天草の本渡も、その翌朝から、線状降水帯と呼ばれる大雨に見舞われた。山鹿で暮らす監督ご夫婦は、無事ご住まいに帰ることができたのだろうか。本土へと渡す五つの天草の橋のうち、二つが交通不通になったので、海路からしか抜けられない、と、漁船を改装したのだろう海上タクシーで乗り合わせた若奥さんは言った。幼子二人を連れて、生まれの御所浦島から帰る途中だという。私自身は、冠水したホテルに一泊余分に缶詰になったが、翌朝には、たてた予定どおり、御所浦島への定期船、そこから予約制海上タクシーを乗り継いで水俣へとたどり着いた。
本渡ハイヤ祭りの日と重なったからか、上映初日の夜の観客数は、五名だった。街人総出のような盆踊り行列の様子は、この島になお昔ながらの共同体的な絆が残っていることを感じさせた。熊本は山鹿の灯篭祭りを背景に据えた木庭撫子も、名古屋という都会育ちの私が、プロデューサーでもある夫の生地の山鹿で暮らしはじめてまず驚いたのは、学校へ向かう子供たちが、知らない私にも元気よく挨拶をしてくれることだったという。映画でも、小学校の掲示の「早ね、あいさつ、朝ごはん!」が写され、妻の骨壺をもってさ迷う主人公の男も、思わず死の世界へと手を差し伸べるように、走ってきた車に吸い寄せられていったとき、背後を通過して学校へと向かう子供たちの大きな挨拶の声によって呼びもどされるのだ。
監督は、この『骨なし灯篭』のテーマは「共生」であり、「他者との会話」「環境との共存」を問う映画なのだと、パンフに書いている。
私はその監督に、上映後の、ひとりひとりに当てられた質疑のなかで、こう質問した。「男性を主人公にしたのには、何か必然性というようなものを感じていたからなのか?」 監督はそれに、同じ富良野塾(脚本家倉本聰が開いた北海道の養成塾)の後輩だった俳優の舞台演技から受けたイメージに従ったというような返答をした。「だけどこの映画でも、女性の方が強いですよね?」主人公が女性だったら、このストーリーは成立しないのでは、と思ったからだった。その積み重ねられた質問に、監督は困ったような表情をして、舞台端に立っていた夫に意見を求めた。「神戸での上映でのときも、震災にあった人たちが見てくれて、親しい人が亡くなって、立ち直るのは大変なことです。」とのように言葉を継いだ。
おそらく、監督は、男性と女性を分けて捉えようとする私の質問に、違和感を持ったのではないかと、私は思った。もう一つの質問、この熊本で撮った映画が熊本で再上映されて受容されていることに、肥後というか、県民性のようなものがあると思いますか、というものだったが、時間が押し迫っているということでそれはできず、次の人の質問に移っていった。
私が用意していた二つの質問には、繋がりがあった。ただ実際に映画をみて、シックスセンス張りの展開だったことに驚いて、観賞直後には感想整理ができなくなっていたのだが、そのまま発言してみたのだった。
熊本の作家・石牟礼にしろ、高群逸枝にしろ、この地域から出てくる女性は強いというか、しぶとい。高群の言う「火の国の女」だ。そしてそれは、この地域に残存した封建的な精神性と、男でなら熊本男児、とかいう呼称と裏腹に結びついている気がしてならない。簡単安易に、新しいものへと適応していかない頑固さがあるようにみえる。小学生の挨拶も、そうした古い共同性の存続と繋がっているのではないだろうか。が、この女性監督は、その発見を、文化制度的な意識レベルの上部構造への認識に落ち着かせておわるのではなく、より生物学的なシステム、生態的な現実で捕えようとしているように見える。男の妻の形見の浴衣には、魚の群れの絵が描かれていた。人も一人で生きているのではない、群れなんだ、千人踊りのように、という会話のやりとりがそこでなされる。そのシーンの中でだったかは正確ではないが、途中、カマキリがセミを捕食しているシーンが挟まれる。そしてもう一度、壁を這うカマキリがでてくる。また蜜を吸うチョウ、葉を食べるカタツムリ、などの昆虫のシーンが適宜挿入される。この昆虫と魚へのイメージ連鎖に、映画中で描かれる女性の強さとが重なるのだ。
たしか他の、男(夫)に先立たれた妻(女)を据えたいくつかの映画では、妻(女)は、男の骨をぼりぼりと食べたものがあったのを、私は思い出した。
