2015年2月18日水曜日
イスラム国の人質(3)
「まず、理屈だけからいえば、現状でも日本が「テロリスト掃討作戦」に参加することは、「憲法違反」とならない場合がありえます。憲法第九条が禁じているのは「国または国に準ずる組織」への武力行使であり、「国際紛争の解決の手段」としての武力行使です。テロリストは「国または国に準ずる組織」ではありませんし、テロリストとの戦いは「国際紛争」とは別物です。したがって、憲法がこれを禁じているわけではない、ということになります。…(略)…
仮に日本人がテロの被害に遭ったとして、「許せない。報復せよ。相手を殺せ」とはなかなかならないのではないでしょうか。現に、9.11テロの際にも二五名の日本人の犠牲者がありましたが、この時にそのような声は国内からはほとんど上がりませんでした。」(石破茂著『日本人のための「集団的自衛権」入門』 新潮新書)
たしかに石破氏が言うように、「許せない。報復せよ。相手を殺せ」とはなかなかならない、のが日本人の集団的な心性であるかもしれない。がゆえにこそ、安倍総理が「許せない。その罪を償わせてやる」と売られた喧嘩を買うように主張したときには、日本人の心からは乖離したぞっとするような違和感を、多くの日本人が抱いたかもしれない。が同時に、たとえば自分の子どもや肉親が殺された親が、その犯人へ「死刑」という復讐を望むのも一般的なようである。ならば、一見忍耐強い日本人の集団的心性というものが、その実は、本心を隠したものであるか、他人のことには無関心でいたいという、消極的な対応表現でしかないのかもしれない。身内の事件でなくてよかった、あとは我関せずでいこう、が大勢であれば、「報復」してやりたい個人の気持ちは孤立する、だからこそ、その一般的ではあるがバラバラなままの気持ちを集約していくためにも、総理大臣の強気な発言が人為的に必要となってくる、という構造というか成り行きなのかもしれない。
湯川氏や後藤氏の振る舞いをめぐって、10年ほどまえに騒がれたような「自己責任」批判の風潮は盛り上がっていないようにうかがえる。もう若い者というよりも、大人がやったことだから当然と冷静になっているというよりも、そういう風潮にもっていかせたくない別の風潮の方が強い、という印象をメディアから受ける。上いった日本人の集団心性が本当に近いなら、もともと「自己責任」論議のほうが日本人にはあうことだろう。むろん、それは西洋的な文化圏の考えとは出自も結果もちがって、欧米の人権が責任をもって行う個人への連帯という集団性をもって生起してくるとすれば、我々のそれは、無関心なバラバラなままの現状を追認するように揚げ足取り的・野次馬的な掛け声で終始してしまうだろう。だから、その日本文化的な自然(=風潮)にあらがって、なんとか個人の責任問題においやってしまわせない、集団的な動員の風潮を形成していかせようとする政治的な作為が、だいぶ発動されている、ということか? アメリカ経由の新自由主義的なイデオロギーに親和した日本人の集団心性の「構造」をそのままにした「成り行き」で、そこに一般的に潜在している「報復」につながる強い気持ちを生け捕りにしようと。
安倍総理の報復発言は、そうした作為の一環なのかもしれない。だとしたら、形としては、それは間違ってはいないのではないか? 我々は、自然なままに、無関心なままでいるわけにもいかないのは本当であろうから。だから、とりあえず見えている方向性は二つということになる。その無関心を、欧米人権的な責任論の集団行動性へと、つまりはより一層の近代化へと自己陶冶するか。あるいは、安倍とは違う集団を対峙させてゆかせるか。少なくとも私は、いま「表現の自由」をめぐって世界連帯的な動きが発生しているような、その近代的な価値観に便乗してみたいとはおもわない。私は北朝鮮といえど人をバカにしたような映画などみたくもないし、風刺とはまずは自己批判の延長だとおもうので、自分の所属集団を離れたものへの批評は慎重にやるのが道理だと感ずる。やはりこちらの自己責任実践も、私には「日本人の心からは乖離したぞっとするような違和感」をもつ。そして安倍総理の発言も、むしろそうした欧米エリートの口真似のようでぞっとしたのではなかったか?
私は、もっと自然な作為を欲する。もっとうまくやってくれ。あるいは、もっとうまい手だてはないのか?
2015年2月1日日曜日
イスラム国の人質(2)
「加害者を憎んではいない」と言った私の言葉に、家族の者たちは唖然とした。その顔が怒りに変わっていった。
「あんな奴は、焼き殺してやる」
「あんな奴を放置しておくからこんな目に遭うんだ」
「憎むべき、だ」
家族の者たちの言葉を「つぶて」のごとくに聞いていた。
私には、「加害者」を「憎めない」という自由もないのか。こうして人に厄介をかけて生きていかなければならなくなった人間は、ただ言いなりになっていくことしか許されないのか。「自分」を剥奪され、行き場を失って叫び声を上げてしまった加害者Mと、私も同じ……。
悪いのは、「加害者」だけだったのか……。
晩夏の庭には柿が実のっている。私は家族の会話を耳にしながら無表情を装い柿を見つめていた。柿はまだ、青い。
――大丈夫。いつまでも生きてはいないよ。大丈夫だよ。今だけ。今だけのこと。柿が赤くなる頃には私は死んでいる。」(杉原美津子著『炎を越えて 新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡』 文芸春秋)
後藤さんが殺されてしまったようだ。ビデオに映る後藤さんの毅然とした表情から、私は彼らの友情が発動されるのではないかと希望していた。交渉が可能な相手ではないと世間は言うが、私は、彼らはそれ、友情を理解したとおもう。ただその心の動きに従うには、世界に動かされているそのことの情動に駆られるのが大なのだろう。心の芽吹きに耳を傾けさせる余地をあたえまいと、世界が、国家群が、より大きなうねりをひねり出して、人々を、後藤氏を殺した彼らのように、押し流してしまうのではないかとおそれる。戦争を抑止するために意図した同盟関係が、たった一人の殺害を契機に、意図しない拡大を招いて世界大戦になってしまった、という現代史の警告を紹介しているのが佐藤優氏と手嶋龍一氏の最近の対談である(『賢者の戦略』新潮新書)
かつて、私の女房のダンス公演を論じたものをおもいだした。――2003年「テロリストになる代わりに」
また、チェチェンの紛争の犠牲者になった子供たちの映画に言及したものを、自分のHPから再引用、再確認したくなった。
2015年1月27日火曜日
イスラム国の人質
「人間が戦争を呪うのは当然だ。呪わぬ者は人間ではない。否応なく、いのちを強要される。私は無償の行為と云 ったが、それが至高の人の姿であるにしても多くの人はむしろ平凡を愛しており、小さな家庭の小さな平和を愛しているのだ。かかる人々を強要して体当りをさせる。暴力の極であり、私とて、最大の怒りをもってこれを呪うものである。そして恐らく大部分の兵隊が戦争を呪ったにきまっている。
けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れる考え方も必要だと思っている。なぜなら彼等は強要せられた、人間ではなく人形として否応 なく強要せられた。だが、その次に始まったのは彼個人の凄絶 な死との格闘、人間の苦悩で、強要によって起りはしたが、燃焼はそれ自体であり、強要と切り離して、それ自体として見ることも可能だという考えである。否、私はむしろ切り離して、それ自体として見ることが正当で、格闘のあげくの殉国の情熱を最大の讃美を以 て敬愛したいと思うのだ。」(坂口安吾著「特攻隊に捧ぐ」http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45201_22667.html)
やはりその二人の人質事件の画像を見て以来、元気がでない。今日は雨だが、午後から仕事だ。書く時間も気力もままならないだろうので、この件をめぐって連絡くれた友人への応答メールから引用する。
<後藤さんは、「白痴(ばか)」を助けにいったのですね。奥さんが赤ちゃん孕んでいるというのに。香田さんとは違って、もう四十過ぎで、私と同じ歳ですね。若い人がいったわけではない。自分の決断で、まさにバカを反復(切腹)してみせた。そう以前の絵本とおなじように理解していいのかさえ、混乱してきます。だけどたぶん、国家を超えた倫理のほうを、信じて死にたい、そういう死に場所を探して生きていたのかもしれませんね。とにかく、もう大人です。私は後藤さんの謎を追求してみたいとおもわない。それよりももっと教養的に、中東からの世界情勢を、もっと正鵠に理解しないとな、とおもいます。アルカイダにせよイスラム国にせよ、それはアメリカ(イスラエル)が支援しているアラブまがい世界ですね。その世界での内ゲバみたいなものだ、革マル派と何とか派みたいなものとおもえば日本人にはイメージしやすい、とか佐藤優氏がいっていたようにおもいます。イランは、アラブではなく、ペルシャ帝国を復活させたいんだと。われわれは、まるで古代史を生き始めているようで、単純に勉学的についていけなくなっている。
最近、NAMについての回顧が目立つな、とは怪訝におもっていました。「社会運動」とかいう雑誌でも、柄谷本人が何か連載しているようですね。NAMとそれ以後の理論的仕事が、東欧や中東、そして中国や韓国で評価されているようなことを、柄谷本人がいってきたわけですが、また敢えてそう言うことの意味についての考察はまだ置いておく、とか私は言ってたのですが、そのことの意味が、まさにイスラム国とかの台頭現象がみえて、はっきりしてきているような気がします。柄谷氏の理論的洞察がそれを予見し処方しようとしている、のではなくて、むしろ逆で、そうしたインテリの構え自体をパロディーしているのだとおもいます。そのこと自体が、むしろNAM解散時のずっこけとして見えていた、その極大的な現実化、がイスラム国なんじゃないか? そこは、国家を捨ててきた、単独的な、傭兵たちが集い、資本と国家に対抗している組織で、そこに、香田氏をはじめ(そのときはなおイラクという国家があったわけですが)、ハルナさんだの後藤氏が、また単独的に出向いている。だから、同僚なんだとおもいます。ただ他の国の知識人は、将来的な理論を柄谷氏に読んでいるというのだから、解散のずっこけ体験を理解してもらうのは、難しいだろうな、とおもいます。イスラム国だって、ずっこける、のではないか? むろん、そこにこそ深刻さがあるわけで、つまり、古代史があるわけで、つまり、マルクスの知性は人間の生きのびていく知力として廃れないとはいえ、レーニン的な実践は、単にずっこけにしかならない古代史がやってきている、ということではないか? 柄谷はそこを、知的体系としてではなく、物語っている、だけにしかならない、という本人の意図をこえたところでは、歴史の動きには触れていることになるのかもしれない。と、私自身がでかい話、曖昧な物語推論しかできなくなる、というの が、昨今なんではないか?>
たしか10年ほどまえのイラク戦争のとき、ファルージャというバグダッドの西方に位置する都市でのアメリカ有志連合部隊への抵抗について、その石工たちが中心となった市民組織について、自身のホームページで何か発言した覚えがあるが、さがせなかった。いまそこは、イスラム国の統治下にあるようだ。というか、もともと、その石工職人たちの国際的なネットワークがあっただろうそこは、抵抗の最前線のひとつだった。当時人質として捕まった四人の若者の一人、高遠氏がなお、その都市への支援を中心に、情報を発信しているようだ。
イスラム国が、ドゥルーズをはじめとしたポスト・モダン思想のパロディーであるというような批判認識は、私だけではないようだ。友人のツイッターでもそう認識されている。かつてNAM解散時後、柄谷氏は、アルカイダが一番NAM的だとか言ったといい、最近でも、スガ氏が、いまもっとも批評的なのはイスラム国だと言い放ったそうだときいている。しかしどちらにせよ、イスラム国にせよ、つまり近代の政治とが、プラトンの哲学者政治のパロディー的実現だったともいえるならば、ゆえに、国家もそれを越えようとする知識人の運動もすでに失墜されるべくなっているのではないだろうか? 安部はバカではない、大学でのインテリであることにおいて、かわりなく、そうしたものが主権を操れるのは、近代の政治枠組みによってだろうから。
「家庭の幸福は諸悪のもと」……友人がメールでくれた安吾の言葉のほかに、私はやはり太宰のそんな警句をおもいだす。後藤氏は、特攻隊員のように、国家に殉じようとしているのではないだろうけれど、覚悟には、安吾が洞察してみせる葛藤と決断があっただろう。彼はおそらく、自分の友人たちに、首をさしだしにいったのだ。
けれども私は「強要せられた」ことを一応忘れる考え方も必要だと思っている。なぜなら彼等は強要せられた、人間ではなく人形として
やはりその二人の人質事件の画像を見て以来、元気がでない。今日は雨だが、午後から仕事だ。書く時間も気力もままならないだろうので、この件をめぐって連絡くれた友人への応答メールから引用する。
<後藤さんは、「白痴(ばか)」を助けにいったのですね。奥さんが赤ちゃん孕んでいるというのに。香田さんとは違って、もう四十過ぎで、私と同じ歳ですね。若い人がいったわけではない。自分の決断で、まさにバカを反復(切腹)してみせた。そう以前の絵本とおなじように理解していいのかさえ、混乱してきます。だけどたぶん、国家を超えた倫理のほうを、信じて死にたい、そういう死に場所を探して生きていたのかもしれませんね。とにかく、もう大人です。私は後藤さんの謎を追求してみたいとおもわない。それよりももっと教養的に、中東からの世界情勢を、もっと正鵠に理解しないとな、とおもいます。アルカイダにせよイスラム国にせよ、それはアメリカ(イスラエル)が支援しているアラブまがい世界ですね。その世界での内ゲバみたいなものだ、革マル派と何とか派みたいなものとおもえば日本人にはイメージしやすい、とか佐藤優氏がいっていたようにおもいます。イランは、アラブではなく、ペルシャ帝国を復活させたいんだと。われわれは、まるで古代史を生き始めているようで、単純に勉学的についていけなくなっている。
