2012年9月30日日曜日

「安全神話」と「平和神話」

「第一に、日清戦争のころの中国は、もともと大国である上に、アヘン戦争以後の軍近代化を経て、日本には大変な脅威でした。つぎに、日清戦争の直接の原因は、朝鮮王朝における、日本側に立って開国しよとする派と、清朝側にたって鎖国を維持する派の対立です。つぎに、台湾は、日清戦争のあと、清朝が賠償として日本に与えたものです。それらに加えて、この時期、ハワイ王国を滅ぼし、太平洋を越えて東アジアに登場した米国を見落としてはなりません。米国は日本と手を結んでいました。たとえば、日露戦争後には、日本が朝鮮を領有し米国がフィリピンを領有するという秘密協定がなされたのです。/ 以上の点で、現在の東アジアの地政学構造が反復的であることは明らかです。われわれは今、東アジアにおいて、日清戦争の前夜に近い状況にあります。日本では、中国、北朝鮮、韓国との対立を煽り立てるメディアの風潮が強いですが、現在の状況が明治二〇年代に類似することを知っておくべきです。それは、日米が対立し、中国が植民地化され分裂していた第二次大戦前の状況とはまるで違います。…」(柄谷行人著「秋幸または幸徳秋水」『文学界』10月号)

今回の尖閣諸島をめぐるニュースをみていて、以前の前原外相時、中国の漁船長を逮捕したときの様子とはちょっと違うな、このまま紛争・戦争になってしまうのかな、と心配になってきたのは少数者ではないだろう。一般メディアをみていると、つけあがらせるなやっちまえ、というような風潮だが、私には、大多数の本心は、戦争だけはやめてくれよ、なのではないかと想像する。千隻の漁船団や反日デモを統制できている中国政府らしいが、すぐさま首席が中国発の空母の除幕式だかに登壇したり、正常化40周年式典のキャンセルの陰で招待していた政治家や財界人を成田空港で待機させていたのは「天津上空での軍事演習」のためと説明してきている等の記事(毎日・9/27・夕)をみていると、俺たちがやるとしたら素人集団をだしにしてではなく、戦闘機を使ってやるぞ、とメッセージを伝えてきているのかとも勘ぐってしまう。他の人はどう考えているのかな、とネットで閲覧してみた。

おおまかには、これまでの慣習をやぶってしかけたのは日本の方からだ、ということになるようだ。前原外相のときもそうだったが、アメリカに陰でそそのかされて強気になり、「粛々と」相手の手の内で踊らされている。田中宇氏や、植草一秀氏がそういう前提だ。田中氏によれば、国境近辺の領土帰属の件を敢えて曖昧にしておくことで、事あるごとにそこで問題を起こし介入する・調停する、そのことで権益保持を図っておく、というのは国際協定上よくあるしかけで、アメリカとの同盟にそういう仕掛けがすでに内臓されていたのだとなる。佐藤優氏の外交文書調査によると、「中国漁船を取り締まることができない」日中の協定もあるという(毎日・9/26・朝)。9/25日の毎日・朝刊では、台湾の漁業組合理事長が、接続水域での操業支障はないという台日協議(口約束)を日本は破って追い出しわれわれはだまされた、と訴えている。……

しかし、そうした政治状況を発生させている世界史的構造が反復されているのだと説くのが、冒頭引用の柄谷氏の認識である。その認識自体は最近になって主張されはじめたわけではないが、8月始めの中上健次氏をめぐる講演での上の再説は事前的にタイムリーになっているのでびっくりする。その文章をふまえて、文芸評論家として柄谷氏から認めれデビューした山崎行太郎氏は、ゆえに(構造的に)、戦争は不可避なのだから、日本は核武装も辞さず戦争の準備をし、そのことで戦争を回避するよう意志をもつべきだ、と発言している((9/19のブログ等)。私は、日本が核を、つまりはウラン燃料の原子力発電所をそのまま所持しつづけるのならば、現今のイランのようにあらぬ疑いをかけられて国際社会から孤立してしまう道にはいるのではないか、という田中宇氏の意見に傾くが、不可避な戦争に準備せよ、という山崎氏の態度には賛成である。その準備がないと、その発生を最小限にとどめえない。まさかまた「想定外」でした、などという、「安全神話」ならぬ「平和神話」に安住しないために。もはや、私たちにはそんな態度は許されないのではないだろうか?
では、どうするというのだ? そういう具体的な点で、副島氏は自分の対策を呈示している(重たい掲示板N.1089・ 9/19)。実際の政治でそこまで相手にゆずる、というのは難しそうだが、戦争を回避するとはこういうことだ、という見通しを素人目にもわかるようみせてくれている。

柄谷氏は、先の講演で、――<一般に、戦争状態において、国家は革命運動に対して過敏になります。実際、日本軍がロシアに革命を起こるのを期待し、そのために革命運動を支援する工作をしたことは有名です。しかし、それは、逆にいえば、日本のなかで革命運動が起こるのを極度に恐れることになる。たとえば、幸徳秋水のように戦争中に非戦論を唱えるようなことは、危険な利敵行為になるわけです。>と述べている。柄谷氏は、かつて、すでに都知事であった石原慎太郎氏との対談で、自衛権は憲法(9条)を超えた国際法的な自然権なのだ、と発言していた。それに「そうだ」と相槌をうっていた石原氏の方策で火に油を注がれた今回の国境問題……私たちが、戦後の「平和神話」をこえてゆくような行動を組み立てられるだろうか?

0 件のコメント: