「都市の中心部のみならず郊外においても、ホームレスを多数見かけるようになってきた。都心から拡散し、その周辺へとその居住地域は明らかに拡大している。そして、このかん少なくとも、かれらの“居場所”は減じてゆき、都市の側の攻撃性は増大しているかのようでもある。ダンボール箱はそのような<視線>の悪意――それが攻撃であるにせよ、無関心であるにせよ――を防禦する、彼らの数少ない手段のひとつでもあることには間違いない。」(「ダンボールでみる夢」『眠られぬ労働者たち 新しきサンディカの思考』入江公康著 青土舎)
社員旅行、ということになるのか、仕事仲間と一緒に、2泊3日でソウルへと行って来た。ダンプを買い替えていくほどの儲けではないので、それならばカジノで使ってしまおう、ということなのか。海外にいくのや飛行機に乗るのも初めての職人さんもいるので、この機会が最後になるだろうから、と小遣い以外は会社持ちで。といっても、パスポートの写真をみれば、エコノミックアニマルとされるサラリーマン風情の日本人というより、ヤクザかマフィアか、といった集団になってしまうのだが。私自身は、20年近くまえに、ソウル―テイグ―プサン、とホテルの予約もなくひとりバックを担いで旅したことがある。当時韓国といえば、韓国エアラインのCMには、日本の被差別部落出作家としても著名な中上健次氏が起用されていたりして、すでに東京には失っていた庶民の活力、それはブラジルのスラム街のイメージとだぶってくるような、貧困と暴力がともなってくるようなエキゾチックな活気を売りにしていた。もちろん、いまは韓流ブームとかで、そんな話はどこかへ消えてしまった。子供の幼稚園の父兄として一緒になった韓国人の夫婦がソウルの麻浦区の焼き肉屋だというので、日本の父兄からの贈り物や手紙を届けに云った際、焼き肉をごちそうになりながら、そんな話にもなった。20年近く前と言えば、ソウルオリンピックが開催されるころなのだが、そのころは高校一年生だったという韓流の俳優にも似た二枚目の旦那は、「それは日本のメディアが、そういうイメージを欲していたからではないでしょうか?」という。つまり彼(女)らによれば、韓国(ソウル)は今と同じように安全だった、ということになる。私がその頃実際にいってみて思ったのは、大衆文化の普及、女子大生のファッションやテレビのコマーシャル、等に受けた印象だった。しかしそれでも、建築中の建物の足場が竹だったり、地下鉄には物乞いの少年が見えたりしたのだった。「20年前は、原宿みたいな明洞より、南大門市場のほうが元気だったとおもったけど、いまは南大門は、お婆ちゃんの集まるような、日本の巣鴨みたいな……」というと、日本での最初のアルバイトが巣鴨だったという奥さんのほうが、「そうそう」と相槌を打つ。「地下の通路には、ホームレスがいましたね。日本と同じダンボールの。20年前にはいなかったような……」と付け足すと、「いないですね。」と夫婦ともにうなづいてみせる。町並みでまず歴然と変わったと見えるのは、都市中心部のビル群よりも、郊外のマンションの林立つだろう。夫婦も、住居はそのうちのひとつの上層階に住んでいるという。北朝鮮との国境近くの統一展望台にいっても、その双眼鏡から向こうの古民家の背後に散在する北側のコンクリートの建物とそれは外観が似ていた。ベランダがなかったりするためか、外装がなく質素というか、エコノミカル(節約的)にみえ、スリムだった。これはこの半島の文化的感性なのだろうか、と思えてきたほどである。近代都市として、まだ整備が間もない、ということもあるのだろうか、なお郊外の街路樹は小さかった。しかしでは、大木と化しているともいえるソウルの中心地区ではどうかというと……「韓国には、植木屋さんて、いるのかしら? いないのじゃないかしら。」と奥さんはいう。私の勉強の範囲でも、韓国で庭師に近いものといえば、山を作る人のことをいい、基本的に樹木は自然なままがいいので、切るというのはよくない、ということだった。が、日本人が西新宿の裏街を地上げで立ち退きさせたように、ソウルでも都心の路地街のレンガ家屋の門は外側から鍵がかけられ住人は追い出されているのではないかと思われる地区があったが、そのように高層ビルをたてるだけでは、近代都市としては半端だから、やはり緑を植えることになる。