最近、NAMについての回顧が目立つな、とは怪訝におもっていました。「社会運動」とかいう雑誌でも、柄谷本人が何か連載しているようですね。NAMとそれ以後の理論的仕事が、東欧や中東、そして中国や韓国で評価されているようなことを、柄谷本人がいってきたわけですが、また敢えてそう言うことの意味についての考察はまだ置いておく、とか私は言ってたのですが、そのことの意味が、まさにイスラム国とかの台頭現象がみえて、はっきりしてきているような気がします。柄谷氏の理論的洞察がそれを予見し処方しようとしている、のではなくて、むしろ逆で、そうしたインテリの構え自体をパロディーしているのだとおもいます。そのこと自体が、むしろNAM解散時のずっこけとして見えていた、その極大的な現実化、がイスラム国なんじゃないか? そこは、国家を捨ててきた、単独的な、傭兵たちが集い、資本と国家に対抗している組織で、そこに、香田氏をはじめ(そのときはなおイラクという国家があったわけですが)、ハルナさんだの後藤氏が、また単独的に出向いている。だから、同僚なんだとおもいます。ただ他の国の知識人は、将来的な理論を柄谷氏に読んでいるというのだから、解散のずっこけ体験を理解してもらうのは、難しいだろうな、とおもいます。イスラム国だって、ずっこける、のではないか? むろん、そこにこそ深刻さがあるわけで、つまり、古代史があるわけで、つまり、マルクスの知性は人間の生きのびていく知力として廃れないとはいえ、レーニン的な実践は、単にずっこけにしかならない古代史がやってきている、ということではないか? 柄谷はそこを、知的体系としてではなく、物語っている、だけにしかならない、という本人の意図をこえたところでは、歴史の動きには触れていることになるのかもしれない。と、私自身がでかい話、曖昧な物語推論しかできなくなる、というの が、昨今なんではないか?>
たしか10年ほどまえのイラク戦争のとき、ファルージャというバグダッドの西方に位置する都市でのアメリカ有志連合部隊への抵抗について、その石工たちが中心となった市民組織について、自身のホームページで何か発言した覚えがあるが、さがせなかった。いまそこは、イスラム国の統治下にあるようだ。というか、もともと、その石工職人たちの国際的なネットワークがあっただろうそこは、抵抗の最前線のひとつだった。当時人質として捕まった四人の若者の一人、高遠氏がなお、その都市への支援を中心に、情報を発信しているようだ。
イスラム国が、ドゥルーズをはじめとしたポスト・モダン思想のパロディーであるというような批判認識は、私だけではないようだ。友人のツイッターでもそう認識されている。かつてNAM解散時後、柄谷氏は、アルカイダが一番NAM的だとか言ったといい、最近でも、スガ氏が、いまもっとも批評的なのはイスラム国だと言い放ったそうだときいている。しかしどちらにせよ、イスラム国にせよ、つまり近代の政治とが、プラトンの哲学者政治のパロディー的実現だったともいえるならば、ゆえに、国家もそれを越えようとする知識人の運動もすでに失墜されるべくなっているのではないだろうか? 安部はバカではない、大学でのインテリであることにおいて、かわりなく、そうしたものが主権を操れるのは、近代の政治枠組みによってだろうから。
「家庭の幸福は諸悪のもと」……友人がメールでくれた安吾の言葉のほかに、私はやはり太宰のそんな警句をおもいだす。後藤氏は、特攻隊員のように、国家に殉じようとしているのではないだろうけれど、覚悟には、安吾が洞察してみせる葛藤と決断があっただろう。彼はおそらく、自分の友人たちに、首をさしだしにいったのだ。
2015年1月8日木曜日
サルのホームと原発社会
「それでも、恐怖心を一〇〇%取り除きたいと言うのなら、原発を完全に放棄する以外に方法はありません。それはどんな人でも分かっている。しかし、止めてしまったらどうなるか。恐怖感は消えるでしょうが、文明を発展させてきた長年の努力は水泡に帰してしまう。人類が培ってきた核開発の技術もすべて意味がなくなってしまう。それは人間が猿から別れて発達し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです。」(吉本隆明著『反原発異論』 論創社)
「サルの社会は、個体の欲求を優先します。個体にとっての利益とは、「なるべく栄養価の高いものを食べること」と「安全であること」です。…(略)…弱いものにしてみても、食べ物をめぐって無駄に争うよりは、遠慮したほうが結局は得だという知恵があるのです。/ これは非常に経済的なシステムです。絶対的な序列の中にいるから、効率がいい。サルが群れているのは、集まっていたほうが得だからにすぎません。その証拠に、サルは群れから一度離れれば、その集団に対する愛着を示すことは一切ありません。」(山極寿一著『「サル化」する人間社会』 集英社インターナショナル)
ホーム、ということを、昨年末のブログにつづき、もう少し考えてみたくなった。いや、なお考えていることに気づかされて、この冬休みの際(13日までで子供よりながい)に、もっと突っ込みをいれてみようと。昨年は、算数や高校数学までの復習をやりはじめ、数学理論書の概説書や柄谷氏の「内省と遡行」なども昨日は読んでいた。それがなぜなのか、「ホーム」ということに、どうつながるのか、といまようやく思い至ったのである。
まず私は、ホーム、ということを、サルから考えようとしていたことがかつてあったはずだ、とおもいだした。探してみると、それは、柄谷氏の『世界史の構造』への感想文として提示されている。そこでは、エマニュエル・トッド氏の『世界像革命〔家族人類学の挑戦〕』(藤原書店)が引用され、大家族から近代への核家族へとむかうという通念とはちがって、むしろ人類の原初期の方こそが核家族であったこと、そしてその上での引用として京都大学学術出版会の『集団ー―人類社会の進化』から、その人類学的新知見が、類人猿の研究成果からも後押しされている、と指摘した。サルからヒトへの初期段階、なおサルの生活形態を継承していたかもしれない人類は、父ー母ー子を中心とした、核家族的、単雄単雌集団で縄張りを形成していた、という仮説を。だからならば、近代化してこそサル化に再び近づいた我々は、なおサルのままでいるものたちのサル知恵から学ぶべきことがあるのではないか、とサルを肯定評価したのだった。
