2009年6月6日土曜日
覚悟とゲーム、子育てから
「重要なのは、北朝鮮問題ではなく、そこのところの覚悟なんですね。私たちが核を持った新しい帝国主義の時代に入った場合の覚悟を持てるかどうかです。そのとき私たちも、世界全体を破滅させる能力を持つことになります。その責任に耐える覚悟を持たなくてはなりません。
そういう「究極のカード」を持つなかで、人類はどうやって生き残っていくか――これを考えるのが、私たちに課せられた使命だと思います。だからこそ、核の帝国主義時代を迎えるまえに、国家情報戦略の重要性がいっそう声高に叫ばれなければならないのです。」(『国家情報戦略』佐藤優・高永喆著 講談社α新書)
息子の一希がはじめての家出を敢行する。夕ご飯まえにおもちゃを片付けて、と母親からいわれていざこざになり、なおそのまま遊びつつけるので「もうイヤだから出てって」と叱られてこらえ涙を溢れだした。食卓に座ってビールを飲んでいた私は「こりゃでていくな」と思ったらほんとに立ち上がってドアを開けていった。「さがすのは無理だろうな」とおもっていると、しばらくして心配になった女房が探しにいくが、みつからない。おそらく行き先は、3キロほど都心にむかった知り合いの老夫婦のアパートだろう。外は雨だ。私は、最近補助車をはずしてあげたばかりの自転車でいっていないかと心配だった。まだよろよろしていて、坂道で転ぶのだ。近所はメイン道路へでる自動車の抜け道になっている。二回さがしにいってもみつからないので女房もその老夫婦のところへ電話をかける。と、ちょうどいまピンポンがなって到着したと。一度やったことは、二度も三度もでてくるだろうな、と私は思いながらも、腰の重かった自分のことを反省した。ただ、ひたすら座ってビールを飲んでいる間、苛立ちはつのるばかりだった。子供が積み木やそのほかのガラクタで作ったピタゴラスイッチ(ビー球を転がせる坂道装置)を、夕食を作っているときは褒めていたのに、飯ができあがると片付けてと叱り始めるのは不可解な論理展開ではないだろうか? そこには、飛躍があるのだから、説明もせずに叱るのは、子供をなお情緒的な反抗に慣習づけるだけだ。これじゃ論理力などいくら意識的に教育しても、まず無意識の生活としてご破産になるから無理だろう。しかしならば、父親は、母と子の感情的ないがみ合いに、どこでどう介入すべきなのか? とりあえず、二人の喧嘩を無視する、と重い腰をあげなかったのだが、二度それをつづけてはできないだろう。一希は無事着いたろうか? 親ライオンは子供を崖から突き落とすというが、ライオンが偉いのは、はいあがってこれなかった子供はそのまま死んでもかまわないと覚悟していることだ。子供は死を想像しにくいから、大人の言うことを間に受けてあっちの世界へ越境しやすいだろう。女房にそんな覚悟ができているわけもなく、もちろん自分の腰が重いのも、動物的な倫理からしたことではなく、知的判断不足と、ニヒリズムと、怠け癖からきていることだろう。とりあえず、子供の自転車には鍵をつけておこう。……
老夫婦のところへ歩いて(走って)行ったとわかったならば、今度は私が迎えにいかなくてはならない。外は雨だから、自動車でいくことになる。女房は精神的にまいって隣の部屋で寝込んでいる。腹が減った。このまま老夫婦のところへお邪魔すると、自分も子供といっしょに夕ご飯をご馳走になって帰ってくる、ということになりかねない。私が黙ったまま相変わらずビールを飲んでいると、やおら女房起き出して、夕飯を並べ始めた。
いざ老夫婦のアパートの前に立って、では息子とどう対応したらよいかと考える。叱るべきなのかなだめるべきなのか……子供の目をみてから決めることにする。一希は、老父の膝のなかに腰掛けている。向こうも、私の出方や本意をさぐっている目の表情だ。ゆえにお互いがさぐりあいになっているので、なんだか儀礼的なやりとりにはじまる。まあこれはいきなり叱ってはだめだろう……私は、核実験を再開した北朝鮮と世界との駆け引きのやり様を連想した。自分の子供と、カードゲームなどという駆け引きならぬ賭けごとなどできるものじゃない。本当に死んでしまったらどうなるのだ? 冗談が、本気になるのだ。北朝鮮も、本当にやることに追い込まれたら? 冗談(ゲーム)ではすまない。ならば、どうしたらいいのだろうか? 一希は、老父から、隣に座った私のところへ擦り寄ってくる。それを迎え入れながら叱りながら、という両義的な対応になってくる。しかしこれは、その場でのしのぎにしかならないだろう。……そんなことがあった日から数日後、一希は幼稚園から小鳥の図鑑を借りてきた。そして僕もインコを飼いたい、という。あっ、これだな、と私はおもう。兄弟がいないから、対等な逃げ口、相談になる相手がいないのだ。ペットを飼うことは、孤立から逃れる技術的な方策かもしれない。じゃあさっそく買いにいこうかな、と私がのると、女房が待ったをかける。いやだ、と。じゃあ今日は見に行くだけで、いっちゃんの誕生日のプレゼントにしよう、と仲介案をだすが、一希がいやだ、いますぐ、とごね出す。……なんともまあ、難しい外交である。
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