2017年12月3日日曜日

サッカー部へのメール――相撲界の混乱から(2)

「言語は常に貪欲に大言語であろうと求め、小言語を呑みこみ、その母語によって人々を残酷に差別する一面をもっている。しかも人々は、その残酷さによってしか、自らの存在をたしかにすることができないのである。モンゴル人がモンゴル人であるのは、かれらがモンゴル語を話すという事実によっている。そして、かれらがモンゴル語を話すのは、それが誇りであろうとなかろうと、他の道はないからである。だが人々がこのような認識に到達したときには、ことばは、人類にとってではなく、自分にとって何であるのか、そしてそのようなことばはどのように話され、書かれなければならないかが自覚されてくるのである。」(田中克彦著『言語の思想 国家と民族の言葉』 NHKブックス)

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《○田コーチ、○山コーチ
cc 鈴木コーチ

今日はお忙しい中、ご相談に乗っていただき、ありがとうございました。

○太郎に、帰ってから話をしたら、「いまは、ちょっと(野球よりサッカーが)好きになった。」と言っていました。
私が「コーチのお手伝いするかもよ」、には「いいよ」と。 
皆様のお陰で、サッカーが好きになっているみたいで、第一ハードルは徐々にクリアしつつあります。

○山コーチにはお話ししましたが、
私は○太郎には、サッカーを上手くなることよりも、真剣に取り組むことを望んでいます。
下手でもいいので、できる限り走り続ける、練習をちゃんとする、挨拶をする、等です。
真剣にやるのであれば、本望でないですが、野球でもいいと思っています。

そんな中、1年程見せていただいた中、○五S.C.やコーチという立場に関しての感想は、
・真剣さについては、○五チーム(低学年)は、足りないと感じています。でも、他のチームは知らないので低学年特有の事象なのかもしれません。
・コーチがやる気スイッチを押す必要があるのかもしれないですが、それはどこから、コーチの仕事なのでしょうか?試合の時も空を見ている子、走らない子のスイッチを探すこともやるのでしょうか?
・そもそも、人数が足りないのは人口が減っているからで、チームを維持するために、緩くなりすぎていないのでしょうか?所属人数が問題なのであれば、他チームと完全統合してはだめなのでしょうか?
また、個人的なこととして
・○太郎はサッカーを続けるだろうか?
・次男と遊んであげる時間が取れるだろうか??
等々、いろいろと疑問があるままですので、徐々に、消化させていただければと思います。

尚、私は、他の子供を教えたこともありませんし、自他ともに認める、他人に興味の薄い人間ですので、皆さまが仰っているいるような高みにたどり着けるのか、かなり疑問です。また、かなり短気な方ですので、保護者やほかのコーチからの苦情等来るかもしれません。仕事でもですが、個人的には人にものを教えたり、管理することがうまくないです。ですので、試用期間を半年程度、見ていただき、その後、決めていただければと思います。

私の個人的なことですが、
・コーチの人数が足りていないときには事前に仰っていただければ、次男は連れて行かず、手伝いますのでおっしゃってください。
・練習内容の例は、教えておいていただけると、助かります。
・今も遊びでフットサルはやっていますが、サッカー経験は中学生の時だけです。体が小さかったせいもあり、自分で上手いと思ったことは一回もないですw
・仕事はカレンダー通りの休み(土日祝)です。夏休み・冬休みは不定期/自由に取ります(お盆の間は取らないことがおおいです) 平日の練習は時間的に手伝えないです。今年の冬、12月31-1月9日に長期休暇で不在です。
・実家は北海道です。趣味はスキーとフットサルです。 ○太郎もスキー、かなり滑れます。今年は次男を滑れるようにしてあげようと思っています。
・サッカーで応援しているチームはないです。時々、TVで見る程度。
・会社の上のほうから、ゴルフへの激しい勧誘、命令?が続いています。まだやったことないのですが、そろそろ決壊しそうな状況。

・妻も働いています。
・○太郎は長男で、次男は4歳、その下に女の子1歳がいます。両方保育園に行っています。イベントが余り多くないですが、時々あります。
・妻はサッカーの手伝いなど、頼めばやると思いますが、あまり使いたくないオプションです。妻の遠征の付き添いは兄弟の面倒の関係で難しいです。
・○太郎は今のところ、習い事はしておらず、○2小コメッツにも参加する可能性があります。

以上です、長々と自分勝手なことばかり書いてしまいましたが、できる限りお手伝いしようとおもいますので、よろしくお願いします。

○中》

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《鈴木コーチ、

大変参考になるお話、ありがとうございました。

私も少年野球の行き過ぎた指導が嫌で、できればサッカーをさせたいと思った経緯があります。
少年野球は幾つか体験させたのですが、どこも無駄に、大きな返事と挨拶を強要させ、練習も無駄に長い印象がありました。
軍隊野球は脈々と続いているんだな、と感じました。

一方、過去の○五の話もとても興味深いです。
「ふざけが原因で練習が中止」は
サッカーを公園の遊びの延長として捉えないのであれば、もっとも、だと思います。
コーチの方がたも、ボランティアでやっているわけだし、
だらだらと遊びながら真剣 に取り組まないのであれば、中止したり、帰らせたりするのが妥当だと個人的には思います。
学校だって授業中にゲームをしだしたら、先生は怒ったり、授業から追い出したりするのと同じだと思います。

練習を真剣にしないなら、コーチの時間が勿体ない。公園でサッカーしてもらえばいい。
(一方で、親が「しめてください」、というのには、やや違和感がありました。

しめるというか、教育をするのは親の第一義務であり、コーチに丸投げしている感があります。それは、まず親がするべきことにコーチが助けることではないかと。)

というわけで個人的には、ある程度の時期までは、ある程度、絶対服従まで行かなくても、規律は必要だと思います(程度の好みはあるとおもいます)。
小学生に、サッカーでふざけながら好きな練習して良いよ、と言って、自主的に考えられる素地が作られるとは思えません。

少し飛躍しますが、野球の絶対服従は、私はやり過ぎだ、と思いますし、日本の社会の中に根付いていて、現在のブラック企業、パワハラ問題等につながっているのだと思います。しかし、一方で、ドイツや日本など、規律の高い国民性の生産性が高いことは否定はできないと思います。私は欧米留学したこともあり、職場にも外国人がいるので、よく考えさせられますが、日本には日本の良いところがあり、規律や勤勉さというのは、間違いなく優位性です  当然、その逆に硬直性が問題としてあがりますが・・

長くなってしまいましたが、個人的な理想だけ最後に付け加えます。
 負けると悔しがり、下手でも一生懸命に真剣に練習して、努力することの意味を少しずつ見つけ、コーチやチームメイトと交わりながら、協調性 社会性などを付けていけるようなチームであるといいな、と思います。

飲みながら話すと盛り上がりそうな内容ですね。
是非、今度ご一緒させていただければと思います。

今後ともご指導をお願いいたします。

○中》

----- Original Message -----
From: 鈴木  <@yahoo.co.jp>
Subject: Re: Fwd: 2015駒沢フェス動画集

鈴木です。
とりあえず、○中さんの問いかけに、参考として、二つの書籍から紹介してみます。

(1)一つは、セルジオ越後氏の、『補欠廃止論』(ポプラ新書)からです。

<子どもの習い事で、武道の人気が高まっているらしい。どうも補欠がないことと、「礼に始まり礼で終わる」精神で、礼儀が身につけられる。やはり補欠に悩む親は、個人競技をさせたいのだろう。それ自体はよいと思うが、ただ気になるのは、礼儀が身につくからという理由。本当にそうだろうか?
 サッカーでも、試合前にハーフウェーラインまで行き、対戦相手に大声で「お願いします」とおじぎする。試合後はベンチに挨拶に行く。しかし、大人に指示されたから礼をしているだけで、なぜそれをやっているのか本質を理解していない。だから、しまいには誰もいない後援会のテントに向かって礼をする。
 僕はこの光景に驚いた。そもそも、一体相手に何をお願いするというのだろうか?
 ブラジルでは対戦相手に挨拶するところを見たことがない。日本でも、Jリーグでは誰もやっていない。Jリーグどころか、W杯もオリンピックでもやっていない。なのに、大人たちは「礼儀」として教える。
 挨拶する子どもも「なぜやるのか」を考えることはしない。それは想像力に欠け、こなし上手になっているだけだと思う。大人に怒られないように、顔色をうかがいながら行動しているだけ。したがって、武道をやれば礼儀が身につくかどうかは、甚だ疑問だ。
 プロの場合は対戦相手ではなく、サポーターに向かって礼をする。大人になってもやらないことを、なぜ学校では強制的に教えるのだろうか。大声で挨拶するように教えるけれども、社会に出て大声で挨拶したら「うるさい」って言われるよ。(笑)。大人になっても使えるものを教えないと、ますます部活動は軍隊のように感じる。そんなうわべの礼儀よりも、大人と子どもが触れあう社会教育のほうが重要だと思う。
 僕の恩師は「社会」だと思っている。大勢の大人と子どもが集まってプレーして育ったから、誰がサッカーを教えてくれたかわからない。親以外の大人も、多くのことを教えてくれた。>