ところが、この冬休み中に読んだ、冒頭引用した二著者は、サル化に否定的である。吉本氏は、原発開発をやめることは、サルにもどってしまうことだと批判し、逆に山極氏は、そうしたアトム(個人)化がサル社会に近づくことだと批判するのである。資本主義の個人利害優先の進展と、その自然的限界を乗り越えて資源問題を解決していくため、原発技術を基礎的に据えていこうとする社会に対し、行くも退くも「サル」だということだ。もちろん、私がいう「サル」と、山極氏のいう「サル」は意味がちがう。山極氏によれば、私のいう「サル」はゴリラ的であり、研究者はそこを区別し、氏自身の批判する「サル化」のサルとは日本猿のような分類に属するものである。そしてその両サルの違いは、前者(ゴリラ)は核家族的集団であり(現歴史での実際は単雄複雌的)、後者のサルは単に個的な群れであって、集団的なアイデンティティーはない、とされる。ならば、このサル内の区別は、核家族的な近代と、個人=群としての、ドゥルーズ的なかつてのポスト・モダンという概念上の区別ともつながる。むろん後者は、その実践結果としては、資本主義の形式的な戯れ進行を肯定してきたわけだ。吉本氏も、この人類の歴史の進展は不可逆だとして、そのアトム化を、文明論・技術史的に首肯している、ということだろう。しかし、比喩的には「ヒトからサルへ」となるだろう近代を起点とした進化は、本当に不可逆なのだろうか? 原発を開発させた技術の根底には、数学史上の変転、数学基礎論として問われた根底的な問いからの解放として、つまりは、対象の真実を極めるという真剣さからの解放として、そのアイデア体系が無矛盾ならばよしとする形式的な戯れ態度の受容がある。
数学者の岡潔氏は、その数学者の態度変更を批判していたわけだ。高瀬正仁氏は、その岡氏と、カルタンに代表されるような形式主義的態度の数学者を区別し、前者を評価する。前者とは「わかる」という「発見の喜び」があり、その感情が共有されうるが、後者は「理論は簡単な論理の連なりであるから難解ということはありえず、だれにもやすやすと受け入れられる」が、その「論理の連なりが非常に長いため、途中で退屈のあまり放り出してしまいたくなることはある。車の運転を習ったり、コンピューターの使い方に習熟するという感じ」で、「機械操作」だと(『近代数学史の成立』東京図書)。この感じの区別は、山極氏のヒトとサルとの区別と似ているだろう。前者は他者と共感しえる集団性をもつが、後者は個人的な習熟や満足=満腹で終わってしまうと。そしてこの後者の数学が現今にいたるまでの科学技術を支え、我々はそこで唯一その数学態度を有益的として存続証明してみせている原発社会を生きている、ということになるのである。ならば、吉本氏の前提とする不可逆史観は、少なくとも数学基礎論的には、むしろ怪しい、というべきだろう。むろん、我々はもはや何万年と消えない原子力のゴミを抱え込んでいるのだから、実際的には、吉本氏の常識に反論することはできない。可逆だ、その近代の起点に帰ってやり直すこと、今の態度を変えることは可能なのだ、といっても、それはまさに言っているだけにしかならないのである。つまり、我々にできることは、ただ態度を変更することだけなのである。その実現した態度変更が何百年とつづけば、何万年後に原子力のゴミの害がなくなったときに、洗浄されたユートピア社会が実際的に機能してくるだろう、と夢見ることができる、ということか?
少なくとも、たとえ原発社会からもはや脱出することが不可能であっても、私達はやはり、ホームということ、他者と共感しえる喜びのある社会のほうがましだろう、それをめざそう、と思わざるを得ない。志向=思考せざるをえない。津波のなかでの逃げまどいと、放射能からの逃げまどいには、違いがあったろう。前者は助け合いだったり人間の尊厳がみられたが、後者の際には、夫婦の間でさえ考えの違いが問われ露わにされ、つまりは人をアトムとして孤立させて対立させてきたのではないだろうか? この逃走、夫婦喧嘩のなかで、私たちは、もう原発社会はこりごりだ、とおもわなかっただろうか? その感情は、もはや原発社会から抜け出せない、という史的事実とは、別次元にある、違う位相にある態度を要請しないか? 少なくともその根底にある感情は、「恐怖心」ではなく、もういやだ、ということである。そしてフロイトは、それこそが「戦争」に反対しえる不可逆な態度だ、とアインシュタインとのやりとりで表明したことなのだった
数学をはじめからやり直そう、おそらく昨年、私が算数からやり直しはじめたのには、そんな願いがあったからだと、いまわかるのだった。
「サルの社会は、個体の欲求を優先します。個体にとっての利益とは、「なるべく栄養価の高いものを食べること」と「安全であること」です。…(略)…弱いものにしてみても、食べ物をめぐって無駄に争うよりは、遠慮したほうが結局は得だという知恵があるのです。/ これは非常に経済的なシステムです。絶対的な序列の中にいるから、効率がいい。サルが群れているのは、集まっていたほうが得だからにすぎません。その証拠に、サルは群れから一度離れれば、その集団に対する愛着を示すことは一切ありません。」(山極寿一著『「サル化」する人間社会』 集英社インターナショナル)
ホーム、ということを、昨年末のブログにつづき、もう少し考えてみたくなった。いや、なお考えていることに気づかされて、この冬休みの際(13日までで子供よりながい)に、もっと突っ込みをいれてみようと。昨年は、算数や高校数学までの復習をやりはじめ、数学理論書の概説書や柄谷氏の「内省と遡行」なども昨日は読んでいた。それがなぜなのか、「ホーム」ということに、どうつながるのか、といまようやく思い至ったのである。
まず私は、ホーム、ということを、サルから考えようとしていたことがかつてあったはずだ、とおもいだした。探してみると、それは、柄谷氏の『世界史の構造』への感想文として提示されている。そこでは、エマニュエル・トッド氏の『世界像革命〔家族人類学の挑戦〕』(藤原書店)が引用され、大家族から近代への核家族へとむかうという通念とはちがって、むしろ人類の原初期の方こそが核家族であったこと、そしてその上での引用として京都大学学術出版会の『集団ー―人類社会の進化』から、その人類学的新知見が、類人猿の研究成果からも後押しされている、と指摘した。サルからヒトへの初期段階、なおサルの生活形態を継承していたかもしれない人類は、父ー母ー子を中心とした、核家族的、単雄単雌集団で縄張りを形成していた、という仮説を。だからならば、近代化してこそサル化に再び近づいた我々は、なおサルのままでいるものたちのサル知恵から学ぶべきことがあるのではないか、とサルを肯定評価したのだった。
ところが、この冬休み中に読んだ、冒頭引用した二著者は、サル化に否定的である。吉本氏は、原発開発をやめることは、サルにもどってしまうことだと批判し、逆に山極氏は、そうしたアトム(個人)化がサル社会に近づくことだと批判するのである。資本主義の個人利害優先の進展と、その自然的限界を乗り越えて資源問題を解決していくため、原発技術を基礎的に据えていこうとする社会に対し、行くも退くも「サル」だということだ。もちろん、私がいう「サル」と、山極氏のいう「サル」は意味がちがう。山極氏によれば、私のいう「サル」はゴリラ的であり、研究者はそこを区別し、氏自身の批判する「サル化」のサルとは日本猿のような分類に属するものである。そしてその両サルの違いは、前者(ゴリラ)は核家族的集団であり(現歴史での実際は単雄複雌的)、後者のサルは単に個的な群れであって、集団的なアイデンティティーはない、とされる。ならば、このサル内の区別は、核家族的な近代と、個人=群としての、ドゥルーズ的なかつてのポスト・モダンという概念上の区別ともつながる。むろん後者は、その実践結果としては、資本主義の形式的な戯れ進行を肯定してきたわけだ。吉本氏も、この人類の歴史の進展は不可逆だとして、そのアトム化を、文明論・技術史的に首肯している、ということだろう。しかし、比喩的には「ヒトからサルへ」となるだろう近代を起点とした進化は、本当に不可逆なのだろうか? 原発を開発させた技術の根底には、数学史上の変転、数学基礎論として問われた根底的な問いからの解放として、つまりは、対象の真実を極めるという真剣さからの解放として、そのアイデア体系が無矛盾ならばよしとする形式的な戯れ態度の受容がある。
