2008年4月20日日曜日

植木職人ら9人、ソウルへ2泊3日(3)


板門店へのツアーは休みとのことだったので、職人ら5人で統一展望台へ。写真はそこからみた北朝鮮の眺め。左側が韓国の漢江、右側が北朝鮮の仁川となってその合流先が海、ということらしい。北朝鮮側の山は燃料なり防衛上の観点から禿山となっている。
われわれ5人を運んだワゴン車や展望台では、添乗員役の韓国男性がいろいろガイドしてくれた。国境までの道路や橋がどのように軍事防衛用に設計されているか、とかなのだが、その基調には、貧しく情報に欠乏した北の庶民は少数の権力者に洗脳された被害者である、というものがある。「麻原とその信者たちみたいなものなのですよ」ともたとえて。父親が歌舞伎町のヤクザ者であった息子が、「そうだよ!」というので、「だけど、その信者が人を殺したでしょ?」と私は問うてみる。なにせその車に乗り込んでいる他の男たちの父親も、博徒であったり、満州でサーベルを腰に乗馬していたものだったりしたのである。「お父さん(兵士=被害者)を家で尊敬してましたか?」ときけば、おそらくニヤニヤ笑いながら、そんなわけねえだろ、と答えが帰ってきそうな感じである。だいたい、ほとんど家によりついていなかったということだし。麻原(=天皇)は自身の手で人を殺してないが、信者(=庶民)は自身の手で殺した、前者は、その命令を下すシステムにおいて責任をとりうる形式をもちうるだろう、が、後者は、取替えしのつかないことを犯すのである。しかしそれゆえに、洗脳のシステムに入信しきってしまうともおもわれない。具体的な返り血が、目を覚まさせるだろう。やってしまったならば、もはや責任などとりようがないのだ。逸脱した自己を持ちこたえさせる作法として、その散逸に溺れていく、ということになるのかもしれない。その息子たちが、父親世代から酒の席などできかされてきたのは、人殺しの自慢=快楽話のようであり、ゆえに、なんて悪い親世代=日本人なんだと反面教師的に考えてきているらしいからである。しかしまたその加害の近さゆえに、「被害者」という免罪の言葉に颯爽と飛びつきやすくなる、のではないかと私には思われる。そしてそういう飛びつきやすい人ほど、私にいわせれば、韓国(人)側の洗脳教育にはまっていきやすくなる、ように覗えた。たとえばガイドは、北側の貧しさを、展示品とともに説明してくる。こんなに狭い一部屋に住んでいるのだと。しかし学生時代から10年以上、風呂もトイレもない六畳一間、ウサギ小屋と世評されてきたアパートの一室で過ごしてきた私には、俺よりもいい家じゃん、とか思ってしまう。いやいくら東京の新宿を住みかにしてきた人たちといえど、やはり子供の頃のその職人階層の居住条件として、北朝鮮側と似たような貧しさを体験してきているはずなのだ。私にはそんな説教を韓国人ガイドからされても、日本には高度成長をへて、たくさんキム・ジョンイルがでてきただけのようにしかうつらない。Japan as No.1、もはや世界から学ぶべきことはなにもない、これからは欧米が日本から学ぶべきなのだ! という偉そうな言葉を、私(たち)はウサギ小屋できいていたのである。そしていま、給食費の払えない子供は学校の食膳から追い出されはじめている、どうして、北朝鮮の体制をばかにできるのだろう? 少なくとも、彼らは、自分たちが世界で一番などと現実認識していない。国力もなく孤立した自分たちがどのように生き延びられるかと、見せ掛けの言動操作ひとつでなんとか泳いでいるではないか? そしてその庶民側も、かつては日本(人)がそうであったように、その大半がそんな権力者を信じ、自らの命を捨てて戦うのだろう。戦争にでもなれば、イラクの現状以上に長引くゲリラ戦が予想されないだろうか? そしてだからこそ、アメリカは日本が参戦できるよう合作をつづけているのではないだろうか?
(関連テーマパーク http://www.geocities.jp/si_garden/thema59.html

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