(2)もう一つは、自分が巨人軍の監督になっても日本のスポーツ的土壌は変わらない、もっと偉くならなければと、早稲田大学の人間科学部の大学院で学びなおした桑田真澄氏の対談『野球を学問する』(新潮社)からです。

<桑田 そうですね。ぼくが飛田穂洲の思想を表現するにあたって「絶対服従」という言葉を使ったのには、理由があります。野球は監督の指示に従ってプレーしますから、絶対服従のスポーツではあるのですが、じつは試合で絶対服従がどれだけ生きるかというと、生きないんです。言われたことしかやらない、言われたこと以外をやると怒られるわけですが、じつはそれでは勝てないんです。
 なぜなら野球では、1球1球状況が違って、飛んでくるボールの速さや角度も違えば、風もあり、打順、点差、さまざまな要因で、なにもかもが変わってくる。だから本当は、自分で考えて動ける選手じゃないと、首脳陣からの信頼は得られないんですよ。でも、練習では絶対服従で、自分の言うことをきく選手をつくっているわけだから、試合に勝てるわけがない。勝てないから猛練習をする。また勝てない。これは悪循環ですよね。>

*この対談は、サッカーJリーグの創設に携わった平田竹男氏となされており、平田氏は、「おそらくサッカー界は、野球の軍国主義的なやり方をすごく否定してきた」のであり、「言ってみれば、野球を反面教師にがんばってきたつもり」なのだという。しかしその過程で捨ててきてしまったものがあり、「絶対服従はいけないが、礼儀正しさとか、丁寧さとか、日本人として守らなければならないものまで捨ててはいけない」、と言っています。

(私は、軍隊野球部を出自とする者ですが、桑田氏と同世代で、似たような問題意識で、大学は文学部に入って哲学的に追求してきました。いま騒がれている相撲界では、貴乃花親方が、桑田氏と似たような立ち回りを演じているようです。)

私の息子の一希が、2・3年のころ、よくふざけが原因で練習が中止されていました。親から、「もっとしめてください」という声も出てきました。○藤監督もその父母会の声におされてそうするか、となろうとしていたとき、木曜日のコーチ担当の長い説教事件があって、「子どもを1時間以上たたせて夜遅く帰宅させるコーチの現状をやめさせてくれ」みたいな話が次にでてきたので、○藤監督も、「コーチの考えに任せている。そこは口出ししない」と、父母会の要求を一蹴することになったりしました。
で、その過程で、私と、当時○六小S.Cの監督をしていた○屋監督とのやりとりで出てきたことです。――○屋監督「子どもをしめてもしょうがないですよ。もし、しめて、子どもがほんとうに黙ってしまったら、もうそのチームは終わりですからね。」私も、その意見に同意しました。
その○屋監督が、去年のライオンズ杯決勝、○五・六合同チームと○んぼF.C.との決戦での評価は、次のようなものでした。(コーチ会のメールに流れました。)○五・六の子どもたちは、ひっちゃべっていた。○んぼの子どもたちは、コーチの言うことでしか動けなかった。それが、勝敗を分けた原因だと。具体的には、次のような状況です。(私は、その試合を○屋コーチと見ていたので。)相手のサイド攻撃がこちらの奥深くまできたとき、ゴール前のバイタルエリアが10秒近く空いている時間帯が何度もできていた、もしあそこでボールを受けられたら、簡単に点をとれるのに、なんで○んぼの子はそのスペースを利用しないのか? こちらのワントップの女の子を、中心のセンターバックやボランチの子3 人で囲ってマークしているが、いくらなんでもそんな人数いらないだろう。強いチームとやってきた名残なのか? そしてそのことを、○んぼの子どもたちは気づいていた。フィールドで話し合いがされているのが確認できる。が、結局は、一度もその形をくずさず、前半0-0のまま終わってしまった。後半は、○んぼはじっくりしたパス回しではなく、速攻的にいどんできた。ゆえに、果敢にはなってもパスミスが増え、こちらのカウンター反撃も多くなり、張り合う感じになって、もうバイタルエリアにスペースが生まれる時間はなくなった。そのまま、PK戦となってしまった。となれば、PKでもニコニコしていられるこちらのほうがメンタル的に優位になってしまった。……要は、○屋監督は、○んぼの子ども たちが、コーチに萎縮してプレーするようになってしまったことが敗因だ、と分析したわけです。私もそう見立てて、そんな話をしていたんですね。

あくまで参考までに、以上のエピソードを紹介しておきます。


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《鈴木 です。

(1)「公園とクラブ入部でのサッカー」の違い、(2)「失点を減らす」ことの具体化、についてミーティングで話したこと追記します。

個人技術の向上、そのサッカーに必要な走り方(ステップ)や「止めて、蹴る」という理屈以前の基本技術が水準に達するのには、地道に時間のかかることですが、それを目指させる態度転換は、手助けできると思うので。

(1)イツキの時代、練習中ふざけている子を注意すると、「ふざけているのは俺だけじゃない、なんで俺だけを注意する?」この理屈は正しいか?
例えを3つ例示します。
・大人世界の話。「君たちのじいさんよりちょっと前、日本は世界と戦争した。で、とある市長が、戦争で人を殺したのは日本人だけじゃない、なのになんで日本人だけ責めるのだ、それはおかしい」と発言した。この理屈は正しいか?(当事の大坂市長の慰安婦問題の変形ですが。)
・交通法規を守って注意深く運転しているタクシー運転手でもミスして事故を起こすこともある、それに自動車やバイクを楽しんで乗り回している暴走族が事故を起こして、「タクシー運転手も俺と同じだね!」と言った。この理屈が正しいか?
・○オ君がクラブチームで一生懸命練習して、6年の大会になった。ミスしてゴールを決められた。それを休み時間や公園だけで一緒にサッカーしている友達から「リオも俺も同じだね!」といわれたら、どう感じる?
○オ「いやだなあ。」
スズキ「そう嫌がられて、その市長は、外国人との話し合いをキャンセルされて、政治世界のワールドカップにでられなかったんだ。戦争が起きないよう真剣に話し合っても、ミスで起きてしまうこともある。だけど、はじめから戦争で人を殺すのは当たり前と思っている人と、真剣な議論ができるかい? 世界の政治家は、ふざけた人物として会うのを拒否した。君たちは、日本の中の仲間内だけでやっていればいいかい? それとも、世界に出たいかい?」
○ダイ「世界」
スズキ「サッカーをやるとは、そうした世界標準を身に付けていくことだからね。」

上のような人聞き悪い話に、○田コーチは顔をしかめてたようにおもいますが、知っておいてもらいたいのは、日本のサッカー協会は、明確に野球界を「軍国主義」思想と理解して、それを「反面教師」として指導方針をだしているということです。リーグ戦の普及もその一環です。○山コーチも含めた○ュンタロー父への○田メールでも、○中さんは、そうした理由で、子供が野球に興味を持ちはじめて体験入部しているけれど、本当はサッカーをやってもらいたいんだ、と言っていましたね。昨日、○藤コーチが、娘の高校見学にいくとしっかりしているのは野球部で、サッカー部は…、とおっしゃっていましたが、私が野球部の主要な方針に否定的なのは、「それで世界と戦って負けたんだよ。勝ちたくないの?」というものです。

(2)ウラへの意識。昨日の失点の大半は、ウラをとられてキーパーと1対1の状況を作られたことです。いつか飲み会で話した3年生問題です。で、1試合後、ライオンとシカの例え話をしました。強者ライオンでもシカを前からおそわない、気づかれないように後ろから。シカはどうしてる? 下向いて草たべてるだけか? この話でウラを意識しはじめたのが、○ュウヘイと○ョウタでした。○ウタがウラとられて失点しましたが。サッカーになれは、訓練を受けてるチームほど、サイド中盤でボールを止めて、逆サイドへパスだすこと狙ってきます。ウラへの意識がないと、ひたすら失点します。2試合目、ハイになって暴走するのを落ち着かせようと、フィクソをさせていた○ョウタが、いきなり相手のウラをついて、ボールがでてこないと知るとすぐにポジションにもどるという学習能力をみせました。ただいかんせん、ボールを止めて、蹴る、という攻撃の起点作りができていないので、利用できるのはまだ先になりますが。

*ポジションに関して、学校掃除での役割分担の例えで。あとこまごました技術的な話を、○山コーチと指摘したのが、1試合後のミーティングでした。あせらなくても、面白いサッカーをみせてくれるようになる3年生だと思います。》

2017年11月23日木曜日

相撲界の混乱から

「政治は、まとをはずさぬ正確な計算にもとづいて、単語のエネルギーを巧みに利用しつつ、ことばが社会におよぼす魔力を操作する。かくて天皇という語は、明治憲法発布にさき立つ一時期、類似の意味をもったさまざまな表現方法と激しくせりあうなかで生き残り、当時、この語の中にこめられた語感の印象は、おそらくまだ不安定で、後世からはとうてい思いもおよばないほど、みずみずしかったのである。明治維新黎明期、すなわち憲法発布以前のほぼ二十年間に残された様々な資料から、天皇を指す表現をことごとくひろいあげても、ここではあまり意味がないので、試みに、次のような一群の語を例示しておきたい。
 
