をバリアフリー的に車椅子が押せるようコンクリで均したが、飛び石につまずいて骨折してしまうかもしれぬ母のための予防目的の方が大きいだろう。
学生として上京して以来、まともに家には帰っていなかった次男の出現は、当初、疑いをもって見られていただろう。没落していくような家のことはおまえはかまうな、外で生き延びろ、みたいな母のスタンスだったが、ここにきて、実際的な能力をみせている私に対する信頼感が出てきたようだ。家にいる精神障害者の兄は、そうやって家での私の地位が上がっていくことに安堵しているふう。私としては、仕事の合間をみてまめに家を世話している弟のアイデンティティに阻害をきたしたくはない。所詮、どうなろうと、間近な死はどうなるというものではない。もう、親たちは十分生きたはずだ。なお生活を作っていかなくてはならぬ私たちのほうが問題だ。無用な疑心暗鬼、身内争いはいらない。現実は、直視しなくてはならない。作家の高橋源一郎氏は、母親の介護を申し出た際、母親から、逃げたいのだろう、と見破られたそうだ。現実からの逃避ではなく、現実に抵抗し、作っていくために、この現場に関与しなくてはならない。
 
人間50年から、人間100年へ。人がこんなにも長生きする事態に直面したのは、今の老人たちが初めてなようなものだろう。だから、その最後の身の振りにあがくようになっても、仕方がない。一昔まえは、長生きしてしまった者は、自ら食を減らして自然に衰弱死していくよう最期を作っていったそうだし、姨捨山みたいなのも、強制的なバイアスだけではないだろう。老人たち自ら山にグループホームを作って生活し、若い世代は近づけず、一人づつ死ぬに任せていった村の知恵もあったそうな。思想家の西部氏は、そんな伝統を喚起させながら自死の思想を説いて、私にはドストエフスキー『白痴』でのイポリットのような死に方をしたインテリのようにみえるけれど、早とちりな認識、人へのみく びりが前提とされているのではないだろうか?
 
車椅子から、休憩所のソファへ腰掛けたいと立ち上がる父を支えたさい、肩に噛み付いてくる。先週も、医師からの許可もなく介護技術を持っている人が回りにいないときは駄目だよと制したとき腕に噛み付いたように、歯のない口で噛み付いたのか? 今回私は、自分でも支えるくらいはできるだろうと(飲み物を飲ませる際むせさせて、介護師の弟から「素人がやると誤飲性肺炎になるよ」といわれた)、要望に答えたのだが…。「お父さん、なんで噛み付いたんだい?」私が目を大きくして覗き込むと、父はわかったような気をみせた。私が次男のマサキだとわかっているのだろうか? 食べる、歩く、原理的な体の動かし方は消えていないし、新聞の漢字もよめた。母とのじゃんけんは、後だしですべ て勝つ。記憶がなくなったわけではなく、思い出すための回路の複雑さが築けないのだ。細胞のネットワークが、寸断状態になっているのかもしれない。だから、単純な作法に還元し、代用する。叩く、噛み付く、…看護士は、そうした意志表現を、「パニック」という言葉で説明した。そしてそのことを、自身で意識している。だから、あきらめがある。伝えたいことが言えない、やりたいことができない。あちこち首を振って、故郷の風景を確かめる父の表情には、どこか悲しさがある。「もう帰るから」と私がいうと、バイバイと右手をあげて振る。握手しようと手をのばすと、馬鹿力で握り返してき、両手で引っぱるように振り回す。あの時噛み付いたのも、とっさにしがみついて体を支えるための知恵だっ たのかもしれない。そして今、私にしがみついたのも、ふと、自分がもう死んでいく存在であると意識したからか? 握手がすむと、またすぐにベットに背を持たれて、右手を振った。あきらめた、と感じだ。骨折手術後に面会に行ったときは、「お家に帰ろうよ」と何度となく口にしたが、もうそんな言葉は聞かれなかった。
 