が、その手入れ、となると……おそらく、毎年組んでいく予算の不足や大変さのためもあるだろうし、木をいじるのがよくない、という思想もあるのだろうが、でっかくなったらその際にばさっと切ってまた放っておく、ということらしい。その切り残しや切り口からの裂け目の様は、空港からホテルへと向うバスの中からして、「これ日本の植木屋からみたら、滅茶苦茶ですよね。」と言わしめるほどの有り様だった。というか、それがあまりに平然大胆と醜いので(支柱の垂直・水平感覚にしても)、むしろ何か深い文化的な意味があるのかと考えさせられてしまうのだった。
とにかく、今回ソウルだけをみてみると、なにか醜い面ばかりをおもってしまう。幼少の頃から勉強付けなのか、ぶあつい眼鏡をかけた病人のような女子高生の群れ、むろんテレビをつければ、男優女優の歌番組のような。「いまの若い人は、政治のことなんかなにも考えていないですよ」と、若旦那はいう。焼き肉屋をつぐだけでは満足いかないだろう彼は、日本の美大をでで、ドラマ撮影の仕事も掛け持ちしている。いややりたいことだけでは生活にならないから、家の手伝いをしている、ということなのだろう。「日本では、若い人に仕事はありますか?」ときいてくる。統一展望台へのガイド役をしてくれた中年男性の話でも、韓国では大学を出ても職はない、が職業専門学校をでればあるし、少しづつそういう人たちがでてきている、という話だった。「去年ぐらいから、みんな就職できるようになった。だけどそれは、景気がよくなったからというよりは、将来への不安からそうなっているんじゃないのかな? 団塊の世代がどっと退職するし。だからその前の10年間は、大学でても就職がなかった。アメリカのヘミングウェイの世代にかこつけて、失われた10年、と呼ばれているよ。私の学生の頃は、バブル時代で、日本はアメリカを抜いて世界で一番の経済力になったとえばっていた。だけど、一流大学でて銀行に勤めて、初任給18万から税金とかひかれて15万円、これじゃ東京で暮らしていけないでしょ。でもそのとき、アルバイトしてれば月25万稼げた。ばかばかしいでしょ? 金が問題じゃないよ。こんな生活しかできないのに世界で一番だとえばっている日本の経済界がばかばかしい。ボイコットだよ。仕事あっても働かない、最初のフリーターはポジティブなフリーター、でもいまのフリーターは、仕事したくてもない、ネガティブなフリーター。だから、メールのやりとりでも、お前らの世代はなまけてる、とかで若い世代から批判されるけど、そんなこといっててもしょうがないでしょ?」お金持ちの息子だから、というよりも、経済偏重の韓国世界に違和感をもってドラマ撮影のグループに関わっているのだろう彼は、「わかるわかる」と返してくる。
「自動車は車線があってもなくても関係ないような走りをしてるし、道路の停め方だってちゃんとはじにつけないですごい曲がってますよ。パトカーのまえでUターンしたってなんにもなかったし」と、白バイにつかまってばかりいて、免停もくらったことのあるまだ若い職人がいう。要は日本ももっといい加減だったらいいのに、というわけである。官庁前の現場工事でも、ヘルメットはおろか、安全カラーコーンひとつとしておいていない。人通りのなかでも、ガードマンをつけるわけでもなく、路地道に突っ込んだユニックのブームを伸ばして高所作業を平然とおこなっているのがソウルだった。「だけど、そんな感じなのが普通なんじゃないのかな」と、日本に着いた帰りのモノレールの中で私は答える。結局ソウルでの3日の間、下着もかえずいて、酒と汗の臭いでホームレスのような臭いを発散さしたその若者に。彼は夜中の3時にはなるカジノからの帰り道に、またあのホームレスたちがダンボールにくるまって寝ていた地下道をとおってみましょうよ、と呂律のまわらない口調で言ってきたのだった。おそらくそれは、無意識につかんだ親近感からだったろう。酔いがまわらなければ口にできないような。「まあ、ドイツにいけば、きちっとしているかもしれないね。なんせ日本とドイツは、ファシズムになれた国だからな」目のゆきとどいた細かい手入れ、その鍛錬を日々やらされている職人からもれる両義的な反応、意識的には(そのいい加減さへの)軽蔑の、無意識的には親密な羨望……それはまた、アジアに位置する日本の文化的位置と、政治的な葛藤というより一般(人)的な問題の反映といえるのかもしれない。都市に植えられた街路樹の姿態から、日本の植木屋をして思わしめたことである。