 皇上 聖上 聖主 聖躬 至尊 主上 」(亀井孝「天皇制の言語学的考察」田中克彦著『言語学の戦後』所収 三元社)

モンゴル会で起きた事件をきっかけに、日本の相撲界が揺れている。
日本の相撲界や、他の運動部などでも、顧問や部員間での暴力沙汰は今でも取りさだされるけれど、それは残骸なように珍しくなったからで、戦後平和教育が、軍隊的な遺制を取り除くよう洗脳・戦略されてきたからだとは、このブログでも言及してきた。(例;中学部活動問題の中身」)

しかし、その若い世代へ行くほどのやわな現状にいらだつ反動的な勢力も根強いわけで、現政権自体が、なんとか敗戦後のその9条体制と呼べるようなものを変えたいわけだ。しかも、若い父親・母親自身に、敗戦という現実の影響・教訓が忘却されはじめているので、むしろそうした若い民衆のほうから、強い姿勢を求める、憧れる傾向があることが、今回の衆院選アベくん支持の結果に反映されたことの一つでもある。
で、その若い父親、サッカー小学生チームのパパコーチを引き受けてほしいと期待されている親から、次のような素朴な質問が投げかけられてくる。

<私は○○には、サッカーを上手くなることよりも、真剣に取り組むことを望んでいます。下手でもいいので、できる限り走り続ける、練習をちゃんとする、挨拶をする、等です。真剣にやるのであれば、本望でないですが、野球でもいいと思っています。そんな中、1年程見せていただいた中、落○やコーチという立場に関しての感想は、
・真剣さについては、落○チーム(低学年)は、足りないと感じています。でも、他のチームは知らないので低学年特有の事象なのかもしれません。
・コーチがやる気スイッチを押す必要があるのかもしれないですが、それはどこから、コーチの仕事なのでしょうか?試合の時も空を見ている子、走らない子のスイッチを探すこともやるのでしょうか?
・そもそも、人数が足りないのは人口が減っているからで、チームを維持するために、緩くなりすぎていないのでしょうか?所属人数が問題なのであれば、他チームと完全統合してはだめなのでしょうか?>

私も、息子の一希には、この「真剣さ」を学んで欲しいとおもっていた。が、いざパパコーチとして間近に<子どもー大人>と接していると、その実践の内実、方法と思想的理論に、素朴にそのまま「真剣にやれ!」と怒鳴ってすますわけにいかない複雑さが潜んでいることに気づいてきたのだった。(例;「ユーロ・サッカーから――世界とコーチング」・「暴力(教育)と歴史・「見えること、見えないこと、見たいこと

とりあえず、サッカーやスポーツ、ひいては教育ということに限っての話なら、日本の近代化過程での暴力的文化土壌を考察した元巨人軍投手の桑田氏への言及ブログ(今回、貴乃花親方が、桑田みたいな立場なのか? 日本相撲界の土壌を変えるための陰謀めいた…)、そして日本の学級社会の特殊性や体罰の歴史に関する引用ブログ、があるが、もうひとつ、若いパパコーチには、次のセルジオ越後の言葉を紹介しておきたくなる。

<子どもの習い事で、武道の人気が高まっているらしい。どうも補欠がないことと、「礼に始まり礼で終わる」精神で、礼儀が身につけられる。やはり補欠に悩む親は、個人競技をさせたいのだろう。それ自体はよいと思うが、ただ気になるのは、礼儀が身につくからという理由。本当にそうだろうか?
 サッカーでも、試合前にハーフウェーラインまで行き、対戦相手に大声で「お願いします」とおじぎする。試合後はベンチに挨拶に行く。しかし、大人に指示されたから礼をしているだけで、なぜそれをやっているのか本質を理解していない。だから、しまいには誰もいない後援会のテントに向かって礼をする。
 僕はこの光景に驚いた。そもそも、一体相手に何をお願いするというのだろうか?
 ブラジルでは対戦相手に挨拶するところを見たことがない。日本でも、Jリーグでは誰もやっていない。Jリーグどころか、W杯もオリンピックでもやっていない。なのに、大人たちは「礼儀」として教える。
 挨拶する子どもも「なぜやるのか」を考えることはしない。それは想像力に欠け、こなし上手になっているだけだと思う。大人に怒られないように、顔色をうかがいながら行動しているだけ。したがって、武道をやれば礼儀が身につくかどうかは、甚だ疑問だ。
 プロの場合は対戦相手ではなく、サポーターに向かって礼をする。大人になってもやらないことを、なぜ学校では強制的に教えるのだろうか。大声で挨拶するように教えるけれども、社会に出て大声で挨拶したら「うるさい」って言われるよ。(笑)。大人になっても使えるものを教えないと、ますます部活動は軍隊のように感じる。そんなうわべの礼儀よりも、大人と子どもが触れあう社会教育のほうが重要だと思う。
 僕の恩師は「社会」だと思っている。大勢の大人と子どもが集まってプレーして育ったから、誰がサッカーを教えてくれたかわからない。親以外の大人も、多くのことを教えてくれた。>(セルジオ越後著『補欠廃止論』 ポプラ新書)

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日本で起きたモンゴル会での暴力事件のことを、もう少し、深く、ディープ・ヒストリー的に考えてみよう。

エマニュエル・トッドの家族人類学によれば、ユーラシア大陸の中央あたりから父権的な
共同体家族が文明として発祥し、それが周辺へと伝播していき、より周辺の亜周辺的なところに近づいてゆくほど、より原初的な核家族形態が残っている、ということになる。中国の文明も、とくに秦の始皇帝時代には、そのユーラシア的な騎馬民族の軍事組織にも転用される共同体家族の影響がみられる、ということになるだろう。もちろん、ヨーロッパという周辺地域に、中央集権的な家族・組織形態を伝播させたのが、モンゴル帝国である。そこでは、父権的な指示系統、教育が強いのかもしれない。日本でも、それは武家政権の成立過程とともに、伝播が実地してゆく。モンゴル帝国は上陸支配には失敗したが。封建制とは、文明的な共同体家族と、原初的な核家族とのせめぎ合いの周辺的事態である。そしてその封建制から民主主義が派生してきた。友愛とは、任侠である。しかし日本では、その近代の骨格を導入するに際し、伝統(封建)的なものは恥ずべき不適格、これからの時代に不適応なものとして捨象されてきた。とくに、二次大戦への敗戦は、アメリカの占領政策ともあいまって、より徹底的にその武人的な組織性は排除されていった。日本では、学校という近代的な教育制度、その勉強だけ教えればいいという形は、農村社会の在り方から受容されず変形され、体育や家庭科技術などどいった、総合的な子どもの面倒見、という体制になったため、そこで戦後、部活動という学校の余剰的場所が派生し、武人的な封建思想が残存された。民主主義のモデルたるヨーロッパ近代では、実はなお封建精神は、具体的な決闘の残存としても継承されている。それは青年時代の秘密結社的な性格をもつ。フェイスブックとは、ハーバード大学のそんな結社から排除されたものがそのノウハウを盗んでネット上に実装されたものだとは知られている。日本の町内会の青年部なども、なおその伝統をひきずっているとは言えるかもしれない。がとなれば、この封建的な暴力性は、原初的な核家族性を起源にもっているのかもしれない、となる。アフリカの部族では、今なおこの13歳頃からの若い青年団体が、狩りをしながら新しい土地を探し求める冒険をする。それがまた、大人社会へ向けての通過儀礼である。秘密結社の卒業には、勇気だめしのテスト(決闘)があるが、バンジー・ジャンプなどもその一例である。が、この若者の遊動性は、反抗期と結びつけられ、それがある種のホルモンの分泌を伴っていることが解明されてきている。ということは、サルからヒトへと、森から追い立てられた人類が、世界環境で生き延びていくために、身体的に発揮された脳力が、この新天地への冒険を恐れない青年期の<反抗=暴力>というホルモン作用だったのかもしれない、ということになる。ひいては、その核家族的な遊動的性質が、文明・定住的な共同体家族の父権的な暴力性へと換骨奪胎されていき、民主主義(封建制)とは、その中途半端な過渡的な半端形態、ということになる。もちろん、時間軸だけで考え、実践を組織する必要はない。文明は、めざすべき理念でもない。が、それが自然適応のための身体(ホルモン)と結びついているとしたら、リベラル理念で、戦後平和教育、9条体制で抑えようとしも無理が出てくる、ということになる。青年期の通過儀礼的な結社の実質を、近代化の過程で糞真面目に排除してしまってきたことが、とくに日本では現今の若者の犯罪事件を惹起させてきているようにもみえる。暴力との付き合い方が、私たちにはわからなくなってしまったものとして。それが、<真剣さ>をいざパパコーチとしてサッカークラブに導入する際の、実践的混乱として現象する。