私たちや、もっと若い世代には、こんな長生きする時代は来ないだろう。しかしそのときのために、こういう条件下では人はこうなり、そのときのメカニズム、記憶とはなんでどういう原理をもっているのか……身近な材料として考えて、死んでみせ、後世に、若い奴らに伝えろ。少しでも、生き抜くことが、楽になるように祈って。

2018年9月21日金曜日

「歴史の終わり」をめぐって(1)


「脱歴史世界のほとんどのヨーロッパ諸国では、軍備競争に代わってサッカーのワールドカップがナンバーワンめざして奮闘する国家主義者たちのはけ口になっている。コジェーブの目標は、かつて本人が語ったようにローマ帝国の復活、ただし今度は多国籍サッカーチームとしてのローマ帝国の復活にあった。…(略)…戦争という伝統的な戦いが成立しなくなり、物質的繁栄の広がりによって経済競争が不要となった世界では、「気概」に満ちた人々は認知を手に入れるため永遠に満ち足りることのない代償行為を探しはじめているのだ。(『歴史の終わり(下)』フランシス・フクヤマ著/渡辺昇一訳 三笠書房)


「私はその件に関する最終決定者ではないので、あくまで私自身の推測だが、最終決定者は困難なビジネスに敢えて挑戦し、困難と言われるビジネスの中で成功したくなったのだと想像する。自分の力を再確認し、それを世間に示したくなったのだと推測する。それゆえ『ヴィッセル神戸』の筆頭株主になったのだと思う。(「楽天」のこと――引用者註)それが起業家精神というものではないだろうか」
「ただ彼らの『CFG』(プレミア、マンCのこと――引用者註)における投資目的は利益還元のみだとは思えない。彼ら(アブダビ首長国の王子ら――引用者註)を観察して思うことは、対西洋社会に対する自信、自分達こそが新しいサッカービジネスを切り盛りするのだという自信と成果を西洋社会に発信することを目的に投資し続けているのだと思うことがある」(シティー・フットボール・ジャパンの利重孝夫代表の発言『スポーツ哲学入門』島田哲夫著 論争社より)



*私は、島田氏の「スポーツ」を新しく定義していこうという試みには共感できても、その提起された「スポーツ」概念、アスリートに限定することなく他者へと拡張していく(観客や株主等)志向には疑義を感じている。とくに、思考の原理的基礎として導入される「他者」概念に、デリダやレヴィナスが引用されているが、それは端的に誤読であろうとおもう。島田氏のいう他者は、むしろ引用された哲学者らが標的にしてきたヘーゲル的な、一般的な他者になろう。要は、ヘーゲルによって体系化され、コジェーブやフクヤマによって援用されてきた歴史(社会)の原動力とは、女(によって一般表象される他者)をめぐる男同士の戦い(認知)における「気概」なのである。「歴史」が終わったとされ 、たやすく戦争もできなくなった平和な現代においても、その原動力は発動しており、それがサッカー・チームの取得や応援という現状になっているということだ。が、あくまでその原動力とは男性優位な社会において受容されるような仮説である。が、この「気概」をめぐる仮説は、封建制から狩猟社会へと原理論的に遡行して「世界史の構造」を呈示してみせた柄谷行人の論考や、トッドの家族人類学の成果を考慮するとき、一概には否定できない問題を改めて浮き彫りさせてくる。次では、その辺を整理する。

