公園サッカーを卒業し、地元に根付いたクラブチームへと入部した一希。地区のフットサルに近い大会でさっそく2年生にまじってプレーし、6試合4ゴールを決めて準優勝。それでも悔し涙を浮かべて泣きじゃくるのにびっくりする。そして今朝も、「サンタさんが来なかった!」と、泣きわめいていたのを後に、私は仕事へと向ったのだった。「いっちゃんには、サンタさんは来ないといったでしょ。だって、もう知り合いのじいちゃんからメッシのユニホームを買ってもらって、夢がかなったじゃないか? サンタさんは、世界中をまわって忙しいんだよ。おもちゃをもらえない貧しい人から平等に配っていくんだよ。」と、適当なストーリーを言い置いて。「こんなユニホームなんかいらない! ぼくは、人生ゲームがほしいんだよ! きょうのサッカーになんかいかない!」、と叫んでいた一希の具合がどうなっていったのかは知らないが、どうにかじいちゃんに買ってもらったバルセロナの10番を身につけて、河川敷の練習場には向ったようだ。というのも、子供の報告では、ママが練習中にあれこれと声をはりあげて指示をだすので、コーチから黙るようにとイエローカードをもらったということだから。そのうち、レッドカードにかわるだろう。
しかし、人のことはともかく、私はどうするか? 「いまここで、何をするべきかを感じ取る力」をもっているか? いや、感じ取ってはいるだろう。具体的なアイデアもある。仕事(サッカー)よりも、「もっと大事なものがある。」とは、w杯解説者だった山本氏の言うとおりである。あとは、人を説得し、勇気をだして実践にうつすことなのかもしれない。自分の認識が、間違っているかもしれない。他の人は、そう揚げ足をとって保守するだろう。自分の想像(創造)は、単に前方への保守であり、作家の村上龍氏ふうにいうならば、「成功のためではなく、生き延びるため」の方策なのだが、それが前方に投げかけられるかぎり、生活を変える変革としてうつるだろう。いや具体的に、子供を犠牲にしてしまうことになったら? まあもうっちょっと、一希が大人に近づけば、というところだろうか? サッカーの試合をみていても、2年生にもなると、試合の流れをみて、ポジショニングや攻守の切り替え判断ができるようになるらしい。一希はそんな先輩からストライカーとして認められて、ボールだけを見た連動で前線に飛び込んでいくけれど、来年には全体的な判断力が培われるようになるだろう。女房が、黙っていれば。……