2017年11月18日土曜日

座間事件

「美登利はかの日を始めにして生れかはりし様の身の振舞、用ある折は廓の姉のもとにこそ通へ、かけても町に遊ぶ事をせず、友達さびしがりて誘ひにと行けば今に今にと空約束からやくそくはてし無く、さしもに中よし成けれど正太とさへに親しまず、いつも耻かし気に顔のみ赤めて筆やの店に手踊の活溌かつぱつさは再び見るにかたく成ける、人は怪しがりて病ひのせいかと危ぶむも有れども母親一人ほほ笑みては、今におきやんの本性は現れまする、これは中休みと子細わけありげに言はれて、知らぬ者には何の事とも思はれず、女らしう温順おとなしう成つたと褒めるもあれば折角の面白い子を種なしにしたとそしるもあり、表町はにはかに火の消えしやう淋しく成りて正太が美音も聞く事まれに、唯夜な夜なの弓張提燈ゆみはりでうちん、あれは日がけの集めとしるく土手を行く影そぞろ寒げに、折ふし供する三五郎の声のみ何時に変らず滑稽おどけては聞えぬ。」(樋口一葉「たけくらべ」 青空文庫)

秋葉原事件、川崎事件、相模原事件、とうと、このブログでもいくつかの世間を騒がした犯罪事件を考察してきた。
そして、最近の座間事件……、相模原事件の時の唖然さを超えて、単に、判断が停止した。内心の気味悪さから逃げるように、もう考えるのはやめようという気だった。が、ブログ「世に倦む日日」の言及にふれて、やはり私自身が黙って処してしまうことは自身に対する怠けと敗北という気がしてき、とくにはそのブログ上での「40代独身女性、自営業」の方のコメント、<明るい未来なんてあるとは到底思えない、殺伐とした毎日。精神的に弱って頼れるものを求める女性をおびきよせ、短期間に、次々と殺す。そしてその遺体に囲まれて生活する。「どうせろくな人生じゃないし」「どうせいずれつかまるだろうし」「ここまでやればどうせ死刑だろうし」という気持ちがこみ上げ、五感、自分を取り巻く現実が急速に現実味を失い、自分と関係なくなるような感覚を覚えました。この犯人はサイコパスだ、という分析もあるようですが、案外そうとも言えないのかもしれない、絶望し自暴自棄になった時にこの状況は思いのほか近くに存在するものなのかもしれない、と思いました。>――を読んで、自分がこの事件から逃げようと、隠そうとしてきたことを掘り返してみたくなった。

この事件から、私が最初に連想したのは、無邪気に戦場を観光として訪ね、テロリストによって首切られてしまった香田証生さんの事件である。人を簡単に信じて、あるいは、世界を甘く見て、現実にさらされてしまった。……しかし今回の事件の多くは、まだ中学生や高校生なのだった。これから、だまされながら、世間知を知って、大人になっていく年頃だ。いきなりだまされて、殺されてしまう。世間知を積む暇もない。だまされるだけなら、他の多くの家出少女たちが、暴力団まがいの組織につかまって、風俗産業へと突き出されているかもしれない。そこでの自殺率は断然と高いそうだ。実際、被疑者の白石氏は、女性をそうした業界へと派遣させる仕事をしていた。それゆえか、彼自身には27歳という年齢以上の世間知がついていたようにもうかがえる。私は、香田氏の件に触発されて描いた上リンクの絵本(『人を喰う話』)で、その27歳という、カントやドストエフスキーによって特権視された自然・文化的境界のことを問題にした。肉体(自然)的に大人になる13歳前後から、もう10年生きてみることが、啓蒙(文化)としての大人になる条件(ずれ)なのだと。それはまた、職人が技術を身に付け一人前になるには10年かかる、という世間知的洞察でもあると。だから、24歳でなくなった香田氏が、あと3年いきていたら、と嘆いたのだ。

そうして白石氏は、27歳になったのだ。首を斬られる方ではなく、斬ってみる方の日本人として。

座間の現場の上空には、アメリカの軍機が轟音をたてて飛んでいるのが日常である。死体を処理していたアパートは、さらに線路沿いにある。騒音というより、爆音の中の生活になるのだろうか? 私は、現場を知らない。死臭が漂っていたというのに、近所の人には、それが「変な匂い」、「生温かい匂い」として、日常的に過ぎていったのは異様である。もし、行方不明になった妹を追う兄の強さがなかったら、もっと毎日が過ごされていたということだ。死臭にも慣れなくては生きていけない場所、それはむろん、戦場である。前線の戦場である。この戦争への不感症……これを、座間という、米軍基地に隣接した特異的な場所、としてやり過ごしていいものだろうか?

<明るい未来なんてあるとは到底思えない、殺伐とした毎日。精神的に弱って頼れるものを求める女性をおびきよせ、短期間に、次々と殺す。そしてその遺体に囲まれて生活する。「どうせろくな人生じゃないし」「どうせいずれつかまるだろうし」「ここまでやればどうせ死刑だろうし」という気持ちがこみ上げ、五感、自分を取り巻く現実が急速に現実味を失い、自分と関係なくなるような感覚を覚えました。この犯人はサイコパスだ、という分析もあるようですが、案外そうとも言えないのかもしれない、絶望し自暴自棄になった時にこの状況は思いのほか近くに存在するものなのかもしれない、と思いました。>――この女性のコメントは、山城むつみ氏が小林秀雄の戦争洞察に読みこんでみせた次の引用と私には重なってくる。

<連中は何と異常で「無惨」な行為に走ったことかという視線で彼らを見ているとき、自分はそうはならないということが暗に前提されてしまっている。しかし、そう考えていられるのは、僕らがあくまで「ここ」にいて「ここ」の日常感覚が「そこ」においても延長し、「ここ」のモラルが「そこ」でも連続的に保持し得ると信じ切っているからにすぎない。もし「そこ」が「ここ」の座標を延長した空間にはないのだとしたら、――もし「そこ」が「ここ」とは連続していない、断層のある、別の空間に属しているのだとしたら、――そう信じ切っている僕らが何かの拍子で「そこ」に置かれたとき、強姦・虐殺・放火に走らないという保証はどこにもない。>(「山城むつみ『小林秀雄とその戦争の時』

白石氏にとって、あるいは、いまや若い世代にとってはとくに、この日常が、もはや<戦場>に近いものとして感受されているのではないか? というか、年寄世代は、徐々にこの今の世界に移ってきているので、「不感症」になっているということではないのか? 戦場では、だまされる、ということが一命に関わることに直結するかもしれず、だますことは、殺すことになってしまうのかもしれない。ツイッターなどの言葉のやりとりの速さは、考える暇を与えない。経験が世間知として積み立てられていくのではなく、反応としての対処だけが絶えず強迫される。それは、でかい脳みそを抱えたヒトにとっては、エントロピーを増大させる不快なことになっていく。知的にとどまる時間差(暇)は、身体・生理的に必要になってくるのだ。だから、被害者は素直にスマホを明け渡して捨て、加害者は仕事をやめ塹壕の中に引きこもる。外に飛び交う銃弾の下で、いかに死ねるかの知的探索にオタク化する。その関係は、戦犯的な、単独的な、休戦、戦争の放棄なのだ。殺された妹は、ラインで後を追う親身な兄に頼るよりも、まずは戦場から降りることを選択した。しかし世界が、日常が戦争なとき、どこに降りられる場所があるだろう? メディアを捨てることは、ただ目をふさぐことに等しくなる。ネットや携帯を知らないで過ごせた経験の積んでいる年寄世代の者たちのように、面倒くさい、と適当に処理することもおそらく敵わないのだ。

しかし、戦争は過ぎる。というか、もう私たちは、また敗けたのだ。まだ終ってはいないのかもしれない。が、勝ちはない。年寄たちが頑張れば、引き分けぐらいはあるかもしれない。だから、私は、息子をはじめとした若者にはこういいたいのだ(というか、教えているサッカーチームでは、たまに言うことだけど)。敗戦後のことを考えて生き延びよ、賢しらな自暴自棄になるな、人生も歴史もリーグ戦だ。当たって砕けろなどというトーナメント方式・思考は、敵からの侵略はモンゴル帝国とアメリカ帝国しか知らない島国根性な平和ボケだ。実際、俘虜の辱めを受けずという教訓を無視して、年寄たちは敗戦から復興してみせたではないか? 受験に失敗したら人生終わりだ、みたいなプレッシャーは事実じゃない。人生も、歴史も、リーグ戦だ。失敗をフィードバックして、次を考えろ。君たちはサッカーを通して、世界基準を身に付けろ。……
 
予想通りなアベ君支持の選挙結果を目の当たりにすると、「歴史の必然」という小林秀雄の言葉を連想する。しかしこの言葉には、もはや鋭い情感は失われている。ばかばかしく、茶番にしかならない。が、若い世代には、それが初めての現実になるのだ。つまり、猶予(モラトリアム・暇)をくれない戦争が。