2018年9月14日金曜日

平和条約をまえに

「冒頭でも述べたように、敵国条項とは「敵国認定されている日本が戦争の準備をしていると判断した場合、例外的に安全保障理事会の許可を必要とせず攻撃しても構わない」というものです。
 この条項に照らし合わせれば、たとえば、日本が日米安保を破棄して独自の軍隊をつくる憲法を制定した途端、侵略戦争の準備をしているとみなされ、世界中から袋叩きに遭う可能性もあります。これは何も突飛な死文化した条項ではなく、古くはソ連との北方領土をめぐる交渉から近年の尖閣諸島をめぐる中国との争いまで、実際、事あるごとに外交テーブルの場に持ち出され、譲歩を迫られているのです。…略…唯一、残された道は国連を脱退し、敵国条項が適用されない別な国として再加盟する。つまり、「JAPAN」ではなく「NIPPON」という新たな国として加盟し直すことです。夢物語のように聞こえるかもしれませんが、それくらいしなければ日本が本当の主権国家として独立を果たすことは叶わないのです。」(苫米地英人著『真説・国防論』TAC出版)

プーチンが、また面白いことを言った。まずは無条件で平和条約を結ぼうと。日本にではなく、真意は、トランプに対してなのかもしれない。北朝鮮と、まずは無条件で平和条約を結べる度量はあるかい? と。そして間接的に日本に対し、まずは核保持容認をしての平和、という世界の現実に、あなたがたは、どうスタンスするのか? 耐えられるのかい? と。
私なら、受けて立ちたいところだ。しかし、条件をだす。それが、冒頭引用した、苫米地氏の国連憲章「敵国条項」の撤廃の履行だ。私はこの条項に関しては、大学の一般教養の政治の講義だかで知っていたが、その現実を踏まえての苫米地氏のアイデアには恐れ入った。氏の国防論は啓発的だ。
が、そのまま国名だけ変えても、説得力はない。だからまず、プーチン及び世界にだす条件の条件として、憲法を改正すると。天皇を象徴として謳う第一章を削除して前文もろとも改定し、形式的にも実質的にも国民が責任を負う主体であることを宣言する、その態度の是是非を国民投票にかけ、国民が主体であることを望んだら、と。

フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』を今さらながらのように読んだ。ソ連崩壊時に言われていた論調とは違って、興味深い。大もとのヘーゲルは、まだ私には読みこめないだろう。が、パックス・トクガワーナ(平和ボケ)との関連で、次には整理したい。

*先月パソコンが壊れた。前回ブログを書いている最中、フリーズが起きた。大した作業でもないのに、パソコンがカタカタ動いている。ウィルスかとも思えたので、配線抜いて強制終了。このグーグル・ブログの統計みると、定期的に、ウクライナからのアクセスが瞬時に集中することがあるようだ。何を読んだかには反映されずに可能なアクセスらしい。検索ロボット? しょうがないので、ガラケーから変えたばかりのスマホで打つている。疲れる。苫米地氏のサイバー空間での三次大戦勃発の話など、もう私にはついていけないような。

2018年9月3日月曜日

庶民、大衆、民衆

「その為政者のあるべき姿を、徂徠は、「民の父母」となることであるとし、その比喩として、農民の一家の主人が、だらしない女房や、ぼんやりした長男、はしっこい三男、またわがままな奉公人など、理窟や説得ではどうしようもない家族たちのために、営々と働いて、その面倒をみるありさまを描いている(『答問集』上)。ここには集団の統率者と成員、つきつめれば集団と個の関係について、徂徠が理想であると同時に現実的に可能と考えていたイメージが示されているようであり、それはたとえば家父長制という西欧的な観念とは異質な、江戸時代の日本の社会を基盤としてかたちづくられた独自の人間関係の表現であったといえるのであろう。(尾藤正英著『江戸時代とは何か』岩波書店)

このブログでも、「庶民」とか「大衆」、あるいは「民衆」といった言葉の概念を、曖昧にしたまま使ってきた。定義できるまではよく自身でもわからないので、本能的な使い分けによって、区別されることを期待していたわけだ。しかし、成績がいいわけではない息子の高校進学をめぐって、夫婦で争っているうちに、また、江戸時代をめぐる書籍を読み漁りながら、次の思考をはっきりさせていく作業のうちに、いったんは定義的に整理する必要を感じた。

