<彼らに口はありません。彼らとの会話はいつも意思が頭に直接響くように伝わる感じです。…(略)…
「地球で発見されている元素は120くらいですが、実際に使われているのは30くらいでしょう。しかし我々は256ある元素をすべて使っているのです」
「地球人は頭が悪い」といわんばかりの話でしたが、彼らが乗っているUFOと同じものを造る技術がないのは間違いありません。
反論する気も起きず、黙って聞いていると、彼らは元素のほかにも、時間の感覚がまったく違うことを教えてくれました。
「地球の時間で1000年かけないと移動できない距離も、我々は『そこに行く』と思った瞬間に移動できます」
こうもいっていました。
「我々は時間と時間のなかを歩いて移動しているのです」…(略)…
UFOの内部はいったいどこまであるのかよくわからないほど天井が高いのですが、その上のほうまで届く、巨大な1枚の紙のようなものがボーンと存在していて、1、2、3、4、5といったアラビア数字ではなく、ローマ数字のようなものがいくつも並んでいました。
「あれはなんですか?」
声を出して訊ねると、彼らは教えてくれました。
「あれは地球のカレンダーです」
「地球のカレンダー? じゃあ、最後の数字の先はないのですか?」
「ご覧のとおり、最後の数字で終わりになります」
彼らにカレンダーの見方を教えてもらい、最後の数字を確認しました。果たしてそれは、幻想のなかでソクラテスに似た人に告げられた、地球のカレンダーが終わる年号と同じ数字だったのです。
もしそれが本当なら……。年号はソクラテス似の人にいわれた通り、だれにも話せませんが、気が遠くなるほど遠い未来の話ではありません。いえるのは、時間がないということです。
奇妙な数字の一致は、わたしがいま必死に働いている大きな原動力になっています。>(木村秋則著『すべては宇宙の采配』 東邦出版)
テレビアニメの「イナズマイレブン」では、日本チームが宇宙人たちとサッカーの試合をしている。が上引用にある木村氏、無農薬りんごを成功させたことで有名となった方の体験談によれば、果たして宇宙人がサッカーをやるのかどうかが疑問におもえてくる。それは、思った場所に瞬時に移動できてしまうのなら、ゴールに入ってしまう苦労がない、試合にならない、という能力事実的な問題というよりも、そもそも宇宙人が、遊びという余分なことをする趣味があるのかどうか、そういう脳みそというか存在を抱えているのかどうか怪しいとおもえてくるからだ。巷で騒がれるUFOの形にしても、実に機能的て、装飾性がないようにおもえる。ゴチック様式のUFOなどは目撃されず、円だの楕円だの、やけに抽象的な形象だ。そもそも、瞬時に移動できるのなら、乗り物など必要なのか? UFOは、もしかして乗り物ではないのではないのか? それ自体が趣味的で余分な産物なのだろうか? 木村氏のもとを訪れてきたとある外国人の打ち明け話には、家の前に現れた宇宙人はペットをつれていたというのもあるから、実は芸術家肌のものたちなのか? だからサッカーなどという自分たちの能力とは反するものを敢えてやってみるという物好きな態度がでてくるのだろうか?
木村氏が見聞したというものは、宇宙人だけではない。マンダラや龍、幽霊といった神秘的な物事である。しかし、これらのものが実はすべて同じモノだとしたら? だいいち、木村氏のまえに現れた宇宙人らしき存在は、自らを宇宙人と名乗り出たものではないらしい。木村氏が、なぜかそう理解してしまったようである。うどん屋を仲間とでたら龍が空を昇っているのにでくわして、写真もとってみたがどれにも白い筋のようなものが写っていた、というエピソードがあるが、本当は、全てがそんなモノなのかもしれない、としたら? 我々はそれを、自分たちが理解できる表象(素材)に置き換えて見させられているとしたら? ということである。ちょうど、夢の原理は誰にとっても同じだが、人それぞれ見る夢はちがうように。違った文化圏や教養の差異によって、見るモノ、見えてしまうモノが違ってしまう、ということである。
ならば、その原理とはなんだろう? 作家の鈴木光司氏の『エッジ』を参照すれば、夢が我々の意識とは別世界の実在のように、それらの位相が、パラレル的にこの宇宙に存在しているとすれば? 宇宙人は、我々が夜空を見上げている世界からやってくるのではなくて(そこには、我々しか存在していない―ー)、幽霊があの世として我々この世界の隣に存在しているのではと仮想されているように、この世の隣人のごとく存在しているのではないだろうか? <龍>と仮生されてくるものも、そんなこの世の隣人の一つの何かなのだ、としたら? ……そう見たほうが、論理的に辻褄があわせられる、気がする。
つまり、だとたら、やはりこの世も、この世の生も夢の原理に似たものによって仮生される世界の一つ、ということになりそうだ。……と考えてみたことが、その仮生の私にとって、どんな意味をもってくるというのだろうか? もたせようというのだろうか?
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