参照ブログ:
秋葉原事件「小さな過去」、「犯罪に――

2017年10月22日日曜日

衆院選挙とお笑いの動向

サッカーや野球を禁止するために設けられた広場中央の柵。すると子どもたちは、この柵をネット代わりに、テニスをし始めるのだった。笑える。

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「瀬山陽の『日本外史』は文学的表現が政治的権力とかかわらざるをえない一つの時代の起点に位置している。それは「文学が政治上の事業に附帯せしめられた時代」にちがいなかったが、一方、文学がその無力を自覚することによって、政治を批判する姿勢を獲得した時代でもある。この「有用」の世界と「無用」の世界との緊張関係を激化させつつ、幕末の文学は明治維新に到達し、「文学から政治へ」というサイクルを終える。維新から明治二十年代にかけては逆に「政治から文学へ」というサイクルが始まるのであって、いわゆる文学極衰論争は政治と文学の緊張関係が弛緩の兆しを示し始めた時点、いいかえれば政治的近代の挫折から、文学的近代の庶出子が生誕する時点で発生するのである。文学極衰論争をうけつぐ形で争われた愛山と透谷の二つの文学史は、この二つのサイクルの終結点から逆にさかのぼって、近代文学への転換期をトータルに把握しようという野心的な意図を潜在させていたのだ。
「近世から近代へ」という問題を、戯作小説から近代小説へという脈絡のうちに模索しようとする文学史は、逍遥の『小説神髄』ないしは不知庵の「現代文学」にあらわれていた文学概念を、逆に幕末に延長する操作によって構成されている。幕末から明治にかけて演じられた政治と文学の苛烈な劇を切りすててしまったこのような文学史は、もはや何程の可能性も残されていないであろう。」(前田愛著作集第一巻「幕末・維新期の文学」 筑摩書房)

今回の衆議院選挙結果がどうなるか、この文章を書き始める日中の時点ではわからないが、どんな結果になっても、大勢は変わらないだろう。私自身は、先ほど投票に行って、小選挙区では立憲民主党の候補、比例では共産党に入れてきたが、棄権を呼びかけているそうな東浩紀氏のような態度でも、充分結果に反映される、いいかえれば、結果などどうでもいいような選挙であると、私は考えている。その結果を受けて、ずるずる時勢にながされていくのではなく、坂口安吾的に前に進んで行く現実的な文脈づくりを、政治家にはしてほしいものだ。が、何が「現実」的なのか、人間にとってリアルとは何なのか、そこに基づいた現実政策とはどのようなものなのか、政治ジャーナリズムの世界では合意がない。というか、文学界ではマイナーとはいえ少なくとも議論しえる了解事項はあっても、結局は政治レベルには反映されてゆくところまでは、影響力なく衰退してしまった、ということなのだろう。

今回、私が興味をもち、もっと突っ込んでみる必要があると感じたのは、20・30代での投票動向である。選挙前の世論調査によると(「朝日新聞」10/19朝刊)、18~29歳では41%が自民支持(60代では27%)、安倍内閣の続投支持でも前者が49%で、後者は60%が不支持だという。安倍総理の以前からの街頭演説でも、「わたしたちを支持しているのは実は若者たちなのです!」と、何か証拠でもあげたように特異そうに声を張り上げているシーンもTV放映されていたようにおもう。この若者と高齢者との落差は、統計的に意味がある、とかいう差異を超えているだろう。この落差を、どうとらえたらいいのだろう?

中学2年になる息子が、お笑い番組ばかりみているので、これはどういうことなのか、と調べてみたくなって、吉村誠著『お笑い芸人の言語学』(ナカニシヤ出版)というのを読んでみた。東大の社会学部を出て放送界に就職し今は大学講師をしている書き手らしいが、文学的な教養がすっとんで書かれているので、そこへの突っ込みどころがそのまま問題点として明確になってきて、興味深い。
たとえば吉村氏は、新聞はエリートの書き言葉社会で、テレビは民衆の話し言葉の社会だ、という。が、たとえば夏目漱石が大学の先生から新聞社へ転職したとき、気が狂ったのかと騒がれたというが、それはむろんエリート社会を捨てて自ら民衆の生活へと降りていったからである。ニーチェによる大衆の定義は、新聞を読むような人たちである。エリートは、新聞など読まないのだ。私も早稲田大学の英文学の授業で、先生から、「ジャーナリスト」という字義通りな意味は「その日暮らし」ということだからね、と講義されている。明治政権のエスタブリッシュメントからもれた佐幕派のもと武士たちが、民権運動を盾に浮浪者的・ジャーナル的に始めたのがその大勢だったろう。もちろん、武士は識字率の高いインテリともいえる。が、この転換期の文脈抜きにして、新聞がエリート/テレビが民衆(生活者)、と短絡的につなげていると、もしかして、次の時代には、テレビ(でニュースを見る)のがエリート/スマホ(で趣味だけ覗くの)が民衆、ということになりかねない。吉村氏は、テレビでもニュースが「標準語」的なエリート志向で、そういう体制への抵抗として「方言」にこだわった「お笑い芸人」の姿勢(番組)を評価するのだが、その文脈だけけでは、趣味的世界が独特のスラング社会を縮約形成してゆくように、今度はそこが抵抗の拠点、と理解されるのだろうか? あるいは実際的にも、若きロックフェラーは、自分がフェミニズム運動を支援し資金援助するのは、女性が働きに出て子どもが独り家に残れば、勉強なんかせずテレビをみるだけのバカになっていくから社会を支配しやすくなるからだ、と言うような事を公言していたが、そんなエスタブリッシュメントの言葉を聞いたら、無邪気に民衆的なテレビが時代を変えていく力を潜在させていると期待することはできないだろう。

もともと近代社会とは、ラテン語(漢語)の聖書(原文)を方言(のちの国語)に翻訳してみせることから普及したネーションな運動であろう。それは俗語革命が基調であった。
日本では明治時代、人々の主体性、人民の主権性の思想を普及させるためにも模索されたのが、言文一致の運動だった。これは、書くことと言う(話す)ことを近づけようとする試みともいえるのだろうが、もちろんそういう書き言葉の世界の運動である。それが、なお識字率の低い明治時代(参照;前田愛「近代読者の成立」)、一般民衆とはかけ離れていたという事実性は確かであるだろう。が、漱石がそうであるように、エリート社会に属することもできた者でさえ抵抗していたのだ。ならば、抵抗の拠点を、実体的なスラングの場所、社会に求めるのは早とちりではないか? だから、抵抗の仕方もまた、生活の言葉に近づければいい、それを取り入れればいい、という安楽さも文学的に自覚されて、むしろ読ませない書き言葉としての抵抗の姿を見せる運動ものちに現れただろう。とにかく、まずは書き言葉の世界で「生活」を取り戻してゆくような生きた運動が始められたとしても、それはエリートなエスタブリッシュメントな社会で、民衆とは関係ないとはいえない。当時はなおほど遠かったとしても。必要なのは、そこにあったエリートの苦闘を、民衆たる「お笑い芸人」が参考にすることだろう。エリートがお笑いを参考にしたように。前掲書で前田愛氏は、言文一致に苦闘していた二葉亭は、落語家の円朝の「噺」から学びとって文体を作っていったのだと指摘している。それは、「外在的リズム」をもった「身振りとしての言語」である。しかし、であるがゆえに、その文の調べには、「滑稽めかした声、演技された声、誇張された声」が響いてしまう。当時は、新聞も家族(近所)みんなに聞こえるよう声をだして読んでやるのが普通だった。音読にはよくても、黙読には堪えない、ということが次なる問題となってくる社会の趨勢であった(らしい)。

<有明が幼稚な鑑賞力で高誦したという『佳人之奇遇』は美妙が排斥した「吟ずる」読み方で読まれたのであった。それは蘆花が『黒い眼と茶色の目』でいきいきと描き出しているように、学校・寄宿舎・私塾・政治結社等の精神的共同体の内部で集団的・共同的に享受された。このような享受の場は自由民権運動の敗退とともに失われて、享受の単位は家庭ないしは個人に縮小する。美妙が読者に要請した「通常の談話態(はなしぶり)」のように読む読み方は『小説神髄』が提示した「親子相ならびて巻をひらき朗読するに堪へ」る改良された戯作、その具体的実現としての硯友社文学に対応するであろう。新聞小説であり、家庭小説である。硯友社文学の優勢のまえに『あひびき』の読者が少数者であったことは否むべくもない。しかし、近代読者の系譜はじつにこの少数者の中から辿られる。それは漢文崩しの華麗な文体のリズムに陶酔して政治的情熱を昂揚させる書生達でもなく、雅俗折衷体の美文を節面白く朗読する家長の声に聞き入る明治の家族達でもない。作者の詩想と密着した内在的リズムを通して、作者ないしは作中人物に同化を遂げる孤独な読者なのである。>(前田愛・前掲書)

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で、平成時代ももうすぐ終わろうとしている我が家はどうか?