私がまず女房に、例題として提出した実例は、次のような話である。

例題(1):中卒で植木屋の道を選んだ親方(高卒)の息子、そして同じく中卒で父親の職業(職場)を選んだ団塊世代(「中卒は金の卵」と言われた世代)の職人さんの息子(親方息子より3歳位年下)は、自動車免許の試験を5回ぐらい落ちている。が、親方の息子は30歳すぎて、3級や2級を超えていきなり造園1級の管理者試験および技術者試験を受験し、一発合格している。大卒の実務者・監督でも、一発で受かるとはかぎらないくらいは難しい。職人さんの息子は、植木屋をやめてバイトしていたスーパーで知り合った女性と結婚して、地主である彼女の実家近くの植木屋で働き始め、次の社長か、ともみられている。

例題(2)バブル期の頃、ポルノビデオ女優として、黒木香とかいう、お嬢さん育ち(女子学生)が売りの女性がいた。両親から勘当され、路頭に迷い、自殺した。

<問題>:上記二つの例題に伺える差異を、境遇(偶然)という解を排除した観点を見出し、論ぜよ。

私記(解答例):私がびっくりしたのは、息子が免許試験5回も落ち、それだけの金をかけるハメになっても、父親をふくめたまわりの身内が、「バカだねえ」ぐらいの冷やかしと冗談程度で受け入れている、ということだった。私だったら、「もう金ださねえぞ、自分で稼いで受けろ!」とか叱りつけてしまいかねない。おそらくそうした結果は、息子は結局は免許試験を受けず、ぷらぷらし、当初選んだ道を踏み外していくだろう、ということだ。その勘当がいい方向にゆくかどうかは運次第ということになるし、逆に、損得こえた寛容さの下で育てられた息子たちには、結果利益を第一には考えない人間的な判断が先にくる習性が育てられていく。
私は、価値として、例1をとり、それで生きている人たちを、庶民と呼ぶ。例2の価値で生きる人たちのことを、ブルジョア(市民)と呼ぶ。

※ブルジョアに対する用語として、プロレタリアがあるが、私は階級としてではなく、無意識的に従っている価値の領域(位相)として捉えている。だから、ホワイトカラーのサラリーマンや大学の先生でも実質はプロレタリアだとかの言い分にはくみしない。職人なりたての頃の私のHPでも話したことだが、掘りとっていた植木が倒れてきたとき、私はとっさに逃げたが、他の職人さんたちは突っ込んでいった。私はブルジョアだが、彼らは庶民だったのだ。

※大衆とは、ひとつの時代様相、近代のテクノロジーとあいまって発生した社会全体の捉え方である。だから、知識人という用語は、対にはならない。ニーチェがいうように、知識人とは大衆であり、オルテガがいうように、大衆とは知識人なのだ。

※民衆とは、近代的な法枠組で捉えたときに言う。国民も同じ。あるいはより広く、制度的な枠で人々を提示するときに使いがち。

英語では、庶民がthe common people、大衆がthe mass、民衆がthe people、なようである。慣例正確には知らない。が、commonをどうとらえるかで、価値立場は、色々になるだろう。
私自身は、庶民から生成する個人、無意識を価値として意識し、思想へと作り上げていく努力人、でありたいということか?