数学者の岡潔氏は、その数学者の態度変更を批判していたわけだ。高瀬正仁氏は、その岡氏と、カルタンに代表されるような形式主義的態度の数学者を区別し、前者を評価する。前者とは「わかる」という「発見の喜び」があり、その感情が共有されうるが、後者は「理論は簡単な論理の連なりであるから難解ということはありえず、だれにもやすやすと受け入れられる」が、その「論理の連なりが非常に長いため、途中で退屈のあまり放り出してしまいたくなることはある。車の運転を習ったり、コンピューターの使い方に習熟するという感じ」で、「機械操作」だと(『近代数学史の成立』東京図書)。この感じの区別は、山極氏のヒトとサルとの区別と似ているだろう。前者は他者と共感しえる集団性をもつが、後者は個人的な習熟や満足=満腹で終わってしまうと。そしてこの後者の数学が現今にいたるまでの科学技術を支え、我々はそこで唯一その数学態度を有益的として存続証明してみせている原発社会を生きている、ということになるのである。ならば、吉本氏の前提とする不可逆史観は、少なくとも数学基礎論的には、むしろ怪しい、というべきだろう。むろん、我々はもはや何万年と消えない原子力のゴミを抱え込んでいるのだから、実際的には、吉本氏の常識に反論することはできない。可逆だ、その近代の起点に帰ってやり直すこと、今の態度を変えることは可能なのだ、といっても、それはまさに言っているだけにしかならないのである。つまり、我々にできることは、ただ態度を変更することだけなのである。その実現した態度変更が何百年とつづけば、何万年後に原子力のゴミの害がなくなったときに、洗浄されたユートピア社会が実際的に機能してくるだろう、と夢見ることができる、ということか?
少なくとも、たとえ原発社会からもはや脱出することが不可能であっても、私達はやはり、ホームということ、他者と共感しえる喜びのある社会のほうがましだろう、それをめざそう、と思わざるを得ない。志向=思考せざるをえない。津波のなかでの逃げまどいと、放射能からの逃げまどいには、違いがあったろう。前者は助け合いだったり人間の尊厳がみられたが、後者の際には、夫婦の間でさえ考えの違いが問われ露わにされ、つまりは人をアトムとして孤立させて対立させてきたのではないだろうか? この逃走、夫婦喧嘩のなかで、私たちは、もう原発社会はこりごりだ、とおもわなかっただろうか? その感情は、もはや原発社会から抜け出せない、という史的事実とは、別次元にある、違う位相にある態度を要請しないか? 少なくともその根底にある感情は、「恐怖心」ではなく、もういやだ、ということである。そしてフロイトは、それこそが「戦争」に反対しえる不可逆な態度だ、とアインシュタインとのやりとりで表明したことなのだった
数学をはじめからやり直そう、おそらく昨年、私が算数からやり直しはじめたのには、そんな願いがあったからだと、いまわかるのだった。
2015年1月7日水曜日
初夢と老い
「いふまでもなく戦争の為に倒れたものの大部分は血気盛んな若者であるから、その落ちつく先は皆幽界じゃ。目下幽界に入って来る霊魂の数は雲霞の如し、しかも大抵急死を遂げて居るので、何れも皆増悪の念に燃ゆるものばかり、そのものすごい状態は実に想像に余りある。多くの者は自分の死の自覚さへもなく、周囲の状況が変化して居るのを見て、負傷の為に一時頭脳が狂って居るのだ、位に考えてゐる。/が、霊界がこの戦争の為に受くる影響は直接ではない。新たに死んだ人達を救うべく、力量のある者がそれぞれ召集令を受けて幽界の方面に出動することがこちらの仕事ぢゃ。すでに無数の義勇軍は幽界へ向けて進発した。目下はその大部分は霊界の上の二境からのみ選抜されているが、やがて私達の境涯からも出て行くに相違ない。」(『死後の世界――浅野和三郎著作集②――』 潮文社 *旧字は新字に改め。)
正月に実家に帰って、久しぶりに父親の姿をみてショックだったのは、もう半分はあっちの世界に入っているな、と感じられてきたことだった。身動きが緩慢で、ぼけっとしている状態が多い。なんとか残存している細胞で、この世を見ている、といった様子だ。そのうち、家族の名前や顔もおもいだす力がなくなってしまうのでは、とおもわれた。私自身、昨年は、自身の体力の衰弱を思い知らされた年だった。もう、子供のサッカーコーチでも、ゲームの中に入れないどころか、キーパーさえおぼつかない。持久力は回復してきているのだが、息があがらなくても、筋肉がついていっていない。無理してやって、たとえその練習中は無事のりきれても、夜寝床に入ると、突然両足がつりだして、にっちもさっちもいかなくなってしまう。そんなやばいという恐怖感を何度か味わうと、もう怖くて参加できなくなるのだった。まだなお40代の私でさえこんななのだから、60歳を過ぎた親方や団塊世代の職人さんはどうなんだろう、と考える。弱音は吐かない人たちだ。たまに仕事にでてくるような親方でさえ去年、神社の椎の木をチェンソーで伐採するにあたっては、枝おろしは私がやったけれど、最後は自分で仕上げていった。怪訝におもっていたのだが、年末の仕事納めの飲み会の席で、神社の木を切ると縁起がわるいことが起きるといわれているから俺がやったんだ、死ぬのなら、まだ俺の方がいいだろう、しかし、こうやってまだ生きているところをみると、まだ呼ばれてないんだな、やることがあるんだろう。俺は、そういう仕事を金のために引き受けてきた。困った客がいて、その人がきちんとそれにみあった額を用意してくれるのなら、やってやる。何もおきやしねえよ。手入れしているでかく育った樹を切る場合は祝詞をあげて、実生で生えてきたやっかいな雑木は平気で抜いていく。それで、何か起きたか? おかしくないか? みんな同じじゃないか。……これは、神を信じているということなのか? 無神論なのか? しかし、職人の仕事で身につけられる超越的感覚とはこのようなものである。私自身、いつしかそんな考えが身についている。経験を積む老年期に近づくにつれ、死ぬかもという危険にともなう恐怖感は遠のいていく。慣れてきたのではない。体力の衰弱が、細胞のたくさんの死が、そう身体をこわばらせることを面倒というか、厭うのである。これは、死を身近に親しむようになった、哲学なのだろうか?