ルソーのような「孤独者」にあこがれる父親が、新聞を読んでぼそっと見解なるものをつぶやくと、2LDKのDKの所にいた女房が、「また気味のわるいわけのわからんことをいって!」とすかさず反撃してくる。1Lのところにいた私は、「別に俺の意見を言っているんじなくて、一般教養的な、前提となる現実の話をしてんだよ」と、その意見を補強するために、ときにはなんらかの書物を取り出して読み上げる。すると、「また誰々が言ってるか! 自分の意見はないのか!」と食ってかかってくる。障子戸を開けたままにしているので、1LとDKはつながっている。私と同じ1Lでお笑い番組を見ていた息子は、テレビにイヤホンをつけて聞き始める。それに気づいた女房は「いつまで見てるの! バカになるからイヤなんだよ!」と怒鳴りつける。「うるさいよ!」といって息子は立ち上がると、漫画本をもって隣の1Lへいって襖戸をしめたりする。そうして夜になれば、その襖の向こうの一部屋で、家族三人が川の字になって寝ているのだった。……この都会の団地にも、息子の同級生は何人もいる。兄弟・姉妹がいる家族だって。じいさんやばあさんがいる家というか部屋もある。やはり私は、前田氏の前掲書から引用したくなる。<この読み手と聞き手とからなる共同的な読書の方式は、日本の「家」の生活様式と無関係ではないと考える。それは夙にラフカディオ・ハーンが「日本人の生活には内密ということが、どんな種類のものも殆んど全くない。(中略)そして紙の壁と日光との此世界では、誰も一緒に居る男や女を憚りもせず、恥づかしがりもせぬ。為す事は総て、或る意味に於いて、公に為すのである。個人的習慣、特癖(もしあれば)、弱点、好き嫌ひ、愛するもの悪むもの、悉く誰にも分らずには居らぬ。悪徳も美徳も隠す事が出来ぬ。隠そうにも隠すべき場所が絶対に無いのである。」と指摘したところのプライヴァシィーの欠如を基調としている。>

子どもが、独りで読書などしないのは、もっともな条件なのだ。子ども部屋を獲得した昭和から、江戸の平和へと退潮していった平成。が、選挙闘争は、国土の防衛問題が焦点となるくらいだから、明治時代への移行みたいだ。つまり若者は、なお江戸時代から激動しはじめた時代をみている。しかし両親や老人には、敗戦の名残が、昭和の感覚がある。殿様が没落し、社会が変わってしまう、しまえることを知っている。しかも、自分たちが受けた教育には、昭和の軍隊的なものも濃厚だった。けれども、子どもたちは、知らない。殿様は、そのまま殿様であって、自分も自分だ。自分を変えていく、変えていける暴力的な力の発揮を許された感覚がない。ましてや、他人に対する暴力など。学校では、いじめか引きこもりだ。引き込もれる子は子供部屋を持っている。ときおり切れた奴がでてくるが、いつのまにかどこかにいなくなってしまう。テレビの事件でも、そうやって犯人がつかまっていく。それは余分な人たちで、やはり殿様は殿様、金持ちは金持ち、貧乏人は貧乏人、そう、世の中も言っている。それを変えて行く、というのは余分な余興なのだ。ニュースの事件がお笑い番組の余興みたいに。ぼくは1Lの隅でDSをやってるのが楽しい。アベくんも、アベくんなんだろうな。他にも政党ってあるみたいだけど、それも、余分ってことじゃないの?

2017年10月14日土曜日

遺体

「ようするに、先カンブリア時代は捕食の実験段階のようなもので、大半を占めていたのは平和を好む菜食主義者だったが、そうした連中も、たまたま動物の死体に出くわせば、喜んでごちそうにあずかっていたということなのだ。肉の味を覚えつつあったというところだろう。」(『眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く』アンドリュー・パーカー著 渡辺正隆/今西康子訳 草思社)

先々週、草野球チームの元監督さんが亡くなった。59歳になる直前だったそうだ。私が植木屋さんに入って間もなくの27歳頃のときに、親方を通してその監督さんから呼ばれて、以来、仕事で樹から落ちてケガをする43歳頃まで、ずっとその新宿区は下町にあたる界隈のチームで野球を続けていたことになる。ケガも落ち着き、ぎっくり腰にもならなくなった去年から、そのチームの一員がはじめた別のチームで野球をまたはじめたが、元監督さんも選手としてかつてそのチームにも所属していたから、ここのところは、試合のたびに訪れてベンチに座りくだを播く元監督さんとは顔をあわしていた。歩くのもままならない状態なので、近所の球場へ来るのにも、タクシーでやってきた。本格的な野球経験のない人だったが、もしこの人に草野球へと誘われなかったら、私はもはや野球とは縁がなかっただろう。私にとって、高校野球の経験はつらいもので、テレビでスポーツ番組をみることさえもが忌避反応になっていたのである。職場地区の草野球チームに参加することで、私の後遺症は癒えていった。おそらく30歳もすぎてからの帰省中に、甲子園をテレビで見ていた私に、「おまえ見れるようになったのかい」と母がふともらしたことがある。気づている素振りを見せることもなかった母の一言に、洞察力があるんだな、と思ったものだ。
元監督さんは、荒行あとで悟りを開いた坊さんのように、静かに棺の中に納まっていた。私がそんな連想をしたのは、最近高野山での千日行を終えて聖となった僧のニュースをみていて、その坊さんの容姿と似たものを感じたからだろう。実際、白血病の移植手術の後遺症ということで、肺の機能が極度に低下していたため、病院に担ぎこまれたときは相当苦しがっていたらしい。「抗生物質は効かなかったらもう時間の問題になる」と医者からも言われていたので、覚悟はできていて、自分の棺をかつぐ若衆の位置を弟に口述筆記させていた。2・3日意識がなくなっていた状態がつづいたあとで、息をひきとったそうだ。その日の斎場で、野球仲間とともにその遺体と面会した。斎場自体が、元監督さんが暮らした草野球チームの界隈地区にあるのだが、土葬される天皇以外の皇室縁者の火葬場になるところだ。苦行を超えてこそ刻まれるような穏やかだが芯の入った表情……しかし、そこにはもう、魂がない、ここにはない、という衝撃を受ける。間近に遺体を見つめるのは、20代の頃の、父方の祖母のとき以来だが、当時は、特別な感慨はなかったろう。私は、棺を足方向から見つめる斜め上辺りを見回してみたりした。死後の霊が、そこら辺から集まった人を見降ろしているというような、風説を確かめてみたくもなった。がそれにしても、遺体はあまりに物体的であって、魂や霊などという存在自体を否定しているような衝迫性を湛えている。私は、ゾシマ長老の腐敗する遺体にうろたえるアリョーシャの描写をしたドストエフスキーのことを思ったりした。そこにある遺体は、あの世への信頼を懐疑的にさせてくる。

しかしそう懐疑的になっても、私は、仕事中でも、この強い個性的な人格をもつ監督さんのことを意識せざるをえなかった。白血病になってからは、髪を伸ばし、染め、見るからに、内田裕也というロックンローラーにそっくりだった。だから街や病院でも間違わられてサインを求められると、そのまま、「にょろにょろ」と適当なサインを何食わぬ顔でやってのけられる人である。女性からは毛嫌いされていたが、そのことも平気な沙汰で、キャバレーで知り合ったフィリピーナをフィリピンまで求婚しに訪れ、その妹の方がよくなったと求婚者を急に変えて、しかもまんまと騙されて帰国してくることにも平然としていた。内心はわからないが、自分はもう世間からはそう見下されている、見下されてきたものなのだ、という開き直りの強さがあって、それが男たちにはどこか愛嬌と尊敬の念を抱かせていたかもしれない。そんな彼の霊が、私を誘いに来るのではないか、身近な人の死はつづく、という迷信の存在を、私は遺体の衝撃を忘れるように、用心した。ちょうど、高木剪定の危険作業が仕事では続いていた。「○○さん、俺を連れてくんじゃなくて、守ってくれよな」、そんなことを思いながら、木を切っていた。

そして、女房の母親が死んだ。通夜も葬儀もせず、遺影も線香もなく、老人ホームから町屋の斎場へと送られ、死の翌日に火葬された。住まい近所の斎場で1週間ほど待ってから荼毘に付された監督さんと、同じ日だった。私は午前中は監督さんを見送り、午後は義理の母の遺体に対面した。ふくよかだった面影はなく、やせこけて、ミイラ同然、そう私はおもった。息子の一希は、どう感じたのだろう? 何も感じてないようにうかがえた。焼き終えるまでの待ち時間が耐えきれず、散歩に行ってくると斎場を出て行き、骨を拾う儀式には居なかった。だいぶん経っても戻ってこないので、私も周辺を捜しにいった。駅の繁華街の方ではなく、むしろ自然がある方を選ぶだろうと、土手越えの歩道橋を渡ると自然公園があるらしいとわかったが、これ以上時間をかけて捜しにいくとすれ違うだろうと思われ、引き返した。斎場入口まえで、息子と出くわした。「白鳥がいたよ」と息子は言う。「エサやりに慣れてるのか、口笛を吹いたら、寄って来た。」

私はそのとき、息子に不平を言ったが、しばらくしてふと、その白鳥が祖母だったのではないか、私たちが骨を拾っているあいだ、息子はおばあちゃんと会っていたのかもしれない、そんな思いがひらめいた。そんな閃きを信じているのか、そう想うことであの遺体の現実から逃避しようとしているのか、私には判然としなかった。

2017年9月23日土曜日

映画『ひかりのたび dream of illumination』を観る――北朝鮮情勢をめぐって(2)