社員旅行、ということになるのか、仕事仲間と一緒に、2泊3日でソウルへと行って来た。ダンプを買い替えていくほどの儲けではないので、それならばカジノで使ってしまおう、ということなのか。海外にいくのや飛行機に乗るのも初めての職人さんもいるので、この機会が最後になるだろうから、と小遣い以外は会社持ちで。といっても、パスポートの写真をみれば、エコノミックアニマルとされるサラリーマン風情の日本人というより、ヤクザかマフィアか、といった集団になってしまうのだが。私自身は、20年近くまえに、ソウル―テイグ―プサン、とホテルの予約もなくひとりバックを担いで旅したことがある。当時韓国といえば、韓国エアラインのCMには、日本の被差別部落出作家としても著名な中上健次氏が起用されていたりして、すでに東京には失っていた庶民の活力、それはブラジルのスラム街のイメージとだぶってくるような、貧困と暴力がともなってくるようなエキゾチックな活気を売りにしていた。もちろん、いまは韓流ブームとかで、そんな話はどこかへ消えてしまった。子供の幼稚園の父兄として一緒になった韓国人の夫婦がソウルの麻浦区の焼き肉屋だというので、日本の父兄からの贈り物や手紙を届けに云った際、焼き肉をごちそうになりながら、そんな話にもなった。20年近く前と言えば、ソウルオリンピックが開催されるころなのだが、そのころは高校一年生だったという韓流の俳優にも似た二枚目の旦那は、「それは日本のメディアが、そういうイメージを欲していたからではないでしょうか?」という。つまり彼(女)らによれば、韓国(ソウル)は今と同じように安全だった、ということになる。私がその頃実際にいってみて思ったのは、大衆文化の普及、女子大生のファッションやテレビのコマーシャル、等に受けた印象だった。しかしそれでも、建築中の建物の足場が竹だったり、地下鉄には物乞いの少年が見えたりしたのだった。「20年前は、原宿みたいな明洞より、南大門市場のほうが元気だったとおもったけど、いまは南大門は、お婆ちゃんの集まるような、日本の巣鴨みたいな……」というと、日本での最初のアルバイトが巣鴨だったという奥さんのほうが、「そうそう」と相槌を打つ。「地下の通路には、ホームレスがいましたね。日本と同じダンボールの。20年前にはいなかったような……」と付け足すと、「いないですね。」と夫婦ともにうなづいてみせる。町並みでまず歴然と変わったと見えるのは、都市中心部のビル群よりも、郊外のマンションの林立つだろう。夫婦も、住居はそのうちのひとつの上層階に住んでいるという。北朝鮮との国境近くの統一展望台にいっても、その双眼鏡から向こうの古民家の背後に散在する北側のコンクリートの建物とそれは外観が似ていた。ベランダがなかったりするためか、外装がなく質素というか、エコノミカル(節約的)にみえ、スリムだった。これはこの半島の文化的感性なのだろうか、と思えてきたほどである。近代都市として、まだ整備が間もない、ということもあるのだろうか、なお郊外の街路樹は小さかった。しかしでは、大木と化しているともいえるソウルの中心地区ではどうかというと……「韓国には、植木屋さんて、いるのかしら? いないのじゃないかしら。」と奥さんはいう。私の勉強の範囲でも、韓国で庭師に近いものといえば、山を作る人のことをいい、基本的に樹木は自然なままがいいので、切るというのはよくない、ということだった。が、日本人が西新宿の裏街を地上げで立ち退きさせたように、ソウルでも都心の路地街のレンガ家屋の門は外側から鍵がかけられ住人は追い出されているのではないかと思われる地区があったが、そのように高層ビルをたてるだけでは、近代都市としては半端だから、やはり緑を植えることになる。が、その手入れ、となると……おそらく、毎年組んでいく予算の不足や大変さのためもあるだろうし、木をいじるのがよくない、という思想もあるのだろうが、でっかくなったらその際にばさっと切ってまた放っておく、ということらしい。その切り残しや切り口からの裂け目の様は、空港からホテルへと向うバスの中からして、「これ日本の植木屋からみたら、滅茶苦茶ですよね。」と言わしめるほどの有り様だった。というか、それがあまりに平然大胆と醜いので(支柱の垂直・水平感覚にしても)、むしろ何か深い文化的な意味があるのかと考えさせられてしまうのだった。