ちなみに、神隠しにあった子供を探し当てたスーパーボランティアは、あのねじり鉢巻の風貌、一緒に働いている職人さんと、そっくりだ。

2018年8月18日土曜日

三つの平和

「数学の行為とともに生み出されていく風景をその歴史とともに見てきたこの連載のなかで、浮かび上がってきたのは数学を支える盤石な基礎としての普遍ではなく、終わりなき探究とともに生成していく普遍だ。デカルトの代数方程式も、リーマンの多様体も、デデキントやカントールの集合も、すべてはあらかじめ「普遍化可能」な概念として既存の数学のなかに埋め込まれていたのではなく、概念と、その概念を支える数学の足場が相互に形成しあうプロセスを通して、徐々に形作られてきたものである。ここには、概念の普遍化する力のもう一つの範型がある。
 アプリオリな普遍を性急に措定することが、しばしば差異に対する目を閉ざし、わかるべき他者の存在を抹消していくのに対し、概念の普遍化する力は、むしろ差異を原動力として、わからないという緊張を契機として動き出す。差異と対峙し、ときには自己の信念が覆される傷みをも厭わず、歩み続ける。そうして連綿と継承されてきた数学の営為は、差異を無効にするどころか、いくつもの正しい幾何学、様々な数の体系、そしてその背後にある構造たちが織りなす豊かな数学の宇宙を浮かび上がらせてきたのだ。
 私たちは生成する未完の世界に参加しながら、それでもなお、必然を確信して手を取り合える場所を探し求め続けることができる。その終わりなき探究のプロセスにこそ、普遍は生命を宿すのである。」(森田真生著「『普遍』の探究」『新潮』2018.7月号)

今年からの課題」として、年頭、サッカーとアメフト(野球)のルールに伺える考え方の違いから、アメリカの民主主義に孕む問題をよりつきつめていくこと、と書き込んだ。それは、ヨーロッパとアメリカの民主主義の違い、さらには、日本の民主主義というものがあるのか、という問いにも連なっていく。最近の世間騒がせなスポーツ界に言及した文脈でいえば、「日本らしい」サッカーなんてあるのか? あるとしたらどんな?――というよりも、冒頭引用した「探究」にならえば、日本で「サッカー」を追求していくことにおいて、事後的に、その特殊な場所がそのままで普遍的かもしれぬ「サッカー(世界)」に参列していくことになるのである。実際、現場の森保監督は、「日本らしい」サッカーを目指しようもなく(無理してそんなことしたら迷ってしまうだけだろう)、ただ勝つために、または負けないために、試行錯誤するだけである。このメンバーで、どう戦おうか、と。それが事後的に、そのメンバーの群衆論理においてある特殊性の発揮の結果が、世界に達した(参列しえた)、と承認・了解されるのみだろう。ボールを奪うときにまず体を当てるのが南米らしいサッカーの特徴とか言われるが、彼らは意図してやっているのではなく、教えなくともそうなっていくのだと当地の育成コーチは発言していた。「日本人らしさ」も、結果からついていくもののように追求されなくてはならない、ということだ。

しかし私はまずはもっと一般的に、民主主義と平和(ルール)、ということを考えようとしたのだった。今年も続いたスポーツ界の不祥事のために、回り道をさせられているが。この主題を歴史的に振り返ってみたとき、次のようにも言い換えられると気付いた。

①パックス・ロマーナ ②パックス・アメリカーナ ③パックス・トクガワーナ(ヤポニカ)

この気づきは、もともと「朴石の庭」について考えていく文脈で、富士講、という江戸時代から流行った庶民信仰の調べにいき、そして江戸時代という平和な時代に、なぜその信仰の中興の祖と言われた食行身禄は餓死という幕府への抗議の自殺を遂げていったのか、という考察の中で交差してきたのだった。江戸の平和を世界史的に並列させた論考『日本文明とは何か』(山折哲雄著・角川書店)がヒントだったが、その問いを論理的に詰めていくと、結局はヘーゲル哲学を受けたコジェーブから『歴史の終焉』のフランシス・フクヤマにゆく、ということだった。山折氏は、日本の平和が「島国」という特殊性によって成立していることを把握しながら、自分の考えを推し進めるためにそこを捨象してその条件下でこそ発生した日本の宗教的なあり様に普遍性を求めるのだった。この論理を飛躍させた上でのトートロジーとしての「日本らしい」「平和」ではなく、よりその論理を緻密化させた上での、つまりはあくまで「未完の世界」への参列する意志としての「平和」がありうるのか、と私は考察したいのだ。その結果として、事後的に、「日本らしい」「平和」として他者たちから承認・了解されるものと期待して。その「必然」を信じて。