「絓 …(略)…柳田は基本的に天皇制は祖先崇拝ということで、縮小した敗戦後の「日本」の版図をまとめた。この祖先崇拝というのは、基本的に呪物としてのコメを作る農民をベースにしてるわけです。農民ってのは先祖代々土地に縛り付けられているから、祖先を崇拝するわけだ、と。それで農業で食っている人口は戦後はまだ四~五〇パーセントくらいはいたんですか。敗戦後も、農民人口は明治維新時と変わってない。で、農民ベースに考えれば、祖先崇拝=天皇制は護持できると、柳田は、あるいは戦後日本は、考えたわけでしょう。…(略)」
「絓 ところが、ドゥルーズ/ガタリの戦争機械というのは、本来的にはそれをまったく外部的なものだと想定しているから、「土地」への執着がないということになるわけですね。こうしたドゥルーズ/ガタリ的な考えに由来して、日本でも、一時は(今も?)「ストリート系」と呼ばれる運動がもてはやされました。「だめ連」とか「素人の乱」とかは、その代表的なものだし、いわゆるニューアカ以後の若い学者たちが、いろいろ意味づけしていました。おれは、ストリート系の運動の意義を認めないわけではないけれど、「土地なきパルチザン」というのは、本当に可能なのか、かなり疑問なところがあります。詳述は省くけれども、それはつまり、キャンパスでビラも撒けないことを良しとするSEALDsに帰結してしまったわけでしょう。」(堀内哲編『生前退位ー天皇制廃止ー共和制日本へ』第三書館」)

先週だったか、映画「ひかりのたび」を、雨の中、観に行く。新宿駅まえの通りは、神輿をかつぐ祭りの男女でごったがえしていた。私は、監督の澤田サンダー氏のことは知らないが、副島氏がHPで推奨していたことと、撮影場所が地元の群馬(中之条)だということもあって、観に行く気になった。鑑賞後、モノクロで静かな断片性で終わるこの映画を、どう受け止めていいのかとまどった。副題に、光の夢、とあるのだが、なんでそうなのだかわからない。最後、高3のひとり娘がバイトするレストランが夜の暗闇に消えていくのだが、その背後の森で、懐中電灯か何かの光が踊るように点滅して動き回っているのがうかがえたのだが、それはどこか手旗信号か、モールス信号のようで、注意深い鑑賞者へメッセージを伝えているのか、とも思えた。もしかしたら、「illumination」とは、啓蒙の意味の方なのかもしれない。では、だとしたら、何を?
映画上映の時間にはまだ間があったので、紀伊国屋書店に立ち寄っていた。その際買ってきたのが、上引用の著作である。そして帰宅後読みながら、まさにこの映画の解説になっているのではないかと、思えてきた。とくには、引用した絓氏の発言などにである。

映画のストーリーは、水資源にもなる山を代々受け継いできた元町長をはじめとした地元の人間と、そこへアメリカ人の注文でそれらの土地を買占めに派遣されてきた、不動産ブローカーとの人間模様である。冒頭、自転車に乗った女子高生、ブローカーの娘が、山林を背景に広がる田んぼ脇の坂道を疾走するところからはじまる。その構図からして、この映画の社会背景が、新自由主義的なグロバーリズムと、絓氏が指摘する戦後柳田的な日本の伝統的体制との相克が意識されていることが伝えられている。元町長もしまいには、奥さんの病気や選挙での敗北を受けて借金をおい、土地を手離すことになる。ブローカーは、職務的な忍従と優しさで客を獲得していったようだが、その仕事上の誠実さを評価されながらも、「やっぱり売らないほうがいい」と悔いを残す客の意識において嫌悪されている。元町長も、売り払ったことを町の人々に知られたくない、わからないように引っ越しをしてくれと、苦し紛れのような哀願をし、東京への転属を告げるブローカーを非難する。その一方で、娘は、はじめて一つ所に4年もの間とどまり友達もできたことから、たとえ父親の仕事でつらい目にあわせられることが予期できたとしても(学校で自転車がパンクさせられたりしている)、この地方にとどまって仕事を捜したいことを父親に告げる。東京や海外での進学を進める父と娘は、そんな進路をめぐって対立していたが、バイト先のレストランで、うたた寝をしていた父がコップの水をこぼして店員に平謝りを繰り返す様子をみて、娘はその滑稽さに安心したように微笑みを浮かべ、父に返す。父親も、娘が自分を受け入れ許してくれたような安心感を得たように、ほっとした笑みを返す。この二人の微笑みが、町長をはじめとした地元の人のネガティブな感情、醜さとも受け取れる様子とモノクロ的な対照さを際立たせている、といえようか。

ゆえに、だろうか、評価は、故郷を守る地元の人間倫理よりも、故郷のないと言える親子の、自立していこうとするひたむきな態度に、好印象がでるようだ。たとえば、まさに柳田の『遠野物語・山の人生』をあげて、この作品を評価している学者もいる。おそらく、アーティストの澤田氏も、世間的な勧善懲悪(よそ者を叩く)に疑義を呈したい態度の方が強い傾きがあるだろう。それが、「啓蒙(illumination)」ということであり、作者の公平への願い(dream)なのかもしれない。

が、故郷とは、あるいは「土地」とは、そういうものだろうか?

このブログ「北朝鮮情勢をめぐって」で、私はプーチンの、「北朝鮮は雑草を食ってでも、自分たちが安全だと思えるまで核開発をつづけるだろう」という発言を引用した。暗黙には、本土決戦も辞さない覚悟だろう、ということを含むだろう。私は、ニュースで、勇ましい体制側の意志を暗唱してみせる北朝鮮の民衆のその言葉を、文字通り受け止める気にはならない。植木屋に成り初めのころ、中国は上海からきた青年と一緒に働いていたが、その彼が、毛沢東が死んだときみんな号泣していたけど、あれは嘘泣きだからね、と言っていたのを思い出す。戦時中の日本でも、天皇に対し、似たような面従腹背だったろう。しかしそんな本音と、「雑草を食って」でも命令を遂行していく態度とは両立する。現に、ジャングルでの日本兵だの、そうだったと言えるわけだ。同じように、今の日本人は、内心はアメリカのことを「ふざけんな」と思っていても、自分たちが「雑草」を食うようになっても、アメリカに貢いでいくだろう。こっちは体張って戦争をしているんだぞ、だすものだせ、との脅しに屈する習慣性、その脅しを道理として変換させて自分を安定化させていたほうが、自分を変える勇気をもつより楽なことだろう。「雑草」を食うなどと経済的には不合理な現実を突きつけられても、自分のメンタル的な合理性にまず従ってしまう傾向を、人はみせるだろう。――しかしならば、現在、日本はアメリカの脅しから逃げる現実的な文脈があるか? 沖縄基地問題をめぐり鳩山氏が総理を辞めることになって以来、そう言い張る潜勢力が沈滞してしまったように伺える。短期的には、戦争させられるならその参加を縮小させ、金を出させられるならその金額を値切る、ぐらいのことしかできそうにない。いやそうやる勇気ぐらいはもった政治家は誰なのかな、と探ってみることぐらいだけが、現実関与として有効、というようにしか私には見えない。来月の選挙で、共産党が政権をとるぐらいにでも躍進すれば、また自立を志向する現実的文脈、大義名分がだせるかもしれない。そういう現実的変化なくアメリカへモノ申しても、人間的に道理がわからないおかしな奴、としか思われまい。

しかし、選挙を通した代表制(間接民主主義)だけが、現実有効な文脈、潜勢力を作っていくわけではないだろう。しかしその実践は、あくまで中・長期的な持続意志によるしかない。冒頭著作の編集者の堀内氏は、現に「共和制」を目指して運動している実践家だから、短期も長期もないかもしれない。が、現在ある選択に辟易している私には、そうした道筋を示して手続きしている氏の作業を知って、だいぶ共感する。私もこのブログで、9条よりも天皇条項のほうが問題で、そっちを改革する方が先だ、とか表明してきた。「共和制」という言葉も、使ったかもしれない。ただ私のそれは、坂口安吾の、「人間にできることは少しづつ強くなることだけだ」という言葉への共感による。安吾の天皇制批判は、その制度が日本人を真に「堕落」することを防いでいる、邪魔している、逆にいえば、天皇を差別化して日本人が甘えている、防波堤として利用しているということにあったろう。さらに哲学的につめれば、その態度は、スピノザの自然観を私には思わせたが、それも、浪人中から学生中によく読んだ、柄谷行人氏の『探究』経由である。

本土決戦……覚悟していようといまいと、その戦争を仕掛けようと回避しようと、すでに公的に言ってしまった言葉の習性に押されてやってしまう事態になる、というのが人間の歴史(「言葉と悲劇」=柄谷)でもあるようだ。ジャーナリストの間では、すでに今回の北朝鮮との戦争は、表向きの過激な舌合戦とは別に、対話・交渉解決へ向けて動いている、という話もでている(世に倦む日日田中宇の国際ニュース解説)。絓氏の「土地」への現実感は、イスラエルを連想させ、澤田氏のそれは、ISな感じ、と言えるのだろうか? 実践的な運動経験もほぼなく、次男坊だからというわけでもないが地元を離れて暮らしている私には、ブローカー親子への共感、もちろん、逆境にもめけず微笑んだ、そういうシーンに促されてだろうが、遊動民的な在り方への共感の方が生活実感だ。しかし地元といっても、その多くの人びとが、ちょっと前世代からそうなっただけであり、群馬の山民も、もとは移住民だったはずで、私の職場が三代目だといっても、じいさん世代は旅人的な渡り職人、非常民である。しかし確かに、闘うには、根城があったほうが有効なのかもしれない。植木屋として独立しようにも、脚立や道具、トラックを駐車できる土地が確保されていなければ仕方ない。暴力団世界でも、新地に進出する場合は、事務所を持つようだ。大阪からはじまった柄谷氏中心のNAMでも、東京に事務所を開いて、私は最後は事務所番みたいな活動をしたことがあったが、なんもおこらなかった。

澤田氏の、この「土地」をめぐる葛藤、農民的なロマンチックな祖国と、やはりローマン的にもみえる遊動民的な居候性――その描写が、嫌味なく受け止められるのは、やはりあの少女の笑み、による気がする。別段、コップの水をこぼしたのが父親ではなくとも、それを大した問題だと平謝りする人の真面目さを滑稽なものとして受け止めた上でほほ笑む、ことはリアルな話だと、私には思える。つまり、彼女の態度は、父―娘という家族関係を超えて、より普遍的な位相から発したもののように、私は受け止める。滑稽として受け止める客観性、自分を突き放した冷静さと、だからあざ笑うのでもばかにするのでもなく、ほほ笑むという寛容性、他者を受け入れる振舞い、彼女が、そんな倫理を実践できたのは、何故だろうか? おそらく、「土地」とは関係がないだろう。単に、面白いことがみれたのだ、滑稽なことが。だから、彼女はまず、自分を他者として見出し受け入れただろう。それが可能だったのは、彼女が、「土地」から遊動している在り方だったからだろうか?

