2015年12月26日土曜日

世界での戦い方(2)

以下は、最近、指導している小学生のサッカークラブでの、小学1年生の子供とともにパパコーチとして加入してきたコーチの質問メールへの、応答である。

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2年生大会ごくろうさまです。
低学年にいくほど、運動能力の高い子が多いチーム、つまりはサッカーを意志的に選択した、そう親が意欲した子供たちが集まるすでに強いチームが勝つ傾向になるのは、いかんともしがたいのではないか、という気がします。いま6年の一希世代から、中野区の〇桜小から落〇S.C.にいく子がでてきたわけですが、我が家の場合、その理由は〇〇君と同じユアサS.C.で公園サッカーを学んでいたからということもありますが、当初は「安かったから」だと女房は言っていましたが。ただそうやって運動能力高い子が下の学年にいくほど集まってきているようなので、コーチの方が探究心と冷静さを失わず辛抱強く子供についていけば、結果がでてくるとおもいます。ただいまの練習・試合経験習得の速さだと、チーム として全員底上げされて強くなれるのには、6年夏までかかってしまう感じです。つまり、そこらへんでおそらく脳みそが進化するので、それまでバラバラの理解だったことが、急に統合的になって、サッカーらしい試合になってくる。しかしこの自然成長性は、コーチングによって、落〇の環境でも、1年は早めることはできると感じています。
たとえば、スクールなどに通って、足もとのボールコントロールなどすでに 秀でていた☆君でも、本年度の全日本予選中、サッカーをまだはじめていませんでしたね。センター バックをやらせて、キックオフでもどされたボールを受けて、前に3人いてもドリブル突破を試み、奪われて失点。しかもつづけざま。2分で2失点です。すぐにサイドバックにいた6年の★君とポジション交代しましたが、他のメンバーとの当時の最適解として、☆君を3-1-2-1のアンカーの部分でフリーマン的にやらせたのも、☆君がなおサッカーの理解で動くよりも、自分のやりたいことを優先させるだろうと、その怖さがつきまとっていたからですね。 いま新宿代表にいって、サッカーらしい話のもとに訓練されている最中でしょう。しかしそれでも、全日本がリーグ戦になったので、新5年は来年の1年で、相当いける経験をつませられるはずです。ただ、5年主体で勝ちなどCリーグでものぞめないし、意味もないとおもいます。サッカーを理解させるように、考えさせるように経験を豊富化していけば、勝手にぎゅっと成長するときは一気にいくとおもいます。それが、落〇にとっては、はじめての実験になるとおもいます。まあ、低学年時の ボールコントロールの技術の差が歴然とあるので、Aリーグの上位チームとの差を埋められるようになるには、中学・高校と続けられていけるよう、サッカーが本当に好きになったかどうか、ということになるのだとおもいます。

というのが、オフサイドやポジショニングといった個別理解と、サッカー全体の理解との、子供の成長の中での関連です。6年ぐらいに、一気にわかる、という感じです。それまでは、なんとなくです。「集散」もよく言ってきましたが、6年ぐらいの実際の試合になると、相手チームの闘い方に特徴もでてきますので、もっと個別ケースで指導というより、戦術的な話として、選手に距離感を伝えていくことになってきました。相手がボールを保持しているときも、連携でプレスをかけないと奪えなくなってくるので。「羊飼いの犬」の例で伝えてましたが。