「しかしならば」、と私は正月の寝床で考えた。自分が青年期に経験してきた、あの死の想い、自殺という想念の現実はなんであったのだろうか? あれは、こんな静かなものではなかった。激しいものだった。私は、考えをすすめる。老いは、死に近づくのではなく、死を忘れさせようとしているのではないだろうか? 赤ん坊だろうが、死をまだ知らない子供だろうが、元気な人だろうが、それはすぐ自分の横に、いつでもくっついている。いつそっちの世界にいくのか、誰もしらない、そんな世界がすぐ隣に横たわっている。……そう考えにいたったとき、私は、今年はどうも記憶に残しておく必要もない初夢でおわったのだな、となおさら頭の向こうにおいやっていた今年の初夢を、夜半に起きてトイレにいくさい思い出そうとしてなかなかおもいだせなかったその断片に思い当った。私は、小石の堆積した川辺で、かつて少年期の野球友達や、いま息子と一緒に教えている子供たちと、サッカーをしていた。別にサッカーボールがあるわけではなく、ポジションについているわけでもなく、ただ集まっているだけなのだが、私はそれをサッカーと認識していた。思い出せたただそれだけの夢の跡。が、それは川べりだった。トイレで小便をしながら、私は、その川が氾濫し、洪水になるつづきが、なぜ夢の中ではおきなかったのか、その続きをみれなかったのか、と考えなかったろうか? 私は、現実的には、その妄想を小便として水に流せる健全さを保っている。が、夢の中では、青年期の頃みた夢の表象の反復が、川として、水として、相変わらず潜伏・潜在していたのだった。私の、この老いにおける健全さが、忘れさせてくれているだけだ。あの死は、のっぺりと横たわっている死の世界は、私のなかに、隣に、いつでも準備されてある。……
死への想像は、人を宗教的な、すなわち守銭奴的な経済活動へと熱狂させもするだろう。そうしたことすべてを、老いによる衰弱は、細胞の死の群れが、忘れさせていく、かかずらわないようにしむけていく……つまりは、それに抵抗する実践をもしりぞけ、静かな哲学に埋没させるように。そこには、何か自然の、身体の智慧があるのかもしれない。が、その、老いと死は別物だとは、考えてみれば歴然とした区別ではないか? さらに、、その区別を混同して、何もしないできないと自然な境地へと身を任せることは、人間の倫理として、果たしていいことなのかどうか?
偉大な思想家は、60歳をすぎた死を前にするようになって、突然的にそれまでの理論を切断し、決定的な差異を導入し転回する、という意見がある。人間の精神を問題にした、フロイトがその一人であるといわれる。そのとき、彼が根底に導入したのが、タナトゥスという死の衝動だった。その激しさは、むしろ若いうちにこそ、くる。「目覚めろ!」と、私の青年期が、老年の近づいた中年の私に叱咤しているようだ。むろんそれは、初夢からくるのではなくて、それを分析している考える自分からくるのである。
正月に実家に帰って、久しぶりに父親の姿をみてショックだったのは、もう半分はあっちの世界に入っているな、と感じられてきたことだった。身動きが緩慢で、ぼけっとしている状態が多い。なんとか残存している細胞で、この世を見ている、といった様子だ。そのうち、家族の名前や顔もおもいだす力がなくなってしまうのでは、とおもわれた。私自身、昨年は、自身の体力の衰弱を思い知らされた年だった。もう、子供のサッカーコーチでも、ゲームの中に入れないどころか、キーパーさえおぼつかない。持久力は回復してきているのだが、息があがらなくても、筋肉がついていっていない。無理してやって、たとえその練習中は無事のりきれても、夜寝床に入ると、突然両足がつりだして、にっちもさっちもいかなくなってしまう。そんなやばいという恐怖感を何度か味わうと、もう怖くて参加できなくなるのだった。まだなお40代の私でさえこんななのだから、60歳を過ぎた親方や団塊世代の職人さんはどうなんだろう、と考える。弱音は吐かない人たちだ。たまに仕事にでてくるような親方でさえ去年、神社の椎の木をチェンソーで伐採するにあたっては、枝おろしは私がやったけれど、最後は自分で仕上げていった。怪訝におもっていたのだが、年末の仕事納めの飲み会の席で、神社の木を切ると縁起がわるいことが起きるといわれているから俺がやったんだ、死ぬのなら、まだ俺の方がいいだろう、しかし、こうやってまだ生きているところをみると、まだ呼ばれてないんだな、やることがあるんだろう。俺は、そういう仕事を金のために引き受けてきた。困った客がいて、その人がきちんとそれにみあった額を用意してくれるのなら、やってやる。何もおきやしねえよ。手入れしているでかく育った樹を切る場合は祝詞をあげて、実生で生えてきたやっかいな雑木は平気で抜いていく。それで、何か起きたか? おかしくないか? みんな同じじゃないか。……これは、神を信じているということなのか? 無神論なのか? しかし、職人の仕事で身につけられる超越的感覚とはこのようなものである。私自身、いつしかそんな考えが身についている。経験を積む老年期に近づくにつれ、死ぬかもという危険にともなう恐怖感は遠のいていく。慣れてきたのではない。体力の衰弱が、細胞のたくさんの死が、そう身体をこわばらせることを面倒というか、厭うのである。これは、死を身近に親しむようになった、哲学なのだろうか?
「しかしならば」、と私は正月の寝床で考えた。自分が青年期に経験してきた、あの死の想い、自殺という想念の現実はなんであったのだろうか? あれは、こんな静かなものではなかった。激しいものだった。私は、考えをすすめる。老いは、死に近づくのではなく、死を忘れさせようとしているのではないだろうか? 赤ん坊だろうが、死をまだ知らない子供だろうが、元気な人だろうが、それはすぐ自分の横に、いつでもくっついている。いつそっちの世界にいくのか、誰もしらない、そんな世界がすぐ隣に横たわっている。……そう考えにいたったとき、私は、今年はどうも記憶に残しておく必要もない初夢でおわったのだな、となおさら頭の向こうにおいやっていた今年の初夢を、夜半に起きてトイレにいくさい思い出そうとしてなかなかおもいだせなかったその断片に思い当った。私は、小石の堆積した川辺で、かつて少年期の野球友達や、いま息子と一緒に教えている子供たちと、サッカーをしていた。別にサッカーボールがあるわけではなく、ポジションについているわけでもなく、ただ集まっているだけなのだが、私はそれをサッカーと認識していた。思い出せたただそれだけの夢の跡。が、それは川べりだった。トイレで小便をしながら、私は、その川が氾濫し、洪水になるつづきが、なぜ夢の中ではおきなかったのか、その続きをみれなかったのか、と考えなかったろうか? 私は、現実的には、その妄想を小便として水に流せる健全さを保っている。が、夢の中では、青年期の頃みた夢の表象の反復が、川として、水として、相変わらず潜伏・潜在していたのだった。私の、この老いにおける健全さが、忘れさせてくれているだけだ。あの死は、のっぺりと横たわっている死の世界は、私のなかに、隣に、いつでも準備されてある。……
死への想像は、人を宗教的な、すなわち守銭奴的な経済活動へと熱狂させもするだろう。そうしたことすべてを、老いによる衰弱は、細胞の死の群れが、忘れさせていく、かかずらわないようにしむけていく……つまりは、それに抵抗する実践をもしりぞけ、静かな哲学に埋没させるように。そこには、何か自然の、身体の智慧があるのかもしれない。が、その、老いと死は別物だとは、考えてみれば歴然とした区別ではないか? さらに、、その区別を混同して、何もしないできないと自然な境地へと身を任せることは、人間の倫理として、果たしていいことなのかどうか?
