2008年11月7日金曜日

息子の性と教育



「恋に上る階段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私のところへ動いてきたのです」(夏目漱石「こころ」)


外苑のサイクリングコースへ日曜日ごとに通って三回目、一希もようやく自転車に乗れるようになった。初回目はボランティアの方々がやっている乗り方教室に参加、二回目は朝九時半にいっても定員オーバーで駄目ということだったから、無料自転車を借りて父―子で特訓。外苑まわりを二周目の最後5メートルで、そっと押さえていた首根っこを離してみたら、そのまま乗ってる。褒めてやると、自信をもったのか、今度はどれくらい乗れるかな、と楽しみになったようだ。しかし三回目の貸し出し所に向う途中では、二輪車に乗れるようになった他の男の子とすれちがうたびに不安になってきて、「抱っこ」をねだってくる。五歳で抱っこというのは特別な類に入るようにみえるが、それを甘えとみるのは洞察力の欠如に私には見えるので、しばらく抱っこして運んでやる。そして会場に近づくと「よし走るぞ」とおろして、二人でダッシュし14号の小さいのを借りてくる。首根っこをもってスタートとおもいきや、「離して」と手を振り払い、なんとそのままこぎはじめた。おかげでこちらは1周約1km近くあるだろうコースをかなりのスピードで三周も走るはめになってしまった。こんなにまともに走っている父親は他にいない。そもそも連れてきているのはほとんど母親だ。こちらの母親は、親ばかというより単なるバカかとおもうのだが、わが息子は才能ですぐに乗れるものとおもっているらしく、でてこない。「パパっ子ですね」と野球仲間の若い衆に言われたことがあるが、ママの無知怠慢に引きずり出されてきているだけのような……。

「男のほうが好きみたいね」とは、一希が赤ん坊の頃よくいわれたことである。4歳も半ばくらいになってくると、自分のおちんちんや、女性(母親)にそれがないことへと興味がわくのとどう関係しているのかわからないが、いわゆる「お姉さん」に関心がでてきた。まさにクレヨンしんちゃんみたいに。ヒーローものの女役のイメージというか、どこか金属的な美の理念形、理想的な容姿にといおうか。「ホモかとおもって心配してたけど、だいじょうぶね」とも言われるようになる。私が買ってきた週刊誌の表紙グラビアの女性をみて、「どこでこれ買ってきたの?」と、こっそりそこを鋏で切り取って、秘密の入れ物に隠していたりする。本屋にいくと、立ち読みする私の傍らで、ヌード写真をみている。私が気づくと、「いっちゃんにはぜんぜんわかりません」と隠すようにページを閉じる。が五歳になったこのごろ、「いっちゃんはもう女嫌いになったよ」としみじみいうようになった。仕事が雨で休みの日、ちょうど公開幼稚園だったので園内を見学してみると、ママゴトする女の子グループ、活発に遊ぶ男の子グループとおおまかにわかれている。そんな役割分担には男性/女性の情緒の違いもまとわりつくだろうから、自分が大きな積み木で作りあげた動物園をみせようと、隣の年少組みの園児たちを呼び連れてくる一希には、その領域区分が感情的にも障害になるのだろう。むろんその一希の困惑自体が男の子のグループとして動くゆえに発生する、ということになるわけだが。だからいいかえれば、幼児が当初どおり男女区別なく遊んでいれば障害はないが、女の子たちがママゴトのように自らを区別しはじめたとき、「女嫌い」という自らを男として区別する社会性が準じてくる、ということだろう。そしていわゆる「異性愛」とがこの後天的な錯誤を自然視(忘却)してしまうことによるとしても、初期条件の<ホモ>と「お姉さん」への憧憬(理念)と「社会」との関連の在り方はどうなっているのだろう? 一希のような子供の頃の思い出は私にもあるが、その私は結婚して一希を生むまで、外人からも日本人からも「ホモ」と揶揄批判されてきた。私は「女好き」という者こそ男とつるむことが好きな同性愛者と見えていたから気にしなかったけれど、そんな見かけの様態ではなく、「こころ」の複雑さはやはり難解で洞察できることではなかった。

今回の世界的な金融危機の中で、その株価の暴落率は、日本とロシアが突出していた。まずは欧米での出来事なのに、不可解なことには傍系的な場所でのほうがパニック的だったのだ。その原因を、両国の食料自給率の低さにある国民の根底的な不安に求める意見も新聞で目にしたが、私はより精神的な面が強いのではないかとおもう。まずは両者にとって、金融市場なる土俵が他人のものであること。そのルールの内在的論理はいつまでたっても腑に落ちないものなのではなかろうか。ゆえに、疑心暗鬼になりやすい。これはいいかえれば、他人を信頼する、という訓練(社会性)が軟弱だということだ。サブプライムローン問題後の対処にしても、日本の銀行はそれ以前からすでに貸し渋り状態だったのであり、その融資判断を引き受けていたのは外資系であり、そこがつぶれたから困る企業や組織(地方の役所もふくむようだが……)がでてきたのであり、つまりは本来の銀行業務、リスクを負って他人を信用し金を貸してやること、という仕事を日本の銀行が放棄していたからなのだ、という。これはどこか、サッカーの日本代表チームにいわれることに似ている。先月のワールドカップ予選ウズベキスタン戦にしても、わかりきった安全安心なパス回しばかりで、ゴールを目指すサッカーというより、平安時代の蹴鞠に見える。一度しかけて失敗して体制が崩れたときこそチャンスかもしれないのに、すぐにボールを後ろにまわして体制を建て直し、ゆえに相手も立て直す時間がとれるので、にっちもさっちもいかない。この均衡を破ろうと目論見仕掛けたのは、海外でプレーしている中村や長谷部だった。この他人(敵・目的)を欠いた自足の状態に中田英寿は苛立ち嫌気をさしてやめていったようにみえる。が、その後の自分探しの旅は、イラクで惨殺された香田証生氏に似て、世界の人からみたらやはり不可解なことなのではないだろうか? そしてだからこそ、同質性(ホモ)に飽き足らない彼らの「こころ」の動き、理想をくすぶらせて社会を横断する旅が、自明視された社会の錯誤を「謎」として浮き彫りにしてくる、ということではないのだろうか? オバマ氏のアメリカ大統領当選の現実さえ、「目的物がないから動くのです。あれば落ちつけるだろうと思って動きたくなるのです」という漱石『こころ』の言葉が呼応してくるように見えるのだ。

私はスパルタ式や英才教育は拒否するけれど、隙あらば世間の教育課程とは別体系の教育を息子の一希にしていかなくては、と思っている。「あいうえお」のひらがなはほぼ読めるようになってきたので、もう来年からは英語もだいじょうぶだろうと、10月の五歳の誕生日にはABCの音声教材がプレゼントだった。小学校の2・3年生になる頃には、スペイン語と世界(現代)史を説いていくことになるのではないかとおもう。あくまで、無理やりにではなくナチュラルに。機会もなく教えても、忘れるだけだから。しかし、機会がないなんてことがありうるだろうか? いまや、世界戦争の最中にいるようなものではないか。15歳までには、この世界を洞察し、社会で生き抜いていける思考=精神力の基礎情報をインプットしてやらなくてはいけないのではないか、という気がするのだ。そうでなければ、不安なだけである。何かがおこっている、それは洞察できる、だけでは、何がどうしておこってこれからどうなるのか、それが組み立てられなくては、生きていけることにならない。そして生きていける、ということの自信の根底には、性的なもの、という「こころ」を偽らない本来的な術が挿入されていなくてはならないのだろう。

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