上映前に広告される予告映画の中に、『小学校 それは小さな社会』というものがあった。高倉健主演の映画ポスターで壁面を埋められた本渡第一映劇で、9月から上映予定なようである。この作品の副タイトルには、たしか英語で、どうやってJapaneseになるのか、とあった。世田谷区の学校などがモデル対象としてとりあげられているようだった。集団登校、挨拶、給食、放課後の一斉清掃、など、当たり前とされていることがいかに外からは素晴らしく見えるかが、焦点化されているらしい。が当然の一般教養として、それが、世界を相手に戦争をした日本のファシズム体制と繋がっているのではないか、という自己懐疑を持たされる。丸山眞男は、封建制的な忠義と、近代官僚的な従属とは系譜が違うのだ、と歴史・思想的に区別した(そして柄谷行人は『世界史の構造』でその封建制から民主主義が生まれたと理論付けた)。が、この区別を、社会生活のなかで、実践的にできるのだろうか?(事象認識的には指をさすように区別しうる。) 天草や山鹿の子供たちといえども、学校という近代的なシステムの中にいるのである。
むしろ、そうした戦後思想的な懐疑を、より詰めていくイメージ強度として、この映画は提出されている。妻を亡くしておろおろする男に対し、そんなんじゃだめよ、と女たちは励ましてくる。まだ妻が亡くなって二年にも経たない私も、近所のおばあさん、妻の友達、夫に先立たれた女性たち何人からも、励まされている。なれるまでに何年もかかるのよ。娘も夫に先立たれて三年も経つのにまだ立ち直れてないわ。男は仕事があるからいいのよ。……たぶん、女たちは、普段の日常から、似たようなつらさを味合わされて生きてきているから、他人を励ますことができるのだ。男には、それが強さに見える。
双子の妹の演技をしていた妻の霊は本当に訪れていたのか、男は和尚が指さした、帰省から生活の場にもどっていく女性を問い詰める。あなたの妻に対する解釈には間違っていたものがある、妻は美術教師をしていたあなたの残業を自身の自由時間が持てるからと喜んでいたのではない、あなたの作品が早くみたかったからだ、と。立ち直ってきた男は散骨していた川の向うに、妻の姿をみた。「あなたの時間を生きて」、妻は、生前にあった二人の秘密の手話で、伝えてきたのだ。
しかしそうした男女関係のあり様も、文化制度思想水準ではなく、もっと一般的に、この地球環境の生態の中で問い詰めて、理解していかなくてはならない、ということなのだ。その問い詰めは、どうやったら立ち直れるのか、立ち直るとはどういうことなのか、それ自体を問うてくる。霊の原理は、幽霊自身にもわからないのだ、と映画中の、若くして亡くなりあの世で齢をとった老人の霊は述懐する。魚や昆虫の群れ生態と霊的世界との関連も、この映画イメージは連想させてくるのだ。パンフでは、富良野塾での木庭の先輩にあたる作家がアドバイスしている。死者はあるのか、掘り下げてほしい、人には、この宇宙の秘密を解き明かしたいという熱意があるのだ、と。
御所浦島からのタクシーで一緒になった若奥さんの幼子ひとりは、下の四歳くらいの男の子の方が、いわゆる発達障害というか、多動性障害と診断されるお子さんだったのだろう。いきなり、肩車でもしてもらおうとおもったのか、私の肩や頭にのっかってきた。辛いピザ味のポテトチップスを食えとよこしてきたり、蹴とばして来たり、膝の上にのって座って来たり、と忙しい。揺れる船のなかで、ハンカチの投げ合いもはじまる。お母さんは、大変だろう。叱る時は厳しいのだが、それでも、男の子は元気をやめない。おそらく、この子の小学校での挨拶は、大きすぎる声か、しなかったりだろう。
映画館を出るとき、旦那さんからぜひ山鹿に、と声をかけられた。この映画を観て、もちろん行きたくなった。いく子はまたひとつ、私に宿題を課した。
※旅行まえ、妻の妹さんが、中学に山鹿出身の同級生がいた、と教えてくれた。旦那さんは、1958年といく子と同年生まれだから、ひとつ年下のその同級生とも知り合いなのでは、とはありうることなのでは、と思う。
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