偉大な思想家は、60歳をすぎた死を前にするようになって、突然的にそれまでの理論を切断し、決定的な差異を導入し転回する、という意見がある。人間の精神を問題にした、フロイトがその一人であるといわれる。そのとき、彼が根底に導入したのが、タナトゥスという死の衝動だった。その激しさは、むしろ若いうちにこそ、くる。「目覚めろ!」と、私の青年期が、老年の近づいた中年の私に叱咤しているようだ。むろんそれは、初夢からくるのではなくて、それを分析している考える自分からくるのである。
2014年12月16日火曜日
選挙結果からおもうこと
「微積分は,時間と運動と変化にかんするゼノンのパラドックスとともに始まった。なかでも有名なのは「アキレスと亀」という名で知られているパラドックスだ。偉大な戦士アキレスとちっぽけな亀がかけっこをすることになった。亀はハンデをもらい、いくらか前方からスタートする。アキレスが亀のスタート地点に着くまでに、亀はのろのろとほんの少し先へ進んでいる。アキレスがそこに着くまでに、亀はもう少しだけ先に進んでいる。アキレスがそこに着くまでに、亀はもう少しだけ先に進んでいるので、やはりアキレスをリードしている。このように、いくら俊足のアキレスでものろまの亀には決して追いつかない。常識はこれに反しているので、ゼノンは常識のほうがまちがっていると結論した。変化は幻想にすぎない、信ずるべきは自分の頭脳であり、他のものを信じてはならない、と。
ほとんどの数学者はこれについて、ゼノンは無限級数について混乱していたんだよ、と言うだろう。今では誰もが微積分を知っているので、もはやゼノンに出番はないように思われる。それでもぼくは、彼が何に頭を悩ませていたのか、なんとなくわかるような気がするのだ。ジョフとやりとりした古い手紙を順番に読んでいると、過去が現在に追いついてくる、歳月が背後から駆け足で迫ってくるという痛烈な感覚に襲われる。ジョフとぼくは亀のようにのろのろ動く現在にいて、早足の時間から追いかけられているのだ。」(『ふたりの微積分』 スティーヴン・ストロガック著・南條郁子訳 岩波書店)
なんとも微妙な結果なようにみえる。今回の選挙結果のことである。300を優に超えると騒がれた自民党は、以前より3議席減らして快勝と豪語でき、同時に民主も議席は増やしたが党首落選、共産党が躍進と湛えられる。アベノミクスがどうのこうのというよりも、安倍政権への批判は、その右翼的な、翼賛体制的なものへの現実化路線が危惧されてくるから、というのが左翼的な立場のひとたちの主張だったことをおもえば、結果はその思想立場の分裂そのままの反映として、わかりやすいものだ。しかし、アメリカの言う事もきかずに平気で靖国参拝して、つまりヒトラーの墓参りをしたようなものなのだから、そういう人が国際社会で「積極的平和」を訴えても、口先だけのこととして相手にされないのは当たり前だから、安倍の経済政策など国際的に孤立するか利用されるだけが落ちというのも政治的に明白なのだから、アベと名付けられる政治経済策への批判自体が、現実的になってくるともおもわれない。おそらく、失脚させられる、とする知見のほうが当たってくるだろうと私も予測する。が、そんな人の政権を、国民がまたもや支持してしまったような結果になってしまった、というところに、だから微妙なものがかかわってくることになる。(だからそう簡単には、諸外国勢力もつぶせはしないだろう。)以上の当為からして、国民は、安倍の経済策や政治を支持してしまうことにならないからだ。それは、世界では意味をもてないのである。ならば、何が支持された結果になるのか? 強いて言えば、自民党を支持した、その昔からの支持層が反復された、ということにはなるかもしれない。それは自民党の選挙戦略、無党派層を取り込むとかではなく、地元の基盤を固める路線として意識されたものでもあったろう。だから論理的に整合していえば、安倍の顔が象徴するような自民党がもう一度反復された、というようなことになろう。どんな顔か? 単純に、それは二世だの三世だのの、世間知らずであるがゆえに純粋に血統物語を体現しているような面相、ということだろう。群馬で「ユウコちゃん」が圧勝したようなのが、国民の指示内容なのだ。その支持者は、自分が外の世界からだまされていることを承知しているはずである。むしろそれゆえに、その不安ゆえに、なおさら強固に支持して自我を持ちこたえさすのだろう。それは、オレオレ詐欺の被害者に似ている。だまされたくもあるのだから。そんなじいさんばあさんに、真実を語る左翼言説が、実践的になりうるだろうか? なりうるわけがないだろう、というのが今回の結果である。私も、ファシズムを防げ、みたいなのは、お互いの仲間内では確認事項としていいとしても、それをそのままだしてすましていられるナイーブさ自体が、2世3世と同じだろうとおもわれた。そんな左右の絡み合いが、結果の微妙さ、真偽不確かさをうみだしている。安倍(日本)のファシズムは、世界が防ぐだろう。まえみたいに。しかしそんな以前の結果を期待して、共産党に入れたわけではないだろう。日本人が日本からファシズム反対しても、世界では意味をもてないのは、安倍を支持する人の側と同じである。逆に言えば、支持者・非支持者の意図に反して、世界を、つまりは詐欺にあってもいいよ、ということを意味=支持させられてしまう。インテリの普遍的立場として、そのネットワークの確認として、不変的なことを反復する必要もあるのかもしれないが、それは「ことば」(=思想)ではないだろう。人の心に届かないのだから。人を、動かせないのだから。
では、どんなことばなら届くのか? 少なくとも、警察や銀行の窓口では、じいさんばあさんが詐欺にあわないように、いろいろノウハウが積み立てられてはいるだろう。もちろん、じいさんばあさん相手だけの話ではない。若い人にだって、どうその心に言葉をとどけられるのか、実践的には難しいだろう。徴兵されるぞ、という言葉が真実だとしても、ゆえにだからこそ、反発したくなるだろう。
サッカー界でも、世界で勝てない事態から、Jリーグのなかに、マンUやバイエルンをまねて、常勝するチームを作って軸をもたせたほうがいいのではないか、という意見がでている。前回のブログの続きでいえば、息子のサッカーチームのコーチ会でも、ブラジル帰りのコーチはその話に言及していた。しかし日本では、そういう方針の意図に反して、かつてのV9時代の読売巨人軍の茶番劇的な反復になってしまうだろう。つまり、世界的な意味をもてないのである。その自覚ゆえに、<それ>を追い出して、Jリーグがはじまったのではなかったか? 今負けていることに、何が不安なのだろう? 子供たちは、そうやって勝っていくことを、本当に望んでいるだろうか? 私のみるかぎり、彼らは、やはり仲間とともに勝ち、負けたいのである。だから、詐欺にあうことも辞さないのだ。仲間が死んで、自分が生き残れば、負い目をおうのである。そして、それが人間の存在条件にあるとしたら? というのが、ハイデガーからアガンベンにいくような洞察の哲学が証明してみせていることではないか? 自民党を支持した国民をアホだとみくびるものは、実は、自分が人間から見捨てられているのである。自分が支持者でもあってしまうことを、忘れていられるのである。
2014年11月25日火曜日
ホーム、ということ
「日本では巧い選手がプロになるが、スペインではサッカーを知っている選手であれば巧くなくともプロになる」(『フットボール批評 2014.02』「サッカーを知らない日本人」)
それでも、新チーム結成当初は、サブプレーヤー扱いだったが、足の速いサイドブレーヤーが腹痛で控えにまわって代わりにでたさい、きっちりと得点を決めゲームメイクのできるセンスをみせたからか、それ以来先発陣として起用されはじめている。ベンチでは、父兄たちから「応援団長」ともよばれていた性格がプレーヤーとしても発揮されて、一希がフィールドに入るとゲームが活気づき泥臭くなる、ゴールへむかってどんな道筋を開拓していけばいいのかが見えてくるようになる。それまでは、運動能力の高いいい子たちのパス回し、きれいなサッカーに終始ししてしまうという印象で、なんだか日本代表のサッカーのひな形をみているような感じだった。そしてこういう傾向は、他のそれなりの実力のあるチームにはみられるものであるようにおもう。
では、なぜなのか?