*ただ、とりあえず息子がもうじき落〇S.Cを卒業する今は、もっとサッカーを大枠で整理してみたくなります。サッカー界も、 ヨーロッパに追い付き追い越せとやってきた明治期以降の日本の思想史の型を反復しています。先週のTV「フットブレイン」で、手倉森監督が、「ジュニアユースでは勝ちをめざすのはよくないとする風潮があるけど、それでいいのか」と問うていましたね。岡田監督も、子供優先の「プレイヤーズ・ファースト」には批判的です。なぜなら、それはJリーグ発足以前の日本のサッカーにもどってしまうからですね。そこで、もっとサッカーも本腰をいれてと、ヨーロッパの監督を呼んで、サッカーを勉強し、集団的・組織的になったから、アジアの優等生として勝てるようになった――とそこまでは、1930年ぐらいまでの日本の歴史の反復ですね。かつて日本はそこで誤解し、世界でも戦えると玉砕した。今 回全日本予選 がヨーロッパのサッカー文化として、トーナメント(当たって砕けろ) からリーグ戦になったのも、サッカー協会の人が、敗戦から学ぼうとしている人達の考えを継承しているところがあるからだとおもいます。ただ、サッカー界で、その世界大戦での敗北が起きるのは、これからですね。現世代がワールドカップにいけなかったら、もう10年は最低でもいけないのではないか。しかも、そこからきちんと分析し、自分たちのサッカーを作っていかないと、ずっと駄目でしょう。テニスみたいに個人競技なら時折天才でても、集団スポーツではありえないでしょう。しかし、スペインでも、前回の勝者ドイツでも、勝てなくなった時期を深刻に受け止め、原因分析し、そこでの方針を信じて育成年代から立て直したからですね。シャビや、ゲッチェなどは、その第一世代といわれている 。だから方向性は、サッカーでのエリート教育を受け入れなくてはならない。が、そのとき、後発国の日本は、暗記主義的な勉強を反復しがち。また、ヨーロッパのサッカー界では、12歳以下の、国籍、地方を違えての選手移籍は禁止してますが、それは犬などのペットも3か月は母犬と一緒にさせておかないと大人になっても躾けができない、という科学的事実をふまえているからで、決して子供優先だからではないとおもいますが、それでも、人(子供)はホームシックになってしまうという事実から対策をねる。イスラム国が、いくら「ヨーロッパに追いつけ追い越せ」という世界枠自体を破壊しようとも、西洋の民主主義が、ある種の科学的事実性に依拠しているので、テロでは無理なんですね。その枠を 受け入れたうえで、じゃあ自分たちをどう守るか、戦うか……と、岡田監督は、四国で実験している、その問題設定自体は、正当であるとおもいます。私としては、サムライの理想美は、カンフーやドンパチではなく、居合い抜き、相手が先に手をだしたら防戦的に、相手より早く一気に仕留める。が、これだと、世界ではつまらないと、日本の柔道も、自分からしかけないと警告をもらうとルール修正されていますね。だけど、私としては、このつまらなさに居直るべきだとおもっています。そういう意味で、広州を破ったサンフレッチェ広島の闘い方、および、戦後70年の原爆からの 復興をアピールした監督の采配に共感しますね。

長くなりました。

――――― 上は次のメールへの応答―――――

〇〇コーチ
ほかみなさま


 低学年はじめての8人制ブロック大会、、とりあえず試合が成立、大過な
く終了してほっとしておりますが、やはり、大敗はいやだなぁ、と日に日に
悔しさが募ってきました・・・というのは冗談ですが、あんまり大敗が続くと、
子供も嫌になってしまわないか、そこはまじめに心配しています。
(落合地域最強と思われる落△ですら、ビトーリアAには大敗なのもちょっと
 ほっとしたようなビックりしたような感じですね)

 次回、年度内にもう一回試合のチャンスがあるなら、年単位の目標と
次回大会の個別具体的目標のイメージを持っておきたいと思いました。

 かといって、何をどこまで、どの段階で教えたり、ヒントを提供したりする
か、については、正直言って経験則以外のなにもありません。

 しかし、私自身小学生の時は、監督に怒られないようにするのに必死で、
当時は、監督の怖さ(とそれを回避したい子供の必死さ)で試合に勝てる
時代でした。万が一、この経験を落〇にあてはめるとなると、私も怖くなれ、
ってことになりかねません(笑)
 他方で、現在の自分のサッカー観は、大学生の時に形になったものが
多いので、常々、小学生に伝える言葉にするのは難しいなと思っていた
りもしています。
(余談ですが同じ7BのトラストのHPでたまたま大学の一つ先輩の
 書き込みを見つけましたが、やはり私の考えもかなり近いです。)
http://kawakami-office.jp/?page_id=181 

 今後必要そうなことを思いつくままにあげてみようとおもいますが、
この辺って、現在の高学年の子たちって、いつごろ通過してますか?
また、通過すればよかったとお考えですか?

・オフサイドを理解する
・ポジションが何となくきまる
・ディフェンスの基本のポジショニングを理解する
・複数人でのディフェンス(カバリング)を理解する

・ドリブルで行きたい方向にいける
・ドリブルが得意な子でも大ゲームだとあまり抜けなかったり、少々抜いた
 ところで点には必ずしも直結しにくい現実を知る
・パスを狙った味方に出せる
・味方が走った先にパスを出せる
・ダイレクトパスを選択肢に持つ
・ドリブルと比較したパスの利点(速い飛ぶ疲れない)を理解する

・サッカーは相手より一点多く点を取る種目であると理解する
・集散(攻めはワイドに深く、守備の網は絞る)を理解する
・自分、チームの長所、短所を自覚する
・プレー時に常に複数の選択肢を持ってチョイスする
・相手選手と駆け引きする(自分のしたいことだけしてても通じなくなる)

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