北朝鮮の民衆は、真面目にインタビューに返答する。現体制と金委員長を称えるその身振りは滑稽である。おそらく多くの日本人は、その様を軽蔑する。しかし彼女は、ほほ笑むのだ。

このほほ笑みは、「土地」にまつわるものから来るのだろうか?

2017年9月7日木曜日

夢のつづき(7)――ドストエフスキーをめぐって

「メッシがパナシナイコスのゴールへと走るあいだ、シャビ、イニエスタ、ペドロは、ディフェンス陣の数学的特性を解析したわけではない。おそらく、自分の行動について頭で考えてもいなかっただろう。スペースへと動き、足元にボールを直接パスするという単純な法則に従っただけだ。試合後の分析で、彼らのパス・ネットワークの数学的な規則性を絶賛することはいくらでもできるが、一連の動きは彼らのプレイスタイルから生まれたものだ。天敵から逃れるために一瞬で広がるという魚群の動きが、個々の魚の動きから生まれるのと同じで、ゴールも選手たちの一連の単純な動きから生まれるのだ。
 先ほどのメッシのゴール、そして多くのゴールは、はるか昔につくられた一連の法則から生まれた。バルセロナは、選手の育成組織として名高い「アヤックス・アカデミー」にならってラ・マシアを設立したとき、アヤックスだけでなく何百、何千万年という進化によって裏づけられたシステムを取り入れていたのだ。粘菌は三角形の使い方をマスターし、魚は速度の調整や空間の使い方をマスターした。バルセロナはこうしたスキルすべてをマスターできる選手を育てたかった。ラ・マシアが若い選手に教えなければならなかったのは、高度な幾何学ではなく、正しい運動の法則だった。こうしたパス、動き、身のこなしの法則は、練習場で確率されたものだ。メッシはペナルティー・エリアの外側でパナシナイコスの9人の選手と相対したとき、頭で考える必要もなかった。メッシは、彼にとって世界一単純で自然な動きを実行したまでなのだ。」(デイヴィッド・サンプター著『サッカー・マティクス』 千葉敏生訳 光文社)

エマニュエル・トッドの家族人類学とされる考察を読みながら、中学生の頃から読み始めていたドストエフスキーをめぐる中断されていた思考をおもいだしていた。私がこの世界文学的作家において気にかけていたことは、いくつかあるが、なかでも一番素朴なものが、『カラマーゾフの兄弟』における、三人兄弟のあり様だった。長男が一途になって、次男が懐疑的になって、三男が素直な感じの子になる、そう物語的に設定される。いやそれが物語としてではなく、現に三人兄弟の次男坊であった私は、自分の兄弟だけでなく、身近に知っている友人たちの三兄弟、三姉妹においても、似たような傾向があると気づいていたからだ。そうして、そこから物語世界を参照してみると、三匹の子豚やシンデレラ、ジョン・ウェイン主演のエルダー兄弟など、いろいろ当てはまることがありそうなのだ。日本の昔話や逸話にはなかなかみつからないのだが、三本の矢はだいぶちがうが、鎌倉幕府を開いた源頼朝三兄弟は、そう言えなくもない。もちろん、実際問題として、たとえばサッカーなどでは、サッカーを果敢に初めに試みた長男よりも、次男の方が日和見的になって、それが周りとの関係でポジショニングをとっていくこのスポーツにはむいてくる、とかの傾向は発生しやすい。長男だけのチームだとボールしか見ていない子の集まりになるが、次男坊がいるとシステムが安定する、三男とかの末っ子となると、もう単に甘えん坊に近くなるので、違った次元で大変になる、とかは私自身の指導下でも見受けられるものである。が、とにかくも、私は、この類型的なるものはなんなのだろう、というのがこの大作の一番の疑問だったのである。

トッドを読むことで、三十年以上も前のそんな疑問に、一つの解釈が出てくることに気づいた。人類にとって原初的に想定される核家族の変遷的な在り方の一つに、末子相続的な型がみられるという。長男、次男、と家を出て行くので、両親の面倒をみるのが末っ子になってくる自然的推移があるのだと。この原初的バイアスに、後の文明発生地としての、父性原理を明確にした共同体的家族なるものがぶつかる。もちろんロシアも属すユーラシアの中心付近とは、その文明発生地に近い。ゆえに、トッドによれば、ロシアが共産主義という父権的な共同体家族主義を全面的に受容するようになるのは、当然な事態である。しかしもちろん、原初のバイアスがなくなるわけではない。また、地域によっては、そのバイアスは強く残存したりしているので、受容の強弱葛藤に、まだら的なグラデーションが伺えるようになる。ドストエフスキーの時代にあっては、あるいは作品にあっては、文明的(共同体家族)な皇帝と教会、それを転換(代行)させようと企てる社会主義と、そして異端的な宗派との葛藤である。亀山郁夫氏などによれば、三男坊のアリョーシャは、異端的な宗派の方から、社会主義に関わり、皇帝暗殺をたくらむグループへと接触することになるだろう、というような話になる。いいかえれば、核家族的なバイアスを担う末っ子的な役割存在をなぞっていくのだ。そしてむろん、この末っ子が説く思想、価値、愛とは、ゆえに原初的な核家族的なものが核になる。

<いずれにせよ、このトッドの分析は、階級が消え、もはや個人と国家しか残っていないように見える現代世界にも、アイデンティティの核として家族(家族形態)がしぶとく生き残っていることを示している。ぼくがいま家族の概念の再構築あるいは脱構築が必要だと判断する背景には、このような研究の動向がある。…(略)…
 家族についてふたたび考えようという僕の提案は、じつは以上の柄谷の試みを更新するものとしても提示されている(第一章の冒頭で、観光客論は柄谷の他者論の更新なのだと記していたことを思い起こしてほしい)。柄谷が国家(ステート)と資本のあとに贈与に戻ったように、ぼくは国家(ネーション)と個人のあとに家族に戻る。柄谷が贈与が支える新しいアソシエーションについて考えたように、ぼくは家族的連帯が支える新しいマルチチュードについて考える。つまりは、ぼくがここで考えたいのは、家族そのものではなく、柄谷の言葉を借りれば、その「高次元での回復」なのである。>(東浩紀著『ゲンロン0 観光客の哲学』genron)
 
そうして、東氏は、この著作の最後を、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を素材に論考した。そしてこの論考の動機の一つは、山城むつみ氏の「カラマーゾフ」を素材にしたドストエフスキー論への応答でもあるという。私の当時の理解では、山城氏は、むしろ、3.11での原発災害を受けて東氏が説いた確率論的世界観への批判として、ドストエフスキー論を提出したのである。原発の災厄に見舞われた親たちは、なんで自分の子どもが犠牲にならなくてはならないのか、と苦悶しただろう、それは、放射能がそうは襲ってこない地域の子どもを抱える親にとっても、身を切るような煩悶だったはずだ。そうした最中に、山城氏はわが子の「復活」を「カラマーゾフの兄弟」から読み込んだのである。私はそれを読んで、救われたような気がしたのを覚えている。ブログにも書き込んだ。私の文脈で、トッド氏と柄谷氏が交錯したのは、封建制、「私の中の日本軍(部活)」、ということをめぐる思考過程からだったろう。いま、改めて、3.11の騒動の最中に書かれた山城氏のドストエフスキー論に動かされて記したブログを読むと、その冒頭引用が、<夢>の記述であることに気づかされる。その記述を、時季を経た今さらの文脈で読み返してみると、このフロイトによってファミリーロマンスとして解釈され、あくまで近代的な仮説として理解されてきた夢が、実は、人類の原初的なバイアス、抵抗の痕跡・衝動なのではないかと伺われてくる。ならば、核家族の核(価値・思想)とは、「おのれみずからのごとく他を愛せよ」、ということになるだろう。

私たちは夢の中にいる。家族の中にいる。しかしならば、その関係は、環境適応の中にあるわけではない。夢の中にあるのだ。メッシが夢の中で打つシュートは、ゴールへと向かわないだろう。