とにかく、今回ソウルだけをみてみると、なにか醜い面ばかりをおもってしまう。幼少の頃から勉強付けなのか、ぶあつい眼鏡をかけた病人のような女子高生の群れ、むろんテレビをつければ、男優女優の歌番組のような。「いまの若い人は、政治のことなんかなにも考えていないですよ」と、若旦那はいう。焼き肉屋をつぐだけでは満足いかないだろう彼は、日本の美大をでで、ドラマ撮影の仕事も掛け持ちしている。いややりたいことだけでは生活にならないから、家の手伝いをしている、ということなのだろう。「日本では、若い人に仕事はありますか?」ときいてくる。統一展望台へのガイド役をしてくれた中年男性の話でも、韓国では大学を出ても職はない、が職業専門学校をでればあるし、少しづつそういう人たちがでてきている、という話だった。「去年ぐらいから、みんな就職できるようになった。だけどそれは、景気がよくなったからというよりは、将来への不安からそうなっているんじゃないのかな? 団塊の世代がどっと退職するし。だからその前の10年間は、大学でても就職がなかった。アメリカのヘミングウェイの世代にかこつけて、失われた10年、と呼ばれているよ。私の学生の頃は、バブル時代で、日本はアメリカを抜いて世界で一番の経済力になったとえばっていた。だけど、一流大学でて銀行に勤めて、初任給18万から税金とかひかれて15万円、これじゃ東京で暮らしていけないでしょ。でもそのとき、アルバイトしてれば月25万稼げた。ばかばかしいでしょ? 金が問題じゃないよ。こんな生活しかできないのに世界で一番だとえばっている日本の経済界がばかばかしい。ボイコットだよ。仕事あっても働かない、最初のフリーターはポジティブなフリーター、でもいまのフリーターは、仕事したくてもない、ネガティブなフリーター。だから、メールのやりとりでも、お前らの世代はなまけてる、とかで若い世代から批判されるけど、そんなこといっててもしょうがないでしょ?」お金持ちの息子だから、というよりも、経済偏重の韓国世界に違和感をもってドラマ撮影のグループに関わっているのだろう彼は、「わかるわかる」と返してくる。
「自動車は車線があってもなくても関係ないような走りをしてるし、道路の停め方だってちゃんとはじにつけないですごい曲がってますよ。パトカーのまえでUターンしたってなんにもなかったし」と、白バイにつかまってばかりいて、免停もくらったことのあるまだ若い職人がいう。要は日本ももっといい加減だったらいいのに、というわけである。官庁前の現場工事でも、ヘルメットはおろか、安全カラーコーンひとつとしておいていない。人通りのなかでも、ガードマンをつけるわけでもなく、路地道に突っ込んだユニックのブームを伸ばして高所作業を平然とおこなっているのがソウルだった。「だけど、そんな感じなのが普通なんじゃないのかな」と、日本に着いた帰りのモノレールの中で私は答える。結局ソウルでの3日の間、下着もかえずいて、酒と汗の臭いでホームレスのような臭いを発散さしたその若者に。彼は夜中の3時にはなるカジノからの帰り道に、またあのホームレスたちがダンボールにくるまって寝ていた地下道をとおってみましょうよ、と呂律のまわらない口調で言ってきたのだった。おそらくそれは、無意識につかんだ親近感からだったろう。酔いがまわらなければ口にできないような。「まあ、ドイツにいけば、きちっとしているかもしれないね。なんせ日本とドイツは、ファシズムになれた国だからな」目のゆきとどいた細かい手入れ、その鍛錬を日々やらされている職人からもれる両義的な反応、意識的には(そのいい加減さへの)軽蔑の、無意識的には親密な羨望……それはまた、アジアに位置する日本の文化的位置と、政治的な葛藤というより一般(人)的な問題の反映といえるのかもしれない。都市に植えられた街路樹の姿態から、日本の植木屋をして思わしめたことである。
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