私がパパコーチとして手伝っているコーチ陣の飲み会でも話がでたことなのだが、やはり基本的な方針として、勝ちを目指すチーム作りか、育成を重視するチーム作りか、という論点の裏にその原因がみえてくるのではないか、と私は推論している。青年時にブラジルへのサッカー留学もしたことのあるコーチの主張は、やる気のある上手な子の先発陣の固定化で戦うべき、というもの。しかし、それでも勝てるわけではないのだから、本当に勝ちたいのなら、現時点でやる気がなさそうでも、またへたくそでも、その子たちを含めて全員の底上げを目指して采配をふるうべきだ、というのが私の意見。もちろん、全員を平等な時間試合にださせてといった、形式的なやり方ではなく、その底上げの中には、あえて今は出さない、あるいは逆に、下手でも乗ってきている練習があるからあえて先発で起用する、とかいった、コーチの洞察とチーム構築に向けた手腕によって、その実践の具体処置がかわるけれど、と。「そうできればいいですけどね。」と、ブラジル帰りのコーチはいう。「まあ野球でもなんでも、いまはエリート教育ですよね。才能のある子を優先させる。だけど、そうやってきて、日本代表のユースチームとか、世界で勝ててますか?」と私。「う~ん、それが勝ててないんだよなあ」……そのコーチがいうのは、サッカーは結局はネイマールなんだという。個人の力なんだという。「だけど、ヨーロッパの有名チームのコーチが日本にきて、小学生年代のサッカーをみていうのは、テクニックがあるけど、戦術的理解がない、と指摘しますよね。ということは……」「いや、戦術は中学生からでも教えられる。」――そう突っ込まれて、サッカーをやってなかった私は考え込み、そこでの話はそのまま尻切れトンボになってしまったのだった。
改めてここで、私がいいたかったことを整理してみると、こういうことだ。
日本人は世界的にみて、テクニックはある、なのになぜ、その日本人からメッシやネイマールのような個人技に秀でた選手が出てこないのか? それは矛盾した事態ではないか? 私の推論では、それは、日本人が、まだサッカーを知らないからだ。私がやっていた野球で、野球を知っているとは、<捕れて(止めて)、投げれる(蹴れる)>といった個人テクニックのレベルにおいて現れ見えてくるのではない。それは、抜け目ない走塁にうかがわれてくるのだ。強いチームとやっていやなのは、ランナーを塁にだすと、もう気を許せなくなるので、そのプレッシャーに耐えられなくなってミスを誘発されてしまう、ということなのだ。プロ野球日本代表チームがかかげる「スモールベースボール」とは、そういうことだろう。サッカーには、その知っていることからくる抜け目なさ、がない。それが、今回のワールドカップでも、代表チームの必死さのなさ、とみえてきてしまう。きれいにやろうとしているようにみえてしまう。しかし、では、この抜け目ない必死さをうみだしているもの、そのメンタルの強さをうみだしているものとはなにか? 私の推論では、それは、<ホーム>という意識・無意識なのだ。それは、国家という抽象的なものではなくて、具体的に誰それのため、という顔のみえる意識、想いである。ヨーロッパのクラブチームでは、強豪でも、小学生年代では、地元の子以外を入部させない。単に、勝てばいい、という方針でやっているのではない。メッシでも、バルサに入れたのは、中学生からだった。いま日本人の小学生の子供が入っているけれど、それはおそらく、母親かだれかがスペインに同居できて、子供のホームシックが防げると了解しているからだろう。小学生年代で、このホーム、心のよりどころをしっかりと身につけさせないと、結局はシビアな試合になればなるほど力を発揮できないで、ミスに負けてしまうチームや選手になってしまう、ということではないだろうか? ヨーロッパには、そうした人間的ノウハウが、歴史的に蓄積されているのではないだろうか? しかしいま日本の子どもたちは、その時点で上手な子ほど、親のいわれるがままに、まるでプロ選手のように、強いチームへと移動・移籍していく。私たちのチームにいた〇〇くんも、いまはそうやって埼玉の強豪チームに自動車で1時間かけて通っているけれど、それでも、地元のサッカー大会に暇があれば友達の応援にかけつけてくれるのは、やはり、淋しいからではないのか? 私のいまのこの考えは、その子のどこか淋しげな様子をみて洞察されてきたものなのである。目先の結果(利益)だけを求めて、移転先をさがす、これは、資本主義の論理そのものだ。が、ヨーロッパは、それではだめだと、その主義思想を生み出した文化国家だけに、知っているのではないか? バルセロナのパスサッカーは、バルセロナに建設中の、ガウディのサグラダ・ファミリアと結びついていないか? 百年過ぎても、その理念、目標、ゴールへ向けてなお建築中なのだ。それは、たとえ負けつづけても、自分たちのポゼッション・サッカーをやめなかった精神と結びついている。それが、今回のブラジル・ワールドカップで負けると、日本は今度はカウンター・サッカーだとなるのだろうか? かつての、全体主義から民主主義へと早変わりしたように。そんな目先の結果追求のために、日本人の、ホームという意識・無意識が、崩れていってしまっているのではないか? そんな子供たちに、日本人に、危機をはねのけていかせる底力が発揮できるだろうか? 若い年代にゆくほど、サッカー日本代表チームがうまくても勝てないひ弱さをみせているのは、そのためではないのか?
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